Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
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親の家を片付けました

2014-08-17 23:58:30 | 家族とのかかわり
今年のお盆休みは、ほぼ引っ越しをした実家の荷物の片付けに明け暮れておりました。

引っ越し前に色々捨ててきていたのですが、改めて古い物を処分をしたり、収納方法を変えざるを得ない荷物たちをどう収納するか、ほぼほぼ両親に代わって始末をしていました。

一級建築士で、設計だけでなく、インテリアや収納、介護環境について配慮したリフォームの達人となりつつある姉を総監督として進めて参りましたが、いろいろ勉強になりました。

それにしても、1週間。そんなに時間がかかるのかとお思いでしょうが、
田舎の家は、都会と比べて広いのです・・・

加えて母が捨てられない人なので、物の絶対量が多かったこともあります。

中でも、洋裁を実務・趣味としていた母の「布」の多さには本当に振り回されました。

布に関して言えば、母の意思はかなり尊重されたかと思います。
段ボール箱にして、20箱は堅く、6畳一間が母が捨てたくないものので占有されました。

本来は、親の家なので、親の意思で思うがままに配置したり、捨てる・残すを決めたらよいのだと思うのですが、

足腰が不自由になりつつある母がつまづかないようにとか、あるいは日常動作がなるべく容易にできるような高さにするよう物を配置したり、

いろいろ口出しをするのは、母としては気持ちの良いことではなかったかもしれませんが、ここは、なるべく元気で長生きしてもらいたいので許してほしいもの。

ただ、母が「できる」と思っていることの多くは、実際にはできなくなっています。

それを母自身が認めて行くのは難しいことかもしれません。

対称的に、父を見ていると「できる」ことを、失敗しないように慎重に丁寧にやります。
その点、父の諦めの早さや、小さいことには囚われない暢気で手放しの早い性格には助けられることも多くあります。

年をとっていくと引き算なんだなと勉強になります。

かくある私も、人生折り返しを過ぎ、拙速な言動が抑制され、多少なりともプロセスの濃淡を丁寧に感じられるような日々を送りたいなと思っているところです。

金沢滞在中は雨の日が多く、気温が極端に高い日はありませんでした。
夏嫌いの私には、コンクリートジャングルの東京に戻るのは、考えてしまうなぁ。

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親の家を片付ける

2014-07-10 22:07:46 | 家族とのかかわり
40年前に引っ越してきた実家を取り壊し、両親は引っ越すことになりました。

両親2人で暮らすには大きい家でもありますし、年相応に衰えても来ているのでよい小さめの家に移る良いタイミングではないかと思っております。
2週間前になりますが、実家に戻り、とりあえず最低でも自分の部屋のものは処分しようということで、捨てて捨てて捨てまくってきました。

カセットテープに、ビデオテープ、あと洋服、本・・・

アルバムはもちろんのこと、通知表、小学校時代の文集などは一応とっておきました。
あと大学時代の卒論関係とか、苦を共にした本は次回の断捨離まで残しました。

それから、高校時代に友達とやりとりしていた手紙。もう100%恋バナで、もう悶絶です。。。



まあ、いろんなものが出てきて、懐かしんでいても仕事ははかどらないのでとにかく捨ててきました。

しかし、自分以外のモノ、特に母の判断を要するものについては、バトルになりやすいのモノ。
しかし、ここ2年ぐらいに断捨離を段階的に行ってきており、母も今回は自分でも本を読んでモノへの執着を断ち切る努力をしたようです。
案外順調だったように思います。

娘と親の頭の中をすり合わせるって大事だと思います。
捨てる、残す、譲るといったその家庭ならではの断捨離基準を設定すると労力はかなり半減するように思います。

それでも、やっぱり母としても思い出の品もあるようで、意外だったのは、私たち娘の為に作った服を捨てようとしないこと。
私が小さい頃は、ほとんど母が作った服を来ていました。
これが捨てられないとは、今思えば、大事に育てられたんだろうなと思えて、柄にもなく涙ぐみそうです。

