銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

加藤和彦氏(死)の研究ー4、前衛であることの苦悩

2009-10-19 16:19:59 | Weblog
 私は、今朝から、貫徹明けにもかかわらず、すでに、原稿用紙換算、32枚を超える文章を、加藤和彦氏の自殺をきっかけに書いているわけですが、

 自分で「これは、読みたくなかった」という北山修氏の、朝日新聞朝刊内の、追悼文でも、

 一部分で、『圧倒的に、これは、すばらしい文章である』と感じるところがあって、それを読めば、北山氏が、深い友情を持っている事を、信じさせられるのです。

 それゆえに、今までの文章で、かえって、あっけらかんと、北山氏は若き日に、潜在意識の中で、加藤氏に嫉妬したであろうとか、加藤氏は、現在に至って、急に自分の孤独死に終わりそうな老後に気がつき、比較対照例としての、北山氏の生活に追いつけないことを知り、それを、引き金として自殺を実行なさったと言う仮定を展開しているわけですが、

 そんな失礼なことを堂々といえるのも、この文章を詳細に、丁寧に読み、北山氏の追悼文が、加藤氏の日本文化状況に対する、最も、すばらしい貢献に触れていることに気がつき、それゆえに、北山氏に信頼があるからこそ、こういう反語的な表現、かつ露悪的な表現にさえ、踏み込むことができたのでした。

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 朝日新聞をまだ読んでいらっしゃらない方のために、そこをコピペしますと、

・・・・・自主制作の「帰ってきたヨッパライ」が300枚作られ、結果的に280万枚を売った半年で、日本の音楽の流れが大きく変わったのだ。大先生が作る作品を歌手が歌うという「上から下」の主流に、自作自演という「下から上」への波が音を立てて、流れ込んだのである。・・・・・

 上の引用がもっとも大きなところですが、その前に、叙情的な表現で、

・・・・・はっきり言って、私たちは、アマチュアで、関西にいて、大した機会に恵まれなかった。そして、振り返るなら、多くの「若者の戦い」の中で、あの音楽の戦いだけは一瞬成功したかに見えたし、クリエーター加藤和彦は、このプレーヤーたちの戦いの騎手となった。・・・・・

 すばらしい追悼文です。これだけで、二人の友情は圧倒的に信じられます。

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 しかし、それをさておいて、<<<加藤和彦氏に、悩みが生まれるような、采配が後ろからひそかに行われていた>>>と、想像する私でもあるのです。不思議な形、一見すると政治闘争とも思えないし、言論弾圧とも思えないのですが、

 結果として、総合して分析をすると、見事に言論弾圧、または、前衛つぶしに当たる現象が多数、私の身の上に起きたからこその、推察です。

 私がそのことに初めて気がついたのは、忘れもしない、2007年の4月17日のことですが、頁設定を終えた、私の単行本用原稿が、銀座の大黒屋ギャラリーというまったく、無縁な画廊の、検索項目に引っ付いていたのです。

 驚いて、こういうことに詳しい出版界の友人に電話で相談すると、それは、すぐ消えました。だから、電話が盗聴されているということは、のちに、弁護士さんから注意を受けるまでも無く、その時点で気がついたのです。それ以降、私はほとんど電話を使いません。また、ケータイも使いません。

 まったく大正時代風の生活に入ってしまっています。大切な人には会いに行くし、できるだけ手紙を使っていますが、それも怪しくなってきました。

 そして、銀座の画廊街で、オーナーたちを使って、いじめをかけてきたり、作家(今は美術系のアーチストも専門家の間では、このように呼びます)を使って、いじめをかけてきたりします。

 それと、パソコンの変調は、見事に連動していて、また、文章を分析してのことと思われる、音による攻撃も頻発します。そういうポイントをすべて、分析すると、『あ、自分は、攻撃をされている。言論弾圧の対象になっているのだ』とわかってきてしまいます。

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 私は別に政治評論家でもなんでもないのです。だけど、芸術の方向でしっかりとものを考えていくと、結局はモーツァルトと同じく、前衛的になってしまうのです。とくに、本を作り始めました。アマチュアです。だけど、「面白い」とよくいわれています。それは、決定的に言って、「下から上」への行動です。

