銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

イージスアショアは、私弾圧の為に国費を使うケースだ。そう断言する理由は、父・ちはるが、1910年萩生まれで1932年秋田鉱専卒だからだ

2019-07-08 01:05:13 | 政治

非常に込み入っている前報を分割していきます。

副題1、『昔の日本では、秋田県沖が、唯一の石油、産出地域だった。それで、秋田鉱山専門学校というのが作られており、私の父は、そこの石油科の第一期生だ。だから、それを、狙って、秋田県がイージスアショアの、基地とされたのだった』

 今の日本では、石炭も廃鉱になっているし、石油も、生産はせず、精製だけをしております。横浜磯子、四日市、徳山(現在名、周南市)などには石油精製コンビナートがあります。夜は傍を通るときれいです。

 秋田鉱山専門学校とは、現代では、秋田大学となっています。ただし、現代では、東京へ若い人の、人気が集中気味なので、入学試験の、偏差値が低いかもしれません。しかし、明治43年(=1910年)生まれの父が、入学したころは、相当に、人気が高くて、入学の難しい学校だったそうです。

:::::::::ここで、挿入ですが、盗まれてしまった父の写真の中にはメスシリンダーを前にして、ピペットを握っている学生時代の写真がありました::::::::::

 なお、若い方は、現在の学制下の、工業専門学校と、混同なさる方もあるやと、思いますが、戦前は、今の大学のほとんどが、専門学校という名前だったのです。旧制高校とそれに付随する、帝国大学以外は、全部専門学校と呼ばれていたのですよ。慶応大学も明治大学も、多摩美等も全部そうだったのです。東(帝)大、京大、九大、北大、ほか、三校だけが、帝国大学・・・・・つまり、大学と呼ばれる施設だったはずです。後は、高商(現在の一橋大学)とか、高師(現在の筑波大学)等を含めて、専門学校と呼ばれていたのです。

 私の学友(男子)が、石油会社勤務だと、聞いたので、「私の父は、秋田鉱専の石油科第一期卒なのよ」というと、彼は、びっくりして、「え、石油会社の、重役って、ほとんどが秋田鉱専卒ですよ」と、いいました。そうですね。2019年現在、石油会社勤務の、85歳以上、105歳までの、年齢層では、非常に幅の効く大学名だったのです。

 父は、新卒時は、早山製油所(のちに早山石油 → 昭和石油 → 昭和シェル石油)に、勤務しました。今日初めて石油元売り変遷図、というのを知ったのです。そこに早山製油所が、早山石油に名称変更したのは、昭和10年、(1935年)とありましたが、父は、昭和八年には、早山石油という名前だったと、言って居ます。

  以下は、伊勢佐木町のスタジオで、父が撮影した、写真です。しかし、これも盗まれています。ただ、たまたま、スキャンしておきました。それで、助かりました。で、父の戦前の写真って、これしか、無くなったのです。

 裏の記述を読むと、父が、22歳か、23歳ごろだったと、思います。昭和シェル石油は、鶴見の、事業所があります。それが、往年の、早山石油でしょう。

 父は、そこから歩ける(?または、電車で、一駅程度の)距離にある生麦に、居を構え、母と所帯を持ち、高女専科卒の母を社会勉強に出し(横浜正金銀行に勤めに出し・・・・しかし、帰宅が遅いので、日産自動車に、勤務替えをさせ)、二人で、ダブルインカム生活を謳歌していたのでした。しかし、その当時の母の写真も、二人の結婚式の写真も盗まれています。残るは、ただこれ一点だけです。父のこの姿は、まるで、ジャニーズ、特に東山君・風・ですが(苦笑、)昭和8年(1933年撮影の写真です)

 ::::::::::ところで、一時期、『これは、貸衣装かしら?』と、思って居たのですが、違いますね。父は、明治生まれの男としては、とても背が高かったのです。それと、旧制中学時代の親友が、藤本真澄・元・東宝重役だったので、お互いにおしゃれな雰囲気を持っていたのでしょう。だから、この白いスーツは自前のはずです。白い靴もね。ところで、今思い出すのは、母がよく言って居た、セリフです。「お父さんは、お金持ちになったら、おしゃれではなくなったわ。若いときは、おしゃれな人だったけれどね」と。その気持ちは、よくわかります。とっさの用事で、きちんとした、ドレスを着ないといけない場合、急に、50万円ぐらいを出費しても、痛くもかゆくもないとなると、準備をしないものです。でもね、「常に、衣服費が月に三万円以内です」と、なると、考えて、かんがえて、お洋服をととのえるものです。