結局、姉と私の説得により捨てられることになったのですが、一部は残し、手芸品としてリメイクすることを約束して丸く納めました。

そうかと思えば、九谷焼の焼き物なんかは、「いらない」と遠慮なく捨てようとするし、



これは抹茶碗だそうです。
わびさびの世界にこんな華やかなお椀ってありなのか?
現代社会では、ちらし寿司とか海鮮丼とかにぴったりかと思うのですが。



茶碗とおちょこがそろい。
印刷なんてない時代だっただろうから、ひとつひとつ手書きでこれも捨てるのはなんだか惜しいから保存。



よくよく見るとちょっとモダンな感じの絵柄だったので、若夫婦さんに差し上げることに。

祖父の弟が、九谷焼の絵付け師だったこともあり、この手の焼き物が本当にたくさんあるんです。
わりとクラシカルな感じで、金沢ではもう珍重されるものでもないように思うのですが、東京では案外使えるのではないかと思ったら、
案の定!お友達から欲しいというご連絡が入りました。

ということで、めでたし。
いや、まぁわからんもんですわ・・・

こんな本が出ていました。

親の家を片づける―ある日突然、膨大な老親の荷物や家の整理と処分が、あなたの身に降りかかってきたら、どうしますか? (ゆうゆう特別編集)
クリエーター情報なし
主婦の友社


親の家を片づける 実践ハンドブック (ゆうゆうブックス)
クリエーター情報なし
主婦の友社


読んでおけばよかったかなと思いましたが、まあ、もういいや。
でもこれから親の家の処分を控えた皆さんには参考になりそうですよ。

皆さんがバトルすることなく、どうか粛々と作業が進められますように。

今回、私のドツボにはまった不要品は、金沢にある大和という百貨店の粗品の洗面器がいかにもセルロイド的だったこと。



限りなく40年前のものでしょうね、これは結構かわいいなと思っていたら、母に処分されてしまいました。

交わるには歩み寄りは必須です(汗)

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家族を考える

2011-03-01 15:29:22 | 家族とのかかわり
金沢から東京に戻り、羽田空港です。

札幌と那覇の出張の狭間に金沢の帰省を挟むのもどうかと思ったのですが、決行。

一昨年の末ぐらいから、盆暮れ以外にも2~3ヶ月に1度は、帰省するようになりました。
理由としては、加齢に伴う親の問題諸々です。

実家の両親の家から車で、5分もかからぬところに姉一家が住んでおり、普通以上に行き来もあるし、何かあった場合は、対応できることにはなっているのですが、負担がかかりすぎるのはどうかと日々思っております。

高齢期は喪失期であり、喪失したものを埋め合わせるには、人との関わりが必要になります。

特に父においては、失ったものを諦められない執念や、未だ満たすことができない飽くなき創造力に共感できる関係が必要なのです。

チチハ、テンシンランマンナコドモナノデ

そうは言っても、現実離れしたプランや過去の成功体験がそのまま通用する時代ではないことは、受け取りやすい表現で伝える必要があるだろうと思っています。

経験や個性の違い、男女の考え方の違い、母親との関係、新しい考えや環境の受け容れの程度などが絡むと、本来の父の願望を十分に尊重した支援はできておらず、

やや娘の願望の押し付けになっているような点もあり悩ましいところではあります。

ソンチョウシテイイコトト、ヨクナイコトガアル

姉は、有能な理系女子なので、テキパキと問題解決に向かうのはさすがです。

シカモ、シゴトハヤイシ・・・

帰省の度に、方向性や家族の気持ちを確かめているような感じです。

現状は、家族・家庭の問題はコレくらいで、このことに当事者意識がもてない自分ってどうなんだろうと思いながら、2~3ヶ月に1回の帰省のペースは維持されています。

個人的には、もう一度、新しい家庭・家族を持った方がいいと考えています。
いや、もっと真剣に考えた方がいいし、どう考えても、交友範囲が狭すぎるだろ・・・

そんな訳で、お昼のお弁当は、女子力を喚起すべく、ひな祭りモードで、



金沢芝寿しの「大人の雛ずし」で、再出発を誓う(何回目!?)

