『コクリコ坂から』を、新装なったTOHOシネマズ渋谷で見てきました。
(1)この映画は、1963年の横浜を舞台に、男女の高校生の清々しい恋愛を描いた作品と言えるでしょう。ですが、下記の前田有一氏が述べるように、「話にも、絵にも、演出にも目を見張るものがない。これでは凡作というほかはない」とクマネズミも思ったところです。
この作品には、原作がありますが(高橋千鶴〔画〕・佐山哲朗〔作〕)、アニメで残されているのはその骨格ぐらいで、全然別物と考えるべきでしょう。むろん、映画と原作とは別々の作品ですから、そのこと自体は何の問題もありません。
とはいえ、
イ)元々の原作もマンガなのに、かつまたファンタジックな要素を原作以上に微塵も付け加えていないのに、わざわざアニメで描く必要性がどうしてあるのか、全然説得されませんでした(注1)。
ロ)原作における時代設定は、1970年代と思われるところ、アニメではそれをわざわざ「1963年(頃)」という特定の年に移しています。ですが、その点にどのような積極的な意味があるのかよくわかりませんでした。
あるいは、女子生徒・海の父親が、朝鮮戦争当時LST(戦車揚陸艦)に乗船していて、それが機雷に触れたために爆死してしまったという経緯(注2)を前提にすれば、そうすべきなのかもしれません。でも、なんでそうしなくてはならないのでしょう。
そうしたリアルな(歴史的な)背景を描けば、アニメがリアルなものになるというのでしょうか?でも、お話全体がフィクションなのですから、その中にこうしたものを持ち込んでも、単なるエピソードの一つにしかならないでしょう。要すれば、リアルなもの(歴史的な事柄)が、アニメの中で単に消費されているに過ぎないのではないでしょうか?
また、原作では、海だけでなく、男子生徒・俊の父親についても、至極あいまいにしか描かれてはおりませんが(注3)、逆に、アニメは、海や俊の父親が亡くなったことと時代の動きとを密接に絡み合わせようとしています。
アニメの場合、おそらく経緯は次のようなことなのでしょう(注4)。
海の父親の沢村と、俊の父親の立花、そして俊の養父の小野寺は、戦時中、特攻隊で大の親友でした。そしてまず、俊の母親は、俊を生んですぐに亡くなり、俊の父親(立花)も、終戦時の引き揚げ船で亡くなり、要するに俊は孤児となってしまったわけです。その俊を、海の父親(沢村)が、自分の戸籍に入れて引き取ってはみたものの、海の母親はすでに海を身ごもっていたために育てられないということで、もう一人の親友の小野寺(現在の養父)に俊を育ててもらった、ということになるのでしょうか。
仮にこうであれば、1963年において、終戦時1歳だった俊は18歳で高校3年生であり、終戦の翌年生まれた海は17歳で、高校2年生ということになるでしょう。
でもいくら戦争直後とはいえ、関係する2人の父親がともに海で亡くなる(あわせて、俊の親戚は「ピカドン」の犠牲になったともされています)というのは随分とご都合主義的な感じがしますし、また海の父親(沢村)がいつまでも戸籍をそのままにしておいたというのも理解しがたいことではないでしょうか(あるいは、養父の小野寺は、なぜ早くに俊を籍に入れておかなかったのでしょうか)?
ハ)原作の学園紛争は「制服自由化」を巡るものでしたが、アニメでは、「カルチェラタン」といわれる男子生徒用の文化部部室の取壊しを巡るものです。前者は、70年代にあちこちの高校で起きた紛争の中心的なテーマの一つとされましたようですから、アニメが1963年を舞台と設定した以上は、「制服自由化」を描くわけにはいかなくなるのかなとも思われます。
とはいえ、この変更には、それ以上のものがあるのではないでしょうか?
