孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

トルコ・イスタンブール 2020年、イスラム教国で初の夏季オリンピックを目指す

2012-02-19 22:32:53 | 中東情勢

(09年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で、イスラエル・ペレス大統領と激しいやり取りとなり、途中で退席するトルコ・エルドアン首相 この事件が象徴するように、トルコ・エルドアン政権は親欧米とは一線を画した独自路線を強めています。“flickr”より By kacacca http://www.flickr.com/photos/30103239@N08/4040907974/

【「ニッポン復活」・・・・「なぜ東京か」の疑問も
今年2012年はロンドンで夏季オリンピックが開催されますが、次回2016年は新興国の雄・ブラジルのリオデジャネイロが決定しています。
16年大会の選考でリオデジャネイロに敗れた東京は、再度、2020年を目指して招致に乗り出しています。
08年がアジアの北京だったことから16年の東京は最初から難しいと思われていましたので、東京としては今回の20年の方が本命でしょう。

****20年東京五輪で「ニッポン復活」を 招致委が概要発表****
2020年夏季五輪の招致を目指す「東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会」は16日、開催計画の概要をまとめた「申請ファイル」を発表した。東日本大震災などを受け、大会のコンセプトに「ニッポン復活」をかかげ、「(五輪は)日本が一丸となり、困難を乗り越えて目標を達成する力を与える」と開催意義を説明した。 
(中略)サッカーでは宮城県を会場の一つとし、震災からの復興もアピールする。

(中略)招致委はすでに、国際オリンピック委員会(IOC)に申請ファイルを提出。開催都市は東京とマドリード(スペイン)、イスタンブール(トルコ)、バクー(アゼルバイジャン)、ドーハ(カタール)の五都市で争われる。立候補を表明していたローマは、欧州債務危機の影響で断念した。
今年5月に3~4都市に絞り込まれ、来年9月のIOC総会で最終的に決まる。【2月17日 東京】
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東京・石原都知事はオリンピックにご執心のようですが、海外から見れば、“失われた20年”からの脱出もままならない日本は“停滞”のイメージが強く、今更なぜ・・・という感もあるのではないでしょうか。
東京が世界にアピールするポイントとしては、“震災からの復興”というコンセプトでしょうが、それなら東北・仙台かどこかで・・・とも思われます。

また、下記記事にもあるように、国際的には“震災からの復興”だけでは弱い感もします。
例えば、フクシマを顧みて“脱原発”を宣言し、大会のエネルギーをすべて自然エネルギーでまかなう・・・といったコンセプトでもあれば、国際的評価も違ったものになるでしょう。
“脱原発”が妥当な判断か、日本で可能かどうかは、また別の議論ですが。

****ニッポン復活」もメッセージは曖昧****
記者会見で発表された招致のコンセプトは「ニッポン復活」。招致委員会の公式サイトでは「東日本に経済効果が及ぶようなオリンピック・パラリンピックにしたい」「今回の招致レースは勝てる可能性が高いと言われている」と国内向けアピールに終始した。

水野正人・招致委員会専務理事は「スポーツの力で元気、誇りを取り戻し、世界の人たちと分かち合いたい」と力を込めた。だが、国際オリンピック委員会(IOC)に提出した申請ファイルに「ニッポン復活」の文言はなく、「夢、希望、目標などを生み出せるスポーツの力を信じる」という抽象的な表現にとどまり、IOC委員に向けたメッセージはあいまいだ。

16年五輪招致の大きな敗因とされたのは、国内支持率の低さだった。さらに「環境への配慮」を掲げたものの、インパクトに欠けた。「復興五輪」を強調するのは既定路線だったが、日本オリンピック委員会の中には「国内向けは復興でいいが、国際的な別のビジョンを示さなければならない」という声もあった。

東京の計画自体は質が高い。だが、会見で外国メディアから「復興ならば東北ではないのか」という質問も出るように、問われているのは「なぜ東京か」。計画の「顔」が「復活」「復興」だけでは前回と同じ轍(てつ)を踏むかもしれない。【2月16日 毎日】
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初のイスラム教国として五輪に向けて
東京と競合する候補都市から、先ずローマが脱落しました。イタリアのモンティ首相は14日、多額の公的債務を抱えて財政再建を進める現状を踏まえ、政府としてローマの招致を支持しないと発表しています。
現在の経済危機を考えれば当然の判断でしょう。

その点で言えば、マドリード(スペイン)も同様ではないでしょうか。
また、12年がロンドンですので、20年また欧州でというのも難しいところです。

バクー(アゼルバイジャン)・・・正直なところ、なぜアゼルバイジャンで?といった感じで、インパクトがありません。

候補都市の中で一番インパクトが感じられるのはイスタンブール(トルコ)でしょう。
9.11以降、世界が抱える最大の問題のひとつが、イスラムとどのように付き合っていくか・・・ということにあります。世界で起きている多くの紛争・問題がイスラム絡みというのが現状です。
その意味で、世界初のイスラム圏でのオリンピック開催というのは、世界の融和をアピールするうえでは、これ以上のものがないコンセプトでしょう。