まあ、コレばかりは相手があることなので、とこんなところで今さら「草食ぶり」を発揮してどうする・・・

ちょっと落ちついたら、行動を開始します。

それは、いつや・・・

プチっとお願いします。


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父の思いを聴く

2009-09-09 23:27:13 | 家族とのかかわり
久しぶりに家族のことを書きます。
昨週末は、父が金沢から出てきておりました。

急なことだったのですが、数年前からは、できるだけ親のわがままには応えるようにしています。

父が脳卒中で倒れてから、10年以上が経ち、後遺症として言語障害が懸念されたものの、今では生活をするにはほぼ支障なく回復をしています。

でも、思ったことがすぐ言えるかというとそうではなく、たまに時間がかかる内容もあり、そんな時は言いたいことを「汲み取る」ことが必要です。

父の話をいつになく傾聴モードでゆっくり聴くと、これまでにない父の一面が味わい深く感じられます。

若いころは、「どうせこういうことが言いたいんだろうな・・・」ぐらいで聴いていたので、父の話を傾聴して初めて知る思いもあり・・・。

父と母は、まったく正反対の性格でありながら、来年は金婚式を迎えることになろうかと思います。

それぞれ、言い分はあり、それぞれが我慢したと思うのですが、身内ではたぶん努力賞の軍配は父に上がると思います。

母は、外的コントロールが強く、支配欲が高く、相手を正そうとする傾向が強いので、本来、天真爛漫な子供系の父は一緒にいて物憂い気持ちになるのです。

母にしてみれば、父が脳卒中の後遺症が残り、体の機能が不自由ならば、献身的になるのだと思うのですが、父は幸いほどほどに元気であり、母は自分と比べて楽天的で多少身勝手な父を50年経った今も受け容れられていないのだと思います。

この日は、そんな父の苦しみだったり悩みを私は聴いたのだと思います。

「父さんは、あと、5年ぐらいだと思う」

そっかなーー、もう少し生きそうな気がするけど、そうなってもおかしくない年やもんなぁ・・・

相続のことやどうしても父が遺しておきたいものへの思いなど、ゆっくり聴きました。
様々なハプニングに見舞われながらも、人生のラストスパートに向けて、しっかり帳尻を合わせてきた父です。

本音や本心は言わないけど、親として父ができることを、今までで一番たくさんしてくれようとしているように思います。

今月も金沢に帰る予定になっています。
母の話もゆっくり聴く必要があろうかと思います。

もっと若いうちにできればよかったのでしょうけど、親孝行はできるうちにしておきます。

電車の中では聴かないようにしています。



たまによろしくお願いします。

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喪失の時期

2009-06-07 16:38:12 | 家族とのかかわり
昨日のブログ記事に、共鳴してくださった同志のxc909119さんが、下記の曲をご紹介してくださいました。

そう言えば、どこかで話題になっていたのを聴いたことあったかも。

Youtubeの動画が続きます。

手紙 親愛なる子供たちへ - 樋口了一 -


感じ方はそれぞれだと思います。

個人的には、親になることがないかもしれないのですが、親が与えてくれたものをひとつひとつ思い出しては、やっぱりうるっときますね。

こうして皆さんと泣ける時間を共にできているのも何かのご縁です。

エリクソンは老年期を様々な喪失の時期と言っています
老年期は、心身の健康、経済的基盤、社会的役割、生きがい、子どもの独立、友人・配偶者との別れ、そして死など。

そんな折、母から何やら気になるメールが届いており、若干の物憂さを感じつつも、しっかり反応することにしました。

たまにお願いいたします。


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感謝

2009-05-28 19:53:02 | 家族とのかかわり
先日は、私のジャスフォーを祝い、mixiのメッセージやメール、お電話などたくさんいただきましてありがとうございました。

返信できていません。誠に申し訳ありません。
この場を借りて御礼申し上げます。

皆様、ありがとうございました。

独立してから、格段に「ありがとうございます」と言う機会が増えました。

多くの方の善意や好意・厚意で今の自分があることを本当にありがたく思います。

母は、私と喧嘩した時に、最期の捨てゼリフ的に

「自分ひとりでここまで来たと思いなさんな(←金沢弁で「思うなよ」って意味)」

と、よく言ったものでした。

乱暴な解釈をすれば、「誰のおかげでここまで大きくなったと思っとるんや。(親あってやろ)」と、なろうかと思うのですが、

それも素直にそう思えるようになったのも、年の功か?

