『すべて彼女のために』をヒューマントラストシネマ有楽町で見てきました。
映画館の方は、シネカノンの後にヒューマントラストシネマの一環になったというので、ちょっとのぞいてみたいなと思っていたところ、先週号の『週刊文春』に掲載されたシネマ・チャートで、この映画についての評価が高かったことから、出かけてきました。
(1)はじめのうちはテッキリ“夫婦の間の純愛の物語”だとばかり思いながら見ていたところ、途中から、脱獄を巡るサスペンス映画としか思えなくなりました。警戒の厳重な現代の刑務所から脱獄することなど可能なのだろうかと、最後までハラハラドキドキさせられ通しでした。その意味で、すぐれたサスペンス映画と言えるでしょう!
冒頭でまず、出版社に勤める若い女性(ダイアン・クルーガー:『イングロリアス・バスターズ』での活躍が思い出されます)が、突然、上司を殺した容疑で有無をいわさず逮捕され、結局20年の禁固刑に服することになってしまいます。
ここで、“夫婦の強い絆”が映画のテーマだというのであれば、常識的には、彼女の国語教師の夫(ヴァンサン・ランドン)が、幾多の困難を乗り越えて、真犯人を見つけ出して妻の冤罪を晴らす、というように事態は進むのではないか、と観客は推測することでしょう。
ところが、この作品では、そんな悠長なことは言っていられないとして〔妻が絶望の余り自殺を試みることもあって〕、妻を脱獄させる方向に夫は一直線に邁進することになるのです〔なお、客観的な状況から2審でも控訴が却下されてしまい、裁判官から状況が厳しいと夫は告げられますが、そう簡単に結論を下せるものなのか極めて疑問です〕。
こうなると、すぐさま『板尾創路の脱獄王』を思い起こさせます。ただ実際には、その真逆をいくものではないかと思えました。
すなわち、『脱獄王』の方はコメディですが、こちらは真面目一本の内容です。また、前者では、服役囚(板尾)が脱獄を図りますが、後者では、妻の服役囚(ダイアン・クルーガー)はなかなか事態が飲み込めませんでした(すべて夫が黙って段取りをつけたため)。それに、前者では人は誰も死んだりしませんが、後者では正当防衛ながら2人の死者が出てしまいます。もっというと、前者では、ハンググライダーによる脱出ですが、後者では飛行機を使って外国に高飛びします。
確かに、妻を思う夫の熱い心があったからこその脱獄ですから、夫婦の絆を巡る物語といえないわけではないものの、映画の大半は、夫による脱獄の段取りの付け方を描いていて、まさしく脱獄を巡るサスペンス・ドラマと言うべきではないかと思いました。
(2)ところで、はじめに“夫婦の間の純愛の物語”なのかなと思ってしまったのには、わけがあります。
実際に見に行ったのは3月3日(水)でしたが、夕方6時半の回に入場したところ、スクリーンの前にはなんと神道の祭壇(地鎮祭でヨクみかけるもの)が設けられているではありませんか!
何事かと思ったら、定刻になると従業員の女性が巫女さん姿で登場し、“本日は雛祭りであり、かつこれから上映する映画は夫婦の強い絆を描いたものだから、新大久保にある夫婦木神社から神主さんに来ていただき、夫婦の絆がますます深くなるよう祈ってもらいます”と宣言したものですから、思わずのけぞってしまいました。
暫くすると、一人の年取った神主と二人の付き人が登場し、その内の一人は、祭壇の隣に置かれていた太鼓を打ち鳴らし、もう一人は式次第を大声で言います。こうして、神主によって、地鎮祭と同じように、「降神」の儀→「祝詞奏上」→「玉串拝礼」→「昇神」の儀が粛々と進められました。
この間ちょうど15分で、いつもなら予告編が上映されたことでしょう。
それを何を血迷ったのか、観客がもう身動きできないころ合いを見計らって、強制的に神道行事を開催してしまうとは実に驚くべきことです。
夫婦木神社は、イザナギとイザナミの二柱が祀られていることから、夫婦和合とか、縁結び、子授けにご利益があるといわれているようなので、マッタク関連性がないとまでは言えないものの、民間の風習である雛祭りとは何の関係もありませんし、特に、続いて上映される映画が“夫婦の絆”を巡るものだ、という先入観〔この映画の見方の一つにすぎないでしょう〕を見る前に与える以外の何物でもありません。
前代未聞の珍事でした!
(3)この映画に対しては、評論家もかなり好意的です。
小梶勝男氏は、「妻の突然の逮捕は、誰かが悪いというより、逃れようのない運命、すなわち古典的な「悲劇」として、主人公に襲いかかってくる。自分の運命にどのように立ち向かうか。そこに焦点をあてたドラマ作りが素晴らしい」として81点もの高得点をつけ、
渡まち子氏は、「愛する妻のため一人孤独に戦い続けるジュリアンを演じたヴァンサン・ランドンが素晴らしい。細心の脱獄計画はサスペンスとして楽しめるが、基本はヒューマン・ドラマだ」として70点をつけ、
福本次郎氏も、「国家という強大な権力に個人で立ち向かう主人公の姿は最初は滑稽ですらあるが、やがて経験が勇気と判断力を養い動きに無駄がなくなっていく。その妻を思う一念が彼に力を与え孤独な戦いを支える様子は、緊迫感がみなぎり一時も予断を許さない」と、同氏には珍しく高めの60点をつけています。
私にはサスペンス映画という印象が強烈でしたが、評論家の皆さんは、最愛の妻を助けるために一人で戦う夫を描いたヒューマンドラマという印象の方がどちらかといえば強いように見受けられます。
★★★☆☆
象のロケット:すべて彼女のために
映画館の方は、シネカノンの後にヒューマントラストシネマの一環になったというので、ちょっとのぞいてみたいなと思っていたところ、先週号の『週刊文春』に掲載されたシネマ・チャートで、この映画についての評価が高かったことから、出かけてきました。
(1)はじめのうちはテッキリ“夫婦の間の純愛の物語”だとばかり思いながら見ていたところ、途中から、脱獄を巡るサスペンス映画としか思えなくなりました。警戒の厳重な現代の刑務所から脱獄することなど可能なのだろうかと、最後までハラハラドキドキさせられ通しでした。その意味で、すぐれたサスペンス映画と言えるでしょう!
