銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

大・大・大スター誕生の瞬間を目撃して、涙が、8分間も止まらなかった。堀越かんげん君、お見事!

2019-07-04 18:40:06 | 歌舞伎

副題1、『涙が、八分間も止まらなかった。歌舞伎座、7月公演、昼の部に出てきた、堀越かんげん君を見ていて』

 私は海老蔵の、長男である、堀越かんげん君を、既に、三回ほど、歌舞伎座で見ています。この坊やに対して、今までは、割と否定的な感想を持っていました。が、本日=2019-7-4は、圧倒的に違う、新しい、肯定的な感想を持ちました。ああ、こんな瞬間を目撃して、何と、幸せな事だろうと、思ったことです。

 どうしてか、というと、私は、本日4日は、歌舞伎座、7月公演の、二日目、もしくは、三日目だと、思いこんでいたのです。したがって歌舞伎座に、本日漂って居た異様な、集中度があるとは、予測しておりませんでした。本日の歌舞伎座は、唯、一点、堀越かんげん君に、全員が、集中していたのです。観客もまた、ほかの役者もです。大御所も三階さんも、全員が、かんげん君に集中していました。

 私は、そんなことは、一切予測しないで、歌舞伎座へ行ったのです。ただ、大雨が降りましたね。北久里浜で、前日園芸の仕事に、没頭をしていた上、泊ったので、お洋服などは、歌舞伎座へ行く服装ではありません。ただし、前売り券を持っていない場合、三階席が、手に入らなかったら、四階で、見ることになるので、大雨だと、観客が少ない見込みがあるので、それを狙って行ったのです。4階には、同じことを言うお客さんがほかにも、いっぱいいました。

 みんな、考えることは同じねと、言いあったことです。

 私としては、洋服が、戦闘服ではないだけで、意気が上がらないです。勢いが付かないです。つまり、外へ行く、一日目と同じ服装を、二日目も着る訳です。北久里浜には、作業着しか置いていないので、歌舞伎座へ行く服装なんか、無いです。なんか、よれよれという感じ。しかし、もし、三階席A(6000円)か、B(4000円)がなかったら、雨を利用した方がいいのです。それなら、4階が買える見込みが出ますので。その為には、洋服の方は、我慢です。これで、いいと、思って出かけたのです。それほど、期待をして居なくてね。

 しかし、驚きました。圧倒的なレベルで、良い方に裏切られて・・・・・

 四階から見ると、かんげん君が、揚幕を出て来る姿は、見えません。しかし、揚幕を、この子が出て来ると、満場は大拍手です。それはね。・・・・・事前に、大宣伝をされていたからです。・・・・・と、私は、思うので、『ああ、いつもの事ね』と思って冷静でした。

 でもね、四階から見える場所、ツマリ、花道が、終わる場所で、この子が、見得を決めたのです。見得とは、ポーズです。オペラで言うと、アリア(独唱や、重唱)が終わると、歌手は、一瞬、動作をやめて観客の拍手を待ちます。あれと同じです。

 この時に、もし、見得を切っている主役が、人気がなかったら、みじめですね。だから、予定調和の世界です。絶対に大拍手が来るとわかっていて、主役は見得を切ります。その時に、大向こう(家号を、大声で叫ぶこと)が、かかることも、同時で、それが、多数の方向からかかるのが、人気の証明です。

 まあ、ね。歌舞伎座って、役者と、観客が、予定調和の、仲良しの世界で、私としては、いささか、しらけるときがあるのです。しかし、『いつものあれね』、『私は、それほど、甘くないですよ。超、冷静ですからね』と思って居たのに、突然に、涙が滂沱とあふれて、鼻水も、ず、ず、ず、ず、ずっと、垂れて来て、止まらないのでした。