同じイスラム圏では、バクー(アゼルバイジャン)の他に、ドーハ(カタール)も名乗りをあげています。
ただ、カタールでは、いかにも“オイルマネー”で砂漠に作り上げた蜃気楼のような感があります。
国際的には、リビア・シリア問題などで存在感を示すカタールですが、王制のこの国の民主化がどのようなものか・・・という点でも疑問があります。

それに対し、トルコは今や中東の地域大国としてゆるぎない地位を獲得しており、経済成長で大会開催を可能とする力も蓄えてきています。
また、トルコはイスラム国家でありながら政治は宗教から切り離す世俗主義の国として、「アラブの春」などのイスラム民主化運動にあって、ひとつの“民主化モデル”とされている国です。(トルコの世俗主義が今後も維持されるのかどうかは、後述のように問題もありますが)
地政的にも、アジアとヨーロッパにまたがる立地は、両地域の“架け橋”というイメージをアピールします。
世界の火薬庫“中東”という立地も、“平和の祭典”としては好都合でしょう。

****イスタンブール 5度目の正直へ、インフラ整備着々****
日本オリンピック委員会関係者が「最大のライバル」と見ているのが、「5度目の正直」を目指しているイスタンブールだ。

「前回までとは全く意味合いが違う。初めて国が全面的にバックアップしての挑戦となる」。五輪準備委員会のネシェ・ギュンドアン事務局長(50)は言葉に力を込める。
2000年大会から12年大会まで、4大会連続で立候補したが落選。12年大会開催地を決めた05年7月のIOC総会でロンドンに敗れてからは、初のイスラム教国として五輪を開催するため入念に準備してきた。

五輪準備委員会は、過去に敗退した最大の理由を「インフラの整備不足」と分析。この8年の間に約60億ドル(約4700億円)を投じ、地下鉄など市街地での移動手段を充実させた。宿泊施設は最近4年間で24%増加したという。
欧州、アジア、中東のちょうど中間に位置し、民族、文化的な交流が盛んな地理的特異性をアピールポイントにする。ギュンドアン事務局長は「この文化圏だからこそ、という点を強調していく」と話した。【2月17日 朝日】
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中東のオピニオンリーダー、エルドアン首相
そのトルコをリードしているのがエルドアン首相で、今や中東のオピニオンリーダーとして注目されています。
穏健なイスラム主義政党「公正発展党」党首でもありますが、そのイスラム主義の度合いについては、立場によって評価が分かれるところでもあります。

****親米とイスラム同居〈リーダーたちの群像〉エルドアン トルコ首相****
「アラブの春」と呼ばれる民主化のうねりが続くアラブ世界で、民衆に人気のある指導者はトルコ首相のタイップ・エルドアン(57)だ。米シンクタンクがエジプトなどアラブ5カ国で行った調査で「理想の指導者像」のトップだった。
長期独裁政権が崩壊したエジプト、チュニジア、リビアの3国を、昨秋歴訪した。カイロ空港では数千人の若者が「共に進もう」と声を上げ、歓迎した。

エルドアン率いる公正発展党は2002年、07年、11年と3度の総選挙で勝利し、政情が不安定だったトルコに安定をもたらした。01年に危機に陥った経済を立て直し、10年に8.9%の経済成長率を達成した。

アラブ世界でエルドアンが一躍中東のカリスマとなったのは、09年の世界経済フォーラム(ダボス会議)での出来事だ。
会議の直前にイスラエル軍のパレスチナ自治区ガザへの大規模攻撃があった。同席したイスラエル大統領のペレスが攻撃を正当化したのに対し、エルドアンは「あなたたちは人の殺し方をよく知っている。子どもまで殺した」と非難した。
司会に発言をさえぎられると、「彼(ペレス)には25分間発言させ、私には12分。二度とダボスには来ない」と言って席をけった。
アラブ世界の指導者たちが沈黙する中、アラブの民衆の喝采を浴びた。国連ではパレスチナ独立を公然と支持し、民衆デモを弾圧する隣国シリアのアサド政権に退陣を求めるなど、中東のオピニオンリーダーだ。

■世俗主義に転換     
エルドアンはイスラムの教えを政治で実現しようとするイスラム主義の流れをくむ。宗教心の強い家庭に生まれ、イスラム宗教者を養成する学校を卒業後、大学で経営学を学んだ。
1990年代は反欧米色が強いイスラム系政党「福祉党」の若手リーダーだった。94年のイスタンブール市長選挙で当選した。人口1千万の大都市で、行政経験がない40歳の市長が次々と問題解決に着手した。
道路整備と公共交通網の充実で交通渋滞を軽減、水道整備で断水問題を解決し、天然ガスの導入で深刻な大気汚染も改善させた。イスラムの教えに通じる貧困対策にも力を入れた。

