Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
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クリエイティブになること

2005-09-29 23:15:12 | ちょっと感動
私はブレーンストーミング形式のワークが大好きである。

テーマについて、批判厳禁・質よりも量というスタイルで、自分の内なる知を搾り出していくことや電撃的に新たな発想が湧いてくる瞬間が快感なのである。昨夜も月に1度の消費者対応の勉強会でのワークでブレーンストーミングで脳ミソをシャッフルした。心地よい疲れから、よく眠れた。

私の学生時代の友人の大半が教員である。しかし、私は大学3年の秋、早々に教員にならないと決めた。しかし、明治大学教授で、コミュニケーションや教育学についての研究でご活躍の斎藤孝先生のホームページで「教師の資質あるいは力とは何だと思うか」というメッセージを読んだ時に近年まれにみる感動を覚えてしまった。初めて読んだ時には、こんな教師になりたかったとちょっぴり後悔の思いもあった。ここに出てくる言葉の中には自分を駆り立てる言葉がたくさんあり、簡単に読み流すことができない。特にこの部分が好きだと言えない言葉で溢れている。これらは教師を目指す学生へのメッセージであると思うが、多くのビジネスパーソンにも活力を与えると思うがどうだろうか?

私が、最も魅了される言葉があるとしたらそれは「クリエイティブである」という言葉かもしれない。自分がいる周りで、惰性が好まれ、鮮度が低い空気が流れているとむくむくと空気の入れ替えをしたい気持ちが湧いてくる。変化を好まない仲間には、たまったもんじゃないし、ホントありがた迷惑な人だと思う(笑)でもでも、そんな人がいても良いし、私のような人もいても良い。しかし「クリエイティブになることに責任を感じる力」と「責任」がつくと生半可な気持ちでできないナ。場をクリエイティブにするにも腹をくくる必要があるのか・・・。でもそれって私の役割かも。チームがクリエイティブな部門として社内で認められたいというココロの奥底に願望がある。まずは、自分が常にクリエイティブになること。

そして、斎藤先生の言葉を借りるなら、仲間のテンポに合わせながら関係の力を信じること。そうだ、これがエニアグラムで言う私の向かい合う「統合」の方向かもしれない。さすが、斎藤先生、ありがとう!授業受けてみたいなぁ~
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はたらく気持ちの火を消すな

2005-09-28 01:34:30 | 仕事のひとこま
今日は激しい怒りを覚え、それをため込まずに即座に開放した自分を久しぶりに見た。

大体、ミーティングの席で「僕はこの会社で働いていることを人には言えないっす」って素で言うって、一体どういうことよ。冗談なら冗談らしく言いなさいよ!その怒りは「えぇ~、私は、そんなこと言う人と一緒に働きたくないわ~」ってしれぇっと毒を吐くことで発散した自分あり。自家発電でモチベーションを高めている私たちにとって、どう考えてもヒンシュク発言でしょ。課長もマネージャーも黙ってる場合じゃないでしょっ。って怒り8分咲き。

私の仕事はお客様対応をする接客要員の採用と教育だ。自分がお客様に育てられて成長したからこそ、この仕事の良さを伝えて行きたいと思う気持ちがある。多くの企業においてもカスタマーフロントの従業員、ホントにお客様と接している最前線の従業員は非正社員の場合が多く一般的に雇用が不安定で低賃金の場合が多い。そんな中で、会社の顔として最善の対応を心がけ、顔で笑ってココロで泣いてなんてことの繰り返しだろう。クレームで涙した日は、少なからずココロが擦り減り、辛くて、そして悲しくて眠れない夜を過ごすことだってある。それを忘れさせてくれるのが、お客様との「うれしい出来事たち」である。それは幸い、思い出として眩しくココロに残ることもある。多くの接客者に忘れられないお客様がいるように。

この感動体験をできるだけ早く、そして多く体験することができ、仕事への興味と、会社への帰属意識を高め、そして望むのであれば、可能なかぎり長く勤務して欲しいと願う。そして、自分のスキルを他の会社で活かしたいとステップアップしたくなったらそれはそれで喜ぼう。本当にやりたい仕事をみつけたらそれはそれで喜ぼう。

