Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
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加賀野菜の代表

2006-10-29 13:56:16 | おすすめGoods
北陸出身の人は、基本的に郷土愛が強く、困ったことにいとも簡単に「お国自慢」を始める・・・・(苦笑)

そういう私も例外ではなく、もうこの時期になると自慢したくてたまらない逸品があるのですよ。

金沢の食文化と言えば、加賀料理・老舗生菓子・豊かな海の幸などなど、私の味覚を支える素晴らしい食のアイテムはあるのですが、本日、届きましたよーーー

その名も「五郎島金時」

五郎島は、実家から5分もあれば行ける場所で、夏はスイカ、秋はサツマイモ、冬は大根、砂丘地帯の砂の粒が蓄える水分と通気が、みずみずしい野菜を作り出すことで地元では知られています。

幼稚園の頃は「芋ほり遠足」ってのがあったくらいですから。

焼き芋が最高に美味しいんです・・・(涙)

アルミホイルで包んで、じんわりストーブでというのが最高です。電子レンジでチンが楽とは言いますが、「アルミホイル」で包んで、無水鍋で弱火でじっくり待つ。竹串を刺して、「食べてよし」とお許しをいただいてからありがたくいただきます。

甘くて、ほくほく、至福のひとときぃ~

今朝、予告通り、姉から送られてきました。箱を開けて、毎度思うのが、

でかっ・・・・(大きい)

一本一本が大きくてずっしりしているので、食べ過ぎにはくれぐれも注意が必要です。

ちなみに加賀野菜というのは、京野菜にならってブランド化しようという試みのもと選ばれた野菜たちです。
詳しくは⇒こちら

中には好きな野菜もありますが、総じて野菜が嫌いな私には、それぞれに、いろんな思い出があります(笑)

若き農業後継者の皆さんの努力もあり、年々美味しくなっているのではないかと思ってしまう自然からの恵みをありがたくいただきます。

金沢弁では、人に何かを勧める時に、語尾に「まっし」と使います。ちょっとカワイイんです(笑)個人的には、女性らしく「(なさい)ませ」の変形かと思っていたのですが・・・

「五郎島のさつまいも、食べまっし」と、久しぶりにおすすめGoodsのご紹介です。

しらなかったわ~、でもちょっと興味津々という方は・・・



加賀野菜「五郎島金時」
加賀野菜「五郎島金時」

あっ、焼けてきた・・・
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音楽を味わう

2006-10-29 12:31:46 | ちょっと感動
昨日は、昼から11月に企画しているある小さなイベントの打ち合わせの為、六本木に向かい、終わった後、溜池山王までゆるゆる歩き、サントリーホールに向かいました。

サントリーホール?

役割として「飛んだり跳ねたり担当」(笑)の私にはあまりご縁のなかったところですが、東京交響楽団の定期公演をゆったりと堪能して参りました。

行けなくなってしまったので、お譲りいただいたチケットの座席を見て驚愕!

S席:7000円!?

どんな席なんですか?そのようなたしなみのない私には見当がつきません・・・

一緒に行ったMさんは音楽のわかる女性だったのですが、「すごい!」と感激のお席での鑑賞でした。

あー、ありがたいことです・・・・

梯剛之という名を見て、最初はピンと来なかった私ですが、彼が盲目のピアニストとしてTBSの「情熱大陸」という私の大好きな番組で何年か前に紹介されていたことをすぐに思い出しました。

いくら私がクラッシックに明るくないとは言え、シビレましたよ・・・

鍵盤上を指がどんな速さで動いているのか、学生時代に必須で伴奏音楽という教科があり、なぜか徹夜で、しかもジャージでダウンジャケットを着込み、ピアノを練習していた私には、皆目見当がつきません・・・

しかし、盲目がゆえ、指揮者が見えない中で、管弦楽団とコラボレーションする訳で、そのピーンと張り詰めた中で繰り出される渾身のピアノの音色と、彼と共に音楽を愛する楽団の皆様の思いと素晴らしい技術に私は心を動かされてしまいました。

席が素晴らしく良かったこともあり、右側面から見ると、若き指揮者の個性的な動き、うねるように動く管弦楽奏者の皆さんのえもいわれぬ一体感などの全景を観賞できて、単なる音楽鑑賞にとどまらず、私なりの味わいを深くしたのだと思います。

初心者なりの感動を大切にし、あまり縁がないと思っていた芸術世界に出会えたことに感謝したいと思います。

今年は、「ライブ」に触れる機会が昨年以上に多くて、ジャンルや形態はあまりこだわらずに、こういう時間はもっと増やしていきたいと思っています。

ん、自分なりの感じ方を大切にしよう!

それは、はるさんよかったねぇ~。そうやって自分を豊かにするがよい!
と、応援して下さる方は今日もぽちっとお願いします。


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自分を許す

2006-10-27 00:54:35 | 自分のおかたづけ
「鏡の法則」を読んだのは、もう4ヶ月前になりました。

あれから快進撃ですね、55万部も売れていて、書店でもすごく目に付くところに積まれていますよね。

私はこの本で、泣いてしまった一人なのですが、泣いてしまっただけでこの本は、まだ今もベットの枕元にあります。

この本では、感謝すべき人に感謝せず、その人を責めて生きていることに気づき、許すことでやすらぎを取り戻し、人生を好転させることをおススメしているのですが・・・

そのステップを8つに分けて紹介しています。

1)「許せない人」をピックアップする。
2)自分の感情を吐き出す
3)行為の動機を知る
4)感謝できることを書き出す
5)言葉の力を使う
6)謝りたいことを書き出す
7)学んだことを書き出す
8)「許しました」と宣言をする

でぇ、ここ数年、内面ワークがMyブームなもので、いちおうやってみようとする訳ですよ。(笑)

なのに1)からつまづいて、全然進まなかったのですね。

はるさんさぁ、許せない人がいるのかいないのかぐらいは、はっきりしてくんない?みたいな感じなんですよね、ここ数ヶ月。

親にはむしろ懺悔ないし感謝、別れた夫に関しては、だんだん記憶も薄れ、もはやどぉでもよくなっているし(苦笑)

で、最近思ったのが、もしかして・・・

はるさん、自分を許してないでしょ

いやーん、そうかも・・・

死んでるみたいに生きていた頃の自分を許してないよね。

はぁ・・・なんでそこまで自分に粘着質なん?

