映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

新しい人生のはじめかた

2010年03月10日 | 洋画(10年)
 『新しい人生のはじめかた』をTOHOシネマズシャンテで見てきました。

 予告編で、ダスティン・ホフマンの主演映画だとわかり、久し振りだから見てみようということになりました。

(1)ダスティン・ホフマンは、『卒業』とか『クレーマー、クレーマー』、『トッツィー』などで演技力のある素晴らしい俳優だなと思っていましたが、その後はあまりパッとせず(というか、私の方であまり追跡しませんでした)、3年ほど前の『パフューム』で見かける程度だったところ、今回の主演です。
 この映画では、すでに72歳すぎながら、まったく老いを感じさせず、実に若々しい演技を披露しているので、驚いてしまいました。ただ、翌日のデートに心が躍って、ホテルの階段を歩いて昇るうちに、持病の不整脈が現れて救急病院に運ばれるというシーンがありますが、さすがにそんなことをしてはやり過ぎだよな、という思いに観客はなってしまいますが。
 相手役のエマ・トンプソンは、婚期を逸した40代の女性の役で、新しい事態に飛び込むのが怖い、恋愛は小説の中で味わえば十分だ、といった気分を持った女性をトテモ巧みに演じています(実年齢より5歳~10歳若い役柄です)。

 この映画のストーリーは、アメリカからイギリスにやってきた初老の男性と、ロンドンに住む女性とが紆余曲折を経て一緒になるというもので、見終わった後とても癒された感じになります。

 ただ、映画のように幸福な結末に至るには、現実には様々な障害があって、実際にはかなり困難なことでしょう。
 たとえば、次のような環境が必要なのかもしれません。
・親とか子供がいても、ある程度自由に行動できること。
・それぞれ所得を得る職業に就いていること。
・自分に対してよりも相手に対してより大きな気遣いができること。

 これらのうち、気持ちの持ちようといった部分は努力によってある程度カバーできるにしても、親とか子供の存在は、簡単に解決できない問題でしょう。
 この映画では、ダスティン・ホフマンの方は、離婚相手に引き取られた娘(その結婚式に出席するためにイギリスにやってきました)がいるだけで問題はマッタクなく、またエマ・トンプソンの方には年取った母親がいるものの、隣家の男性となんとかうまく付き合っていけそうだということになり、結局二人ともかなり身軽なものですから、ラブストーリーはうまく進展しました(ただ、ダスティン・ホフマンは、アメリカでの仕事をなげうってロンドンに住み着こうとしますから、一体今後どのようにして所得を得ていくのか、という問題は残りますが)。

 ですが実際には、自分が年をとってくると、介護しなければならない親に直面したり、いつまでも親の脛を齧り続ける子供がいたりして、とても恋愛どころの話ではないのではないでしょうか?しかし逆に、だからこそ、こうしたハッピーエンドで終わる映画を見て心が癒されるのかもしれませんが。

(2)アメリカ人が結局はイギリスに住み着くようになる物語ですから、ヘンリー・ジェイムズの小説でも取り上げればいいところ、ここでは目先を変えて、あまり映画とは関係なく、唐突過ぎるきらいはあるものの、「統計のウソ」に少し触れてみましょう。

 というのも、ヒロインが就いている職業が、空港の統計局員で、飛行機の乗客に対するアンケート調査をしているからですが(ヒロインが、調査をしようとダスティン・ホフマンに接触したのが、この物語のそもそもの出発点なのです!)。

 さて、最近、「極東ブログ」において、「地球温暖化防止には気象観測所を増やしたらどうかという間違った提言について」というタイトルの記事が掲載されました(2月24日)。
 その記事では、「科学と政策研究所(SPPI)」から1月23日に公開された報告書に掲載されているグラフが示されます。
 このグラフについて、ブログ作成者は、「地球温暖化が加速する1990年代以降、気温の観測所の数が激減している」さまが読み取れ、「グラフを一見する限りでは、観測所数の低減が地球の温暖化をもたらしているようにも見え」、であれば、「このデータからは、観測所の数を1990年代以前にまで増やすことで、温暖化防止が実現できるのではないかという期待がもてそうだ」と述べます。
 ですが、すぐに、「そんなわけないです。すいません。悪い冗談でした」と手の内を明かしてしまいます。
 要すれば、ブログ作成者は、「BがAに続いて起こるなら、AはBの原因であるとする誤謬」(注)を使って冗談話をしてみたわけでしょう。
 ただし、「グラフ自体には冗談は含まれて」おらず、「地球温暖化の統計の背後に、観測所の低減という事実は存在する」ようです。

 統計というのは、それだけでは真実の姿を現すものではなく、極端に言えば、読み取り方次第、使い方次第で如何様にでもなります。この映画のヒロインは、こうした統計の原データを作成する仕事に就いているわけで、あるいは実際の生活に間接的にしか触れていない、という感じを持っているのかも知れません。恋愛も小説を読むことで済ませているようなところがあり、全体として、真実の人生体験からはなるべく距離を置いたところにいたいと思っているのかも知れません。そうしたところに、ダスティン・ホフマンが現れたというわけです。


(注)ダレル・ハフ著『統計でウソをつく法』(ブルーバックス B-120)P.142。

(3)映画について評論家の感想は次のようです。
 渡まち子氏は、ヒロインのケイトにつき、「恋や夢を諦めてしまうのは、その方が楽だからだと言う彼女は、本当はチャレンジが怖いだけ。ちょっとモッサリとしたエマ・トンプソンがそんな中年女性の屈折を繊細に演じていて上手」く、「決して華やかな作品ではないが人生の豊かさを感じさせる小品。ロケ地であるロンドンの街のプチ探訪気分を味わえるのも楽しい」として60点をつけ、
 福本次郎氏も、「もう若くないふたりの、とりあえず不幸ではないけれど、このまま近づいてくる老いへの漠然とした不安がリアルに再現されて」おり、「人と人の出会いはタイミングと好奇心、日々のルーティーンから少し寄り道してみようという気にさせる映画だった」として50点をつけています。

 二人の評論家は、どちらも全く問題点は挙げずに辛めの点数をつけているところ、まずまずの出来栄えだということなのでしょう。


★★★☆☆



象のロケット:新しい人生のはじめかた