・・・年の効果?

ちなみに、この日の私の母のこんな噛み合わないメールのやりとり。

私:「朝起きたら40歳になっていました。大きな病気もなくおかげさまで。まずはありがとう。」

母:「化学の力で誕生。5月の風は爽やかですか?婚活なども考えてくださいよ。」

化学の力というのは、当時、不妊だった母が排卵誘発剤とかそういうお薬を飲みながら、懐妊したことだと思います。

それにしても、3つの文に一体感のないこと(苦笑)

老眼と指先に届く神経伝達物質ののんびりさ加減と戦うシルバーエイジの努力の跡は十分感じますケド。

両親は、来年、金婚式のように記憶しています。
カナリ、快挙なんですよね、コレって・・・。

感謝とともに、驚愕を伴う、双方の忍耐力への敬意。
今はもう、元気ならそれでいいです。

それから、姉からはこんなプレゼント⇒加賀のユビヌキのチョーカー(姉のブログより)

金沢人の心意気を忘れるべからずですね。

古い女でございます。

たまにお願いいたします。


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十五の君へ

2009-03-04 20:25:34 | 家族とのかかわり
私の甥っ子は、今年高校受験です。

都会と違い、私立の進学校が少ない石川県地方では、多くの学生は県立高校が本命となります。

来週、受験日を控えた甥っ子のために、仕事先から「湯島天満宮(湯島天神)」に合格祈願に行ってきました。



さすが、天神さんですね。
何箇所もある絵馬の奉納場所は、すべて九十九折(つづらおり)になった絵馬で溢れています。



梅祭りの期間でもあり、たくさんの方が訪れていました。



周囲の反対を押し切って、私の母校を受験する甥です。

なぜ実力相応の1つ上位の学校を受験しなかったかは、私もわかるから。
むしろ、私の卒業した高校も案外ステキな思い出に溢れた学校で、叔母としてはちょっとうれしくもあり。。。

先月、電話をした時に、デリカシーのない彼の祖父母(私の父母)が、学校の先生からも勧められている1つ上位の学校を受験してはとしつこくダメ押しをする・・・なんてことをぼやいておりました。

周囲の期待に応えるべきか、と頭をよぎったのか?

「どうせ誰に何を言われようとも、受ける学校、変えるつもりないんやろ?」
「うん」

彼の母(私の姉)と甥の相性は極めて良く、私と同じ体育会系女子の気質を持つ姉にとっては、「男子」の成長には胸が熱くなることも多いようです。

自分もそうであったように、今は、結果を考えて不安になったり打ち消したりの繰り返しだろうと思います。

でも、答えのある問題に取り組めるうちは、そのことを全力でやればいいと思う。
大人になってぶつかる問題には、そう簡単に答えに出会えなかったりするから全力で生きることが難しいこともあるから。

そんな日々が続く彼をちょっと胸キュンで見ている姉を思い浮かべながら、同じ気持ちで聴きました。

アンジェラ・アキ「手紙~拝啓 十五の君へ~

自分の声を信じ歩けばいい・・・(涙)
なぜか15歳の時のワタシにありがとうと言いたくなりました。

そろそろ1回クリックをお願いいたします。

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母からの贈り物

2008-11-10 23:40:08 | 家族とのかかわり
先日、母と姉から宅急便が届きました。

何だか、食べ物ばかりです。その中身は、地元の食材と母親が作った栗ごはんと、雑貨類に紛れて、これ。



なんだか立派な硯と墨が送られてきたぞ・・・。

祖父から譲りうけた硯の調子がいまひとつ良くないので、学生時代に使っていたものを送ってほしいと母親にリクエストしていたのですが、

母はずっと面倒だと渋っておりまして、自分で購入しようかと物色していたところでした。

で、この硯は母の習っている先生に頼んで購入していただいたとのことです。

自分で購入しようと思っていた硯の3倍の値札が「敢えて」付いていました。そんなんわざと値札つけてよこさなくても、ちゃんと感謝しますから・・・(苦笑)