どうして、そんな道を選んだのって、未だ後悔と自己嫌悪の波が押し寄せてくるんですよね・・・緩やかなサイクルで。

で、交流分析の「5つのドライバー」にしても、「12の禁止令」にしても、エニアグラムの「囚われ」も3)の行為の動機を知る、作業でしょっ。

この8ステップの中でとても大切なのは5)の言葉の力を借りるだと思う。

具体的に言うと、
①「自分自身の自由と安らぎと幸せのために、○○さんを許します」
②「○○さん、ありがとうございます」

と30分間唱え、そして②をさらに毎日続けると変化が現れるらしい。
30分唱えると、1200回ぐらいになるらしい・・・言霊っていうより、何か自分を洗脳!?

えっと、時間があってぇ、根気が続く時を選んでぇ、やってみるね・・・、はいっ

交流分析は、複雑ではっきりコレだっでわからない原因を追究しがちで、そして合理化・正当化しがちになるけど、基本的に過去指向。

自分を許し、先に進みなさいと、自分が言っています。

私の行動は、さまざまな障壁はあれど、乗り越えたり、強引にぶち破ったり、あいかわらず無意識に乱暴で過激なのですが、その無意識な行動に反して、前に進みたい心と拮抗するエネルギーが働くような、そんな違和感がずっと続いていて、やすらぎが得られていないのでは?

心の違和感をそんな風に捉えています。

早く、安らげるとよいね・・・・
そう言ってくださる方は今日もぷちっとお願いいたします。

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北の大地の熱さ

2006-10-26 23:05:03 | TA(交流分析)
44年ぶり2回目の日本ハム優勝、本当に最高の終わり方でしたね!

素晴らしい・・・

それにしても、リーグ戦で優勝した時もそうでしたが、SHINJOがこんなに涙を流す人だと思いませんでした。今日も、試合が終わる前からもうずっと泣いてましたよね。

でも、自然体で、本当に見ていて、気持ちの良い涙でした。

野球が好き、ファンが好きであることはもとより、阪神からアメリカに渡った時のこと、アメリカで頑張った時のこと、いい時もつらい時もあったこと、北海道に来たこと、自ら仲間から離れていくこと、あんなにやんちゃ坊主だったSHINJOにも振り返ることがたくさんあったのだろうと思います。

感極まるってこういうことでしょう?

交流分析的に言えば、SHINJOのエゴグラムは、感情が開放され、自分が野球を心から楽しみ、自分を喜ばせる点から言うと、ダントツFC(自由な子供)のエネルギーが高い。

あとNP(保護的な親)のエネルギーで、若手に気を配ったり、育成したり、そしてファンを愛し、野球だけでなくその他のパフォーマンスでも楽しませることに身を捧げた感あり。

M字型のエゴグラムかしら?
たかQ先生読んでたら、解説をコメントにお願いしまーす。

日本のプロ野球界において物珍しさも手伝って、本当に愛されるプレイヤーであったですよね。

FC(自由な子供)は、人を動かすエネルギーの根源だということが、SHINJOを見ていると本当に良くわかりました。ヒルマン監督が「SHINJOは本当にたくさんのエネルギーをチームに与え続けた」と言っていました。

自分が野球を楽しみ、背中で野球の楽しさを教え、そして若手が吸い込まれ、巻き込まれ、オールスター以降本当に強かったですよね。

若い時の新庄はFC(自由な子供)のネガティブな面の、わがまま・好き放題的な面ばかりがクローズアップされがちでしたが、今のSHINJOはポジティブなFC(自由な子供)のエネルギーで本当に人々を魅了しましたね。

SHINJOの花道は決して誰かによって脚色し作られたものではなく、SHINJO自身が、自分を変えて、その結果、すごく自然な成り行きのものになったと感じました。

FC(自由な子供)の開放は、結果として個人のエネルギーを高め、そして、チームのエネルギーを高めたわかりやすい事例でした。

SHINJOYに万歳!

SHINJO、お疲れ様!次は何で魅せてくれるのか?
日ハムの優勝でじーんとしてしまった皆さん、ぽちっとお願いします。

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感じてもOKである

2006-10-24 18:29:53 | TA(交流分析)
禁止令の続き「愛するな・信用するな・近づくな」「感じるな」について思うこと。

はぁ・・・恋愛に特化した禁止令ではありませんけど、はるさん、そんな禁止令ずっと大事にしてたら恋愛不全症が深刻化しますよ。

っていうのは冗談ですが、笑えない・・・(苦笑)

小さい頃は、母がなぜ幼稚園のお迎えの帰りに他のお母さんとの井戸端会議を避けていたのか、ちょっぴり不思議でした。人の好意を好意と受け取らずに何だか遠慮がちのところもありましたかね・・・。

今こうして大人になってみれば、周囲にもそういう人は他にもいるようで、取り立てて母は珍しい人間でもないようで。

私が同居していた祖母と仲良くするのもあまり良く思っていなかったようです。口では言いませんでしたけど。表情からそう感じたことはすごく小さい時にあったかもしれません。

にもかかわらず、私はすぐ信用してだまされがちです。それは父譲りです。私のような人間は、絶対に絶対に借金などの保証人にはなってはいけないはずです。

したがって「あまり信用できない人間には近づくな」という摺り込みは教育的には有効なはずでしたが、過去に大きな失敗をし、大きな痛手も負いました。

私は泣かない子供だったと思います。涙がこぼれないように我慢する感覚には慣れ親しんでいます。

母が泣くまいと我慢しているところを見ることの方が多く、禁止令の影響より、見てそうプログラム化されているのでしょう。

小さいときは、短気なところもあったと思いますが、最近は周囲の人に比べるとあまり感情に起伏のない自分に物足りなさを感じてしまいます。人前に出る仕事で身に着けた役割的な性格にも拠るかもしれないですけどね。

そんな私が、エニアグラムのワークショップで「今の感情を味わってみて下さい」ってファシリテーターの方に言われて、その時間をどうしていいのか途方にくれた時に、自分が感じていることが全くわからないことに初めて危機感を覚えました。

元夫とは、別居してからも理由があってなかなか婚姻関係を解消することができませんでした。

その時の私のエネルギーは極めて低い状態にありました。当時を振り返ってみると、その時の無力感は、私に涙を流すことすらさせませんでした。

その頃の母は、電話の向こうで何度となく「泣きなさい」と私に言いました。
母が若い頃、感情を押さえ込んだため神経を患い、ホルモン分泌の異常に苦しんだから経験からの言葉でした。

