Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

疲れない体になる

2009-12-31 15:16:19 | 自分のおかたづけ
30日から金沢に帰省しています。

東京駅から越後湯沢までは久しぶりに「立ち」でしたが、ヒーリング音楽を聴きながら、読書に没頭できた有意義な時間でした。

今朝は、父の笑い声で目を覚まし、母と他愛もない話をしながら家事の手伝いをしておりましたら、

みるみるうちに雪景色、めちゃくちゃ吹雪いています。

金沢を離れてから、関西・関東と移り住みましたが、私にはこの北陸のWetな気候は肌にはしっくりくるもので、寒いながらも和んでいます。

さて、話は変わり、

11月から取り組んで参りました減量生活もようやく効果が現われてきており、お正月太りを避ければ、来春には目標を達成できそうな光が見えてきました。

何せ、「40歳メモリアルダイエット」のリミットは残り5ヶ月です、

前半は何も手がつかず、むしろ「人生Max体重」を記録してしまった私は、後半で挽回するしかないのです。

今年も、研修のハイシーズンは随分あたふたしました。

同程度の仕事量をこなす仲間と話をし、疲労度に話が及ぶとやはり似たり寄ったりの状況のようで、慰められたのはつかの間、

同じ傷を舐めあっている場合ではないやろ・・・

昨年よりは、睡眠時間を増やすことはできましたが、登壇とその準備、報告書の作成に追われ、週末に寝だめをして、準備で終わる休日の繰り返し中で、

私自身の放電量に見合う充電はなかなかできていませんでした。

ふと思ったのは、この感覚は何かに似ている・・・

合宿、トレーニング、練習、練習試合、移動、試合・・・

これって、大学時代の春・秋のリーグ戦の時期と同じやん・・・

私は、ここ数年、全く体を鍛えていないです。

健康の維持増進とか、ウエイトコントロールとか、その程度のことも長続きしないのも不甲斐なく、

4年前から走りたいと思いつつも、いまだ習慣化していません。

そんな状況を断つために、
実は、12月からはフィットネスクラブで汗をかいています。

20代半ばまではハードなトレーニングを積んできましたが、今は、女性特有の体の周期にあわせて、時間を決めて冷静にトレーニングしています。

十分な大人になって、精神的疲労にフォーカスがあたりがちな昨今なのですが、ホントのところそれを支える体がなってないんじゃないの?

疲れない体になることが、来年を元気に過ごす上で必要なんぢゃないか?

ってことで、真面目に鍛えることにしました。

トキニハ、ドエス・ドエム、ヒトリフタヤク・・・

1年間、頑張ってくれた自分の体に感謝しつつも、新しい年の自分に期待をしながら、今年の最後は来年への抱負です。

皆さんも、1年間、それぞれのフィールドでお疲れさまでした。
しんどいことも多い昨今ですが、みんなで乗り越えていきたいですね。

どうぞ、来年もよろしくお願いいたします。

皆様も良いお年をお迎えくださいませ。

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婚活に思う

2009-12-27 16:56:17 | 自分のおかたづけ
クリスマスの夜、かんくろうさんと阿佐ヶ谷でご飯食べました。

海晴亭(阿佐ヶ谷店)

かんくろうさんは、4歳下で、出会ったのは6年前、同じ勉強会つながりでプライベートでもしばしば気晴らしの時間を共にしています。

(かんくろうさんは女性です)

