私は、今朝から、貫徹明けにもかかわらず、すでに、原稿用紙換算、32枚を超える文章を、加藤和彦氏の自殺をきっかけに書いているわけですが、
自分で「これは、読みたくなかった」という北山修氏の、朝日新聞朝刊内の、追悼文でも、
一部分で、『圧倒的に、これは、すばらしい文章である』と感じるところがあって、それを読めば、北山氏が、深い友情を持っている事を、信じさせられるのです。
それゆえに、今までの文章で、かえって、あっけらかんと、北山氏は若き日に、潜在意識の中で、加藤氏に嫉妬したであろうとか、加藤氏は、現在に至って、急に自分の孤独死に終わりそうな老後に気がつき、比較対照例としての、北山氏の生活に追いつけないことを知り、それを、引き金として自殺を実行なさったと言う仮定を展開しているわけですが、
そんな失礼なことを堂々といえるのも、この文章を詳細に、丁寧に読み、北山氏の追悼文が、加藤氏の日本文化状況に対する、最も、すばらしい貢献に触れていることに気がつき、それゆえに、北山氏に信頼があるからこそ、こういう反語的な表現、かつ露悪的な表現にさえ、踏み込むことができたのでした。
~~~~~~~~~~~~
朝日新聞をまだ読んでいらっしゃらない方のために、そこをコピペしますと、
・・・・・自主制作の「帰ってきたヨッパライ」が300枚作られ、結果的に280万枚を売った半年で、日本の音楽の流れが大きく変わったのだ。大先生が作る作品を歌手が歌うという「上から下」の主流に、自作自演という「下から上」への波が音を立てて、流れ込んだのである。・・・・・
上の引用がもっとも大きなところですが、その前に、叙情的な表現で、
・・・・・はっきり言って、私たちは、アマチュアで、関西にいて、大した機会に恵まれなかった。そして、振り返るなら、多くの「若者の戦い」の中で、あの音楽の戦いだけは一瞬成功したかに見えたし、クリエーター加藤和彦は、このプレーヤーたちの戦いの騎手となった。・・・・・
すばらしい追悼文です。これだけで、二人の友情は圧倒的に信じられます。
~~~~~~~~~~~~~
しかし、それをさておいて、<<<加藤和彦氏に、悩みが生まれるような、采配が後ろからひそかに行われていた>>>と、想像する私でもあるのです。不思議な形、一見すると政治闘争とも思えないし、言論弾圧とも思えないのですが、
結果として、総合して分析をすると、見事に言論弾圧、または、前衛つぶしに当たる現象が多数、私の身の上に起きたからこその、推察です。
私がそのことに初めて気がついたのは、忘れもしない、2007年の4月17日のことですが、頁設定を終えた、私の単行本用原稿が、銀座の大黒屋ギャラリーというまったく、無縁な画廊の、検索項目に引っ付いていたのです。
驚いて、こういうことに詳しい出版界の友人に電話で相談すると、それは、すぐ消えました。だから、電話が盗聴されているということは、のちに、弁護士さんから注意を受けるまでも無く、その時点で気がついたのです。それ以降、私はほとんど電話を使いません。また、ケータイも使いません。
まったく大正時代風の生活に入ってしまっています。大切な人には会いに行くし、できるだけ手紙を使っていますが、それも怪しくなってきました。
そして、銀座の画廊街で、オーナーたちを使って、いじめをかけてきたり、作家(今は美術系のアーチストも専門家の間では、このように呼びます)を使って、いじめをかけてきたりします。
それと、パソコンの変調は、見事に連動していて、また、文章を分析してのことと思われる、音による攻撃も頻発します。そういうポイントをすべて、分析すると、『あ、自分は、攻撃をされている。言論弾圧の対象になっているのだ』とわかってきてしまいます。
~~~~~~~~~~~~~
私は別に政治評論家でもなんでもないのです。だけど、芸術の方向でしっかりとものを考えていくと、結局はモーツァルトと同じく、前衛的になってしまうのです。とくに、本を作り始めました。アマチュアです。だけど、「面白い」とよくいわれています。それは、決定的に言って、「下から上」への行動です。
それは、アマチュアが、プロ並の仕事をすることを意味するし、自分の意見を自由に発表できる世界を得たということも意味しています。
これは、私の意見に脅威を感じる勢力からすれば、由々しき事態です。最近の最高の証拠のあるいじめは、京都の人文書院の渡辺睦久氏という方から、6冊目の出版の直前に、『出版を止めなさい。出版をしても、受け取る人がいないでしょう』という潜在的には、脅迫文とも取れる、速達をもらったことです。
