巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

ステノブック

2009-06-27 23:15:22 | インポート
オフィス・デポが日本国内から店舗販売を引き揚げるというので、ちょっと困っている。詳しくはNikkei Net2009年5月3日付の「米オフィス・デポ、店舗販売で日本から撤退 年内に20店閉鎖」を参照。)

わたしが仕事で使うメモ類といえば、いつぞや書いたリーガルパッドの他に、もうひとつある。それがステノブックだ。そのステノブックの入手先がオフィス・デポだったのだ。が、なぜかわたしの通勤圏内にある店舗に限って早々に閉店してしまうか、いつものステノノートの在庫がなく、ついにオフィス・デポの通販を使う羽目になった。リーガルパッドもオフィスデポのものなので、この先は通販に頼らなければならない。

ステノブック(またはステノパッド、ステノノートとも)とは、要するに速記用のノートのことだ。日本ではそれほどポピュラーではないが、速記や逐次通訳のメモ取りに使用する人が多い。もちろん普通のノートやメモとして使用している人もいる。わたしの場合は、たまに逐次の通訳を頼まれたときにこれを使う。

ステノブックの購入で困るのは、大きな店ではないと売っていないことが多く、しかも入手可能な種類が少ないことだ。一番入手しやすいのは日本のマルマンのステノブック(360円)だが、これはわたしの使用目的に対して紙の質が良すぎるし、1冊の紙の枚数が60枚と少ない。比較的手に入りやすくしかも枚数が多いものは、丸善が輸入している140シートが綴られているMeadのCambridgeのものだが、こちらは714円とお高い。そこで安くて、紙質が許容範囲のものを探したら、オフィスデポが扱っている144シート354円也のTopsのDocketの黄色いステノブックにたどり着いた。紙の質は値段相応である。つまり、それほどは良くない(のに、Super Qualityと印刷されている)。

ところで、速記用ノートとは何か。すなわち、何をもって速記用のノートと定義するのだろう。そこでわたしなりに考えてみた。考えつくのは

  1. サイズは普通のノートより小型でメモ帳よりは大きい

  2. 台紙が厚い

  3. 上部スパイラル綴じ

  4. 多くは紙を切り離すミシン目がある

  5. メモを横長にとらないような工夫がなされている

  6. リーガルパッド同様両面印刷である

  7. 罫線幅は速記方式によって異なる


あたりである。

Steno_book_2

特徴の1と2については、机の上ではなく、手に持って筆記ができるようにとの工夫である。

日本で見かけるサイズは6インチ(横)×9インチ(縦)(152mm×228mm)の大きさのものだが、海の向こうには異なるサイズが数種あるらしく、わたしが見たことがあるのは4インチ×8インチの縦長のものだ。横幅6インチのものは紙の真ん中に赤い縦の分割線が1本入っているが、4インチのものは分割線が入っていない。

わたしが6×9インチのステノブックを使うのは、まさにこの「1本の分割線」のためである。私がメモをとるときに、メモ自体は罫線に沿って横書に書いても、そのメモを横に長くのばしてとってしまうと、あとで読み返したときに何が何だかわからなくなる確率が高くなるのだ。おまけに紙の右端までノートをとってしまった場合、新たな行を起こすときに、左端までペン先をもっていく労力と時間が必要になり、これが忙しいときには煩わしく感じられるのである。一本の赤い線が、メモ書きが横に伸びいていくのを、止めてくれる。

またスパイラル綴じであるのはこのノートの厚みと用途を考えると当然なのだが、しかし最後に捨てるときにごみの分別では、少々の力と手間が必要になる。また、枚数の多いステノブックでは、紙をどんどん切り離していくと、リング径の大きさが気になってくる。

紙の色については、リーガルパッドと同様に、紙に色つきが多いのが特徴だ。色としてはリーガルパッドの場合は白かイエローであり、ステノブックの場合は、白(アイボリーを含む)か、淡いグリーンか、イエロー(Canary)が中心である。マルマンはアイボリー、Mead Cambridgeは淡いグリーン、そしてTops Doeketの中心はイエローである。Topsにピンクとか紫とかもののもあり、オフィス・デポに売っている。