というのも、前者はいわば“ソフト”にかかわる事柄(制服を着るか着ないか)であるのに対して、後者は単に建物という“ハード”にかかわるものにすぎないからです。
「全学討論集会」において、俊は、「古くなったから壊すというなら/君たちの頭こそ打ち砕け! 古いものを壊すことは/過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!?」、「新しいものばかりに飛びついて/歴史を顧みない君たちに未来などあるか!!」などと叫びます(注5)。
ですが、建物=過去の記憶→建物の取壊し=過去の記憶を捨てること、という図式はナンセンスではないでしょうか?話は逆であって、建物を眺める人間の方に記憶としてあるものがあり、それを建物に投影するからこそ、その建物は古いと言えるのではないでしょうか?
「頭を打ち砕い」てしまったら、どんな建物もただの建造物にすぎなくなってしまうことでしょう。
もしかしたらここには、“ソフト”よりも“ハード”という近代主義的な考え方が垣間見れるような気がします。
そして、“ハード”面に関心を置くものですから、生徒の手によってカルチェラタンが綺麗に磨き上がると、あっけなく問題解決となってしまうのではないでしょうか(注6)?
ニ)このカルチェラタンは「男の魔窟」とされているからには(劇場用パンフレット)、そしてその内部構造を見ても、『千と千尋の神隠し』に登場する湯屋の「油屋」になるのかな、と思わせました。ですが、単なる文化部部室がたくさん置かれている古い建物にすぎず、せいぜい哲学部の旧制高校生然とした図体の大きな生徒の様子が異様なくらいです(カントとかショーペンハウエルを持ち出す高校生徒がいても構いませんが、なぜ昭和38年頃になっても戦前の格好をしているのでしょうか)。
元々、『千と千尋の神隠し』におけるような別世界に通じるトンネルなどが想定されていないのですから、ファンタジックなものをこのアニメに期待する方が間違っているのでしょうが、それにしても描かれる世界が当たり前過ぎる感じがしてしまいます。
ホ)この映画の公式サイトの「メッセージ」のページに、「企画のための覚書 「コクリコ坂から」について」と銘打って宮崎駿氏による「港の見える丘」が掲載されています。
そこでは、「(原作は)1980年頃『なかよし』に連載され不発に終った作品である」が、「結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである」と断定され、従って「「コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる」云々と述べられています(注7)。
漫画が「不発」だった理由を、宮崎氏は明快に述べていますが、ある作品が大衆受けしたかどうかの理由などそんなに簡単に解明できるものでしょうか?ここで述べられているのは、原作に対する宮崎氏の単なる不満点に過ぎないのではないでしょうか?
果たして、今回のアニメが観客の広範な支持を受けるかどうか、頗る興味深い見ものではないかと思っているところです(注8)。
(2)この映画は、オート三輪も登場したりするところから、なんとなく『ALWAYS 三丁目の夕日』に雰囲気が似ていますが、特に来年1月に公開予定の『ALWAYS 三丁目の夕日'64』の露払いの役を果たしそうな感じです。というのも、後者で設定される時代は、オフィシャルサイトに掲載されているイントロダクションによれば、「前作のラストから約5年後の昭和39年、東京オリンピック開催の年」で、本作品の1年後なのですから!