 でも、私自身は、両親とはまるで、金銭感覚が違うので、76歳になっても、必死で、おしゃれをしていますよ。たぶん、どんな洋服も、両親のそれと比較をすると、ゼロが、一つ少ない予算で、買っていますので。また、日吉の東急バスのバス停、ときわ台で、自閉症の青年を装った、三人の刑事による謀略的・小・芝居が、行われた際、20代の青年も、50代の男性も、60代の男性も、三人が三人とも刑事だと、瞬時に見破ったのは、その人達の服装のせいなのです。それから、顔です。申し訳ないけれど、全然違うのです。:::::::::という挿入を入れて元へ戻ります。

 父は秋田鉱専の選手代表として、代々木(または、千駄ヶ谷というべきか?)の学生陸上選手権とか、学生水上選手権とかに出場しています。昔の水着って、ランニング風な上体部分が、付いているのですよ。そして、頭は、髪の抵抗を抑えるために、手ぬぐいをきつく、まいていたみたいです。ゴムのキャップなんかなくてね。水上よりは、陸上の方が成績は良かったみたいです。三位までの、メダルは無理でも、記録はそこそこ、出ていたみたいです。走り高跳びで、1920年ごろに、165cm飛んだそうです。背は、明治生まれの人間としては、高い方です。ところで、スポーツといえば、秋田では、お城のお堀で、竹スケートで、スケートをして、それは、とても、面白かったと、言って居ました。萩ではできないし、横浜でも昔はスケートリンクなんてなかったので、できないから、秋田のスケートは、楽しかったそうです。スキーはやらなかったみたいです。

  ところで、母の就職の方ですが、それが、とても簡単だったのは、母の実父のおかげでしょう。新卒時には、家事手伝いで、何も仕事をした経験のない女性が、しかも、主婦になってしまった後で、就職するのは、普通は、難しいのですが、母の父は、旧制・柳井商業の、校長を、40年間も、務めた人なので、さらさらさっと、有名会社に勤務できるみたいでした。当時は銘仙の着物で、OL勤務をするのですよ。・・・・・まるで、NHKのあさどら、の世界ですが・・・・・その写真も、私の記憶の中だけでしか残っておりません。盗まれていてね。こういう泥棒の、さらに、発展した姿として、化粧品まで、盗まれる事態が起きています。しかも、四種類の泥棒が居て、其の一軒の前には、以下の看板が

 堂々と、はってありました。ここ、鎌倉雪ノ下二丁目は、完ぺきな、住宅街で、やくざなどいないです。しかも、20軒しか家がないのに、この看板が、13号と、14号と、二枚もあるのですよ。そう言う現象を見て、・・・・・なるほど、日本の警察とは、CIAの家来なのだ・・・・・・と、わかってくるわけです。というわけで、此処雪の下では、警察は、泥棒を捕まえるのではなくて、泥棒の味方をするのです。合鍵を一般人数件にあげるのですよ。恐ろしい一帯です。

 どうして、そういうことになるかと、言うと、日本は、法治国家ではなくて、強者の恣意が、まかり通る野蛮な、動物的、国家だからです。すべては、コネで、事が運ばれますので、そうなります。石塚雅彦、堤義明、成岡康司、伊藤玄二郎、井上ひさし、川名昭宣、中谷家の遺児二人などが、保持している人的コネで、こういう事態が出現します。

