Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

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44才のマインドマップ

2013-05-26 23:09:21 | マインドマップを描く
早いもので44回目の誕生日です。

今年は、大殺界ですが、おかげさまで目立ったトラブルもなく、気持ちも節目で整理したり、内省を繰り返し洞察を得ることができており、

個人的には、何かに固執したり、固着した感じはなく「流れている」実感があるのは幸いです。

例年、誕生日にはマインドマップを書いていますが、今年のセンターイメージは、「コップの水」

コップの底の汚泥を出して、七色の水が注がれているそんなイメージです。



汚泥は、いま自分の抱えている未完了のものを捨てるというブランチです。

今、このことが自分にとって心の負担になっているのがとてもよくわかっていて、
さりとてこのことをどう整理していくかということが、頭の中でグルグル回っていて行動ができていませんでした。

しかし、もっともっと身軽に進みたい。

じゃ、何が進めない原因なのかというと感情の問題ではなく自分の覚悟だったりする訳で。

未完了はいかんよ・・・

これは今年の課題で、そうすればもっと楽しめそうだし、もっと与えられるものもあるだろうし、受け取れるものもあるだろう。

ここ数年ずっと課題にしている健康第一はそのままに、シンプルでもう少しスピード感を持って、行動していきたいと思います。

下向き方向に働くものは常に決着をつけながら。

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舌の線維腫切除顛末記

2013-05-17 15:17:07 | 自分のお手あて
GW明け、以前から気になっていた舌の腫瘍を切除しました。

ちょうど、1年前に舌に口内炎みたいな痛みがあるなあと思っていたところ、半年前、それがぷっくりと膨れ上がっていることに気づきました。



健康診断でもそろそろ診てもらった方がいいと指摘されていましたが、ズルズルと行かずじまいでいました。

重い腰を上げたのは、ますます腫瘍が大きくなってきていた矢先、とある研修で、舌癌を克服した受講者の方と出会ったことがきっかけでした。

術後、お仕事に復帰し、回復される過程のご苦労をうかが中で、心から診察をオススメいただいたことを真摯に受け止め、病院に行くことを決意し、約束をいたしました。

診察は、耳鼻咽喉科をオススメされたのですが、近くの口腔外科でお世話になることにしました。

理由は、歯科・口腔外科であったため、定期的にクリーニングなどで歯科に通えば、舌についての何らかのチェックも可能になるかなと思ったからです。

最初は、針で突いて潰す程度と思っていましたが、「腫瘍、多分良性だと思うけど」ということで、1週間後に処置の予約をすることになり、

1週間後、30分ほどの短時間の処置を終えました。

舌に麻酔を打って、切り取った腫瘍はたこの吸盤をはぎ取ったような形でホルマリンにつけられたものが病理検査へと出され、

さらに1週間後の抜糸の際には、結果は線維腫(良性で心配はない)とフィードバックがありました。

それにしていも、腫瘍を切った後の痛みといったら、そりゃもう・・・

麻酔が切れた後は激痛との戦いでした。

5日間は、まず固形物を食べることは相当苦痛。
途中会食が3回あり、激痛との戦い(汗)

自宅での食事は、ほぼミキサーで撹拌した野菜・果物のスムージーやス―プ(豆乳ベース)が中心で何とかしのぎました。

それよりもたいへんだったのが、夜になって襲ってくるとんでもない痛みと倦怠感です。

特に、何とか痛みに打ち勝ち登壇した日の夜は、もう何も手につかない、もう寝るしかない状態。
夜、交感神経<副交感神経の状態になると痛み対して戦えない自分を実感・・・

