最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。この章の最終節あたりで、「海老蔵は、松竹の奴隷だった」と、私は語っています。その一行に、連動し、私の感想を傍証づける写真です。海老蔵と、坊ちゃんが正座をして、頭を下げている右側が、迫本氏(❔)、と、安孫子正(この氏名を11日に安孫子氏だと、気が付いたのですが、その後、6日間も直さないで、置いて、すみませんでした)氏のようですね。松竹のお偉いさんたちです。時間が経つと、海老蔵父子にも、椅子が与えられた模様ですが、この写真に写っている最初の段階でも、松竹の、お偉いさんも、同じ高さで、いるべきです。正座は苦手なら、同席しないで、裏に控えている方がよかったと思います。もし、同席をするのなら、海老蔵父子と同じく、正座をするべきでしょう。『なんと、鈍感な事か! 世間は、きちんと見ていますよ』といいたいです。役者を利用して、その労働で、自分達が楽な生活を送っているのに、自分達は、らくちんな椅子に座って、主役を、見下ろしているとは。その鈍感さには、恐れ入るばかりです。
私は時々、『海老蔵が、かわいそうだなあ』と、感じるのですが、今般の、大失敗作である源氏物語の裏に、鎌倉エージェントがいた事が、音楽を通じて分かったので、とても心配をしています。カウンターテナーが歌った歌は、たぶんですが、モンテベルディ作曲のものです。そこから、源氏物語が、鎌倉エージェントの、対私に対する、一種の復讐のために、利用をされたことがわかりました。鎌倉エージェントに、利用をされると、その人物が、まっとうで、善意に満ちた人間だと、不運が、ついて回る様になるので、其れを心配しています。ただでさえ、歌舞伎俳優は重労働です。三津五郎と、勘三郎が若くして亡くなった様に、健康を害しがちですが、海老蔵にも、なんらかの、まずい運命が訪れるかもしれないからです。「頑張れ海老蔵」と、言いましょう。そして、奥様と天からの、加護があらんことを、心から、祈ります。
とうとう、はっきりと、したことを書いていきましょう。何についてかというと、源氏物語、2018年7月版が、何故だめなのかです。それを、副題5以降に、書いていきましょう。そして、同じ5日の夜10時から、さらに加筆をいたします。主に、モンテベルディについて、鎌倉雪ノ下の鶴岡八幡宮と、武部聡志という音楽プロデューサーについて、述べながら、やはり、源氏物語は、失敗だったと、言う論調を続けたいです。
読者の皆様の中には、「あなたは、何様なの? 偉そうに」と、おっしゃる方もおられるでしょう。しかし、私が語ることは、海老蔵の、将来を守る為の提言なのです。海老蔵は、今、大変な、人気者です。そこに、近づいて、来る人がとても、多い段階です。それが、本当に自分の役に立つか、立たないか、其れを、判断しないといけないのですよ。そして、役に立たない人を拒否することをやっていかないといけません。できるか、できないか? 甘いレベルで、彼をちやほやする人は、結局は、彼をだめにする人だからです。
彼のファン、及び、歌舞伎のファンは、其れを見守っていかないといけないのです。
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うーん、これは、語るべきか語らないで、置くべきか、迷うところではありますが、松竹から、要注意人物に、ますます、されてしまうこと(苦笑)を覚悟で、述べれば・・・・・と、言うのもアフィリエイト収入さえない、私は、どこをも、恐れる心配がないので、歌舞伎に関しても、恐るべき深さで、真実を述べることができるからです。主に美術の分野で、磨いた批評眼を使えば、隠されているポイントも、すべて、見抜けますし、あまい、言葉だけを並べた、お追従文など、書くはずもないのでした。
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副題1、『海老蔵が、13代目、団十郎を、襲名するというニュースがあったが、私は、それは、稀勢の里の横綱推薦とか、琴奨菊の大関推薦などと、おなじく、周辺の、儲け主義に、影響を受けている、いやなケースだと、思って居る。未だ、襲名しない方が、いいと、思って居る』
海老蔵の、(十三代目)団十郎襲名を、私は、反対しています。それを、個人的メールで、既に、ある人へ、表現をしてしまって居ますので、ハッキングを、している連中は、それを、松竹サイドへ、伝えていると、思います。ので、此処で、反対する理由を、しかと、述べて置きたいと、思います。でないと、私の深い真意が、伝わりませんので、さらに、無視され、弾圧される口実を与えてしまいますから。
実は、海老蔵の襲名の記者会見の場所が、まず問題です。そこが、糸口になって、考えれば考えるほど、海老蔵が、既に、鎌倉エージェント側に汚染をされていることが見えてきました。場所についていえば、一月は、彼が演舞場で、カンパニーを率いて、出演中でした。それなのに、襲名を宣言する記者会見は、歌舞伎座で、行われました。それは、午前11時の開演前に、行われた模様です。どうして新橋演舞場で、行わなかったのでしょう。それ以外にも、疑問がいっぱいある、記者会見でした。
突然の、発表は、二つの理由があったと、思うのです。一つは、同夜、日本テレビ(4チャンネル)で、海老蔵一家への、密着特番が、放映をされるという事。しかし、それに気が付いたのは、よほどの歌舞伎通であったはずです。または、4チャンネルを日ごろよく視聴をしている人間たちであって、日本全国民が、その特番に、影響を受けるという事はないと、思います。
でもね、私が間違って居て、それは、日本全国民が影響を受ける大ヒット・ドキュメンタリーだったと、仮定しましょう。これから、ネットで、視聴率が、すごかったというニュースなどが出てきたら、私の推察が、二重の入れ子の意味で、当たっていたと、思います。そして、次の推定理由に入っていきましょう。その番組を放映した結果、彼の人気が、大であることがますます、わかったので、その勢いに、乗じて、此処で、急に発表をすることとなったと、言う仮定です。しかし、その日本テレビの特番の勢いを利用するつもりだったら、次の日の朝が適切です。
私はやはり、この急な発表は、私が、前日に、知人に、個人的に送った非公開メールが、関係していると、感じています。で、拙速だと、思うのです。で、そういう、希薄な理由で、襲名を発表するのは、海老蔵にとって、プラスにはならないと、思うのです。
「その機は、熟した」と、言う言葉があるけれど、この場合は、その機は、まだ熟しれは,いません。では、なぜ?と、問えば、やはり、私が、知人に当てた、メール内の、・・・・・海老蔵の源氏物語は、失敗だったし・・・・・という文章が、寄与していると、思います。そこに書いた、海老蔵の源氏物語は、失敗だったという私の判断に対して「そうじゃあないよ。海老蔵の、源氏物語は、失敗ではないよ」と、言いたい人間がいて、その人間たちが、海老蔵は、非常に偉い人なのだと、言いたい、わけなのでしょう。それが、十三代目・団十郎・襲名だと、思うのですが?
