Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

泥水に咲く花

2009-09-27 22:28:30 | しごと・キャリアのこと
今日は、(株)統合教育研究所でトレーニングを受けていた「MMPコンサルタント」コースの試験・認定式でした。

おかげさまで「MMPコンサルタント」として認定されました。

MMPコンサルタントって何?という方は→コチラ

家庭を持たない私の成長は、仕事に偏った成長でしかなかったかもしれません。

理由が色々あって転職も重ねたし、雇用の形態もさまざまで、本当に仕事に集中できた時期ばかりではない私は、仕事で「幸せ」だと感じることは、刹那的でした。

モチベーションは自家発電、自分への教育は常に自己投資、転職は自己責任、今思えば組織の中にいてもホント孤独だったですよね・・・。

本当にチームワークの素晴らしさを実感できた時期って、短かったと思います。

一緒に誰かと本当に大事にしたいモノを大事にしたかった・・・。
同じミッションに向かって力を合わせて熱くなりたかった・・・。
1日のうち8時間を費やす仕事の時間の中でもっと幸福感を味わいたかった・・・。

心の中でずっと飢えていたんだと思うんです。

それが、メンターシップ経営を推進するMMPコンサルタントにひきつけられた理由です。

「メンターシップ経営とは、人を単に管理するという発想ではなく、組織の方向性や価値観を明確にした上で、事業に関わる全ての人(社員・社員の家族・顧客・取引先・・・)の幸せを鑑み、人を動機付け、成長を促し、能力を向上させるように導く姿勢やスキル、また、その仕組みによって組織を活性化していくマネジメントを意味しています(統合教育研究所のホームページより)」

一生、こんな仕事をしていきたいと思っています。

いただいた認定証には、蓮の花の写真が入っています。

蓮の花は、どんなに汚い泥水の中でも、その中から養分を吸い上げ、美しい花を最終的にたくさん咲かせます。

人生にはいい時ばかりではなく、会社経営だっていつもいい訳ではないです。

しかし、ステージがいかなるものであっても、咲く花がある。

どんな環境でも、咲きたいと願う花を、思い切り咲かせてあげたい。

ご指導いただいた、大野雅之先生の私たちへの期待・願いが込められた蓮の花です。

お釈迦様が、なぜ蓮の上にいる理由がわかりました。

自分自身も蓮の花のようでありたいです。
学びはまだまだ続きます・・・。

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我が師の恩

2009-09-23 17:56:07 | ふるさと・石川
昨日、金沢から加賀温泉に入りました。
目的は、大学時代のゼミの教官の還暦のお祝いです。

山代温泉「ゆのくに天祥

いやー、めちゃくちゃ楽しかったです・・・

基本的には、アカデミックなハイパー集団なんですが、中に「関西ノリ」のお調子者数名、悪ふざけもこの日は無礼講・・・

大学時代は、正直、全然遊んでません。
授業、部活、ゼミ、バイトのヘビーローテーションでした。

体育会バレー部での4年間も自分にとってはなくてはならない時間でしたが、研究室での思い出もそれと同じ、いやそれ以上。

今思えば、毎日、研究室で事件が起きてて、悲喜こもごもの楽しい日々でした。

私の大学時代は、非常に濃い・・・

中でも、ゼミ活動は、先生の厳しい指導で、統計とC言語(FORTRAN)のプログラミングを身につけ、卒論も因子分析法を用いた調査研究を行いました。

私の学年は、ゼミでは1人しかいなかったので、論文指導はマンツーマンでした。正直、手を抜けばすぐにバレる、嘘のつけない研究活動でした。

先生の名は出村 慎一先生

出会った頃の先生は、まだ30代で今の私よりも若く、研究活動はそれはそれは凄まじかったと思います。あれから20年経って、先生の指導で学位(博士号)取得を叶えた学生は20人超えてます。。。(体育の世界って、案外、学位とりにくい分野らしいんですけど)