(3)渡まち子氏は、「時代は1963年。価値観が激変した戦後を抜け、新しいものだけがもてはやされる高度成長期の扉が開かれようとしている。そんな中で出会った若く一途な男女の物語は、往年の日活青春映画のよう。海と俊の淡い恋、建物の取り壊しを巡る紛争、異母兄妹かもしれない海と俊の出生の秘密という試練が描かれる」などとして60点をつけています。
他方、前田有一氏は、「出生の秘密、学生運動……なんだか使い古しの要素の寄せ集めのようだ。自転車、坂道、ティーンの恋愛も「耳をすませば」と差別化できるほどの魅力はない。 これまたジブリにとっては使い古しだ。背景の絵は単純化され、かつて人々を驚かせたような圧倒的なクォリティも感じ取りにくい」として40点をつけています(注9)。
(注1)スタジオジブリの作品としては、ファンタジックな要素が見当たらないという点で、あるいは『海がきこえる』(1993年)に類似しているといえるでしょう(宮崎駿氏は、その制作に関与していないようですが)。
他方で、『おもひでぽろぽろ』(1991年)は、実にリアルな表現に富んだ作品ながら、主人公のタエ子が山形に行く場面になると、それまでは思い出の中として描かれていた小学5年生(1966年!)の タエ子やその同級生達が、27歳のタエ子と同じ画面にやたらと登場し、ファンタジックな雰囲気を醸し出しています。
また、『耳をすませば』(1995年)からも類似の印象を受けます(電車の中で雫の隣に出現した猫とか、彼女が書いていた物語「耳をすませば バロンのくれた物語」の内容を映像で示したところなどは、随分とファンタスティックです)。
(注2)映画を見終わった段階では、海の父親が乗船していた船がLSTといわれているものだとは分かりませんでした。角川文庫『脚本 コクリコ坂から』の末尾に掲載されている脚本家・丹羽圭子氏の「「脚本 コクリコ坂から」ができるまで」を読んで始めて分かりました。
(注3)原作では、海の父親について「海で遭難」とだけあり、また俊の父親も単に「亡くなった」としかありません(「わりとどこにでもころがっている話」と俊は話します)〔角川文庫版P.130及びP.306〕。
(注4)実を言うと、映画を見終わった段階では、ここまで分かってはいませんでした。上記注2で触れた角川文庫『脚本 コクリコ坂から』などをひっくり返してみてはじめて、複雑な人間関係が分かってきたようなテイタラクです。
もっといえば、海が盛んに「メル」と呼ばれるので混乱しましたし(merの発音はカナで表記すると「メール」でしょうから、説明なしにメルと言われてもという気にもなりますし)、彼女たちが住む家が「コクリコ荘」と呼ばれる下宿屋であることもよく分かりませんでした(どうして映画のタイトルに「コクリコ坂」とあるのかも、当初ははっきりとわかりませんでした)。
(注5)この作品のオフィシャルサイトに掲載されているプロダクション・ノーツからすると、この台詞は、監督の宮崎吾朗氏が挿入したとのこと。
とはいえ、下記の前田有一氏が憂慮するような父親・宮崎駿氏とのプライベートな関係〔「どう考えてもこの父子(監督と脚本家の関係でもある)の間には齟齬がある」、「父親に押し付けられたものを描いているだけではないのか」等〕などなんの関心もありません(それに、宮崎駿氏の個人的な事情なども関心外のことです)。興味があるのは、せいぜい原作とこのアニメとの相違点くらいでしょうか。
〔補:8月9日の夜のNHK番組「ふたり―コクリコ坂・父と子の300日戦争―」を偶々見たのですが、その中で、このアニメを見た父の宮崎駿氏が、「もっとこちらを脅かして欲しいんだよ」と、笑顔ながらも言っていたのが印象的でした。確かに、今回のアニメは、昔の宮崎駿氏のアニメの範囲から一歩も外に踏みだしてはいないのではと思われ、どうせ作るのであれば見る者をモット驚かしてくれるような飛躍したアニメ、斬新なところがあるアニメにして欲しかったな、と思います。〕
(注6)さらにいえば、こうした場合、より問題となるのは、建物の管理権(法的にではなく事実的に)を誰が持つのか、新築することでこれまで生徒が持っていた自主的な管理権が学校側に取り上げられるのではないか、といったいわば“ソフト”の面なのではないでしょうか?新しい建物になっても、従来通り、生徒側が自主的に管理できるというのであれば、その取り壊しに敢えて反対するものではないと考えられるところです。
(注7)宮崎駿氏は、1963年頃の特色として、「首都高はまだないが、交通地獄が叫ばれ道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。1963年は東京都内からカワセミが姿を消し、学級の中で共通するアダ名が消えた時期でもある」と断定的に述べています。
カワセミとかアダ名についてそのように判断する根拠が奈辺にあるのかよく分かりませんが、それはさておき、1963年といえば、連続TV漫画『鉄腕アトム』の放映が開始され、また初めての日米衛星中継で米国から流れてきたのがケネディ暗殺事件というショッキングな出来事があった年でもあります。どんな出来事を選択して特徴付けるかで、その時代の印象も随分と変わってくると思われます。
(注8)宮崎駿氏は、その「覚書」の末尾で、「マンガ的に展開する必要はない。あちこちに散りばめられたコミック風のオチも切りすてる。時間の流れ、空間の描写にリアリティーを」云々と述べているところ、逆にそうだからこそ、このアニメに幅がなくなってしまい、ツマラナイ「凡作」に終わってしまったのではないでしょうか(といって、原作の「コミック風のオチ」が面白いというわけでもありませんが)?