ところで、その一行ですが、私は、海老蔵を、傷つけたくて、そんなことを言って居るわけではありませんよ。もっと、大きな視点で語っています。ロングスパンで、語っています。
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副題2、『今の海老蔵には、処世術で、足りないところがある。このまま、おぼっちゃま(=御曹司)扱いを受けて、ただ、唯、他人から、持ち上げられる人生を送ると、表現力が、大きく落ちるであろう。今だって、2チャンネル等では、演技が下手だと、言われているのに、さらに、薄い表現力の人間になってしまう。それは、歌舞伎界にとっても、おお損だ』
*1)、今の海老蔵に、より大きな名前を与えて、彼に勘違いをさせたら、いけません。今でも、あるカンパニーのトップですが、彼が、トップであるからこそ大失敗に終わったのが、2018年度の、源氏物語でした。この源氏物語の、どこがだめだったのかは、後半(副題α)で語るとして。
今、海老蔵に、必要なものは、自分より上の存在で、自分をいつくしみ愛し、成長への苦い注意をしてくれる人物であって、自分がこれ以上偉くなることではないのです。もし、父親の十二代目・団十郎が、生きていたら、それが、ぴったりの、人物だったのに、早世してしまったので、ないものねだりですが、・・・・・
しかし、今、自分が十三代目・団十郎になってしまうと、まだ、自分が、修行中の身であることを、忘れがちになってしまうでしょう。そうなると、自分の、方向性が、ピント外れだと、言うことに気が付かないで、いるケースが多々、出て来る可能性があるからです。それは、巨視眼的に見ると、歌舞伎界の、大損失です。
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副題3、『ここで、一応だが、海老蔵に、愛情ある注意をできる人物が、居るか、いないかを、検討してみよう
しいて言えば、玉三郎と、梅玉が、フリーですが、二人が、海老蔵のカンパニーに入って、重石になるはずもないので、海老蔵自身の成熟を待つほかはなくて、そのためには、海老蔵、名跡のままの方が、良い。これは、たぶん正しい』
玉三郎は、NHKの、プロフェッショナル、特別編で、ナイナイの、岡村君を相手に、「自分の引退は、静かに、目立たない形で、(=フェイドアウトの、形で)、行いたい」と、言って居ます。しかし、それは、演技者としてであって、歌舞伎界全体を見れば、自分の、尽くすべき分野はあると、考えている人です。つまり、女方ですが、会社で言えば、社長的感覚で、歌舞伎界を眺めている人です。歌舞伎界に、5~6個存在する、サブ劇団のトップではないことで、かえって、全体像が、見渡せるし、どこの誰に対しても、口を出せるというわけです。
で、三代目・猿之助が、病に倒れて、猿翁となり、実質的には動けなくなった今は、統率者として、機能しています。一種の改革者でもあります。中車など、演技力があるはずだと、みなす役者にいい役をつけることを、気遣ったりしています。しかし、そういう動きを始めたのが、年齢的に遅いです。また、奥さんや子供がいないので、バイタリティの面で、いささか、薄いです。それは、玉三郎自身が、よくわかっていて、主に、若手の、女方を鍛えるという方向で、自分のリーダーシップを果たしています。その玉三郎が、海老蔵の、父親役を果たしたいと、思うはずはないです。「今のところ、手いっぱいです」という感じでしょう。
次に梅玉です。この人は、上品な、ニンのひとで、正義のお殿様でよく出てきます。インテリでもあると、言う様な役に向く人です。そういう雰囲気を示す人として、得難い持ち味があるので、インター・カンパニー的に活躍を、している人ですが、お金や名誉に対する、アクの強さを持っていない人でしょう。だから、海老蔵みたいにファンが多くて、いじったり、注意をしたりすることが、難しいと見える人物の、父親役には、つくはずがないです。
・・・・・そういう役柄の人だからこそ、新作歌舞伎NARUTOで、偉大な悪役をさせるそうです。それは、私がこれを、書いてから発表をされました。4日に入って、急にです。(苦笑)私が書いていることを躍起となって否定しようとする動きが、梅玉にまで、影響を及ぼしたのでした。
と、なると、今、海老蔵の、上に立ち、海老蔵を支えたり、注意をしたりする人物は、いません。菊五郎、高麗屋(白翁=元・幸四郎)、吉右衛門、仁左衛門などは、自らの、カンパニー、及び、血を受け継いでいる、子孫のお世話で、精いっぱいのはずです。
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副題4、『源氏物語のどこが失敗だったのか? 結論を言うと、コラボ相手に、時間を割きすぎていて、光源氏が、ちっとも光っていなかった。それは、演劇的には、失敗である』
源氏物語の、大きな主題に、仏教があります。私は、池田亀カン(艦)先生の直弟子に学んでいて、特別にできがいい生徒だったので、その件は、よくわかっています。
