Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
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大なり小なりAC

2014-10-31 12:54:12 | TA(交流分析)
ACはアドルトチャイルドの略です。

交流分析でも、エゴグラムでAC(adapted child):順応的な子供とという名称がありますが、
同意ではありません。

が、子供らしく、もっとはつらつとしていたかったのに、
大人たちにかわいがられるために、順応的な子供を演じることで身につけてしまった
生きるエネルギーがadapted childの否定的な面として大人になった今を苦しめてしまうのは
アダルトチャイルドの特徴の1つだと思います。

さて、

私にとって、自分がアダルトチャイルドなのか否かいう二元論的な検討はどうでもよかったのですが、
そうであってもなくても、学ぶことはとても多かったなと思います。

人生を振り返ってみるとアダルトチャイルドかについては、心当たりはかなりあり、
臨床心理士の先生に就いていただくことも考えたのですが、
自分でなんとかできそうな妙な自分への信頼があり、本を使ってみました。

それにしても、この分野ではご高名な西尾和美先生のこの本。



アダルト・チルドレン 癒しのワークブック―本当の自分を取りもどす16の方法
クリエーター情報なし
学陽書房


16年間で20刷と増刷を重ねていらっしゃいます。

人財育成や組織開発の仕事をしていて、名著と言われる本の増刷数とは桁が違います。
これが私にとって衝撃的で、こんなに苦しんでいる人が世の中にいるんだとビックリでした。

そして、このようなアダルトチャイルド的な苦しみを持っていながら、
普通に仕事をしている人たちの生きづらさの理解が不十分な中で、
今後も研修講師や人財・組織に関するコンサルティングを続けるなんて無謀だっただろうなと
思いました。

仕事としての境界(バウンダリー)はもちろん大事なんですが、
継続的に関わるお客さまの異変に気づくには、あるいは気づいた後は、
致命的な状態に至らないように契約とは別に職業倫理上は最善は尽くしたいと思うのです。

もちろん、交流分析レベルでも理解やざっくりと推測はできていたつもりでしたが、
それは「つもり」でしかありませんし、それ以上理解するための介入も必要はないことが
大半です。

しかし、友人と話をしていて確信したのは、

組織のプロセスに関わる仕事をしながら、

「自分で自分から感じられないことを他者から感じられない」

その感情が自分のセンサーにないにも関わらず、人の感情に気づけるものかね。。。

って訳ですよね。

その為に、自分が何を感じているのか、フォーカシングすることや、
自由自在に思考を止めることができるよう、瞑想をするとか自分にはそういう訓練は

少なくともコンサルティングをプロセスコンサルテーションというスタイルに切り替えたり、
するかしないかわからない再婚の問題を考えていく上では、ある意味、通るべくして通った道だったのでしょう。

(必要な時に、必要なことが今、すごい勢いで押し寄せてきた)

その方法については、セラピスト、臨床心理士の方に助けていただくかは、柔軟にお力を借りながら、
最終的には「自分のことは自分でやる」という根深い信念に従って選び取ったものでした。

これは私にとって時に自分を苦しめる信念なので、微妙だったのですが、
今のところ大丈夫っぽい感じです。

自己信頼感に加えて、幾分、自己肯定感が増した感じがします。(ほんとか?)

完全に終わることはないのかと思いますが、峠は超えて45才のインナーチャイルドセラピーは
怒濤のように押し寄せ、なだらかに終息方向に向っています。

「アダルトチャイルドからの回復」という表現があるので、実際には回復のプロセスを歩んでいるだけで
ぴたっと終わることなんてないんでしょうけど。

本当の自分になる練習は続きます。。。

(実際には、家庭生活や仕事の中で人間関係、健康、経済を害する程度によって、
専門家の方と一緒に回復のプロセスを歩むことが大事です)

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悲しみに向き合う

2014-10-29 10:49:12 | TA(交流分析)
インナーチャイルドワークについて少し補足してみます。

インナーチャイルドとはそもそも直訳すれば「内なる子ども」です。
その中でも、子供の頃の傷つきの体験の中で、未消化なまま残されている感情のようなものと
私は理解しています。

もともと私は交流分析を深耕してきましたから、このようなことは「脚本分析」という手法の中で
やってきたつもりでした。

しかし、すっきりしない感じに苛まれ、しんどい思いをすることが節目節目に起きることを気にかけていました。

そして、このすっきりしない感じというのが交流分析心理学でいうところの「ラケット感情」です。
簡単に言ってしまえば、「偽りの感情」とか「代替感情」です。

じゃ本物の感情って何?と言うと、交流分析心理学では4つ

・喜び
・怒り
・悲しみ
・怯え

です。

喜びを感じる時、とても幸福で何も問題はありません。これで自分も相手もOKと教えてくれます。
怒りを感じる時、今ここで起きていることに向き合って問題を解決せよと教えてくれています。
悲しみを感じる時、過去とお別れする時なんだとを教えてくれます。
怯えを感じる時、未来に起こることを回避したがっているんだなと教えてくれます。

しかし、これらを封印して、かわりに味わっているのが「ラケット感情」です。

劣等感・罪悪感・優越感・憂鬱・イライラ・絶望感・虚無感・混乱・傷心・落胆・悲哀感・孤独感・焦燥感・同情心・義務感・使命感・
敗北感・後悔・恥辱・羨望・嫌悪感・当惑・攻撃性・潔白感・陶酔感・拒絶感・恨み・緊張感・猜疑心・自己卑下・不全感

