Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

登米の醤油まころん

2014-02-25 20:01:21 | 東日本大震災のこと
仕事の帰りに池袋の宮城ふるさとプラザに立ち寄りました。

石巻の白謙蒲鉾店さんの白謙揚げ狙いで行ったんだけど、ない…

ガックリ(涙)

気を取り直し、店内を物色し、もしかしたらあるかなぁと期待していたのが、

宮城県登米市にある海老喜商店さんの『醤油まころん』。



以前、震災復興のイベントで購入してファンになりました。

落花生の粉で作られているようで、こっくりした味わいに醤油の風味。

原材料に、油脂が使われている形跡がありません。

普通ならバターとか使われていてもいいのに、なんで?

つ、ことは、落花生の脂分だけでこのコクを出しているのですね。

ウマシ…

あまじょっぱいスイーツ。
豆乳ラテに合わせるのが好きです。

もっと知られてもいい素朴な和のスイーツです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あんぽ柿から考えたこと

2014-02-23 20:53:24 | 東日本大震災のこと
干し柿なるものは、自分では買うものではないと思ってきました。
値段を見るとビックリするものも多いですし、いただくものというか贅沢品です。

そのわりに、食べ方のバリエーションが少なく、そのまま食べるとか、ヨーグルトに漬け込んでたべるとか。。。

しかし、この『あんぽ柿』は別格で、迷わずそのままいただきました。



昨秋、震災後初めて出荷が叶った福島のあんぼ柿。
鉢屋柿という大ぶりの柿を干したものかと思います。

トロリとし、柿の水分が閉じ込められフレッシュな味わいに唸ってしまいます。



うふっ、ウマし。。。

震災後、福島の果物は大変な苦戦を強いられました。いやもまだ苦戦中に変わりはないのだと思います。

震災直後、テレビで、木の幹に放射性物質が蓄積するという理由から農家の方々が木の幹の表皮を剥がしている様子を見た時に、本当に美味しいものが得体のしれないものに脅かされることが耐えられませんでした。

だからこそ、あんぽ柿の震災後初出荷のニュースを聞いた時は本当に「おめでとうございます」という気持ちでした。

福島産の野菜や果物について、私の周りでは最近はあまり話題になることがなくなり、自分の考えを話す機会もなくなりました。

なので書いてみますが、

私は福島産の食材の購入の際に、震災後ずっと基準として貫いていることがあります。

それは、

・安全とされているものに安心するかは自分次第だということ。
・データをどこまで遡って疑うかについても自分で決めること。
・福島への同情から商品を買っているのではなく、自分の意志で品質を他の産地の商品と対等に比較して選ぶこと。

同居する家族はいないので、あまり迷いはありません。

福島産=危険というラベルがもし社会にまだ根強くあるのであれば、「危険」って何を意味するのか?

仮に、危険が健康被害だとしますが、

私の人生で、今後自分の健康を害することがあったとしても、それは放射性物質とは関係のない別の病気である可能性の方が高いと思います。

婦人科系の病気なのか、脳血管系なのか、糖尿なのか、難病なのか?

それはその時になってみないとわからないけど、福島産の食材を食べたからだって後悔より、絶対的に「自分の不養生」を悔やむはず。

だったら、残りの人生、「今、ここ」を、本当に「美味しい」と思うものを食べて暮らしたい。

だから、○○県産よりも福島県産の方がおいしければ福島県産のものを食べるし、
福島県産より○○県産の方がおいしければ○○県産のものを食べるだけのことなんです。

社会全体に福島産のものを買って復興支援という時期もありました。
今も、私の根底にもそういう思いはありますが、今はどちらかというと本当に「買ってみたいな」と思う福島県産の逸品に純粋に惹かれています。

同情ではなく、福島のことを応援しているだけに、諦めずにおいしいものを作り続けてほしいなと思うのです。

東京に住む私たちにはたくさん商品を選ぶ際の選択肢が多くあります。
よく考えて買い物をしたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大槌町から見た海

2013-12-15 09:41:27 | 東日本大震災のこと
しばらくブログの更新が滞っておりましたが、その間にあった出来事を思い出しながら残していきたいと思います。

9月17日~20日釜石に滞在しつつ、仕事は大槌町に通っていました。

そこに広がる光景は、もう広大な空き地ばかりです。
被災地には、これまでも何度か訪れていますが、これが本来の姿であるはずもなく、
間違いなくあったはずのものが波でさらわれた爪跡です。

ダンプカーが出入りしています。
まだまだ瓦礫の山が残っています。

でも秋の大槌の海はこんなにもおだやかでした。



お食事を取りながら眺めるおだやかなこの三陸の海が、町と人々を飲みこむほど荒れ狂ったことが信じられないひと時です。

高台にある「さんずる屋」さんというお食事処では「いか」をたっぷりいただきました。



震災でダメージを受けた東北は、そもそも人を癒す場であったはず。

そこで働く皆さんも震災から2年半。
時間が経てば問題も形を変えながら生じているように見えます。

それでも地域のために明るくひたむきに働く皆さん。
どうか体を休めながら、自分を癒すことも忘れずにいてください。

と、痛切に思った3日間でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きるということ

2013-09-25 10:07:57 | 東日本大震災のこと
9月17日~20日と、岩手県大槌町で仕事をするために、隣接する釜石市に滞在をしていました。

到着したのは、深夜であったためその日はわかりませんでしたが、朝、ホテルで窓を開けると、そこはやはり津波で傷つきながら、少しづつよくなりつつある釜石そのものでした。