そのもっとも、大きな特徴は、すべての女性を虜にする彼が、父の、パートナーと、セックスをして、子供ができるが、のちに、自分の、子供に、同じことをされてしまうと、言うエピソードに凝縮しています。藤原道長の権勢が、その家来【❔】だった紫式部に、この物語を書かせたのですが、藤原氏も、数世代後には、栄華の座から降りるわけで、無常観の提示です・・・・・ここで、家来というのは、娘の、教育係兼、秘書兼、コンシェルジェといういみですが・・・・・
しかし、2018年7月に演じられた、版では、其れは、セリフでは言われたが、劇そのものとしてみれば、仏教が、全体を通貫していたわけではありません。もし、本当にそちらを優先したいのなら、宙乗りなどを入れるのは、邪道です。3時間強の時間内で、あれこれ、入れすぎていて、仏教どころではありません。
でも、「ちらし」では、海老蔵は、美しかったです。それで、大勢の歌舞伎初心者を集めた模様です。
で、ちらっとですが、興行収入を推定で、計算してみると、6億円を、一か月で、松竹は、手に入れた勘定になります。
しかし、その初心者たちが、それ以降もリピーターになっていくかというと、疑問が大きいです。ともかく、仏教が表現されたわけでもないし、光源氏の美しさが、表現をされていたわけでもないのです。中途半端で終わった、ごたごた感が、いっぱいの失敗作だったと、思います。
私は、『松竹は何をしているのだろう。事前に、こういう風に、進行するのだったら、此処がだめだ。あそこがだめだと、ダメ出しをしないのかしら?』と、疑問に思いました。
すると、その疑問に対する答えが、上にあげた、日本テレビの、特番で、出てきたのです。松竹とか、歌舞伎座サイドは、制作に関しては、何も関与していないみたいで、今般の源氏物語、2018年7月版においては、海老蔵が、すべてを統括していると、いう事がわかりました。
そこで、突然に、海老蔵の、本当の姿が、私にわかってしまったのです。六本木で、喧嘩相手から、殴られて、一か月休演をすることとなりました。昔の事ですが、そういうエピソードから、浮かぶのは、やんちゃで、不良な、活発な、リーダー像です。しかし、実像は違うのです。やさしくて、他人へ、お断りを言ったり、他人を、自らから、遠ざけたりは、できない、人であるという事が、わかったのでした。
海老蔵は、・・・・・気が弱い、おぼっちゃまでしかない・・・・・と、いう事に、私の方が、気が付いてしまったのです。
ここで、大切な事は、それで、海老蔵を、責めるつもりは、私の方には、ないという事です。名門の御曹司に生まれ、しかも、顔が、格別に美形です。周りから大切にされる度合いも、大きかったでしょう。たまたま愛する妻が、大きな苦しみを、得たまま、亡くなるという劇的なことが起きて、彼の成長を促しました。奥様の、闘病と逝去のおかげで、彼には、抜群のレベルでの、向上と、成熟がもたらされたのです。それは、認めます。それは、彼の精神の部分(=心理の、部分)に大きなプラスの、影響をもたらしました。
しかし、それは、生活技術上の、向上をもたらしたわけではないのです。喧嘩という大失敗は、過去にあります。しかし、穏便な、普通の生活の中で、人を拒否したり、切って行ったり、「それは、やりたくありません」と、断ったりする側面では、まだ、まだ、未完成であり、足りないところがあるのです。普通の日常に、起きる、味方同士の葛藤程、難しいものはありません。その部分において、彼はまだ未熟なのです。
これは、70歳を超えた人なら、男女を通じて、誰もが納得をしてくださることでしょう。30代や、40代って、まだ、まだ、生活技術上は、未熟だという事を。特別に苦労の多い、幼少期を送った人を別にして、現代日本で、裕福な、中流階級か、それ以上の階級で、育った人には、共通の、傾向でもあります。
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副題5、『海老蔵は、今でも、既に、カンパニーのリーダーではある。そして、伝統的な、お芝居を演じる場合は、問題は、ないだろう。たとえば、【寺子屋】を演じたことがあるが、菊之助、松緑、梅枝などと、共演をした。それは、普段、彼が統率している、成田屋、一族の、カンパニー内で、松王丸(=主役)を、演じたわけではなくて、別の、劇団である、菊五郎劇団の中に、一種の客演として、溶け込んでいたので、成功している度合いも、大きくて、私の方に、批判をする気持ちは、起きなかった。ただ、唯、やせている。大丈夫かしら? 奥様が、亡くなった影響が大きいのでしょうと、同情をしただけだった』
そして、私が、歌舞伎を再発見した、最初の演目である【蛇柳】も、結構でした。それは、海老蔵一家に代々伝わっているが、最近上演をされていないものを、復活して、上演した作品でした。その、作業に、おいても、海老蔵は、見事でした。だから、彼に能力がないわけではないのです。松緑、菊之助と、三之助と、呼ばれた時代から、今では、それぞれが、棟梁となって、新しい成功作を、追い求め、作り出している段階です。
また、その少し年齢が高い世代である、猿之助、愛之助、獅童、又、年齢が、若い方である、松也、巳之助、右近(尾上)、歌昇なども、リーダーシップを取りたいタイプです。