そして、感じたのは、一体、舌の修復にどれだけ多くのエネルギーが奪われているんだ?という疑問。

そして、舌は一生懸命良くなろうとしているんだ、だからさっさと早く寝て、舌の回復にエネルギーを回さなければと思ったほど、痛みには従順で無抵抗でした。

それなりに患部も大きかったし縫ってあることも舌には負担でした。

あと、舌をかばうために噛んでしまったのか、唇の内側に3つの口内炎ができて終盤はどちらかと言うとこちらの痛みの方が厳しかったかも。

痛み止め、化膿止めのくすりが3日分しか出てなかったのですが、ようやくちょっと良くなったかなと実感できるようになったのは6日目の朝でした。


約1週間は笑えない状況でいましたが、

唯一面白かったのは、食事も流動食が多いので唾液の分泌が減り、舌がシワシワになっていたこと。

前代未聞の舌に、ちょっと笑えました(この写真はない)。

体っていろんなメッセージを出しているのに、私はあまりに素通りしすぎている。

今回は、わかりやすい舌を患いましたが、見えないうちに病んで行く部位もあることでしょう。

小さな傷とて、全く侮れません。
体のメッセージは素通りしてはいかんです・・・

良い教訓となりました。

まだまだ人生を楽しむ為にも体を大事にすべしです。

現在は、抜糸の処置はしたものの、舌に糸が食い込んでいてまだ完全には除去できていません。

なのでまだ違和感を抱えたままです。


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百花繚乱の須賀川

2013-05-06 21:25:13 | 自分にチャージ
白河から東北本線で須賀川を目指します。

須賀川には、昨年今年と縁あってお仕事をさせているお客様がありながら、一度も街を拝見していないという状態を残念に思いうかがいました。

残り時間はそうなかったので、東洋最大の牡丹園「須賀川牡丹園」、B級グルメ「かっぱ麺」を必須とし、あとは街を感じながら散策といったところです。

東京で縁あって、すでにGETしていたこのパンフで予習はある程度できていましたので、わりと短時間でサクサクと動くことでできました。



それにしてもパンフにある「百花繚乱」というのはまさにその通り。
牡丹園を初め、街中には季節の花々が溢れておりました。



今年の東北の春は長かったでしょうから草木も待ってましたと言わんばかりだったと思います。

しかし、牡丹は残念、花期にはまだ早かったようで、1部咲き(大半がつぼみ)。

それでも、来週、再来週に一斉に咲くとたいへんなことになりそうなくらいの数の牡丹が観賞できそうです。

何せ東洋最大級にふさわしい規模・・・

POPな気分で園内を回り、こごみとタラの芽を購入して、近くの「かっぱ麺」が食べられるお店に向い、いただきました。



きゅうりがホントにみずみずしい。
一食あたりキュウリ一本が練り込まれる麺は、薄い緑色でツブツブのキュウリの食感も楽しかったです。

味は、わりとオーソドックスな和風(そばつゆ&みそ)。
個人的にはもうすこしドレッシングっぽい酸っぱさがあるのかと思っていましたが、これはこれでもちろん美味しいのですが

もうすこし、インパクトというか「ちょいワル」感があってもいいかな・・・

遅い昼食を済ませ、駅までの道のりは春爛漫な街を楽しみながら、芭蕉記念館、ウルトラマンの生みの親:円谷英二生誕地を経由し駅へ。

須賀川のお土産は、いろいろあるのですが、個人的には『かみしめ』にはまりそう。



炒ったもち米に黒砂糖と水あめを絡め、きなこをまぶした自然食的やさしさがツボです。

最後は、須賀川のゆるキャラ「ボータン」に見送られて福島での旅を終えました。




またゆっくり来たい街です。
少し松尾芭蕉について知っているとより楽しめそうです。
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白河戊辰見聞館にて

2013-05-06 14:23:35 | 自分にチャージ
翌日は、ここからスタート『白河戊辰見聞館』




ここは、本当に小さなスペースながら、すばらし資料館でした。
私が在館中に、入館者はみるみるうちに増えていきました。

新選組については、新政府軍側の藩視点で描かれる新選組、新選組から見た幕末、会津から見る新選組はかなり違いますが、

新選組の存在自体がドラマティックであったことには変わりありません。

5年前に会津を訪れて以来、個人的には会津の視点で「新選組」を理解するのがナニゲに好きです。

ちなみに、新選組の剣客:沖田総司は白河藩士の息子として生まれています。
病弱であったがゆえ、白河口の戦いに参戦することなく亡くなりました。

また、近藤勇と土方歳三は、鳥羽伏見の戦いの後、甲府から流山に敗走し、この土地で別れを遂げ、近藤は板橋で首切りになるのですが、

この後の仇打ちのエピソードは、先月流山を訪ねていたこともありとても身近に感じられました。

大久保大和と名前を変えて転戦を試みた近藤勇を、近藤勇だと見破ったのは、考え方の違いから新選組を離脱し、西軍側から参戦していた加納道之助と武川直枝でした。

しかし、白河では、近藤亡き後、負傷中の土方に変わって、白河・会津で新撰組の隊を率いた斎藤一が

今度は、清原清と名を変えた武川直枝を見破り、仇を討ったという話なども、先日NHKの歴史番組が取り上げられていましたが、現地で見聞きするとなかなか興奮する話でした。

(軽く歴女気味・・・)