連日、午後からの仕事だったので、午前中、2時間ほど街中を歩いては、鉄の街:釜石の歴史や、自然、そしてまだまだ爪跡の残る津波被害の跡から感じる時間にしたいと思っていました。

もくもくと蒸気がたちこめる製鉄所の雄々しさ、おだやかな流れと抜群の透明度の甲子川。

おぉー、鹿がいる!



しばし「ぼーっ」と眺めたり、街中で市民の方に声をかけられてお話を聴く時間があったり、復興途中の住民の方々の様々な心の変化を感じたりもしました。

駅前には複数のモニュメントがありますが、その1つに釜石に縁のある「井上ひさし」さんが作詞をした歌碑が2つあります。

釜石小学校の校歌です。子供たちの合唱は⇒コチラ



そこには、よくあるその地域に広がるような景色は全く表されていません。
響いてくるのは、ただただ「生きる」ということ。

三陸という津波に襲われやすい土地であることや、東日本大震災を経たこと。

そんな背景から歌詞がいっそう力強く迫ってきます。

そして、ハッとしたのが、

この詩を読み、年を重ね生きづらさを感じることが多くなった今、生きることが身体から遠ざかり頭でっかちになっていやしないかと。

息を大事にする、収集した情報から真理を見極め、よく考え、自分で決める、はっきり話す、手と手を取り合う。
自分の考えや思いを人に率直に伝え、つながりあって生きていく。

それが生きることなんだ。

そうやって子供たちが津波被害を逃れ生き延びた釜石の軌跡についての対談⇒コチラ

改めてその徹底された防災教育は、命の教育であり、生き方・キャリア教育であると感じました。

短い時間でしたが感じること・思うこと・考えることが多い時間となりました。

様々な復興上の難題が早くクリアされますように。
あらためて心より復興をお祈りします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バァーバキッチンのキャンドル

2013-03-11 22:17:26 | 東日本大震災のこと
あれから2年。



引っ越しの荷物の中に埋もれてしまわないように別に分けて運んでいた宮城県東松島市にある通称宮戸島の室浜のお母さん達が作っているアロマキャンドル。

各地の力強い復興の様子に逆に励まされています。

負けないようにありたいと願い手を合わせました。

バァーバキッチンを初めとする宮戸島の情報は→コチラ

※この記事は、5月に入って3月を振り返って書きました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

被災地でのボランティア(4)-宮城県東松島市宮戸島-

2011-12-31 22:31:21 | 東日本大震災のこと
11,12月とブログを更新しておらず、とうとう大晦日を迎えてしまいました。

書き記しておきたいことはたくさんあるので、振り返りを兼ねて可能な限り書いてみます。

11月に3回目の宮城県東松島市宮戸島に災害ボランティアにうかがいました。
熱中症に気をつけながらの7~9月までとは違って、ようやくしのぎやすい天候のもとでの作業になりました。

今回は、高齢者の方々のゲートボール場の整備と、運動場に仮設住宅が建設されたため田んぼに代替の運動場作りをお手伝いしました。

掘り起こせば、際限なく出てくる大小の瓦礫を分別します。

可能な限り、小さなガラスや陶器の破片を取り除き、裸足で走り周れることを願って根気良く作業。

それにしても、きりがない。

それから、衣料品・雑貨品の展示とビンゴ大会は、ボランティア参加者全員が力を合わせて盛り上げ、楽しんでいただきました。

「久しぶりにこんなに大きな声で笑った」と言われて、仮設住宅では隣の部屋の人を気にして当たり前の感情表出ができないんだなぁ・・・と気づかされたり。

大学生の参加者が中心になってのカフェの運営やクリスマスリース作りの時間も、お喜びいただいたようです。

何かを創ることや美味しいお菓子や暖かい飲み物が緊張感を緩める上で、本当に欠かせないことなんだと、多くの笑顔を拝見して、しみじみと感じました。



しかし、今回、最も痛感したのは、「支援物資の質」の問題です。
衣料、家電製品、雑貨の質には細心の配慮が必要ということです。

届いた衣類などを現地で分類しながら思ったのは、被災地に送るのは「使わないけどまだ使えるレベルの中古品」では選択側には躊躇の表情が見られます。

仮設住宅の2間ほどの暮らしの中で、維持できる衣料・雑貨は量的に限りがあります。
個人的に、囲まれて元気の出るものは、新品に近い「質の良い品物」だと思っています。

そして、年配の方々の体型(ウエスト・腰周りへのゆとり)に思いが至っていないものや、雪が降る暮らしに適さないもの(ファー付のコート、ウールのロングコート)も、最終的にはお譲り先がないまま持ち帰ることになりました。

