孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ベトナム  崩落事故のカントー橋 工事再開

2008-07-07 13:56:26 | 世相

(ベトナム・カントー橋崩落事故現場 “flickr”より By Ian Stacey
http://www.flickr.com/photos/ianstacey/1458920460/)

****ベトナム:崩落「カントー橋」の工事再開を決定****
 ベトナム南部で昨年9月、日本の政府開発援助(ODA)により建設中の「カントー橋」が崩落しベトナム人作業員54人が死亡した事故で、グエン・タン・ズン首相は4日、事故現場での工事を再開する政府決定を出した。
 橋の建設は大成建設、鹿島、新日鉄エンジニアリングの3社による共同企業体(JV)が施工。事故後、建設工事は中断していたが、ベトナム政府の事故調査委員会が2日に事故原因についての報告書を発表したことを受け、工事再開の運びとなった。
 事故の刑事責任について首相は、報告書に基づき捜査を進めるよう公安省に指示した。【7月6日 毎日】
***************

【メコンをフェリーで渡る】
2001年11月にベトナム南部を旅行したことがあります。
ホーチミンシティからガイドの運転するバイクの後部シートにまたがって、国道1号線を南下します。
水田に椰子の木が美しい田園風景を楽しみながら(お尻の痛みを我慢しながら)走ると、メコン川クルーズが有名なミトーを通りますが、このときは「そんな大勢人がやってくるような所なんかじゃなくて、もっとジャングルイメージところで・・・」とこだわり、更に先に行ったヴィンロンで昼食とクルーズを楽しみました。

このヴィンロンの街に入る前にメコン川の大きな支流である前江にかかる橋を渡ったはずです。
なんだか橋の話をガイドから聞いたような気はかすかにしますが、当時は「遺跡や風景ならともかく、そんな橋なんて日本でもいくらでも見られるよ」程度の気持ちでしたので、映像的には全く記憶に残っていません。
今になって思えば、この橋は2000年にオーストラリアの援助で建設されたミートゥアン橋(全長1535m、工期約3年、総工費約63億円)でした。

ヴィンロンでのクルーズ後、バイク旅は更に1号線を進みます。
ほどなく、メコン川のもうひとつの大きな支流、後江をフェリーで渡りました。
このフェリーはよく覚えています。
お尻の痛みからしばし解放されたこともありますが、フェリー船内を埋め尽くすバイクの群れ、その間を縫うように売り歩く様々な物売り・・・そのエネルギッシュな光景にしばし見とれていました。
この後江をフェリーで渡ると、メコンデルタの農産物集散地であるカントーに着きます。
メコンデルタの恵み・豊かさを物語るこのカントーの市場は圧巻でしたが、その話は今日は関係ありません。

【カントー橋崩落】
今日の話は、ヴィンロンからカントーに至るところで渡るメコン川支流、後江にかかる橋についてです。
今も述べたように、当時はフェリーで渡ったのですが、現在日本のODAを受けて橋の建設が進んでいます。・・・正確に言うと“進んでいました。”
橋の名前は“カントー橋”、冒頭記事にある橋です。
全長2750m、事業費320億円、85%が日本からのODAで、2004年9月着工、今年2008年にメコンデルタ最長の近代的な橋が完成する予定でした。

ところが、昨年9月26日に工事現場で橋げた崩落事故が発生。
死者54人(全員ベトナム人)、負傷者80人を出す大惨事となりました。
施工中のコンクリート桁(長さ40m×幅26m×高さ2.7m、容積約2,000立米、重量約3,000トン/一径間)が、二径間にわたり高さ約25mから崩落。
各橋脚の中間には架設中の橋桁を支える仮支柱(支保工)が設けられていましたが、崩落を防げませんでした。
この事業・事故概要・原因等については「メコンデルタインベトナム」に詳しく書かれています。)
http://cantho.cool.ne.jp/mekong/canthobridge/canthobridge.html

個人的には、この事故が起きたときは丁度エジプト旅行中で、帰国後も事故に関しては全く知らず、冒頭の工事再開の記事で初めてその件を知った次第です。
ですから、日本国内でどのように扱われたのかも知りません。

