
冷戦が終わってしばらく経つのにスパイ物かとも思いましたが、フランス映画『フェアウェル―さらば、哀しみのスパイ』を渋谷のシネマライズで見てきました。
(1)物語は、ソ連のKGBの幹部のグリゴリエフ大佐(そのコードネームが「フェアウェル」)が、各国のソ連スパイから送られてくる西側の最重要機密情報を、フランス人技師ピエールを通して西側に渡し続け、最後には、西側に潜入しているソ連スパイのリストを渡すことによって、ソ連のスパイ網を崩壊させてしまい、ソ連の崩壊の切っ掛けを作った、というものです。
初めのうちは、グリゴリエフ大佐が、西側では極秘扱いとされている情報が記載されている文書(スペースシャトルの設計図とかフランスの原子力潜水艦の航路図など)をピエールに手渡すのを見て、なんでそんなことをするのだろうと、不思議な感じになります。せっかく自分たちが集めた情報を、どうして本の西側に戻そうとするのか理解できませんでした。
しかし、次第に、これはグリゴリエフ大佐の提供する情報に対する信頼度を高めるためのやり方なのだ、ということがわかってきます。
そして、グリゴリエフ大佐の真の目的も、次第に分かってきます。要するに、今のソ連体制では国がダメになってしまうから、ソ連のスパイ網を破壊することによってソ連体制を崩壊させようとしているのです。
ここでもまた、破壊することだけを考える人間が登場するわけです(『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』!)。実際に、彼の行動も一つの切っ掛けとなってソ連は崩壊しますが、その後の体制作りについてはビジョンを持っていませんから、はたしてその後のエリツィン→プーチンと続く政権の下で採られた政策は、どの程度グリゴリエフ大佐が望んだものに近いものなのか、疑問なしとしないところです。
とはいえ、グリゴリエフ大佐が、西側諸国に潜むソ連スパイのリストを小型カメラに収めるシーンとか、グリゴリエフ大佐がソ連当局に捕まり、迫る追及の手からピエールが逃れようとするシーンなどは、これまでのスパイ物同様、随分とスリルに溢れています。
ただ、いくらなんでも、ソ連スパイのリストが掲載されている最重要文書が、幹部の机の鍵のかかっていない抽斗の中に無防備に収められているとは思えないところですが(あるいは、その時までにはソ連の組織は弛緩しきっていて、誰もそんなことに意を用いなかったのかもしれませんが!)。
それはさて置き、グリゴリエフ大佐を演じるエミール・クストリッツァは、カンヌ映画祭で2度もパルム・ドールに輝いている映画監督ながら、重厚な演技が冴えわたっていますし、またピエールを演じるギヨーム・カネも監督歴がありますが、この映画では家族とグリゴリエフ大佐(ひいては国家でしょうか)の間に挟まり悩みぬく役柄を実に巧みにこなしていると思いました。
(2)この映画もまた「true story」病に取り憑かれているのでは、と思ってしまいました。
というのも、レーガン大統領、ミッテラン大統領、それにゴルバチョフ書記長が画面に登場するのです。完全なソックリさんではないにせよ、雰囲気は随分と似ています。
ですが、本物に似せようとすればするほど、政府要人のものまねをする「ザ・ニュースペーパー」が日本では受けていますから(注)、せっかくの重厚で真面目な映画の雰囲気がぶち壊しになってしまう恐れがあります。
それになによりも、米・仏・ソのトップを画面に登場させずとも、そんなことをしてこの映画の物語は「true story」であることを強調せずとも、この映画は十分に成立するのではないでしょうか?
(注)そういえば、彼らが登場した邦画『ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発』(河崎実監督、2008年)を見たことがあります。おまけに、「洞爺湖サミット」関連ですから、各国のトップのソックリさんも映画に登場するのです!こうした「怪獣映画」ならばソックリさんでかまわないでしょうが、今回のような映画では場違いではと思ってしまいました。
ちなみに、『ギララの逆襲』を見たのは、この映画に対する“つぶあんこ”氏の評価が著しく高かったことによるものですが、その際、友人に送ったメールに、「面白いことは面白いものの、この映画を積極的に評価するのはやはり「特撮好き」な人に限られるでしょう」との感想を述べたことがあります。
(3)映画評論家の論評はまずまずと言ったところです。
渡まち子氏は、「名監督であるエミール・クストリッツァが、屈折した祖国愛を抱えるKGB高官で、息子を愛する父親を、深い皺と不敵な面構えで堂々と演じきっている。ストーリーは、ごく普通の人間がいつのまにか国家を揺るがす機密にかかわっていく過程がリアルだ。スパイというのは、映画で描かれるような、派手で見栄えのするものではなく、現実では地味でさりげなく大仕事をこなすものなのだろう」として65点を与え、
福本次郎氏は、「フランス人技術者のピエールは KGBのグリゴリエフ大佐から接触を受け、西側のトップシークレットを手渡される」が、「映画は2人の間で行われる文書の受け渡しだけでなく、彼らの家族にまで言及し、世界をよりよくするために働く自覚と、父親としての責任の間で苦悩する姿を追う。ただそのあたり表現法にアクセントが乏しく平板な印象は免れない」として50点を与えています。
★★★☆☆