自分自身も以前、衣料品を支援物資にお送りしましたが、「バザーで現金化できるか?」が1つの自分の中での基準でしたが、「父母が着れるか?」って基準も必要だなぁと実感しました。

年内で、ボランティアセンターやツアーが縮小傾向にあるように思います。

我々のボランティアバスツアー企画者の方も、「大勢でお手伝いをする時期は一段落したかも」とのこと。

個人的な物資・精神的支援は引き続き必要なように思います。

ボランティア仲間の中には、形を変えながらも継続的にお手伝いをしている方が何人もいて、本当に頭が下がります。

他者の「他愛の精神」にこんなに触れた年はありませんでした。

また、近年、仕事や勉強会仲間中心のお付き合いが多かった中で、ボランティア活動で利害関係のない仲間ができたことも貴重でした。

頻繁にあったりすることはないのですが、facebookで近況を確認しながら、同じ思いが「振れ合う」ことを感じます。

いままでにない「つながり」を実感することができた年でした。

ボランティアを通して、被災地の皆さんのお手伝いがどれほどできたかはわかりませんが、足を運ばせていただいたことで、自分自身が多くのことを感じ、考え、行動し、学んだように思います。

被災地の方は、「忘れられるのがつらい」と仰いますが、個人的には全く忘れることなどできません。

阪神淡路大震災で被災された方が「忘れることも忘れないことも大事」と仰っていました。

そんな日々が、まだ何年も続いていくのだと思います。

地震や原子力の問題、水害など国内外問わず悲しい出来事が多い年でしたが、本当に考え、考え抜いたことが多かったです。

そして、生きていく上での大きな「見えない精神的な財産」を得たように思います。

これらを残りの人生でもっと活躍させて、来年はもっと自他共に元気になれる関係を作っていきたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

被災地でのボランティア(3)~宮城県東松島市宮戸島~

2011-09-23 20:39:49 | 東日本大震災のこと
久しぶりの更新です。
更新はできていないものの、あいかわらずの調子で、活動量はやや多めで推移しております。

特に8月のドイツ以来、長距離の移動が多く、東京に戻っては身体を休めてまた出かけていくという日々です。

災害ボランティアも継続しております。

7月の陸前高田に続いて、
8月18日~20日,9月16日~17日の2回に渡り、宮城県東松島市にある宮戸島を訪れ、復興のお手伝いをさせていただきました。

宮戸島は、日本三景:松島の中でも奥松島と言われる地区で、大変、風光明媚な景勝地です。

詳しくは→コチラ

島の一部は壊滅的な被害を受けました。
そして、まるで「楯」になったかのように、たくさんの方が訪れる観光地:松島海岸周辺を守りました。

震災直後、橋が崩落したため、自衛隊が道路を復旧させるまでは、内陸からの物的・人的支援も乏しく、復旧が遅れた地域の1つでした。

ボランティアバスツアーの主催者である、杉並区にある医療法人浴風会のケアスクールの服部安子校長(宮城県出身)が、被災地を数多く回る中で、この地区の支援が足りないのではと気づき、アプローチし、6月から継続して支援にあたっています。

服部校長の人柄、熱意、誠意によって、住民の方の心の距離も縮まり、あくまで地元の方にニーズに応えるというスタイルで、瓦礫撤去、海岸や家屋の清掃、名産の海苔工場稼働のお手伝い、除草作業などにあたってきました。

8月は、縄文村というコミュニティセンターの中庭の汚泥の掻き出しと水に浸かった民宿の室内や周辺のお掃除をさせていただきました。
幸い曇りの日となり、熱中症の心配はなかったものの、震度5の地震に見舞われ、住民の方と避難場所に避難しました。



9月は、日中は、強烈な日差しと高温で、熱中症を思わせる天気でした。私は、室浜・月浜地区の海岸付近の清掃を行いました。
他のチームは、海苔工場のお手伝い、支援物資のお届け、仮設住宅の皆さんと花壇づくりなどを行っていらっしゃいました。
そして、最後は、服部校長の働きかけに動いてくださったユニクロさんからの秋冬衣料2トントラック2台分の荷物のコミュニティーセンターへの搬入。

8月と比べると、宮戸島下水道が復旧していましたし、海に出て行く船も見かけました。
海苔工場が復旧したり、新しく海苔の菌を植え付けたりとうれしくなるような新しい動きにも出会えました。
8月にお手伝いした民宿の女将さんに会いに行ったらすごくお元気になっていましたし、1ヵ月前に蒔いた菜の花の種が芽を出していました。

そして、えびすさんが、多数、拾い出されていました。
さすが漁業の神様ですね。



その一方で、月浜地区の民宿が1件残して、相当なダメージを受け、フォークリフトで片付けられて行くのを間近で見て、こんな風にして名前のあったものが、簡単に瓦礫と化して行くのかと、しみじみとはかなさに耽ったり。

どんな思いで被災者の方は毎日この光景を見ているのか、半年経っても、自分が同じ立場なら、虚しさはぬぐいされるか多いに疑問。

また「国の方針が決まるまでは、この土地は何に使うかわからんから、大きいものだけ取り除いておいてくれたらいいからね」と、笑顔で言う区長さんでしたが、国政のもたつきが復興の遅れにつながっていることを確実に感じます。