悲しいと感じていいんだ、悔しいと感じていいんだ、むかつくって感じていいんだ、うれしいことはうれしいって感じていいんだ・・・・

そうよ、だいたい感じなければ、気持ちを伝えられないでしょっ
感じ方は、自由。きっと、どう感じても良いよね。

その表し方や伝え方があまりにも周囲を困惑させるものでなければ・・・

今は、1人でうれし泣き、悔し泣き、もらい泣きもできるようになりました。
そして、その涙が思ったよりも温かいことに安心をしています。

何かわからないけど、感じることがあったら今日もぷちっとお願いします。

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惜しみない教え

2006-10-22 21:53:19 | ちょっと感動
交流分析の学びをきっかけに、先生が「父と同じ世代」というケースが増えてきました。

私が交流分析を教わる金井省吾先生もそうだし、先日受講してきた交流分析講座でもそうだし、先日もヒューレック研究会の創造力開発についての講座をご指導いただいた田子島一郎先生も金井先生と同級生。

私は新卒(バブル終期)以来、サービス業「ひとすじ」です。若い産業では、役員の中に一部銀行出身の方には「父と同じ世代」の方はいたかもしれません。

しかし、仕事で直接指導されたこともなく、実家を離れ、親戚などともほとんど関わりがなく、私にはその世代の方々は遠い存在でした。

父の世代というのは、高度経済成長期をぐいぐい牽引し、団塊の世代をバシバシ引っ張られてきた世代で、今の豊かな日本を築き上げてきた世代には間違いないのですが、私は、先生方の定年前の活躍を残念ながら知っている訳ではありません。

知っているのは、志高く、そして自分の重ねてきた経験や知恵を惜しみなく、分け与えてくださる先生方の「今の姿」だけです。

その姿は、若々しく、健康を維持する努力を怠らず、今もなお青春謳歌モード♪

そして、私の先生方の話は、もう爆発的に愉快で爽快なんです・・・。

お酒が入るとさらに倍増、溢れる知性から投げ出される変化球に、私は翻弄され、何度となく腸捻転を起こしそうになりました(笑)

この秋、旧制高校の寮歌には、今もなお愛好家が多いと知り、「一高寮歌」を歌う経験をしました。おかげさまで私は、新橋のお父さんの中にまぎれても一緒に「一高寮歌」が歌えるんですぅ。

ちょっと控えめに微妙な自慢・・・

私の母校の前身も旧制高校でしたので「寮歌」がありました。学科をあげての飲み会(新歓・追コン)では、寮歌を歌いましたが、私はいつも「クチパク」でした。

その誇り高く美しい歌詞とメロディを、思い出そうと試みるも、未だ私の中では再現できないことを、とても残念に思います。

「一高寮歌」を教わった戸塚先生は陸軍士官学校出身の戦中派でした。モダンで、若々しく、高らかな歌声には本当に魅了されました。

いまだ雑誌の中から抜け出せない「ちょい悪オヤジ」が、何だかしょぼく見えてきましたよ・・・(悲)

変わりゆく時代の中で、古き良きものを守り、新しさに対応しながら磨きぬかれた彼らの価値観や美学のようなものが、私がこれから大切にしていきたい価値観や新しい人生の目標を再考するきっかけとなりました。

世代を超えて譲り受けることができることをありがたく感じています。

男前はお豆腐だけじゃないよ~。男前な戦中(後)派に教わるはるさんが羨ましい!という方、またご本人も「いやいや~」とご謙遜なさらずに、クリックお願いします。


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男気のある豆腐

2006-10-20 19:02:38 | ちょっと感動
だいたい、私はあまり自分の内面に向かい合うのは得意ではありません。
なので内面ワークが続くと、いとも容易に疲れます・・・

最近、とてもうれしいことがありましたので、聞いてほしいなぁと思って。
近所のスーパーで待望のあの豆腐が売られることになったのです。

男前豆腐・・・・

三和豆友食品株式会社が製造しているお豆腐でございます。

もともと「おたま豆腐」という名称で売られている、その会社のお豆腐は買っていたのですが、ついに他のアイテムも近所で買えることになるなんて、すごいうれしいです!

ご存知の方も多数いらっしゃるかと思うのですが、このお豆腐、普通の充填豆腐と何もかもが違うのですよ。

春先に「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」を初めて見た時は度肝を抜きました。

ジョニーは300円で量が多くて1人暮らしの私には少し食べにくいのですが、個人的には「湯豆腐野郎」を電子レンジでチンとして、ポン酢か、塩で食べる時がワタクシの至福のひと時なのです。

あぁ~、庶民的喜び・・・(涙)

豆腐メーカー3代目社長の本業を守りながらも大胆でユニーク、そして男気溢れる事業継承にもちょっと感動します。

メーカーのホームページは、見ることができませんでした。
ちょっと関心のある方は→こちらからどうぞ

書店で立ち読みした本も、横浜銀蝿がブレイクした時代に育った私には何だかガツンと来ました。

私が恋焦がれる「男気溢れるお豆腐」でした。

「お豆腐ワールドが広がったわぁ」という方はぷちっとクリックお願いします。



風に吹かれて豆腐屋ジョニー―実録男前豆腐店ストーリー

講談社

このアイテムの詳細を見る
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女性でいてOKである

2006-10-20 17:52:20 | TA(交流分析)
基本的に禁止令は、鵜呑みにしているわけではなく、人はそのようなメッセージを受けつつも、自分で選択して受け入れているはずです。

窮屈だった脱ぐだろうし、ほどよい締め付け具合で、本来はゆるくて、もろくて、溶け出しそうな自分が「しゃんと」していられるという恩恵もあり(笑)

私が受け取ったと心当たりのある「子供であるな」「女であるな」「愛するな・信用するな・近づくな」「感じるな」という禁止令ですが、

「子供であるな」という禁止令を、類似する言葉としても、ダイレクトに言語で受け取った記憶はないです。

私は姉と7歳違い、多少遅く生まれたこともあり、大人ばかりの家庭に育っています。そのせいか、比較的早い段階で「自立」を求められ、「自分のことは自分でやろう」と育てられ、母の期待以上に自主性を発揮し、何か形になった時のまだ若かりし日の母のうれしそうな顔は今でも覚えています。

何でも自分でできることがよいことなのだという私の価値観はこうして形成されていっていると思います。

全く可愛げはありませんが、おかげ様で、たくましく自活しています(笑)