仕事の話から入り、お互いの悩みを話しながら、仕事のヒントをお互いが得ながら時間が経ち、この日の話は、婚活について。

私は、すでに「離活→婚活」のひととおりの流れを経験しており、昨今は婚活を休止しておりました。

婚活という言葉が、社会に認知されたのは、2007年11月だそう。
私の最初の婚活は、それより前のことで、ネットのサービスを使った活動でした。

当時はまだ30代だったので、メールを通じて男性と知り合うことに困ることはありませんでしたし、実際、その後1年ぐらいお付き合いしていた男性もいました。

しかし、今は同じような活動をしようとは全く思いません。

最近は、婚活バーや、お見合いパーティーなども花盛りで、皆、得体の知れない何かに駆り立てられて、パートナー探しに躍起になっています。

出会わなければ始まらないのですが、
さりとて出会いさえすればいいという問題でもなかろう・・・

私は、結婚には過度な期待はありません。

今、自分の精神的なコンディションはすこぶる良い為、このままの状態がしばらく続いてもよいとも思っています。

しかし、コンディションが悪い時の恋愛には、何か大切なことを見誤るような気がしていて、それだったら、自分が安定している時期の判断の方が、自分を信頼できるんじゃないかと思ったりしてます。

無期限という訳にはいきませんので、比較的、運気が良い、来年、再来年ぐらいを目処にしてはどうかと思っています。

(いちおう、年明けに占い師の先生に見てもらいますけど)

では、なぜ結婚するのか?

テレビ番組の婚活中の方へのインタビューで聞かれる、「このまま一人だと、老後か心配だから」とか「一人より誰かといた方が楽しいから」とか、一義的には私の口からは出てこないんです。

2人でいても心配なことものは心配だし、一緒にいても寂しい結婚もあるし、何よりも自由な独り身が長くなれば、共同生活は多少なりとも煩わしいモノ。

一回結婚に失敗すると、フツーに悲観論者いや現実的になります。

でも、今の生活があまりに自由すぎて、1人でできる成長の限界を感じてしまうのも確かです。

なんか言ってること、かなり悠長なんですけど、少々煩わしいことや、ドロドロとしたものも生活に必要でありますよ・・・

既婚者の皆さんにとってみれば、隣の芝生に放し飼いにされた独り身の女は、ストレス知らずとお感じになる方もいるかと存じますが、生きていく上で、適度なストレスは必要です。

えっ、それが結婚の動機?

案外、そうかもしれません。

あの、煩わしさが恋しいのです・・・

ネット上も含めて、結婚相談所・紹介所などのサービスは、年齢・職業・年収・学歴みたいなところからフィルタリングが始まります。

職業と年収は、昨今のご時勢、未来に向かって変動するものであります。

先の婚活で思ったのは、

条件先行型のマッチングサービスは、出会った後、相手がちょっと違うかなと思っても、私には案外リセットしにくいものでした。

(私の場合は、打算的な恋愛ほど悲惨な結末を迎えています)

最近では「婚活疲れ」という言葉も良く聴かれます。

データーベース上でマッチングがうまくいかなかったり、良いお返事がないことに悲観的になり、活動そのものに疲弊してしまう人も増えてきているようです。

幸せになるための活動なのに、なんで「死にたい」とか言うの?

今、結婚できなくたって死ななくていいから・・・ねっ。

かんくろうさんと話しながら、本当に出会いたいのはどんな人なのかと整理しましたところ、

社会がどんなに変わっても、どんな未来を生きたいのかはっきりしている人
そして、どんな未来であっても、共にサバイバル的に生きられそうな人、

あとは、

健康で、人と和睦でき、明るく元気で、仕事好きな人。

先日、友人に言われたのは、
「この年になって残ってる男女は、はるさんも含めて、大なり小なりの『曰く付き』なんだから(贅沢言わないの!)・・・」

そかっ(汗)

2009年12月25日 ジタバタしない無理のない婚活を開始することになりました。

一応、目を通しましたが・・・私も明るい難民です!

【婚活最前線】結婚できない男と女 1/5
【婚活最前線】結婚できない男と女 2/5
【婚活最前線】結婚できない男と女 3/5
【婚活最前線】結婚できない男と女 4/5




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自己否定を絶つ

2009-12-27 10:27:57 | 自分のおかたづけ
サバイバルノート」を、ちまちまとつけながら思うことですが、私は、自分に対して、過度な要求をします。

書きながら、自分のあるべき姿が、「どんだけ立派なんや・・・」って思うことが、多少なりともあります。

つまり自分の「かくあるべき」っていうイメージが常時「背伸びモード」で映像化されている訳です。

たぶん、多くの皆さんも、大なり小なりともそういうところがあり、そのイメージに導かれて、行動を起こし、目標を達成したり、理想に近づく努力をしていくんだと思います。

「自分に期待する」って大事なエネルギーだと思ってるんですが、問題は、すんなりいかなかった時に下す自分への評価が、否定的であり、それを執拗に引きずる自分をどうするかってことです。

でも、それってみんな、そぢゃないのん?