(注9)〔補〕作家・ジャーナリストの冷泉彰彦氏が、「ニューズウィーク日本版8月15日」のエッセイ(「YAHOO!JAPANニュース」に掲載)で、「『コクリコ坂から』は、スタジオジブリの作品の中では、ファンタジー的な表現を抑制し、リアリズムの小世界を描く上でのアニメ表現ということでは十分に成功しており、佳品」だと述べ、さらに、「60年代回帰」という現象について日米比較を行っています。すなわち、米国については、「成功体験に彩られた団塊世代のカルチャーを、現在の20歳前後の若者が「仲良く継承しようとしている」というイメージ」と言えるのに対して、日本の場合、「団塊の世代が「学生運動の敗北」という屈折を抱きながら、コミュニケーションに悩む現代の若者を「だらしない」と批判するという、アメリカとは全く異なる構図があ」り、「そこで、押しつけがましく「回帰」を説かれても、ピンと来ないことが多いのではないか」と述べています。
ですが、この議論では、米国ではいざ知らず、日本で「60年代回帰」を映画界で担っているのは「団塊の世代」ということになりかねませんが、例えば最近の『マイ・バック・ページ』の山下敦弘監督は34歳ですからそんな簡単な話ではないと思えて、従って今回の作品について、「そうした「世代間の想いのすれ違い」という危険を十分に覚悟しながら、それを抑制された表現で救済することに成功していると思」うと言われても、とても同調することなど出来なくなってしまいます。
★★☆☆☆
象のロケット:コクリコ坂から
(1)この映画は、1963年の横浜を舞台に、男女の高校生の清々しい恋愛を描いた作品と言えるでしょう。ですが、下記の前田有一氏が述べるように、「話にも、絵にも、演出にも目を見張るものがない。これでは凡作というほかはない」とクマネズミも思ったところです。
この作品には、原作がありますが(高橋千鶴〔画〕・佐山哲朗〔作〕)、アニメで残されているのはその骨格ぐらいで、全然別物と考えるべきでしょう。むろん、映画と原作とは別々の作品ですから、そのこと自体は何の問題もありません。
とはいえ、
イ)元々の原作もマンガなのに、かつまたファンタジックな要素を原作以上に微塵も付け加えていないのに、わざわざアニメで描く必要性がどうしてあるのか、全然説得されませんでした(注1)。
ロ)原作における時代設定は、1970年代と思われるところ、アニメではそれをわざわざ「1963年(頃)」という特定の年に移しています。ですが、その点にどのような積極的な意味があるのかよくわかりませんでした。
あるいは、女子生徒・海の父親が、朝鮮戦争当時LST(戦車揚陸艦)に乗船していて、それが機雷に触れたために爆死してしまったという経緯(注2)を前提にすれば、そうすべきなのかもしれません。でも、なんでそうしなくてはならないのでしょう。
そうしたリアルな(歴史的な)背景を描けば、アニメがリアルなものになるというのでしょうか?でも、お話全体がフィクションなのですから、その中にこうしたものを持ち込んでも、単なるエピソードの一つにしかならないでしょう。要すれば、リアルなもの(歴史的な事柄)が、アニメの中で単に消費されているに過ぎないのではないでしょうか?