で、

珍しく、きちんと「ありがとう」って言いました

元来、我が家は道具類はきちんとしたものを使う家です。
一生ありがたく使わせていただく予定です。

土日も仕事で、曜日を振替えて辛うじてお稽古に行けるか行けないかって状況なのですが、

先生から展覧会用の練習をしてみてはどうかと言われて、自宅での稽古の時間が取れるかが心配で首を縦に振れませんでした。

でも、時間の使い方はこれから格段に変わると思います。

雑事を手放し、集中できる時間は大事です。

やることなすことだいたい批判的な母ですが、久しぶりに、積極的に支援してもらっている感じです。

たまにクリックよろしく。



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母とのバトル

2008-07-06 09:38:00 | 家族とのかかわり
多少は、母との戦いを上手く切り抜けられるようになってきたかもしれません。

年老いた親と口論になってもしょうがないっていう思いもあり、最近はさっさと切り上げます。

母は、私から見てありがたくないコンディションにある時は、過度な心配性、

案外強気な時は、支配欲に溢れ、強制や制裁を持って私をコントロールしようとする傾向がありまして。

まぁ、そもそもの原因は、母からすれば無計画のように映る私の行動と、自分の中で重要視していない、母との間の問題をすぐに解決しないという行動です。

そこが、母に襲撃される私の弱みなのです・・・・

前者に対しては、計画の全体像を語り、現状の立ち位置をきちんと話すことで理解は得られることになっています。

カウンセリングを学んでいるというのは母には好印象のようでした。
最近はとやかく言われることはないです。

しかし、後者に対しては、「ヤバイ・・・」と思った瞬間

「さぁ、とっちめてやる(この野郎)」モードでかかってきます。

「何で、できないんや」と、やらない理由、できない理由、を執拗に問いただされる訳なんですが、

私の回答は「何ででも・・・・」という概ね、母には到底納得がいかない回答なのです(汗)

要するに、そこに意識がいかなかったり、気が向かなかったり、今やりたくないというものすごい子供じみた理由なんです。

ことの大半は、だいたい5分から1時間ぐらいでできることです。

「北風と太陽」の北風に仮した母は、私の怠惰さを引き剥がしにかかるエネルギーを発します。

キターーーーーッ

で、自分がいかに困っているかを切々と訴えてくるのです。

まぁ、「きちんとしたいのにきちんとできない」状態になる訳ですから、わからんでもないのです。

いちおう、伝わっているかわからない謝罪の言葉は添えてはおるつもりですが

おばかなでノーテンキな娘を演じる私に母が呆れるパターンで、最終的にソフトラウンディングしようとする私が気に入らないんでしょう・・・

真剣勝負を真っ向から受け止めず、あいまいな態度なもんで(苦笑)

で、理由を問い詰め続け、期限を母が設定する・・・

まぁ、そこまでははいいのですが、

勝手に期限を決めて、守らないと「強制執行」をほのめかす

という傾向が最近あります。

家庭内裁判所か、家庭内警察署のノリでしょ、ソレって・・・・

それに付随して、カチンと来るような皮肉や小言を言ったりする時があります。

そういう時は、

「それは言いすぎや」「それはひとこと余計やね」「いやな気分になるね」

と言うようにしています。

幸か不幸か、母以外にいわゆる不快なストロークを投げかけてくる人とのかかわりが、社会人生活において少なかったんです。

周囲が、比較的、明朗で、暖かさに溢れているとか、思いやりを前提に率直であったことと、私が不快な刺激を受け取らない、受け付けない雰囲気を持っているか理由はいろいろあります。

故に、私は、不快さを浄化することに非常に不慣れだと思うです。
いや、私に限ったことではなかろう・・・・

ここまでたどり着くには、案外時間がかかったかもしれません。

とは言え、

長々と書いたところで、こっちが小さなことと思っていることが母にとってはとても大切なことだったりするという認識のズレに起因するイザコザなんです。

年を取ると失っていくものが多いと言います。
人それぞれだと思いますが、

何か反応があることでつながっている感覚を得る機会は、子供たちが巣立って減るのは確かです。幸い、姉の一家が近くに住んでいますが、

アウトローな次女はいつまでも心配なのだろうと思います。

悪い虫がつくのを心配しているようですが、40を前に、個人的には虫のひとつにでも刺されたい感じです♪
(いや、刺したい!?)

