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レヴィ=ストロース

2009年11月10日 | 
 Blackdogさんが新しく作ったブログでは、先日亡くなったフランスの文化人類学者レヴィ=ストロースのことが取り上げられています。

 丁度日本でも、レヴィ=ストロースの畢生の大著『神話論理』の翻訳本の最終巻「裸の人2」が出版される直前にもかかわらず、彼の訃報を聞き、とても残念に思いました。
 Blackdogさんが言うように、彼は、「『最後の巨匠』と呼ぶにふさわしい威厳を保ち続け」つつ、「めまぐるしく変転してきたフランスの思想界を生き抜」いた巨人なのでしょう。

 Blackdogさんのブログでは、メルロ=ポンティとの交遊を巡る興味深いエピソードが紹介されていますが、エリボンとの対談で構成されている『遠近の回想(De près et de loin:1988)』(竹内信夫訳、みすず書房、1991)でも、レヴィ=ストロースは、メルロ=ポンティに数カ所触れています。

 例えば、彼をコレージュ・ド・フランスの教授として強く推薦したのがメルロ=ポンティだとBlackdogさんのブログにあるところ(エリボンとの対談でも、「やがて絶なんとする彼の命の最後の3ヶ月をそのために犠牲にした」とあります)、そのコレージュ・ド・フランスの開講講義の冒頭で「数字8に関するちよっと場違いな考察」をしたが、それはメルロ=ポンティが「我々二人が同じ年、つまり1908年に生まれたということを誰かに言われるのが嫌い」だったからで(「私と一緒にされてはふける、と思っていたのでしょう」)、「私は彼をじらしていた―さらには恐れさせていたのです。今に生まれ年が同じだという話になるぞ、ってね」、と「茶目っけ」たっぷりに述べています。

 なお、内田樹氏は、11月4日のブログ記事「追悼レヴィ=ストロース」で、次のように述べています。「ボーヴォワールとメルロー=ポンティとレヴィ=ストロースはアグレガシオンの同期」で、「その試験のとき、私の想像では、ボーヴォワールとメルロー=ポンティとサルトルは「つるんで」」いたのに対して、「パリ大学出のレヴィ=ストロースはこのエコール・ノルマル組からある種の「排他性」と「威圧感」を感じたはずであ」るが、「とにかく、アグレガシオンの試験が1930年前後で、レヴィ=ストロースがサルトルの世界的覇権に引導を渡したのが1962年『野生の思考』においてのことであったから、ざっと30年かけて、レヴィ=ストロースは「そのとき」の試験会場で高笑いしていたパリのブルジョワ秀才たちに壮絶な報復を果たしたので あった。すごい話である」。

 マア、偉大な人は、そのエピソードも桁外れなものになるということなのかもしれません!

 なお、レヴィ=ストロースの著作でもまだ本邦未訳のものがいくつかあり、特に『大山猫の物語』(1991)の刊行が待たれるところです。


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1 コメント

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Unknown (blackdog)
2009-11-11 20:04:10
レヴィ=ストロースはやはり、かなり面白い人物のようですね。
肩の力が抜けていて、自分のフィールドに没頭している感じもとても素敵です。
この時期のフランスには、流行の先端を走る思想家とその陰で別の道を歩む思想家と、また一人の思想家の中にも、派手な部分と地味な部分が極端に混在しているようで、一人に触れると、意外な人物とつながったり、近しいと思っていた二人に意外な距離があったり、なかなか奥深いです。
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