ところが、福祉党は98年、トルコの国是である政治と宗教の分離を厳格に求める憲法の世俗主義規定に反するとして非合法化される。後継政党の美徳党も01年に活動が禁止された。
エルドアンはすぐに公正発展党を結成、出直しを図る。世俗主義を掲げ、自由主義経済政策をとる中道右派の保守政党を名乗った。
政権は欧州連合(EU)加盟問題でも積極姿勢をとる。米国と強い友好関係も維持する。記者会見で態度の変化を問われて、「私の世界観は世界の変化に応じて変わった。道徳観は変わらないが、もう昔の私ではない」と言い切った。

チュニジアやエジプトではイスラム勢力が選挙で躍進し政治を主導する。エルドアンはカイロ訪問時に「エジプトは世俗的な憲法を持つべきだ。世俗主義は宗教の敵ではなく、特定の宗教に偏らないということだ」と地元のテレビで語り忠告する姿勢を見せた。
イスラム的な主張を抑え、折り合いをつけながら、経済振興などで着実に成果を上げる――。エルドアンの政治手法はアラブ世界の手本になるとの期待が欧米諸国などにはある。(後略)【1月7日 朝日】
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世俗主義の守護者を自任してきた軍部との確執
“初のイスラム教国として五輪”を、イスラム民主化のモデル国・トルコで・・・というのは他を圧倒する強力なインパクトがありますが、問題点としては、トルコが2020年においても、現在のようなイメージを保っていられるかどうか・・・というところでしょう。

トルコが抱える問題のひとつが、エルドアン首相率いる穏健イスラム主義政党と、これまで“世俗主義”の守護者として政治をも牛耳ってきた軍部との確執です。
軍部や世俗主義勢力からすれば、エルドアン政権はこれまでの“世俗主義”を放棄して、トルコをイスラム主義に導くものとなります。
エルドアン首相側からすれば、これまで政治・社会を支配してきた軍・司法などの既得権益層を排除して、真の民主化を成し遂げる・・・ということになります。

両者の確執は、現在のところエルドアン首相の側に勢いがあり、軍部の影響は低下しつつあります。
ただ、今後このバランスがどのように動くかは予断を許さないものがあります。

****トルコ元参謀総長を逮捕 政権転覆計画に関与の疑い****
トルコ司法当局は6日、軍のバシュブー元参謀総長を政府転覆計画に関わったとして逮捕した。同国では2010年2月にクーデター計画に関わったとして軍高官らが拘束され、その後訴追されており、エルドアン政権側による軍への圧力の一環と見られる。

トルコ軍は国是である政教分離の守護者を自任。エルドアン首相の与党で親イスラムの公正発展党(AKP)政権と対立が続き、昨年8月にも参謀総長が交代している。元参謀総長が逮捕されたことで、軍は政権への反発を強めることになりそうだ。
政府転覆計画は09年に発覚、バシュブー氏は参謀総長として、インターネット上に政府を攻撃するウェブサイトを作ることを指示した疑いが持たれている。バシュブー氏は10年に退任している。【1月7日 朝日】
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クルド独立派にとどめを・・・
トルコが抱えるもうひとつの大きな問題はクルド人問題です。
トルコでは、現在もクルド人独立国家の樹立を目指す武装組織、クルド労働者党(PKK)が抵抗運動を続けており、PKKが反政府武装闘争を開始した1984年以降の死者は4万5000人に達しています。

エルドアン首相は11年11月23日、1930年代後半にトルコ南東部で起きたクルド人虐殺事件(1万3800人が殺害)について、初めて公式に謝罪し、クルド人との融和も図っています。
もっとも、当時の虐殺事件は軍部主導であり、これへの謝罪は軍部批判にもなります。

一方で、武装組織PKKへの攻撃は手を緩めていません。
“トルコ軍は1万人近い兵力を動員し、イラク領内にあるPKKの拠点に対して地上攻撃と空爆を実施した。「政府は現在、少数民族の権利拡大を盛り込んだ新憲法を起草している。このタイミングで攻撃したのは、クルド独立派にとどめを刺すためではないか」と、米ニューヨーク・タイムズ紙は評した”【11年11月2日号 Newsweek日本版】

そのPKK攻撃の過程で誤爆事件も起きています。
****住民の怒り渦巻く=クルド人誤爆事件―トルコ南東部****
「他に仕事はない」「学費を稼ぐために」―。トルコの反政府武装組織クルド労働者党(PKK)の要員と誤認され、少数民族クルド人35人がトルコ軍の空爆で死亡した事件。

AFP通信によると、犠牲者には複数の少年も含まれ、祖父の代から続く密輸稼業に従事していたところを攻撃された。犠牲者が暮らしていた地域では意図的な攻撃との見方も広がり、政府への怒りが渦巻いている。(後略)【11年12月31日 時事】
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2020年にはこのクルド人の問題が沈静化しているのか、それともテロの火を噴いているのか・・・わかりません。
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