象のロケット:フェアウェル
(1)物語は、ソ連のKGBの幹部のグリゴリエフ大佐(そのコードネームが「フェアウェル」)が、各国のソ連スパイから送られてくる西側の最重要機密情報を、フランス人技師ピエールを通して西側に渡し続け、最後には、西側に潜入しているソ連スパイのリストを渡すことによって、ソ連のスパイ網を崩壊させてしまい、ソ連の崩壊の切っ掛けを作った、というものです。
初めのうちは、グリゴリエフ大佐が、西側では極秘扱いとされている情報が記載されている文書(スペースシャトルの設計図とかフランスの原子力潜水艦の航路図など)をピエールに手渡すのを見て、なんでそんなことをするのだろうと、不思議な感じになります。せっかく自分たちが集めた情報を、どうして本の西側に戻そうとするのか理解できませんでした。
しかし、次第に、これはグリゴリエフ大佐の提供する情報に対する信頼度を高めるためのやり方なのだ、ということがわかってきます。
そして、グリゴリエフ大佐の真の目的も、次第に分かってきます。要するに、今のソ連体制では国がダメになってしまうから、ソ連のスパイ網を破壊することによってソ連体制を崩壊させようとしているのです。
ここでもまた、破壊することだけを考える人間が登場するわけです(『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』!)。実際に、彼の行動も一つの切っ掛けとなってソ連は崩壊しますが、その後の体制作りについてはビジョンを持っていませんから、はたしてその後のエリツィン→プーチンと続く政権の下で採られた政策は、どの程度グリゴリエフ大佐が望んだものに近いものなのか、疑問なしとしないところです。
とはいえ、グリゴリエフ大佐が、西側諸国に潜むソ連スパイのリストを小型カメラに収めるシーンとか、グリゴリエフ大佐がソ連当局に捕まり、迫る追及の手からピエールが逃れようとするシーンなどは、これまでのスパイ物同様、随分とスリルに溢れています。
ただ、いくらなんでも、ソ連スパイのリストが掲載されている最重要文書が、幹部の机の鍵のかかっていない抽斗の中に無防備に収められているとは思えないところですが(あるいは、その時までにはソ連の組織は弛緩しきっていて、誰もそんなことに意を用いなかったのかもしれませんが!)。
それはさて置き、グリゴリエフ大佐を演じるエミール・クストリッツァは、カンヌ映画祭で2度もパルム・ドールに輝いている映画監督ながら、重厚な演技が冴えわたっていますし、またピエールを演じるギヨーム・カネも監督歴がありますが、この映画では家族とグリゴリエフ大佐(ひいては国家でしょうか)の間に挟まり悩みぬく役柄を実に巧みにこなしていると思いました。
(2)この映画もまた「true story」病に取り憑かれているのでは、と思ってしまいました。
というのも、レーガン大統領、ミッテラン大統領、それにゴルバチョフ書記長が画面に登場するのです。完全なソックリさんではないにせよ、雰囲気は随分と似ています。
ですが、本物に似せようとすればするほど、政府要人のものまねをする「ザ・ニュースペーパー」が日本では受けていますから(注)、せっかくの重厚で真面目な映画の雰囲気がぶち壊しになってしまう恐れがあります。
それになによりも、米・仏・ソのトップを画面に登場させずとも、そんなことをしてこの映画の物語は「true story」であることを強調せずとも、この映画は十分に成立するのではないでしょうか?
(注)そういえば、彼らが登場した邦画『ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発』(河崎実監督、2008年)を見たことがあります。おまけに、「洞爺湖サミット」関連ですから、各国のトップのソックリさんも映画に登場するのです!こうした「怪獣映画」ならばソックリさんでかまわないでしょうが、今回のような映画では場違いではと思ってしまいました。
ちなみに、『ギララの逆襲』を見たのは、この映画に対する“つぶあんこ”氏の評価が著しく高かったことによるものですが、その際、友人に送ったメールに、「面白いことは面白いものの、この映画を積極的に評価するのはやはり「特撮好き」な人に限られるでしょう」との感想を述べたことがあります。
(3)映画評論家の論評はまずまずと言ったところです。
渡まち子氏は、「名監督であるエミール・クストリッツァが、屈折した祖国愛を抱えるKGB高官で、息子を愛する父親を、深い皺と不敵な面構えで堂々と演じきっている。ストーリーは、ごく普通の人間がいつのまにか国家を揺るがす機密にかかわっていく過程がリアルだ。スパイというのは、映画で描かれるような、派手で見栄えのするものではなく、現実では地味でさりげなく大仕事をこなすものなのだろう」として65点を与え、
福本次郎氏は、「フランス人技術者のピエールは KGBのグリゴリエフ大佐から接触を受け、西側のトップシークレットを手渡される」が、「映画は2人の間で行われる文書の受け渡しだけでなく、彼らの家族にまで言及し、世界をよりよくするために働く自覚と、父親としての責任の間で苦悩する姿を追う。ただそのあたり表現法にアクセントが乏しく平板な印象は免れない」として50点を与えています。
★★★☆☆
象のロケット:フェアウェル
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