映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ミルク

2011年08月14日 | 洋画(11年)
 『ミルク』を銀座テアトルシネマで見ました。

(1)ユシフを巡る三部作のうち『蜂蜜』を既に見たところ、残りの2つの作品も限定された期間だけ上映されるというので、まず2番目の作品を見てきました。
 『蜂蜜』がユシフの少年時代を扱っているとしたら、『ミルク(Sut)』は青年時代、そしてもう一つの『卵』が大人の時期を扱っているため、2番目に見る作品としては適当でないかと思えたわけです。

 『蜂蜜』では、ユシフは6歳の少年で、途中で父親が亡くなってしまい、母親と2人で取り残されてしまいますが、映画の中で徴兵の通知がユシフのもとに届けられるので、『ミルク』のユシフはおそらく18歳ではないかと思われます。
 といっても、事前の身体検査で不合格となり兵役は免除されてしまいます。
 検査から家に戻ったあと、オートバイを運転している途中で転倒して地面に投げ出されてしまうのですが、その際に両足が痙攣し口から泡を吹いているのを見れば、てんかん持ちだという理由でユシフは不合格になったものと推測されます。

 また、その身体検査を受けるためにユシフは大きな都市に行きます。そしてその際に立ち寄った書店で、ユシフは女子大学生と出会い、検査の翌日に彼女の詩を見せてもらう約束を取り付けていたものの、検査で自分の疾患が明確になったことから、せっかくの約束を反故にして家に戻ってきてしまうのです。

 さらに、これも推測ですが、ユスフはそういう発作をこれまでも何度か起こしたことがあるのでしょう、高校を卒業したあとは大学には行かずに、母親と2人、余り大きくはない街のはずれにある貧相な一軒家で、生活をしています。生計の方は、母親と一緒に市場で物を売ったり(前の晩に母親が商売用の食べ物を作ります)、近所に牛乳を売り歩いたりして(牛を3頭飼っています)、立てているようです。



 どうもユシフは、他の若者の仲間には加わって遊んだりすることなく、元々口数が少ないこともあり、酷く地味な生活を送っている感じです。
 女性についても、上記の女子大生のように詩に興味があれば別ですが、他の女の子と二人きりになっても余り口をきこうともしません。
 こうしたユシフの唯一つの楽しみが、読書と詩作なのでしょう。
 彼の部屋には、本が随分と置いてあり、またドストエフスキーやランボーなどの肖像が貼ってありますし、机の上にはタイプライターがあります。母親の言によれば、朝起きてくるときは本を片手に持って食卓にやってくるようですし、何かというとタイプを打ってもいるのです。

 自分が書いた詩には自信があるのでしょう、雑誌に投稿したところ掲載されたので、それを持って、鉱山で働く親友のところまで出かけて行きます。その親友もユシフ同様詩作をしていて、雑誌に掲載されたユシフの作品を読んで感心した後、自分の詩も雑誌に投稿するよう依頼したりします。

 そんな暮らしを送っていたところ、母親の異変に次第に気づくようになります。家に戻ると、飲み残しのコーヒーカップが伏せてあったり、真新しい靴が玄関に置いてあったりします。
 先の兵役検査で家を離れていた際も、牛乳配達を変わりにやっておいてと頼んだにもかかわらず、母親はそれをしていないのです(そのために、以後の注文を断られてしまいます)。
 どうも、母親に男ができたようなのです。

 観客には、それが駅長だとわかりますが、そして2人が接近する経緯もわかりますが(注1)、ユシフにとっては、突然母親に裏切られたという思いが募ってしまうのです。
 ユシフは、男が乗る車の後を付けていって、男が湖で水鳥を射撃している背後から近づいて殺そうとまでしますが、思いとどまります。
 ですが、家に戻ると、母親が水鳥の羽を嬉しそうに剥いている姿を見て、心底ショックを受けてしまい、ユシフは親友のいる鉱山に働きに出てしまうのでした。

