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黄色い星の子供たち

2011年08月03日 | 洋画(11年)
 『黄色い星の子供たち』をTOHOシネマズシャンテで見てきました。

(1)以前、DVDで映画『縞模様のパジャマの少年』を見て感動したことから(注1)、この作品もと期待したところ、ナチスの強制収容所についてあまり知らない若い観客にはこれでいいのかもしれないものの、擦れっ枯らしのクマネズミにとってはどうもいけませんでした。
 確かに、この映画では、フランスに居住するユダヤ人を東方に追放する(ポーランドなどある強制収容所に移送する)ことにフランス政府やフランス人が加担した様子が中心的に描かれていて、それはそれで画期的なのでしょう。
 ですが、そうした事柄自体は歴史に属することであり、物語(フィクション)の背景となるべきものであって、それだけを並べて実話として提示され、他に見るべき物語が映画の中で描かれていなければ、確かに事実としてはおぞましく悲惨極まりない事柄であることは言を俟たないものの、見る方は退屈するより仕方がありません。

 例えば、
イ)映画では、いくつものユダヤ人家族に焦点が当てられてはいるものの、どの家族のエピソードも定型的・類型的で深みが感じられず、結果として、話が頗る散漫になってしまっています。
 子供が大勢いる家族、母親と一人の子供しかいない家族(父親は別の地区に外出したきり戻ってこないとされています)、隣国から逃れてきたドイツ人の家族などなど。どの家族も、1942年に検挙されるまでは、大層明るく楽しく暮らしていますが、検挙されて「ヴェル・ディヴ(冬季競輪場)」に収容されてからは、悲惨のドン底に突き落とされます。
 実話という観点からは、そんな華々しいエピソードなど見当たらず、こうした有様がおそらく真相なのでしょう。ですが、そうした内容であれば想像の範囲内であって、変化に乏しく、さらにはこれまでも随分映画に描き出されてきた事柄なのではないでしょうか?

ロ)映画では、ヒトラーのユダヤ人絶滅措置にフランス側もかなりの程度に加担した様子が描かれています。それはそれで随分と貴重な映像なのでしょう。
 ただ、現在では、取締当局のみならず、ユダヤ人の中にもドイツの措置に協力する者がいたことなどが分かっています(収容所の中では「カポ」と称された人たち、ユダヤ人街では「ユダヤ評議会」などの組織)。
 それは、あるいはフランスの場合には見られなかったのかもしれません。ただ、そうだとしても、こうしたギリギリの状況になると、人間は様々な行動をとるものであって、にもかかわらず余りに定型的な描き方(非道な取扱を受けるユダヤ人達と、残酷なやり方で彼らを検挙するフランス警察)しかなされていないと、逆に嘘っぽくも見えてきてしまいます。

ハ)ヒトラーとかヒムラーなどにソックリさんが扮して演じているのですが、はたしてそこまでする必要性があったのでしょうか?特に、ヒトラーについては、そのパリ入場の際の模様を当時のニュース映画を使って画面に映し出しているのですから、それで十分ではないかと思います。
 思うに、一つには、フランスのユダヤ人を東方へ輸送することは、ドイツの最高指導者からの直接的な命令に従って行われたものだ、という点を映画が強調したいのかもしれません。とすると、この事件は、当時のフランス政府(ヴィシー政権)の自発的な意志によるものではなかった、と言いたいのでしょうか?
 もう一つは、一方で、収容所で食べ物がなく苦しんでいるユダヤの子供たちがたくさんいるのに、他方で、ヒトラー近辺には、おいしいお菓子などを味わっている恵まれた子供たちがいたのだ、という対比を描き出したかのかもしれません。
 でもそれは余りにもありきたりで、なくもがなの図式ではないでしょうか?

 いずれにせよ、苦笑せずにはいられないヒトラー等のソックリさんが登場して、いくら大真面目に演技をしても、見る方に何かが伝わるものでもないのでは、と思われます(注2)。


 勿論、この映画にも、見るべき点はいくつもあると思います。
 例えば、映画で描かれる1942年の一斉検挙においては、専らパリに居住する外国籍のユダヤ人が逮捕されたとのこと。要すれば、ドイツ側の要求(10万人のユダヤ人の当方への移送を要請―劇場用パンフレットによれば、パリにはおよそ15万人のユダヤ人が居住していたようです)をフランス側が値切った訳でしょう。ですが、それとしてもおよそ1万3千人もの大量の人々を強制収容所に移送することになったのですから、当時のペタン政権の責任は重大だと考えられるところです。

 また映画では、子供の取扱いをどうするかが取締当局側で問題とされたことが描き出されています。ドイツ側は、子供は除外しようと提案したにもかかわらず、フランス側が、彼らを世話をする余裕がないといって拒否してしまうのです。その結果、大人だけでなく子供までもがアウシュヴィッツに送られることになってしまいます。外見上人道的に見えること(家族を引き離さないこと)が悲惨な結果を招いてしまったのですから、唖然とするほかありません。