冒頭でまず、出版社に勤める若い女性(ダイアン・クルーガー:『イングロリアス・バスターズ』での活躍が思い出されます)が、突然、上司を殺した容疑で有無をいわさず逮捕され、結局20年の禁固刑に服することになってしまいます。
ここで、“夫婦の強い絆”が映画のテーマだというのであれば、常識的には、彼女の国語教師の夫(ヴァンサン・ランドン)が、幾多の困難を乗り越えて、真犯人を見つけ出して妻の冤罪を晴らす、というように事態は進むのではないか、と観客は推測することでしょう。
ところが、この作品では、そんな悠長なことは言っていられないとして〔妻が絶望の余り自殺を試みることもあって〕、妻を脱獄させる方向に夫は一直線に邁進することになるのです〔なお、客観的な状況から2審でも控訴が却下されてしまい、裁判官から状況が厳しいと夫は告げられますが、そう簡単に結論を下せるものなのか極めて疑問です〕。
こうなると、すぐさま『板尾創路の脱獄王』を思い起こさせます。ただ実際には、その真逆をいくものではないかと思えました。
すなわち、『脱獄王』の方はコメディですが、こちらは真面目一本の内容です。また、前者では、服役囚(板尾)が脱獄を図りますが、後者では、妻の服役囚(ダイアン・クルーガー)はなかなか事態が飲み込めませんでした(すべて夫が黙って段取りをつけたため)。それに、前者では人は誰も死んだりしませんが、後者では正当防衛ながら2人の死者が出てしまいます。もっというと、前者では、ハンググライダーによる脱出ですが、後者では飛行機を使って外国に高飛びします。
確かに、妻を思う夫の熱い心があったからこその脱獄ですから、夫婦の絆を巡る物語といえないわけではないものの、映画の大半は、夫による脱獄の段取りの付け方を描いていて、まさしく脱獄を巡るサスペンス・ドラマと言うべきではないかと思いました。
(2)ところで、はじめに“夫婦の間の純愛の物語”なのかなと思ってしまったのには、わけがあります。
実際に見に行ったのは3月3日(水)でしたが、夕方6時半の回に入場したところ、スクリーンの前にはなんと神道の祭壇(地鎮祭でヨクみかけるもの)が設けられているではありませんか!
何事かと思ったら、定刻になると従業員の女性が巫女さん姿で登場し、“本日は雛祭りであり、かつこれから上映する映画は夫婦の強い絆を描いたものだから、新大久保にある夫婦木神社から神主さんに来ていただき、夫婦の絆がますます深くなるよう祈ってもらいます”と宣言したものですから、思わずのけぞってしまいました。
暫くすると、一人の年取った神主と二人の付き人が登場し、その内の一人は、祭壇の隣に置かれていた太鼓を打ち鳴らし、もう一人は式次第を大声で言います。こうして、神主によって、地鎮祭と同じように、「降神」の儀→「祝詞奏上」→「玉串拝礼」→「昇神」の儀が粛々と進められました。
この間ちょうど15分で、いつもなら予告編が上映されたことでしょう。
それを何を血迷ったのか、観客がもう身動きできないころ合いを見計らって、強制的に神道行事を開催してしまうとは実に驚くべきことです。
夫婦木神社は、イザナギとイザナミの二柱が祀られていることから、夫婦和合とか、縁結び、子授けにご利益があるといわれているようなので、マッタク関連性がないとまでは言えないものの、民間の風習である雛祭りとは何の関係もありませんし、特に、続いて上映される映画が“夫婦の絆”を巡るものだ、という先入観〔この映画の見方の一つにすぎないでしょう〕を見る前に与える以外の何物でもありません。
前代未聞の珍事でした!
(3)この映画に対しては、評論家もかなり好意的です。
小梶勝男氏は、「妻の突然の逮捕は、誰かが悪いというより、逃れようのない運命、すなわち古典的な「悲劇」として、主人公に襲いかかってくる。自分の運命にどのように立ち向かうか。そこに焦点をあてたドラマ作りが素晴らしい」として81点もの高得点をつけ、
渡まち子氏は、「愛する妻のため一人孤独に戦い続けるジュリアンを演じたヴァンサン・ランドンが素晴らしい。細心の脱獄計画はサスペンスとして楽しめるが、基本はヒューマン・ドラマだ」として70点をつけ、
福本次郎氏も、「国家という強大な権力に個人で立ち向かう主人公の姿は最初は滑稽ですらあるが、やがて経験が勇気と判断力を養い動きに無駄がなくなっていく。その妻を思う一念が彼に力を与え孤独な戦いを支える様子は、緊迫感がみなぎり一時も予断を許さない」と、同氏には珍しく高めの60点をつけています。
私にはサスペンス映画という印象が強烈でしたが、評論家の皆さんは、最愛の妻を助けるために一人で戦う夫を描いたヒューマンドラマという印象の方がどちらかといえば強いように見受けられます。
★★★☆☆
象のロケット:すべて彼女のために