孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ルワンダ  99%超の得票率で大統領選を勝利したカガメ氏は大虐殺復興の「英雄」か、「独裁者」か

2024-07-29 21:21:06 | アフリカ

(【7月14日 日経】)

【疑惑のベネズエラ・マドゥロ大統領の勝利 注目される今後の展開】
注目されていた南米・ベネズエラの大統領選挙は“予想通り”選挙管理委員会による“疑惑の結果発表”となっています。

****ベネズエラ大統領選、出口調査で野党有利も現職が勝利 周辺国が結果疑問視や抗議****
南米ベネズエラで行われた大統領選挙で、出口調査で野党の勝利が確実視されていたにもかかわらず、現職のマドゥロ大統領が勝利したことに対し、周辺国から懸念の声が上がっています。

ベネズエラで28日に行われた大統領選挙は、現職で反米左派のマドゥロ大統領(61)が得票率51%で勝利したと選挙管理委員会が発表しました。 事実上一騎打ちの相手だった野党のゴンサレス氏(74)は44%にとどまったということです。

一方、ベネズエラの調査会社が出した出口調査ではゴンザレス氏の得票率が65%で、マドゥロ氏は14%と予想されていました。

この選挙結果について周辺国の首脳らが相次いで懸念を示しています。

アメリカのブリンケン国務長官は29日、「国民の意思が反映されていないことを懸念している」と述べ、投票結果の詳細を公表するよう求めました。

また、チリのボリッチ大統領は「検証不可能な集計結果は認めない」と述べたほか、ペルーの外相は「ベネズエラ国民の意思の侵害を容認しない」と非難しています。

CNNによりますと、このほかアルゼンチンやグアテマラア、コスタリカなど複数の国の首脳が結果を疑問視する声を上げているということです。【7月29日 テレ朝news】
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もし、マドゥロ大統領が素直に負けを認めたら“サプライズ”でしたが、そういうサプライズは起きず、ここまでは予想された展開。

問題はここからどうなるのか?という話ですが、野党側の抗議行動、(政権側のコントロール下にあるとはされていますが)軍の反応、アメリカなどの関係国・周辺国の対応が注目されます。

【ジェノサイドを経験したアフリカ・ルワンダでは、復興の立役者カガメ大統領が99%超の得票率で勝利、4期目に】
一方、アフリカのルワンダでは7月15日に大統領選挙が行われ、現職カガメ大統領が99%以上の得票率で当選しています。

****カガメ氏勝利、4期目へ=ルワンダ大統領選****
アフリカ中部ルワンダで15日、大統領選の投票が行われ、16日時点の中間開票で現職カガメ氏(66)が99%以上を得票し、再選されることが確実となった。4期目となる。【7月17日 時事】 
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ルワンダでは1994年に起きた約100日間に及ぶ住民同士の凄惨なジェノサイドによって80万人が犠牲になったとされています。
以前から多数派フツと少数派ツチの対立はありましたが、それでもフツとツチは共存して暮らし、両者間の婚姻も普通に見られました。

しかし、1994年4月6日夜、フツ出身のジュベナール・ハビャリマナ大統領(当時)が乗った航空機が首都キガリ上空で撃墜されました。これをきっかけにフツ強硬派民兵組織などによるツチ大虐殺へとつながっていった・・・とされています。(このあたりの虐殺の実態については異論もあります)

****30年たった今も見つかる2千人の骨、殺りくをあおったラジオの教訓 80万人犠牲のルワンダ大虐殺、今も続く悲しみと希望****
今から30年前、アフリカ中央部の小国ルワンダで悲劇が起きた。この国で多数派を占める民族、フツ人主体の政府軍や民兵が1994年4月から7月までの約100日間で、少数派ツチ人と穏健派フツ人の殺りくを繰り広げたルワンダ大虐殺だ。

当時、権力を巡る争いなどが続いていたルワンダで惨劇の引き金となったのは、フツ人の大統領を乗せた航空機が何者かによって首都キガリで撃墜されたことだった。

国際社会の介入が遅れて被害は拡大し、犠牲者は約80万人に達した。(中略)

 ▽家の下に埋まっていた2千人
虐殺の追悼式典を前に訪れたルワンダ南部フエ。学校で子どもたちが打ち鳴らす太鼓の音色が心地よい丘陵地帯に、空き地がぽっかりと口を開けていた。殺りくの現場だったとは想像できないほど、周囲にはのどかな風景が広がる。そんな場所で虐殺の犠牲者の遺骨が見つかったのは、昨年10月のことだった。