また両面の罫線印刷は、リーガルパッドと同様に、おそらく罫線印刷時の紙の反りを防ぐためのもので、両面にメモをとるためのものではないのかもしれない。リーガルパッド同様、紙を透かしてみると両面の罫線の印刷がきれいに一致しているからである。赤い1本の縦罫線は安物ではずれていたりするが(おい、Tops君ずれてるぞ!)、それでも何本も引いてある横横線(これは通常は淡いブルーまたはグリーンである)は、透かしてみるときれいに一致している。マルマンのステノブックだったら、紙の反り防止目的に両面印刷などはしなくてもよいのだが、Topsのものになると、紙質ゆえに両面罫線にしておいたほうがよいのだろう。

「罫線幅は速記方式によって異なる」と書いたが、ステノブックの罫線幅でよく聞くのは「Gregg rule」と「Pitman Rule」という幅である。GreggとPitmanは両方とも、英語の速記法の考案者で、米国ではGreggが、英国ではPitmanのほうが優勢だと聞いたことがある。日本国内で入手可能な輸入物のステノノートの多くはGreg Ruleである。(いや、これも日本が敗戦国のせいかも。)Gregg Ruleとは、5/16インチ(約8 mm)の幅の罫線のことなのだが、丸善のサイトのMead社製品のページによればGregg Ruleは8.80 mm幅のことである。Tops DocketもGregg Ruleと銘打ってあるが8.5 mmである。Pitmanのほうはもう少し幅が広いらしく、この記事を書こうと思って調べたところ、1/2インチ(12.7 mm)ということらしい。ともかく、長さ9インチのステノノートに対して、Gregg Ruleのものは行数が25行前後、Pitman Ruleでは最大18行になる。

ついでに書いておくと、速記用のノートに対して、速記用のボールペンやシャープペンシルといったものもあり、これらは通常のペンよりも芯が太くなっている。複数のメーカーが速記用のボールペンやシャープペン知るを出している。芯の色は、これはリーガルパッドにも共通して言えることなのだが、イエロー・ペーパーには、黒いインクのボールペンより、青インクのほうが目立つ。

ちなみに、わたしがTops Docketのイエローのステノブックと一緒に使用するのは、三菱uni ジェットストリームの1.0 mmの青インクである。紙の消費が著しく激しく、そうやって使った紙は、終了後即シュレッダーという場合が多い。紙がもったいない! よってわたしは紙の両面を使っている。紙質はあまり良くないが、両面が使えないことはない。

[使用画像説明:左はMead Cambridgeのステノブック、真ん中と右はTops Docketのステノブック。画像はクリックすると拡大し、"Gregg Rule" の文字が読めるはず。]

マイケル・ジャクソン死去

2009-06-27 00:53:47 | 音楽
世界中がこのニュース一色だ。

『オフ・ザ・ウォール』(1979年)以降の彼のアルバムを、最近まですべて持っていたわたしとしても、とりとめはないけれどマイケルについて少し何かを書いておこう。(ちなみに『スリラー』は3枚持っていた。1枚はCDでCDプレーヤーの購入時に買いなおしたものだが、あとの2枚はLPレコード。そのうち1枚は発売当時の普通のLPで、2枚目はピクチャーレコード。)

マイケルとわたしはほぼ同世代だ。マイケルのほうが少しばかり年上だが。

マイケルは子供のころから、海の向こうでは活躍していた。しかし、わたしと同世代の人間のほとんどは、子供のころはR&Bには、特に親がそのジャンルに傾倒していたなどの特別な環境にいないかぎり、ほとんど興味を持っていなかったと思う。

1970年代の初めぐらいまで、洋楽などには興味がない東京在住のフツーの子どもの目や耳に入る海外の兄弟グループといえば、まずはオズモンズだった。だからジャクソン5の日本版二番番煎じといった感じのフィンガー5が出てきた時も、「オズモンズの日本版?」と思ってしまったぐらいだった。当時の「明星」とか「平凡」とかいった雑誌には、フィンガー5がジャクソン5を意識していることはきちんと書かれていたのだが。

もちろん、あの「ベンのテーマ」を歌っているのが「マイケル・ジャクソン」という黒人の男の子であり、どうやら兄弟でグループを組んで歌っているらしいというのは、どこかで聞いていた。が、そのグループが何を歌っているかはわからなかった。いま考えれば「ABC」とか「アイル・ビー・ゼア」はラジオで比較的頻繁にかかっていたと思うのだが、わたしの中ではそれがグループとしてのジャクソン5の存在には結び付かなかったのだ。R&Bというのは、子供にはそれほど遠い存在だったわけだ。