当社も例外なく、アルバイト待遇の社員が主力である。私のような間接業務にあたるものは彼らが現場でたたき出す利益の中からお給料をもらっている。私にとってのお客様であることに間違いがない。そんな採用や教育の仕事に「愛情」や「情熱」なくして向かい合える訳がない。

自分の仕事を大切にしない人を見て、自分の仕事を大切にしようと思うだろうか?彼らに見られて恥ずかしくない背中で仕事をしているか?そう問うことが、何年たっても私の仕事の中での緊張感につながっている。
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ころもがえの季節

2005-09-26 23:43:26 | 他愛もないこと
台風が去って、すっかり朝晩涼しくなってきた。本格的な秋が到来!もう半そではかたづけでもいいナ。

今日、涼しくなったら着ようと思っていたジャケットを着て出勤すると、「すごい似合ってるねー」って誉められた。なんだか、季節の変わり目ってナニ着ればよいのか難しくって、不本意なコーディネートになってしまうことが多いこともあり、誉められてると思うと、くすぐったくて「コレねぇ、実は、春に買って着そびれてさぁ」と応える。あれっ、会話が続かん・・・(苦笑)一歩間違えると「えーっつ、そんなことないよぉ」なんて応えてたいかもしれない。特に意味のない謙遜の方がまだ会話としては続いていたかもしれない。

ホントはうれしいって気持ちちょこっとあるのに、今日の服の組み合わせは「完璧ではない」と思ったから。それにしても先日も鞄を変えた時にも同じ反応したような。「鞄、かわいーーい」「えっ?初めてじゃないよ」って。誉められてるのに、事実のみ述べ応える、これって癖かも・・・

なんで、「そぉ、うれいしぃぃ」って言わないんだろう、あたくしは。素直に受け止めればもう少し「上機嫌」で仕事ができるかもしれないナ。
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からだの声を聴く

2005-09-25 23:21:45 | 他愛もないこと
四半期に一度やってくる、貧血。昨日はレバーもかつおも食べて万全の備えだったがやっぱダメだった。

7月から3ヶ月計画で減量をしている。もちろん体重(笑)。きっかけは数年来体調が良くなかったからと極めて普通の理由だが、加えて、年明けにロードレースにチャレンジしたいという希望があるからである。この3年ほど、ずーっと夏でも汗は出ないし、お通じもNG。このままじゃ絶対、病気になりそう。肥満体ではないものの、ベスト体重は上回り気味で体のキレが悪すぎる。もうやるしかないね・・・。

最初の1ヶ月は、食事の摂取カロリーを落とし、運動はしないで体力温存。2ヶ月目からは、大きな筋肉を使った筋力トレーニング、そして3ヶ月目からは深夜の通販でおなじみの「ラテラル・サイ・トレーナー」を使った有酸素運動を取り入れている。来月からはランニングの割合を増やしていく。

ちなみに、3ヶ月で3kgの減量に成功しているが、まずまずの成果だ。見た目はあまり変わっていないが、体調は良いようだ。この成功を支えたのが「解毒(デトックス)」という考え方。体の中の毒素(有害ミネラル・活性酸素・有害化学物質)を体外に排出をすると新陳代謝もアップして脂肪燃焼をサポートするというわけらしいが、この考え方がおおいに気に入った私である。腸をキレイにする、汗を出す、血行・リンパの流れを良くする、ココロを元気にするためにいろいろやったっけ。忙しいと言っては、顔とか首とか手足など見えるところしかお手入れできなかった自分を反省、体からのアラームを放置しすぎました・・・

エニアグラムのワークショップで、どう感じているか体の感覚を大切にしてみてくださいとファシリテーターの方に何度か言われた記憶があるが、今日は眉間のあたりがずっしりと重かった。イメージできない自分、思うように動けない自分。そんな自分が腹立たしいのは誰よりも自分だ。こんな自分のココロの中など人に覗かれたい訳もなく、平然としているつもりが、どこからともなく降ってくる助言やいたわり・励ましの言葉がセツナク響くねぇ。切り替え・キリカエ。明日はハードな1日になるかもしれない。念のためサプリメントとビタミン剤を飲んで寝よう・・・
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Trial & Error