家に電話する機会は、少しづつ増えてきたかもしれません。

ノーテンキな娘を演じるより、きちんと誠実に一言一言に応えることが大切と反省をしております。

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母の鬱の後

2008-07-05 08:45:35 | 家族とのかかわり
そんな、土に触れ合う楽しさを教えてくれた母ではあります。

最近の母は、

10年ほど、服薬しながらも鬱々とした日々を過ごした後、どんだけテンション高いんやって・・・日が続き、

姉が、一時「躁状態」だと懸念していた時期もありましたが、軟着陸したようです。

彼女の鬱々状態を晴らしたのは、母の従姉妹の「くよくよしなさんな(金沢弁です)」という激励でした。

多分、それだけでなく、もっとやりとりがあったものと思われます。

「鬱の人に激励は厳禁」という常識を逸脱した、娘からすれば衝撃的な発言・・・。

母曰く「昔は、私があの子にそう言ったもんやのに」と

逆転した立場が苦しかったのか、昔の自分を思い出して、自分の「やれる感」を思い出したのか、

それがスコーンと長いトンネルを抜けたひとつのきっかけでもあったようです。

今では多くはないものの年金を片手に、体を動かしたり、近所の温泉に出かけたり、すっかり外向きの生活になっています。

昨春は、重い荷物を持ち歩きすぎて、股関節の骨にひびが入るという「躁」状態が繰り出すハプニングから、杖をつく生活になっていましたが、先月、帰った時は不要となっており、

「健康の道(街を横断する遊歩道)にアカシアの花がきれいに咲いとるよ」

と、余裕綽々の口ぶりで、散歩も楽しんでいるようです。

ここ数年は土をいじることもなかったと思うのですが、

「ニガウリは簡単に育つよ」

と、余裕のアドバイスです。

68歳になったわけですが、田舎の方では、都会に比べてそんなに遊び場がある訳でなく、生活圏の自然の中でそこそこ健康に過ごしているようです。

母の日、父の日には、ネットで物色してちょこっとした食品やなんらかの消耗品を送ることにしています。

母への贈り物は


健やかなお肌のための石鹸[さくら蜜石鹸105g]

と同種の石鹸を詰め合わせてもらいました。

父への贈り物は、


★全国送料無料★大矢知伝承の味【金魚印】最高級手延べそうめん・ひやむぎ詰め合せ

これは、ここ数年来、私が毎年いただいている冷麦、絶品です!

自分のことで精一杯な時は、忘れていました。
ほったらかしにしてたことホント反省してます。

受け取り側は、金額の大小は問わないようで、精一杯選んで、続けて送ることの方が大切なんだろうなぁと実感します。

気持ちも贈り物も両方大事だなぁ・・・・

概ね、母のことで悩むことは少なくはなっているものの、母特有なコミュニケーションの傾向:仕掛けてくる悪い癖、それには、多少心を乱す時もあるのですよ・・・

まぁ、仕掛けられる私にも弱みがあるのですがネ。

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心からのお見舞い

2007-03-26 12:25:30 | 家族とのかかわり
能登半島の方で地震が起きたのはお客様からの電話で知りました。進物のお届け先が私の実家の近くだなぁと思いながら、注文を受けていたら

「ここは今、地震ですごいことになっているからねぇ、届くかしらねぇ」 と

人事部から地震のニュースの回覧が回ってきて、実家のある町もまた震度4でした。家族から携帯にメールが入っていて無事を知りましたが、震源地に近い輪島の方はかなり大きな被害に遭っていました。

震度6強って・・・・

被害は全壊・倒壊・陥没・亀裂など。
こんな時、自然とは情け容赦なく襲ってくるのですね。
ニュースを見る度に涙でウルウルになります。

テレビに映っているのは高齢者の方ばかり。市町村合併で今は輪島市になっているのですが、被害の大きかった旧:門前町(曹洞宗の本山:総持寺があることで知られる)は高齢化率40%に達しているとのこと。