っていうか、「類は友を呼ぶ」だからでしょうか、周りにそういう人が多かったからか、そんなことも疑わずにここまで参りました。

若い時と、比べるなら、体で具現化できることに少し翳りが出てきた感はありますが、問題はそれを適正に評価することなんですよね。

だいたい、過度に自分を否定している時の、自動的に性懲りもなく湧き上がってくる思考は、現実など冷静に見ていない・・・

自分しか見てなくって、目の前に広がる移り変わる環境や、相手の立場や感情をよく見ていないし。

現実対応する自我状態の成人(A)に自分がいれば、それは否定ではなくて、ただ冷静に自分を評価して、また新しい「自分PDCAサイクル」を回すだけのことなんだろうと思うんですよね。

自分を「適正に評価するモード」に自分を切り替えること。

口で言うのが簡単なことを、そのまま言い訳しないでシンプルにやること。

嫌な状況を断ち切って、今に集中できる自分を取り戻すイメージを常に持つことで、自己否定を断ちます。

今は、こうして自分を俯瞰することができる穏やか時間を過ごしていますが、渦中にいる時に実践している自分を発見できればと思います。

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サバイバルノート

2009-12-25 12:35:39 | 産業カウンセリングのこと
さて、クリスマスですぅ~♪

私は、あいかわらず、色味のない毎日を過ごしておりまして、22・23日と、自分自身が受講者となってのインプットに出かけてきました。

22日は、我流になっており、楽しさも集中力も実感できなかった「マインドマップ」を何とかしたく基礎講座に。

23日は、「認知行動療法ステップアップ講座」の2回目に。

認知行動療法は、10月から3月まで継続して7回学ぶのですが、効果を上げている心理療法だけあってとても学び甲斐があります。

しかも、かなりシステマティックな心理療法です。

手順やツール、クライアントに課されたホームワークを有効に機能させながら、短期的な解決を目指すものであり、精神分析的な療法よりも治療期間が短くなることが既に知られていますね。

また、うつ状態に陥る前に、その治療のエッセンスをセルフセラピー的に実践することができれば、多くの人がもう少し楽になれるのではないかと思っています。

かくある私も、現状では大きくメンタル面で崩れることはないのですが、それでもストレスがない訳ではありません。

私だって、憂鬱になったり、嫌な気分になったりもするフツーの人間ですし。

でも、そんな気分を断つには、ゆがんだ認知が生み出す思考をいかに現実に対応できる思考に変え、好ましい感情を自分で生み出していくか、

思考が変われば感情は変わるんですから。

自分の中で、自動的に性懲りもなく、繰り返され、根拠のないままに勝手に信じ込んでいる考え(「不合理な自動思考」)には、往々にして「推論の誤り」が含まれています。

推論の誤りとは→「認知のゆがみ

それを、「推論の誤り」を含まない「合理的な自動思考」に変え、成熟した自動思考が生み出す、心地よい感情を伴う行動に変えていくこと、

コレが、リアルタイムで気づいた時にすぐできればいいのに・・・

ってことで、成熟した自動思考にアクセスがスムーズにできるように、実際の治療でもクライエントのホームワークとして利用される非機能的記録表を「トリプルカラム法」で、私も実際につけはじめています。

あんまり書くことなさそう・・・とか思ってましたが、洗い出せば案外あるもんです。

「5カラム法」も紹介されていますが、実際には、あまり分析項目が多いと、ホームワークをしないクライエントが多くなるので、講師の先生は「トリプルカラム法」をおススメなさっています。