渡辺睦久氏とは、個人的な関係は何も無く、ただ、出版を前にデータを送っただけなのです。でも、郵便が監視をされていたり、私自身のすべての言動が観察をされていれば、渡辺氏が、褒め言葉を最初に言ってくださり、それを、私が喜んでいることは、言論弾圧者には伝わりますので、
渡辺氏に氏と親しい人物から教唆をかけて、「雨宮舜(川崎千恵子)にかくかくしかじかの手紙を送りなさい」と依頼をすることはできます。
~~~~~~~~~~~~~~
このほか、一万件に近い数で、これは、言論弾圧の、ヴァリエーションであろうと、感じることはあるのです。だから、相当に激しい戦いの渦中に在る存在でもあります。
そして、常に、『私は文章の才能は無い』と明言をしておりますが、
才能は無いからこそ、丁寧な仕事をします。すると、達成度が高い文章ができます。修飾語が頻繁に使われているというわけではなくて、その根本思想が、強い文章ができます。だから、意外にも影響力の高い文章を書いているかもしれないのです。
無名です。小さい存在です。だけど、力強い存在かもしれません。いまだ公開をしておりませんが、日本の文化状況の中で、真に国民を困らせる文化人が誰であるかなども、音による攻撃で、はっきりと傍証付き、で、把握をしたりしています。
~~~~~~~~~~~
加藤和彦さんは、文章の表現者ではありません。だけど、ホリエモンなども一種の過剰な、逮捕劇(いかにも悪人であるかのごとく、一般人に信じさせるようなもの)にさらされましたし、角川春樹さんの逮捕なども、さまざまに、考えさせられるポイントなのです。だから、作曲者といえども、言論弾圧、それから、つぶしの対象となると考えられます。
どういう攻撃が行われたかですが、・・・・・これから先は見てきたようなうそをいいの類ですが、・・・・・
たとえば、東京の音楽状況の中で、特にラジオや、テレビの世界などで、坂本龍一氏の企画が次々に通り、一方の加藤氏の企画が次々と没になったとこれも仮定をしてみましょう。
これは論理や理性の世界では、以下のように分析をされます。
『坂本龍一氏は、芸大卒である。一方の加藤和彦氏は、音大出ではない、アマチュアだ』と分析をされ、仕方がないとなります。だから、黙って引き下がるべきであるとなります。実際に加藤和彦氏は、そうなさったでしょう。
だけど、クリエーターで在る限り、仕事の質には自信があります。『どうして、自分の仕事が認められないのだ』・・・・・と煩悶する日もあったでしょう。となると、うつ病であったというのもうなずける展開となっていきます。
私は同窓会内部やら、銀座の画廊街で、「あの人は、ノイローゼだ」という、うわさを数々流され、それを、個展の初日に言いにきた、『眠り姫』内の、<<<招待を受けなかったのをうらんでのろいをかけにきた>>>、魔女のごとき存在さえあるのです。
個展というのは招待状が無くても、誰が来てもよいものですし、私はその人に招待状を上げていました。メールの形とはがきの形の二重にですが・・・・・
だから、個人的に恨まれる筋合いはまったく無くて、ある種の讒言が裏にあると感じました。そりゃあ、ドキッとしますよ。他のお客も一緒に聞いているのですから。こういうケースが一万回も重なれば、裏があるとは気が付くのが当然です。
~~~~~~~~~~
加藤氏がそれに気が付いていたかどうかは知りません。でも、実際に収入が少なくなる形で、追い詰められて行ったのです。
私の場合に、そこをどう、クリアーするかですが、次から次への新手の攻撃に対して、こちらも、次から次への防衛策を講じて、暗黙の戦いを続けてきたのです。
その結果、『セロ弾きのゴーシュ』とまったく同じ現象が起こり、凡人たる私がいつの間にか、ライターとか、人によってはジャーナリストだと、規定されるほどになってきたのでした。
決していきがっているわけではないが、『人の進路などは、自分で決定すべきものでもない』と感じる私は、『こういう方向へ流れていくのが運命だったのだ。書くことは天命である』と、このごろでは推察するほどです。
~~~~~~~~~~~
加藤和彦氏は、たまたま、『イムジン河』の発表への、圧迫というところから、こういう流れに巻き込まれ、ご本人もいささかの程度で、気が付いておられて、だからこそ、必死で戦ってこられた。しかし、別方向で、何らかの決定的なダメージを与えられ、それゆえに、自殺をなさったと推察する私です。
北山修氏との比較は、単に、10%程度の規模の、悲しみだったかもしれません。
では、今日は、四本も更新しまして、後ろのほうからごらんになる方は、やや、意味が不明かもしれませんが、1からご覧になると、意味が通じます。だけど、長いです。ごめんなさい。それから、スピンオフのゴッホと、ゴーギャンの話はまた、別の日にお送りをさせてくださいませ。
