BE HAPPY!

大山加奈選手、岩隈久志選手、ライコネン選手、浅田真央選手、阪神タイガース他好きなものがいっぱい。幸せ気分を発信したいな

百万年の守人(2)

2012-02-08 22:06:16 | おはなし


 森番という語感から、何となく仙人のような老人を想像していたのだが、守衛小屋から現れたのは、ポロシャツにスラックスの、四十年配の男性だった。サラリーマンぽい印象だと思ったら、名刺を出してきたのでびっくりした。凪野さんという名前の人だ。いきさつを話すと、
「土地の人は、ぼくに訊けと言いましたか」
と、苦笑いした。
「今大学生の方なら、生まれる前のことですね。ぼくも子供だったから、ほとんど覚えていないんですが、この森の先にぼくの会社の原子力発電所があったんです」
そういうものが昔存在していたことは、社会科の授業で習って知っていた。クリーンなエネルギー源ともてはやされたこともあったが、クリーンどころか、放射線被害が恐ろしすぎて、今では全て廃炉になっている。
「原発廃止のきっかけになったのが、ここの発電所の事故でした。燃料棒がメルトダウンし、このあたりの土壌も、海も、そこからとれる作物や海産物も汚染されました。避難した人達は何年も帰ってくることができませんでした」
発電所は石棺といって、全体をコンクリート詰めにすることで放射能漏れを防いだ。コンクリートの業者は「百年は持ちますよ」と胸を張っていたが、25年ぐらいで早くもボロボロになってきたそうだ。
「コンクリートは、どんな砂を混ぜるかで保ちが全然違ってきます。その業者はおそらく、粗悪な砂を使い、さも上質のものを混ぜたような高い代金を請求したんだと思います。うちの会社は長いこと親方日の丸でやってきたので、そういうのが見抜けなかったんでしょうね」
しかも、「見たくないものは見ない」という事故前の悪しき体質はそのままで、定期点検を行った職員は、デジカメで撮影したコンクリートの写真をパソコンで修正して、「特に異常は見られない」という報告書に添付していたという。



「ところが、そうやって再び放射能漏れが起きる危険を隠しているうちに、小学生が何人か、森を抜けて石棺の側へ行っちゃったんです」
咲ちゃん達のことだと、ぼくにはすぐわかった。それで、森から戻ったらすぐ病院で検査をされたのだ。
「彼らは全員体内被曝していたそうです。その中の一人が、中学に上がってから、その事実を知ってしまったらしい。女の子だったんで、被曝した体じゃ赤ちゃんを産めないんじゃないか、それじゃあ好きな人ができても結婚もできないって悲観して、自殺してしまったんですよ」
ぼくは舌が口の裏に貼り付きそうになったが、懸命に声を絞り出した。
「よくご存じなんですね。遺書とかはなかったと聞きましたが」
「その子の両親が、うちの会社を訴えましたからね。『わたしの体の中には放射能があるの? 妊娠したら、赤ちゃんも放射能におかされるの?』って、ご両親を泣いて問い詰めたそうです。あんまり取り乱していたので、ご両親は、その場はとりあえずなだめるのに精一杯で、じっくり説明する間もなく死なれてしまったということでした。年齢的にもちょうど思春期でしたから、短絡的に思い詰めてしまったんでしょうね」
凪野さんはいたましそうな表情をしたが、どこか他人事という冷ややかさがあった。穏やかな風貌で、話していても優しそうな感じがするのだが、時々、は虫類の肌に触れたようなひやっとした感覚を覚える。
「会社は、もともとの石棺を、できれば50年間ぐらいは引っ張りたかったようです。でも、訴訟沙汰になってしまったので、慌てて新しい石棺をつくりました。古い石棺の外を、さらにコンクリートで覆ったんです。
裁判の方は、その子の方にも立入禁止区域に自分から入っていったという落ち度があるし、自殺の責任が100%うちの会社にあるともいえないということで、和解したんですけどね」
森番ができて、電力会社の職員が常駐するようになったのは、それからだという。
森番の任務は2つ。1つは誰も森に入れないこと。もう1つは石棺のチェックである。任期は3年で、その間は単身赴任になる。
凪野さんは、結婚が遅かったので、最近子供ができたばかりだが、志願して森番になったという。
「自分の子供があんなに可愛いものだとは思わなかったんで、離れるのは辛かったんですが、どうせなら石棺が新しいうちの方がいいと思ったんです。報告書には堂々と異常なしと書けますし、何よりも被曝の危険がまだないでしょう?」