新潟の山古志村の時と同様、健康に不安のある高齢者の方をはじめとして、ライフラインを絶たれ、余震に怯え、住み慣れた我が家を離れての生活、今後の生活不安など本当にストレスでいっぱいだと思います。

涙を流すお年寄りを見ると本当にこちらも悲しくなってきます。

海も山もという特徴的な地形に加えて、能登半島の先端近くです。神戸や新潟に比べてボランティアの方たちのアクセスも良いとは言えませんし、まだ受け入れ態勢もできていないとのことでした。

おそらく、今後、義援金を送ることぐらいしかできない無力な私です。

海は空の色を映し出します。
すっきり晴れる日の少ない冬の北陸の海も、夏空の下では、サファイヤのように青くなります。

『能登はやさしや、土までも』

暖かい人柄で溢れたこの土地に、暖かく、少しでも穏やかな日と笑顔が戻るように、心からお見舞いを申し上げます。


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ふるさとは

2007-03-17 08:47:15 | 家族とのかかわり
「ふるさとは遠きにありて思うもの」

とは、我が故郷・加賀の文豪:室生犀星の「小景異情」の有名な一節です。

お正月に風邪をひいてしまい、1年以上、実家に帰っていない為か、この一節がしみじみと思い出されます。

昨日、父が東京に出てきていたのですが、仕事の都合で会いに行くことができませんでした。
と、いうよりも父の無計画な旅の予定には合わせることができませんでした。

「あんたとこの父さんは、風のようにやってきて、風のように去っていく」と親戚のおばさんが言ってました。

確かに「お母さん、そう言えばお父さんは?」「さぁ~」みたいな我が家でして、知らないうちに消えて、知らないうちにお土産が机の上にのっていたりしたものでした。

父も年をとりました。

脳卒中で倒れてからというもの、1人で旅に出かけることができるようになるとは思いもしませんでした。「あと何回会えるかなあ」と考えると今回は会いに行かなければならないと思ったのですが、間に合いませんでした。

母は母で、ひそかに1人で東京に遊びに来ようと計画を立てているようです。メールによると平成版「東京だよ、おっかさん」をイメージしているようです。そう言えば、東京では母と会ったことありませんでした。

できれば父と一緒に来てほしいのですが、集団で行動できない父ですので、母だけでもせめてどこかに連れていってあげようと思います。

姉の家族は甥・姪とも「東京ってどんなところだろう」的好奇心も持てる年齢になったのかもしれません。

やはり来客用布団は一組は残しておかなくてはなりません・・・・(苦笑)

まとめて休みを取るのは難しく、ますます遠い実家です。
両親には会える時に会っておかなくてはならないと思う今日この頃です。

多くのことは望まず、とにかく遠く離れた家族には元気でいてほしいと願いつつ、
自分の健康にも気をつけようと思います。

何だか少しモノ寂しい気持ちを味わっています。

医療保険の見直しも検討中・・・
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血のつながり

2007-01-29 23:14:28 | 家族とのかかわり
昨日、産業カウンセラー試験の後、従姉妹に会いました。しかも初めて会うので、
ちょっと緊張したかも。

父は、戦中・戦後の混乱期に5人いた兄弟と離散しました。ですから戸籍上は祖父母の養子でひとりっ子です。

しかし、自分のルーツを戸籍を頼りにたどり、離れ離れになった兄弟と連絡を取り、かなり強引に血縁を手繰り寄せ、弟とは東京に出てきた時に何度か会っていたようです。

母親が異なる5人兄弟でしたが、父と弟は唯一、血がつながっていて、その弟の娘さんと訳があって会うことになりました。偶然にも、この日は父の弟(私の叔父)の命日。

私は父から、離れ離れになった5人の兄弟のことを度々聞かされていましたが、会ったいとこは何となくは知っているけど、

自分の父親のルーツはほとんど知らず、私が説明を加えながら、母から預かってきた若き日の兄弟の写真を手渡しました。

その叔父さんが亡くなった時、千葉での葬儀から戻った父の背中が本当に小さくて寂しそうだったのを覚えています。「本当に1人になってしまったなあ」とぽそっと。

(1人になってしまったって、あなたねぇ、娘たちともしっかり血がつながってるんですけど・・・)