60才を過ぎた今もその研究量は衰えを知らないです。

それどころか、1日2時間のインターバルトレーニング。
毎日真剣勝負らしい・・・。

先生の座右の銘は、「継続は力なり」

学生時代は、自分もこの意味を実感していましたが、今回は、正直、反省しました。

だいたいにおいて、私は最近、散漫すぎる・・・。

単純に、ゼミの先輩・後輩と比較するつもりはないけど、社会的な責任の少ない真剣に打ち込めた時代が心から懐かしく、

先生と共に研究者・教育者として走り続けている先輩・後輩とは別に実業界で労苦を重ねる卒業生の多くは、馬鹿騒ぎの楽しいひと時の中でも、

多分、何か自分をチューニングして帰途についたと思うのです。

独立してから、身を立てるにあたり、乗り越えなくてはならないことは数々あったけど、自分の中で乗り越え切れていないことがあり、

どこか、柔軟とか臨機応変という名の大義名分、しかしそれは、それは限りなく妥協に近いこともあり

そのことに目をつぶり、凡事の徹底(継続)を怠っている・・・

そんな自分に私はずっと違和感を感じているのだと思うのです。

自分の次のステップを考えた時、このままでは多分自分に自信が持てない。。

この数年間、様々な出来事を通じて、ストレス耐性を高めることはできたけど、それだけで進めるほど、私の選んだ道は甘くないように思うのです。

今回の決意は他言しないでおきます。

20年経った今もこうして師の教えをヴァージョンアップできることに感謝します。

先生、いつまでもお元気で。
20年経った今、改めて心から感謝しています。

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驚きのお寿司

2009-09-22 10:55:28 | ふるさと・石川
まだ金沢におります。
先日、父と父の友人と3人で昼ごはんにお寿司を食べに行きました。

実家から車で20分のところにある「かほく市」の

寿司処 松の さん

このブログを見て行ってみようと思った読者の皆さん!
江戸前が常識で行くと、びっくりしますので、必ず空腹でお訪ねくださいね。

何度か、県外からお越しの方をお連れしたことがあるのですが、反応は「狂喜乱舞」または「食べれるか不安・・・」のどちらかです。



3人分まとめて乗っかってくるんですが、乗り切らないイクラとカッパ巻きは別盛りです。

例えば、はまちはネタは厚みは1cmはあるでしょう。



まぐろの赤身も同様。

イカは、一反木綿ですか?



ネタは軽くシャリの2倍はあります。
アナゴも似た同じようにシャリの2倍以上の大きさ出てきます。

いくらは通常こぼれています・・・

卵は、わずかなご飯が挟まれています。



アジは、刺身にすると中くらいの大きさのアジの半身はあるね・・・
お米の食感もはやナシ(汗)



今日は、ライト級の10巻(マグロ、ハマチ、鯖、卵、イクラ、スズキ、アジ、カッパ巻き、イカ、タイ)の地味な盛り合わせなのですが、5巻超えた頃からすでに満腹のアラーム点灯。

金沢でお寿司とお魚をたらふく食べたい方は、ローカル線でいくか、車でどうぞ。

にぎり、上にぎりは、数段リッチになりますが、個人的には戦闘モードで食べる必要があります。うーん、昼は食べれなさそうなボリュームやな・・・

何とも驚きの多いお寿司屋さんです。

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内灘海岸の夕陽

2009-09-21 12:21:40 | ふるさと・石川
金沢に帰ってきています。1ヶ月ぶりです。

明日、大学の恩師の還暦のお祝いがあるのですが、それと実家の仕事の手伝いもあり、1週間滞在です。

着いた当日は、研修が続いていたため疲れがピークで、10時間爆睡でした!

ビタミンBとC飲んで、力いっぱい寝たーーーーっ(笑)

今日いっぱいまでは仕事しています。

ところが、昨日の成果物が、PC上に保存されておらず、朝からその修復に時間をとられてロス・・・(汗&泡)

原状回復したので、ひとまず休憩です・・・。

さて、実家に着てからは、よく散歩に出ています。

歩いて、5分ほどで水平線が見える我が家です。
なので、海を見ながら散歩道をテクテクと。



私が育った海は、能登半島の入り口にある内灘海岸という砂丘が長い砂浜です。
鳥取砂丘とは比べ物にならないと思うのですが、日本で3本の指に入るそうです。

昔は、海水浴のメッカでしたが、今はマリンレジャー全般を楽しむ海岸となりました。
海が荒れてしまうのでは?と一時心配したこともありましたが、美化活動に守られ今日は水も澄んでキレイでした。