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副題6、『源氏物語の中に、コラボとして入っていた、バロック様式の歌は、誰の作曲なのだろう。それが、明らかにされていないのは、どこか、・・・・不誠実さ・・・・・を感じるのだ。何かのだましがありませんか?と、感じるのだ。それゆえに、【闇の精】とか、【光の精】とか、いわれても圧倒的に、納得ができない』
あの中に外人の、歌い手が二人、入っています。そのうちの、カウンターテナーのアンソニー・ロス・コンスタンツォは、平成26年の公演でも、参加しているそうです。私は、それを見ていません。
それは、其れとして彼の経歴を見ると、プリンストン大学卒とあります。私が初めてメトロポリタンオペラを見たのは、1999年秋の、【アイーダ】でした。その時、主役を演じた、シャロン・スィートは、プリンストン大学で、教えていると、事情通(ニューヨーク在住のクラシック好きアメリカ人女性)から聞きました。だから、プリンストン大学は声楽の、メッカの一つであることを知っています。日本だと、ジュリアードが、アメリカにある音楽大学として有名ですが、声楽だと、総合大学であるプリンストン大学も、一つの、拠点なのでしょう。だから、優秀な歌手であることは認めます。
そして、声が美しいことも認めます。しかし、クラシック音楽が大好きでもある私が、あの日は、イライラして、彼の歌唱を一切、楽しめなかったのです。なぜか? それは、メロディが当然あるのですが、誰の作曲の歌であるかが、どこにも紹介がされていなかったのです。バロック時代風だと、思うのですが、あそこまで、長く歌えば、当然、楽譜はあるわけでしょう。そうなると、作曲家は、いるわけです。
今、念のため、バロック系作曲家というウィキペディアを開いてみました。日本語で、書いてある頁だから、実際には、世界中で、これ以上の数がいると、思うのですが、それでも、その中に、320人を超える、作曲家が記録をされています。そうなると、絶対にあのメロディには、作曲家がいるはずなのです。しかし、プログラム(歌舞伎座は、筋書きというが)のどこにも、作曲家の氏名が書いていないのです。あの日は、相当にイライラしたのですが、本日は、それから、7か月以上を過ぎて、自分の部屋で、一人だけで、もう一度丁寧に、プログラムを読んでみました。すると、62頁に相当丁寧に、「使用されたチェンバロが、どういう楽器であるか」が書いてありました。「有名な古楽器のコピーだけど、脇が、16世様式蒔絵風仕上げですって」。そこまで、丁寧に、楽器の、制作者が、その会社名(小さな個人企業めいた組織)が、固有名詞付きで、書いてあるのに、どこにも、作曲家の名前がないのです。
また、これも、当日は気が付かず、しいて上げれば、本日、2019年2月4日に初めて気が付いたのですが、59頁に歌詞が載っているのです。日本語訳も載っています。しかし、その日本語訳なのですが、対する原詩が、英語なのですね。『え、あれ英語だった? もしそうだとすると、私のヒヤリング能力って、すさまじく、落ちましたね。でも、イタリア語、又は、ラテン語だったのではないですか?』と、思うのです。
最初から、これは、ラテン語だろうと思って居ました。メロディは、完ぺきにバロック調です。すると、ラテン語だと、言う風な先入観があって、私は、ハナから、意味を、聞き取ることをあきらめたので、だから、英語だとは、気が付かなかったのだと、思いますが、腑に落ちません。?????
「でも、【闇の精霊(カウンターテナー)】と、【光の精霊(テノール)】の二人が、歌っていた時間は、相当に長くて、あの長時間の歌詞が、英語で、たった、10行だったのですか? ちょっと、納得ができないです」といいたくなります。
さらに、さらに、プログラムを、読み込んでいくと、66頁から68頁の、木挽町百科というところで、伊達なつめさんという方が、【歌舞伎とオペラと能】と、言う解説文を寄せておられるのです。そこには写真が載っていて平成26年に、能がくわっていたのが、わかりますし、平成27年には、今回のカウンターテナー氏が、既に、参加していたことがうかがえます。
しかし、そこにも、今回使われた楽曲が、誰の作曲で、どういうタイトルの歌かが出ていません。
あれ、これって、わざと、つくろっている、御用学者風の文章ではないかしら?と、思います。日本のどういう場所、どういう分野にも、こういう御用ライターが配置をされています。そして、鎌倉エージェントに、都合の良いような文章を書き、サントリー学術賞、または、朝日新聞社賞をもらったりします。今、念の為に、ググってみると、伊達なつめさんとは、美術界における藤田千彩さんと、そっくりな立ち位置にある模様です。なんだ、其れでは、此処でも、利用をされたと、言う可能性が生まれますね。つまり、真実は伏せながら、しかし、まるで、正統であるかのごとく、とりつくろう為の、文章を作って、筋書き編集部から報酬をもらう。それって、本当に御用文筆家の典型です。
