最初にお断り申し上げます。今日はいつもより、10時間程度更新を早くしております。いつも夜お開きになる方は、したが、この文章の前の章です。長いので恐れ入りますが、どうか、よろしくお願いをいたします。
~~~~~~~~~~~
実は秋葉原には、推奨すべきよいネットカフェは無いのです。ネットカフェほど、経営者のビジネスマインドによって、レベルの差が激しい商売は無いと思うほど、ブランドによって雰囲気が違うのです。たとえば映画館ですと、今では大体ソファーがきれいになっていて、500席ぐらいなのが普通です。で、映画館という共通語で語れます。ところが、ネットカフェは千差万別で、やはり、経験者の導きが必要です。
でも、よいものがなくても、ともかく、どういうものかを知らせたいと願いました。というのも、数学者とは、思考をする人間です。思考をする人は、ある程度の段落で、まとまったものを紙に書く必要が生じるのです。もちろん、パソコンでもよいが、B5程度の大きさの紙に、やわらかい鉛筆で、メモ書きをしていくことの自由さは言うに言われません。
私なんかでも、しょっちゅうメモは落としますし、外でも、そういう場所が欲しいなあと思うほうなので、『彼もそうなのだ、だから、喫茶店の開店閉店の時間を聞いていたのだ』と推察するからです。
それにネットカフェというのは、外からでは中がわかりません。で、案内を一応したかったのです。純粋に親切心からです。しかし、昔ですと、意外に警戒をされました。アメリカなど、相当オープンマインドの国だと思いますが、アメリカ人だと思う人からも警戒をされました。
だんだん、わかってきたことは、諸外国では、人をなかなか信じにくい環境もあること。それと、そういう経験から・・・・・人を見ると泥棒と思えでは無いが、いわゆる金儲けの対象のカモとして、利用されるのではないかという・・・・・警戒心が、日本人よりも強いのです。
だから、その件も必ず、口ぞえをします。今回は、「あなたはお金を払わなくてよいのよ。私が借りますから、
(本当は私こそ、今日だけはネットカフェを使わずに、そのくだんのオープンカフェで仕事をしようと思っていたのです。自分のパソコンを持っていましたので、電源だけ使えればよいからです)、
あなたはただ、雰囲気と使用方法だけ、見ておけばよいのです」といいました。
そのときに彼の携帯がちりちりとなり、彼は取り上げましたが、ちょっとタイミングがずれて、応答できませんでした。
私はすぐ、「誰からなの?」と聞きました。たった、一ヶ月しか滞在していないのに、日本でのケイタイ相手が、すでにできていることに驚いたのです。アメリカとは時差があり、こちらの午後7時は、あちらの朝の五時ですから、絶対にアメリカからではないし。
「友達です」と彼は答えます。私はすぐ、「それは、he なの, それともshe?」と質問を重ねました。彼の私生活に踏み込むためではなくて、かれが、ネットカフェに対して、どれほどの、心を配れるかを知りたかったからです。
もし、その携帯の相手が急に恋に落ちた日本人の女の子だったりしたら、その子に心が奪われていて、まったくこの件には、気持ちを割けないだろうと思いました。それなら、こちらは、自分のおせっかいを、すぐ中断しなければなりません。
「男性です」と彼は答え、さらに、「夕飯を一緒にとる予定なのです」と続けました。
私はびっくりして、足を止めました。後、五分も歩けばネットカフェに着きますが、そういう約束があるのなら、たとえ、五分であろうが、10分であろうが、かれは、迷惑に感じるでしょうから、ここでは、私の希望は抑えないといけません。
二人が止まった場所が、ある新築ビルの前で、歩道が広くて、あまり人がおらず、落ち着いている場所でした。で、私は「友達に電話して。私のほうは今日はいいから」といって、彼を促し、自分はしゃがんで、バックパックからメモ用紙をだし、推奨すべきブランドを、三種類選び出し、山手線内なら、どの駅にそれらが、存在をしているかを簡単なメモとしてまとめました。