また、原作では、海だけでなく、男子生徒・俊の父親についても、至極あいまいにしか描かれてはおりませんが(注3)、逆に、アニメは、海や俊の父親が亡くなったことと時代の動きとを密接に絡み合わせようとしています。
アニメの場合、おそらく経緯は次のようなことなのでしょう(注4)。
海の父親の沢村と、俊の父親の立花、そして俊の養父の小野寺は、戦時中、特攻隊で大の親友でした。そしてまず、俊の母親は、俊を生んですぐに亡くなり、俊の父親(立花)も、終戦時の引き揚げ船で亡くなり、要するに俊は孤児となってしまったわけです。その俊を、海の父親(沢村)が、自分の戸籍に入れて引き取ってはみたものの、海の母親はすでに海を身ごもっていたために育てられないということで、もう一人の親友の小野寺(現在の養父)に俊を育ててもらった、ということになるのでしょうか。
仮にこうであれば、1963年において、終戦時1歳だった俊は18歳で高校3年生であり、終戦の翌年生まれた海は17歳で、高校2年生ということになるでしょう。
でもいくら戦争直後とはいえ、関係する2人の父親がともに海で亡くなる(あわせて、俊の親戚は「ピカドン」の犠牲になったともされています)というのは随分とご都合主義的な感じがしますし、また海の父親(沢村)がいつまでも戸籍をそのままにしておいたというのも理解しがたいことではないでしょうか(あるいは、養父の小野寺は、なぜ早くに俊を籍に入れておかなかったのでしょうか)?
ハ)原作の学園紛争は「制服自由化」を巡るものでしたが、アニメでは、「カルチェラタン」といわれる男子生徒用の文化部部室の取壊しを巡るものです。前者は、70年代にあちこちの高校で起きた紛争の中心的なテーマの一つとされましたようですから、アニメが1963年を舞台と設定した以上は、「制服自由化」を描くわけにはいかなくなるのかなとも思われます。
とはいえ、この変更には、それ以上のものがあるのではないでしょうか?
というのも、前者はいわば“ソフト”にかかわる事柄(制服を着るか着ないか)であるのに対して、後者は単に建物という“ハード”にかかわるものにすぎないからです。
「全学討論集会」において、俊は、「古くなったから壊すというなら/君たちの頭こそ打ち砕け! 古いものを壊すことは/過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!?」、「新しいものばかりに飛びついて/歴史を顧みない君たちに未来などあるか!!」などと叫びます(注5)。
ですが、建物=過去の記憶→建物の取壊し=過去の記憶を捨てること、という図式はナンセンスではないでしょうか?話は逆であって、建物を眺める人間の方に記憶としてあるものがあり、それを建物に投影するからこそ、その建物は古いと言えるのではないでしょうか?
「頭を打ち砕い」てしまったら、どんな建物もただの建造物にすぎなくなってしまうことでしょう。
もしかしたらここには、“ソフト”よりも“ハード”という近代主義的な考え方が垣間見れるような気がします。
そして、“ハード”面に関心を置くものですから、生徒の手によってカルチェラタンが綺麗に磨き上がると、あっけなく問題解決となってしまうのではないでしょうか(注6)?
ニ)このカルチェラタンは「男の魔窟」とされているからには(劇場用パンフレット)、そしてその内部構造を見ても、『千と千尋の神隠し』に登場する湯屋の「油屋」になるのかな、と思わせました。ですが、単なる文化部部室がたくさん置かれている古い建物にすぎず、せいぜい哲学部の旧制高校生然とした図体の大きな生徒の様子が異様なくらいです(カントとかショーペンハウエルを持ち出す高校生徒がいても構いませんが、なぜ昭和38年頃になっても戦前の格好をしているのでしょうか)。
元々、『千と千尋の神隠し』におけるような別世界に通じるトンネルなどが想定されていないのですから、ファンタジックなものをこのアニメに期待する方が間違っているのでしょうが、それにしても描かれる世界が当たり前過ぎる感じがしてしまいます。
ホ)この映画の公式サイトの「メッセージ」のページに、「企画のための覚書 「コクリコ坂から」について」と銘打って宮崎駿氏による「港の見える丘」が掲載されています。
そこでは、「(原作は)1980年頃『なかよし』に連載され不発に終った作品である」が、「結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである」と断定され、従って「「コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる」云々と述べられています(注7)。
漫画が「不発」だった理由を、宮崎氏は明快に述べていますが、ある作品が大衆受けしたかどうかの理由などそんなに簡単に解明できるものでしょうか?ここで述べられているのは、原作に対する宮崎氏の単なる不満点に過ぎないのではないでしょうか?
