孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

タイ  インラック前首相弾劾・訴追  軍・官僚主導のタクシン以前体制への回帰の動き

2015-01-28 22:07:18 | 東南アジア

(1月22日 自身の弾劾審議のために立法議会に到着したインラック前首相 【1月23日 AFP】

【「タイの民主主義はすでに死んでしまっているが、その破壊行為はいまも続いている」】
タイでは、軍部による昨年5月のクーデター直前に、国家安全保障会議事務局長の人事問題について憲法に違反して縁故採用のために不当介入したと憲法裁判所が認定したことで失職したインラック前首相が、事実上のコメ買い取り制度であるコメ担保融資制度で在任中に巨額の損失を出すなどしたとして暫定議会で弾劾を受け、更に、検察により刑事訴追されることになりました。

弾劾により民政移管後の選挙の出馬もできず、刑事訴追が有罪の場合、最高10年の禁固刑となります。

****タイ前首相を弾劾 来年の選挙、出馬できず****
軍事クーデター後のタイの暫定議会(定数220)は23日、在任中に職務怠慢があったとして、インラック前首相(47)の弾劾(だんがい)を賛成多数で決めた。

インラック氏は今後5年間、被選挙権が剥奪(はくだつ)され、来年に予定される民政復帰の総選挙には出られなくなった。

検察当局も同日、職務怠慢の罪でインラック氏を刑事訴追する方針を決定。有罪の場合、最高で禁錮10年となる。

インラック氏は昨年5月、クーデター直前に別の事件で憲法裁判所の命令を受けて失職した。今回の弾劾や起訴の動きは、同氏を政治の表舞台に戻さないようにするのが狙い、との見方がある。

軍が進める「改革」は、民主主義の回復や国民間の和解といった本来の目的から、タクシン元首相派排除へと逸脱する印象を強めている。タクシン派の強い反発は必至だ。

インラック氏は、国家財政に大きな損失を与えたコメの実質的な買い上げ政策を廃止しなかったとして、国家汚職防止委員会がクーデター前の上院に弾劾を求めていた。

クーデターで上院もなくなったが、暫定議会は上院の権能を引き継いでいるとして審議を進めた。この日の投票では弾劾への賛成は190票で、規定(定数の5分の3以上)を大きく上回った。

暫定議会は、軍部の統治機関、国家平和秩序評議会が議員を選び、半数以上を現役・退役軍人らが占める。弾劾の成立も、軍部が「ゴーサイン」を出したとの見方が多い。

インラック氏は23日午後、フェイスブックを通じて声明を発表し、「タイの民主主義は法の支配とともにすでに死んでしまっているが、私が直面しているケースのように、その破壊行為はいまも続いている」と弾劾成立を批判した。【1月24日 朝日】
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インラック政権は2011年の発足直後、事実上コメを市場価格より高値で買い取るコメ担保融資制度を始めました。しかし、大量の在庫と1兆円以上の損失が生じ、数々の汚職疑惑も浮上し、反タクシン派の反政府デモを激化させる一因となりました。

反タクシン派からは、同制度はタクシン派・インラック前首相の支持基盤である農民を抱き込むための国家予算を使ったバラマキ政策と見なされていました。

首相在任時、国家汚職防止委員会や国家会計検査院から国家予算や財政規律に多大な影響を与えると再三警告を受けていたのに融資制度を中止しなかったインラック前首相の行動は「職務怠慢」にあたると弾劾されたものです。

これに対し、インラック前首相は、融資制度導入で農家の収入が増え貧困率が低下する効果があったと反論。弾劾請求には「隠された政治的思惑」があると批判していました。

農家優遇政策は日本を含め多くの国で取られている政策であり、国家財政に巨額の損失云々も、低所得農家への所得再分配政策とみることもできます。(もちろん、農民層が政治的支持基盤であることを意識しての政策であることは間違いありませんが)

そうした政策の妥当性については、本来は選挙において民意を問うべき性格の問題であり、「職務怠慢」云々での弾劾に相当するものかは疑問があります。

もともと失職の直接原因となった人事問題についても、タイだけでなく多くの国で縁故採用は蔓延している問題でもあり(だから構わないとは言いませんが)、それをもって失職に追い込むというのは「司法クーデター」の感もあります。

もとよりタイ司法は、タクシン派に担がれたサマック元首相について、テレビの料理番組に出演し報酬を得たことは、憲法で定められた「首相の副業禁止条項」に抵触したと違憲判断を下し失職に追い込んだ前科もあるとおり、そうした反タクシン派的司法クーデターを厭わない存在でもあります。

プラユット暫定首相が率いる軍事政権や司法当局が、選挙ではなく司法によってことを進めるのは、選挙による民意は本来あるべきものを正しく反映しないとの基本認識があり、民意を左右する農民・貧困層の政治参加を否定するところに根差しています。

根強いインラック人気を軍政が警戒
国際的にはクーデターによる軍事政権には、その出自や強権的な性格に対し批判的な見方が多い中で、タイ国内では、現在の軍主導の体制は、長く続いたタクシン派・反タクシン派対立の混乱を収めて安定をもたらしたと評価する声が多いと報じられています。