しかし、私が最も頼りにしている、頁である、85頁の過去の公演記録には、その二つの公演の、記録がないのです。南座と、巡業ですが、どうしてないの? と、いぶかしく思います。
最後(と、言っても、次の日には、後段にさらに、不審な、検討結果が出て来るのだが、初日には、ここまでを、チェックした)になりました。48頁に、やっと、少し、気持ちが収まる記述がありました。その頁には、スタッフの名前が出ています。映画で言うと、監督とか、カメラマンの名前を挙げるところです。そこに、13名の名前が載っており、その最後に、格別小さな活字で、カウンターテナー氏の名前が載っており、その下に、洋楽選曲と、ありました。
そこで、『なるほど、プリンストン大学には、大量の楽譜が収蔵されているはずだから、彼が、そこから選んだわけですね』と納得をしました。
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副題7、『東大や、芸大の学食と比較をすると、プリンストン大学の学食は、比較にならないほどに、広くて、雰囲気が、人間尊重の精神に満ちている。日本の国立大学のそれは、養鶏場の、給餌・施設を、人間サイズに、拡大しただけのものに過ぎない』
私は、1999年の11月に、日本人の知り合いに、お礼を500ドルプラス100ドル(計、当時のレートで、7万2千円)出して、車で、ニュージャージー州にある、【レンブラント】という美術品を扱う会社の、倉庫兼本社まで、連れて行ってもらいました。そこへ行く途中で、プリンストン大学へ寄ってもらったのです。そこで、食堂に入ってお昼を食べたのですが、『アメリカのエリートって、こういう形で、頭脳を磨くのだわ』という事が、食堂で分かったのです。車の持ち主は、「違うところ(=外)で、食べる」といったので、私は一人で、食べたのでした。しかし、一人だからこそ、判明するものが、いっぱいありました。
平屋で、広いのですが、インテリアは、ターシャチューダーの、家、風の、アーリーアメリカン調です。そして、広いスペースを間にとって、木のムクの、正方形のテーブルが多数置いてあり、テーブルクロスがかかっています。窓には紅白の格子模様の、カーテンが下がっています。また、床もムクの木材でできています。塗装は、していないです。パリでも階段はムクの木でできていて、塗装がしてありませんでした。そして、真ん中がへこんでいました。欧米では、古いものを大切にします。また、天然素材を大切にします。
プリンストン大学に戻ります。私から、5メートルぐらい離れた場所が、10畳分ぐらい、スキップフロアー様式で高くなっていて、そこに、たった、一つ置いてあるテーブルに座って、4人の男女が静かにお話をしていました。日本人の年齢で換算すると、助教授、助手、大学院生の組み合わせでしょう。内容については、聞き耳を立てませんでしたが、そばで見ていても、本当に静かでした。しかし、熱い研究意欲を感じましたね。・・・・・・こういう形で、研究課題についてディスカッションをするのだ・・・・・と、言うことがわかりました。テーブルにはコーフィーもなく、又、ウエイトレスが、来て追い出すわけでもありません。
その同じプリンストン大学の講堂(=階段教室)で、数学の難問【ポアンカレ予想】を解く、解説をした、ロシアの、天才的数学者の、ドキュメンタリー番組を見たことがあります。其の講堂まで、歩いていきたかったのですが、学食前に、サッカー場より広いのではないかと、思う芝生が横たわっていたので、あきらめました。学生たちは、学内での移動に、自転車を使って居ました(苦笑)
私は、1960年代の東大の学食を利用しています。東大卒ではないのですが、勤務していたからです。
半地下です。そして、圧倒的に狭くて、長いテーブルが、ぎゅう詰めという形で置いてあって、お部屋は無味乾燥の極致です。窓にカーテンなどは、かかっておりません。テーブルはデコラ張りです。またはメラミン樹脂張りというのか。ともかく、白い色だが、つるつるで、冷たいものです。足は、金属パイプ製でしょう。今では、そこには用事がないので、寄りません。したがって、改良をされたかどうかを、知りません。
が、芸大食堂には時々入ります。半地下ではないし、インテリアも、東大よりは、上等です。天井が高くて、一サイドが、ガラス張りです。だが、テーブルは、やはり、プラスチック製の、上張りのものです。ムクの木では無い。足も金属パイプ製です。テーブルクロスもかかっていません。
こういう部分も、日本の大学が低くみられる一原因かもしれません。日本は新しい箱モノを作るのに熱心です。そして、すぐ古いものを壊します。それは、建設会社を儲けさせるだけであって、文化程度が高いとは言えないでしょう。
ここで、今回の源氏物語へ戻ります。その開演・前のインタビューで、その歌手が、語っているのですが、「日本でサイン会をすると、オペラを見たことがないという人がいて、驚きます」と。その種の経験から、日本人の、特に歌舞伎愛好者の間での、クラシック音楽に対する、知識や知性に対して、「少ないなあ」と、思って、小ばかに仕切ってしまったのでしょうか? だから、自分が選曲した曲目に関して、作曲者名を、記さなかった?