遺骨を見つけたのは、住民に住宅の拡張工事を依頼された建設業者だった。バナナの木が生い茂る約50メートル四方の土地で作業を始めたところ、地中から人骨が出てきたのだ。

近隣住民によると、依頼主の女性は遺骨が埋まっていることを知っていたとみられ、口止めのために業者に金を支払おうとしたという。骨は女性の家の下からも見つかった。バナナの木は隠ぺい目的で植えられた可能性があり、地元警察は女性を含む複数人を逮捕した。女性の親族は虐殺への関与をほのめかしたという。

「言葉にならない。家族がここに埋められたかもしれない」
現場で出会った遺族は30年たってもなお生々しい虐殺の記憶に苦しんでいた。両親ときょうだい計8人の遺骨が見つからず、自らも九死に一生を得た生存者団体のメンバー、アリス・ニラバゲニさん(40)。現場の捜索作業などを統括し、この空き地で2060人の遺骨が発見されたと語った。

自身も捜索に加わったニラバゲニさん。「きっとこの中に家族がいるはず」と祈るような気持ちで掘り、土にまみれた骨を一つ一つ丁寧に洗った。だが身元の特定はほとんど進まず、家族の行方も分からないままだ。
全土で虐殺の嵐が吹き荒れていたとはいえ、なぜこの場所に2千人もの遺体が捨てられたのか。

ニラバゲニさんに問うと、「虐殺が起きた時、現場近くには民族を見分けるために検問所が設けられていた」と明かしてくれた。ツチ人を見つけ出すためにフツ人が作った検問所でツチ人が見とがめられて殺害されるたび、この場所に遺棄されたという。当時、ルワンダ国民の身分証には民族を記載する欄があり、たった1枚の紙切れが運命を分けた。

ニラバゲニさん自身は避難先のモスク(イスラム教礼拝所)に押し寄せた男らに暴行を加えられて気を失い、死んだと勘違いされ助かった。だが胸元に残る傷痕が今も生々しく惨劇を物語る。

一緒だった兄2人がなたで切りつけられて目の前で殺された光景が脳裏から離れず、話しながら嗚咽を漏らした。近隣にある大学で運転手をしていた父、優しかった母…安定した一家の幸せな生活は虐殺で破壊された。

近くにある地区の事務所に足を踏み入れると、薄暗い室内に整然と並ぶ大量の骨が目に飛び込んできた。子どもの骨もあり、鈍器で殴られて穴が開いたとみられる頭蓋骨が凶行を物語る。(中略)

虐殺後に就任したカガメ大統領はトップダウンで和解を推進し、加害者と被害者が同じ地区で暮らすことは珍しくない。30年の月日がたち、カガメ氏が追悼式典の演説で「75%近くの国民は35歳未満だ」と指摘したように、多くのルワンダ人にとって虐殺は直接の記憶ではなくなっている。

だが近年もルワンダ各地で遺骨が相次いで見つかり、当時の出来事が過去のものになったとは言えない状況が続く。

加害者についてどう思うかニラバゲニさんに尋ねると、遠くを見やって少し考えてからつぶやいた。「人間は時に動物のように見境がなくなる。彼らには自分がしたことを正直に話してほしい」(後略)【6月23日  47NEWS】
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国際社会にはこの虐殺を阻止できず傍観することになったことへの反省と悔恨があります。

虐殺開始から30年目となる今年4月7日に行われた式典で、カガメ大統領は「国際社会の蔑視もしくは臆病のため、われわれは皆見捨てられた」と国連など国際社会の対応を痛烈に批判しています。【4月8日 AFPより】

この虐殺の主体となったフツ系民兵組織を武力で一掃して実権を掌握したのが、当時ツチ系の反政府武装勢力を率いていたカガメ氏でした。

その後、カガメ氏は混乱の収束につとめ、ツチ・フツの和解、虐殺からの復興、崩壊した経済の立て直しをリードし、その指導力もあってルワンダは毎年7%ほどの成長を実現し、「アフリカの奇跡」とも称されています。

ただ、上記のような虐殺に関する「通説」とは異なる指摘もあります。
そもそもツチ・フツの緊張関係が高まったのは、カガメ氏率いるツチ系武装勢力による侵攻が起きてからであること、虐殺のきっかけとなったハビャリマナ大統領(当時)搭乗航空機撃墜はそのツチ系武装勢力によるものではなかったのかということ、虐殺はフツによるツチや一部フツに対してだけでなく、ツチ系武装勢力などツチによるフツ虐殺も多かったのではないかということ・・・等々、多くの疑問があります。