果たして、今回のアニメが観客の広範な支持を受けるかどうか、頗る興味深い見ものではないかと思っているところです(注8)。
(2)この映画は、オート三輪も登場したりするところから、なんとなく『ALWAYS 三丁目の夕日』に雰囲気が似ていますが、特に来年1月に公開予定の『ALWAYS 三丁目の夕日'64』の露払いの役を果たしそうな感じです。というのも、後者で設定される時代は、オフィシャルサイトに掲載されているイントロダクションによれば、「前作のラストから約5年後の昭和39年、東京オリンピック開催の年」で、本作品の1年後なのですから!
(3)渡まち子氏は、「時代は1963年。価値観が激変した戦後を抜け、新しいものだけがもてはやされる高度成長期の扉が開かれようとしている。そんな中で出会った若く一途な男女の物語は、往年の日活青春映画のよう。海と俊の淡い恋、建物の取り壊しを巡る紛争、異母兄妹かもしれない海と俊の出生の秘密という試練が描かれる」などとして60点をつけています。
他方、前田有一氏は、「出生の秘密、学生運動……なんだか使い古しの要素の寄せ集めのようだ。自転車、坂道、ティーンの恋愛も「耳をすませば」と差別化できるほどの魅力はない。 これまたジブリにとっては使い古しだ。背景の絵は単純化され、かつて人々を驚かせたような圧倒的なクォリティも感じ取りにくい」として40点をつけています(注9)。
(注1)スタジオジブリの作品としては、ファンタジックな要素が見当たらないという点で、あるいは『海がきこえる』(1993年)に類似しているといえるでしょう(宮崎駿氏は、その制作に関与していないようですが)。
他方で、『おもひでぽろぽろ』(1991年)は、実にリアルな表現に富んだ作品ながら、主人公のタエ子が山形に行く場面になると、それまでは思い出の中として描かれていた小学5年生(1966年!)の タエ子やその同級生達が、27歳のタエ子と同じ画面にやたらと登場し、ファンタジックな雰囲気を醸し出しています。
また、『耳をすませば』(1995年)からも類似の印象を受けます(電車の中で雫の隣に出現した猫とか、彼女が書いていた物語「耳をすませば バロンのくれた物語」の内容を映像で示したところなどは、随分とファンタスティックです)。
(注2)映画を見終わった段階では、海の父親が乗船していた船がLSTといわれているものだとは分かりませんでした。角川文庫『脚本 コクリコ坂から』の末尾に掲載されている脚本家・丹羽圭子氏の「「脚本 コクリコ坂から」ができるまで」を読んで始めて分かりました。
(注3)原作では、海の父親について「海で遭難」とだけあり、また俊の父親も単に「亡くなった」としかありません(「わりとどこにでもころがっている話」と俊は話します)〔角川文庫版P.130及びP.306〕。
(注4)実を言うと、映画を見終わった段階では、ここまで分かってはいませんでした。上記注2で触れた角川文庫『脚本 コクリコ坂から』などをひっくり返してみてはじめて、複雑な人間関係が分かってきたようなテイタラクです。
もっといえば、海が盛んに「メル」と呼ばれるので混乱しましたし(merの発音はカナで表記すると「メール」でしょうから、説明なしにメルと言われてもという気にもなりますし)、彼女たちが住む家が「コクリコ荘」と呼ばれる下宿屋であることもよく分かりませんでした(どうして映画のタイトルに「コクリコ坂」とあるのかも、当初ははっきりとわかりませんでした)。
(注5)この作品のオフィシャルサイトに掲載されているプロダクション・ノーツからすると、この台詞は、監督の宮崎吾朗氏が挿入したとのこと。
とはいえ、下記の前田有一氏が憂慮するような父親・宮崎駿氏とのプライベートな関係〔「どう考えてもこの父子(監督と脚本家の関係でもある)の間には齟齬がある」、「父親に押し付けられたものを描いているだけではないのか」等〕などなんの関心もありません(それに、宮崎駿氏の個人的な事情なども関心外のことです)。興味があるのは、せいぜい原作とこのアニメとの相違点くらいでしょうか。