しかし、人を小ばかにすると、相手もあなたを小ばかにしますよ。私はあなたに対して、「真のエリートたちが集う、あのプリンストン大学卒にしては、何と、ずさんで、だらしがないのですか?」と、言いたいです。
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副題8、『しかし、此処で、もう一回転、させて、深めて、語っていこう。もし、あの曲がモンテベルディ作曲のものだと、仮定をしたら、海老蔵は、CIA連中に汚されたことになるのだ。其れって大変な事、ざーますわよ』
私は最近、「更新頻度を抑えて、その代わり、一つ一つ、深めて書くつもりです」といって居ます。 でね。ゾフルーザ問題の分析の時、ブロックAの解釈と、ブロックBの解釈があると、言いました。このカウンターテナー氏が、明かさなかった作曲者名ですが、其れを、あの章の時の、ブロックB風に、さらに、奥深く解釈をしていきましょう。
歌舞伎座で、アンソニー・ロス・コンスタンツォの、歌唱を聞いたとたんに、『あれ、これ、モンテベルディに似ている』と私は思いました。 で、もし、あの曲たちが、モンテベルディ作曲のオペラ・等・からとられたのだとしたら、彼が作曲者名を伏せたわけも、すっぱりと、解明できます。モンテベルディは、日本イタリア修好150年記念オペラ、【ジャパンオルフェオ】に使われて居た、楽曲です。
そして、そちらの方は、対・私いじめの要素を含んでいました。私は鶴岡八幡宮様の、氏子の一人です。普通なら、二日間に、渡る公演の、案内ぐらい来ないといけません。雑誌を郵送で、もらって居ます。そこに、チラシ一枚でも、入れてもらわないといけません。
入場制限があるとしても、「一応、インターネットで、申し込める席があるのですよ」と、言うぐらいのご案内をいただかないといけません。しかも、何と、そのオペラの支援団体に、三井物産があって、個人的な支援者の、お名前の中にも、私の友人があったのでした。その友人が、「近所に行きますので、事前、もしくは事後に、お茶しませんか?」と、言う連絡をくれなかったのも異様なのです。
そういういじめ問題に、ついては、すでに、深く書いてありますので、そのリンク先を後で、見つけておきたいですが、2つも、3つもあるはずで、今は、一つだけ見つけてあり、其れを、後注1として置いておきます。
ジャパンオルフェオは、鶴岡八幡宮を、初演の場所として、選ばれたオペラです。次に東京芸術劇場でも、演奏されたものです。
そして、和の楽器(邦楽)を使った部分とのコラボで、有名な曲です。
このコラボという部分が、コンセプトとして、源氏物語と同じです。歌舞伎ですから、浄瑠璃や、黒御簾・音楽の演奏家が、22名参加しています。それと、古楽器チェンバロと、バロック調メロディの歌唱とのコラボレーション。コンセプトが両者の間で、そっくりです。
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副題9、『そういうわけで、源氏物語に、関しては、海老蔵一人が、演出家にして、統率者だった・・・・・(日本テレビの番組で、其れがわかったのだが)・・・・・そこに、都会人としての、気の弱い海老蔵が居たかな?』
私は海老蔵が、たった一人で、演出をしたという事も、今回の源氏物語が、大失敗に終わった大きな理由だと思います。というのも、光り輝く、主人公という姿を、彼自身は、演出し得ないのです。彼は、其れこそ、東京育ちです。ソサエティも上流階級風でしょう。だから、洗練をされています。それが、『俺様は、一番だ』と、は言いにくい、根本です。照れてしまうでしょう。そこが、あの源氏物語が、大失敗だった、一つの、理由でもあります。
その点、菊之助は、外部の演出家、又は、脚本家を招いています。【蜷川マクベス・十二夜】にしろ、【マハーバーラタ】にしろです。また、獅童は、【あらしの夜に】を演出する際に、若い役者の意見を相当に取り入れています。獅童は、映画他で、外の世界の、演出に触れているので、演出の、重要性を知っています。
シアターコックーンの場合は、私は、2018年度で、初めて見たのですが、七之助主演の【切られの与三】は、大成功でした。激情にいる人みんなが感動をしていました。脚本とか演出が、非常にしっかりと、機能をしていたからです。
ここで、蛇足というところで、あの芝居が、どうして、大成功だったかの、もう一つの理由(梅枝の悪女としての好演が、七之助のキャラを立てるのに、大いなる、サポートをしていた)を述べますが、
ここで、大切な事は、菊之助も、七之助も、兼ねる役者というタイプで、女方も致します。という事は、美形だと、いう事です。海老蔵と、タイプは違うが美形だと、言う典型です。
そして、主役として、輝かしい、美しさを見せていきます。照れないで、見せていくのです。【マハーバーラタ】は、群像劇でした。で、菊之助は、最大、最高の主役というわけでもないのです。でも、気は弱いが、この世に和をもたらす、王子だと、言う気品と、輝きを見せておりました。
そして、七之助です。私は、十八世勘三郎は、しねま歌舞伎でしかみていないのですが、二人のお子さんの、うち、将来伸びるのは、七之助の方だと、この芝居の成功で、さらに、確信をしました。お兄ちゃんの、勘九郎は、限界があるのです。性格的にまじめすぎるから。しかも、立派で、やさしい母親と、同じく、献身的な妻に囲まれて、かつ、子供二人が、既に、歌舞伎座で、デビューして居ますので、がんじがらめです。したがって、不良化方向へ、かじ取りの、できる筈もないです。
今年の大河ドラマは、勘九郎主演で、【いだてん】です。これも裏で、鎌倉エージェントが手配したと、見ています。私が批判をしている俳優を二年連続使ってきました。で、勘九郎に、合わせた主人公を、探し出し、金栗四三にしたのです。しかし、もでるもおもしろくないだろう、じんぶつだし、演じる方も面白くない漢字の役者だから、これから先どうなることやら。
なお、こういう事を打破して行くためには、松竹の、姿勢が、相当、高くなくてはいけないのですが、大谷信義という人物が、どうか? 相当に心配です。
まあ、海老蔵も、六本木歌舞伎においては、演出家として、三池崇氏を招くそうですので、どうなるかな?