写真は、カラムは4つにアレンジしていますが、結果の欄を独立させただけです。
しばらく、自分の不合理な自動思考に気づいた時に、書きこんでいく予定です。

左の欄から「自動思考とその時の感情」「推論の誤り」「合理的自動思考」「結果(考え直してからの感情)」

服薬中の方や、治療中の方が我流で行うのは危険ですが、まだシビアな状態ではないけど、繰り返し陥る不快な状況を断ち切り、健やかに暮らしたい方には取り組む価値はあると思います。

今後ワークショップの中でも入れていきたいと思っています。

書くって大事です。
書き残していくことってさらに大事です。

講座の講師の先生は、このノートのことを「サバイバルノート」と呼んでいらっしゃいました。

危機から何とか生き残るためのノート??

治療中の方は、良くなりたい一心で書き入れていらっしゃることと存じます。

取り組んでいらっしゃる方々に穏やかな日々が訪れますように。

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素手でトイレ掃除

2009-12-20 23:34:52 | 自分にチャージ
衝撃的なタイトルにいかばかりかの読者の方がドンビキしたことと思います。

先週の水曜日、部屋と水回りの掃除を終えた後、最後にトイレを素手で掃除しました。

別に、思いつきでやったことではありません。

ハルサン、イッタイ、ナンノスイッチガハイッタンデスカ?

ずーっと前から、トイレを素手で掃除することを教育に取り入れる勉強会があることを知っていました。

便教会

「方法論や、技術論や手法ではなく、ただ身を低くして実践あるのみ」と

しかし、なぜそれがトイレでしかも素手なのか。

ずっと、わからなかったんです・・・

で、

自宅で、単独で、スポンジ片手に便器の中を素手で磨きました。

感想は、

「冷たい」

そんだけです。

自分では、便器を不浄のものとして抵抗があるかと思ったのですが、案外そんなもんです。

で、

磨きながらいろいろ考える訳ですが、なぜ、これが教育に?と、問いがグルグル。
一人で、狭い個室の中で、磨いていても気づくことは少なくって、堂々巡りです。

でも、身を低くすれば、今まで見えなかった汚れが見えてきて、ブラシでは届かなかった溜まった汚れが落ち始めたころ、

何だか、満足に食べたり排泄したりという当たり前のことができていることが「しみじみ」とありがたくなってきました。

「自分が生かされていること」への感謝とでもいうんでしょうか・・・

そういうことなのかな?・・・素手でトイレ掃除をする効用って。

感じ方は、人それぞれ違っていていいと思うのですが、私が感じたのはそういうことです。

終わった後は、たっぷりの石鹸の泡で優しく手を洗って、ハンドクリームを塗りながらマッサージをしながら感じたことは、

自分への労りや自愛
(最近、自分に甘いんで・・・)

忙しい時って、顔以外に「お手当て」することって忘れてしまいますのでね。

ついでに自分へも感謝しとく。

偶然にも、先日の「『致知』読者の集い」には、(株)イエローハットの鍵山秀三郎相談役がいらしていました。鍵山氏は、掃除の実践を通して会社を成長に導いてこられた方として名の知れた経営者です。