 それは、アマチュアが、プロ並の仕事をすることを意味するし、自分の意見を自由に発表できる世界を得たということも意味しています。

 これは、私の意見に脅威を感じる勢力からすれば、由々しき事態です。最近の最高の証拠のあるいじめは、京都の人文書院の渡辺睦久氏という方から、6冊目の出版の直前に、『出版を止めなさい。出版をしても、受け取る人がいないでしょう』という潜在的には、脅迫文とも取れる、速達をもらったことです。

 渡辺睦久氏とは、個人的な関係は何も無く、ただ、出版を前にデータを送っただけなのです。でも、郵便が監視をされていたり、私自身のすべての言動が観察をされていれば、渡辺氏が、褒め言葉を最初に言ってくださり、それを、私が喜んでいることは、言論弾圧者には伝わりますので、

 渡辺氏に氏と親しい人物から教唆をかけて、「雨宮舜(川崎千恵子)にかくかくしかじかの手紙を送りなさい」と依頼をすることはできます。

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 このほか、一万件に近い数で、これは、言論弾圧の、ヴァリエーションであろうと、感じることはあるのです。だから、相当に激しい戦いの渦中に在る存在でもあります。
 
 そして、常に、『私は文章の才能は無い』と明言をしておりますが、

 才能は無いからこそ、丁寧な仕事をします。すると、達成度が高い文章ができます。修飾語が頻繁に使われているというわけではなくて、その根本思想が、強い文章ができます。だから、意外にも影響力の高い文章を書いているかもしれないのです。

 無名です。小さい存在です。だけど、力強い存在かもしれません。いまだ公開をしておりませんが、日本の文化状況の中で、真に国民を困らせる文化人が誰であるかなども、音による攻撃で、はっきりと傍証付き、で、把握をしたりしています。

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 加藤和彦さんは、文章の表現者ではありません。だけど、ホリエモンなども一種の過剰な、逮捕劇(いかにも悪人であるかのごとく、一般人に信じさせるようなもの)にさらされましたし、角川春樹さんの逮捕なども、さまざまに、考えさせられるポイントなのです。だから、作曲者といえども、言論弾圧、それから、つぶしの対象となると考えられます。

 どういう攻撃が行われたかですが、・・・・・これから先は見てきたようなうそをいいの類ですが、・・・・・

 たとえば、東京の音楽状況の中で、特にラジオや、テレビの世界などで、坂本龍一氏の企画が次々に通り、一方の加藤氏の企画が次々と没になったとこれも仮定をしてみましょう。

 これは論理や理性の世界では、以下のように分析をされます。

 『坂本龍一氏は、芸大卒である。一方の加藤和彦氏は、音大出ではない、アマチュアだ』と分析をされ、仕方がないとなります。だから、黙って引き下がるべきであるとなります。実際に加藤和彦氏は、そうなさったでしょう。

 だけど、クリエーターで在る限り、仕事の質には自信があります。『どうして、自分の仕事が認められないのだ』・・・・・と煩悶する日もあったでしょう。となると、うつ病であったというのもうなずける展開となっていきます。

 私は同窓会内部やら、銀座の画廊街で、「あの人は、ノイローゼだ」という、うわさを数々流され、それを、個展の初日に言いにきた、『眠り姫』内の、<<<招待を受けなかったのをうらんでのろいをかけにきた>>>、魔女のごとき存在さえあるのです。

 個展というのは招待状が無くても、誰が来てもよいものですし、私はその人に招待状を上げていました。メールの形とはがきの形の二重にですが・・・・・

 だから、個人的に恨まれる筋合いはまったく無くて、ある種の讒言が裏にあると感じました。そりゃあ、ドキッとしますよ。他のお客も一緒に聞いているのですから。こういうケースが一万回も重なれば、裏があるとは気が付くのが当然です。

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 加藤氏がそれに気が付いていたかどうかは知りません。でも、実際に収入が少なくなる形で、追い詰められて行ったのです。

 私の場合に、そこをどう、クリアーするかですが、次から次への新手の攻撃に対して、こちらも、次から次への防衛策を講じて、暗黙の戦いを続けてきたのです。

 その結果、『セロ弾きのゴーシュ』とまったく同じ現象が起こり、凡人たる私がいつの間にか、ライターとか、人によってはジャーナリストだと、規定されるほどになってきたのでした。