2005-09-24 11:53:36 | TA(交流分析)
私から、毎回同じ質問をされればいい加減気づくだろう。無論、黙って気づくのを待っていたわけがない。ここまで来るまでには、別室にて2人で「今の仕事のやりづらさ」について率直に改善を求めたことだってある。だって、どうしてほしいのか伝えないと何も変わらないから。

相手にわかりきった質問をすると何だか皮肉っぽかったり、意地悪っぽいけど決してそういうことがしたい訳じゃない。しかし、質問することによって、言われたことだけおとなしく聞いて受け身で仕事をする従順な子供じゃないのよ、もっと仕事に「主体的に関わりたい」ヒトたちなのよということが少しづつ伝わったのではないかと思う。だって、質問するって大事なこと。相手に関心がなければ質問しないし、仕事に責任がなければ質問しないし。どうせやるならいい仕事にしたいと思うから質問するわけだし。電話などで時間がない時はできるだけマネージャーが応えやすい質問を準備してみるように心がける。クローズ型でさくさくと・・・(あんまり電話で長く話されても困るしね)

チームとしてマネージャーに質問し、それに答えるコミュニケーションが以前はあまりなかった。マネージャーの態度を善意に解釈するならば、おそらくメンバーに負担をかけないようにできるだけ細部にわたり自分がプランニングしてそしてメンバーには困惑させずに仕事をさせたいという思いがあったのではないかと思う。だからNP(保護的な親)の機能が強くなる。本来はありがたい配慮だが、その配慮も相手にあっているということが大事だと思う。そして、本人としては指示を出す時は「完璧だ!」という自信もあっただろう。当初はその自信に溢れた態度に私たちも納得をして指示を受けるだけのコミュニケーションスタイルになりつつも、心のどこかで人間の自分達の経験や知恵をあわせればもっともっと有意義な仕事になるということを知っていた。

しかし、十分な信頼関係が築けない中で、「お互い」が上手く自分たちの考えや意見、意図を伝えることができない「苛立ち」が大きく仕事の効率を下げてしまった。そして、私自身も私に特有の「自尊心」を大きく傷つけられた不快感情から気分を転換するのにエネルギーの無駄遣いをしている。

結局、双方が上手く行く交流は図のような最終的には「相補交流」がメインとなる交流ではないかと思う。管理者としてのマネージャーの立場を尊重し、マネージャーからの指示がどうであれ、常に大人として建設的な意見を述べる。マネージャーが私たちの成人に向けて刺激を送り出すかはマネージャー次第だが、そうあってほしいと念ずれば叶うという言葉もあるくらいなので地道に期待してみると同時にこちらもそういう態度で接する、そして「怠けず」に言葉でも主張をする。こうして絵に描いてみると、あったりまえのことのように思うが、これは感情的になっている時には気づかなかったり、また気づいてはいるものの結局は良くない状況と行ったりきたりしてしまって、収拾がつかないまま迷宮入りする。これに馴染んでしまい加えて「諦め」が入ると、私はエニアグラムでいう分裂の方向に向かい始めるような気がしている。どうやらこれが陥りがちな悪い癖のような。それは回避せねば・・・・

当面はこれで様子を見てみようと思う。

過去に思い出に残る上司が新しいことにチャレンジする時に言っていた「Trial&Error」という言葉が懐かしく思い出されてきた・・・。試行錯誤ということだが、小さな挑戦(小さな失敗)には差しさわりのない程度に果敢でありたい。
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自分に問う、本当に私はOKなのか?

2005-09-23 08:48:09 | TA(交流分析)
先日は「違和感のある交流だが、私はこれでOKだ。」と書いたが、ホント?ウソついてない?

そう思い込んで割り切って話すことができれば楽だろう。機械のように事務的で相手の感情に振り回されず、自分の仕事だけに専心できたら楽だろう。しかし、人に囲まれて仕事をしてるからには残念だがこういう交流を長く続けることは歪を生んでやむなしだ・・・実際には私が、A(成人)モードで反応することがメインの交流は全然「楽」じゃなかった、それどころか全く心地悪い。なぜだ?