これらを味わっている間は、根本的な問題にアクセスすることはありません。

まだ自立できない幼い自分が、子供の頃に本物の感情を出すことによって大人たちから見捨てられないために
これらの感情を代わりに味わうことで一時的に問題を一件落着させるために慣れ親しんできたと言えます。

これが、交流分析を学び始めた頃にはよく理解できずに困りましたが、
今は、ハッキリと体験を振り返ることで自覚できます。

でも、それは子供が子供時代を大人の庇護のもとで生き抜くために必要だった感情です。
今は、対して役にたたないのに、私たちは無意識の内に愛着し、その結果、苦しみから逃れられないことがあります。

かくある私も、優越感や無価値感、緊張感、敗北感といったものに振り回されることがあり、
ひさしぶりに向き合ってみようかということで、行ったのがインナーチャイルドワークでした。

それにあたり理解する必要があったかなと思うのが

・アダルドチャイルド
・機能不全家族

という2つのキーワードです。

何となく言葉の響き・印象が「憂い」を帯びたものに感じられ、この数年間キーワードとしては知っていましたが
向き合いませんでした。

で、

アダルトチャイルドって別に病気ではないし、機能不全家族と言っても家族に「完全」なんてあるのかと
考えれば、受け止める側にとってはどこか不完全性を残すものなのかなと思い、

向き合ってみたというのが私の心の動きです。

アダルトチャイルドは、もともとアメリカから「機能不全家族で育った子供」ということで、
「親からの虐待」「アルコール依存症の親がいる家庭」「家庭問題を持つ家庭」などが特徴なのですが、
私自身は、虐待もないし、両親はアルコール依存でもありませんでしたからあまり気にも留めてきませんでした。

が、しかし

「家庭問題を持つ家庭」という広い括りの中で、何かと「対立」が多い家族の構造にピンと来て、
そこからぐっと自分の理解が進んだという次第です。

子供ながらに怯えていたり、その対立を何ともできない無力感だったり、
対立が多い割に、私には優しい両親に困惑したり、婿をとらなければならないという使命感、

などなど

もう、それは洗い出せば、交流分析でやった脚本分析よりも遥かに深いところまでが「いっちゃった感」あります。

ひとことで言えば、数年に1度の「悲しみの御開帳」です。。。



そして、この本が私をガイドしてくれました。

アダルト・チャイルドが自分と向きあう本
クリエーター情報なし
アスク・ヒューマン・ケア


実は、1日5~10ページペースで、書写したんです。

インナーチャイルドの問題は、なるべく時間をかけてゆっくりと向き合うということが
大事らしく。

たしかにそうでなければ、すごいスピードでやったつもりになって終わってしまいそうな気もするし、
あるいはわき出した悲しみを収束できないままになりそうな気も少していました。

少し慎重にやってみたことには変わりはありません。

それでも、「悲しみの御開帳」の真っただ中においては、無意識が意識上に駆け上がってくるわけですから
仕事の集中力に支障をきたしたりしてしんどい思いをしました。

そんなことを経て、今があるのですがわりとスッキリしていて、
本来自分がエネルギーを投入したいことに向けての気力が充実しているように感じています。

「前に出ようとする力が強い人は後ろに下がる力も強い」

きっとそういう人は私だけじゃないような気もしますが。

自分を健やかにする方法は皆違うと思いますが、
私にとってはとても必要な時間だったかなと思う今年の秋です。

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2次被害を防ぐ

2011-04-24 01:23:24 | TA(交流分析)
ジョギング中に、迷っている「いわき」ナンバーの車に出会ったのは4月2日のことでした。

『どちらまで行かれますか?』と尋ねた5人乗りの車の中には、高齢の方を含む5人と布団が一組後部座席に乗っていて、声をかけると近くの都営住宅まで移動されるとのことでした。

運転手のお父さんと思しき方の表情は硬く、憔悴しきった様子であることは間違いありませんでした。

まだ桜の蕾の固い頃でした。

たまたま通りかかった見知らぬおばあちゃんと一緒に道をご案内し、車が見えなくなるまで見送りました。

はる:「あの方たちは、福島からいらっしゃったようですよ」
おばあちゃん:「あー、そうだったのぉ。怖かっただろうね、寒かっただろうね」
はる:(同感)

しかし

福島から来たってことで、子供が中傷されたり。
転入にあたって、被爆していないという証明書の提出を求められたり。

正直、ビックリするようなことが連日ニュースになっていて、心が痛いです。

自分がそうだったように、子供も大人もミスをしながら成長するものだと思う。
しかし、致命的なミスは少ないに越したことはない。
(今回はあえてミスと書く)

私たちの理性は時として曇る。

そういう時というのは、えてして我々の中の司令塔部分が個人の強すぎる価値観や根拠のない推論や妄想で機能を失っている状態ではないかと感じています。

(交流分析では、『成人(A)の親(P)または子(C)による汚染』という表現が近い)

司令塔部分は、収集した情報を分析したり、吟味したりして、次の行動を決めている。

収集している情報は足りているか?偏りはないか?
分析や吟味の結果、選んだ行動は、現場で起きていることに効果的に対応できるか?