 決していきがっているわけではないが、『人の進路などは、自分で決定すべきものでもない』と感じる私は、『こういう方向へ流れていくのが運命だったのだ。書くことは天命である』と、このごろでは推察するほどです。

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 加藤和彦氏は、たまたま、『イムジン河』の発表への、圧迫というところから、こういう流れに巻き込まれ、ご本人もいささかの程度で、気が付いておられて、だからこそ、必死で戦ってこられた。しかし、別方向で、何らかの決定的なダメージを与えられ、それゆえに、自殺をなさったと推察する私です。

 北山修氏との比較は、単に、10%程度の規模の、悲しみだったかもしれません。

 では、今日は、四本も更新しまして、後ろのほうからごらんになる方は、やや、意味が不明かもしれませんが、1からご覧になると、意味が通じます。だけど、長いです。ごめんなさい。それから、スピンオフのゴッホと、ゴーギャンの話はまた、別の日にお送りをさせてくださいませ。
           2009年10月19日  雨宮舜(川崎 千恵子)
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加藤和彦(死)の研究3・・・・・男の嫉妬心

2009-10-19 14:55:21 | Weblog
 さきほど、『加藤和彦氏の、死の、私なりの分析ー2』をアップしてから、四時間ほど身を横たえていますが、まったく眠くありません。頭の中には膨大な文案が浮かび、睡眠とは程遠い状態です。ので、無理の上に無理を重ね、67歳の体の弱い女としては、自分が死んでしまいそうですが、それでも、書き進めていきましょう。

 さて、二人がグループを結成した、ほぼ、数年後には、二人の間には、秘めたる葛藤が起きたと仮想してみます。それは女性よりも激しい男の嫉妬心の発露だったとこれも、仮定をさせていただきましょう。
 それが在るからこそ、二人は、ハシダ・ノリヒコ氏を加えたと、考えることもできます。そして、何より大きいのは、ヒットを出しながら、北山氏は、医者になる修行を怠らなかったという点です。

 今、『北山修は若いころ、加藤和彦に嫉妬心をいただいたであろう』と、私が言えば、それは、失礼極まりないことですから、それゆえに、「これから、奇想天外な発想を述べます」と、この一連の文章の最初にお話をさせていただいています。

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 ここで、この奇想天外な発想の説得力を増すために、自分のことを引き合いに出させてくださいませ。私は文章のこと、および歌のことで、誰にも嫉妬されたことがありません。だからこそ、そこに才能が無いことがわかるのです。

 ところが、美術の世界では、子供がいて、制限が激しかった私より先に世に出でて、すでに有名になっている女流画家から、しかも、何人もの相手から、激しいいじめを受けてきていて、それの原因を考え抜いた結果、才能に対する嫉妬であろうと、結論を付け、それゆえに、そのごたごたがいやで、それも絵を描かなくなった理由のひとつです。そして、自分の絵心(ごころ)は、本を作ることに発揮しています。

 挿絵を描いたり、装丁をすることなどに、美術に対する小さな、志向とセンスを発揮しています。

 こちらの世界でも、すでに、相当ないじめが始まっているから、こちらにも相当才能があるのではないかと感じていますが、いまのところ、私の方がそれに耐える、力をもっているので、この世界で突っ走っていて、それゆえに、私は前向きな活力を失わないでいるわけです。これから、果たすべきことの目標があります。印刷と製本用のお金さえあれば、20冊ぐらい自分の本を作りたいです。

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 でね、元へ戻れば、最初は、加藤和彦氏は、何にも気がつかなかったというべきでしょう。どうしてかというと、そちらにより才能が在るからです。何か小さな違和感に気がついたとしても、ほとんど、気にしなかったでしょう。嫉妬を抱きあう関係で、上に在る方はほとんど、気にしないものです。それは、天賦の才能ゆえに恵まれた無邪気さ(イノセンス)によるものです。

 ひとつの楽曲を作るときに、メロディと詞のどちらが大切かといえば、それはメロディだと感じます。『荒城の月』あたりまでは、詞が先にできていて、詞を書く人の方が大家であったと感じますが、最近ではメロディが先にできていることが多いそうです。そうなると先に作った方にイニシアティブがあります。