マネージャーは未だP(親しかもNP:保護的な親)モードだ。なのに私の反応のベクトルはマネージャーのA(成人)に向かっている。そこにそもそもそムリがあるのではないか?、A←→Aの「相補交流」が理想だろうか?そんなことをのぞんでいたのか?もちろん場合によっては対等な立場で質問に答えたり情報の交換や挨拶だけで良い場合もある。しかし、私が期待する関係は「お互いを尊重する関係」だ。そう考えると私の試みる先の交流パターンはやはり荒っぽいのだ。じゃあ、マネージャーのPに向けて反応してみるとどうなるのか?すると図のようになる。あいかわらずの「交差交流」だが、以前よりは数段、気分が良い。マネージャー本人に聞いてみないとわからないけど、多少は違和感が緩和するのではないかと自分都合で勝手に解釈する。

私のAからマネージャーのPに向かう反応の中で、次第にマネージャーへの質問の仕方が変わっていく。中でもクローズ型・オープン型の質問を組み合わせて工夫を凝らしていく楽しさを見つける。特に優先順位をつけることが苦手なマネージャーの場当たり的な指示には、「どうしても、今日やらないといけない理由はありますか?」「Max何日まで待てますか?」「指示の内容は理解しましたけど、ホントに一番大切に考えることは何ですか?」「先に今後の展開を聞いておいてもいいですか?」などで、マネージャー自身に考えを整理してもらうと同時に自分もその仕事に求められている「肝」の部分を正確に理解する。後の工程の方のことも考え、二度手間を回避し、仕事の質を高める本来の自分に戻る。このようなことは、マネージャー以外の上司では普通にできていたような記憶があるが、なぜできなかったのだろう。

阻害要因はなんだ・・・・それは私の中に「も」あるんだろう。
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そうだ、A(成人)モードでいこう!

2005-09-22 01:39:27 | TA(交流分析)
無論、マネージャーとの交流の際にマネージャーがいつもNP(保護的な親)とAC(従順な子供)の状態にいる訳ではない。私の方は少なくともA(成人)やNPの状態で反応するなど、モードチェンジは試みるが、マネージャーはほぼ一貫してNPであるような気が・・・

「私はこんな手のかかる子供ではなーーい」という気持ちから、ACからAモードの反応を増やしてみる。すると私はOK!!何だか素の自分に近い自分だから快適・快適。例え相手に苦手意識があっても、とりわけ感情に振り回されないように、頭はクールでかつ合理的でロジカルに話を進めるように心がける。また「事実」と「感想」を混同しないように特に強く意識してみよっと。

しかし、私も電話応対を仕事にしてきた立場上、電話の向こうのマネージャーの反応がどうも芳しくないのが、「間」の具合や「語調」からわかる。それくらいの空気は読めるサ。ついこの間まで、従順な子供のように自分の指示に従っていたメンバーが、感情に乏しく面白みがなく、何だか冷たい応対で返してくるのだから。そうとは言え、私だって交流分析を学んだ手前、許容範囲でのAモードを保っている自負はある。今までと比較すると多少は味気ない返答なだけである。「私個人としては」仕事上なんら問題はないと思ってはいる。しかし、マネージャーにしてみれば違和感があるだろうねぇ。

これは「交差交流」である。交差交流では刺激する側の期待に反して予期せぬ反応が返ってくるので、話が中断したり途切れたりすることがある。図の中のベクトルが交差するのが特徴。

違和感のある交流だが、私はこれでOKだ。仕事上も何ら問題はない。マネージャーはわかんない(苦笑)。でも、しばらくはこの交流で様子を見てみよう。別にマネージャーを変えようとしているわけじゃないんだけど、自分がツライのがどうもいかん・いかん。

このコミュニケーションのスタイルの中から、もしかしたら何か良い方法が見つかるかもしれないという期待を込めて。
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出発点の交流

2005-09-19 10:40:28 | TA(交流分析)
仕事の時の自我状態のうち私がもっとも強い機能は「A:成人」である。

性分なのか、習ったことは事例に当てはめて検証してみたくなる。そこで職場で蔓延してきたコミュニケーションの違和感を対話分析を用いて思い切って「斬って」みようかと思う。