しかし、大変うれしかったのは、月浜地区の民宿に泊めていただいたこと。
そして、仮設住宅にお住まいの女性の皆さんにカレーライスを作っていただいたことです。



このことは多分忘れられない記憶になると思います。

島の惨状から見れば、本当に十分すぎるほどのおもてなしだったと、メンバー一同、1品1品、感謝・感動しながら味わいました。

どれも美味しかったのですが、特に「サンマの塩焼き」、最高でした!
とれたてに近いものからは「強い気」を感じますね。

残った民宿あり、打撃を受けた民宿あり・・・

何が明暗を分けたか、科学的根拠を追及するなんて無意味と感じるほど、被害は一様ではありません。

今回、忘れられなかったのは、カレーライスを作ってくださった女性たちのイキイキとした姿。

様々な事情を乗り越え、民宿の女将さんたちが協力して作って下さったことと察します。

カレーの美味しさも忘れられませんが、挨拶をして別れ際の女将さんたちのすがすがしい笑顔に名残惜しさを感じてしょうがなかったです。

もっと一緒にいて、いろんな話がしたかった。

彼女たちの仕事は、女将としてもてなすことであったはず。

初めに、カレーを作っていただくことなど申し訳ないと思ったけど、「仕事」としてもてなしていただき、我々が「対価」を支払う機会はむしろもっとあった方がいい。

そんな時期になったのです。

最寄りの市場は復活しており、食材を仕入れることは問題なくなっているようです。

もしも負担でなければ、またカレーライスいただけないでしょうか?

現地に行けば、何かが「わかる」、何かが「かわる」。
応援しています。



岩手、宮城とうかがいました。
大好きな福島のこともずっと気になっています。

情報を集めながら、スケジュールを調整し、自分の持てるリソースの1部をムリなく末長く使っていけたらと思っています。

たくさんのことを感じ、学ばせていただいているような昨今です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

AEDのこと

2011-09-03 13:51:54 | 東日本大震災のこと
9月1日は防災の日でした。

あいにく名古屋に出張しており、訓練とは全く無縁の1日となりました。
それでも、震災以降は、自分でも備えを真剣に考えるようになってはいると思います。

6月に受講したハイキングリーダー養成講座のカリキュラムに救命救急の内容がありました。

私の社会人生活はフィットネスクラブのインストラクターとして始まっており、その頃はCPR(心肺蘇生法)は昇格昇級には必須でした。

あれから仕事は変わり、人命救助とは縁遠い生活となっておりましたが、震災以降は、何かあった時は、助ける側にもなりたいと思い、8月の最初に小見山やすはる議員よびかけのワークショップで復習を行いました。

詳しくは⇒コチラ

新しく知ることもあり、忘れない為にも、繰り返し受講してみて良かったと思います。



さて、

退職から15年経ち、心臓マッサージだけでなく、心臓に電気ショックを与える機器:AED(自動体外式除細動器)が、普及し、お医者様以外の方も行えるようになりました。

小見山議員サイトによると、

アメリカのシアトルでは、住民の半数が救命救急にあたれるそうです。
心停止に陥った場合の救命率は日本の10倍です。

明暗を別けているのは、市民の初期対応力です。

私自身は、どれくらい冷静に対応できるかは未知ですが、イメージトレーニングはしています。
しかし、トレーニング用の人形とは違って、実際は「汗まみれ」「血まみれ」だってこともあるし、道端で汚物にまみれている場合だったあるんです・・・。

そうは言っても、人工呼吸の際に使用する感染予防のフェイスマスクは携帯するようになりました。

多くの方が、心臓マッサージやAEDの使用ができるに越したことはありませんが、できない方でも、協力を依頼される場合があります。

それは、「救急車の手配」と「AEDの調達」です。

もしも、現場で救急車の手配を依頼された方は、もし可能ならば「公衆電話」からの電話がいいでしょう。発信箇所の特定が容易になるからです。

「AEDの調達」を依頼された場合は、「交番」や「駅」「大型商業施設」の多くに備え付けがありますので、取りに行ってください。



今年は尊い命があまりに多く奪われてしまいました。

助けられる命があるなら、助ける側に回りたいと思っています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誓いをわかちあう

2011-08-07 22:49:01 | 東日本大震災のこと
今日は、久しぶりに家でのんびりしておりました。
暑い日でしたが、午後からは西武池袋線が停まる程の落雷と豪雨。