****世論調査、「9割がNCPOの仕事ぶりを評価****
ラチャパットスアンドゥシット大学の世論調査センター「スアンドゥシット・ポール」は1月25日、「約9割が国家平和秩序評議会(NCPO)の仕事ぶりに満足している」との調査結果を明らかにした。
同調査は20日-23日に実施されたもので、全国の1840人が回答した。

昨年5月の軍事クーデターから現在まで8カ月間のNCPOの働きぶりをどのように評価するか」との質問では、「どちらかといえば満足」「満足」「非常に満足」が90%を超えた。(中略)

なお、現政権の後ろ盾的存在であるNCPOは、軍首脳などで構成されており、プラユット首相が委員長を務めている。【1月26日 バンコク週報】
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それでもインラック前首相に対して厳しい措置でのぞむ背景には、インラック前首相の根強い人気やタクシン派の動向への警戒感があると思われます。

****インラック前首相に実刑判決の可能性、根強い人気を軍事政権が警戒****
5月のクーデターによる軍事政権が続くタイで、インラック前首相の動向に再び注目が集まっている。

軍政は新憲法制定などを経て、早ければ来年中にも総選挙を実施して民政に移管する方針だが、軍政に抑圧されるタクシン元首相派では、インラック氏を再び首相候補にかついで巻き返しを画策する動きもある。

タイの英字紙バンコク・ポストは11月「インラック氏はクーデターを予見していた」とする記事を掲載。インラック氏はこの中で、「(政権の)ハンドルを握ったときから銃を頭に突きつけられていた」など、軍事政権を批判した。

同紙は後日、記事は、インラック氏が親しくしているジャーナリストが“プライベート”で交わした会話内容だったとしてこれを取り消した。

ただ、前首相による軍政批判ともとられる発言に、暫定政権のプラユット首相(前陸軍司令官)は「誰が銃を突きつけたというのだ」と反発。インラック氏に認めていた海外渡航の禁止を検討するなどの方針も示された。

軍政がインラック氏を警戒する背景には、その人気の高さもある。バンコク大学がクーデターから半年を機会に行った世論調査では、次期首相への支持率はインラック氏が26・6%で、インラック前政権と対立した民主党党首のアピシット元首相の25・1%を上回った。

こうした中、タイ国家立法議会は、コメ買い取り政策をめぐり職務怠慢があったとして告発されたインラック氏の弾劾決議案の審議を来年1月に行う予定を示した。同月中に採決が行われ、弾劾が決まった場合、インラック氏は5年間の政治活動が禁止となる。

インラック氏は、一連の手続きが「公平性を欠いている」と主張しているが、軍政が一手に権力を握る現状で、どこまで抵抗できるかは不透明だ。【12月30日 産経】
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インラック前首相の根強い人気と、前出の国家平和秩序評議会への高い評価がどのように両立しうるのか・・・そのあたりはよくわかりません。

米高官、インラック弾劾を批判「民主主義が回復されるまでタイとの関係は正常化できない」】
こうしたなかで、タイ訪問中のアメリカ高官の軍政批判発言が政権の怒りを買っています。

****米政府高官、インラック前首相弾劾に「好ましくない****
タイ訪問中のダニエル・ラッセル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は1月26日、国立チュラロンコン大学で開催された会議の席上、「国民に選ばれたリーダーがその座を追われ、クーデターを起こした勢力によって弾劾され、また、刑事訴追されようとしている。国際社会はこれを政治的なものとみている」などと述べ、インラック前首相が弾劾によって過去に遡って首相罷免、公民権5年停止となったのは政争の結果であり、望ましくないとの見解を明らかにした。

このほか、次官補は、「米国はタイのどの政治勢力にも与しないが、言論の自由や集会の自由が制限されており、これを懸念している」と述べ、戒厳令は解除すべきであると提言した。

なお、昨年5月にタイで起きた軍事クーデターに対し、米国を含む諸外国は当初、厳しい反応を示すことになったが、そのせいもあってクーデター後に米政府の高官がタイを公式訪問したのはダニエル氏が初めてとなっている。【1月27日 バンコク週報】
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****米高官発言に猛反発=「失望」表明―タイ軍政****
昨年5月のクーデターで実権を掌握したタイの軍事政権が米政府高官の批判的な発言に猛反発している。ドーン外務副大臣は28日、外務省にマーフィー米臨時代理大使を呼び、「懸念と失望」を表明した。

ラッセル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は26日、バンコクでの講演で、インラック前首相の弾劾について「政治的に駆り立てられたものではないかとの印象を国際社会は抱いてしまう」と発言。同日のタナサック外相との会談では「民主主義が回復されるまでタイとの関係は正常化できない」と強調した。

タイのメディアによると、プラユット暫定首相は27日、戒厳令の解除を求めたラッセル氏にタナサック外相が「米国が同様の状況に直面した場合、政治的暴力や混乱にどう対処するのか」と尋ねたが、「(ラッセル氏は)答えられなかった」と記者団に述べ、米側の解除要求を突っぱねた。【1月28日 時事】 
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ラッセル米国務次官補も随分とはっきりとものを言ったものです。
このあたりが、世界における民主主義をリードすると自負するアメリカの信念でもあるでしょうし、別の立場からすれば、自らの価値観を押し付ける傲慢さということにもなります。