マネージャーと私たちメンバーとの間の出発点の交流は「表面上」は図のようだったと思う。いつも親モードで刺激が投げられ、それを私たちは比較的従順な子供のモードで受け取る。お互いに使う自我状態は1つずつでベクトルは平行である。この交流は「相補交流」というパターンだ。刺激する側の期待通りの反応が返ってくるので話は連続する。確かに私たちが従順に反応すればするほどマネージャーの話は長引くことが多かったもんな・・・。

しかし、メンバーは平均年齢30ウン歳の大人集団である。そんな状態が長く続くわけもなく、ふたこと目の「大丈夫かしら?」に違和感を覚える。指示はやたら細かい。「そんなこと考えればわかるよーー、子供じゃないんだからサ」と心の「裏面」で叫んでる自分とは裏腹に、従順に「大丈夫です、やっておきますので」と答えながら、日増しに電話の受話器を置く音がだんだん大きくなっていく(苦笑)彼女とのやり取りの大半は電話で行われる。表情を伝えることができないので感情を読み取ってもらえないツラサが増幅していく。

不健全なコミュニケーションである。こんなことが長く続くはずもなく、次の局面に向かう。こまったことに、つぎなる交流スタイルは今もなお多くの場面で見られる。
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心の中の自分

2005-09-19 09:46:20 | TA(交流分析)
心はいつも流動的だ。

私が、物事を感じたり、考えたり、行動したりする場合には、自分の中に棲む3人の誰かがリードをしている。その3人の自分は私であることには変わりがないが、マニュアル車を操作するように「親モード」「大人モード」「子供モード」と切り替えがなされているような感じ。無意識のうちに。

テキストによると、このような心の状態を心理学では「自我状態」という。この3つの自我状態は「P:親の自我」「A:成人の自我」「C:子供の自我」である。交流分析の中の「構造分析」という領域は、これらの自我状態がどうしてできたのかその内容はどうかなどを分析するためにある。

確かに、私は成長の過程で、良い悪いは抜きにして親をコピーしたような感情・思考・行動パターンを受け継いでいるし、子供の時に身につけた感情・思考・行動パターンは今もまだ健在で、自分を快活にもし、時には窮屈にもしたりする。その一方で、前者のいずれでもなく「今、ここ」で起きていることに対して、その都度最適な反応をしようとしている自分もいて、コミュニケーションの上で成功体験(時には失敗体験)を随時、重ねている。

そしてこの3つの自我状態は5つの機能に分類される。度々、書いているが「P:親の自我」には「CP:支配的な親(Controlling Parent)」と「NP:保護的な親(Nurturing Parent)」、「C:子供の自我」には「FC:自由な子供(Free Child」「AC:順応した子供(Adapted Child)」。そして「A:成人の自我」は1つの機能しかないので機能は合計5つとなる。

これらは「良し悪し」ではない。そして肯定的な面と否定的な面は表裏一体となっているから面白い。またそれぞれの機能において発揮されるエネルギーの量が少なすぎたり、多すぎる場合には、自分にも周囲にも良くない影響が現れたりする。うーん、状況に合っているってことと、ほどほどにってのがホントにホントに難しい。

そして交流分析の中の「対話分析」という領域だが、これは今まで、私の場合コミュニケーションの中で感じた憤りや驚き、不信感や虚無感といった違和感や「ねじれ」を冷静に分析するには非常に有益だったと思う。

コミュニケーションの「ねじれ」は直せるのか?自分のスタイルを変える努力次第では修正可能だと思うのである。こんなことが苦労もせずに、自由自在にできたらいいのにナ・・・
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職場でエニアグラム

2005-09-18 14:18:51 | エニアグラム
エニアグラムは、社内研修で用いられたり、コーチングでもその視点を取り入れられたり、人材開発おいては有益な気づきのツールだと思う。