 小さな、かんげん君の、全身に、一種の覚悟が見えたからです。それと、その小さな体に、注がれた大量の愛を、感じ取ったからです。直接的には、お父さんからですね。だけど、そのお父さんが、かんげん君に、大量の愛を注いでいるのは、奥さんの真央さんの存在が大きいです。その真央さんが亡くなっていること。それが、小さなかんげん君の覚悟を決めさせている。それが、わかるので、涙があふれて、止まらなくなったのでした。

 満六歳です。しかし、既に、色々なことがわかっている。そして、その上で、自分の任務を果たしている。その健気さに、撃たれて、涙が、滂沱と出て止まらなかったのでした。

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副題2、『外郎売と、言う芝居は曽我ものの一種だけど、いろいろ、その時代に応じて、改変をなされているらしい』

 堀越かんげん君の役は、昔、父の、海老蔵が、8歳で、七代目新之助を襲名するときに、作られた、一種のヴァリエーションの模様です。歌舞伎の脚本は、がっちりした、脚本ができている明治以降の新作以外は、相当に、改変してよい模様です。

 で、曽我兄弟の、うち、弟の、五郎だけが出て来る、芝居らしいが、そこに、兄も出て来る、ケースもある模様。戦後だけで23回上演をされているが、その内、兄の、十郎が出て来る芝居が、6回あります。ただ、貴甘坊(きかんぼう)と、名付けられた子供が出て来る、のは、明治以降、二回だけで、現在の海老蔵が、子供の時に、それを立てるために、急に作られた役らしい。

 ただ、かんげん君の為に初めて作られた役ではないのが、救いです。もし、今回、この子の為に、脚本が変えられたなどと、プログラム(歌舞伎座では、筋書と、言う特殊な。呼び方をする)に書いてあったら、私は大いに鼻しらんで、バイアスがかかった見方をしたでしょうね。本日の芝居を実見する前までは、そんなことは、一切知らないことでしたが、これは、かんげん君にとって、とてもいい事でした。

 名門、市川家に生まれた男の子というだけで、特別扱いを受けるのは、あまりにも続くとよくないことなのです。ほら、大阪なおみ選手だって、全豪勝利の後で、あまりにも、多数回取材を受けて、ちやほやされすぎたので、全英初戦敗退が、大きく取りざたされて、泣きそうと、言って退出したことを責められていますね。これについては、又、別の章で、語りますが、急に集中的に、人をほめそやすのは、よくないことなのです。今は特にメディアとか、機械とかネットの力を借りているから、幾何級数的に、上昇もするし、下降もする。それは、その一人の、人間に対して、過酷な事です。気の毒な事です。

 それにね。私は昔ブログで、それを書いていますが、かんげん君が、二歳で、初お目見え(役はないが、舞台に立って、挨拶だけをした。黒の紋付きで、羽織はかま姿で、もしかしたら裃もついて居たかな。大人の、100%のミニチュアであったが、可愛さは、限りがなかった)した時に、けっして大役が付かない立場の役者が、いやな顔をしていたのを、見たのです。 

 どうしてかというと、私は歌舞伎界の発展のためには、今の松竹が取っている手法はよくないと、思って居るのです。菊之助の、おぼっちゃんと、堀越かんげん君を、商売の道具にしているのではないかと、思うほど、ちやほやしています。それでね。絶対にいい役が付かない立場の、役者(親が、有名でもないし、大金持ちでもない人達)が、どう思って居るかを、双眼鏡で、見まわしたのです。すると、いやな顔をしている、三階さんがいたのでした。

 この嫌な顔という現象ですが、菊之助の坊ちゃんが、役をつけて、登場した時には、松竹側からお達しがあったのか、それとも出演者が少なかったからか? それとも、両親の祖父、二人が二人とも人間国宝の、御大だからか、誰も、いやな顔をしている役者はいませんでした。

 しかし、NHKが、こちらの坊ちゃんのおけいこ風景を一時間の番組にして、【にっぽんの芸能】の時間に放映をしたのは、たぶん、私のブログつぶしでしょうね。だけど、それは、菊之助(パパ)と、おくさん(ママ)の、両方にとって、よくないことです。菊之助の一家には、今のところ、不幸の種がありません。だから、子供ながらに、覚悟を決めている堀越かんげん君に比べると、ぼんやりしている様に見えます。だから、かえって損ですよ。