私は、温度差はそれぞれあっても、「日本が一つになって」とか「団結」という言葉は、決して絵空事ではないと思っています。

福島からの転入者への心ないニュースに対しては、驚くことにSNSのmixiでは毎回4桁の件数で日記が寄せられていて、部分的に見てみると、「我が事」として「怒り」や「冷静な評価」が大量に連なります。

表現は、いろいろあれど、少なからず共鳴・共震して響き合っているのを感じます。

枝野官房長官は、一部の事件を「過剰反応」だという言葉でお纏めになりましたが、私は「諸々の欠如反応やろ?」と感じました。

今日も、福島県出身の方から

「福島のせいでいろいろお騒がせして申し訳ない」と言われました。

これが2人目です。

私は、東京の次に研修の仕事で多く訪れているのが福島県です。
「全ての福島県人がそう言う」と言うつもりはありませんが、いかにも福島県人らしい表現だと感じます。

フクシマノセイッテ、ナンモワルイコトシトランヤロ・・・

すでに、各地で被災者の方をお迎えになっている地域もあると思いますが、
読者の皆さんだったら、福島から避難して来られた方と接することになった時、どう迎え、場合によってはどんな言葉をかけますか?

また子供がいる方は、どのように子供に接し方を教えますか?

ほんの極端な事例であったと信じたいのですが、このような2次被害を減らすためにも、少しでもわかちあい、必要な人に情報として届けたいのです。

私は、悲しみや不安がいかほどか知ることはできなくとも、気持ちには沿えるようでありたい。
まずはゆっくり休んでいただき、私は長く支援できるようにまずは自分の仕事で頑張ります。

そう自分の意思を伝えたいと思っています。

よろしければ


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癒えぬ悲しみ

2010-10-12 20:42:55 | TA(交流分析)
さて、波動測定についての続き。
ややセンチメンタルな記事になると思います。

周波数は、感情にも共鳴するようです。

私の場合は、「喜び」や「感謝」などの陽性の感情に共鳴し、「不安」や「怒り」などの陰性の感情には共鳴しなかった。

しかし、

「悲しみ」には、かなり共鳴した・・・

これもかなり図星な結果であります。

私には、まだ癒えぬ「悲しみ」があるのです。

それは、このキンモクセイの香る季節は、どうしても離婚届を出したあの秋の日を思い出してしまうのです。

「悲しみ」は過去の喪失体験に抱く感情。

正直に開示すれば、喪失したことというよりも、長年、元夫と全く良好な関係を築けなかったことが、いつまでも「悲しみ」の傷となっているのです。

どんなに浄化しようとしても、この体験は正直パワフルで、完全にクリアすることなんてないように思います。

長年、成仏したと思いたがっていましたが、完全な成仏などないことを思い知ります。

意識の中では、成仏しているつもりでいても、深いところの自分はこの悲しみをいつまでも忘れようとしない。

そして、それを善悪で裁くことに意味などない。

今の自分の仕事や学びは、少なからず、この悲しみが原動力になっていると思います。

多くの人に、私と同じ苦しみが訪れないように。
そして自分自身があの時どうしていればよかったのか、まだ答えを探し続けている。

正解なんてないのに。

そして、人生の牧場を牛のように徘徊しているのです。

交流分析を学んでいる方は、私が何を言いたいか、お察しがつくかと思うのです。

人生態度とそのゆらぎについて。

私は、いまだ、悲しみを悲しみとして味わっておらず、自己否定、他者否定のラケット感情(ニセモノの感情)に浸っているのです。

もしも、成仏しているのであれば、自分も相手も否定しないで、ただ純粋に悲しみだけを味わってい浸っているのだろうと思うのです。

そして、本当にI'm OK.You're OK,with me.の第1の立場にいる時間を増やして、勝利者の脚本を生きるには、本当の意味での親密・親交の時間を持つこと。

悲しみは「完全」に癒されることなどない。
癒し切る必要もない。
ただ、静かに一緒にたたずんで、「悲しみ」の気が済んだら手放してあげよう。

過去の悲しみに正直になる一方で、本物の感情としての喜びの時間を増やすこと。

こうして、書き換える前の古い人生脚本を生きる自分に気づくのです。

波動測定が教えてくれたことです。

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相互支援で生きる

2010-04-27 01:59:36 | TA(交流分析)
先日、拙ブログでもご紹介した、福島正伸先生の講演に、3名アテンドできました。
3人にはとても満足していただき学びに貢献できたことを、私は、何よりもうれしく思っています。

私は、福島先生にお会いするのは4回目でしたが、間近でお話させていただくのは初めてでした。

それにしても、日本を真剣に変えようと精力的に活動されている先生は、高いエネルギーを湛えており、50歳を過ぎた今、あまりに元気過ぎ、少年のような瞳と笑顔はまぶしいほどです。

そして、どんな人も分け隔てなく明るく・楽しく・温かく迎えて下さる先生には、メンターとしてのお手本を見ずにはいられません。

そして、こんな社長の下で働く社員さんは、多忙な日々かと存じますが、ホント羨ましいですね。

また、夢を語れる大人を増やすことで日本を変えることに情熱を尽くしている先生からの様々な仕掛けで、日本は政治ではなく、人の持つ自立心・自律心で再生できるのではないかと希望を見ます。