登壇のない暑い日は、午後からコーヒーショップで仕事をしているのですが、今日は休日ですし、久しぶりにテレビで高校野球観戦。

昨日のスポーツニュースで、見覚えのあるスカイブルーのアンダーシャツの球児が選手宣誓をしているのをチラッと観て気になっていました。

朝調べると、やっぱりわが故郷、石川県の金沢高等学校。

私が高校生の時には、今の金沢高校の岩井監督が選手宣誓をしており、あれから24年も経ったんだなあとちょっとしみじみしておりました。

どんな選手宣誓だったのかと、youtubeで画像を探しておりましたら、素晴らしい宣誓でした。



堂々としながらも、愛が滲む宣誓です。

この宣誓を、彼らのだけのものにしておきたくはないですね。

そして、私たちが生きる未来は、彼らと共にあります。

金沢高校は、久しぶりに快勝し、2回戦に進出。
そして次の対戦相手は、聖光学院(福島)。

今日の花巻東の帝京との一進一退の闘いぶりの粘りと気迫、目が離せませんでした。
そして、同じ被災地の方々への心意気も一途で胸を打ちました。

自分の成長と誰かの何かのために集中し、持てる力を出せる夏になりますように。

お読みいただきありがとうございます。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

被災地でのボランティア(2)-陸前高田市-

2011-07-22 20:50:07 | 東日本大震災のこと
先日、まずは被災地に行く際の装備を中心に記事を書きました⇒こちら

個人的に連絡をいただいて、どんな手段で現地に行き、どこに泊まり、何をしたのか、などなど

色々質問があったので、装備以外のことも書き記したいと思います。

基本的にボランティアの経験が乏しい私でしたので、自分が行って迷惑にはならないのかが気になりながらも、考えを整理しながら、6月に入って決めました。

東京という地の利、労働に耐えうる体力、融通の効く働き方、プライベートで自由になる時間の多いことなど、私には現地に行くための条件がかなり揃っているのです。

6月は長距離の移動の仕事が多く、また土日も何かしら予定が入っており、残念ながら、暑さの厳しい7月になってしまいました。

当日も登壇を終え、荷物を取りに家まで帰り、震度4の地震に見送られての出発でした。

私は旅行会社のツアーに申し込みました。

参考にしたのはコチラ⇒「助け合いジャパン」ボランティア募集状況

東京-陸前高田間の高速バス往復・宿泊1泊・昼食2回・夕食1回が含まれるツアー代金は19,000円です。

参加者の男女比ですが、このツアーは半々ぐらいでした。
私が思っていたより女性が多かったですし、女性の方が多いツアーもあるとのことでした。

力仕事が多い中で、やっぱり昨今の『女子力』の強さを感じずにはいられませんでした。

旅行会社の添乗員の方が、現地で作業を指示してくださいました。
仕事は、地元の災害ボランティアセンターであらかじめ割り振られていて、それに従います。

私たちは、畑に堆積した土砂を掘り起こして、埋まっている瓦礫や生活用品を分別していく仕事でした。

私が多く見つけたのは、瓦、コンクリート片、レコード・CD・ビデオ・テストの答案用紙、食器などでした。名前が入った体操服は、持ち主に戻る可能性もあるとのことでした。

高台へとつながる斜面を駆け上がった津波が運んできたものたちでした。
そこには、あの日の生活が眠っているのでした。

作業中の様子は、個人参加のツアーなので、最初は、個人で黙々と作業していましたが、少しづつ共同で作業ができるような雰囲気ができていきました。

20分作業をして10分休む。そして10時から14時までの作業時間。
正直、かなり不全感が残りました。(私に限って言えば)もっとやれるのに・・・

しかし、熱中症で現地のボランティアセンターの皆さんにご迷惑をかけるわけにはいきませんので、要請に応えます。

前日に、点滴が必要なボランティアの方が出てしまい、車で2時間かけて病院に運ばれたそうです。こういうことは絶対に避けなければなりません。
(とにかく自己管理・自己統制です)

作業を終え、宿泊した温泉は、花巻市にある渡り温泉という立派な温泉宿でした。
陸前高田からは、バスで2時間以上の要しました。

多くの方が仮眠にあてており、バスの中は、比較的静かでした。

温泉・食事ともに素晴らしく、ここでは観光客です。

私も含め、参加者の大半が後ろめたい思いがあったようです。

しかし、震災によって観光客が減った観光地で、観光客として寛ぎ、サービスに見合った対価を支払うことは、決して悪いことではないと感じました。

雇用の維持や拡大ためには、売上げ・利益を上げていくことが不可欠です。
企業を存続させ、納税していくことも復興には欠かせない行いです。

翌日も、2時間ほどかけて陸前高田に行き、作業。
帰りは盛岡まで行き、途中のつなぎ温泉で汗を流し着替えをし、市内の料理店でオプションの夕食をいただきました。
バスの出発までの時間は、仲良くなったメンバーと盛岡八幡宮へ行き、復興を祈願しました。

東京についたのは6:20ごろ。
残念ながら、なでしこジャパンの勝利の瞬間を見ることはできませんでした。

疲労が、思ったより少なかったのは、バスの中、旅館で良く寝れたことだと思います。

多分、また行くと思います。

少し涼しくなってからとも思ったのですが、「やれる人」が「今、必要なこと」を「今、手伝うこと」に意味があるのだろうと思いました。

残念ながら、短時間で役に立てたという実感がない。

自分に向き合ったり、誰かが言っていることを前提に自分の行動にブレーキをかけるよりも、ゼロベースで自分の意思で行動してみたことで、もやもやしていたものがすっきりしたように思います。

