銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

明大・・・・・駿河台・漫画・図書館という、・・・・・名案

2009-10-23 17:09:55 | Weblog
 麻生さんが、漫画・博物館のアイデアを出したときに、私は一切それについては触れませんでした。私が触れないというのは、婉曲なる否定です。その私に向かって、高名な美大の先生が、「あなたは文章を書くのだから、あれに反対する文章を書きなさい」とおっしゃいました。そのお言葉の裏に在るものは、私もよくわかるし、賛成です。

 というのも、FINE ARTS といわれる純粋美術に対して、お金が回らない現状の中で、お金が潤沢に回っていて、ビジネスとしても大成功をしている(売れ行きが斜陽になったとか、言われていますが、現代アートの世界などに比べれば、ゼロが三つぐらい多いか、もしかすると、四つぐらい多い形で)、お金が回っている世界ですから、支援すべきでもないと思っていたのです。

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 でもね、よく考えてみると、美術館というのは、数多くすでに設立をされています。運営の費用が自治体から出ないので、箱物行政に堕している美術館も在るらしいが、それでも、数としては、五万とあるほどと、言うほど数はあります。

 となると、まだひとつも無い漫画博物館の先鞭をつけるのは、よいことだったかもしれないのです。私はこれでも(貧乏なくせに)、結構ハイレベルな紳士どもともお付き合いしている(間接的であったりしますが)が、そういう中で、海外との交流が激しい方ほど、あの漫画博物館の案がつぶれたのを残念がっておられます。

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 確かに、日本は、もとから美術の国であり、手先が器用であり、そして、今、文明的に、思想や哲学で、世界をリードできません。結構、日本という国自体が監視されている模様で、自由奔放に振舞うわけにも行かないのです。そういう日本にとって、サブカルチュアーと言っても、ともかく、世界の人が好んだり、喜んでくれるものは大切です。そういうものを見たいと思っても、

 この間、私が秋葉原で案内をした、数学者のように、ネットカフェの情報を知らない人は大勢いるでしょう。だから、美術館か、図書館か、博物館の形で、それらに、公に接することができるのは、とても、よいことですね。

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 明治大学は、創始者、もしくは、数代にわたる理事、学長の選択によって、駿河台(昔はニコライ堂で有名だったのに、高いビルができてしまって、ニコライ堂がどこにあるかも今では見えませんが)

 という、岡(それは、文化の程度が高いような気がします。私が出かけた先だけの経験ですが、海外でも、美術・大学はたいてい、高い丘の上にあったりしますし)

 の上に学校が在ることの利点を最大限に生かすことと成ります。だから、大変、喜ばしいことです。

 他大学との収入や利益の上で、立地条件による、差が付きすぎることを、文化の側面で還元していくのは、すばらしいことです。それこそ、お金持ちの常道の行き方です。大学は個人ではないが、一種の有機体でもあると考えれば、より本質的な方向を目指す形で、発展をしていくのは、天の恩寵をいただける方向です。そうやって、がんばって、進んでいただきたいです。

 どこやらか、聞こえてきて、今まで一切触れなかった問題ですが、資金運用に怪しげな、金融商品を買って、大幅に、財産を目減りさせる、半・公共的な団体や組織(大学や、協同組合も含まれていたと思う)が多い中で、こういう方向でお金を使ってくださるのは、すばらしい発案です。

 「新しい建物を建設するかどうかはわからない」と書いてありますが、そうですね。大空間としての吹き抜けがあったりするから、そういうところに、木造を利用した、しっかりした、付属建物を作り上げるのとか、いろいろ、美しい建造物として、その図書館を作り上げる建築・技術は、今の建設業界には、在ると思います。この前の、小さい子供が胸や頭を圧迫されてしまったような本棚で、作り上げられたら困りますし・・・・・大丈夫でしょう。信頼しています。お金持ちがなさることですから・・・・・

 がんばってください。日本は、欧米から地理的に遠いので、普通の市民が観光に来るというより、文化人の来日が多いのです。だから、そういう人に訴える最新の情報発信・基地となれば、最高ですね。そして、運営も美術や芸術に対して、素人である

 県や、市の(もちろん、意識的に勉強をなさる立派な方も多いのですが、作家そのもののエネルギーや、意識の高さから見ると、安定した立場で、ゆっくりした行動しか取れないのだなあと思うような、)課長さんが、上から降りてきて、運営する、単なる箱物と堕した、公立美術館よりも、ぐっと、生き生きと、運営されるでしょう。

 館長などが、講座を持ったりすれば、その講座から、館長を連続し手出すことができるし、運営や財政もガラス張りだろうし、赤字の時には、大学・総体から補填金も出るだろうし、これは、本当によいアイデアです。
  では、2009年10月23日    雨宮 舜(川崎 千恵子)
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