水際まで、砂浜はかなり長く、車のタイヤの跡と共に、砂には風紋が描かれます。なかなか風情あります。

石川県地方は晴天が続いており、海の色は空の色を映し、連日海は青いです。
湿度は低く、海風は冷たいほどです。

連休で、マリンジェットやサーフィンを楽しむ人、堤防で釣りにいそしむ方など朝からたくさんの人が訪れています。

昨日は、夕方、夕陽を見に行きました。
この時間に合わせて、車がぞくぞく集まってきます。

100%カップルですね・・・

ちなみにこんな感じの夕陽です。



そういえば、学生の頃ってそうだったよなーーー。
夕暮れ時に来て、気づいたら夜。

(イチオウ、当時の彼氏とね)

寒いねーーみたいな話をしながら、コスモスが咲き始めた頃の秋の海も楽しんだものです。

あの頃、柴門ふみの「同・級・生」って漫画がドラマ化されていて、主題歌の「GLORIA」が流れるオープニングみたいな夏を数年間過ごしていました。

うわっ、オープニングの画像がYoutubeにあったぁーー⇒コチラ

で、沖の方の漁火と澄んだ空の星。

ちょっと戻ってみたい学生時代でした。



通称:なだビー(内灘ビーチの略)のサンセットです。

超ローカルなネタでした。

たまによろしくお願いします。

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書道での学び

2009-09-17 14:08:44 | 自分のおかたづけ
久しぶりに外での仕事がない日です。

基本的に土曜日が書道のお稽古日の私は、仕事で行けない時は、仕事のない木曜日の午前にお稽古を振り替えています。
今のところ、月に2~3回通えればいい方です。

木曜日は、土曜日の半分の時間しか練習ができないため、思うように書けないことが大半です。

ちょうど、学びなおして1年になるのですが、先生にも環境にも恵まれました。

展覧会に出品することもできましたし、書道会の出版している教本には、1度成績優秀者として作品を写真版に載せていただくこともできました。

先生には、「もう5年間ぐらい教えているような感じだね」と言われるのですが、たしかに、毎回毎回、「指導の濃さ・深さ・広がり」を感じます。

先生は、書道家としても一流の方です。

一流の人たちに共通しているのは、

「凡事徹底」

結局は、小さなことでも、当たり前にきちんと、しかも目的意識を持ってやっていると思うのです。

しかも、自分だけの満足のためにではなくて、誰かのために。

イチローだって言ってるじゃないですか、

「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道だと思う」って

これからもどんな大記録が打ち出されるのか、とんでもないところに行くことをファンは見たい。

そんなことを考えさせられます。

近いというだけで選んだ教室だったのですが、幸運すぎる選択でした。

先生には、毎回、心の状態を把握されてます。

いや、言葉としては、見透かされているという表現の方が正しい・・・

教えていただく技や考え方もさることながら、先生の教授法の1つ1つを自分の仕事に置き換えることができ、本当に毎回、学ぶことが多いのです。

余暇から仕事のヒントを・・・これぞまさにワークライフバランスの恩恵ではないかと。

私の場合、メンタルが、筆の持ち方や運びにすぐに出ます。
課題は、技術面よりも、なるべく早く、雑事を忘れ、今ここに集中し、筆の動きを楽しむことに没頭することです。

今日は、この後、金沢へと移動するため、着手中の仕事を片付け、仕事道具や衣類、その他、忘れ物なく積み込む為に脳内がざわつきそうになるのをぐっと押さえるのに苦労しました。

体を通じて、心のあり方や、心の動きがわかる、私にとっては必要な内観の時間です。

書道セラピー(?)