 最初の時期に、声のよい歌い手が、どちらだったのかを知りませんが、ともかく、音楽家としての才能は、圧倒的に加藤和彦氏の方が上であったと仮想しておきます。

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 しかし、そこに油断が生まれてしまった。それに、最初の自主制作、CDがヒットにつながり、数十億円の売り上げを得たと考えますので、それも、人生の最初期のことですから人間としての油断につながったと、私は考えます。そうすると、この自殺が納得がいくこととなります。

 あのね、これはすでに他の人が言っていることですが、音楽と文学は工業生産的なコピーを取れます。しかし、美術の世界ではそうではありません。で、美術の世界の人は、貧しくて苦労が多く、決して油断をしないのです。甘くありません。そして、聖書が「貧しきものは幸いなり」というとおり、きれいな世界で、普通は生きています。

 私への嫉妬など異例なことかもしれません。が、後で、スピンオフとして語る、ゴッホとゴーギャンの逸話を見ると、才能に関する嫉妬の問題はどこででも、起きていることがわかります。

 そういえば、今年のNHK主催の、全国・合唱コンクール、中学校の部の課題曲YELLはすばらしい歌ですが、作詞・作曲が一人の人で行われています。これは、後々のことを思えば幸いでした。そして、グループ『いきものがかり』も、男の子二人は、小学校時代からの仲良しらしくて、かわいいらしい性格を発揮していますので、人生をうまくやりぬけそうです。

 しかし、加藤和彦氏、と、北山修氏は、ただならぬインテリでした。しかも時代を切り開く前衛でもあったのです。これは、相当なタマ、どうしなのです。一筋縄ではいかぬものどうしです。

 比較して爆笑問題という二人組みですが、ウエブサイトで調べたところ、太田光君のほうが、絶対にコンビを崩さない覚悟があるみたいです。自分にとって、田中君が大切だと肝に銘じているそうです。テレビの世界でのやり取りを見ていると、圧倒的に太田君が主導権を握っているみたいですが、田中君の役割に対して、太田君は、きちんと自覚的に認めているみたいです。だから、テレビに出づっぱりというストレスの高い、生活ながら二人が破綻をしません。

 そして、加藤和彦氏と、北山修氏もお互いに、今までは、その潜在意識を表に出すことも無く、上品に紳士として、お互いをいたわってきて、一切を、・・・・・悪い言葉で言えば、上滑りに・・・・・見過ごしてきたのです。

 しかし、人生の終盤に入ってきて、加藤和彦氏の方が突然に、『自分の人生は、一種の失敗ではなかったか?』という根源的な疑惑にとらわれたと、これも仮定をして見ましょう。そのときに、突然に対照例として、北山修氏の生活が目に浮かんだ・・・・・と、これも仮定をします。

 そして、北山氏は、有名人にもかかわらず、一種の職業人としての、普通の生活(定期的な収入があり、奥様や子供もいる家庭も在ると仮定すると)、その世界の構築がすでに、間に合わない遠さで、自分に感じられたときに、加藤氏は一気に、自殺へと入ったと、私は仮定するのです。

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 もちろん、この自殺の影には、もっと、大きな問題が隠されている可能性があります。男同士の嫉妬心などという点に矮小的に、集約できない、思想性の問題が隠されている可能性もあります。

 だけど、それに触れる前に、ゴッホとゴーギャンの最新研究をスピンオフとして書きたいと思っています。自殺とか、自傷行為はどうして起きるのかの研究です、NHKテレビが放映をしました。それを、加藤和彦(死)の分析ー4として次にアップロードをさせていただきたいと今は感じています。だけど、<<<先に熟睡を三時間程度でも、とる、必要があるかなあ。私自身の命を守るために・・・・・ただ、やはり眠れない>>>と思いますね。

 この自殺は、クリエーターという種族にとって、非常に大きな問題だからです。

2009年10月19日   雨宮舜(川崎千恵子)
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加藤和彦氏の、死の、私なりの分析ー2