ちなみに、斎藤一は戊辰戦争後、八重の桜でおなじみの八重の親友、高木時尾と結婚。

しかもお仲人は、松平容保公というからには、斎藤一の忠義の程を思い知ります。

大河ドラマの中では、いつもにらみが効いてる降矢隆志と貫地谷しほりの夫婦姿がドラマの後半では見られるんでしょうね。

また、会津藩の家老山川家の5女の山川さき(後の捨松)の話もかなり度肝を抜きました。

いやはや、山川家は兄弟だけでなく姉妹も大活躍してたんだってことにさらに驚き。

ちなみに、5女さきは、戊辰戦争で会津を猛撃した薩摩藩の砲兵隊長(後の陸軍大将:大山巌)と将来結婚してしまう話も興味深く、これも八重の桜で描かれるようです。

大人になってからの活躍を知るに、会津の女性の大活躍と八重以上のキャラの濃さには驚くばかりです→コチラ

こんな人間模様が楽しめる楽しい資料館。

こちらも、白河では必ず立ち寄りたいスポットの1つです。

今年は、仕事以外でも積極的に福島を巡る予定ですが、会津・中通りを戊辰戦争の視点で旅することがこんなに楽しいものとは予想もしませんでした。

とても素晴らしい時間を白河で過ごすことができました。
この時間を持つことができた全てに感謝します。
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とら食堂

2013-05-06 12:02:07 | 自分にチャージ
この日、とら食堂へに行くのに自転車で行ったのは私ぐらいではないでしょうか?

とら食堂は、駅からは3km以上離れていますし、バスも一日に数えるほどの本数です。

なにせ、ペーパードライバーには観光地で車を借りる勇気はなく、ラーメンを食べに行くのに単独で何千円もかけてタクシーに乗るのもなんかちょっとちがう。

よって自転車で敢行!
このプランは雨だったら絶対ムリでした。お天気に感謝・感謝。

場所自体は県道沿いから少し入ったところにあるので、そう複雑ではないのですが、いかんせん両脇田んぼの道を自転車で走るのは心細いもので、

この看板を見た時には、安堵。



到着したのは15:55



この看板の前に、相当の行列ができていました。そして駐車場も満車。

私は25人目の客でした。

これで食べられなかったら無念と思っていましたが、大将はあるタイミングで区切って行列客に分け隔てなく食べさせてくださったのでした。

ありがとうございました(涙)

16:45ぐらいには、食すことができました。



おーっ、にごりのない純醤油味~っ。
ダシと醤油以外に脂などの雑味はしないスッキリとした美しいスープです。

そして、ちぢれ麺の弾力がスゴイ。
なんだろう・・・このぷっくり加減は。

脂の少ないチャーシューもこのスープにはしっくりきます。
途中から、刻んだ玉ねぎを入れていただきましたが、ますます醤油の味が引き立ちやっぱり美味。

17:00にはのれんが降りていました。

連休などにとら食堂に行くには、とにかく早めに移動するに越したことはないようです。

帰り道には、往路に「何だろう?」と思っていた断崖に立寄ってみると、そこは鎌倉~安土桃山時代の白河結城氏が築城した「白河城(別名:搦目城)」の城郭でした。



レンタサイクルの返却時間が迫っていたので、立寄る時間はありませんでした。
また機会があれば、悠久の白河にも思いを馳せてみたいものです。
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松平定信公と南湖公園

2013-05-06 10:26:10 | 自分にチャージ
GWの白河は、ソメイヨシノこそ散ってはいますが、八重桜は見ごろで、至るところで街路樹として咲き誇っていました。



再び自転車にまたがり「南湖公園」へ。

碁盤の目とはまではいかないまでも、さすがの城下町、直線で移動できるのは、旅人にはありがたいです。

さて、南湖公園は、日本最古の公園です。

松平定信公が飢饉などが続いて暮らしの困窮した民を救済する意味での公共事業としても機能したわけですが、

身分制度が士農工商とはっきりしていた時代に、身分を超えて人が憩える場を作ることがコンセプトのまさに「元祖」公園。

この日も老若男女がたくさん訪れており、初めての方は、その湖沼の広さに驚きの声を上げていました。

確かに広い・・・



そして私はこの旅に、佐藤一斎の「言志四録」を携えていました。

[現代語抄訳]言志四録クリエーター情報なしPHP研究所

松平定信公の政治指南役の中井竹山の師弟が佐藤一斎でした。
幕末の奇才:松代藩士の佐久間象山も佐藤一斎に師事し朱子学を学んだたことでも知られます。

やがて松平定信の次男は松代藩主となり、また佐久間象山など和洋の英知に長けた人材を登用し、産学を強化していくのも偶然ではない感じもします。

後に、松平定信公は、「寛政異学の禁」で朱子学を禁じます。
当時昌平坂学問所で朱子学を教えていた佐藤一斎ですが、陽明学者として中江藤樹らに影響を及ぼして行くことになります。

また、西郷隆盛は「言志四録」を愛読していたと言われ、幕末の藩士のリーダーシップに多くの影響力を及ぼしています。

何か歴史的に名を成した人は、こうやってつながっているものですが、

それを知らないでいる自分の『教養』には、ややがっかり気味です。
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白河口での激戦地