「女であるな」そんなこと、真顔で直接言う親は少ないでしょう・・・でも、いるかも。

これは私が、本家の末娘に生まれて後を継がなければならない立場だったことも影響しています。

それは、小さい時に、親が私を「下の娘です」と紹介した時、「お宅は、男の子はおいでではないのか?」とよく周囲の大人たちに聞かれたことが原因でしょう。

父も母も、毎度、毎度、本当に歯切れの悪いリアクションでしたね・・・・。
んったく、なんかモゴモゴしてるっていうかぁ~。

実家の金沢は古くは加賀藩で藩主であった前田家が「命は一代、名は末代」と戦国の世の争いを極力避け、今もなお誇り高き文化都市を見守っている、そんな街です。

私の姓は非常に珍しく、私が養子をもらわない限りは、名前が絶えることを両親が残念に思っていたことをいつも感じていました。

男に生まれていれば・・・などと無意味に自分を責めることはしませんでしたけどね。

ん、結構お気楽なコ?・・・って言うか、当時の科学が産み分けの知恵を授けるはずもなく、誰も選べませんでしたからねっ。

母が、不妊の時期を乗り越え、私を生み育て「あなたは望まれて生まれてきた子だ」と言ってくれることや、いまだに「へその緒」を見て感想をメールで送ってくるあたりに、もう「女性でいていいんだなぁ」と遠慮なく思えるようになって来ました。

年をとり、力なく、諦めも混じり、またそんなことよりも、娘の人生を何よりも案じる親心でしょうかね・・・。

まっ、不肖の娘ほどかわいい・・・って不名誉な誉め言葉も、親の元気なうちはありがたく受け取るとして(苦笑)

最近、自分が、母になる日がくるのか来ないのか、まったく霧の向こうのことが「ほんの少しだけ」気になるようになってきました。

とは言え、ものには順番がありますので・・・(笑)

と、急に成人(A)の自我がむっくり起き上がり、全く妄想に耽れない(苦笑)。

はるさん、自由な子供(FC)を高めてください・・・・
イメージって大事ですから。

「あんたは一生1人でいるひとじゃないと思うから」そんな母の言葉が、夫と別れ、1人で生きていくことを後押ししたひとことでした。

「禁止令(Injunctions)」には「許可するもの(Permissions)」といって、禁止令に対して、それを選ぶか否か選択を促すメッセージがあります。

「女でいてOKだよ」

私は、このメッセージで、女性として強く、美しく生きることを選びます。

外見の経年劣化はいたし方なく、今から劇的に容姿端麗な女性になりたい訳ではなく、心身ともに錆びつかないように、可能な限り努力は続けていきたいと思う訳です。

そういうお手本となる年長の女性の方々に、最近接する機会があったのもラッキーでした。

脚本を分析しながら、こうして次の生き方を見つけ、具体的にしていくことには少し時間がかかっていますが、自分にとって、とても大切な時間だと思っています。

私の人生の再決断を、今後もこっそり応援してくださる方は、今日もクリックお願いします。

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12の禁止令

2006-10-19 00:06:04 | TA(交流分析)
私たちが幼い頃に親からもらったメッセージは、これから自分はどうやって生きていくのかという幼児なりのシナリオづくりに大きな影響を与えます。

「~してはだめ!」というメッセージは際限なく作れますが、グルーディング夫妻は12のリストを示しました。

1)何々するな
2)存在するな
3)成長するな
4)子供であるな
5)成長するな
6)男(女)であるな
7)健康であるな
8)所属するな
9)重要であるな
10)愛するな・信用するな・近づくな
11)考えるな
12)感じるな

交流分析では、こんな禁止令が私たちの生涯に大きな影響を与えると言われています。

これらの禁止令は、言葉であるとは限りません。まだ、言葉がわからない子供であっても、親の表情で機嫌がわかり、衝動に駆られた時も、親の表情でGO!・WAIT!・STOP!なんかを判断し・・・。

言葉がわかるようになってからも、親の顔色を見て、ことの善し悪しを判断します。ご機嫌損ねないようにとか、なんかマズイ雰囲気ね・・と空気を読むみたいな。

私には子供がいませんので、かすかな記憶をたどっていくと自分もそうだったかなぁと感じますし、未だに多少は、母親の顔色をのぞき込みますし。

私が、親からもらったメッセージで自分の生き方に影響を与えていると感じるのは「子供であるな」「女であるな」「愛するな・信用するな・近づくな」「感じるな」だと思います。

振り返れば、母の表情とリンクしますね。

そして、非合理的な禁止令に無意識に囚われることによって、自分の生き方を窮屈にしたり、後ろ向きにしたり、小さな失敗を繰り返したり、お決まりの嫌な終末感情を味わったりして・・・。

そのような禁止令の、背景を探ることは、時にとても切なくて、特に意識せず年を重ねていくこともできるのに、その煩雑な作業を踏み倒し投げ出すこともできるのに、と思うこともあります。

いくら自分のこれまで生きてきた人生脚本を書き換えて「新しい脚本で生きていきたい」と願っても、私の場合、掘り下げることをためらって途中で逃げ出したくなることがしばしばでございます。

脚本分析が進みません・・・交流分析やる人って誰もがそうなんですか?

親からもらったメッセージにしたがっていれば、特に変化もなく、変化を受け入れなくてもよい分、楽チンでお気楽に生きていけますよ・・・

なのに、なぜにそんなに果敢に立ち向かう必要があるのかい?

嫌なんですよ・・・

同じ失敗したり、いっつも同じような「嫌な感情」を味わってその場しのぎの癒しだけに頼るのって。

私には「失敗することは怖いこと」という囚われがあり、2度同じ失敗をしたら生きていけないかもしれません・・・自殺行為かもぐらい思い込んじゃってます。

失敗を避けることは自分を締め付けるものでもあり、同時に自分を動かすエネルギーでもあり。

そのエネルギーを新しい人生目標のために活かすことで、自分を許し、変えられない過去と決別すべし。

そんなことを考える、第1回の人生脚本の分析も終盤に入ってきた昨今です。

なに?人生脚本の分析とやら、頑張って完成させてごらんと応援してくださる方は今日もぷちっとお願いします。



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ストロークフィルター

2006-10-17 11:39:37 | TA(交流分析)
さまざまなアクシデントや感動秘話に溢れがちな私の生活は、なかなか地道に交流分析の記事を書かせてくれません・・・・

またストロークについて書いてみたいと思います。

ストロークって何っ?て思われた読者の方がいらっしゃったら、右側の「TA(交流分析)」のカテゴリから少しさかのぼってお読みくださると幸いです。

「誉める」「励ます」は「プラスのストローク」でしょうね。

心から無条件に誉められたり、励まされると人はやはり自分の存在や価値を認められとてもうれしいものです。

私は「励まし」というストロークが、かなり好きです。

なぜ故に?