 菊之助は、新作歌舞伎を作ること、及び、今まで、作った新作歌舞伎をも練り上げる事に集中すべきです。ほかにも子役として、活動できる名門のお子様は、いっぱいいるのだから、堀越かんげん君の立場と、同じ風にしないで、彦三郎の、坊ちゃん程度の扱いでいいです。その方がお子様ご自身にとって、幸せです。菊之助も余計なストレスや、プレッシャーを感じないで済みます。

  ところで、後から加筆をしますが、菊之助の坊やは、自然で普通なのです。だけど、かんげん君が特別なのです。それに、まずいことに、二人が、連続して、登場したのもいけなかったです。6月に菊之助の坊ちゃん、そして、7月に堀越かんげん君が登場しました。これは、さきに登場した、菊之助のお坊ちゃんの方が損です。お子さんは年齢的に、まだ早かったとも、言えます。

 その上、準備過程もダメでしたね。芝居(プロットが、あまりにもずさんで、子供を持ち上げるためだけに作ったという事が見え見えでした。歌舞伎座を私物化しないでください。吉右衛門どの。長らく待っていた、男の子(後継者たりえる)が、生まれたことがうれしいのは、理解できますが、ジジ馬鹿が過ぎて、判断力を失って居ますよと、いいたいです。

 ただし、おぼっちゃま自身が化けるかもしれない。それは、私の想定のほかです。ところで、【ナウシカ】が、歌舞伎化されると発表をされていて、その主宰者が、菊之助です。菊之助は、そういう方向で歌舞伎界の高峰の一つとなって行ったらいい。

 ところで、私は、かんげん君が二歳の時に、『危ない。こんなことをしていていいのかな?』と、思いました。しかし、本日19年7月4日に、かんげん君の、貴甘坊を見て

 『ああ、大丈夫だった。源氏物語の時から、比較しても、長足の進歩を遂げている。この子には、もう、覚悟ができている。すごいことだ。驚くべきことだ。お母さんが、小さいときに亡くなったことを、これ程、美しく昇化させた例はないだろう』、と、思いました。それで、涙が止まらなくなったのです。

 堀越かんげん君は、芝居が上手などというレベルを超えているのです。そして、それは父親の愛の結晶だから、それも涙の対象になるのでした。

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副題3、『ういろううりの売り立ての、長広舌が、始まったときに、私は、その四分間、涙が、さらに激しく出てきた。声は美しく、どこにも舌ったらずな気配というのはなくて、歌舞伎座全体に、響き渡った。

 もちろんの事、観客が、大きな集中をしていたこともある。それから、舞台上の俳優もすべて、集中をしていた。彼等は、ゲネプロで、既にこの子の、長いセリフ術を、みているはずなのだけれど、1800人以上の観客を前にして、この子が、無事に勤め上げられるかを、息をのんで、注目をしているのだった。それが、私にもわかった』

 私は事前の大宣伝を、聞き流しながら、父子で、掛け合いで、セリフをしゃべるのだと、思って居ました。一分間、父親が、セリフを言い、次に交代して、かんげん君がしゃべり、また、父に移行をして、次にかんげん君に帰って来る・・・・・その様に思って居ました。

 しかし、違いました。全部この子が、しゃべったのです。私は、揚幕を出てきたときから、時計を見ていて、このセリフの部分だけは、5分間だと、思って居ました。ただし、ネットで、は、四分間と出ていました。でもね。かんげん君は小休止を二回入れたのですよ。それは、10秒~20秒という短さでしたが、それでも、観客はみんな、息をのんで心配をしたと、思います。『あ、此処から先、忘れたのかしら?』と思って。でも、小休止の後で、続きが出てきました。結果として、思いがけないことに、小休止があった方が、よかったのです。