さて、

交流分析は、私の人生に大きな影響を与えた学問です。

交流分析が目指すのは「自律」です。

「自立」と「自律」は、辞書的には意味が違うのですが、福島先生の言う「自立」の意味は、私の中では「自律」に近いです。

やってみますか?「自立度チェック」⇒コチラ

ここ数年の私は、「自律した生き方ってどんなんやろ?」って、自分の経験から、辞書の意味とは別に定義づけをずっと試みてきました。

いかなる時も、自分はコントロール可能な自分自身の責任者として生きること。
他者と比較せず、他者と共生可能な自分なりの意味と思いを持って生きること。
自分の中の問題に、自分で気付き、自分で考え、自分で選択し、自分で行動することで生きること。
自分で描いた地図を、自分の意思と自分の選択で運転しながら生きること。

未だ集約できていません・・・

が、

自分で自分の自律性を問う時には、他人との関係も踏まえて、

うまくいかないことを他者のせいにしていないか?
自分の成幸を他者に委ねていないか?

と、自分に念を押す「かわいげのない質問」を繰り返すのです。
そして、多くの場合、内省や内観の後、自発的行動を起こす羽目になる・・・

他人を責めたり、責任転嫁したり、まかせっきりって、自分自身は何にもしなくていいからホント楽なんですよね。

その代わり、自分で問題を解決する力は培われないから、結局誰かを当てにすることになり、思うようにならないと相手を変えようとする。

結果的に自分自身の困難を乗り切る力に、無意識に自信が持てないから行動もなく、成功も失敗もないから成長もない。

無力な人ほど人を変えようとして、心理的なエネルギーを無駄に消耗する。

それは、他責で生きる代償かもしれない。

多分、私はそんなエネルギーを使うために生まれてきたはずではなくって、

他者との関係の中で、お互いが価値ある存在として認め、認められ、他者に貢献し、貢献されること、感謝し、感謝されながら、与えられた命を自分以外の人の為に使いながら、自分が自分自身を喜ばせて生きていく。

私は、そのために生まれてきたのではないかと思います。

福島先生が描く理想の社会は「相互支援関係」で成り立つ社会です。

私自身も、いつも誰かの支援ができる自分でいたいと思います。
誰かの役に立ちながら、自分が学び、成長することに満足ができるなんてステキなことです。

人の支援をすれば、誰かが自分の支援をしてくれることになると言われますが、それは本来の目的ではありません。

個人が自分の本当の欲求に気付いて、行動で具現化しながら、一人ぼっちじゃなくって、誰かと共に幸せに成ること。

そんな世の中になることを願って、きれいごとでなく、私もささやかな行動で貢献していきます。

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親の望む生き方

2009-09-11 22:58:27 | TA(交流分析)
引き続き、家族ネタで、久しぶりに交流分析について。

私は、大きく捕らえれば、親の望む生き方に応えてきたつもりはありません。
むしろ、次女であることをいいことに「しれーっ」とわが道を生きてきたのが私の40年です。

基本的には、母は自分の価値観の押し付けが強烈で、他者を操作しようとする傾向が強いため、何事も母にコントロールされまいと、先に行動する癖がついている私でした。

正直、母が私に何かを言いたいことがある時には、もうすでに母の忠告及ばずという状況を自分で作ってきました。

「もう決めたことだから・・・」

十分、大人になった今でも、このやり方が自分自身を苦しませることも多いにあります。

で、親を悲しませることも多いにあったのでした。

そうは言っても、諦めきれない母とは、わずらわしいやり取りが展開される訳ですが、私の離婚と共にそのようなやり取りは影を潜めたのでした。

つまり、身内で初のバツイチである私が、どのように生きていくのがシアワセなのか、母としては全く忠告も意見、提案もできなくなってしまったのであります。

あー、操作されないって、爽快・・・・

最近は、「婚活も忘れずに」なんてメールに書かれてきますが、トーンは弱めです。

そりゃそうでしょ、私自身のシアワセは私が決めますよ・・・・。

父に関して言えば、いつも曖昧な表現だけど、実は諦めきれないものがあり、間接的に主張をするのはうまいです。

離婚をきっかけにして、私は、「情」は解するものの、行動とは切り離して考えられるようになりました。

でも、高い買い物でした・・・ネ

長い前置きとなりましたが、私たちは日々親から受けた、言語・非言語のメッセージには無意識に支配されてます。

「三つ子の魂100まで」

刷り込まれてます・・・

刷り込みが誘発する行動は、悲しいかないつも無意識で・・・

いまだにそうなってんだろうなって思います。

私たちは、幼いころ、親または親代わりの人々との関わりの中で、彼らの好む行動を自然に身につけ、それらを元に脚本化した人生を歩むことを決めます(幼児決断)。

大人になっても無意識にその脚本を演じ、さらに強化し続けます。

おそるべし・・・

かくある自分も進行中・・・(汗)

子供の時に、周囲の大人から子供として受け容れられた行動は、大人になって広い社会の中での人間関係において、万事、通用するはずもなく、ここ一番の時によからぬ結末を招いたりするもんです。