認めたくはないのですが、私は、そもそも自尊心やうぬぼれが強いのかもしれません。

それに目を向け始めたのは、どうやら私がエニアグラムで言うところの「タイプ3」や「タイプ4」の性格を持っているのではないかということで、この2つのタイプに特徴的な性質として「ひょっとしてそんなとこあるかも・・・」と思い始めたんです。

エニアグラムは自分を映す鏡である・・・(苦笑)

それゆえに落ち込みやすくまた、「励ましによって容易に回復し、次の行動に向かう」というパターンは私のお決まりのパターンなんです。

その一方で「誉められる」は、これはなかなか素直に受け取ることができません。「ありがとう」と笑顔でにっこり、素直に受け取ることは、私のコミュニケーション上の継続課題です。

なぜにそのようなありがたいストロークを受け取らんのだ・・・・

これがねぇ、最近気づいたことなのですが、母からのすり込みでしょうね。

母は決して私を誉めない訳ではなく、どちらかというと評価は正当で、「誉める量」に過不足がなく、誉めて欲しい時に誉めてくれたので、幼少期に特に寂しい思いをすることはなかったように記憶しています。

しかーし、学校から帰ってくると「今日ね、先生から誉められた」「○○ちゃんのお母さんから誉められた」という話には、「俄然」ノリが悪いのでした。

そして、返ってくるのは「あまり調子にのらないように」「人の言う、いいことは信用しないように」という返答。

はぁ・・・有頂天モードから急降下(涙)

あぁ、ここで母から「信じるな」という禁止令をもらっているのでございます。

そして、自分は「まだまだなんだ」「母から誉められるには完全ではないのだ!もっと頑張れ!」と自分を奮い立たせ、這い上がってくるこの泥臭い「ど根性人生」を歩んでしまうのですよ。

小学生の頃からこういう生き方を選び、以後そういう生き方(人生脚本)を強化してきたワタクシです。

こうして、「誉める」というストロークを受け取ることを躊躇し、「禁止される」だけではやる気がでないので、代わりに「自分からの励まし」「人からの励まし」を受け取ることを好んで次の行動につなげるのが私の傾向です。

「自分好みのストローク指数に合わないストロークが来ると素直に受け入れない」ことを、交流分析的には「ストロークフィルター」にかけるといいます。

無条件で誉められていると気づいた時には、ストロークをフィルターにかけて価値を値引きせず、ありがたく受け取ることが、相手との親しくつきあっていく上でとても大切だと感じています。

よし、誉められたら小さなガッツポーズ(略して小ガッツ)で応えよう!

じゃなくってぇ~、いくら体育会気質とは言え、笑顔でにっこり「ありがとうございます」でいこうよ。

皆さんはどのようなストロークを「選り好み」したり受け取らないようにしていますか?

あなたのクリックが私にとって何よりの「励まし」。
交流分析のことをもっと多くの人に知ってもらいたいのでぷちっとひと押しお願いします。


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グラミン銀行

2006-10-15 12:09:53 | ちょっと感動
ブログで扱う記事はテーマ性を持ちたいと思っており、あまり時事ネタは書かないつもりでいました。

でも書きたいと思う衝動に駆られました。

ユヌス総裁が竹細工を作る女性たちに、ポケットマネーで無担保・無利子で融資を始めたことがきっかけになり、広がりを見せたマイクロクレジットというグラミン銀行の金融モデル。1970年代に南アジア発、で中東・アフリカに広がり、その他の金融サービスに発展しました。わかりやすいこんなお話も⇒こちらをどうぞ!

今年のノーベル平和賞は、ユヌス総裁とグラミン銀行に贈られました。

慈善や援助に頼らず、経済的な自立を望む人に無担保で少額の資金を貸し付けるグラミン銀行では貸し倒れの懸念に反し、98%の資金の回収率だそうです。

日本では、上場している消費者金融会社でさえ、借り手に、生命保険に加入させて貸し倒れのリスクに備え、利息制限法と出資法に守られた貸し出しの際の高い制限利率を当面保持し、金融機関を保護しようという政治家がいる現状とは、うーん、大きな違いがありますね・・・

借りたお金が返せずに、強烈な取立てを苦にし、命を絶ってしまう悲惨な事件や、巧みで詐欺的な手法に巻き込まれ、身に覚えのないお金まで払ってしまう人が後を絶たない日本です。

物質的な豊かさに慣れてしまった日本ですが、貸し手の意識も、借り手の意識も当然バングラデシュとは異なって仕方ないとあきらめる訳にもいかず、消費者団体や行政が金融消費者を地道に啓発・教育する、志の高い司法家が貸し手の金融業者や行政に働きかけをしていくなどの仕掛けはありますが、借りた本人のエネルギーは低空飛行のような・・・

それはさておき、あと自分はさておき、女性は本来すごい力を持っています。

子供を産み育てていかなければならない母としての強さ、家庭を守り、もちろん豊かになりたいという願い、生活の中で、昨日よりもよいものを常に何か作りたいという思いと創造性に溢れ、そして何よりも若く、美しくありたいと思う気持ちは男性より上回っているはずです。

飢えと闘う国・・・・
生命をこの世に創造した女性がそう簡単に死ねるはずがないし、死なせたいはずがない。

生きたい、生かしたい。

まだまだもっとたくさんの力に溢れています。

その思い・願いを叶えるには経済的な自立・自律は大切なファクターです。

ユヌス総裁は6ドルのお金を貸すことを自分から選び、相手を信頼し、何よりも自立を期待する心を一貫し、借りる側の女性の「明日を変えたい」という意志、夢、希望も、双方の「返済できるか?」という一抹の不安など一掃するものであったと思います。必ず戻ってくる資金・・・・

発展途中の国の、このような力に溢れた姿には、日本が戦後急速に発展を遂げたスピードと比べれば少し緩やかなスピードかもしれないけれど、ずっと続く発展を遂げていく力を感じます。もちろん「構造上の問題」から未だ貧困から抜け出せない国や地域だって残されているとは思いますが。