そういう機会をいただいたのでした。

自分たちの行動は、被災地の方から見たらどう見えたのでしょう。
失礼がなかったかを振り返ります。

若干の心当たりはありますが、次回は自分を律します。

広範囲にわたって傷ついた被災地の1日も早い復興をいつも心から祈っています。

この先も、託された命を大切に、共に今を生きて行きます。

お読みいただきありがとうございます。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

被災地でのボランティア(1)-陸前高田市ー

2011-07-18 20:22:20 | 東日本大震災のこと
最近すっかり、ブログの更新をさぼっておりました。
仕事以外での体力の消耗をなるべく減らして、省エネ行動をとっておりました。

実は、7月15日(金)仕事が終わってから、7月16日(土)・7月17日(日)と、陸前高田市に災害ボランティアに行ってきました。
タイミングとしてはこの時期にして、ようやく日程に余裕が持てたため思い切って。

壊滅的な被害の状況もその後の復興の状況も、報道や他の皆様が発信している通りなので記事には書きません。

むしろ、熱中症の危険のある7月~8月にたくさんのボランティアの方が現地に行かれると思うので、気づいたことを書き残したいという一心です。

旅行会社が行うボランティアツアーは、NGOやNPOのような団体とは違って、事前説明会がないので、すでにボランティアに行った方やインターネット上に流通する情報を自分で情報収集することがかなり重要です。

中でもこれからの時期に細心の注意を払うべきなのは「熱中症」。

現地のボランティアセンターの方のご迷惑をおかけしては本末転倒ですから、事前の体調管理や十分な装備に注意と肝に命じて準備をしました。

主に女性の方向けに情報提供です。
役に立ちそうな部分だけ、皆さまのご判断で活用してください。

◆体調管理:
私の場合は、この週は、睡眠時間をなるべく捻出し、念のため日課のランニングを減らして、体力を温存。
女性は生理が重い日は避けた方がいい。2日酔いなんて問題外。

◆移動:
多くがバスでの移動。リクライニング機能が十分ではないので、首や腰の負担を軽くできるようなエアー枕などがあると良い。
冷房で寝冷えやのどが乾燥しないように注意も必要。
私は耳栓持参で、往路もトイレ休憩以外はかなり寝れた方だと思う。車中はいかに寝るかが大切。

◆作業への取り組み方:
炎天下の作業では、7~8割ぐらいの力で臨み、決して頑張りすぎないことと再三注意があった。
監督者の指示に従い、勝手に仕事を変えない。決められた仕事を周囲との連携により集中して行う。

◆装備品について:
私は1ヵ月前から物色を始め1週間前までに調達完了。
8月の夏の休暇に行かれる方は、品切れのリスクに備えて早めに準備したいところ。
短期で行かれる場合は、当日・前日に作業内容を知ることになるので、なかなか装備品は決めにくいもの。
私は友人に勧められて、まずは最低限のものを『ワークマン』で揃えました。

◇帽子・ヘルメット:
作業内容によるが、この日の我々の仕事は炎天下での、土の中からの瓦礫(瓦、ガラス、日用品その他)だったので、帽子で十分だった。
炎天下で、物が飛来しないところでは、女性は農作業用の顔をすっぽり覆う帽子が最強だと思った。私は登山用のもので代用。首の後ろはガードした方がよい(ネックガードなどで)。
作業内容によっては、落下物が頭に当たることもあるのでヘルメットがあればベストとのこと。

◇服装(上):
熱中症・汗対策には綿100%より化学繊維の物が断然乾きがよい。
準備したのは、長袖の綿のシャツ(これしかなかったが着なかった)、軽量涼感系のTシャツ、アームカバー、ナイロン製(ビニール製ではない)のカッパ。
泥跳ねや粉塵がひどい場合は、カッパを着ようと思ったが、その心配がなかったので、Tシャツにアームカバーで作業。休み時間はアームカバーを外して風通しを良くした。
首周りは、汗・日焼け対策で日本手ぬぐいを巻く。
首を冷やすスカーフに冷却スプレーなどを吹き付けて作業をすると幾分楽だった。

サンバーンは心身に疲労をもたらすので、日焼け対策はぬかりなく。
休憩中は風通しを良くすることを心掛ける。

◇服装(下):
スポーツ用のロングスパッツにナイロン製のカッパを重ねばきしました(わりと快適でお勧めできる)。
カッパは透明のビニール製のはかなり蒸れるので断然ナイロン製がオススメ。

◇長靴:
オーソドックスなのは、踏み抜き防止機能のある安全長靴。
私は日本野鳥の会の長靴に踏み抜き防止インソールを敷いて使用。この長靴は折りたたみ式で持ち運びが楽でフィット感も良く、小回りも利くが、足に落下物がある時は全く無力。次回は何らかの対策が必要。

◇手袋:
厚めのゴム手袋を作業日数だけ準備しました(実際は1組で足りた)。
ガレキ運搬に備えて、合皮手袋(手首をマジックテープで締めるタイプ)も準備しましたが出番はありませんでした。
購入したお店の方にうかがったところ、重ねて使うこともあるとのことでした。

◇ゴーグル:
お店の人に勧められて、上下からの異物が入らないベルトで調整するタイプのものを購入。
顔からの汗がハンパではない。眼鏡タイプが快適なのは間違いはない。
コンタクト利用者は必須。眼鏡の上からできるものもある。