しかも繰り返します・・・。

まじまじと親と向き合うと、もう一回、脚本見直そうかな・・・って思ったりします。

自分が幼少期に作った脚本から脱却できる人は、全体の1%と何かで読んだことがあります。

でも、本来は、幼児期に作った脚本は、誰もが書き換え可能であり、何度書き換えてもOKです。

私たちは、自分で気づいて、自分で決断し、選択し、自分で決めた幸せを生きていけます。

なにごとも、やればできる存在です。

生きづらい世の中ですが、自分は自分の人生のドライバーであり、宇宙の中の唯一無二の存在として幸せになる権利も「責任」もあります。

人と比較したり、誰かを過度に喜ばせようとしないで、自分で責任が取れる、自分の望む生き方をしていきたいものです。

人生脚本と、繰り返される後味の悪いやり取りについては、下記の本がお勧めです。

あなたが演じるゲームと脚本―交流分析で探る心のうら・おもて
杉田 峰康
チーム医療

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たまによろしくお願いします。

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私の基本哲学

2009-06-30 21:44:14 | TA(交流分析)
そろそろ、食ネタからチェンジしましょう。

最近は、研修の中でも、交流分析のエッセンスをさりげなく盛り込むことが増えてきました。自我状態やストロークなど、ポツポツと。

でも、やっぱり受講者の方が相当の割合でひきつけられるのは

「過去と他人は変えられない」「未来と自分は変えられる」

という交流分析の基本哲学です。

新人研修もしかり、今日も支援職に就かれている方向けの研修でもストライクゾーンに入った方がいらっしゃいました。

私の中でも、このフレーズは相当馴染んで来たと思っています。

長期でお付き合いのあるお客様から、ある研修の後、「自分は、先生と出会って変わることができた」と言われました。
それはうれしいことだけど、多分、私はなんらかの影響を与えただけだと思っています。

人は、自分で選択したことで変わると思うし、
誰かに強制されたり、恐怖や排除、報酬で変容を維持できる時間なんてそう長くない。

変えることができるのは、今と今が紡ぎだす未来。
過去や他人については、いかようにも変えられる解釈が無数にあるだけ。

変えられることしか変えようとしなくなった今の私は、執着するものが減り、多少諦めがよくなってしまってます。
ジタバタしないモノワカリの良い自分が時々味気なくも思えるんですが。

本当に諦めてはいけないことに力を注ぐことにしよう。
で、なるべくシンプルに生きる。

変えたくなるほど、狂おしく支配したい人も、現状おらず、もっぱら草食系女子でいることは多少問題であろう・・・



少しづつ復活中。


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顧客満足とストローク

2009-01-19 22:41:52 | TA(交流分析)
てっぺんで朝礼を体験させていただき、帰り道に朝礼を仕切った本田さんと振り返り。

「ストローク談義」をしながら、寒い中、半そでで自由が丘駅まで送ってくださった本田さん、ありがとうございました!

てっぺんでは、スピーチ訓練の時、「本気で」スピーチを行った方にひとこと「本気で」相手を認めるコメントをします。

朝礼を仕切った本田さんもそうでした。本気さで負けていない・・・。

先日ご紹介した本:「てっぺんの朝礼」で知ったことなのですが、社長の大嶋さんは交流分析を学んでいます。文中には「ストローク」「ディスカウント」などの心理学的用語がよく出てきます。

私は自分の仕事でCS(顧客満足)についての研修も扱っているのですが、部下がお客様に対して積極的に良い働きかけをしようとするにはどうしたらよいかなんてことを恒常的にテーマにします。

多くの場合、「顧客満足に対しての考え方を身につけることだ」「仕事の意味を理解させるべきだ」「心構えをしっかりさせることだ」「会社の文化を変えることだ」「教育を徹底するべきだ」「プロ意識を身につけさせる」など、論じられるわけです。

誰が実行するかはさておき、もちろんすべて大事なことですよね。

交流分析理論では、

溢れるほどのプラス(陽性)のストロークで満たされている人、溢れている人は、人にプラス(陽性)のストロークを与えるようになると考えます。

社員の認められたい・ほめられたい欲求が、十分満たされたら、その分はお客様に対して良いことを当たり前のようにしたくなるんですよね。

部下や仲間の仕事を認める、存在そのものを認める、そんな言葉が溢れていたら、誰かにおすそ分けをしたくなる・・・。

上司は、なぜ部下を誉められないのか?あるいは誉めあえる環境にあるのにおすそ分けができない。

ここに働くのはストローク経済ですよね。

顧客満足は、部分的に交流分析のストローク理論でも語れます。

ストローク理論は、展開の余地がとても多い交流分析の領域です。私の好きな領域のひとつです。

ストロークについて関心を持った方には、おすすめの本は、たびたびご紹介しておりますが、何と言ってもこの本。

ふわふわさんとチクチクさん―大人のための心理童話
クロード スタイナー,柴田 淳
扶桑社

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大好きな本です。
これを機に読んでくださる方が増えることを願っています。

あなたのクリックで今年も元気 

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比較しない生き方

2007-12-31 23:13:35 | TA(交流分析)
今年の自分は、会社を辞めてからというもの、多少無謀な計画に基づき、足りないものを補い、不安や恐れを断ち切る努力をしながら、何とか予定どおりやってこれたのかなぁと、穏やかに年の瀬を迎えています。

