(1989年6月4日、北京の天安門広場近くの長安街で1人の市民が捕まり、大勢の兵士の前でひざまずかされた。奥には見えるのは中国国旗【6月1日 朝日】)
【アメリカの「虐殺」非難に、中国は「国情にあった発展の道を歩んできた」と自負】
天安門事件から30年、現在の米中対立を受けて、天安門事件についても米中間で応酬が。
****中国報道官「内政干渉」と米に反発****
中国外務省の耿爽(こうそう)報道官は31日の記者会見で、天安門事件を「虐殺」とするなどした米国務省報道官の発言について、「中国政府に対するゆえなき非難で内政干渉だ」と反発し、「強烈な不満」を表明した。
耿氏は天安門事件に関して「前世紀80年代末に発生した政治風波(騒ぎ)」と、従来の主張を展開。
さらに建国70周年を今年迎えることに触れて「新中国が発展し巨大な成果を得られたのは、国情にあった発展の道を歩んできたことを証明している」と述べ、中国の統治体制を正当化した。【5月31日 産経】
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民主化を求める学生らの抗議を戦車で踏みつぶした天安門事件は「虐殺」であったのは間違いないでしょう。
犠牲者数については“中国共産党の公式発表では、「事件による死者は319人」となっているが、この事件による死傷者については、上記の中国共産党による報道規制により、客観的な確定が不可能であり、数百人から数万人に及ぶなど、複数の説があり、死者数は定かではない。”【ウィキペディア】ということで、わかりません。
中国共産党はこの事件を「反動分子による動乱」としていますが、この評価を変えない限り、いかに中国が経済的繁栄を謳歌しようとも、国際的な影響力を高めようとも、真に民主的な「大国」としてリスペクトされることはないでしょう。
しかし、事態を難しくしているのは、中国政府の言うように「新中国が発展し巨大な成果を得ている」という事実があることです。
多くの問題を抱えながらも、中国が膨大な貧困を急速に改善し、多くの国民の生活が著しく向上していることは事実です。
中国共産党が“国情にあった発展の道”を誇るのも、単なる虚勢ではありません。
その成果は、中国国民に一定に支持されてもいます。
【「パンか自由か」で揺れる政治 今、世界で振り子は「自由よりパン」に】
「パンか自由か」という選択は、常に政治が直面する課題です。
中国共産党は、自由を犠牲にするかわりに豊富なパンを提供するという形で、大きな「成功」を収めました。
その意味では、実に“うまくやった”とも言えます。
日本では、十数年前から「中国崩壊論」に関する書籍が絶えず出されて、多くの中国嫌いの人々がこれに飛びついていますが、一向に中国は崩壊しません。
多くの「中国崩壊論」は中国指導部の能力を過小評価しているように思えます。
しかしながら、やはり「パンだけでいいのか?」という根源的問いかけは残ります。
先ほどTVで放送されていた番組で、事件当時の学生デモリーダーが「現在の中国国民はブタだ。目の間に出された餌をがつがつ食べている。餌さえもらえれば、それ以上のことは考えない」といった類のことを発言していました。
「パンか自由か」という選択は、中国のような独裁国家だけの問題でもなく、欧米諸国においても、台頭するポピュリズムとも関連する問題でしょう。振り子は、「自由よりパン」に振れているようにも。
****東欧革命から30年──「自由かパンか」で歴史は動く****
<89年以来の民主化はロシアや東欧で風前の灯火――日本や中国にも影響を与える「分配」の呪縛は解けるのか>
89年、東欧の自由化への動きがポーランドでのろしを上げた。5月2日にハンガリーがオーストリアとの国境の鉄条網の撤去に着手し、8月にはその国境から東ドイツ市民が大挙してオーストリア経由で西ドイツへ脱出。11月9日夜にはベルリンの壁が崩壊して頂点に達した。
東欧市民は自由もろくな商品もないソ連型社会主義に別れを告げ、自由と繁栄を謳歌する西欧文明へ回帰。2年後にはソ連自身もその行列に加わった。
