ここで一つ訂正しなければならないことがある。
それは「葦原の中つ国」は既に日高見国の傘下になっている国であり、と言うよりも「日高見国」そのものであると理解していたが、それは間違いであった、と言うことである。
小生の理解は、
高天原 + 日高見国 = 「葦原の中つ国」 と理解していたので、
これとは別に
「豊葦原の瑞穂の国」 = 出雲の国(拡大版、島根・鳥取だけにあらず)
が当時既に存在していたので、この出雲の国・豊葦原の水穂の国 を高天原の勢力に国譲りしたのではないか、と考えていたのであった。
先の50)にもある様に、「葦原の中つ国は仰せの通り献上いたします。」と大国主命が高天原に「国譲り」していることから、この構図は間違っていた、と言うことであり、
高天原+日高見国≠「葦原の中つ国」 であり、
高天原 + α = 日高見国 と言う図式であり、
「葦原の中つ国」=出雲の国(拡大版) であったわけである。
36)の「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国はわが御子正勝吾勝勝速日天忍穂
耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)の統べ
治める国である」 (「読み解き古事記神話篇」三浦祐之著(朝日新聞出版)P223より)
とした「豊葦原のちあきのながいほあきの水穂の国」とは、「葦原の中つ国」の事であり、出雲勢力の統治下の国であった、わけである。
従って8/18のNO.33の内容には間違ったことが書かれているので、そのつもりで読んでほしい。
また、51)の「治めたまはば」の意味であるが、その書では「造・作」でなくて、「治」であることに注目して、新しく作るのではなくて、「立派な宮殿をお治めくださるなら」としている。この治めるは、「宮殿を残してくれるなら」という意味で、「正しく取り扱ってくれるなら・維持管理してくれるなら」と言う意味としているので、「いまある宮殿を維持して残してくれるなら、私は隠れましょう」と言う意味に解釈しているのである。
「天の御巣の如、底つ石根に宮柱太しり、高天の原に氷木ヒギ高しりて治めたまはば、僕アは百足らず八十坰手クマデニ隠りて侍サモらはむ。」
(壮大な御殿のように・・・
(https://classicstudies.jimdofree.com/古事記/上巻-第四部/国譲り/)
と言ったところが、本当の解釈なのである、としている。
(続く)