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副題10、『しかし、海老蔵が、自分で、アンソニーロスコンスタンツォを、見つけてきたとは思わない。海老蔵が、これほどの長時間を割いて、彼らに、お歌を歌わせると、言う、コラボ・演出を、考え出したはずはない。
もし、彼が、其れを考え出したのなら、そこに、彼の気の弱さを感じ取るのだ。もっと、刈り取らないといけない。それは、能狂言の部門についても同じだ。
しかし、海老蔵が、逆らえない立場の人間を通じて、鎌倉エージェントが、ジャパンオルフェの、尻つぼみ現象への復讐を図ったのだと、仮定すると、あの大失敗作の、生成も納得がいく。
というのは、私は、シャロン・スイートについては、1999年以来、今まで、何度も文章の中で、取り上げてきたからだ』
上までが、長い、長い、副題です。で、文章体で、書いていますが、これから、先は、通常の会話体へ戻します。
海老蔵が、A.R.コンスタンツォと、個人的に親しくなる機会はないと、思うのですね。だから、海老蔵から共演を持ち掛けた筈はないのです。
では、誰が、・・・・・源氏物語を、対・雨宮舜用の、復讐の道具として使おう。そして、モンテベルディを、もう一回、その中で、使おう・・・・・と提案したかですが、むろんの事、鎌倉エージェントです。しかし、彼ら(伊藤玄二郎、いまだ生きている井上ひさし、成岡康司、石塚雅彦、大町在住だった、元電通マンにして、フリーメーソンらしくファンドマネージャーなど、中谷共二氏の次男等の)、七人には、音楽的知識はないはずです。だから、概念だけ、提供して、後は適切な楽曲を選んでもらう人を、選び出し、選曲を依頼をしたと思うのです、
そのアイデアを出した時期ですが、2006年か2007年でしょう。
ここで、その当該人物が誰であるかを、同定しないといけません。第一に考えられるのは竹部聡志です。この人はポピュラー畑の人ですが、国立(くにたち)音大を卒業しているので、知識は豊富でしょうから、モンテベルディを選びだす可能性は高いです。この人が、70%ぐらいの確率で、提案者である可能性があります。全候補の中で、もっとも度合いが、強い人間です。
その次に、東京カテドラルで、演奏会を開く、合唱団の、指導者です。今、名前を思い出せず、東京カテドラルで、引いても出てきませんでしたが、桐朋学園卒の、笛(古楽器)の奏者のはずです。2012年ごろまでは、銀座の、新富町駅に近いギャラリー福山の入っているビルの二階で、練習をしていた合唱団がありました。そこの指揮者です。私は、その合唱団の、演奏が、あまりにレベルが高いので、驚いて、ドアを開けて訪問をしたことがあるのです。パレストリーナを練習している日でしたが、今まで、接したことがないレベルの、練習をしていました。すごい、すごいレベルの高さでした。
私には、当時は、尾行が付いていた可能性があるので、その部屋へ、私が訪問をしたことを警察からの連絡で、知った井上ひさし等が、東京カテドラルに連絡を取ったうえで、「あの合唱団の指揮者に、選曲を、依頼をしよう」と、伊藤玄二郎に、提案をした可能性があります。
三人目は、児島百代先生です。この方は、北鎌倉女子学園の音楽部門を隆盛にした功労者ですが、カソリック雪ノ下教会の少年合唱団、グロリアのお世話を長らくしておられたそうですから、伊藤玄二郎とは、とても親しいのです。自伝を鎌倉春秋社から出しておられますからね。その上、私は、鎌倉コールという、昔、1980年代から、参加していた合唱団に、2009年ごろ、10年ぶりに出かけたのですが、その最初の日に、百代先生に、ひどく、いじめられたので、「変だ。これはおかしい。裏に何かがある」と、思って居ますので。だって、音楽の先生が、弟子をいじめるなど、非常におかしいのです。
あと、この三人でなかったら、あの人だろうと、思う人が三人ぐらいいますが、確率はぐっと下がるでしょう。
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副題11、『私は、バロック音楽としては、ビバルディと、パレストリーナしか、かつては、聞いたことがなかった。しかし、2016年、10月4日から急に、モンテベルディの、メロディを聞くこととなった。それは、武部聡志らしい人物を通じて、大いなる、地獄を見ることへつながったので、特別に、印象深いメロディとなった』
私は、此処で、20時間以上、チェンバロ奏者の名前が出ていないと、言う、ミスを犯してしまいました。チェンバロ奏者の名前は、61頁に出ていました。それはお詫びをします。しかし、そこは、間違えたけれど、源氏物語に、使われた楽曲はモンテベルディではないかと、言う疑いは、消えません。その頁に、載っている、全8名の、演奏者の、所属や住所をグーグルで調べて、連絡を取れば、わかるはずですが、此処では、後で、訂正することとなってもいいから、そう言う調査は、抜きにして、歌舞伎座で、伴奏をつけて歌われたメロディが、モンテベルディ作曲の楽曲の中のどれかだったと、言う、推定で、ものを語らせてくださいませ。
この副題8の二重ガッコ内に書いた通りで、私はモンテベルディについては、CDも、持っていないし、中学時代(=60年前まで)は、よく聞いていたラジオも、最近では、聞かないので、モンテベルディを、聞くこととなったのは、一重のオペラ、【ジャパンオルフェオ】の練習が、鶴岡八幡宮の境内の舞殿で、始まってからでした。2016年10月4日に、急にしたから、特徴のあるメロディが聞こえたので、私は怪訝に思って下へ降りて行ったのでした。すると、それは、練習日だという事で、自由に見ることができました。ミッソーニが、デザインした、衣装で、本番を行うのですが、其の4日前も、練習着みたいな、白地の(本番とデザインが、同じ)衣装を着けて、動きを伴鵜、練習をしていました。