【事故原因に関する疑念】
このプロジェクトは、事業に参加できるのは日本企業に限るという「日本独占」(タイド)事業でした。
施工業者は大成建設株式会社・鹿島建設株式会社・新日鉄エンジニアリング株式会社共同企業体(TKN共同企業体)で、監理には日本工営株式会社・長大株式会社があたる“オール日本”による事業でした。
(なお、事故を起こした区間は、大成建設の下請けである国際企業(スイス系)が主に施工を担当)

ベトナム政府のカントー橋崩落事故調査国家委員会は当初1ヵ月での結論を予定していましたが、無期延期されていました。
事故原因については、素人の私には判断しようがありませんが、ベトナム国内で問題となったのは、事故は予見されていたのではないか、その対策を日本企業が怠ったのではないか・・・という疑念でした。

日本工営のコンサルタントをしていたエンジニアK氏は、カントー橋建設プロジェクト責任者に対し、事故が起こる3ヶ月前の6月27日付で、支保工系統が安全係数を満たさず作業条件が非常に危険、請負業者に再設計を求める内容の警告文を送付していました。
別のエンジニアも1月12日付文書で、仮支柱系統の施工方法に言及し、施工にあたっては安全度の確認のため仮構造の載荷実験を求めていました。

施工業者のTKN側は、K氏の指摘に関し、「その後、仮設工の設計見直し、補強工事を行った」と委員会で説明したそうですが、ベトナム国内紙は「3ヵ月で本当にやったのか。それなら、なぜ崩れた」と言う厳しい反応でした。
また、載荷実験を手抜きで行っていなかったことが原因ではないかとの批判もありました。【07年11月18日 IPS】
最先端技術を誇る日本の信用も崩落したようです。

【幕引き】
今回の工事再開にあたり、カントー橋崩落事故調査国家委員会は2日、事故原因に関する最終報告書をグエン・タン・ズン首相に提出しています。
報告書によると、橋げたを支える支保工の土台が不均等に沈下する不同沈下を起こしたことが主原因となり、構造物内の圧力が高まって破断・崩壊が連鎖的に発生し橋げたの崩落に至ったと分析。
不同沈下については、通常の設計では予測困難なリスクだったとしています。

全く内容は理解できませんが、“予測困難なリスク”ということで、日本企業側の責任は一切問わない内容のようです。
ネットでのこの件に関する意見では、ODA提供元である日本にベトナムが“配慮”した結果ではないかといったものが多く見られます。

【ODA事業のあり方】
上記「メコンデルタインベトナム」の最後のほうに、施工も監理も日本企業が行う“オール日本”方式について、“こうした企業は、お互いに非常に親密な関係にあるため、馴れ合いの状況に陥りやすい。ODA資金を投入した国の施工管理会社をODAプロジェクトに使うようなことは、今後あってはならない。”という意見も紹介されています。

日本のODAについては、今回の橋のような大規模事業が多く、それを日本企業が受注するかたちで利益が日本に還流しているといった批判も以前からあります。
また、そのような大規模事業のために地元住民の生活が脅かされているとの批判もあります。

国際支援においては、水や食糧、医療といった住民の生命・生活に直結する分野での地道な活動が重要であり、日本もそうした面での貢献を今後果たしていける“システム”を強化してもらいたいとは思います。

大規模事業もバランス、内容次第です。
以前も取り上げましたが、バングラデシュ・ジョムナ川にかかるジョムナ橋(全長4.8キロ、日本の円借款約213億円の拠出も得て、1998年6月に開通。)は自動車、鉄道だけでなくガスや電気も送ることができ、従来フェリーに頼っていた首都ダッカと北東部地域をダイレクトに結ぶ重要な役割を果たしており、地元では“夢の橋”とも呼ばれ、日本の資金協力は高く評価されていました。
今回のカントー橋もそのようになるはずだったのですが・・・。

ところで、橋ができるとフェリーやそこでの物売りで生活していた多くの人はどうなるのだろうか?という問題もあります。
進歩のための犠牲と言ってしまえばそれまでですが。
前述したオーストラリア援助のミートゥアン橋については、オーストラリアは橋を造った後に住民の移転問題の調査を行い、それを自国の教科書で教材として使っているそうです。


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