鍵山秀三郎「一日一話」―人間の磨き方・掃除の哲学・人生の心得
鍵山 秀三郎
PHP研究所

このアイテムの詳細を見る


私自身は決して掃除や整理整頓が得意でも好きでもない人間だからこそ、実践しなくてはと思うのでした。

この12月は、「実践」を見直す月です。

カリスマ主婦の人なら、便利な道具を使ってちゃちゃっとトイレをキレイにするんでしょうけど。

何かと、やってみないと気が済まない性分のようです。

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修身教授録を読む

2009-12-19 22:07:38 | おすすめBooks
今日は、午後から、「『致知』読者の集い~『修身教授録』に学んだこと~」に行って参りました。

致知』とは、人間学を学ぶ月刊誌です。
多分、同年代の方で購読している人は稀有だと思います。

購読していながら言うのも何なんですが、『致知』のコンテンツは私には高尚すぎます。

出版社の社員さんからの勧めで購読したはよいのですが、毎月毎月ポストに入った雑誌を開封するのは後回し、内容も決して味わって読めている訳ではない、

かなりの不良読者(落ちこぼれ読者?)です・・・

それでも、自分の内側の世界を鍛えるには何に触れておく必要があるのかを教えてくれることもあり、辛うじて目を通して3年目です。

12月に入ってから、読みたい本の筆頭に挙げていた『修身教授録』

修身教授録―現代に甦る人間学の要諦 (致知選書)
森 信三
致知出版社

このアイテムの詳細を見る


この本、教育に関わる人であれば一度は目を通してはどうかと思う良書です。

「修身」とは、「道徳」の授業みたいな教科です。

西田幾多郎先生に師事した後、研究職に恵まれず、師範学校で「修身」を教えた森信三先生の講義録です。

この本は飛ばし読みなどせず、じっくり読みたい。

本の字は細かく時間がかかりそうですが、基本的に口語体で書かれているため非常に読みやすいです。

私は学生時代、教育学部に在籍していたのですが、その頃の学びは、専攻教科の専門教育に偏っており、教師としての在り方みたいな授業は、教育原理ぐらいしか記憶していないし、読んだ本はルソーの『エミール』ぐらい。

実に、浅い学びでした。

西洋の教育論も必要ですが、『修身教授録』のような素晴らしいテキストがあるのを知らなかったのはとても残念なことです

師範学校の学生に向けた平易なメッセージですが、十分な大人になった私たちにも、轟くような至極の金言にあふれています。

私は、欧米の自己啓発本、中でもジェームズ・アレンの本を好んで読みますが、この本を読み進めながら、時空を超えて人が大切にすべき普遍的な価値を思い知ります。

一方で、日本人としての美しい習慣や精神を日々ないがしろにしていることも思い知ります・・・。

私は、今、社会人教育に携わっています。
実務や実生活に活かされる「思考と行動の変容」に関わる仕事をしています。

研修の進め方やお客様との関わり方は、お客様の要望によって、純粋にインストラクターだったり、ファシリテーターだったり、コーチだったり、カウンセラーだったり。

スタンスは、接客者としてのベーシックマナーを守りながら、その時、その時、流動的に変わってしかるべきと思っています。

その時々に発揮するスキルが違えど、そこには一貫した「在り方」があります。

自分自身、大きくブレることはないと思っていますが、仕事・プライベートと分け隔てることなどできない心の習慣を見直す1冊として大事にします。

エッセンスだけ、手っ取り早く、味わいたい方は、こちらの本を。

「修身教授録」一日一言
森 信三
致知出版社

このアイテムの詳細を見る


清廉な言葉で溢れたページを読み進め、軟弱な自分を正したくなりました・・・

上記、2冊、経営者や部下を持つ管理者にとっても必読とおススメ申し上げます。

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バカボンのパパに学ぶ

2009-12-16 18:30:45 | 自分にチャージ
今日は、午前中、都内のお客様を訪問した後、フリーでした。

新宿の書店を回遊して、コーヒーショップで仕事をして帰宅する予定だったのですが、以前から行きたかった、東京都青梅市にある「赤塚不二夫会館」まで行きました。



昨年お亡くなりになった偉大なギャグ漫画家を偲んで・・・なんてシンミリモードな訳もなく、なんというか、ただ思い切り「昭和のエネルギー」を感じたかったんです。

ナンヤソレ・・・

館内は、こぢんまりしていて、原画や写真、おなじみのキャラクターがわんさかです。

私は、特段テレビに噛りついて見た世代ではないんですが、再放送も含めて「天才バカボン」も「ひみつのアッコちゃん」も見て育った、アラフォー世代です。

ところで、

皆さんは「天才バカボン」が仏教哲学とリンクしているのをご存知でしたか?

私は、今年の2月にメンターである大野雅之先生に教わり衝撃を受けました!