 ほぼ20年間、24時間、気の休まる暇もないと、言う体たらくです。人権侵害の極致だから、深く、深く怒っています。

 なお、これは、小さい事ですが、「お前嘘を言ってらあ」といわれると、困るので、言うのですが、その母方の、祖父の名前は、正確に言うと、秋山といい、それは、母の実家の苗字ではありません。東京へ、出張してきた祖父に、私は日吉の家であったことがあるのですが、彼は、実は、養子だったので、養父母と、仲が悪くなって、養子縁組を解除して、いったん、離縁しています。大正期に、現在の大学卒(しかし、こちらも専門学校だが、高商と言って居た)である祖父は、すぐさま、別の家(秋山家)に、養子に、と、懇望されて、そちらに新たに養子に入り、そこで、7人の子供をなしました。だから、半分血のつながった、叔父叔母を入れると、私には、母方だけで、8人の、叔父叔母が居ます。(苦笑)

 もう一つ添えますと、父は、頁油岩(けつゆがん)というのを研究するために、満鉄・調査部、中央試験所というところに移動をします。けつゆがんとは、英語名を、オイルシェールといい、最近話題になっているものです。満州の撫順炭鉱は、露天掘りなので、そこで、石炭と同じ原料(恐竜時代のシダ類の植物からできている)で、できる石油が、・・・・・けつゆがんとして、存在をしているはずだ・・・・・というのがチームの目的でした。そのチームのトップが、カリフォルニア大学を卒業した日本人ドクターで、「下からの提言を奨励したので、とても驚いた」と父はよく言って居ました。実際には、使用に耐える量が出るわけではなくて、秋田沖産出の石油で、日本は第二次大戦を乗り切ったのでした。

::::::::::ここで、又挿入ですが、我が家の東北側の、山を無断で、削った中谷共二氏に驚いて抗議したら、彼の家に呼ばれて、合計三時間ぐらいかけて、懐柔されたのですが、その時、「自分はカリフォルニア大学卒だ」と、説明をしました。私は、自分の方は、ほとんど、言葉を出さなかったのですよ。信頼していない相手の場合は、そうです。大切な事は、前田夫人が藤本夫人に誠意をもって謝罪をすれば、問題は、解決するという点で、それは、言いました。中谷夫人は、「あなた、川崎さん(雨宮舜の本名)の言う通りですよ」と言って居たのに、中谷氏は、後ろに居る瀬島龍三を、私より上に立てたのです。ただね、私が何も言わないから、カリフォルニア大学の優秀さを、理解をしていないなどと、中谷夫妻が、思ったら、それは、違います。私は、父からリアルな形で、カリフォルニア大学のすごさは、聞いているのです。ただ、先の先を考えるので、ほとんど、この山では、口をききません。引っ越してくる前から、問題がある地域だと、わかっていたので、リアルな世界では、口にチャックを貫いています。ところで、この父の、満州時代の、中央試験所(一種のシンクタンクですね。理研みたいなものだった)の様子を、東大教養学部卒の、私のお友達に話したら、彼女は、「そうよ。満州の方が、戦時中の、日本国内よりは、ずっと、民主主義的に運営をされていたというのは、有名な話よ」と言って居ました。まあ、これは、インテリの世界だけの話ですが、それから縁は異なもの味なものと言えば、このカリフォルニア大学の縁だけではなくて、問題の女性藤本禎子さんのご主人、ミスター藤本はこの章にも出て来る、藤本真澄東宝・元・重役の弟のはずです。それは、私にはわかっていたけれど、ミスター藤本には、「私の父と、真澄氏は、旧制中学時代、親友だったのよ」とは、告げていません。・・・・・

 この・・・・・海の中から石油が出る・・・・・と、いう事で、今、現在、中国とベトナムとフィリピンが争って居ますね。その東シナ海の、同じ海の、最も北側の秋田沖で、石油が産出していたのです。ブラジル沖などでも、大量の石油が算出するらしくて、それを、中国が支配して居るとか?