2009-10-19 10:35:23 | Weblog
 実は、たった、三時間ほど前にあげた文章で、北山修氏との比較対照が、加藤和彦氏の自殺の引き金になったのではないかと仮定して、石川啄木のある歌を上げています。それが、記憶が不確かでしたので、しかも、歌集を本箱から探すのが厄介だったので(徹夜明けなので余計、だるいのです)、グーグルで検索をすると、石川啄木の、『一握の砂』が、パソコンで読めるのにはびっくりしました。その中で前報、『加藤和彦氏の、死の、1』とぴったり合致する歌があるので、ここで、追記させてくださいませ。

・・・・・実務には役に立たざる うた人(びと)と 我を見る人に
                   金を借りにけり・・・・・
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 共同作業による創作品が、大衆的に人気を得た場合に、どちらの貢献が大きかったかは、過去に争われたケースがあります。中里介山の大菩薩峠が新聞に連載されたときに、その大衆的人気は挿絵から来るものか、それとも文章からくるものかが世間をにぎわわせたのでした。挿絵画家であり、後に芸大教授となる石井鶴三と文書の書き手・中里介山の間で起きたことです。今ではグーグルの検索にも載っていませんが、私の父なんかは非常に興味のある話題として(絵が好きで実際に描いていたからこそ、石井鶴三びいきだったのでしょう)、いつも茶の間で語っていました。

 北山修氏は、加藤氏を天才だとおっしゃっていますが、同時に「二人は生活上のライバルであった」ともお書きになっておられます。

 ここで、また、中断をさせてくださいませ。完全徹夜明けなので、石川啄木の短歌を確認するにとどめて、次の3をお待ちいただきたいと思います。1はたった、三時間で更新しましたので、夜これをお開きになる方は、まだ、ご覧になっていないと思います。下にありますので、それもよろしく。2009年10月19日
       雨宮舜(川崎 千恵子)
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加藤和彦氏の、死の、私なりの分析-1

2009-10-19 09:23:47 | Weblog
 今朝、09-10-18の朝日新聞・朝刊に北山修氏の加藤和彦氏の死に関する、追悼の言葉が出ています。それを読まなければよかったと思いながら、昨日から、ずっと寝ないで考えている、加藤和彦(氏)分析をここにアップロードさせてくださいませ。それは、今連載で取り組んでいる大学の質と変化の問題とは別になります。そして、10時間だけアップロードした、プリンストン大学の文章は一回引き上げて、後日改めて、さらしましょう。

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 まず、最初に、『久しぶりに、天才的、生き方に接したなあ』という感慨に打たれています。『日本にも、こういう人もいたのか』という悲嘆とともに、『ある種のうれしさも感じた』と申し上げたいと思います。

 これから、一種の奇想天外な論を展開するとしても、私の尊敬の気持ちには変わりは無く、ただ、人間として、自分たちの生き方の一種の指針となっていただくために、その人生を分析するのをお許しいただきたく。・・・・・

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 奇想天外だというのは、加藤氏の自殺(ほぼ、そのようにみなされている)の引き金になったのは、結構のところで、北山修氏との人生の比較に在るかもしれないと思うからです。

 同じ朝日の、17日の夕刊に載っていた写真によれば、北山氏は顔の骨格がしっかりしていて、やや、スポーツマンタイプであり、若き日の加藤氏は、優しい面立ちです。それが何を意味するかというと、北山氏は、人生の総括的な計算ができる人であり、

 医師となった(これは、医師免許が必要なので、国家試験も受けないといけません)ということは理性の人であることをも証明しています。つまり、はっきり言えば、大きな規模で計算ができる人です。

 ここで、今朝の新聞を読んで残念だったというのは、その北山氏が、加藤氏の自殺を、「すべて計算づくだったと」・・・思う・・・と4行目に書いていることです。

 つまり、私が、<<<加藤氏に比べれば、より計算ができる人である>>>と、これから、書いて行こうと思っていた北山氏が、「加藤は、計算ができる人間だった」といっているわけですから、私の論理が、ちょっと成り立たなくなると思います。が、めげないで書き進めましょう。

 加藤和彦氏は、相当前から、自殺することを考えていたと私は思います。それを、計算というのならそうでしょう。そして、ワイド・ショーの無い、週末を選んだというのもそうでしょう。でも、私が最も重きを置くポイントは、北山氏の文章の、14行目に『人生のライバルだった』という言葉にあります。そうですね。同僚として、出発した若き日の仲間との、差がついてしまった。それに愕然とする日はあると思います。