〔補:8月9日の夜のNHK番組「ふたり―コクリコ坂・父と子の300日戦争―」を偶々見たのですが、その中で、このアニメを見た父の宮崎駿氏が、「もっとこちらを脅かして欲しいんだよ」と、笑顔ながらも言っていたのが印象的でした。確かに、今回のアニメは、昔の宮崎駿氏のアニメの範囲から一歩も外に踏みだしてはいないのではと思われ、どうせ作るのであれば見る者をモット驚かしてくれるような飛躍したアニメ、斬新なところがあるアニメにして欲しかったな、と思います。〕
(注6)さらにいえば、こうした場合、より問題となるのは、建物の管理権(法的にではなく事実的に)を誰が持つのか、新築することでこれまで生徒が持っていた自主的な管理権が学校側に取り上げられるのではないか、といったいわば“ソフト”の面なのではないでしょうか?新しい建物になっても、従来通り、生徒側が自主的に管理できるというのであれば、その取り壊しに敢えて反対するものではないと考えられるところです。
(注7)宮崎駿氏は、1963年頃の特色として、「首都高はまだないが、交通地獄が叫ばれ道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。1963年は東京都内からカワセミが姿を消し、学級の中で共通するアダ名が消えた時期でもある」と断定的に述べています。
カワセミとかアダ名についてそのように判断する根拠が奈辺にあるのかよく分かりませんが、それはさておき、1963年といえば、連続TV漫画『鉄腕アトム』の放映が開始され、また初めての日米衛星中継で米国から流れてきたのがケネディ暗殺事件というショッキングな出来事があった年でもあります。どんな出来事を選択して特徴付けるかで、その時代の印象も随分と変わってくると思われます。
(注8)宮崎駿氏は、その「覚書」の末尾で、「マンガ的に展開する必要はない。あちこちに散りばめられたコミック風のオチも切りすてる。時間の流れ、空間の描写にリアリティーを」云々と述べているところ、逆にそうだからこそ、このアニメに幅がなくなってしまい、ツマラナイ「凡作」に終わってしまったのではないでしょうか(といって、原作の「コミック風のオチ」が面白いというわけでもありませんが)?
(注9)〔補〕作家・ジャーナリストの冷泉彰彦氏が、「ニューズウィーク日本版8月15日」のエッセイ(「YAHOO!JAPANニュース」に掲載)で、「『コクリコ坂から』は、スタジオジブリの作品の中では、ファンタジー的な表現を抑制し、リアリズムの小世界を描く上でのアニメ表現ということでは十分に成功しており、佳品」だと述べ、さらに、「60年代回帰」という現象について日米比較を行っています。すなわち、米国については、「成功体験に彩られた団塊世代のカルチャーを、現在の20歳前後の若者が「仲良く継承しようとしている」というイメージ」と言えるのに対して、日本の場合、「団塊の世代が「学生運動の敗北」という屈折を抱きながら、コミュニケーションに悩む現代の若者を「だらしない」と批判するという、アメリカとは全く異なる構図があ」り、「そこで、押しつけがましく「回帰」を説かれても、ピンと来ないことが多いのではないか」と述べています。
ですが、この議論では、米国ではいざ知らず、日本で「60年代回帰」を映画界で担っているのは「団塊の世代」ということになりかねませんが、例えば最近の『マイ・バック・ページ』の山下敦弘監督は34歳ですからそんな簡単な話ではないと思えて、従って今回の作品について、「そうした「世代間の想いのすれ違い」という危険を十分に覚悟しながら、それを抑制された表現で救済することに成功していると思」うと言われても、とても同調することなど出来なくなってしまいます。
★★☆☆☆
象のロケット:コクリコ坂から