 としても、こうした点は変化のある物語をスクリーンで見たいと思っている観客にとっては、あくまでも背景をなす歴史的な事実ではないか、と思えてしまいます。
 
 なお、俳優陣としては、『イングロリアス・バスターズ』で活躍したメラニー・ロラン(注3)が、赤十字から派遣された非ユダヤ人の看護師役を演じています。
 この看護師は、医薬品が何もない中、劣悪な状況の下で次々と倒れるユダヤ人たちを献身的に看護し続けるのです。そして、戦後には、収容所から脱出して無事だった少年ジョーと感動的な再会を果たします(注4)。
 華奢でありながら芯の強さを持つ看護師役として、メラニー・ロランは実に巧みに演じているものと思います。



 また、こういった類いの映画にはお門違いとも思えるジャン・レノが、同じように病人の面倒を見るユダヤ人医師の役を演じています。その押し出しがいい風貌から、取締当局に不満を述べたりする医師の役にはうってつけといえるでしょう。



 ただ、こうした著名な俳優が出演しているのもかかわらず、彼らも、大勢の人々の一員にすぎない扱いを受けがちで、目立った活躍はそれほどしていないのです。そういうこともあって、この映画が単調なものになってしまってもいるのでしょう。

(2)この映画と同じように、パリ警察による大規模なユダヤ人狩りが行われたヴェルディヴ事件を描く映画『サラの鍵』が、12月に日本でも公開されるようです(同映画は、2010年10月に開催された第23回東京国際映画祭で最優秀監督賞/観客賞を受賞)。
 こちらは、タチアナ・ド・ロネの小説『サラの鍵』(新潮社)を原作とするところから、今回の映画とはだいぶ雰囲気の違った作品なのでは(おそらくフィクションということをはっきりと自覚した上での映画化なのでは)と推測されるところです。
 それに、『ずっとあなたを愛してる』で感動的な演技を見せたクリスティン・スコット・トーマスが主役という点も見逃せないでしょう。

(3)粉川哲夫氏の短評では、「これでもかこれでもかとナチスの悪行を描くのは、歴史を忘れないという点では得難いことだとしても、メロによって想起するのはそのつど忘却することではないか?一度も想起せずに忘れるよりは、メロででも想起するほうがましかもしれないが」と述べられています(ちなみに、粉川氏は、「メロ」という単語を多用しますが、おそらく「メロドラマ」という意味なのでしょう)。


(注1)『ちょんまげプリン』を取り上げた2月16日の記事の(2)において触れています。

(注2)政府要人のソックリさん問題に関しては、『フェアウェル―さらば、哀しみのスパイ』を取り上げた記事 の(2)で触れたところです。

(注3)映画『オーケストラ!』での演技も印象に残ります。
 つまらないことですが、『オーケストラ!』でメラニー・ロランが演じるヴァイオリニストは、両親がユダヤ人ですから(そのためにソ連の強制収容所に入れられてしまうわけですから)、当然にユダヤ人でしょうが、今回の作品では非ユダヤ人とされています。そうであれば、やはり外見からはユダヤ人であるのかどうかは判断しがたいのではないか、と考えられるところです。
映画では、既にユダヤ人登録カードが出来上がっていて、1942年の一斉検挙も、それに基づいて行われているところ、そうした登録カードの作成はどうやって行われたのか、ということに興味を惹かれます。

(注4)『イングロリアス・バスターズ』の冒頭では、フランスの農家の地下に隠れていたユダヤ人一家が、ハンス・ランダ中佐に嗅ぎつけられて皆殺しになる中、辛くも一人の少女が逃げ延びます。その少女が大きくなって映画館を営み、そこで大事件を引き起こすわけですが、この女性を演じているのが、メラニー・ロランなのです(ここでも、ユダヤ人の役を演じています!)。
 このことから思いつくのは、今回の映画でも、少年ジョーがもう一人の少年と収容所を脱出するのですが、大変なのは、脱出そのものというよりも、その後戦争が終結するまで如何に生き延びるか、の方ではないかと思われることです。



 映画では、至極あっさりと、親切な家庭の養子となったとされていますが、『イングロリアス・バスターズ』でもわかるように、ナチスのユダヤ人捜索は徹底したものであったようで、養子になればすべてうまくいくといった簡単なことではなかったのではないか、と思われるところです。
 なお、劇場用パンフレットに掲載されている監督ローズ・ボッシュしのインタビュー記事によれば、少年ジョーは実在の人物であり、監督もその人物に会っているようです。
 としたら、むしろ、彼を中心の物語を作り上げるというやり方もあったのでは、と考えられるところです。




★★☆☆☆



象のロケット:黄色い星の子供たち