 石川啄木の、「人がみな、われよりえらく見ゆる日よ、花を買い来て妻としたしむ」という歌があります。みんな身近な人の出世というか、差がつくことには、愕然とする日が来るのです。

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 真に芸術家として生きることは、結婚・生活を難しくします。発想がわいているときには、話しかけられるのもいやなもので、「あっちへ、行け。うるさい」というような発言をしたり、または、発声をしなくても態度に拒否する感じが現れると思います。

 私は、自分が天才でもないし、有名でもないが、56歳でパリに研修滞在をできたときから、『あ、自分は世界に通用する。がんばりたい』と思って当時もっていて、2400万円を軍資金として、アトリエ一人暮らしをはじめたのです。

 家族と一緒に暮らしながら創作をすると、お互いに欲求不満となるのです。で、その間にさらに、ニュ-ヨークへ二回も行くこともできたし、今、このように、毎日一本のエッセイを書く、修練もできたので、それは、それで、無駄ではなかったのですが、人生最後の日までは、その一人暮らしは続けられないと感じて、

 家へ戻った人間で、と、同時に、芸術家で在ることをあきらめた人間なのです。だから、67歳まで行き続けられているわけですが、あの生活を続けていたら、必ず孤独死へいたったでしょう。

 その間の、深い思いと、どうして、家へ帰ることになったかのいきさつは、私の五冊目の本、『黄色いさくらんぼ』に詳しく書いておりますから、ここでは、詳述をしませんが、加藤和彦氏も、自分の将来の姿のひとつとして、孤独氏は想定なさっておられたでしょう。

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 最近、『おくりびと』という映画がヒットして、孤独死をしたあとの、部屋の始末をする場面が、鼻を押さえるという表現で、示されていました。私は、一人暮らしの間に、二回ほど大病をしたのですが、その一回目のときの肺炎のときに、三日間ほど、四六時中、大型(16畳用)ガス・ファンヒーターをつけっぱなしにしたのです。その間に、医者から、「あなたは、このままだと死にますよ」と言われたのがショックで、買ってきたキャベツを冷蔵庫に入れるのを忘れていたのです。すると、キャベツが猛然と、におい始めたのでした。悪臭です。

 びっくりしました。野菜です。たんぱく質が入っていない野菜がこれほど、におうのですから、人間の体が腐ったら、硫黄や燐が入っているので大変な腐臭がすると思い至ってね。しかも、24度ぐらいに温度設定をしていると、たった、三日ほどで、ものは腐り始めるのです。キャベツより、人間の体の方が早く腐ると思いますし。

 強烈な恐怖に教われました。私も絵描きでしたから、おしゃれで、その予想には参りました。だけど、それだけで一人暮らしを止めて、家へ帰ったわけでもなくて、二回目の大病、イタイイタイものを主人が東洋医学で治してくれたので、(ただし、三ヶ月間の間に、50回程度、二日に一回は通いましたが)、『ああ、自分はこの人の軍門に下るべきだ。普通の主婦として生きよう』と、絶対的な覚悟を決めたのです。

 よく、「どうして、絵を描かないの?」と人に聞かれますが、私の場合は、時間を区切って美術の創作・仕事はできません。文章のほうは、エッセイを主に書いているので、『一日に創作は一本、後は、整理とか、校正にあてる』と決めているので、時間が、管理できるのです。つまり、文章には才能が無い。それは、はっきり知っています。

 才能のある分野は、時間も管理できないし、エネルギーも管理できないし、お金も管理できません。それは、直感で動く世界です。

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 加藤和彦氏は、天才だったと思いますので、まったく、計算外の生活を送ってこられたのですが、晩年になって、それでは、若い日と同じ暮らしができないことに気がつかれたのです。それをどうするかですが、次第に弱っていき、衰えていき、最後には、孤独死にいたる将来が予測できたからこそ、そこまで無残になる前に、決着をつけようという、判断があったでしょう。

 もし、未来へ希望があれば、当座をしのげればよいのです。借金があったとか、ウエブ上で報道されていますが、それなら、北山氏に借りに行けばよい、生き抜くつもりなら、人間は恥をしのぶことなど、簡単なことです。

