引越しのために
大掃除をしていてお宝を見つけた家族もいるが、わたしのほうは、でませんねぇ、金目のものは。
でも、ちょっと「いまとなってはレア物」が出てきた。まだお持ちの方もいるとは思うけれど、それほど多くはないはずの、知る人ぞ知る「リリカ」。1976年から1979年までサンリオが出版していた少女漫画雑誌だ。毎号買っていたがほとんどは捨ててしまったので、今わたしの手元に残っているのは創刊号と、第3号。
この「リリカ」は非常に画期的な漫画誌だった。どこが画期的だったかというと:
- 海外で英語版を出版すること計画していたために、左綴じで横書き
- 全ページ、オールカラー (創刊号は176ページ)
- 豪華執筆陣 (創刊号の執筆陣は:手塚治虫、水野英子、山岸涼子、ちばてつや、永島慎二、おおやちき、他)
つまり、非常に志の高い雑誌だったのだ。
ところで、1976年の少女漫画といえば、美内すずえが名作『ガラスの仮面』の連載を開始し、大型新人だった森川久美が『青色廃園』を、池田理代子が『オルフェウスの窓』を、竹宮恵子が『変奏曲』を、そして萩尾望都がかの『ポーの一族』の最終話を描いた年である。
そんな、少女漫画を読んでいる読者に、サンリオ風味で味付けた「リリカ」の作品群はちとヌルかった。号を追うに連れ次第にアラが見えはじめ、ページが多くなる一方、売りの全ページカラーの一部が白黒ページになり、紙質が落ち、そしてついには「休刊」という名の廃刊になった。
結局、どの層にターゲットを絞ったのかわからない作りが、読者を掴みきれなかったのだと思う。が、サンリオのチャレンジは称賛に値する。
著作権にひっかかるといけないので、見づらい画像で申し訳ないが、創刊号からちょいとピックアップ。
山岸涼子は、渋い色合いで日本の古典『落窪物語』を描いた。(何かで、この作品に、日本画の顔料を使用したと読んだ気がする。)
おおやちきのイラストは、非常に美しい。この人は、漫画家からイラストレーターへ路線を変更して正解。(ついでに片付けの途中で、『おじゃまさんリュリュ』のコミックスもでてきた。)
サンリオのチャレンジ精神に乾杯。こういうチャレンジ精神が、一時サンリオの経営を危うくしてしまったのかもしれないが。
(この記事全て敬称略)