 私は、大・大・大スターの誕生を目撃したのでした。今まで、見た三回とは、全く違って見えました。すっきりとしたスターがそこに居ました。なお、新橋演舞場でも、一月に、かんげん君は出場しているらしいのですが、私は見ていません。私は、大昔の、ヤマトタケル以外は、2017年のお正月しか行って居ないので、そちらで、かんげん君を見たことはないのです。本日、は、ただ、唯、感動させられました。

 ところで、こんどは、大昔の話になります。1955年ごろか、そのあとです。横浜・伊勢佐木町の劇場へ、親に連れられて、アメリカ映画、【スター誕生】を見行きました。シネマスコープを、初めて、見た日です。その同じテーマは、何回もリメイクされている模様で、私が見たのは、

スタア誕生 (1954年の映画) - ジョージ・キューカー監督、ジュディ・ガーランドジェームズ・メイソン主演。です。

 其れを見た時もおお泣きをしたのですが、その時以来の、おお泣きでした。しかも、両方とも、不幸を抱えながらも、大スターになっていくという話です。で、図らずも、スター誕生という瞬間でした。初日ですからね。そう言えます。いえ、今までは、過剰にちやほやされているおぼっちゃまだと、見ていたのですが、この子は、自分自身の輝きで、スターとなったのです。大人の役者が、すべて、顔色なしで、

 ある意味で、海老蔵が心配なぐらいでした。

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副題4、『これ程の大成功を、堀越かんげん君が納めてしまうと、普通なら、父親は、嫉妬する可能性が出て来る。エディプスコンプレックスを隠して、生きて行く可能性が出て来る。しかし、此処でも、真央さんの存在が、大きくなる。真央さんが亡くなっているからこそ、海老蔵は、高い境地に達していて、その愛も種類として、高度なものなので、かんげん君に嫉妬することはないだろう。親とは、子供を生かすために一度、死なないといけないと、言うのが、私の信条だ。海老蔵だったら、かんげん君(そのころとは=14歳から、19歳ごろ=だが、その時には、既に、新之助を襲名済みだろうが)、を、許容し、自分が後ろに下がる様な気がする。それほどに、彼の愛は、大きい。無論将来、何が起きるかわからないが、今のところ、大スター誕生と、私は感じた』

(蛇足)、

 上の方で、言って居る通り、私は、3日に、普段着で、鎌倉から、北久里浜に向かったのです。そして、次の日も、3日と同じ服を着ています。ただし、園芸をするときは、作業服に着かえますので、合計、3時間程度しか、着ていない洋服ですが、それでも自分としては、自信がない服装です。

 ところが、お芝居が終わったときに、顔も素敵で、服装も素敵な奥様から「エレベーターで降りましょう」と、ピックアップをされる形でお誘いを受けたのでした。その時、いつも帯動をしているリモワのアテンダントバッグ、子供用は、ロッカーに入れてあったので、私は、「ありがとうございます。でもロッカーに寄らないといけないので」と断って別れました。

 ここで、松竹から、私が、いじめられている話をしないといけません。トイレの禁煙問題等で、いじめられきっています。添えから、児太郎と、米吉を、いい役を与え続け、梅枝を、押さえつけています。これは、筋書きの編集方針、俳優協会のホーム頁の在り方。NHKの放映方針、雑誌演劇界の編集方針など、五つのフィールドで、顕著になっていることです。ただし、本日は、その詳細には、触れません。

 私が、歌舞伎を見るのを、未就学児童期以来、65年ぶりに再会した当初は、トイレのドアに、禁煙マークなど張っていなかったのですよ。見始めてから二か月か、三か月で、トイレのドアに、禁煙マークが張られ始めたのです。急にです。歌舞伎座の女子用トイレ内でタバコを吸う人なんていませんよ。だから、無粋の極みなのです。たぶん、現実を知らない、まだ、実際には生きている、井上ひさしの提案でしょう。どんな小さなことでも、いじめてやれっとなって、います。前報=2019-07-03 22:01:40=歌舞伎とあまりにも離れているので、リンク先を示しませんが、の中に書いた、庭の草取りの、考察に対する、復讐もありますしね。大変ですが、どれも、今は、展開しないで、この章は、舞伎座だけに特化すると、