中学に入り、いわゆる洋楽に興味を持つようになっても、しばらくは洋楽と言えば白人の音楽のことだった。すなわち(すでに解散していた)ビートルズ、カーペンターズ、「キラー・クィーン」が衝撃的だったクィーン等々。

あの(良い意味で)化け物のようなアルバム『スリラー』は1982年の終わりごろに発売された。その翌年である1983年はこのアルバムからシングル・リリースされる曲が次々とチャートインした年だった。これらの曲と彼のビデオ・クリップが日本のテレビでもラジオでも頻繁に流れた。ビデオでマイケルのダンスを見た人は皆―少なくとも、小学生から比較的若い世代は―必死になって彼のダンスをまねた。

1983年の暮れにわたしはひどいインフルエンザに罹り、その年の大晦日を布団の中で過ごす羽目になった。熱があって気分も悪かったが、あまりにも暇なのでラジオをつけた。どのラジオ局にまわしても、AMもFMも「今年の締め」として、にマイケルの音楽が流れていた。「マイケル・ジャクソン以外に、今年の洋楽界には聴くべき音楽はない」と言わんばかりだった。

ところで、マイケルがギネスに掲載されるほどのブームを起こしたのとほぼ同時期に、アフリカン・アメリカンではプリンスもまた成功していた。当時、両名はしばしば比較された。

「黒人らしさ」という意味でいえば、マイケルは分が悪かった。「マイケルは心も音楽的にも白っぽくなって(=白人寄りになり)、そのために成功したが、プリンスは黒いまま成功した。だからマイケルよりプリンスのほうが偉大だ。」とは、当時わたしが、しばしば耳にしたり目にしたりしたマイケル評である。また彼の曲については、「無害すぎる」と言われることもあった。

また、アフリカン・アメリカンの中には、彼が「オレオ」(OREO=日本でも売っているバニラクリームを挟んだチョコビスケット。黒いビスケット中に白いクリームが挟まれていることから、「外見は黒だが中身は白」すなわち白人に迎合したり、白人のようにふるまったりする黒人のことを指す)であり、ゆえにマイケルを黒人を裏切った黒人とみなす人たちも少なからずいたらしい。

一方、白人の中では、黒人であるマイケルが白人の音楽であるビートルズの曲の版権を有していること、また彼が白人のエルヴィス・プレスリーの娘と結婚したことに対する反感を持つ人たちもいた。

が、そのような反感をもたれようが、マイケルの音楽と、歌と、ダンスはすばらしかった。そして、すばらしいので売れた。

マイケルの人気が絶頂期に達して以降、彼はいろいろなスキャンダルに見舞われた。次々に奇行が報道され、一方、外見もどんどん変化していった。彼のスキャンダルや顔面整形については、他の人がいろいろ書くと思うので、わたしはこれ以上は書かなくてよいだろう。

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あんな風に才能にあふれた人間は、もうしばらくは出てこないだろう。


ハトムギ茶を飲みはじめております

2009-06-08 22:21:05 | 美容と健康
「肌に良い」と言われているハトムギ茶を、2か月ほどまえから飲んでおります。母が自分用に巣鴨で調達したものを、わたしもいただいています。わたしと同じアレルギー体質の母は、この春は花粉のせいで顔が真っ赤なってしまいした。なんとかしようとして、かつて試したハトムギ茶のことを思い出したようです。

ドラッグストアなどによく売っているウーロン茶とかハブ茶とか、はたまたドクダミ茶などを混ぜたものではなく、ハトムギ100%のものです。ジュズ玉のような外見のアレです。やかんで20分ぐらい煎じたものを、朝晩飲んでおります。

ハトムギは、昔から「いぼとりに良い」といわれます。本当にいぼがとれるかどうかは試したことがないのでわかりませんが、肌に良いことだけは確かです。

かつて母がいまのわたしの年齢だったころ、あまりにも肌が荒れてしまったために、ハトムギ茶を飲み始めました。毎日朝晩かかさず飲んで2年ぐらいたつと、母の肌は見違えるぐらいきれいになりました。「何をしたら、そんなに肌がきれいになるんだ」と職場の同僚の女性たちに問いつめられても、母は絶対に秘密を明かしませんでした。(女の戦いはこわいぞ)