あの熱狂から30年。ロシアも東欧も、インテリは自由と民主主義、大衆はより良い生活を求めたが、ほとんどは失敗か模索の途上にある。
衣食足りて礼節を知る。経済が良くならないと自由や民主主義を語る余裕は生まれないが、外資はロシアと東欧を素通りし中国に向かう。国内資本だけでは技術開発競争に伍することはできず、社会主義時代の経営ノウハウや勤労意欲のままでは成長は起きない。
だが30年前は自由と繁栄の花園だった西欧諸国も、アメリカの技術革新と中国などアジアの低賃金労働に負けると、好況期に呼び寄せた中東・アフリカ、東欧からの出稼ぎ労働者を敵視。反移民・反EUのポピュリズムに流れ始めた。
自由よりもパンを求め、ナチスを思わせる国家社会主義の極右政党に喝采を送る西欧市民は増える一方だ。
所得格差より精神面格差
今のロシアはその国家社会主義の中枢となり、欧州諸国の極右政党を支援する。東欧自由化の端緒を開いたハンガリーでも、現在のオルバン政権は国内を統治するため権威主義を必要とし、反EUでロシアのプーチン政権に擦り寄る政策を取っている。
この歴史のむなしい堂々巡りの根底には「分配」問題がある。大衆に経済の配当をどのくらい与えるべきか。19世紀西欧では産業革命で国民の生活水準が上がり、文明は新段階に入った。
欧米と日本の国民は選挙権を得て、政治家や政府との主従関係を逆転させた。政治家にとって今や一般国民の機嫌を取ることが最重要課題となっている。
エリートには自由、大衆にはパンを――これを議会制民主主義の下で何とかやっていこう、というのが、この100年の文明モデルだと言っていい。
その中で自由と市場経済に過度に傾くと、社会は非人間的となり格差が増大する。
分配に過度に傾くと、人民の名において金持ちやインテリの権利を抑え付ける専制になりやすい。
専制は腐敗と頑迷を助長して社会を窒息、経済を停滞させる。
産業革命以来、歴史の振り子はこの2極の間で振れてきた。いま欧州の振り子は、「自由よりパン」に振れている。
ロシアの大衆はプーチンの下で、「自由よりパン」の極に20年間貼り付いたままだ。
日本はおかしなことにロシアに少し似て、有権者の多くは安倍政権に経済・社会政策しか期待していないようだ。
アメリカも同様で、国民は自分の暮らしに無関係なベネズエラやイランへの関与を望まない。
一方中国は逆で6月4日の天安門事件30周年を前に、当局は社会の振り子が自由・民主主義要求に振れるのではないかと戦々恐々としている。
歴史は創造と分配の両極間に閉じ込められて、もう前に進めないのだろうか。
いや、世界の文明は折しも産業革命以来の転換点にある。ロボットや人工知能(AI)の発達で産業の生産性が格段に高まり、大衆への経済の配当を大幅に増やせる、さらには働かなくても一定の所得を保証できることになるからだ。
そこでの問題は所得格差より、精神面での格差となる。上を目指す者と、所得保証で満足してボーッと生きる者の間で生じる摩擦をどうするか、という問題だ。
富裕層は遺伝子操作で、全く別種の生き物になってしまうだろう。
「ロボット」という言葉を発明したのは、近代チェコの作家カレル・チャペックだ。東欧はソ連圏を崩壊させただけではない。18世紀以来の近代文明からの脱皮、社会の振り子のための新しい極も準備してくれたのだ。【5月31日 河東哲夫氏 Newsweek】
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中国を非難するアメリカ・トランプ政権も、国内的批判はフェイクと決めつけ、「アメリカ第一」で“アメリカ国民のパンのため”と国際協調にも背を向ける・・・中国と似たり寄ったりにも見えます。
【事件前より人権や言論の自由ない現体制】
話を天安門事件に戻すと、当時の関係者の話に共通するのは、事件前より現在の方が「自由がない」という認識です。
****「天安門事件前より人権や言論の自由ない」王氏***
天安門事件の学生リーダーだった王丹氏と、中国の民主化運動の雑誌「北京の春」の編集者、胡平氏が米国から来日し、29日、東京都内で記者会見した。王氏は「今の中国は事件前よりも人権や言論の自由がなく、民主化実現の希望を持てない」と話した。