日本の安倍首相も、昨年11月に、ブラユット暫定首相に対して早期の民政移管を穏やかに申し入れています。

****ASEAN首脳会議、プラユット首相と安倍首相が意見交換****
ASEAN首脳会議が開催されたミャンマーの首都ネピドーで11月13日、安倍首相はプラユット首相に対し、日本政府が高速鉄道なども含めさらに多くのタイのインフラ計画に関心を示していることを伝えるとともに、民政への移管を求める考えを明らかにした。

これに対し、プラユット首相は、民政移管に向けて努力中であること、2国間の経済協力のさらなる拡大を望んでいることなどを説明した。(後略)【2014年11月14日 バンコク週報】
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新憲法草案「タクシン氏の登場以前に引き戻そうという印象」】
“民政移管に向けて努力中”とのことですが、戒厳令を解かない軍事政権は報道・表現の自由に厳しい制約を課すなど、強権的な性格も強めています。

****タイ暫定首相、批判報道に警告「獄死するかも****
タイのプラユット暫定首相は25日、首相府で演説し、暫定政権に対し同国内で批判的な報道が続いていることについて、「獄死することになる(報道機関の)オーナーもいるかもしれない」と述べるなど、露骨な表現で「警告」した。

プラユット氏は最近、報道へのいらだちをあらわにする場面が増えている。

この日の演説でも、「毎ページが批判だらけの新聞がある。私は読む度に怒っている」とまくしたてたほか、「私は(報道機関を)閉鎖することも辞さない。そうでなければ(批判は)ひどくなる一方だ。それでは何のための戒厳令だ」と述べ、布告中の戒厳令を根拠にした発行停止などの処分もちらつかせた。【12月26日 読売】
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民政復帰に向けた新憲法も、タクシン派の復活を阻止して、タクシン登場以前の国王を頂点に仰ぐ軍・官僚を中心とする“伝統的”な政治・社会体制に復帰しようという軍事政権の価値観を色濃く反映したものになりそうです。

****タイ新憲法案に不安の声 首相、非議員も/上院は選挙なし****
クーデター後の軍事独裁体制下にあるタイで、民政復帰に向けた新憲法案の起草作業が本格化し、新しい政治制度の骨格が見えてきた。

ただ、首相を国会議員でない人物から選ぶことも可能にし、上院をすべて非民選議員にする案が有力視され、民主化の行方を不安視する声が上がっている。

憲法起草委員会は今月半ばから逐条審議に入った。同委がすでに合意したいくつかの原則が物議を醸している。首相は必ず下院議員から選ぶとする規定を設けないこと▽小選挙区比例代表併用制の導入▽上院の構成を任命議員と各職業団体から選出された者とし、事実上公選をなくす、などだ。

非議員の首相は議院内閣制に反するが、タイ現代史では内閣が全員民選議員だった時期は長くない。選挙を通じた「強い首相」はタクシン元首相が最初と言え、反タクシン派に拒絶感がある。

「軍・官僚を中心とする伝統的支配層の意に沿う人物を首相にする余地を残す狙いでは」(アッサダーン・パーニッカブット元ラムカムヘン大学政治学部長)との指摘がある。

小選挙区比例代表併用制は、比例代表の得票率で議席数を各政党に割り当てる。単独政党が過半数をとるのが難しく、タクシン派政党の復活を防ぐ効果があるとみられている。

タマサート大学講師のプラチャーク・コンキラティ氏(政治学)は「タクシン政権は、政党が多数派の大衆の支持を基盤に強い指導者・政権として国を運営する形だったが、タクシン氏の登場以前に引き戻そうという印象だ」と話す。

憲法案起草などの一方で、暫定議会は先週、在任中に職務怠慢があったとしてタクシン氏の実妹のインラック前首相を弾劾(だんがい)。検察当局も訴追方針を決め、インラック氏は政治生命を失いつつある。(後略)【1月28日 朝日】
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選挙運営についても、政権の意向が反映しやすい仕組みになりそうです。

****憲法起草委、中央選管に代わる選挙監督のための機関設置で合意****
憲法起草委員会(CDC)はこのほど、選挙管理委員会に代わって選挙を指揮監督する機関を新たに設置することで意見が一致した。この新機関は、「選挙組織委員会(EOC)」と呼ばれるもので、政府関係者7人、民間人1人ないし2人で構成されることになっている。

当初の案では、選挙は内務省、教育省、保健省が実施するとされていた。だが、CDC委員の一部から、「内務省が主導的役割を果たせば、えこひいきが横行する時代に逆戻りしてしまう」といった懸念の声が出たため、専門の機関を設置することで意見がまとまったものという。

なお、従来の選挙管理委員会は選挙運営のための事務局の地位に実質格下げされる。【1月28日 バンコク週報】
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こうした動きを見ると、やはりラッセル米国務次官補の指摘は当を得たものに思えます。
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