◇マスク:
どの作業場でも、活性炭入りの防塵・防臭マスクがベスト。
立体式のものと通常の蛇腹を拡げて使うマスク両方購入。
購入した立体式のベルトで調整するタイプでなかなかフィットせず、立体式でも耳に引っかけて使う物の方が私には合っていた。

上記踏まえて、ブログ紹介を目的とし撮影⇒コチラ

一番役に立ったのは、ワークマンの「クールワークハニカムTシャツ(Sサイズ)」でした。

◇その他:
防水透湿機能の雨具を持参。雨に備えて購入したが出番なし。

◆水分補給・食事

◇水:
1日に1.5Lは最低必要。作業場に入る前に自分で準備することが必須。くれぐれもボランティアセンターの方に補給してもらわないこと。
500mlサイズは、トイレ休憩に立寄る道の駅などでも購入できるが、2Lペットボトルをツアー集合前に持ち込み、携帯ボトルに移し替えて利用している方がいた。
自分で出したゴミも本来は持ち帰りたいところですから、次回は見習いたい。
ちなみに、ステンレスボトルに氷だけ詰めていったのが、帰宅後まで冷えていました。

◇塩飴:
消耗したエネルギー、流した汗によって失われたナトリウムやカリウムを補う飴を休憩時間に口にする。干し梅も活躍。

◇食事:
昼食を出して下さるツアーでは、残さずに食べる。現地の方も、不自由な食事の事情の中で調達して下さっていることを忘れない。

◆作業場への持ち物:
作業場には、最小限の荷物だけ持ち込む。小さ目のリュックやエコバック、ウエストポーチをバスから持ち出し、作業場の邪魔にならないところに置いて作業。ナイロン袋で包んでおくと安心。
絆創膏は必須、除菌用のウエットティッシュ、汗拭き用のウエットティッシュ(サラサラパウダーやメンソールタイプが快適)が便利。冷却スプレーは布に吹き付けて使うタイプが快適だった。

◆写真撮影:
現地の方がいる前での撮影は、心情に配慮して行わないこと。
人物・ご自宅内外がわかるものなどもプライバシーの観点からしないまたは許可を得ること。記念写真も場違い。
(私はバスの中から、数枚撮影しました。近しい友人への情報共有として使わせていただきました。)

取り急ぎメモに残します。

お読みいただきありがとうございます。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わりゆく支援

2011-05-30 09:07:49 | 東日本大震災のこと
今日は、これから山形に向かいます。

東北は、被害の少なかったところでも、被災者の受け入れ、直接支援など、同じ痛みを分かち合い、強く結び付いているのを感じます。

震災から80日経過しました。

政局の混迷を見ていると「何をやってるんだろうなぁ」とも思うけれど、震災発生後から、現地に足を運び、本当に必要な支援を世の中に募り「贈っている」方が、官民問わず多く頭が下がります。

また、身の回りにも、宮古や石巻へガレキ撤去にボランティアに行ってこられた方、公務員の方は、自治体の支援へ交代で行かれるなど、現地のリアルな話を聴くことが増えました。

そして、私も、拙ブログを読んで下さっている被災地の読者の方からメールをいただき、状況を知り、その地域で生きる覚悟に、何度も涙しました。

地震発生後、私も多少の募金を行い、支援物質を贈ったり、風評被害に惑わされない行動を心がけたり、今でも何ができるか探してはすこしづつ情報を集め、次の行動の準備をしています。

しかし、人間は忘れるものである。

そういう私も、自分の痛みにはいつまでも苦しむものの、震災直後に比べれば、被災者の方の痛みをすこしづつ忘れつつあると気づくことが増えました。

ある日の研修に神戸で被災したお客様がいて、昼食を共にしている時に「普通の暮らしに戻ることも大事」とおっしゃってくださいました。

「戻ること『も』大事」

戻ることも、忘れないことも両方大事。

「その時、その時、求められている支援」に、気づいたら、可能な範囲で自分の意思で行おうと思います。

実は、被災地へのボランティアの準備を進めているのですが、その中で気づくことは
「自分に何ができるか」も大事だけど「求められていることにいかに応えるか」も大事だということです。

なので、7月に『ガレキの掃除』に行くための準備を進めています。
暑い中、どうなるのか・・・

被災地の方にも、心配されましたが、可能な範囲で。

Twitterで、こんなプロジェクトが立ち上がっていることを知りました。

ふんばろう東日本支援プロジェクト

子供の言葉にうるっとくる・・・わかちあうことの尊さ。



個人の方々からの支援も続々と届いており、個人でも応えられるしくみになっています。
これぞ、きめ細やかな支援。

まだまだ物資の支援が必要な方が多いことを知ります。

ネットのニュースなどでも気になっていたのが、殿方にはわからないかもしれませんが、女性の下着:ブラジャーが救援物資となっていること。
コレばかりは、S・M・Lでは対応できないのですよ・・・。

エッ、シッテルッテ?

しかも、これから薄着の季節を前に・・・。

ジョセイノミナサンドウオモウ?