今は手工業、軽工業で少量生産しかできていない状況かもしれません。でも息切れしそうな中で、別の使命を持った日本から見れば、戦後ある程度豊かな中で育った私たちには新鮮で、すごいエネルギーに溢れています。

個人的には、フェアトレードのような形で、いいなと思うものを買い求めたりはしてきましたが、心のどこかで、先進国に暮らす1人として「支援」しているという気持ちがぬぐえませんでした。

しかし、今、手元にある彼女たちが作ったものを見直すと、その商品ひとつひとつから強いエネルギーを感じ、そういうものが私をひきつけ、また勇気付けられていることに気づきます。

核兵器を振りかざし、経済支援を乞う国がある一方で、同じアジアの国からこのような金融モデルがさらに広がりを見せていることに感動しました。

「ノーベル賞はグラミン銀行を成功に導いたすべての女性のものだ」

胸を打つ言葉ですね。

女性は強く美しく、そして優しく・・・・。

そんなことを感じています。

一緒に同じことでも、別のことでも何か感じることがあったら、ぽちっとひと押しお願いします。

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上を向いて歩こう(SUKIYAKI)

2006-10-15 02:41:48 | ちょっと感動
拙ブログは、たまーに、話題ががらっと変わるんですよね・・・

今宵は、少し厚みを帯びた下弦の月が美しい夜でございます。
10月の半ばとなり、きりっとした夜の空気は比較的好きな私です。

星ははっきりとは見えませんが、夜空を見ながら歩いていると、あの曲を思い出してしまいます。

そう、名曲「上を向いて歩こう」。

最近はそう涙を我慢することもなく、至って晴れやかな気持ちなのですが、「見上げてごらん夜の星を」とともに、夜空をみると鼻歌を歌いたくなります♪

たまには「THE 昭和」を味わうのもいいでしょっ。

上を向いて歩こうは海外では「SUKIYAKI」という曲名で愛されていますよね。

私は「4PM」の「SUKIYAKI」を初めて聴いた時には、アカペラのその澄み切った歌声をいつまでも聴いていたいと思ったくらいです。

英文の歌詞を探していたら、「SUKIYAKI」と「上を向いてあるこう」の曲を集めたHPがありました。(著作権上良いのか良くないのかわからないのですが・・・)

忌野清志郎氏や長渕剛氏も歌ってるんですね~

坂本九さんは存命ではないのが残念ですが、世界をつなぐ昭和の名曲に今宵は癒され、ようやく眠りにつこうとしています。

あなたはどの「SUKIYAKI」「上を向いて歩こう」が好きですか?→こちらから聴けます。

海外の方のHPなのか、微妙に歌い手と曲が合っていなかったり(苦笑)

それにやっぱり、海外で歌われる英語の歌詞は原曲とはやはり違っているんですね。

4PMが歌う一般的な「SUKIYAKI」の歌詞を和訳すると「I missed you」な感じが満開で胸キュンですね・・・

多分ね、こういう曲が思い出されるのは、何だか最近1人は寂しいなあと思っている時なんでしょうけど、坂本九さんの「上を向いて歩こう的」な「lightな感覚」が今の私に妙に馴染むのですよ・・・

馴染みすぎるのがよいのかはおいといてねー(笑)

何か感じることがあったら、ぽちっとひと押しお願いします。

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やる気を発電する

2006-10-14 11:00:06 | 消費生活アドバイザー的に
昨日は、夕方から消費者対応研究会の若手幹事さんと、(株)JTBモチベーションズ木下浩二氏を訪問させていただきました。

私は、この研究会を通じて昨年より、消費者対応部門で

■「ES(従業員満足)」を高めるにはどのような「仕掛け・仕組み」「組織・個人間でのやりとり」が求められているのかを把握し、

■最終的にCS(顧客満足)を高めるために、企業において、CSの源泉:ESを高める「体制づくりの進行度」「文化の醸成度」を測定する

という現状把握・診断テストを作ろうという試みを続けています。

難しくて、なんじゃらほい、意味わかんなーいという声が聞こえそう(苦笑)。

人それぞれ何に重きを置くかはまちまちですから、そもそもそんなこと無理なんじゃないか?

もう、何度もそんなところに戻ってはヒントを求めて立ち上がるの繰り返しです。
仕事でもないのに~

使命です・・・
(勝手な思い込み)

でも、いいんです・・・

それがエネルギーで、さまざまな出会いもあるのでぇ~♪

テストの作成には精度の高い項目が必要で、この項目作りに実務者の「やる気」「自発性」の視点を活かすのに、多少煮詰まっていたところ、研究仲間であり大先輩のUさんが木下氏の講座に参加し、そこから交流が生まれアドバイスをいただいています。

JTBモチベーションズさんが開発された、MSQというテストによると、私たちのやる気は11の因子(モチベータ)に支配されているとのこと。

ホームページや本にも紹介されていますが、引用し、ご紹介させていただきます。

■適職・・・・・仕事自体が好きか、自分にあっているのかという仕事の適性への志向性
■人間関係・・・職場での人間関係の円滑さや協調、交流への志向性
■自己表現・・・仕事における自分の考え、発想、個性の実現への志向性
■環境適応・・・仕事の状況の変化に自己を適応させ困難や障害を乗り越える適応への志向性
■環境整備・・・仕事を進める上で、手順が明確であることや、社会整備、立地をいった職場環境への志向性
■業務遂行・・・職場において業務を遂行することを重視し目標を達成する志向性
■期待・評価・・職場で、上司や周りから寄せられる期待、信頼、評価への志向性
■職務管理・・・職務内容への理解度、仕事を進める上での主導権への志向性
■プライベート・・家族や親しい人からの仕事の理解、また仕事と余暇のバランスといった仕事以外の生活への志向性。

私たちががどんなモチベーターに動かされているのかはこちらのテストで簡易的に知ることができます。→こちらからどうぞ(ダイジェスト版)

私も半年前にこのテストをやっていて、自分自身を動かすものについてはわかっていました。

ちなみに、私のテスト結果のレーダーチャートはあまり偏りがなくバランスのとれたものでした。

そんな中でも、特筆するなら、私が最も高いのは、予想どおり「自己表現」続いて「環境適応」「業務遂行」そして「期待・評価」となりました。

低いのは「環境整備」、驚くことに「人間関係」「適職」についてはあまり執着がないようです(苦笑)。

「適職」というのは「適職」であることは信じて疑っていないので「もわっ」としているのかもしれません。「人間関係」がいまいちでも、あるところまでは仕事ができるかもしれません。