2013-05-06 09:10:28 | 自分にチャージ
今回の旅でまずはここに行きたいと思っていました。


ここは、小峰城への西軍(新政府軍)の進軍を阻止するために、西郷頼母率いる東軍が激突した場所です。

小高い山の上から白河の街を見渡すと、140年前に焼けた街とは思えないのどかな街とのギャップを埋めることができません。

ここでは会津藩の田中主税が命を落としており、盟友と多くの藩士を失った西郷頼母がその無念さと屈辱をわが身を「かたつむり」に例えて詠んだ歌が碑となっています。



そして

稲荷山の麓には会津藩士304名の名が刻まれた墓・慰霊碑、田辺軍次の墓(白坂庄屋:大平八郎との悲話あり)長州・大垣藩士の墓が隣接しており、

激戦地で落とされた命が、ここでも敵・味方関係なく弔われていました。

この土地の意気には本当に感動せずにはいられません。

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敵も味方も

2013-05-06 00:54:26 | 自分にチャージ
白河にはたくさんのお寺があります。

その中には、戊辰戦争白河口の戦いで命を落とした奥羽越列藩同盟軍(東軍)・新政府軍(西軍)兵士が分け隔てなく眠っているお寺が幾つもあります。

こちらのパンフレットを参考にしながら、レンタサイクルでゆるゆると街中を巡りました。

このパンフレットは、戊辰史跡をめぐるならば、旅の最初に駅の中の観光協会で早めに手にすることをオススメします。



そして選びましたのはこのコース。

>

墓地で写真を撮るのもどうかと思ったのですが、私も手を合わせて、皆さんにこの美しい心のあり方をご紹介したくパチリ。

こちらは、常宣寺での会津藩・棚倉藩士の墓石です。
他にも仙台藩士の墓などもあります。



しかし、街中には薩摩・長州・大垣藩の命を落とした藩士の墓もあり、

勝ち負けに関係なく、御霊を同等に扱い、今もなお、街の随所に悲しい過去の歴史と寄り添うように暮らしている街にググッ(涙)ときてしまったのでした。

そういう街全体からこんなにまでも意気を感じるって経験は今までになく、歩み進めるうちに、この街の律義さ、命への公正さ、寛大さに触れ何度も心を動かされることになりました。

墓地の中には、倒れた墓石もかなり見かけました。
老朽化ではなく、先の東日本大震災の揺れの激しさの影響かと思いました。

あまり報道されてきませんでしたが、小峰城の石垣の崩れ方を思えば、街全体も被害が大きかったことと察します。

あれから2年。
観光客には震災のことを感じさせない街になり、こうして私たちを迎えてくれているのでしょう。
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白河は小峰城から

2013-05-06 00:16:50 | 自分にチャージ
GW後半は、福島の白河・須賀川を旅していました。

まずは、白河と言えば、駅のホームに降りるなり正面にそびえたつ小峰城。

>

先の震災で、石垣が何か所も崩落してしまい、本丸に立ち入ることはできません。
見学できる個所は限られるのですが、ボランティアガイドの皆さんの興味深い話に大満足。

ちなみに私の生まれは、旧加賀藩の金沢なのですが、白河藩の初代藩主:丹羽長重はその昔、若狭・越前・加賀(小松)を治めていました。

前田利長に敗れ、一旦除封され、すこしづつ手柄を上げながら、白河藩を与えられました。

長重の父は、織田信長の家臣の重鎮:丹羽長秀。安土城築城の責任者でした。

築城のセンスは父譲りで、小峰城も工期を短縮して完成したとのことでした。

最近は、観光地では積極的にガイドさんのお話を聴くことにしています。
やっぱり詳しいし、面白い!

幕末には、阿部氏が神戸港の開港を指南したことが幕府にとっては裏目に出たことにより、阿部氏は棚倉藩に移封され、空状態となってしまいました。

やがて戊辰戦争の白河口の戦いで落城となりました。

ここで聞いた「新選組」の、斎藤一がいかに千葉・流山で捕えられ、板橋で斬首となった近藤勇の仇打ちをしたのかがとても参考になり、ここから始まる白河の旅は俄然興味深いものになりました。

白河の旅は、やはり小峰城から。
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一人で抱えているお悩みをアクションラーニングで解決!

2012年の6月からアクションラーニングのコーチとして活動しています。アクションラーニングとは⇒コチラ
月に1度、アクションラーニングによって、個人が抱える問題を対話で解決する会を開催しています。
アクションラーニングでは、問題を持つ方が問題解決できるのはもちろんですが、グループメンバーも提示された問題を自分のことのように考えながら、チームビルディングや自らのコミュニケーション力向上やリーダーシップなどについて振り返り、学ぶことができます。
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確認・お申込みは、告知サイト「こくちーず」より⇒コチラ