そのあたりの話には今回は立ち入りません。

【カガメ大統領 批判を許さず、政権存続のためには手段を選ばないという強権的・冷酷な一面も】
いずれにしても、虐殺を収束させ、復興をリードしてきたカガメ大統領が多くの国民から支持されているのは間違いないでしょうが、「99%超の得票率」と言われると、「そんなことってあり得るのか?」という疑問も。

従前よりカガメ大統領については、ルワンダを復興に導いた政策が大きな評価を得る一方、カガメ批判、政府批判を一切許さず、政権存続のためには手段を選ばないという強権的・冷酷な一面も指摘されています。5年前の下記記事でも・・・

*****大虐殺から25年、ルワンダに蔓延する「新たな恐怖」****
政敵の暗殺、ホームレス一掃…復興の立役者カガメ大統領の黒い噂

約80万人が犠牲になった「ルワンダ虐殺」から25年。復興政策を推し進め、目覚ましい経済発展に尽力したポール・カガメ大統領の手腕は国際的に高く評価されている。だが、その一方で政敵を次々と排除し、権力に固執する態度を危険視する向きもある。

「大虐殺」から「アフリカの奇跡」へ
1994年に起きた「ルワンダ虐殺」から今年で25年が過ぎた。(中略)悲しい歴史から四半世紀をへて、ルワンダは大きく変わった。アフリカのなかでは政情も安定しているほうで、2000年以降は平均7%の経済成長を続けている。この見事な復興は周辺国から「アフリカの奇跡」と称されている。

こうしたルワンダの「変貌」の立役者が2000年に大統領に就任したポール・カガメだ。
虐殺が起きた当時、反政府ゲリラ組織「ルワンダ愛国戦線 (RPF)」の幹部だったカガメは武力でルワンダ全土を制圧し、虐殺を終結させた。

1994年7月に新政権が発足すると、カガメは副大統領兼国防相に就任。身分証明書の民族名の記載を廃止したり、元兵士には民族に関係なく平等に社会復帰支援をしたりといった民族融和政策を積極的に推進した。

2000年には、20年以内に中所得国を目指す経済成長戦略「Vision2020」を掲げ、海外からの投資を積極的に呼び込んだ。近年は、アリババやファーウェイを誘致するなど、中国企業との結びつきを強めている。

貧困、医療、教育の改善にも力をいれるほか、女性の地位向上にも努める。ルワンダは女性議員の占める割合が64%と、世界で最も高い比率を誇る。

このようにルワンダを発展に導いたカガメの手腕は国際的に高く評価されているが、その一方で彼には常に黒い噂もつきまとう。

邪魔者は容赦なく排除
AP通信によれば、カガメは自身の支配体制を盤石のものにするため、厳しいメディア規制と言論統制を敷いているという。体制批判をしたメディアはただちにつぶされ、人権団体も市民グループも社会活動を自由におこなうことができない。

ルワンダを取材するイギリス人作家マイケル・ロングは、「ルワンダでは政権を批判する余地がまったくない。カガメの絶大な権力を受け入れるか、国を去るかのいずれだ」と話す。

ルワンダを美しい、理想的な国にするための強硬策は一般市民にも及んでいる。人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」によれば、ルワンダではホームレスや屋台を営む人たち(多くが女性だ)が不当に逮捕され、密かに拘留されているという。

カガメは政敵も容赦なく排除する。民族融和を謳いながら、現政権の閣僚は彼と同じツチ系で固められている。

1998年にはカガメを痛烈に批判していた元内相のセス・センダションガが亡命先のナイロビで暗殺された。ルワンダ政府の仕業と見られているが、カガメはこれに対し「謝る気はない」とコメントしている。

2014年には対外情報機関の元トップで、数年前から南アフリカで亡命生活を送っていたパトリック・カレゲヤが、首都ヨハネスブルクのホテルで窒息死した状態で発見された。カガメは政府の関与を否定しているが、「祖国を裏切った者は報い受ける」と警告を発した。

2017年の大統領選でカガメは得票率98%で再選を果たし3期目に突入したが、その選挙の際には有力な対抗馬が投獄されている。カガメは「正当な手続きをしたまで」とコメントしたが、人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は、「国民の間にカガメに対する恐怖が蔓延している」と話す。

「罪悪感」で手を出せない西側
カガメのこうした独裁化を知りながらも、西側諸国は見て見ぬふりだ。その理由を、トルコメディア「TRTワールド」は、「西側にはルワンダの虐殺を止められなかった罪悪感があるからだ」と説明する。

当時、国連平和維持軍は国連憲章の制約を受けていたため、虐殺が起きてもただ傍観することしかできなかった。ソマリアの人道的介入で多数の死傷者を出したばかりのアメリカも、軍の派遣には消極的だった。