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副題2、『第二次大戦の、始まりについて、私は、英語の資料をICU図書館で、1962年に調べて英語で、リポートを書いて、アメリカ人教授に大変褒められた。リットン調査団の、リポートも全文を英語で、読んでいる。だから、櫻井よしこさんに、(一種の)剽窃をされてしまって、ネットに、拡散した、彼女の論文は、ほぼ、原文は、私のものだったのだ。しかし、25台も、パソコンが破壊をされているので、証拠がない。特に、外へ、取り出したハードディスクには、移動しないという形式の,AOLで、メルマガを、書いていたので、証拠を示すことができない。本当に、こちら側には損失ばかりである。

 特に、私は、石油のことは、子供のころから、家庭内会話として、頻繁に出て来て、聞いているので、あの論文は、血肉と個人史を、基盤として書いたもので、グーグル検索などで、出来上がったものではないので、その、損失感は、大きい。

 ただ、「櫻井よしこさんには、子供もいないし、孫もいないよね」と、思って、自分を慰めた。

  ここで、重要なことを書きます。櫻井よしこさんは、数少ない右翼的な、評論家だと、みなされています。そして、私は、ネトウヨと、呼ばれているみたいです。佐々木俊尚の、或る文言を見て、それがわかりました。ところで、私は、自分が右翼などとれるのは心外です。しかし、櫻井よしこさんの意見は面白いと昔から、思って居ました。しかし、接触はしておりません。

 しかし、接触していないうちに、私が書いたものと同じものを、彼女名義で、ネットに拡散されるという驚くべき裏切りに接しました。

 ここで、話さないといけないことは、三つあります。

 *1)、接触する可能性がある人間を、こちらに素早く取り込んでおこう・・・・・という主義の下に、櫻井よしこさんに、その論文を発表をさせた・・・・・・

 これは、1978年に塩見和子さんが、、サザビーか、クリスティーズの日本支社長と、言うモダンで、きれいな職業から、突然に、笹川良一氏の、日本財団へヘッドハンティングされた例でも、言えるのですが、

 私の東大時代の上司が、笹川良一氏と、台湾の、旧制高校時代の、親友であって、私が北久里浜における土地を巡る、瀬島龍三+益山重夫側の悪を見抜いただけで、車で、轢き殺されそうになった案件で、笹川良一氏に、助けを求めて、泣きつくことを恐れた瀬島龍三が手配をして、石塚雅彦さんなどが、塩見和子さんの、説得に出向いたと、見ています。

 他にも例があります。副島隆彦という人が、一時期マスコミで、大変人気がありました。読んでみると、面白いので、著書を買おうとすると、書店では買えないそうで、「そこで、買える」と、言われている場所の、電話番号に、申し込むと、そこは、副島氏のファンクラブで、副島氏を守っているそうです。で、著書を、4冊ぐらい申し込むと、全く送ってこないで、連絡が付かなくなりました。

 こういう現象から、わかることは、テレビに出たり、大手出版社から書物が出版されている様な人は、既に、踏み絵を踏んでいるのだと、いう事です。どんなに少数派であり、正しいことを言ったり、書いたりしているとしても、裏では、従順であると事です。誰に対して、従順かというと、鎌倉エージェントに対してです。つまり、大特権者、(欧米の軍産共同体のトップたち、その頭脳部分であるCIA、または、その日本側代理人たち)に忠実だと、いう事です。精神の中で、二重構造を抱えて、平気で生きている連中だと、いう事です。

 でね、現実世界では、これ以上はない、損失を被っている私ですが、此処に書いている様な文章は、世界で、誰も書いていないはずだと、言う認識を、この三人の行動を見ているうちに確信として、得ました。私は副島隆彦から、無視されようが、櫻井よし子に裏切られようが、元気いっぱいで、さらに、誇り高くなっていくのでした。

 だって、こんなに時間をかけて、力を尽くしているのに、一銭ももらえないのですよ。そして、名誉も下りてきません。だけど、元気いっぱいで、書き続けております。神様には愛されていると、思って居ます。いいことも、いっぱい起きています。しかし、最近は、いいことは、書かない主義で、生きている私です。そうしないと、せっかく得た、いいこともどんどん、新たに奪われていきますのでね。

 ただね、有名評論家に、関する疑義については、此処では、これだけにして、また、父に戻ります。後半で、戻れたら戻り、田原総一郎や、弘兼憲史について、語ります。

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副題3、『父の名前は、ちはるである。今季の朝ドラ【なつぞら】で、主人公が、5歳の時に分かれた妹が、主人公の、心に、大きく残り、其の、名前が何度も、音声で、画面に登場する。その名前が、【ちはる】である。そして、私の父も【ちはる】という名前なのだ。NHK朝ドラは、すでに、6回ぐらい、対、私いじめの為に、利用をされている。これが、被害妄想ではないことは、