 全体として台詞は極端に少なく、状況について殆ど説明がないため観客の方で様々に推測する他はなく、目立つエピソードといえば母親の恋くらい、という大層地味な映画ながら、それでもユシフの心の変化がジックリと描き込まれているためでしょう、見ている方はゆったりとした気持ちで映画の中に入り込むことが出来ます。
 確かにスピード感のある映画はそれはそれで興奮しますが、また逆にこうした緩慢な時間を持った作品も得難いのでは、と思いました。

(2)最初に見た『蜂蜜』とすこし比べてみましょう。
a.両方の映画で、ユシフは何らかの疾患を抱えています。
 『蜂蜜』のユシフは吃音症であり、家で父親と話す場合は余り問題ありませんが、母親とか学校の仲間とかと喋る場合は余りうまくいかないため、いつも独りです。他方、『ミルク』のユシフもてんかん持ちであり、読書と詩作を好む随分と寡黙な青年として描かれています。

b.両方の映画で、ユシフと親との関係が問題とされています。
 『蜂蜜』では、ユシフは父親とは非常に密接な関係を持ちますが、母親とは余りうまくいきません。他方、『ミルク』では、父親はおらず、ユシフは母親べったりのところ、母親に男が出来たわかると殺意を抱くまでに嫉妬に駆られます。

c.両方の映画で、ユシフが住む家は周辺的なところに位置しています。
 『蜂蜜』でユシフが住む家は、父親が養蜂家のため森の縁にありますが、他方、『ミルク』でユシフが暮らしている家は、街にあるとはいえ、近代的なマンションが立ち並ぶ中心部ではなく、その一番外側と言えるようなところに設けられています。

d.両方の映画で、ファンタスティックな雰囲気が見られます。
 『蜂蜜』では、ことさらファンタスティックな要素が描かれているわけではありませんが、例えばラストでユシフが入り込む森からは大層ファンタスティックな印象を受けます。
 他方、『ミルク』では、ラスト近くで、随分と大きな黒いがユシフの家の台所で蠢いている様子が描かれています。これは、映画の冒頭で、逆さに吊り下げられた女の口から蛇が這い出てくる場面に通じるものがあるのではないでしょうか(女の下で薪を焚いて、煙で燻り出そうというのでしょう)?あるいは、ユシフが嫌悪する母親の女の部分を、蛇は表しているのではないでしょうか?
 また、湖畔でユシフが母親の相手と見られる男を殺そうとしますが、オオナマズを足元に見つけ、殺すことをやめてしまいます。こんなところにそんなに大きなナマズがと思ってしまいますが、むしろユシフは、そのオオナマズを抱き上げようとまでするのです(注2)。
 あるいは、自然とのコンタクトによって、人を殺すことの無意味さを悟ったのかもしれませんが、ある意味でファンタスティックなシーンとも言えるでしょう。

(3)福本次郎氏は、「映画は、多感な年ごろになった少年が外の世界の出来事に触れていくうちに大人になっていく姿をとらえる。カメラはじっと固定されたまま登場人物をフレームに収めるだけ。その冗長とも思える長まわしのカットは、ゆったりと流れる時間という芳醇に満ちている」、「ハリウッド的な作品の対極をなす映画作りの姿勢に別の意味での豊かさを感じた」として50点をつけています。
(なお、上記の福本氏の論評が掲載されている「映画ジャッジ」には、おなじタイトルとはいえ、なんとショーン・ベン主演の『ミルク』の写真が取り上げられています!)


(注1)この3部作の公式サイトの解説に「駅長」とあるのでここでもそれに従います。ただ、母親がこの男に好意を抱いたエピソードの一つに、郵便物を配達してユシフの家にやってきたところ、母親の目の前で転倒してしまった有様が実に滑稽だったことがあります。そういうシーンから、クマネズミは、彼は郵便局長ではないかと思ったのですが(また、ユシフが暮らしている小さな街に鉄道が通っているようにも思えないところです)。

(注2)実際にも、ヨーロッパには、体長1.5mクラスのオオナマズが生息しているようです。



★★★★☆