というわけで、わたしも2年後の肌に期待です。が、気がつけば早くも肌が潤ってきているらしい… いつぞや当ブログにて紹介したビューティークロックにて肌の水分量を測ったところ、ここのところの連日の寝不足にも関わらず、水分量・ハリとも、当時の「風呂上がり」の数値を大々的に超える数値がでております。単に季節的なものかも。いや、プラシーボ効果だとしてもかまいません。とにかく信じて飲み続けます。

ちなみに母は、肌がきれいになったことに満足して飲むのをやめたら、肌の状態は徐々にもとに戻ってしまいました。


PC入力でタイポが多くなった理由

2009-06-06 23:37:49 | ガジェット/モノ
職場のひとつで、わたしは信じられないほど多くのタイプミスをしている。タイプミスは、必ず翻訳作業で発生する。

左の原稿台に、翻訳をしなければならない原稿を置く。原稿に目をやったまま訳を考え、原稿に目をやったまま入力をする。その段階で画面に目をやると、訳に集中していた意識が途切れることがあるからだ。契約書のような一文が長く、かつ難解な文書が多いので、いったん原稿から目を離すと、次に同じところに目をやるのに苦労するのである。

で、原稿のほうをみたまま一段落分訳したところで、視線を右に移して画面に目をやるとひどいタイポがあったことがわかる。入力したつもりのキーが入力されていないミスばかりである。つまりタッチの問題だ。

こんなにもミスタッチが多いのには理由がある。
わたしはもともとノートパソコンのチマチマしたキー操作が苦手だ。昔、修士論文を当時としてはかなり大型のノートパソコンで作成したのだが、キーのタッチにいらいらして余計なストレスがたまったことを思いだす。入力に使用した時間がせいぜい1週間だったからどうにか耐えられたものの、入力のストレスゆえに、もう少しでノートをたたき割るところだった。「ここでこのノートを壊したら、論文が全部だめになるんだぞ」と、何度も自分に言いきかせて、ノートをたたき割る誘惑にどうにか耐えたが。

もう一つの理由は、家で使用しているキーボードのせいだ。使っているのは、東プレのRealforce 108UH。Realforceは「一度このキーボードに慣れてしまったら、もう他のキーボードは使えない」と使用者に言わせる可能性が、他のキーボードよりも抜群に高い、あのキーボードシリーズである。このキーボードは軽いタッチで確実に入力可能である。ところが例の職場のノートは確実にキーをしっかりと押しこまないと、キーの入力が認識されないのである。

で、職場で翻訳をやっているときのキーボード操作で、余計なストレスがたまることたまること。「訳のチェックはしなくてもいいから、訳したところまでを今すぐに見せてください」なんて言われても拒否。訳の内容がどうのこうのという前に、何しろタイポだらけだからね。

あまりに作業効率に支障をきたすので、家のキーボードを持っていこうかとも考えたが、物理的な理由でやめた。デスクスペースが小さすぎて、キーボードを置く場所を確保できないのである。

とても悲しい。


ところでこのRealforceのシリーズは、購入前に何種類を店頭で試し打ちしてみたが、どの種類も、タッチの感触もキーボードそのものの重量も、昔PCが高価だったころのキーボードをほうふつとさせる。

昔のPCはキーボードがしっかりしていた。そういえば、Dellで働いていたころの1993年の春、ある日営業がデータセンター使用の10台の注文を取ったときのことを思い出す。この注文は、安いPCを購入できる先方の調達の責任者はこれでハッピーになれるところだったが、入力作業の担当者たちは怒り狂った。

怒り狂ったデータエントリー担当者(女性ばかりの集団で、男性の調達担当者をつるしあげたらしい)と調達担当者との間で合意した妥協案は、「本体はどうでもいいから、キーボードだけはIBMにすること」だった。スタッフの一人が、アキバに走ってキーボードを10台調達してきた。現金では支払えず、カードを切った。たしか1台のキーボードが割引後で16,000円だった。IBMのキーボードだから高かったというわけではなく、当時のキーボードはそういう値段のものであり、そういう値段だからこそ作りもしっかりしていたわけである。「キーボードだけ別に買う」などという行為が、まだ一般的ではなかった時代の話である。

現在では、1,000円未満のキーボードも販売されている。昨年わたしがDellを買ったときについてきたキーボードもそんな低価格帯のものなのだろう。途中で耐えきれずキーボードとマウスを別に購入してしまった。Realforce 108UHは18,000円ぐらいしたが、まぁ、昔のIBMのキーボード相当の価格だと思う。

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