それから、父には不思議なことが起きていて、まだ存命ですが、父母が京都を旅行した時に、東本願寺に立ち寄り「戒名」を作り、

その戒名の中に「成正」という2文字があるそうです。それを見た時に父は不思議な感覚に見舞われたそうです。
(ちなみに私は3歳の時に戒名いただきました・・・・)

後でその感覚を紐解くと、生き別れた兄と弟の名前の一字づつを取ったものだったことに気づき、あまりの偶然に母は身震いがしたと言います。

母は、親戚縁者には恵まれ、父の生い立ちを不憫に思う気持ちもあったのか、今回の私たち従姉妹同士の対面には力を尽くしたようです。そんなところはさすがに本家の嫁です。

父が行動を起こさなければ、息を吹き返すこともなかった血のつながり。金沢は血縁を大切にする土地柄ですので余計そうなのかもしれません。

今年は年男の父です。大きな病気で倒れながらも、そこそこ元気です。

父が好きな小説家は山本周五郎。父が愛読する小説から何か娘に語ることのなかった何かがわかるかもしれません。いつか私も読んでみたいと思います。

あまり考えたことのないことをしみじみと感じました。
時代は変わり、私は姉のブログで近況を確認する日々でございます。

何か心にひっかかったらぽちっとよろしく。



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暑中見舞い

2006-08-05 00:10:44 | 家族とのかかわり
今日は、少し早めに帰宅。ポストにハガキが入ってました。

暑中見舞いの第一号は、姪っ子(姉の長女)の「たま」からです。金魚のスタンプで、姉と同じテイスト、割り箸ペンで字が書いてある。

だいたい実家に帰ると、姉の家に一泊します。

毎度、実家同然で上げ膳・据え膳で爆睡させてもらってます。

最近のたまは、あまりじゃれついたりしなくなって、ちょっとお姉さんぽくはなったもの、しかし、いつまでも赤ちゃんクサイ顔立ちで、私ども家族をデレデレにしてしまいます。

ハガキには「ゼッタイにへんじ出してよ!!」って書いてあったので、はいっ、明日の仕事の休憩の時に書きます。

前回は確か、「手紙くれないと絶交!!」って書いてあったっけ。かわいい顔して、結構テキビシイ(笑)

ついつい従ってしまう叔母でございます。

なんであんなにカワイイんやろなーって、いつまでも「おばバカ」のワタクシです。いつまでも幼児のままでいいと思っていたのに、小学5年生になりました。

私は、あまりのカワイさに彼女に「たまぁ、もうそれ以上大きくならなくていいからね」って言って接してきました。交流分析で言う「12の禁止令」の「大人になるな」が影響しなけりゃいいんですけどね(苦笑)

でもでも、カワイイものは、しょーがないもんねーーー、許せ!
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3400グラム

2006-05-28 12:33:52 | 家族とのかかわり
誕生日に母から「3400グラム」という件名でメールが来た。
ピンと来た・・・それ生まれた時の体重でしょっ?

でもね、残念ながら、それ姉の生まれた時の体重なんですよねぇ(苦笑)。私はさらに大きな3700グラムの赤ちゃんだったのですよ。

母:「誕生日おめでとう。元気に育ってくれてありがとう。無理せず、過ごして下さい。」
私:「えーっ、今まで3700グラムかと思ってたよ」
母:「あなたが正解です。ごめん。タンスにへその緒があります、懐かしく見ました。」

そんなやりとり。私と姉は7つ違う。本当は男の子として生まれてくれば、本家の跡取りとしては安泰だったのでしょうけど、私が望まれて生まれてきたことを母は私と衝突するたびに、非常に不器用に伝えようとしてきた。

わかっているだけに、どんな気持ちで「へその緒」を眺めていたか、静かに伝わる気がした。
コメント (2)
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