2009年10月19日 雨宮舜(川崎 千恵子)
自分で「これは、読みたくなかった」という北山修氏の、朝日新聞朝刊内の、追悼文でも、
一部分で、『圧倒的に、これは、すばらしい文章である』と感じるところがあって、それを読めば、北山氏が、深い友情を持っている事を、信じさせられるのです。
それゆえに、今までの文章で、かえって、あっけらかんと、北山氏は若き日に、潜在意識の中で、加藤氏に嫉妬したであろうとか、加藤氏は、現在に至って、急に自分の孤独死に終わりそうな老後に気がつき、比較対照例としての、北山氏の生活に追いつけないことを知り、それを、引き金として自殺を実行なさったと言う仮定を展開しているわけですが、
そんな失礼なことを堂々といえるのも、この文章を詳細に、丁寧に読み、北山氏の追悼文が、加藤氏の日本文化状況に対する、最も、すばらしい貢献に触れていることに気がつき、それゆえに、北山氏に信頼があるからこそ、こういう反語的な表現、かつ露悪的な表現にさえ、踏み込むことができたのでした。
~~~~~~~~~~~~
朝日新聞をまだ読んでいらっしゃらない方のために、そこをコピペしますと、
・・・・・自主制作の「帰ってきたヨッパライ」が300枚作られ、結果的に280万枚を売った半年で、日本の音楽の流れが大きく変わったのだ。大先生が作る作品を歌手が歌うという「上から下」の主流に、自作自演という「下から上」への波が音を立てて、流れ込んだのである。・・・・・
上の引用がもっとも大きなところですが、その前に、叙情的な表現で、
・・・・・はっきり言って、私たちは、アマチュアで、関西にいて、大した機会に恵まれなかった。そして、振り返るなら、多くの「若者の戦い」の中で、あの音楽の戦いだけは一瞬成功したかに見えたし、クリエーター加藤和彦は、このプレーヤーたちの戦いの騎手となった。・・・・・
すばらしい追悼文です。これだけで、二人の友情は圧倒的に信じられます。
~~~~~~~~~~~~~
しかし、それをさておいて、<<<加藤和彦氏に、悩みが生まれるような、采配が後ろからひそかに行われていた>>>と、想像する私でもあるのです。不思議な形、一見すると政治闘争とも思えないし、言論弾圧とも思えないのですが、
結果として、総合して分析をすると、見事に言論弾圧、または、前衛つぶしに当たる現象が多数、私の身の上に起きたからこその、推察です。
私がそのことに初めて気がついたのは、忘れもしない、2007年の4月17日のことですが、頁設定を終えた、私の単行本用原稿が、銀座の大黒屋ギャラリーというまったく、無縁な画廊の、検索項目に引っ付いていたのです。
驚いて、こういうことに詳しい出版界の友人に電話で相談すると、それは、すぐ消えました。だから、電話が盗聴されているということは、のちに、弁護士さんから注意を受けるまでも無く、その時点で気がついたのです。それ以降、私はほとんど電話を使いません。また、ケータイも使いません。
まったく大正時代風の生活に入ってしまっています。大切な人には会いに行くし、できるだけ手紙を使っていますが、それも怪しくなってきました。
そして、銀座の画廊街で、オーナーたちを使って、いじめをかけてきたり、作家(今は美術系のアーチストも専門家の間では、このように呼びます)を使って、いじめをかけてきたりします。
それと、パソコンの変調は、見事に連動していて、また、文章を分析してのことと思われる、音による攻撃も頻発します。そういうポイントをすべて、分析すると、『あ、自分は、攻撃をされている。言論弾圧の対象になっているのだ』とわかってきてしまいます。
~~~~~~~~~~~~~
私は別に政治評論家でもなんでもないのです。だけど、芸術の方向でしっかりとものを考えていくと、結局はモーツァルトと同じく、前衛的になってしまうのです。とくに、本を作り始めました。アマチュアです。だけど、「面白い」とよくいわれています。それは、決定的に言って、「下から上」への行動です。
それは、アマチュアが、プロ並の仕事をすることを意味するし、自分の意見を自由に発表できる世界を得たということも意味しています。
これは、私の意見に脅威を感じる勢力からすれば、由々しき事態です。最近の最高の証拠のあるいじめは、京都の人文書院の渡辺睦久氏という方から、6冊目の出版の直前に、『出版を止めなさい。出版をしても、受け取る人がいないでしょう』という潜在的には、脅迫文とも取れる、速達をもらったことです。
渡辺睦久氏とは、個人的な関係は何も無く、ただ、出版を前にデータを送っただけなのです。でも、郵便が監視をされていたり、私自身のすべての言動が観察をされていれば、渡辺氏が、褒め言葉を最初に言ってくださり、それを、私が喜んでいることは、言論弾圧者には伝わりますので、