その結果、歴史的にも類のない規模の殺戮が起きた。罪の意識から、虐殺を制圧し、平和を復活させたカガメを西側は批判することができないというのだ。ルワンダ国民は政府の弾圧に対する恐怖から、声を上げることができない。上げたところで、カガメに変わる指導者がいるわけでもない。

当面、カガメの独裁化を阻むものはない。それどころか2015年に憲法が改正されたせいで、カガメは最長2034年まで大統領の座に君臨し続ける可能性がある。(後略)【2019年4月19日 クーリエ・ジャポン】
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そして5年後の今回も。

****ルワンダの大統領選「カガメ氏が4選」得票率は99%、無敵の大統領は英雄か独裁者か****
<虐殺を終わらせた現職のカガメ大統領が4選。経済成長の裏で民主的な投票ではあり得ない強権支配。ほかの候補者はたいてい失格、毎回、実質的に対抗馬はいない...>

ルワンダの大統領選が7月15日に行われ、現職のポール・カガメ大統領が4度目の当選を果たした。カガメの得票率は99%。対立相手のほとんどは立候補が認められず、事実上、不戦勝だった。

カガメは1994年、ツチ人主体の反政府組織「ルワンダ愛国戦線」を率いてフツ人の過激派に勝利し、ツチ人を中心に80万人以上が殺害されたジェノサイド(集団虐殺)を100日間で終結させた。

その後まもなく副大統領に就任し、2000年、前任者の辞任に伴い、議会によって大統領に選出された。

以来、カガメは選挙で連勝している。前回の17年の大統領選でも得票率は約99%で、これは民主的な投票ではあり得ないとの指摘もある。カガメを声高に批判する候補者はさまざまな理由でたいてい失格となるため、毎回、実質的に対抗馬はいない。

今回の選挙では、緑の党のフランク・ハビネザ党首と、元ジャーナリストで無所属のフィリップ・ンパイマナの2人が立候補を認められたが(両者は前回選挙にも出馬)、政治アナリストによれば、彼らには勝利するための資金と選挙運動手段がない。

ルワンダ国民にとってカガメは、民族分裂を終わらせたビジョナリーであり、独裁者だ。多くの国民は、電気、舗装道路といった重要な公共サービスへのアクセスが拡大するなど、カガメの下で実現した経済変革を称賛している。

カガメは汚職に関与した閣僚を罷免し、結果を出さない者には責任を追及してきた。国際団体トランスペアレンシー・インターナショナルによると、ルワンダはアフリカで最も汚職の少ない国の1つだ。

国民は権威主義を受け入れ、不安定さよりも効率性を求めていると専門家らはみている。ルワンダには報道の自由がなく、人権団体や反政府活動家は、カガメが国外で反体制派の暗殺を組織していると非難する。

ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、17年の大統領選以降、少なくとも野党議員5人と反体制派やジャーナリスト4人が死亡、あるいは行方不明になっている。

援助が「テロの輸出」に
他国からの多額の援助にもかかわらず、ルワンダは依然として貧しく、マリやニジェールのような紛争に直面しているサハラ南縁諸国と同レベルだ。

国家予算の40%以上を援助に頼っており、外国援助の少なくとも一部は、近隣諸国への「テロの輸出」に使われているとも指摘されている。

コンゴ(旧ザイール)のフェリックス・チセケディ大統領は、ルワンダはコンゴに逃れた大量虐殺の加害者を捕らえることを口実に、民間人を虐殺し、コンゴの鉱物資源を略奪していると非難している。

アメリカと国連は、ルワンダがコンゴ東部の反政府勢力「M23」を支援していると主張している。国連の専門家による最新の報告書によると、M23を支援するルワンダ兵は3000〜4000人に上る。

安全保障の専門家が懸念するのは、ルワンダとコンゴ間の戦争と、「カガメ後」だ。ルワンダ政府は15年に憲法を改正し、カガメが最長で2034年まで大統領にとどまることを可能にした。

彼の下で民主主義制度が完全に損なわれていることを考えると、ポスト・カガメの時代は不安定さが増す恐れがある。【7月29日 Newsweek】
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おそらくカガメ批判をする候補の出馬を認めても、これまでの実績を考えればカガメ大統領が勝利すると思いますが、なぜそこまで批判封じ込めに走るのか・・・強権支配者の心理は理解しがたいところがあります。

“カガメ大統領は『日本経済新聞』記者による取材に対して「完璧な指導者などいない」「ルワンダにふさわしい統治をしている」と語り、強権的との批判は「気にしない」と述べている。”【ウィキペディア】
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