組織を離れて、勤め人生活を終わらせた時、特別何か強いつながりを持って独立した訳ではないので、正直、すごく不安はあったのは事実です。

しかし、自分の立てた計画は、自分自身の成功イメージであり、強くイメージしたことは概ね実現に向かうものなのだと実感することもできました。

交流分析の学びの中で、「自律した生き方というのは、決して人と比較しない生き方である」という言葉が非常に腑に落ちました。

誰かへの憧れは別として、誰かに負けたくないとか、追いつけ追い越せ的な外部に比較対象を持つ生き方を自分で選んだとしても、それは他律的な人生なのかもしれないと。

正直、親しい人から、取り組みが散漫とか、集中力が感じられないとか、何がしたいのかわからないとか指摘されることもあり、なかなか素直に受け容れられないこともありました。

しかし、どんな風に眼に映っていようとも、自分ではやってきたことには全て意味があり、ただ単に自分のドライバーである「完璧であれ」に支配されているわけでもなく、客観的に足りない力を補うために納得済みの行動選択でした。

交流分析インストラクターの合格通知が昨日届いていました。

交流分析の目標である「自律性の確立」には、気づき・自発性・親密が不可欠です。しかし、私の中で、「親密になる」という能力にはなかなか自信が持てないモノでありました。

今年は、心を開き、自分の考えや気持ちを遠慮なく伝え、自分についてのフィードバックを素直に受け容れられる、そんな信頼に満ちた関係を増やすこともできたことにも満足しています。

今年のたくさんの出会いに感謝します。
新しい出会いを自ら求めた自分にもありがとう。

来年も皆様よろしくお願いいたします。

良い年をお迎えくださいませ。


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映画1本とランチの感覚

2007-12-17 17:11:24 | TA(交流分析)
16日(日)に10月から通っていた交流分析インストラクター養成講座のインストラクター試験が終わりました。

先週の実技講座では自分の良くない癖も出て、講座担当の先生からのダメだしをいただいていたこともあり、レッスンプランは全面リニューアルして臨みました。

用意した事例が果たして妥当なのか確認できない中でのインストラクションでしたので多少不安でしたが、実技は大きな失敗もなく、内容的にも致命的なところもなく滞りなく終了しました。

口述は「心理ゲーム」中心の質問で「ゲームの公式」と「ドラマ三角形」でした。こちらはしどろもどろで、カツンカツンの出来でした。
とは言え、無事終了ーーーー。

合否の結果はまだ先だと思うのですが、今回の講座では、本当にいい仲間がたくさんできました。皆さん、暖かいお人柄で、率直なやりとり、勤勉で熱意があり、創意工夫に溢れ、まさに交流分析を教える人物として尊敬ができる人たちばかりでした。

知り合えて本当に良かったっす(涙)

准教授の小林雅美先生・下平久美子先生にもたいへんお世話になりました。本当に感謝です。

それにしても、今年はFP講座でのゆかいなメンバーに、すぎなみ大人塾メンバーなど、豊かで、いろんな出会いがあったもんだ・・・

学び始めた頃は、仕事のお客様対応の中のやり取りでヒントが多いかなあと思う動機だったのですが、今となっては自分の性格の成り立ちやコミュニケーションの傾向、生き方の構えなど自分の振り返りと気づきのツールとして、自分の中ではベーシックなものとなりました。

周辺領域の心理学や心理療法もさらに学びを広げていくことで、交流分析との関連を知り、まずは自分に活かしてみるということも試みたつもりでいます。とは言え、もちろん気質や性分みたいなものはあいかわらずなんですけどね。

今回挑戦したのは交流分析士の2級講座を教える為の資格なのですが、2級講座に限らず、私はできるだけ交流分析を企業以外の場で教えていきたいと思っています。

私は、2005年の6月に今思えば入門コースのような形で、交流分析の全分野の概要を知る講座に参加し、その2ヵ月後に、2級講座を受講し始めました。先生や先輩・仲間にも恵まれて、継続して学ぶことにもなりました。

新年からは、企業内の研修やコールセンターでのトレーニングの仕事を日常的な仕事としますが、空いた時間で、何とか『映画1本とランチ』ぐらいの費用で受けられるようなワークショップを展開していきたいと思います。

私の交流分析との出会いもそんな感じで始まりました。ところが今では、どっぷり浸かってしまいました。

交流分析は、フロイトの精神分析の口語版として心が軽くなる心理学、自律の為の心理学とも言われています。それは今は本当にそうだと実感します。

コミュニケーションを円滑に行うには、まずは、相手よりも自分を知ること。

自分は宇宙みたいなものなので、自分探しはキリがなく、また自分の望遠鏡で見える自分は、限られているかもしれません。

いろんな人と接する中で、暖かい関係を築きながら、自分のことを率直に話し、相手からのフィードバックも素直に聞き入れる。そんな中で、自分を知り、知ってもらうことでつながっていける「学びの場づくり」ができたらと思います。

食べ忘れた昼食を陽が沈みそうになった頃、神保町の「エチオピア」というカレー屋さんでいただき、そんなことを考えた1日でした。

「お疲れ様」のクリックありがたき幸せ。


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3階建てに5人家族

2007-12-06 02:02:13 | TA(交流分析)