たまによろしくお願いします。


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頑張るから「顔晴る」へ

2009-09-16 22:58:59 | 自分のおかたづけ
年のせいだけではないと思いますが、最近、めっきり頑張れなくなりました・・・。

というか、厳密に言うと、何でも全てにおいて一生懸命に頑張るということがなくなったのだと思います。

若い時は、取り組むこと全てに「燃焼する実感」がなければ、一生懸命に頑張っていないという評価を自分に下していたように思います。

しかし、最近は「一生懸命頑張っているか」という評価項目が自分から消えました。

最近は、メンタルの調子の良くない方が増えていますが、私なんて、すんごい長い間、ウツウツ状態でしたからね・・・

最近、読み始めた下さった方はご存知でないかもしれませんけど、マジで。

4年ぐらい前まで、2~3年ぐらいの間。
というか、30過ぎてから半ばまでずっとダメだったですね・・・

(どうやら、大殺界だったようです)

会社では普通に仕事もできました。その他の付き合いも、普通にできていました。
外では、ガソリン切れで平気で走れる人だったんですよね。

でも、1人になると何とも言えない、嫌な気分に支配され、朝出社するまで断ち切ることができないみたいな日がずーっと続いていました。

原因は、仕事で、もっと頑張りたいのに頑張れなかったことと、婚姻関係の整理の問題を抱えていたから。

明らかに、快適に暮らすために必要な脳内物質が出ていなかったと思います。

表情も冴えず、眉間にうっすらと縦の筋と、頬にホウレイ線らしきものができてきたのを見た時、このまま年齢を重ねたくないと思ったのが脱出のきっかけでした。

この状態から抜け出せたのは、自己理解を本気で行ったことから。

知らない自分や気づかなかった自分に出会い、経験した混乱や衝撃。
何よりも大きかった、どこかに置き忘れてきた自分に再会したこと。

逃げたくなかったので、傷口に塩を塗りこんだような痛みや、自分の膿を出すような痛みもありました。

4年前ぐらいのブログ記事はそんなこと良く書いてましたね~

今でもよく知らない自分はいますが、自分とはまだまだ長いおつき合いです。

だから、今だって、フツーに落ち込んだり、迷ったり、時に自分を責めたりすることもあるし、人を責めたりすることだってあります。

そういう気持ちを認めて、ゆっくり味わうようになった時から、誰かがカバーしてくれることで1人で頑張らなくてもいいこと判断したことは捨てる選択ができるようになりました。

最初の頃は、そんな自分がだらしなく感じられて仕方なく、ホント居心地悪かったです。

今は、どうなんだろ?

もっと頑張った方がいいのかもしれない・・・ちょっと催促される仕事も増えてきました(汗)

でも、個人的には、こうしてブログ記事を書きながら自分を整理する時間の方を持つことで保っている自分がいるもの確かで、自分への影響度で判断すべしと思っています。

もう、自分をあの時みたいに可哀想な目に遭わせないと決めています。
自分を一番近くで支えるのも、癒すのも自分だし。
(もう一人ぐらいそういう人がいてもよい・・・)

今は、周囲と調和しない自己満足な頑張りよりも、客観的に現実に対応しうる頑張りでよい。

一緒にいる人が気持ちよく過ごせるように笑顔で、頑張るから「顔晴る」でありたいです。

今日は、会うこともない同じ囚われに苦しんでいる方に届くように書いています。
忘れた笑顔を取り戻すことができますように。

たまによろしくお願いします。

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いつも完全でなくともよい

2009-09-13 00:26:50 | 産業カウンセリングのこと
今日と明日は、「認知行動療法」の講座にて学習しております。

仕事の中で、断片的に扱うことはあるのですが、もっと概要を知り、学びを深めるために、機会を待っておりました。

何せ産業カウンセラーにとっては、効果の面から言って、確実に押さえておくべき内容。前回は定員オーバーでしたので、待ちに待っておりました。



ベックの「認知療法」とアルバート・エリスの「論理情動行動療法」を中心に。

ビデオあり、ツールあり、ロールプレイありであっという間の1日目です。

最近は、大なり小なりうつ症状を呈する人は確実に増えていて、書店では、いろんな癒しの本が並んでいますね。

手にとって、パラパラって見ていると、だいたいこの2つの心理療法のエッセンスや東洋思想が元になっているんだろうなぁという本が多いです。

エリスの療法では、「~でなければならない」「~であるべきだ」という信念は、現実に対応できない場合は、非合理な信念(イラショナルビリーフ)と言われており、

「~であるにこしたことはないけど、~であったらいいなと思うけど○○でもいっかなーー」ぐらいの合理的な信念(ラショラルビリーフ)に修正することをおススメしているのです。