ぼくは機械的にペダルをこぎながら、あぜ道を走っていた。
凪野さんの話で、謎は全て解けたといっていい。「森の奥に化け物がいる」というのは原発のことだろうし、「毒がわいて出ている」というのは、放射性物質の漏出や放射線をさしているのだろう。「白い怪人」は防護服を着た電力会社の人で、「20年後に悪魔に魂を奪われる契約」は、被曝してからそれぐらいでガンになる確率が高くなることをいうのだと思う。咲ちゃんの自殺の理由も、おそらく凪野さんの言った通りなのだろう。
凪野さんの話は衝撃的だったが、自分が何を知らなかったことがもっとショックだった。
教科書には、「その事故をきっかけにエネルギー政策が転換され、国内の原発は全て廃炉になった」と一行で片付けられていたので、ぼくは何となく、建物を壊して更地にして終わり、みたいなイメージを抱いていた。すべてはもうすんだことで、何もかも無事に終わったのだと信じ込んでいた。
ところが、実際は、事故から何十年も経ってから、咲ちゃんのような悲劇が起きていた。もしかしたら、他の原発跡でもそんなことが起きているのかもしれない。
それだけではない。原発が稼働していたときにできた放射性廃棄物の処理も色々問題を抱えているという。
ぼくは、最初に行きあたった図書館の前で自転車を止め、原発関連の文献を探してみた。
文系のぼくにもわかりやすそうな一冊を選んで拾い読みをしたが、それだけでも血の気が引くようなことが書いてあった。
放射性廃棄物は、とりあえず、どんどんドラム缶に詰め込まれたそうだ。それを土の中に埋めて処理する計画だったというが、ドラム缶が腐食して穴があいたらどうなるのか。もちろん、周囲はコンクリートで固めるようだが、コンクリートもいたんでくることは、既にあの村で実証されている。
だから、放射性物質が漏出しないように、絶えず見張っていなければいけない。
その期間は、放射性物質の種類にもよるが、低レベル放射性廃棄物で300年、高レベルなら100万年だという。
これは何だ? 天文学みたいな数字じゃないか。
その間中、ずっと、あの電力会社は森番を派遣し続けるのだろうか。そもそも、そんなに長い間会社が存続できるのだろうか。
大体、事故からたった30年で、もうこんなに風化しているのだ。人類が100万年も責任もって原発の負の遺産を見守り続けるなんて、可能なのだろうか。
ぼくは打ちのめされて、図書館の机に頬をつけた。


翌朝、朝餉の用意をしながら、睦美ちゃんはぼくを随分心配してくれた。昨日、よほどひどい顔で宿に戻って来たようだ。
でも、一晩眠って、睦美ちゃんの可愛い赤い頬を見て、おいしそうな食事の匂いを嗅ぐと、新たな気力が湧いてきた。
ぼくはこのことをレポートに書こうと決心していた。教授に、「こんなのは民俗学じゃない」と言われても構わない。
ぼくがここで知ったことを、どんな形ででもいいから残したい。一部はコピーして、この村に届けよう。
いつか、ここの人達がみんな、事故のことも、恐ろしい森のことも、禁を破って森に入った少女が辿った運命も、森番のことも忘れてしまっても、それを読んで何があったか知ることができるように。
ぼくたちが、300年でも100万年でも、見守り続けなければならないものがあることを忘れないように。
(終)