実は「バカボン」は、バカでボンヤリの略語じゃなくって、お釈迦様の10ある別名の1つ「薄伽梵(バキャボン)」から命名されているそうです。

それから「レレレのおじさん」は掃除で悟りを開いた、お釈迦様の弟子がモデルになっているそうです。

そして、ナント、「タリラリラーン」にいたっては、チベットの経典の真言らしいですし、バカボンのパパの子供のハジメちゃんは、仏教哲学者の中村元先生ののお名前に由来するとか・・・

ムムっ、深い・・・博学すぎ。

それから、こんな詩も紹介していただきました。

赤塚不二夫さんが作者なんでしょうか?

出典がわからずに、どなたに許可を得たらいいのかわからないのですが、かなり癒されるので、引用させていただき紹介します。

--------------------------------------------------
わしは バカボンのパパなのだ
この世は むずかしいのだ
わしの思うようにはならないのだ
でも わしは大丈夫なのだ
わしはいつでもわしなので 大丈夫なのだ
これでいいのだと言っているから 大丈夫なのだ
あなたも あなたで それでいいのだ
それでいいのだ
それでいいのだ
わしはリタイヤしたのだ
全ての心配から リタイヤしたのだ
だからわしは 疲れないのだ
どうだ これでいいのだ
これでいいのだ
やっぱりこれでいいのだ   
-------------------------------------------------

「わしは大丈夫なのだ」

これは、「I am OK」つまり「自己肯定」ってこと。

「あなたも、あなたで、それでいいのだ」

これは、「You are OK」つまり「他者肯定」ってこと。

「I am OK You are OK with me」

交流分析で言うところの人生態度の第1の立場ではないかと。

自分も相手もあるがままに受容し、肯定し、信頼し、敬い、活かしあい、イキイキと自律している状態です。

心配は、未来への感情です。

自分一人では変えられない世の中を憂い、起きるかどうかもわからない何か危機的な状況を思い案じる時、私たちは行動を止めています。

「今、ここ」を生きていないんですよね。

全ての心配からリタイヤする・・・

私自身も、心配や不安を絶つことは苦手でした。

心配や不安って抱いていると、行動しなくていいんで、ある意味、楽です。
「時が解決してくれる」と状況が好転するのを待つだけなんで。

無論、そういう時期もあっていいと思うんですが、突き抜けたい時は、やっぱり行動あるのみです。

1つづつ年を重ね、私も昭和よりも平成を長く生きています。

赤塚不二夫さんの漫画を読んで、あのばかばかしさが収斂された吹き出し文字を見るたびに、

昭和の大人たちは、家族のために働き、景気の波はあれど青天井を疑わなかった経済成長期を支え、そして、屈託なく笑ったのではないかと思います。

時代は変わり、プラス成長が見込めない混沌とした世相の中、過去の延長線上に成功なんてなくって、周囲を見れば、皆がもがき苦しんで、傷つき、慰めあって生きているようなそんな気がするのは私だけではないと思います。

そんな中でも、笑っていいし、誰かを大事にしながら生きていくこともできるのに、何かのせいにして、他者に癒しを求めすぎてしまう。

自分を癒してくれる一番近くにいてくれるのは自分自身なのに。

(私自身は、多分、他者にも癒してもらった方がいい・・・)

他人に肯定されず、受け容れられずに彷徨う自分の魂を自分自身が受けとめなくって誰が受けとめるというのか?