しかし、その一方で時々、浅い理解で人を傷つけてしまったり、タイプを固定することが反って思い込みを強めてしまうのではないかと心配になることがある。タイプはあくまで本人が決めるものであり、相手が自分でタイプ決定をしない以上は、私なりの仮説である。まだまだ、自分の枠組みでしか相手を見ていない可能性があるからだ。可能な限り、客観的にと思うが十分とはいっていないことがまだまだ多い。

今まで知らなかった相手を発見することは本当に素晴らしいことである。今回はマネージャーが「タイプ7」なのではないかと仮説ができたことは大きな前進である。彼女はこんなことで私が右往左往していることなど知る余地もなくこれまでどおりかもしれないが、今後は、彼女が「分裂」の方向に向かっている時にどうやって、もとの明朗快活、積極的に本当に意味のある仕事に業務遂行度を発揮してもらえるか、何をサポートすればよいのかという視点に立てることになるだろう。そして今回は、彼女が「統合」の方向に向かうには自分がどう接すれば、どういうコミュニケーションを心がければよいのかが明確になった。正直、「性分だから仕方ないよ」と諦めムードが漂っていただけに突破口が見つかったことに喜びを感じている。「相手を活かし、自分を活かす」そして「相手を生かし、自分を生かす」。んーっと、あれっ、結局自分が良い環境で仕事をしたいからかしら?(笑)でも、相手を尊重することで結局は自分も活きるってこと、間違いないだろう。

正直言うと、エニアグラムで周囲を巻き込むというのは躊躇いがあった。今回は課長が強く関心を持ってくれたことは幸いだったが、自分自身が自分のタイプに確信が持てない時期は特に不安だった。好き嫌いだってあるだろうから押し付けなんてできるはずもなく・・・。また自分のタイプを人に知られることに恐怖もあった。どこかエニアグラムによって自分の中の「気に入らない自分」が見えやすくなるからである。それが周囲からどう理解されるかは職場の「信頼関係」にもよると思う。「分裂」「統合」の方向に向かっているか否かを観察しながら、相手が「光る」職場になるよう心がけたいものだ。

自分のタイプを過度に否定も肯定もする必要はないと思う。根っこは根っこで、自分と未来は自分次第でどんな風にも変えられるはず。それを他のタイプの人からも教えてもらおう。
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課長と「エニアグラム」談義

2005-09-16 23:53:29 | エニアグラム
昨日は日帰りで大阪に出張でした。

行きの新幹線は、課長とは別々の座席だったのですが、帰りは隣の席で。会社でも隣の席なのですが、課長も忙しいもので必要最低限の会話しかできていません。お互いに仕事人間なので当然、帰路は終始仕事の話。特に上司が扱いに困っている部下についての話が中心。

以前、マネジメントスタイルが窮屈すぎるマネージャーの話をこのブログでも書いたのですが、彼女については「タイプ7」が濃厚のようです。「課長、○○さんをひと言で表現するとどんな感じですか?」との質問に「ヤセイジ・・・」と返答あり。「はぁ?」野生児ぃ~?※!(うーん、「タイプ7」の皆さんこんな風に書いてホントごめんなさい。)課長から見ての彼女はひどい時はどうでもいいことにまで固執しすぎてイラつかせることが多いと言う。そして相手の感情に無頓着あるいは感情の読み違いが多い(苦笑)。その一方でいい時は、冷静で建設的でぴったりと息があうと言う。確かに未来志向だし、計画大好き、ポジティブすぎてあきれる時もある・・・・。

ちなみに課長はエニアグラムのタイプは「タイプ5」。「タイプ7」がコンディションがよい時に向かう方向は「タイプ5」だ。ストレス時は「タイプ1」か?なーるほど、そういうことか!マネージャーが「タイプ1」かもと言っていたのがわかった。そのタイプの統合と分裂の方向これがサクッと当てはまりましたナ。結果、課長が「タイプ5」、マネージャーが「タイプ7」と本人の知らないところで仮定させていただきます。

課長はかなりエニアグラムの不思議に魅了された模様。そして、課長は鈴木秀子先生の「9つの性格」のタイプ7の部下との接し方を読み納得した。何となく書かれている通りにすればよいとはわかっているけど、上手くできていなかったとのことでした。