「なんてヒドイ、耐えられない」なんて考え方も「不都合だけど、誰にでもある、そんな時もある」ぐらいに修正することが楽に生きる上でできたらよいですよね。

お金のように数値化できるものは、多い少ないの比較が可能だし、どれだけあれば幸せかなんて誰にもわからない分、豊かさを経験した私たちが、付きまとう不安を解消するには欲求が過多になりがち。

「完全な安心」なんてあんのかなぁ?(そりゃ役割として提供しないといけない「完全」はあるよ・・・)
今は自分だけでなく、大半の人にとっては厳しい時代だ
今は、守り、種蒔きの時期と思って、好転するのを待とう
探せば、何とか切り抜ける方法はあるだろう

ぐらいの構えが、悪質な預託・投資話の被害者が後を絶たないわが国の国民には必要なような気がします。
あと、厳しい雇用の状況に直面し、つらいと思うけど自暴自棄にならない為にも必要な考えと思います。

現実を冷静に行動で乗り切ること・・・

大事なのは、子供のように大騒ぎせず、感情に流されすぎることなく、現実に対応することだと思う。

とは言え、渦中にいる時は、なかなか現実に対応しづらいもの

私だって、

個人的には、親から「完全であれ」のメッセージをもらっているので、「完全でなければ意味ないーー」って考える傾向があることを知っているのですが、

うまくいっている時はいいけど、苦しみが続く時は、「今のままでも十分なんじゃないん?」「他の人よりはできているんじゃないの?」ぐらいの自分への許しのメッセージが必要だなと思います。

最も、私を苦しめるのは「他人を喜ばせろ」のメッセージ(笑)

「みんなを喜ばせることなんてそもそもできるの?」「1人や2人ぐらいは相性が合わない人っているやろ?」ぐらいのメッセージで息苦しさから脱出。

今、自分の頭に浮かんでいる考えが、現実に対応できる考え方なのか客観的に考えることが大事。

やっぱり、自我・成人(A)を鍛え続けるることやなぁ・・・

現実対応できるよう、客観的に考えた上で、ポジティブな考えができたらいいなぁと思う夜です。

未完成のまま走りつづけ、追いかけたい・・・自分だけの勝ち負けのない勝利(幸せ)



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親の望む生き方

2009-09-11 22:58:27 | TA(交流分析)
引き続き、家族ネタで、久しぶりに交流分析について。

私は、大きく捕らえれば、親の望む生き方に応えてきたつもりはありません。
むしろ、次女であることをいいことに「しれーっ」とわが道を生きてきたのが私の40年です。

基本的には、母は自分の価値観の押し付けが強烈で、他者を操作しようとする傾向が強いため、何事も母にコントロールされまいと、先に行動する癖がついている私でした。

正直、母が私に何かを言いたいことがある時には、もうすでに母の忠告及ばずという状況を自分で作ってきました。

「もう決めたことだから・・・」

十分、大人になった今でも、このやり方が自分自身を苦しませることも多いにあります。

で、親を悲しませることも多いにあったのでした。

そうは言っても、諦めきれない母とは、わずらわしいやり取りが展開される訳ですが、私の離婚と共にそのようなやり取りは影を潜めたのでした。

つまり、身内で初のバツイチである私が、どのように生きていくのがシアワセなのか、母としては全く忠告も意見、提案もできなくなってしまったのであります。

あー、操作されないって、爽快・・・・

最近は、「婚活も忘れずに」なんてメールに書かれてきますが、トーンは弱めです。

そりゃそうでしょ、私自身のシアワセは私が決めますよ・・・・。

父に関して言えば、いつも曖昧な表現だけど、実は諦めきれないものがあり、間接的に主張をするのはうまいです。

離婚をきっかけにして、私は、「情」は解するものの、行動とは切り離して考えられるようになりました。

でも、高い買い物でした・・・ネ

長い前置きとなりましたが、私たちは日々親から受けた、言語・非言語のメッセージには無意識に支配されてます。

「三つ子の魂100まで」

刷り込まれてます・・・

刷り込みが誘発する行動は、悲しいかないつも無意識で・・・

いまだにそうなってんだろうなって思います。

私たちは、幼いころ、親または親代わりの人々との関わりの中で、彼らの好む行動を自然に身につけ、それらを元に脚本化した人生を歩むことを決めます(幼児決断)。

大人になっても無意識にその脚本を演じ、さらに強化し続けます。

おそるべし・・・

かくある自分も進行中・・・(汗)