朝から、くしゃみ10連発。どこまででるんやろ・・・

と思っているうちに悪寒がし、頭がクラクラしたため、本日はFP講座を休み、養生しました。今、どうしても風邪をひくわけにはいかんのですよ。

土日も出ずっぱりで、ミュージカル終了からゆっくり休みがとれていないこともあり、疲れがたまっていたのか、そりゃ寝れる、寝れる・・・

夕方からは、週末の交流分析のインストラクター講座のレッスンプランを叩きなおし、口述試験部分の準備をしていました。口述部分は前回の講座から模擬試験形式で行われているのですが、質問されるや否や、頭、真っ白状態ですよ。

それにしても、今回のインストラクター講座でご一緒させていただいている皆さんは、本当にステキな方が多いのです。人生経験も豊富だし、コミュニケーションも暖かく豊かで、インストラクションの内容も創意工夫に富み、本当に参考になります。

話し方・服装なども、研修と講座(ワークショップ)では、違っていてよいらしく、私には言葉遣いや声がきれい過ぎる(?)などという「全く、どうしたらよいのん?」という改善課題が出されています。

写真は、交流分析を学んだ人なら誰でも知ってる、構造分析と機能分析の図。ホワイトボードに貼って使う、マグネットを使ったインストラクションのツールです。

交流分析士2級講座の指導がゴールの養成講座なのですが、ツールは比較的手作りで進めることが多くなりそうです。

今後、工作が増えそうです(笑)

つきなみですが、楽しく、わかりやすく、丁寧に教えることができるように、16日まで頑張りたいと思います。

風邪に負けるな!


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エゴグラムワークショップを終えて

2007-10-16 01:58:53 | TA(交流分析)

しばらく、ブログの更新をさぼっておりました。

かねてより企画していました、エゴグラムのワークショップの準備などに追われて、いっぱいいっぱいになっておりましたためでございます。

10月14日(日)に無事終了しました。

定員は12名でしたが、申込者11名、欠席者が2名、それでも最終的には9名にお集まりいただき、ワークショップの形には十分なったかと思います。本当にありがたいことです。

グループワーク中心でみなさんおなかいっぱいになってしまったのではないかと思います。プランニングの段階で、時間が足りなくなるのではないかと思ったのですが、予感的中!少し延長となりました。

いやー、みなさん、学ぶ意欲が高い方ばかりで本当に感激しましたよ。

ワークショップのゴールは明確にしたつもりではいたのですが、皆さん自分の課題が明確になり、不快な状況から抜け出し、自分が心地よい状態でいられるための行動の改善策が、きちんと明文化されていたのは感激でしたね(涙)

うち5名は3ヶ月間、株式会社ネットマンさんのご協力で、Action.T.CというセルフマネジメントのためのITのツールを使って、行動変容への取り組みを習慣化するチャレンジをすることになりました。

「わかる」から「かわる」こと

頭でわかっていても、これは、ひとりではなかなか難しいのは、私たちは経験上気づいています。今回はITのツールを使い、3ヶ月間仲間からのフィードバックをWeb・メールを使って習慣化していきます。

自分のコンディションが良くない時、自分と周囲にどんな影響が出ているのか、そして本当はどうなりたいのか、その為には自分の行動を具体的にどう変えていけばいいのか?

ワークシートに基づき、皆さんキチンと明文化して、最後は発表しました。

初対面の方ももちろんいたと思いますが、皆さん、相手の意見を決して否定しないというルールを守り、ご自身のことを多少遠慮なくお話できたのかなあと感じています。

結果的には非常にいい雰囲気で終わったのかと思いますが、インストラクターとしては、それに甘んじて終わるわけにはいきません。

そもそも気づく力の強い方々ばかりで、進めやすかった分、個人へのフィードバックをもっと的確に行い、より多くの引き出しから、自己変容のヒントを出さなくてはならなかったかなあと思っています。

ということも、初めての試みをやってみて気づくことであり、ひとまず第1回目を終了することができたことにただただ感謝するのみです。

あと、今回はインストラクターは私のみで行ったのですが、私一人で、受講者の個人のワークの内容に目が行き届かせるのは6名から8人ぐらいまでが限界だと思いました。次回は、よりひとりひとりに、さらに寄り添ったワークショップになるよう、さらに鍛錬したいと思いました。

ご参加いただいた皆様と、ご支援いただいた株式会社ネットマンさんの皆さんに心より感謝申し上げます。

有意義な1日になりうれしく思っています。これからも頑張ります。
(写真は当日使用したお手製のテキストです)

それはよかった・・・・



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カフェde交流分析!?

2007-05-30 01:23:19 | TA(交流分析)
今日は、ヒューレック研究会のとあるミーティングの席でしばらくご無沙汰していた高橋久先生にお会いしました。

高橋久先生ほど、こんなにわかりやすくエゴグラムを語れる方はいらっしゃらないでしょう。高橋さんの本は2冊読ませていただきましたが、本当にわかりやすいですよ。

エゴグラムを正しく理解したい方は一読おススメします。

対人関係力を日増しに高めるEQノート
12歳からのエゴグラム

特に、後者は小学生でもわかるように書かれているので大人が読んでわからないわけがないのですから。これは画期的な心理学の本ですよ、マジで。

そんな恐れ多い方なのに、「高橋さぁん、コーヒー飲みながら、わいわいガヤガヤ、エゴグラムのワークショップみたいのってできないっすかねぇ~」って、不躾に絡んでしまいました。