 かどや製油の、現在の社長が、高畑淳子と組んで、テレビコマーシャルを作り、それが、当時の、BSニッポンの、【おぎやはぎの愛車遍歴】の合間に流れたことでも傍証づけできる・・・・・というのも高畑淳子は、朝どら【つばさ】での、自分の役割と、そっくり同じ、服装で現れたからだった。

 背中に、酉の市で売っている・熊手・みたいな、飾り物を背負って、小沢社長と、一緒に画面に登場をした。意味は何もない。ただ、朝どら・つばさないでの、高畑淳子の役割が、井上ひさし、たちが、想像する、私の姿だったと、思われる。

 また、今季の朝ドラで、重要な役目を果たしているのが、行方不明になった妹であり、その、名前が、ちはるという事だ。私の父も、ちはると、発音する名前である。朝ドラの方は、千という数を表す漢字の後ろに、遥かと言う漢字が付いてちはると、読む設定になっている。私の父は、数字の、千の次は、晴れるだ。晴れた空という際に使う、【晴】を、千の後ろにつけて、ちはると、読ませる。

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副題4、『イージスアショアの、設定場所だが、秋田県は、秋田県と、呼んでいる場所を、山口県の方は、山口県といわずに萩市という。これも、明瞭に対、私弾圧の証拠である。

 これ以降は、前報の最後で、下書きとして、メモ書きをしたものを、こちらへ移行をします。

*1)、イージスアショアの、設定場所は、秋田と萩の二か所である。

  A, 父は萩の生まれである。毛利家の重心だった家の生まれである。安倍晋三さんは、山口県の選出議員だが、祖先は田布施町出身であり、士族階級ではない。ただし、明治天皇は田布施にいた、南朝側の出身者だとか? 仮説であるが、そうも言われている。だから、田布施町、出身の、4岸信介、佐藤栄作、安倍晋三の三氏には、異様な特権があるとも、言えるかもしれない。

  B, 父は、1910年(明治43年)生まれだが、1932年ごろ、旧制秋田鉱山専門学校(現在の秋田大学)の、石油学科、第一期の卒業生である。そのころは、秋田県で、石油を算出していた。

  この二つの事項をからかってきて、いじめているのが、イージスアショア問題だと、私は見ている。だから、防衛庁の職員が公聴会で、居眠りをしたのも当然だ.

**********wikipedia からの、コピペ 

  1. ^ 防衛省・自衛隊|平成30年版防衛白書|コラム|<解説>陸上配備型イージス・システム(イージス・アショア)について”. www.mod.go.jp. 2019年6月15日閲覧。
  2. ^ 防衛省・自衛隊:陸上配備型イージス・システム(イージス・アショア)に関する秋田県及び山口県への説明について” (日本語).

 

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  6月初旬に何を私が書いていたかを、確認してみよう。

19-6-12 危険な崖の調査 

2019-06-12 23:11:55 | 政治

 今まで、下書きとして置いていたが、本日、2019-7-7に公開をする。日吉の実家、(横浜市)

北久里浜の家(これは、国と横須賀市)、そして、鎌倉雪ノ下の家(県)と、三連続で、価格に置おいて、数千万円、私が、損をする措置が、企画をされて、最初の告知に、雪ノ下に訪れた。人間が訪れた。書類においては、既に、来ていたのだが・・・・・・

 下の写真は、日吉の実家、高い崖が、大谷石で、築かれていて、66年間、3.11の際にも、びくとも、しないのだが、建物を、新築する場合は、この崖をコンクリートにしないといけないそうであり、角度も以前より緩やかにせよとのこと。その工事をすると、植木類が、だめになるだろう。そして、三千万円は、出費がかさむ。どうして、こんな企画がなされたかというと、傾きマンションのことを、ほとんど、90%は、大丈夫であり、あれほど、大騒ぎをするのは、ほとんど、嘘だと書いているから復讐をされている。


  次に北久里浜の件、これは、ひどく複雑なので、此処では、解説をしない。だが、説明をしやすくなるための、1978年に、法務局で金銭を出して、正式にとった、登記簿謄本の類が、すべて、盗まれている。段ボール箱いっぱい盗まれている。それで、説明がしにくい。それを狙われている。

