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大山加奈選手、岩隈久志選手、ライコネン選手、浅田真央選手、阪神タイガース他好きなものがいっぱい。幸せ気分を発信したいな

百万年の守人(1)

2012-02-07 22:45:08 | おはなし


 夏休みも半ばを過ぎ、ぼくは焦っていた。ゼミの課題が全く手つかずの状態だったからだ。
趣味のサイクリングで遠方に足を伸ばしたのも、課題のことが頭にあったからだ。ぼくのゼミは民俗学だったので、地方の古老から面白い昔話でも聞ければ、それを適当にまとめてお茶を濁すことができる。
寝袋を積んだ自転車であてどなく走りながら、その土地で立ち止まったのは、初めての場所なのに「ふるさと」という言葉がしっくりくる風景のせいだったろう。おそらく、日本人の原風景というべき景色が広がっていた。
農作業をしているのは高齢者が多かった。「こんにちは」と声をかけたが、誰もが怪訝そうに会釈をするだけだ。会話が始まらないと、レポートに使えるような話を聞くことができないのだが。
村のはずれには深い森があった。なぜか、立入禁止の看板が立っている。自転車を降りて、森の中を覗き見ていると、「森に入っちゃだめだべ」と声をかけられた。この土地で初めて聞いた人の声だ。振り向くと、五十年配の婦人だった。孫らしい、四、五歳ぐらいの男の子と女の子とを一人ずつ連れている。
「森の奥にはこわい化け物がいるべ」
男の子が言うと、
「違うよ。この森には悪魔が住んでいて、二十年後に魂を渡す契約をさせられるのよ」
と、さかしげに訂正した。「契約」という言葉の意味がわかっているのかなと可笑しくなった。
老婦人は黙って、じっとぼくを見つめている。その目の力にさからえず、ぼくは森から離れた。
自転車をこぎながら、ぼくは二人の子供が言ったことを思い返していた。男の子が言ったのは民間伝承ぽいが、女の子の言葉には、悪魔とか契約とか、妙に西洋的で現代的な響きがあった。この違和感のもとを探り出せれば、受け売りのレポートでも面白いものが書けるのではないか。

その夜は観光名所の近くの民宿に泊まった。ツアー客も多く、そのせいか、土地の人の応対も軽快だった。
ぼくは、部屋に晩ご飯を運んできてくれた女の子―高校生ぐらいの、毎年、夏休みのバイトに来ているという感じの子だった―に、森のことを聞いてみた。それまでニコニコと明るかった女の子の顔が、みるみる曇った。
「はっきりしたことは、わたしも知りません。毒が湧いて出てるとか、白い怪人がいるとか、子供同士でも色々噂しあいました」
睦美ちゃんという高校生の女の子は、顔をこわばらせながらも、そう話してくれた。小四の時、同級生の中でも無鉄砲な男子三人と、睦美ちゃんの親友の咲ちゃんが森の中へ探検に行った。四人とも無事に帰ってきたが、咲ちゃんは中二の秋に自殺してしまったという。
「遺書も何にもなかったから、理由はわかりません。ご両親もお葬式の後、すぐ引っ越しちゃったし」
だが、睦美ちゃんは、自殺の原因は森へ行ったことにあるような気がして、葬式に来ていた男子三人を問い詰めた。彼らによると、森は広場のようなところをぐるりと取り囲んでおり、広場には巨大な灰色の岩があったそうだ。彼らはそこから戻るとすぐ病院へ連れて行かれ、CTのような機械で検査をされたと言っていた。検査の結果や、何を調べたかは聞かされなかったという。
「森のことをちゃんと知っている人はいないの?」
「二十歳以上の人はみんな知ってますよ。成人式で説明会があるんです。だから、うちの県では成人式をパスする人は誰もいません」
そこでぼくは、寝床を整えに来てくれた仲居さんに森について訊ねてみた。仲居さんは困ったように口ごもった。
「どうでしょうかねえ。よその人にうかつに話して、ここがこわいところだなんて思われても困るし…」
ぼくは、大学で民俗学ゼミに入っていて、夏休みの課題のレポートにしたいのだと言った。そちらが困るなら決して言いふらさないし、夏休みの宿題なので大々的に発表することもないと説明した。
「なら、森番の人に話を聞かれるといいと思います。それが一番正確でしょうから」
森番とは、森の守衛のようなものだという。一つしかない森への入り口に小屋を構え、誰も通さないようにしている。

翌日、ぼくは「森番」に会いに行った。
(つづく)