子供の時に、周囲の大人から子供として受け容れられた行動は、大人になって広い社会の中での人間関係において、万事、通用するはずもなく、ここ一番の時によからぬ結末を招いたりするもんです。

しかも繰り返します・・・。

まじまじと親と向き合うと、もう一回、脚本見直そうかな・・・って思ったりします。

自分が幼少期に作った脚本から脱却できる人は、全体の1%と何かで読んだことがあります。

でも、本来は、幼児期に作った脚本は、誰もが書き換え可能であり、何度書き換えてもOKです。

私たちは、自分で気づいて、自分で決断し、選択し、自分で決めた幸せを生きていけます。

なにごとも、やればできる存在です。

生きづらい世の中ですが、自分は自分の人生のドライバーであり、宇宙の中の唯一無二の存在として幸せになる権利も「責任」もあります。

人と比較したり、誰かを過度に喜ばせようとしないで、自分で責任が取れる、自分の望む生き方をしていきたいものです。

人生脚本と、繰り返される後味の悪いやり取りについては、下記の本がお勧めです。

あなたが演じるゲームと脚本―交流分析で探る心のうら・おもて
杉田 峰康
チーム医療

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父の思いを聴く

2009-09-09 23:27:13 | 家族とのかかわり
久しぶりに家族のことを書きます。
昨週末は、父が金沢から出てきておりました。

急なことだったのですが、数年前からは、できるだけ親のわがままには応えるようにしています。

父が脳卒中で倒れてから、10年以上が経ち、後遺症として言語障害が懸念されたものの、今では生活をするにはほぼ支障なく回復をしています。

でも、思ったことがすぐ言えるかというとそうではなく、たまに時間がかかる内容もあり、そんな時は言いたいことを「汲み取る」ことが必要です。

父の話をいつになく傾聴モードでゆっくり聴くと、これまでにない父の一面が味わい深く感じられます。

若いころは、「どうせこういうことが言いたいんだろうな・・・」ぐらいで聴いていたので、父の話を傾聴して初めて知る思いもあり・・・。

父と母は、まったく正反対の性格でありながら、来年は金婚式を迎えることになろうかと思います。

それぞれ、言い分はあり、それぞれが我慢したと思うのですが、身内ではたぶん努力賞の軍配は父に上がると思います。

母は、外的コントロールが強く、支配欲が高く、相手を正そうとする傾向が強いので、本来、天真爛漫な子供系の父は一緒にいて物憂い気持ちになるのです。

母にしてみれば、父が脳卒中の後遺症が残り、体の機能が不自由ならば、献身的になるのだと思うのですが、父は幸いほどほどに元気であり、母は自分と比べて楽天的で多少身勝手な父を50年経った今も受け容れられていないのだと思います。

この日は、そんな父の苦しみだったり悩みを私は聴いたのだと思います。

「父さんは、あと、5年ぐらいだと思う」

そっかなーー、もう少し生きそうな気がするけど、そうなってもおかしくない年やもんなぁ・・・

相続のことやどうしても父が遺しておきたいものへの思いなど、ゆっくり聴きました。
様々なハプニングに見舞われながらも、人生のラストスパートに向けて、しっかり帳尻を合わせてきた父です。