私は、大丈夫なのだ
俺は、大丈夫なのだ と

バカボンのパパは悟っていたのですね。

肝心な時は、やっぱり自分を信頼して「私はOKである」と思って元気出して行きたいものであります。

どんよりとこの冬一番の寒い日でしたが、心はスッキリしています。

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喜びを稼ぐ仕事

2009-12-13 08:47:44 | 仕事のひとこま
昨日は、メンタリングの師匠・仲間と「夢(ドリーム)プラン・プレゼンテーション2009」を観覧して参りました。

福島正伸先生と情熱のあるスタッフのもと3回目を迎えたこのイベント→詳しくはコチラ

8組のプレゼンターのプレゼンテーションはそれぞれに心に響きました。
心が震えた個別の事業については後日の記事で少しづつ触れたいと思います。

そんな中で、自分にとってお土産になった言葉があります。

それは、プレゼンターの方のお一人が発した「喜びを稼ぐ仕事」という言葉です。

私は、日々Googleを使い、検索したり、Gmailを利用しているので、一日にたくさんの広告を目にします。

私の仕事は研修の講師である為、「1000万円稼げる講師になるために」という広告が頻繁に表示されるのですが、

私は、その広告の見出しを見る度に、いつも違和感を感じていました。

つか、もちろんそれだけが目的ぢゃないよね・・・

今は、勤め人時代と違って、現実の問題として働けば働くほど稼ぎは多くなります。

年間で、これくらいという目標の売上はあれども、営業活動は他社にお任せまたはご紹介でつながっており、今年1年はかなり人任せでした。

「稼ぐことは悪いことではない、むしろ稼いでいいんだ・・・」

独立する前に、お金のことについて「わりとまじめ」に考えたつもりですが、私は、元来「お金好き」ではないので、お金で幸せになることはあまり関心が持てず、ここまできました。

ブログに自分のお金の価値観を書くのも初めてだろうと思います。

で、

自分のお客様を頭に思い浮かべた時に、公言せずとも、受講者の方が、現状十分な実績や実力がないくせに「1000万円稼ぎたいと願う講師」と共に学んで喜びを分かち合えるだろうか・・・

私は、まだまだ自分に学ぶことが多いことを知っており、今年は年収の2割を自分に投資してきました。

投資額の確保のために、計算機を叩いた時期もありましたが、自分一人でできる仕事には限りがあり、お金で目標を決めることにあまり意味を感じることができませんでした。

売上は自分の影響度と比例します。

でも、喜びの総和であってほしいと思っています。

そんな時に耳に飛び込んだ「喜びを稼ぐ」は、確実に自分のミッションにフィットします。

独立してやがて2年、年間での繁忙のサイクルがわかりました。

1月から3月は、自分のコンテンツを育てる時期です。

まだ出会えていない皆さんと「喜び」を分かち合うそんな仕事を創造する今年の冬にします。

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収拾がつかない感謝

2009-12-06 00:12:18 | 仕事のひとこま
先々週、愛用のペンケースを紛失しました。
置き忘れの可能性のある場所はすべて問い合わせをしましたが、見つかりませんでした。

自宅の中でテレビのリモコンが見つからない私です。
ペンケースもひょっこり出てくるのではないかと思いましたが、見つからないまま週末を迎えました。

中には、筆記具の他に、決して紛失してはいけない記録媒体と印鑑が入っており、情報流失と悪用を想像すると、関係者に合わせる顔がなく、情報に部分的にロックをかけてはいたものの、自責の日々を過ごしていました。

ところが、数日後、奇跡的に拾得者と思しき方からメールが来ました。
先々週、出張で行った先の大阪の方でした。

拾ってくださったのは、JR大阪駅の券売機の前。

不信感よりすがる思いで、何とかやり取りを続ける中で、私のものであると断定された時、私は、泣いていました・・・。

これ以上泣いたら、翌日の研修、目腫れるから、涙、止まってよ、マジで。

この方が、東京にお越しになることを知り、直接お会いして受け取ることになりました。
お礼をしたかったのですが、メールの中で、「絶対にお礼などしないで下さい。」とあり、どうしたものかと思い、取り急ぎ、筆を取り、礼状を書きました。

結語は、語りつくせない思いを表す「不一」

こんな時に使うことになろうとは思いもしませんでした。

「失せモノが無事に持ち主のところに届くことは気持ちの良いこと」
「そのような快さを味あわせていただきお礼を申し上げたいくらいです」

この文章を見た時、年長の寛容な紳士であることを確信し、見ず知らずの方と、言葉を選びながらメールでやり取りをしていた緊張感がようやく緩みました。

今日、仕事の後、東京駅のホームでお会いした紳士は、目元が優しい、柔和な表情の大学の教官の方でした。

お礼状だけお渡しして、一旦、別れたものの別れがたく、再度お声がけをして、一緒にお食事をさせていただきました。

お互いの仕事のこと、日本の未来のこと、世界共通語としての英語について、豊かな教養に溢れた分かち合いの時間です。

それにしても、私はツイている・・・

こんな奇跡的なことが起きていいのか?