 鎌倉の家では、赤い矢印と、黄色い矢印の間の崖が、危険区域と決められると、別に県が、補償をしてくれるわけでもないのに、売るときと、相続するときに、それを明記しないといけないそうで、たぶん、売値として、一千万円、は、下がるでしょう。そういう事を玄関にまず、言いに来て、次に四人の人間が、実際に、測量に来たのですが、ただ、単に、柱を2本崖の下に、立てただけですよ。それで、判断をされてしまうのです。ものすごく、恐ろしいやり方で、人をいじめてきます。しかも二度も三度も人が何人も来るとは、どれ程に、県民税を無駄遣いしていることか。そして、ほとんど、地形が同じである、安野家と、前田家は、検査をしないそうです。道なりで、安野家は、我が家に、彼らが、歩いて、くる途中にあり、前田家は、我が家から、東北に向かって、三分もかからない位置にあるのに、測量をしないそうです。もう本当に、机上の空論として、作り上げられたいじめです。

 あのね、こういう事を考え出した、基礎は、わかります。だって、これを企画するだけでも、一か月以上はかかるでしょう。ですから、この訪問が、6月13日です。イージスアショアのニュースが発表されたのが、15日です。その一か月前に、何を書いていたかというと、

 花輪夫人のペンキ塗りお当番、そして、安野夫人の暗躍ですよね。昨日も小野寺夫人がこれ見よがしに動いていたが、そういう彼らの悪だくみを見破ると、さらに恐ろしいことをやってきます。

 こういう事を書かないといけないので、私もほとほと、くたびれます。つまり、すさまじい悪意の万円を書かないといけないからです。だけど、こういう悪事に協力をしている花輪夫人と、富沢夫人は、あの三夫人より善人だから、何らかの神様からのおしかりが下ると、思いますよ。安野千沙、前田清子、小野寺夫人は悪魔に支援をされているので、何も置きません。健康で、暮らしています。しかし、花輪夫人と富沢夫人には、何か、起きると、思って居ます。過去の例だと、そうですからね。

 それほど、この三夫人とその陰にいる、CIAエージェントはあくどいです。

 いやあ、疲れる。疲れ切ってしまいます。少し、自らを洗浄する必要があります。園芸の仕事でもしてきましょう。しばらくパソコンから離れます。下書きメモだけですよ。これ程、くたびれます。

 この後で、櫻井よしこさんに戻って、田原総一郎と、弘兼憲史氏に戻って、・・・・・泥棒の話に戻って、化粧品とトイレブラシの泥棒の話に戻って、それを夫婦で、大声で話すと、本箱の棚、(大久保忠治君の死を暗示したパネルが置いてあった場ところ、敵さんが、頻繁に利用する、問題のポイントに、トイレブラシが、返却をされていたと、言う話など・・・・・延々と続いて、さらに、ICUに戻って、

 CIAの力によって、脊椎カリエスを患ったので、とても背が低いのに、公使夫人にまでしてもらって、平屋で、60坪の公邸に住んでいて、私に対して、威張りかえる、お杏(きょう)さんと、彼女と二人で、中山詔子さんが、いい人だと、話し合ったら、その中山詔子さんに、櫻井よしこさんが、やったことと、そっくりなことを、プラド美術館について、私の、書いたエッセイと、骨子は同じ文章を突然に、エッセイを配信したことがない、中山祥子さんが、私もそれを利用している、ICU同期のメルアド、サークルに送り込んできた話とか、

 もう、莫大な数の、エピソードが、此処に、付記されることとなります。ああ、疲れる。(苦笑)



@@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。

副題7、『丈の高い、ブルーシートと、警察と、謀略事件の共通項をしてしてあるからこそ、今回の様な、自然な事件でも、ブルーシートが、大活躍で、それは、大きく、真実を隠すことに至る、困った現象だ』

後注1、

自由の森学園、吉岡秀隆君、福音館書店、その社長だった、時田史郎君、元革〇リーダー成岡康司君▢

2019-06-18 05:07:32 | 政治

後注2、

 

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