松竹は、私を個人的にいじめるために、周辺をも巻き込んでいるのです。トイレ以外にも、四階には、エレベーターが、合計3基あるのですが、其れを使わせない様にしているのです。それ以外にも、ルールを異様に厳しくして、お客を、信頼していないという姿勢を示しています。

 これは、今治のタオルブランドを高級化させていった、商店【伊織】の発想と同じで、ー「一階のお客(18000円)と、二階のお客(14000円)に比べたら、お前ら、四階のお客は、人間じゃあーねー。虫っけらなのさ」、と、言って居ることと同じなのでしょう。四階って、150人程度しか入れません。だから、三基のエレベーターで運べば、それぞれ、二回昇降するだけで終わります。

 そのほかのいじめも、全部わかっていますが、ものすごいレベルで、私は、いじめられています。「しかし、こういう姿勢でいると、歌舞伎は衰退しますよ。それに、私をいじめると不運が始まりますよ。おやめなさい」と、言っておきたいです。だってね。ほかの人だって言って居ますよ。「団塊の世代が死んでしまったら、歌舞伎座、アウトだよね。チケット高すぎだもの」と。

 今、歌舞伎座一階席および、二階席を買っている人達は、だいたい、3億円の資産を持っている人達でしょう。年功序列制度がなくなった今、40代以下の人は、大きな不安を持っています。それなのに、若い人は、ほとんどが車をもっています。

 横須賀・北久里浜で、車庫にいい車(ベンツなど)が、入っているのを見ると、『すぐ手放しなさい。ここって、駅まで、五分ですよ。東京圏では、車なんかなくても大丈夫なのに』と、思います。そして、「毎月5万円を貯金に回しなさい」と言いたくなるけれど、そういってしまうと、日本経済がアウトになるのでしょうね。トヨタ、が衰退したら、日本全国、真っ暗になるのでしょう。だから、言わないで、置いています。

 というわけで、本当は大切にしないといけない四階のお客を松竹はいじめきっています。そここそ、歌舞伎好きで、しかも外人の初心者が多いのに、いじめきっています。

 でも、そんな中で、「にっこりと笑って、エレベーターに乗りましょう」と誘ってくれる人がいるのです。私がロッカーを開けて件の場所まで、到着すると、全員がワンボックスに乗った後で、先程の、奥様が、スペースを一人分開けて、私を再び手招きをしているのです。二度目のお誘いでした。それでね。私は、「今日はこの人に神様が乗り移って居る」と感じました。しかし、「いいことは、むさぼりつくさないこと」というのも、私の信条です。彼女の二回のお誘いだけで、十分に満足した私は、さらっとお別れをしました。もしかしたら、お茶に誘ってくれて、歌舞伎談義に花を咲かせることができたかもしれないのですが・・・・・

 反対に悪魔のたくらみをも、10個程度発見をしています。家にいても台所の天井灯を不随意に点滅させるという脅かしを受けるが、外ではさらに、脅かしと嫌がらせを受けます。どうしてですか? 私が書いていることが全部正しいからですよ。

 ただし、その具体的な話は、今日は、やめておきます。堀越かんげん君の、立派な姿に敬意を表して。

 ところで、かんげん君の売り立ての長広舌を、聞くために、観客と、舞台上の役者全員が、深い集中をしたので、歌舞伎座全体が、針が落ちてもわかるというぐらいに、しーんとしました。その中で、私が鼻をず、ずっとすする音が、周辺に聞こえたのではないかしら。その音に気が付いたあの奥様は、私の方を見て、何んて純朴な人がいるのかしらと、驚いたのではないかしら。

 

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