拾得物は届けても、書類の記入などなんだので、手間がかかるし、ペンケースなんて、警察や鉄道会社が真剣に探してくれるものでもなかろうに。

どんだけツイてんのやろうか・・・ワタクシ。

金品に換えられない厚意への報いは、同じように困った人に出会った人には、この紳士が私にしてくれたように心を尽くすことだと思っています。

この年になっても、不注意を助けてくれる人生の先輩がいます。
そうやって、支えていただきながら、私も誰かを支えていきます。

尽きることのない感謝の気持ちに収拾がつかない夜です。

不一

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沈まぬ太陽

2009-12-02 00:34:55 | 自分のおかたづけ
今日は、午後から映画を見に行きました。
予定外です。気分変えるためにです。

見たのは、「沈まぬ太陽」です。
原作は山崎豊子さんの小説で、映画も話題作。
でも3時間超えの大作ともなるとちょっと及び腰になっておりました。

とは言え、私には原作を読む根気強さはないので映画でみるべし、なわけです。

主人公の渡辺謙演じる恩地が、労組の委員長として辣腕を振るった後に続く理不尽な処遇に負けずに、正義を貫き続ける姿や、会社の上層部の腐敗しきった人間模様、中でも三浦友和演じる恩地の同僚:行天が出世と引き換えに悪事に手を染めていく姿の「悪さ加減」にかなり引き込まれてしまいました。

恩地が担当した御巣鷹山に墜落した飛行機事故の遺族対応。

この映画から、企業の社会的責任とかそんなことを語るのはナンセンス。

大企業の中で理不尽さと戦い、不毛と思える時間の中で、不屈の精神力で正しさを貫く主人公の想像を絶する強さに、些細なことに怒ったり、落ち込んだりする自分が恥ずかしかったです。

しかもエンディングで、

意図しないこと命を奪われるような絶望に比べれば、日々の理不尽さなど苦しみとは呼べないものである

みたいなセリフがあって、自分が日々苛立っていたり、自分勝手に落ち込んでいることなどホント、些末なことに過ぎないとため息です。

自分が過去に感じたことのある絶望感なんて、今は忘却の彼方です。

無論、主人公ほど強くある必要もない私ですが、ひとつ感じたことは、「正しさから逃げない生き方」を自分がしているかということです。

私は二値化が嫌いです。

正誤、善悪、強弱、大小、優劣などを明確にすることが嫌いです。自分自身が心を患って以来、白でも黒でもない中に自分を置いてきました。

それでもやっていける恵まれた環境にあるのです。
ただし、責任や影響度もそれに見合うものでしかありません。

この映画を見る前に、自分の感情が久しぶりに大きく揺れる出来事があり、いつになく率直に言葉を選びながら、多少厳しいやりとりをしなければならないことがありました。

オブラートに包みすぎてオブラートの味しかしないモノ言いじゃなくって、日々のトレーニングの成果として、なるべくアサーティブにと思うけど、冷静になればなるほど、案外冷たい私です。

でも、「正しいこと」は守らなくちゃ・・・

言葉を知らなかった若い時に比べて、今は伝え方を学び、わかちあいの力はついてきているはず。

時代は変わっているけど、普遍的に「正しいこと」って、やっぱあるじゃない・・・

不屈の精神とまでは言わずとも、譲れないものについては、ぶれずに貫く強さが実感できなかった最近の私です。

心の整理がついた3時間でした。

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