映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

インビクタス

2010年03月06日 | 洋画(10年)
 『インビクタス/負けざる者たち』を渋谷のシネパレスで見ました。

 クリント・イーストウッド監督の作品については、これまでも随分とおつきあいをし、昨年だけでも『チェンジリング』と『グラン・トリノ』の2本を見ているので、この作品もぜひと思って映画館に出向きました。

(1)見る前にあまり情報を持っておらず、偶々耳にした話から、南アフリカのマンデラ大統領とサッカーの話なのかしらと漠然と思っていましたら〔ちょうど、南アでサッカーのワールドカップがもうすぐに開催されることもあるしと〕、ラグビーの話なのでアレっと思ってしまいました。

 そんなことはどうでもいいのですが、実際に見てみますと、これまでのイーストウッド監督の映画はどれももちろん大変真面目なものばかりのところ、この作品は、それらに輪をかけて真面目で純粋なので、その意味でもアレッと思ってしまいました。

 なにしろ、南アの大統領に選ばれたばかりのマンデラ氏は、黒人と白人との融和を一番に掲げ、そのためにはちょうど南アで開催されることになっていたラグビーのワールドカップを利用しない手はないと考え、それに向かって様々な手を打ちますが、あれほど人種対立が高じていた国がマンデラ氏の呼びかけに素直に応じて、結局は大目標を達成してしまうというストーリーなのですから!
 いったい、アパルトヘイトは、どこの国の問題だったのでしょうか?

 こういう映画を見て、評論家の前田有一氏は、「スポーツアクションであり、史実伝記であり、感動の人間ドラマでもある。さらにいえば、95年の南アフリカを舞台にしていながら、じつは現在のアメリカを強烈に比ゆした物語でもあったりする。こういう百面相の作品は、映画好きにはたまらない」などと仰々しくのたまいます。
 ただ、そんなことは彼にわざわざ言ってもらわなくとも、別に複雑な作り方をしている作品ではないので、映画を見れば誰でもすぐにわかります〔それに、「強烈に比ゆした物語」とはどういう意味の日本語なのでしょうか?〕。

 むしろ、あまりにも単純な視点からすべてをストレートに描き切ってしまっていて、評論家による論評など全く必要としない映画だと言えるのではないでしょうか?
 そういうところから、小梶勝男氏が、「今回も傑作を期待してしまった。それだけに失望は大きい」、「一つ一つは実にいい場面がある。なのに、全体として面白いと思えない」、「イーストウッドはあえて、映画よりもメッセージを優先したのではないか」と述べているのは、よくわかる気がします(彼の評点はもともと底上げ気味なので〔『グラン・トリノ』に対して97点!〕、この映画に対する73点というのはかなり低目といえるでしょう)。

 さらに、前田有一氏は、「本作品がストーリーの裏側でアメリカの今を描いていることを念頭に、この後のフランソワ〔南ア・ラグビーチームのキャプテン〕の行動や台詞に注目すると、イーストウッド監督がアメリカ人に向けたメッセージをたやすく感じ取ることができ、これまた興味深」く、「これぞザ・政治映画」だとして75点をつけています。
 ですが、「ザ・政治映画」なるものは、そんなに高く評価されるべきものでしょうか?「イーストウッド監督がアメリカ人に向けたメッセージをたやすく感じ取ることができ」たとしても、それが何だというのでしょうか?メッセージをそんなに「たやすく」理解できるのであれば、どうしてわざわざ映画にする必要があるのでしょうか?そんなわかりやすいことなら、どうして実際に実現できていないのでしょうか?

 南アの現状については、映画で描かれている南ア国民の気分の高揚は、やはり一時のもので、実際には人種対立は解消されておらず、特に治安は最悪の状態になっているとされていて、6月中旬に予定されているFIFAワールドカップが無事に開催されるか危ぶまれているとのことです。

 とはいえ、マンデラ大統領に扮するモーガン・フリーマンの品格のある演技は実に素晴らしく、またラグビーチームのキャプテンであるフランソワ役のマット・デイモンの瑞々しい演技も特筆されます。それに、ラスト30分のラグビーの試合は、実にうまく描き出されていて、映画を見ている者は興奮させられます。ただ、それも、実際の試合が素晴らしかったことによるのではないかと思ってしまうのですが。

(2)この映画では、映画と同じタイトルの詩が大きな役割を果たします(マンデラ大統領の長い獄中生活を支えた詩)。
 その詩は、イギリスの詩人のウィリアム・アーネスト・ヘンリーによるものだということで、少し調べてみました。

 彼は、1849年に、イギリス南西部のGloucesterに、6人兄妹の長男として生まれました(53歳で亡くなる)。
 12歳の時に骨結核に罹り、しばらくして左足の膝下を切断せざるを得ない羽目に陥りました。18歳の時に、ロンドンに出てジャーナリストとして活動しようとしましたが、右足も結核に冒されていたために、長期にわたって病院暮らしをせざるを得なくなります(こちらの足も切断しなければとの診断を受けましたが、別の外科医の努力でそれは免れました)。
 病から回復すると、ヘンリーは、40歳の時にScots Observer誌(エジンバラの雑誌で、のちにロンドンに移ってNational Observer)の編集者となり、さらにまたトマス・ハーディー、ジョージ・バーナード・ショー、H・G・ウエルズなどの初期作品の出版に携わったりしています。
 「Invictus」は、ヘンリーが26歳(1875年)の時に書いたもので、彼の詩の中で最も愛唱されています。結核感染のため足を切断したことから回復したことを書き表した詩とされているようです。
 なお、『宝島』に登場する海賊シルバー船長のイメージは、著者ステーブンソンの親友であるヘンリーに負っているとさています(また、ジェームス・マシュー・バリーの「ピーター・パン」に登場するヒロインの名前ウエンディは、ヘンリーの娘のあだ名によるともされているようです)。

(3)上で触れた以外の評論家にあっては次のようです。
 渡まち子氏は、小梶勝男氏と同様に、「近年、心をわしづかみにする傑作を連打している巨匠イーストウッドの作品としては、ソツのない作りではあるが平凡な出来。実話なので、大会で起こる奇跡の躍進劇にも驚きは薄い」と述べて、65点をつけています〔『グラン・トリノ』に対しては90点〕。
 ところが、福本次郎氏は、「理性を信じ、人は変われることに疑いを持たないマンデラの心の広さが代表チームの奮闘を促し、巨大なうねりとなってスタジアムを埋める大観衆だけでなく全南ア国民を飲み込んでいく様子は圧巻だ」として70点をつけています。
 この論評は、「マンデラの心の広さ」を評価したのか、「全南ア国民」の様子を描いたイーストウッド監督の力量を評価したのか、どちらなのでしょうか?


★★☆☆☆




象のロケット:インビクタス/負けざる者たち