本音や本心は言わないけど、親として父ができることを、今までで一番たくさんしてくれようとしているように思います。

今月も金沢に帰る予定になっています。
母の話もゆっくり聴く必要があろうかと思います。

もっと若いうちにできればよかったのでしょうけど、親孝行はできるうちにしておきます。

電車の中では聴かないようにしています。



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書き尽くせない思い

2009-09-06 19:31:22 | 仕事のひとこま
写真日記的な内容から変わって、

先日、私がご支援させていただいているある会社の社長とのメールの最後が「不一」と結ばれていました。

うわっ、なんやろ・・・、これっ

早速調べてみました。不一の意味⇒コチラ

なるほど・・・

「手紙の末尾に書いて、気持ちを十分に書き尽くしていない意を表す語」

この日のメールはいつもより長く、社員をいたわり、未来に期待したり案じたり、いろんな思いに溢れていて、最後の「不一」の意味を知った今となっては、

業績厳しきに迎えた決算月に、緊張感の中で一丸になって働く社員さんへの

今まで垣間見ることができなかった別の表現の「愛情」を感じずにはいられませんでした。

私も、それ以上のやりとりは控え、後日のご訪問をお約束しました。

自分の気持ちを尽くしきれていないほど、溢れる思いがあることを表す「不一」という表現の美しさに、しばしシビレたひと時でした。

それにしても、年が4つしか離れていないんですが、以前からその接遇や礼儀作法の奥深さには教えられることが多く、自分の一般教養の浅さを思い知りますなぁ・・・。

私のブログの結句も「不一」で終わることが増えるかも・・・


たまによろしくお願いします。

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伊勢・熊野のみふね酢

2009-09-02 18:31:26 | ちょっと感動
我が家の調味料の中で最も購入頻度が高いのが、「お酢」です。

1人暮らしなのですが、1ヶ月に1本ぐらいは消費しているように思います。
マリネとか酢の物とか、鶏肉を酢で煮たり、果実酢を作ったりするとあっという間になくなるので、概ね「ミツカン」の米酢だったりするわけです。

昨日、野菜ジャーナリストの篠原久仁子さんから、いただきましたーー。

伊勢・熊野のみふね酢



寿酢と赤酢をおすそわけいただきました。

さすが、野菜のプロです。
野菜をおいしく食べることについても、とことんこだわりがあり、アドバイス通り、夏野菜を浅漬けに。

キュウリをミョウガと、ちょっとショウガ。



っていうか、写真は別になんの変哲ものな酢の物で、それがどうしたって感じですよねっ(笑)

でも、お味はステキです

寿酢は、すし酢やお漬物用にすぐ使えるように、すでにお砂糖がブレンドされています。軽く塩もみした野菜に酢を適量ふりかけ、浅漬け用のガラス容器に入れて、夕食の一品にいただきます。

それにしても、なんて簡単にこんなにおいしくできあがるんでしょう・・・

赤酢もお味見してみましたが、むせ返るようなすっぱさはなく、酢なのにα波が出そうな心地よさです。



お値段もなかなか立派ですが、これはかなり幸せ実感できます。。。

製造元の株式会社中野さんのホームページを拝見しました。
木桶を使って、丁寧に手作りされているのがわかります。

篠原さんは、野菜や果物(ベジフル)の素晴らしさを多くの方々に広める野菜ジャーナリストですが、生産者の方の熱き思いをマスコミで培った抜群のコミュニケーション能力と表現力、企画力で様々な挑戦をしている元気な女性です。

産地や農家さん、流通業者さんとのふれあいがブログ「野菜ジャーナリスト篠原久仁子のお野菜コミュニケーションな日々」に楽しく載っています。

皆さんもぜひ記事を楽しんでくださいませ。

さて、夏の疲れを解消し、明日からの2連登(投げるではない)に備えます。

篠原さん、シアワセな「お酢そわけ」ありがとう!

たまによろしくお願いします。


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一人で抱えているお悩みをアクションラーニングで解決!

2012年の6月からアクションラーニングのコーチとして活動しています。アクションラーニングとは⇒コチラ
月に1度、アクションラーニングによって、個人が抱える問題を対話で解決する会を開催しています。
アクションラーニングでは、問題を持つ方が問題解決できるのはもちろんですが、グループメンバーも提示された問題を自分のことのように考えながら、チームビルディングや自らのコミュニケーション力向上やリーダーシップなどについて振り返り、学ぶことができます。
◆最新のスケジュール◆
確認・お申込みは、告知サイト「こくちーず」より⇒コチラ