普通の会話の延長線上で、カフェでの語らいのように学ぶ・・・

楽しくもあり、たまにせつなくもあり、多少ばかばかしいことで盛り上がったりもでき、そんなことがわかちあえたりできるみたいな感じで。

自分と向き合うワークショップって、動機や程度は違えど、多少なりとも自分の今の環境を変えたくて足を運んでいる方が大半だと思うのですよ。

でも、カラッとしてる方ももちろんいますが、人によっては、自分に向き合うのはしんどいものでもあり、気づいてしまった自分に衝撃を覚えてしまったり、で、どうしたらいいのか悶々としたり。

私の場合は時期的に必要に迫られて、多少荒療治的に学んでしまったので、直滑降で滑り落ちました反省も込めて(笑)

だから、痛みを感じることがなく、やんわりとがいいですよ・・・。

難しい、エゴグラムや交流分析の話はさておき、必要な方に、もっと楽しく、気軽に(&おしゃれに)学べて、日々の生活の中で正しく利用できるような気づきのツールとなるように、そんな感じでワークショップができればいいなあと思っているのですよ。

高橋先生なら、多分すっごいおもしろくやっちゃってくれそうなのでして。

私はプランニング&アシスタントで、最初はトライアル的な感じになると思うのですが、その際にはぜひ皆様のお力もお貸しくださいませ。企画できたらご案内しますね。

たかQ先生どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっと関心あるかも、という方はぷちっとよろしく


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Free Hugs

2007-05-18 13:07:21 | TA(交流分析)
こんな活動が上陸していたことを知りませんでした。

昨秋から余裕と潤いのない生活が続いていた為か、恥ずかしながら、今になってやっとアンテナに引っかかりましたよ・・・

Free hugs  

定期的に読んでいるメルマガで知ったのですが、ご存知でない方は、まずは動画を見ていただいた方がわかりよいかもしれませんね。

どうぞ→こちら

だいたいこのようなストロークが不足している私だけでなく、にんまり、あるいはウルウルって来た方はいませんか?

これぞまさに交流分析的にいうところの「無条件の肯定的・身体的ストローク」でございませんか!

さまざまな国で展開されているこのキャンペーンですが、いろいろ比較してみると面白いですね。

よく留学から帰ってきた友人が、「hugがないのが寂しい」と言っていました。それくらい、国が変われば相手を大切に思う気持ちを、普通に表せる行為なのでしょうけど、日本人のように「ハグする習慣」がない国は、欧米に比べてやはり少しはにかんだ感じ。でもいい笑顔ですね。

ほしいストロークはもらいにいけばいい・・・

「ストローク経済」については「恋愛再起動中」のワタクシとしてはいろいろ思うこともあり、実践しながら思うことも、気づくことも多いのでございます。

とは言え、どんな形であれ、自分のストロークはできるだけ暖かいものでありたいと思います。

何かあなたの心に残るものがあったらぽちっとよろしく。



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朝、FC(自由な子供)を上げる

2007-05-18 12:11:20 | TA(交流分析)
私は、かねてから走りたいという願望を持っていました。都内に引っ越し、通勤時間も短くなったので、いけるかなぁと思ったのですが、保留していました。

しかし、会社も辞めて、時間もある程度自由になるようになりましたし、これまでの夜型生活を改める意味もあり、朝6時に起きて、まだすこしだけ空気に冷たさが残る中、歩き始めました。

本当は走りたいのですが、ただ、膝や足首への負担を考えて10日間ぐらいは、体を慣らし、落ちてきている筋肉もすこしトレーニングする必要があると感じています。

そのあたりはもともとフィットネスのインストラクターですので、ある程度合理的に考えていて、「安全で、楽しく、効果的(そして美しく)」でまいります。

初日に5分ほど走ってみたところ、心肺機能にあまり不安は感じなかったのですが、足首に今まで感じたことのない重さが、ズシリ・・・。抗重力筋が全般的に衰えているのでしょう。

この朝の1時間は今の生活にはなくてはならないものとなっています。この時間に楽しいことを考え、いいイメージを作り、アイデアを発散させて、エンジンをかけるのでございます。

私はエゴグラムのFC(自由な子供)が、あまり高いとは思っていませんが、FCを手っ取り早く上げるには「走ることだ!」と認定ゼミの時に先生がおっしゃっていました。「ほんまかい!?」と思ったのですが、これは本当だと思いました。

まだ今は走りたい気持ちを抑えて、歩いていますが、足元の今まで気づかなかった草花を見るのも楽しいものです。

ずっと眉間の間にあった重みが消えました。
何も封印しなくてもよくなった今、体の違和感も消えたように思います。

ひとまず、3日坊主は卒業しました(笑)

どうか、何日続くか、見守ってくださいませ。


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一人で抱えているお悩みをアクションラーニングで解決!

2012年の6月からアクションラーニングのコーチとして活動しています。アクションラーニングとは⇒コチラ
月に1度、アクションラーニングによって、個人が抱える問題を対話で解決する会を開催しています。
アクションラーニングでは、問題を持つ方が問題解決できるのはもちろんですが、グループメンバーも提示された問題を自分のことのように考えながら、チームビルディングや自らのコミュニケーション力向上やリーダーシップなどについて振り返り、学ぶことができます。
◆最新のスケジュール◆
確認・お申込みは、告知サイト「こくちーず」より⇒コチラ