私の傾向を自分でどう理解しているかというと・・・・

多少ハード面が弱かったり、業務が混乱している状態、何らかの下地がない状態でも、自分の考えや主張が「よい」ものだと確信があれば、うだうだ言わずに、とにかくやるべきことを達成する。期待されていると知り、評価が得られればまた頑張っちゃうよ~♪

っていう感じ。

そういうモチベーションスタイルだということが何となくわかっていました。

多くの方が、肌で感じ、無意識に実践していることも多いと思いますが、

このスタイルは人によって皆違う訳ですから、自分のスタイルを知り、相手のスタイルを知れば、仲間レベルではお互いのやる気を高めたり、補いあう働きかけをして、いい関係を築いていくということもできるでしょう。

上司部下との関係であれば部下のやる気を引き出す施策(仕掛けや仕組みづくり)を打ち出すことやFace to Face のコミュニケーションを実践できるでしょう。

そして高い業績(顧客満足度)を上げていく・・・・

11月末に、そんなことを学ばせていただくセミナーを企画しています。

また、ES(従業員満足)はもたらされるものと考えがちですが、ESは自分の「やる気の素」を知り、自家発電することもできると考えています。

そういうことができる人間こそが、個人の裁量・権限の大きさに差はあれど、お客様に対して自発的によいと思うことをしようという接客要員になるのではないかと思います。

私が、「ESがもたらされる組織か否か」「自家発電できる組織か否か」を診断するテスト作りたいと言った時、「それだ!」と賛同してくださったのは2名で、他の人にはなかなか理解が得られませんでした。

それでも私の「見えないものを何とか形にしたい」という思いは抑えきれずに沸いてくる一方で、困っていました。

今もなお、皆がまだ迷いながら、この課題に取り組んでおり、「言いだしっぺ」の私には心苦しいのですが、同席した若い幹事の皆さんが、「何とか形にしていきたい」と思い、ひたむきさを受け継いで一緒に作り上げようという意欲を高めてくれたことはたいへんうれしいことでした。

研究会としては、エニアグラムやエゴグラムも学んでいますが、木下様はMBTIのご指導もされるということでした。あつかましくも、ご教示いただけるようにお願いし、今後の活動の広がりを空想しながら、青山界隈を歩く、誠に充実した時間でした。

「ない」ところから何かを創造するのは困難なことですが、これも、今の自分のワクワクするもののひとつなのでしょう。

皆さんも、テストを試しにどうぞ。何か新しいものが見えてきたり、実感することがあるかもしれません。

お役に立てたら今日もぷちっとお願いします。
あなたのクリックで私のやる気倍増!



本もご紹介しておきます。

やる気を科学する―意欲を引き出す「MSQ法」の理論と実践

河出書房新社

このアイテムの詳細を見る
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ありのままでいる

2006-10-11 02:26:37 | エニアグラム
ミュージカルも終わり、またいつもの生活に戻りつつあります。とは言え、11月末までにクリアしたい課題が4つほどあり、そちらの方にエネルギーをシフト。

最近、どちらかというと交流分析に傾いていて、エニアグラムの記事を書いていませんでした。

このブログにコメントを寄せてくれるseiさんはエニアグラムのワークショップでご一緒した女性です。お住まいの関係でワークショップ以来お会いできていませんが、お互いのブログを行ったり来たりして、今も交流を続けています。

seiさんのブログの更新を楽しみに待っていたら、なんとも素敵な「詩」がアップされていました。

エニアグラムの9つのタイプに向けて書いたものだと気づくのに時間はかかりませんでした。

神南良平氏の訳した神の慮り:ニューヨーク大学病院のロビーに掲げられている詩風に、エニアグラムの各タイプに向けたメッセージで、とても素敵ですのでご紹介します。→こちら

って言うか、ツボに入って泣いちゃったし・・・

私のタイプ、上から3番目に

「人々から賞賛を得ようと成功を追い求めたのに、ありのままの自分を愛するようにと、信頼できる仲間を授けられた。」

とあり、何人かの人たちが私の前に浮かんできた・・・

彼ら、彼女たちは私に、「そのままで良い」とか「今の自分を大事にしなさい」とか言うのですが・・

そう言われて、いつも物足りなく感じていました・・・。

私は、エニアグラムについて書かれた多くの著書に書かれるタイプ3への「ありのままでよい」というアドバイスは、ずっと違和感があり、なかなか実感として理解できませんでした。

ところが前回の記事にも書いたのですが、自分の潜在能力について考えた時、無意識・意識的・意図的に封じている自分の能力、あるいは感情といったものは、間違いなく自分の体や魂の一部であるのに、第三者からの「けむた顔」「妬み」を恐れ、あまりにも開放されていません。

それはありのままの自分ぢゃない・・・・

ずっと、反発を恐れ、遠慮や気兼ねしてできなかったことを、「やっちゃえー」ってやったことで私を信頼してくれた仲間は皆さん私を「そのままでよい」と言う。

で、「煙た顔されるのでは?」「妬みをかうのでは?」と言うのは勝手な私の思い込みであって、自分がかけている色眼鏡のせいでそう見えているだけのことではないか?

そんな窮屈な自分で、次から次へと成功や達成感を味わうのは、結構、心身ともにムリあるんじゃないのぉ?

だいたいさぁ、そうやって、結局、疲れ果てて、無気力な状態になるのって、あなたの生き方の悪い癖だよね・・・。

だったら、はるさん、封じ込めてる能力や感情を開放してみて、すでに持っているものをもう少し「いとおしむ」「味わう」ってのはどうだい?

って自問自答・・・・

多分、「ありのままでいい」「いまのままでいい」を「何もしなくてもいい」「それ以上頑張らなくていい」と私が誤って解釈していた為に、違和感があったのだと思います。

「ありのままでありたい」と叫んでいる自分の能力や感情は、もうすこし自由にしてあげた方がよいと考えることにしました♪

エニアグラムを知って4年になりますが、交流分析と違ってどこか神秘でありながらも最終的に腑に落ちてしまう不思議さ。

最近にない大ヒットな気づきかもしれません・・・・

「持っているものを隠さずに出せばいいんだよ」「今のままで十分いいんだよ」って言ってくれる人が、私にとって信頼できる人なのかもしれませんね。

最近、読者の方が増えているのですがエニアグラムって何?って思われた方は→のエニアグラムのカテゴリを遡っていただけると、何となくわかるかもしれないです。よろしければタイプチェックもどうぞ。

「はるさん、ありのままでいいよ」とこれからも応援いただける方はぽちっとお願いします。



あのー、最近アクセスIP数がすごい増えてるんですが、どんな方がお読みなんでしょう?ちょっと驚いています(驚)
コメント (8)
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潜在能力を知る

2006-10-09 11:06:06 | 不思議なミュージカル活動
夏からお稽古が続いていた、ミュージカルの公演が終わりました。

いやー、素晴らしい出来でした!!
もうすっかり「素人歌謡劇」の域は抜けてしまったでしょう!
まじめにすばらしい!