同僚もタイプチェック完了。そして課長も完了。チームで活かせる土台ができました。やたっ。学んだことは日常に活かす。これが私のポリシーです。そして結構「策士」です・・・(苦笑)
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それもまたよし

2005-09-15 00:58:35 | TA(交流分析)
こうしてふり返ってみると自分の持つドライバーもなかなか愛おしいではないか・・・

ようするに「体を壊す」ほど強烈に発揮されるから苦しかったり、窮屈なのであって、一方で間違いなくこのドライバーが私らしさを成している。「完全であれ」があるから仕事においてクオリティや正確さを維持できると思うし、「他人を喜ばせろ」があったからこそ、接客業に面白さを見出すことができ、それを生涯の仕事として据えることができた。

ドライバーはエニアグラムでいうところの「囚われ」と似ている。生まれながらに備わっているのではなく、親の教育によって一層強められたものであるが、これがエニアグラムでいうところの自分の「根源」を見ることを難しくしていたのかもしれない。このドライバー「完全であれ」はタイプ1、「他人を喜ばせろ」はタイプ2の方が囚われそうだもんなぁ。私はどちらでもない。しかし、私のタイプがこれらのドライバーと全く無縁かというと決してそうではない。重なり合う部分が多い。全てにおいて「完全」ではなく、万人を「喜ばせたい」わけではない。結構条件つきかも・・・・。確認されるのは「仕事」がらみのことばかり(苦笑)

「仕事」が全てではない。そんな言葉を自分に時々送ってあげなくちゃ。

でも、仕事の中で多くのことを学んできたし、これからも学ぶと思う。仕事は私の根源の力の向かう先だ。悪くない。そればっかりにならなければ・・・だって好きだから仕方ないもん。それでも、いいかなって。ほどよく頑張ることを楽しんでいきたい。
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他人を喜ばせろ -Please me!-

2005-09-13 23:46:49 | TA(交流分析)
私の両親はそんなメッセージは送っただろうか?

言われたことは記憶にないが、実家は本家で事業を営んでおり来客は多かったので、きちんと挨拶をして、愛想の良い子でいることを求められてきたのかなぁと振り返ってみる。それとも「それくらいは気を利かせなさい」と言われてきたがそれが「他人を喜ばせろ」なのかなぁ。このドライバーを持つ人は他人への思いやりが強く、他人が欲しがっていることを敏感に感じるため、他人を気にしすぎて自分を犠牲にしてまで他人に尽くして、自分を不自由にしてしまいがちだと。

そんなメッセージを受け取りながらも、母からは「『紺屋の白袴』にならないように」というアラームも度々もらっていた。大学3年生の時と社会人になって3年目の頃に多く発令され、いずれもオーバーワークの時期だった。『紺屋の白袴』は他のことばかり気にかけている割には自分のことに無頓着なことを意味し、同じ意味のことわざには『医者の不養生』がある。私は、ヒトの健康について学び、そして健康づくりをサポートする仕事を選んだが、結果として体を壊して退職した経験がある。結果として母からの事前のアラームを活かすことができなかった。自分を犠牲にして、組織やお客様に尽くしてしまったことを覚えている。先日の日記にも書いたが結局、食事を取りたくても喉を通らない、それでも人前で笑顔を絶やすことなくレッスンを持たなければならなかったことあの時。コンディションを取り戻すことで精一杯だったあの時。「いや、自分がまず大事だ!」と思いながら無理やりカロリーメイトを口に入れてたあの時。ちょっと早いがこの時期が人生の転機、第一弾だったんだろうと思う。

自分を犠牲にしてしまう時、間違いなく自分の主張をすることを忘れている。もともと、口に出して主張をするのは得意ではないのかもしれない。いや、できない。なぜ主張できないのか?これはこの3ヶ月ほどずっと考えていることだが、自分が主張することで誰かに不快な思いをさせやしないか、自分勝手すぎるのではないかという思いが働く、どう思われるだろうか?と気になってしまうのだろう。コ、コ、コレじゃん(汗)見事なまでに囚われて・・・。もっと自分も大切にしていいんだよナ。

「自分も相手も大切にする自己主張表現」これも当面の課題である。
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完全であれ -Be perfect!-