渡辺氏に氏と親しい人物から教唆をかけて、「雨宮舜(川崎千恵子)にかくかくしかじかの手紙を送りなさい」と依頼をすることはできます。
~~~~~~~~~~~~~~
このほか、一万件に近い数で、これは、言論弾圧の、ヴァリエーションであろうと、感じることはあるのです。だから、相当に激しい戦いの渦中に在る存在でもあります。
そして、常に、『私は文章の才能は無い』と明言をしておりますが、
才能は無いからこそ、丁寧な仕事をします。すると、達成度が高い文章ができます。修飾語が頻繁に使われているというわけではなくて、その根本思想が、強い文章ができます。だから、意外にも影響力の高い文章を書いているかもしれないのです。
無名です。小さい存在です。だけど、力強い存在かもしれません。いまだ公開をしておりませんが、日本の文化状況の中で、真に国民を困らせる文化人が誰であるかなども、音による攻撃で、はっきりと傍証付き、で、把握をしたりしています。
~~~~~~~~~~~
加藤和彦さんは、文章の表現者ではありません。だけど、ホリエモンなども一種の過剰な、逮捕劇(いかにも悪人であるかのごとく、一般人に信じさせるようなもの)にさらされましたし、角川春樹さんの逮捕なども、さまざまに、考えさせられるポイントなのです。だから、作曲者といえども、言論弾圧、それから、つぶしの対象となると考えられます。
どういう攻撃が行われたかですが、・・・・・これから先は見てきたようなうそをいいの類ですが、・・・・・
たとえば、東京の音楽状況の中で、特にラジオや、テレビの世界などで、坂本龍一氏の企画が次々に通り、一方の加藤氏の企画が次々と没になったとこれも仮定をしてみましょう。
これは論理や理性の世界では、以下のように分析をされます。
『坂本龍一氏は、芸大卒である。一方の加藤和彦氏は、音大出ではない、アマチュアだ』と分析をされ、仕方がないとなります。だから、黙って引き下がるべきであるとなります。実際に加藤和彦氏は、そうなさったでしょう。
だけど、クリエーターで在る限り、仕事の質には自信があります。『どうして、自分の仕事が認められないのだ』・・・・・と煩悶する日もあったでしょう。となると、うつ病であったというのもうなずける展開となっていきます。
私は同窓会内部やら、銀座の画廊街で、「あの人は、ノイローゼだ」という、うわさを数々流され、それを、個展の初日に言いにきた、『眠り姫』内の、<<<招待を受けなかったのをうらんでのろいをかけにきた>>>、魔女のごとき存在さえあるのです。
個展というのは招待状が無くても、誰が来てもよいものですし、私はその人に招待状を上げていました。メールの形とはがきの形の二重にですが・・・・・
だから、個人的に恨まれる筋合いはまったく無くて、ある種の讒言が裏にあると感じました。そりゃあ、ドキッとしますよ。他のお客も一緒に聞いているのですから。こういうケースが一万回も重なれば、裏があるとは気が付くのが当然です。
~~~~~~~~~~
加藤氏がそれに気が付いていたかどうかは知りません。でも、実際に収入が少なくなる形で、追い詰められて行ったのです。
私の場合に、そこをどう、クリアーするかですが、次から次への新手の攻撃に対して、こちらも、次から次への防衛策を講じて、暗黙の戦いを続けてきたのです。
その結果、『セロ弾きのゴーシュ』とまったく同じ現象が起こり、凡人たる私がいつの間にか、ライターとか、人によってはジャーナリストだと、規定されるほどになってきたのでした。
決していきがっているわけではないが、『人の進路などは、自分で決定すべきものでもない』と感じる私は、『こういう方向へ流れていくのが運命だったのだ。書くことは天命である』と、このごろでは推察するほどです。
~~~~~~~~~~~
加藤和彦氏は、たまたま、『イムジン河』の発表への、圧迫というところから、こういう流れに巻き込まれ、ご本人もいささかの程度で、気が付いておられて、だからこそ、必死で戦ってこられた。しかし、別方向で、何らかの決定的なダメージを与えられ、それゆえに、自殺をなさったと推察する私です。
北山修氏との比較は、単に、10%程度の規模の、悲しみだったかもしれません。
では、今日は、四本も更新しまして、後ろのほうからごらんになる方は、やや、意味が不明かもしれませんが、1からご覧になると、意味が通じます。だけど、長いです。ごめんなさい。それから、スピンオフのゴッホと、ゴーギャンの話はまた、別の日にお送りをさせてくださいませ。
2009年10月19日 雨宮舜(川崎 千恵子)