 私が三冊目か、四冊目の本を作ったときですが、あまりにも、忙しく、(それは、パソコンに妨害を受けたので、神経を使いきってしまって)実印まで含む全財産を入れた、ポーチ(化粧袋)をコンビニに忘れてきてしまったのです。

 朝早く五時ごろ、その新しい本への添え状のコピーをとりに行く必要があったのですが、普断使っているお財布を、二階の居間で捜すと、音が響き渡って家族を起こすことになるので、一階の誰もいない客間の引き出しにあった、そのポーチを持って、コピーをとりに行きました。

 そして、コピーを持って帰ることに懸命で、大切な全財産を忘れてしまったのでした。コンビニのほうは、他人のものだから、あけても見ないでおられたので、・・・・・無論、私のほうには知らせが無くて、・・・・・私は二、三日、真っ青になりながらあちこち探しましたが、見つからないので、仕方がなくて、本を郵送するお金だけを、人に借りました。

 家族が、『お母さんは、贅沢でわがままだ』と思っていた時期でしたから、家族に郵便切手代を借りるわけにも行かないし、実印までなくすとカードの再発行なども簡単にはできないのです。

 でも、芸術家の端くれだから大切な創作品である本を、新鮮なうちに、配りたい・・・・・特に実名で美術評論をした本だったので、登場人物には、早く配りたい・・・・・わけです。その切手代三万円が無い。・・・・というわけで、それを知人に借りました。それは、恥でもなんでもないです。

 その次の希望があるので、本当の、当座のしのぎだから、大丈夫なのです。実際に、ポーチが見つかればお金は返せるし、本も次から次へと、五冊目、六冊目を作りましたしね。

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 だけど、明日への希望が無いときには、借金は、知人にはできません。それは直接の恥になるし、また、返す見込みも無いなら、信用を大きく、そぐなうからです。だから、誰も知らない形で折り合いをつけたくて、カードローンなどをしてしまうとします。そうしたら、定期収入の無い芸術家には、命取りです。日本にはサラリーマンが、数の上で多いです。サラリーマンなら、次の月の収入が見込めるから、カードローンが、大丈夫で、したがって、世にそれが蔓延しているけれど、芸術家が、借金をするのは、危ないのです。

 そうなった日に、もし、自分との対照・比較・例として、安定した家庭を営んでいる北山修氏(私は氏の方の実情は知りません。でも、お医者様というのは現代日本でも、数少ない、エリートとしていまだに認められている階層です。安定した立場であり、社会的な尊敬も、見事に受ける立場です)を、思い浮かべたら、惨めさはいや増すでしょう。

 医者に比較すれば、芸術家は、知らない人

(いえ、彼の顔を知らない人間も、今では、多いでしょう)

から見たら、その服装でのみ、階層を分別され、

時には、この前の横須賀線のドアーにはさまれそうになったご老人(10月、6日から8日まで三日間連続してアップロードした話)みたいに、公的な人、(つまり、JRが雇っているガードマン)にさえ、粗末に扱われるのです。

 もし、そんな目に出会ったら、加藤和彦氏みたいに、過去の栄光があり、プライドの高い人には、大きな、ダメージとなったはずです。

 そうなると、ここで、樹門こうさいという人が「姓名判断の本」の中で言った、『私の規定する幸せとは、普通のレベルの財産があり、子供があり、孫がいることです』というのがあたってしまいます。

 天才であることが、何の役にも立たない世界となってしまいます。

 ここで、後ろから主人に呼ばれました。芸術家で生きていくことをあきらめた私には、家族の仕事があります。それが義務でしょうね。私が孤独死しないためには。
 特に、徹夜みたいにして、ものを考えているのは、それなりに家族には迷惑なので、ここで、途中ですが、いったん終わり、後篇をお待ちくださいませ。でも、加藤和彦氏の自殺(?)は、徹夜でものを考えさせるに足る重要なデキゴトでした。

 なお、一回、8時間弱・真夜中に、あげた、プリンストン大学に関する文章は引っ込めまして、別の日に、再度・あげます。2009年10月19日、雨宮舜(川崎 千恵子)
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