こんなプロジェクトも生まれています。

被災地に重機免許を!プロジェクト



LIFE311プロジェクト ~木造仮設住宅を被災地に~



ここに挙げたのは、ほんの一例ですが、様々な支援の輪が生まれています。

おととい連休前に知った「復興かきオーナー制度」に申し込みました。
焦らず、今までどおり丁寧に牡蠣を育てていただければ、リターンなんて何年先でも。

可能な限り、共に頑張らせてください。

お読みいただきありがとうございます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

決意のバラ

2011-05-09 17:30:19 | 東日本大震災のこと
昨日、仲間の1人に真紅のバラをいただきました。



『共に生き、託された命を生きる』と決意を確かめた日でした。

たくさんの力のある素敵なメッセージと優しさをいただきました。
これから、おすそわけをしていきます。

今日も読んでいただきありがとうございました



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

約束

2011-05-07 13:34:20 | 東日本大震災のこと
会津若松で、「飯盛山は、こっちの方向でいいですか?」と、私が尋ねた男性は、
原発がある大熊町から避難していらっしゃる方でした。

自分たちが使う訳でもない電気を東京に送電している福島の方から見て、
私たち電気を消費するだけの人間がどんな風に目に映るのか、思ったよりも早くその時が来てしまった・・・

『原発はいらん!』
『津波はしょうがねえとしても、原発は余計だ』

安全に絶対などないことへの失望と怒り。
交付金を受け取っているとかそういう問題では「折り合い」がつけられない恐怖や喪失。
原発停止となって、自治体の財政が悪化してもその土地で生きていく覚悟。

『原発に頼らなくてすむよう、東京で、使う電気をなるべく減らします。
また福島に来ます。くれぐれもお体大事になさってください。』

そう約束するのがやっとでした。

男性は、にっこり笑って、大きな声で

『気をつけてな』

と言って、私を見送ってくれました。

福島県は、東京の次に多く登壇してきた県です。
喜多方、会津若松、郡山、福島、白河、今年は南相馬、須賀川にうかがうところでした。

いつも優しく迎え入れ、講師になりたての頃から1つ1つ経験を積ませていただき、育てていただきました。

原発という1つ深刻な事情を抱える被災地・福島県と一緒に強くなりたいと思う毎日です。

今日も読んでいただきありがとうございました




猪苗代湖ズの『I love you & I need you ふくしま』



ふくしまの美しい景色満タン!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本ユニバへ支援物資

2011-03-19 14:58:49 | 東日本大震災のこと
東北関東大地震は、神戸の震災とは違って物資が圧倒的に足りないとのこと。
また、神戸の震災に比べれば被害を受けている地域が広範囲な訳ですから、支援のエリアも広範囲。

過去の教訓から「物よりお金」と言われていた震災支援。

私は、訳があって、募金は直接口座へする主義です。
したがって、今回は日本赤十字社のホームページからネットで募金を済ませておりました。⇒コチラ

しかし、阪神の震災と東北関東大地震は求められる支援が違うようです。

物資が圧倒的に足りないらしい。

ということで、電車で30分ほどで行ける「ちよだプラットスクウエア」へ、少ないのでありますが直接物資を持ちこみました。

すでに、皆さんも宅配便などを使って持ちこまれていました。



私が見たものは、

・若者、若夫婦が物資を持って列をなしていたこと。
・ボランティアの方々が実に気持ち良く迎えてくれたということ。
・多大な荷物の仕分けに四苦八苦しているということ。
・ボランティア説明会の会場が人であふれていたこと。

我が家からは、
新品のタオル16枚・カイロ18個・生理用品・缶詰め4つ・カレールー・カップ麺1個・カロリーメイト3つ、マフラー2枚・耳かき・爪切り



決して多くはないのですが、できることをしようということで。
正直、生理用品は判断に迷うところであった・・・が、ナントカなるよね

私が、現場に行って感じたのは、個人で段ボールでこまごま送るのもいいのだけれど、

できれば職場・町内会・各種グループごとに、集めた物資を、食品なら食品、日用品なら日用品などのカテゴリーごとにわけて梱包して差し上げると仕分けも随分楽になるのではないかと思いました。

状況は刻々と変わり、まとまった支援物資も届き始めていますが、今か今かと待っている方も多いはず。

不足物資はリスト化されています。⇒コチラ 
よくお読みになり、なるべく効率的に作業を進めていただけるように協力したいものです。

※ご注意※

19日午後の段階では、一時受付中止とのこと。
また、状況が常に変わりますので最新情報は⇒コチラ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一人で抱えているお悩みをアクションラーニングで解決!

2012年の6月からアクションラーニングのコーチとして活動しています。アクションラーニングとは⇒コチラ
月に1度、アクションラーニングによって、個人が抱える問題を対話で解決する会を開催しています。
アクションラーニングでは、問題を持つ方が問題解決できるのはもちろんですが、グループメンバーも提示された問題を自分のことのように考えながら、チームビルディングや自らのコミュニケーション力向上やリーダーシップなどについて振り返り、学ぶことができます。
◆最新のスケジュール◆
確認・お申込みは、告知サイト「こくちーず」より⇒コチラ