2005-09-12 23:09:30 | TA(交流分析)
『どうせやるならきちっとしたことをなさい!』って母には繰り返し言われて育った。

母は、洋裁が趣味だったが私は家庭科がさほど得意ではなかったし、父は設計士だったが、私はものさしで線を引くのがかなり苦手だった。勉強では当たり前のように100点を取る子ではなかった。いつも、どこか、ツメが甘く、キチンとできない子どもだったかもしれない。そんなところが、母にはもどかしかったのか、確かに誉められなかった。そして誉められたかった・・・

今は、結構「ま、いっか」的な毎日を送っているのか、このドライバーに縛られているという実感がない。肝心な時には大なり小なり、自分の中の内なる母(?)が叫んでいるのかもしれないが・・・(笑)自分勝手に自分が作り上げた「完全」なイメージに向かって努力しても、人はそれを賞賛もしなければ追従もしないなんてことがあった。「あれれ、誰もついてきてなーい」そんなことが若いころに度々あった。それどころか「完全」を目指して頑張りすぎがたたって陥った過労から食事が取れなくなってしまった。軽い拒食症みたいな感じ。ここから這い上がるのに毎日、食べたものを全て記録すること、3ヶ月。親元を離れて3年目の冬のこと、阪神大震災の年だった。震度5の縦揺れで目を覚まし、炎が上がる神戸の街をテレビで見ながら、その日机の上に用意した食事を口にするのに朝からどれくらい時間がかかっただろうか。たしか火曜日でたまたま休みだった。完全なんて、どうでも良くなった。プチ人生の転機。

自分だけでなく他人に対しても完全であることを求めているのか。職場で、完全であることを周囲に求めているだろうか?顧みると・・・こうあってほしい、こうあるべきというイメージに相手を重ねて「イラっ」とくることはあるかもしれない。そして自分も自己が描いたイメージに自分を完全に一致させるように邁進してしまうところはあるだろう。現状とイメージの差を埋めようと公私関係なく頑張ってしまう自分はまだ今も健在だ(笑)

数年以内に、会社を辞めて自分ひとりでビジネスを始めたいと思っている。しかし、まだまだ力不足、つまり完全ではないと決めつけて、それが「いつ」なのか決めかねてきた。冷静かつ客観的に見てもう少し力がつかないと実際にはしんどいと思うので「2年以内」と今年の春、目標を立てた。この半年の間に目標達成の為のアクションも起こせたし、素晴らしい出会いも経験できた。まだ今は完全ではないという思いは完全にはぬぐえていないが、少し、この縛りを解いてやったことで、大きく前進した。

「今のままでも、結構イケテルよ。でも、あとちょっとだけがんばろっか、先は見えているんだからサ」

最近はそんな多少お世辞めいた(?)言葉を自分にかけている。程よく熱いエネルギーをお腹のあたりに感じている。結構、心地いい・・・
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親から繰り返し求められたメッセージ -5つのドライバー-

2005-09-12 01:19:56 | TA(交流分析)
親からのメッセージで無意識に私たちの心を駆り立てるものをドライバーと言う。エニアグラムで言うところの「囚われ」みたいなものだろう。

それは幼かった私たちがある行動を強制されたり、激励されたりする際に親から受け取った言葉である。そして、その言葉を受け取った私たちに内在する「内なる親」が成長してからも親に代わって、今もなおこの言葉を私たちに投げかける。

この5つのドライバーには、
1.急げ 2.強くあれ 3.一生懸命やれ 4.他人を喜ばせろ 5.完全であれ  
がある。

子供は、この命令や期待に応えれば、親は私たちを愛し、応えられなければ愛してくれないのではないかという脅迫感を無意識に持ってしまう。ありのままの、自分自身では愛されないから、親から嫌われないように、そして認めてもらえるようにこのメッセージに応えようと、自分の取るべき態度を決断する。自然体では愛されないことを知って、窮屈な人生を幼い頃に始めてしまうようだ。

ちなみに、私に高いドライバーは「完全であれ」と「他人を喜ばせろ」だった・・・
コメント (2)
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