それを書き終わったころに、彼の電話も終わっていました。で、それを渡しながら「よいお仕事をしてくださいね。私は数学者を尊敬しているのですよ。特に、ほら、ロシアに天才がいるでしょう」といいました。
これが、老人性健忘症の悲しさで、名前が出てこないのです。でも、人物像とか、事跡はNHKの特集をしっかり覚えているのですが、・・・・・
相手が、ちょっと怪訝な戸惑った顔をしたものですから、なんでも、チャネリングを信じる私は、さきほどの山手線内の、Japan Times にあった、物理学賞のことを瞬間的に思い出して、それからの連想で、
「ほら、フィールズ賞をもらったのに、辞退をした人ですよ」といいました。
つまり、授賞式に出るとか、年金をもらうことをわずらわしいこととして、辞退をした天才なのです。ずっと引きこもっている人です。
すると相手が「ああ、ペレリマンね」といいました。「そう、そう」と私は答えて、思わず握手用の手を差し出していました。
秋葉原の路上という予期せぬ場所で、しかも数分前までは、一切を知らなかった相手と、私が崇敬してやまない、しかもある程度以上の悲しみをもって思い出す、ペレリマン博士のことを語ることが、できるなど、夢にも想像していなかったことだからです。その意外性が喜びをもたらし、それを感謝したくて、握手の手を差し出したのでした。
彼も瞬間的に、右手を差し出しました。たまたま、私は荷物のせいで、左手を差し出しました。だから、実際には握手までいたりませんでした。無理なのです。でも、それが、かえってよかったのです。その人が、非常に控えめなひとなので、ちょっと、手が触れるぐらいが適当でした。
私はそのささやかな、ささやかな、でも純粋な喜びに満たされて、『あ、もう、今日は帰ろう』と翻意して、駅に向かいました。
『ああ、今日は本当に数学づいていたなあ』と、同時並行的に、思いながら・・・・・
2009年10月11日 雨宮舜(川崎 千恵子)
~~~~~~~~~~~
実は秋葉原には、推奨すべきよいネットカフェは無いのです。ネットカフェほど、経営者のビジネスマインドによって、レベルの差が激しい商売は無いと思うほど、ブランドによって雰囲気が違うのです。たとえば映画館ですと、今では大体ソファーがきれいになっていて、500席ぐらいなのが普通です。で、映画館という共通語で語れます。ところが、ネットカフェは千差万別で、やはり、経験者の導きが必要です。
でも、よいものがなくても、ともかく、どういうものかを知らせたいと願いました。というのも、数学者とは、思考をする人間です。思考をする人は、ある程度の段落で、まとまったものを紙に書く必要が生じるのです。もちろん、パソコンでもよいが、B5程度の大きさの紙に、やわらかい鉛筆で、メモ書きをしていくことの自由さは言うに言われません。
私なんかでも、しょっちゅうメモは落としますし、外でも、そういう場所が欲しいなあと思うほうなので、『彼もそうなのだ、だから、喫茶店の開店閉店の時間を聞いていたのだ』と推察するからです。
それにネットカフェというのは、外からでは中がわかりません。で、案内を一応したかったのです。純粋に親切心からです。しかし、昔ですと、意外に警戒をされました。アメリカなど、相当オープンマインドの国だと思いますが、アメリカ人だと思う人からも警戒をされました。
だんだん、わかってきたことは、諸外国では、人をなかなか信じにくい環境もあること。それと、そういう経験から・・・・・人を見ると泥棒と思えでは無いが、いわゆる金儲けの対象のカモとして、利用されるのではないかという・・・・・警戒心が、日本人よりも強いのです。
だから、その件も必ず、口ぞえをします。今回は、「あなたはお金を払わなくてよいのよ。私が借りますから、