王氏は、事件後に逮捕されて服役し、1998年、病気治療を理由に仮釈放されて渡米した。現在は、米国の大学で客員研究員を務めながら、中国の民主化を目指す調査研究機関の代表として活動を続ける。
王氏は、中国の状況を悲観しながらも、「中国共産党政権のナショナリズムをあおる強権的な手法には限界が来る。経済状況の悪化も進むと人々の不満も高まる。あきらめずに中国の民主化の必要性を訴えていく」と強調した。
胡氏は「今の中国は情報統制が敷かれ、国内では事件を知ることすら難しい。民主化はほど遠い」と断言した。【5月29日 読売】
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****習氏、天安門「教訓」に強権=事件直後、長老ら強硬論―米教授****
著名な中国政治専門家である米コロンビア大のアンドリュー・ネイサン教授は1日、1989年6月の天安門事件から30年を迎えて明治大(東京都千代田区)で開催されたシンポジウムで講演し、当時の中国共産党長老ら17人が事件直後の会議で、民主化運動の武力弾圧を強く支持するなど強硬論を唱えた内部講話の内容を明らかにした。
ネイサン氏は、天安門事件を「教訓」に習近平国家主席は強権体制を確立したと解説した。
ネイサン氏が公表したのは、89年6月19〜21日に開催された共産党政治局拡大会議での発言。
学生に同情した趙紫陽総書記を正式に解任し、後任に上海トップの江沢民氏を抜てきするなど事件を総括した23〜24日の党第13期中央委員会第4回総会(4中総会)の準備のため、既に一線を退いた長老らが相次ぎ発言した。
徐向前元帥は事件について「国内外の反動勢力が相互に結び付いた結果であり、社会主義の中華人民共和国を転覆させ、西側大国のブルジョア共和国の属国になるものだ」と強調。聶栄臻元帥は趙氏に触れて「政治的陰謀と野心をあらわにし、われわれを攻撃している」と批判した。
会議では楊尚昆国家主席(当時)が「趙氏が総書記に就任して以降、(党最高指導部)政治局常務委員会には『核心』(突出した指導者)がいなかった」と発言。
ネイサン氏はこれを引き合いに、「独裁的な権力を手中に収めなければ板挟みの状態に置かれる。習氏が強大な核心権力を確立したのは天安門事件を教訓にしたものだ」と分析した。
ネイサン氏によると、長老らの内部講話の全容が明らかになるのは初めて。香港でこのほど出版された自身の著書「最後の秘密」に収録されている。【6月1日 時事】
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中国当局が封印して歴史から消し去ろうとする天安門事件ですが、当時学生だった劉建(Liu Jian)さん【共同 WSJ】や当時、現場に入った中国紙カメラマンによる未公開画像が新たに公表されています。
当時の人々が、パンに満ち足りた現在の中国の人々より、“いい顔”をしているように見えるのは私だけでしょうか。
北京の天安門広場で旗を振ったり、拳を突き上げたりする人たち(劉建氏提供・共同)【5月31日 共同】
5月中旬に市内の住民や一部の政府職員でさえ学生と連帯して行った行進。【5月31日 WSJ】
4月15日の共産党改革派の胡耀邦の死を記念した学生たちは、天安門の抗議行動に拍車をかけました。【同上】
5月下旬 人民英雄記念碑には、「人民は1989年を決して忘れない」という抗議のスローガンが飾られていました。【同上】
5月22日頃に広場でハンガーストライカー。左の男性は空腹痛を和らげるために気功を行っています。【同上】
5月18日、天安門広場でハンガーストライキをして倒れた学生を救助する医療関係者【6月1日 朝日】
5月22日、北京市西部の六里橋付近で、市内に入ってきた兵士たちに向かい、学生がデモを続ける理由を説いて鎮圧しないよう呼びかける女性【同上】
5月25日ごろ、北京の市民は軍用車両の進入を阻止し、兵士たちと議論しようと試みることで学生を保護しようとしている【5月31日 WSJ】
当局との衝突で負傷したとみられる人を運ぶ男性らの姿【5月31日 共同】