私自身も、セリフ・ソロの歌ともに目立った失敗もなく、セリフが少なかったことも幸いし、自分を変えることができづらかった昨年とは違って、リラックスして舞台に臨めたし、創意工夫を楽しむ余裕も多少ありました。

心地よい疲れを感じながら、忘れぬうちに昨日感じたことを書きとめておきたいと思います。

この5年ぐらいは、多分何かしらの課題を持ってミュージカルに参加するようになるように思います。

で、私が勝手に設定した今年の課題は「自分の潜在能力を知ること」。

残念なことに、私は「できることをしない」ことが非常に多くあります。そして、それをしないがために、ホントはできるかもしれない、別の自分の能力に出会えていないように感じています。

悲しい記憶ですが、それは中学校の時、「できる」ことで「軽く」いじめに遭ったことがあったからです。若気の至りで、配慮に欠け、癇に障る子だったってこと(笑)

そういうことがあって、自分の力は出さない方がうまく行くという、決断をしたのでしょう。「出し惜しみする」という悪い行動パターンを持っているということには何となく気づいていました。

事実、「出し惜しみをしている」「本当の力を出していない」「できるのにやっていない」「遠慮することはない」「実はまだできるよね」と指摘されることが、仕事でも近年多かったし、これって悪い癖になっているなあと感じていたから。

それだけではなくて、「未知の力」にも遭遇したい・・・・

はる、あなたはどんな力を持つ人ぞ?

で、いったいどうしたい訳?

「じゃ~、とりあえず、どこまで何ができるのか、試しにやってみよっかぁ」

というのが私の今年のミュージカルのお稽古や準備に関わるにあたっての自分への問いかけ。

たとえば、演じる。
恥ずかしがっても、舞台の上では、腹がくくられておらず、迷いがあることの方がよっぽど見てて恥ずかしいですからねー。

上手・下手は抜きにして、ちゃんとその役の人の気持ちを演じてみようよ。ってことで、とりあえずできるところまでは頑張ったつもり。そもそも経験があまりないので、欲張らずに一歩づつ。

でも、個人的に目指すのは「走れ!ヘタウマ路線」なので、いいのぉ、まだ「気分だけミュージカル女優」でぇ~♪

って感じ。

そして、歌う。
地声の大きさは、体育会女子の特権(笑)。

通知表の体育と音楽の成績はいっつも安定して満点。そもそも嫌いじゃないんだから、歌っちゃっていいのよ~。

って訳で、本番3日前から、本気モードにスイッチを入れ替え、ガンガンいっちゃいました。

あ~、体の中の悪気が退散したように、すっきりぃ~♪

そして、書く。
「好き」ということはそれだけで、その人を動かすエネルギーの源泉になる。
ブログも1年以上続いていることから、書くことが好きなんでしょっ、多分ね。

パンフレットを読んでわかりやすく、興味が持てる内容にするには?と思案したおかげで新渡戸稲造の生涯や功績はよく理解でき、一般教養は豊かとは言えない私に大きな「おまけ」がもたらされました。

感謝状・個人賞の文章、一人ひとりのことを思い出して、夜な夜な感謝の気持ち、その人から学ばせていただいたことを「どこかから借りてきた言葉」ではなく「自分の言葉で」書く。

できあがったものを1人づつ額縁に入れる時の、あのいとおしさと満足感、そして
カ・イ・カ・ン(かなり自己満足・・・)

それだけで「楽しい~」と思っていたけど、もらった人から「うれしかった」と言われて、そのことが私には本当にうれしいことでした(涙)。

ヒューレック研究会では、相手の良さを認め、伸ばそうと思うからこそ、自分の持っている力を出せば、役に立ち、喜ばれ、誉められ、感謝される。

「あれやっちゃダメ」「これやっちゃダメ」っていう禁止事項はルール以外にはないように思う。

人の潜在能力ってのは、多分こういう環境下で開花するんだろうなぁと思う。
「やっちゃっていいんだーー」という安心感、コレ大事!

仕事の環境下では、エッセンスとして取り入れることはできても、残念ながら、時間的な制約や人の価値観は皆違いますからさまざまな損得勘定が働いたりする場合が多いように感じます。

だから、自分の成長の場に物足りなさを感じたら、仕事や家庭以外にこういう場を持つことはとても大切だと思います。

私の場合は、応急処置的に自分自身や現状への満たされない思いを、一時的に何かで紛らすことはできたとしても、結果的には自分のダイナミズムにはつながらないような気がしています。

そして、痛切に感じたのは、私にとっては、自分を変えたい、まだまだ成長したいと思った時には、「健全で普遍的なぶれない軸を大切にしている」人やグループに接することがとても大切なことだと思っています(あくまで私にとって)。

誰に「何を以って健全とし、誰が普遍的と判断するのか」とかそんな回答が面倒くさいことを聞かれても、自分の嗅覚・直観で判断し、自分でコレだ決めて、自ら学んで、自らをいいと思う方向に変えていけばいいのだと思う。

そういう場があることに感謝をし、感謝される関係の中で「人を信じる心」を取り戻すことができたことに、昨年にはない喜びを感じています。

私が知る限り、フィナーレで客席に涙をぬぐっている人が数名いました。
その涙の理由は人それぞれちがうと思いますが、何か人の心を動かす力を持ったものを作ることができたのはうれしいことです。

ヒューレック研究会の皆様とご支援いただいた皆様に感謝申し上げます。
来年もよろしくお願いします。

いやー、お疲れ様でした。何はともあれ、皆様からのクリックで来年も頑張るよ~。今度は脚本書いちゃいます!



週末のビデオ見ながらの自画自賛の会が楽しみです♪
コメント (7)
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2012年の6月からアクションラーニングのコーチとして活動しています。アクションラーニングとは⇒コチラ
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