(本当は私こそ、今日だけはネットカフェを使わずに、そのくだんのオープンカフェで仕事をしようと思っていたのです。自分のパソコンを持っていましたので、電源だけ使えればよいからです)、
あなたはただ、雰囲気と使用方法だけ、見ておけばよいのです」といいました。
そのときに彼の携帯がちりちりとなり、彼は取り上げましたが、ちょっとタイミングがずれて、応答できませんでした。
私はすぐ、「誰からなの?」と聞きました。たった、一ヶ月しか滞在していないのに、日本でのケイタイ相手が、すでにできていることに驚いたのです。アメリカとは時差があり、こちらの午後7時は、あちらの朝の五時ですから、絶対にアメリカからではないし。
「友達です」と彼は答えます。私はすぐ、「それは、he なの, それともshe?」と質問を重ねました。彼の私生活に踏み込むためではなくて、かれが、ネットカフェに対して、どれほどの、心を配れるかを知りたかったからです。
もし、その携帯の相手が急に恋に落ちた日本人の女の子だったりしたら、その子に心が奪われていて、まったくこの件には、気持ちを割けないだろうと思いました。それなら、こちらは、自分のおせっかいを、すぐ中断しなければなりません。
「男性です」と彼は答え、さらに、「夕飯を一緒にとる予定なのです」と続けました。
私はびっくりして、足を止めました。後、五分も歩けばネットカフェに着きますが、そういう約束があるのなら、たとえ、五分であろうが、10分であろうが、かれは、迷惑に感じるでしょうから、ここでは、私の希望は抑えないといけません。
二人が止まった場所が、ある新築ビルの前で、歩道が広くて、あまり人がおらず、落ち着いている場所でした。で、私は「友達に電話して。私のほうは今日はいいから」といって、彼を促し、自分はしゃがんで、バックパックからメモ用紙をだし、推奨すべきブランドを、三種類選び出し、山手線内なら、どの駅にそれらが、存在をしているかを簡単なメモとしてまとめました。
それを書き終わったころに、彼の電話も終わっていました。で、それを渡しながら「よいお仕事をしてくださいね。私は数学者を尊敬しているのですよ。特に、ほら、ロシアに天才がいるでしょう」といいました。
これが、老人性健忘症の悲しさで、名前が出てこないのです。でも、人物像とか、事跡はNHKの特集をしっかり覚えているのですが、・・・・・
相手が、ちょっと怪訝な戸惑った顔をしたものですから、なんでも、チャネリングを信じる私は、さきほどの山手線内の、Japan Times にあった、物理学賞のことを瞬間的に思い出して、それからの連想で、
「ほら、フィールズ賞をもらったのに、辞退をした人ですよ」といいました。
つまり、授賞式に出るとか、年金をもらうことをわずらわしいこととして、辞退をした天才なのです。ずっと引きこもっている人です。
すると相手が「ああ、ペレリマンね」といいました。「そう、そう」と私は答えて、思わず握手用の手を差し出していました。
秋葉原の路上という予期せぬ場所で、しかも数分前までは、一切を知らなかった相手と、私が崇敬してやまない、しかもある程度以上の悲しみをもって思い出す、ペレリマン博士のことを語ることが、できるなど、夢にも想像していなかったことだからです。その意外性が喜びをもたらし、それを感謝したくて、握手の手を差し出したのでした。
彼も瞬間的に、右手を差し出しました。たまたま、私は荷物のせいで、左手を差し出しました。だから、実際には握手までいたりませんでした。無理なのです。でも、それが、かえってよかったのです。その人が、非常に控えめなひとなので、ちょっと、手が触れるぐらいが適当でした。
私はそのささやかな、ささやかな、でも純粋な喜びに満たされて、『あ、もう、今日は帰ろう』と翻意して、駅に向かいました。
『ああ、今日は本当に数学づいていたなあ』と、同時並行的に、思いながら・・・・・
2009年10月11日 雨宮舜(川崎 千恵子)