私は、実は、八幡宮様の、駐車場と、上と下という別はありますが、地境を接しています。で、八幡宮様から、広報雑誌を、郵送で、送っていただいている身ですが、事、音楽会に関しては、何もお知らせをもらって居ません。どうしてかというと、その催し類は、2002年までは、素朴なものだったからです。誰でも自由に見ることができるし、演奏をする人も、地域に根差した、半分ボランティアの、趣がある程度の音楽会でした。もっとも、音量が大きいのは、自衛隊化、県警の音楽隊で、それ以外は、かすかにお琴が聞こえますね』というぐらいのものだったのです。しかし、私が、2004年から、本を作り始めると、その音楽会が、ものすごい音量になり、入場制限が加わったり、いろいろ変化をしていくのです。
それは、なぜかというと、私が、工業生産的な、本を作り始めて、そのデータを自宅で、作り始めたからです。私が自分を大物だというのは、その本づくりの邪魔されようが、けたたましい事、けたたましい事、アリと、あらゆる方向を使って、弾圧と、いじめの総攻撃を受けたからです。ですから、私が書いて居ることがどれほどに、彼ら、鎌倉エージェントにとっては、怖い事なのかを、指し示しており、かつ、こういうデジタル・ネット、配信よりも、紙の本(昔からのスタイルの、伝達手段)の方が、どれ程に、力強いものかを知りました。
しかし、・・・・・パソコンがシステム破壊を起こして、其れを、処理しているうちに、壊れる・・・・・と、いう風な弾圧が起きてきたので、やがて、外で仕事をする様になり、収入がないのにノマド生活に追いやられます。本は、6種類、を、400,600,600,800.800.800部、作ったのですが、そのノマド生活を勘案すると、いつも、一冊、4,5千円になるのでした。苦笑するしかないのですが、他人に頼まないで、本づくりができるわけですから、ますます、弾圧を受けることとなります。つまり、現在でも検閲が、あるのですが、それは、出版社が、出版を引き受けないという形で行われます。しかし、自分が出版社になってしまえば、本を出版できます。ですから、私が、恐れられ、それで、かえって、さらに激しい弾圧を受けるという事になります。
さて、その言論弾圧の、一手法として、鶴岡八幡宮様に、大騒音を出させるという、方向がありました。各種工事が、真夜中、又、昼間も大音響を上げるという事もあったし、2003年より前は、なかった、大太鼓の、長時間連打というのも始まったし、音楽会が、有料に、なり、入場制限が、始まったのも、その一環だったのです。
そして、そういう流れの最頂点に、位置する音楽会が、【ジャパンオルフェオ】の公演でした。それは、本番は、2016年の10月7日の夜と、8日の夜に。八幡宮の舞殿横・西側を舞台として、行われたのです。しかし、それは、壮大な失敗作というべきでした。日本イタリア修好150年を記念するのなら、オルフェオを、ミッソーニの衣装で、原版のままで、公演し、そのあとで、宮城道雄の、春の海を、複数の演奏者で、演奏するというぐらいが、結構だったと、思いますよ。もし、あのジャパンオルフェオをそのまま、イタリアへもっていってごらんなさい。3時間、束縛された聴衆は、日本人の知性も、芸術性をも、両方を疑うと、思いますよ。
歌舞伎座の方で、6億円を稼ぎ出したであろう、源氏物語2018年版も同じです。そうだいな、失敗作です。それを瀬戸内寂聴さんが、ほめていますか? 瀬戸内寂聴さんは、115%の、御用小説家です。もし、彼女が、本当に音楽とか芝居がわかる人だったら、夫の元を、去らないでしょう。特に4歳の子供を置いてはね。夫たる人は、音楽を研究する学者でした。音楽が本当に好きであったら、そんな夫を、それほど、子供が小さいうちには、裏切らないです。しかも、出奔をした後で、二人の男性と、両天秤にかける様な恋愛騒動を起こして、一人を自殺に追い込んでいますよね。または、二人ともかな?
NHKが、よく、彼女の法話に、群がる60代の女性の群れを、ニュース映像として、流しますが、あれを見ながら、日本人は、かくも劣化したのか?と、いつも驚いて居ます。
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副題12、『ジャパンオルフェオは、東京公演でも盛り上がらなかったと、見ているが、・・・・・内部では、あいつ(=私の事)が、ブログなど、書きやがったので、メディアで、宣伝をしにくくなった。今般は押さえておくが、これについて、復讐してやらないといけない・・・・・という事になって、2018年の、歌舞伎座で、又、モンテベルディが、使われたという事でしょう。つまり、歌舞伎座は、6億も稼ぎながら、その本当の目的は、単純極まりないもので、単に、私に対する復讐の場として、利用されただけなのです。
海老蔵が、どこで、このカウンターテナーと知り合ったかが不思議でしたが、鎌倉エージェントが企画をして、海老蔵には、有無を言わせぬ形で、飲み込ませたという事が、今では、はっきりとわかります。その伝達をした、人物が、この右側の二人だったと、推察しています。
そして、私が公ではなくて、個人メールとして、源氏物語は、失敗作だったと、書いたので、又、ジャパンオルフェオの時の宣伝を行いたいのに、行えない。・・・・・と、考えて急遽記者会見を行わせ、襲名予定のことを、発表をさせたと、見ています。
、急遽、記者会見をさせて、十三代目団十郎を襲名することを、麗々しく、かつ、にぎにぎしく、発表をさせたのでしょう。
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副題13、『ここで、急に海老蔵が、松竹の奴隷状態であることがわかってしまった。借金があるという事は聞いていたが、今般の、襲名発表・記者会見によって、さらに、ひどい状況で、奴隷状態であることがわかってしまった。もし彼がやんちゃな、小坊主時代のままだったら、何とかなるが、奥様の感化で、純真無比になっているので、本当に心配している。
これから先、なお大量に加筆をする予定ですが、7日まで、お待ちをいただきたく存じます。用事があるので。
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後注1、
八幡宮のオペラの実行委員に、元〇庁・長官が入っていたし、日本ユニシスと三井物産が寄付をしているので、私の被害に関する謎の解明が、大きく進展した△
2016-10-07 21:50:24 | 政治