銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

「こどもの耳から血が出た、助けて」といわれて

2009-10-27 23:12:56 | Weblog
 あれは、30年以上前のことです。我が家は年子の子供がいるので、常に、保育所状態で、よそのお子さんがいっぱい集まっていました。そちらのお母さんたちは「川崎さんは、公平だから安心して預けられる」とおっしゃっていたが、本当にこちらは大変で、『なんだか、毎日振り回されて、自分だけ損をしているなあ』とも思いましたが、『この奉仕は自分の子のためでもある』と思って、ずっと我慢をしていたのです。

 だけど、『人がいいなあ』と思われて、主婦の間では見くびられていることは、知っていました。それでね。それを挽回する方法を知らないのです。いまだと、わかりますね。だけど、30代、40代は、人付き合い(特に主婦同士のそれ)に、どうしていいかわからないという感じで、・・・・・
 
 ところで、その保育園状態の時代に、うちの三~五歳時代の娘を、特に慕ってくれる同い年のナイト(騎士)がいました。小さいながら紳士で、あらゆる意味で、娘をかばってくれたし、大好きだと言う感情を示してくれたのです。

 ところで、親同士は親しくはありませんでした。どうしてかというと、夫同士が同じ会社で、しかも上下関係があり、内の方が上でした。

 そして、妻のほうは、彼女のほうが上でした。その理由は、あらゆる意味で、彼女は、形を崩さない、上品極まりない人なのですが、私は無防備で、まったく警戒心が無いので、すぐ、他人から馬鹿にされてしまうからです。

 それで、夫と、妻の関係がアンバランスなので、子供同士は、めちゃくちゃに、仲良しでも、母親同士は、深い話をしたことがありませんでした。

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 ところが、ある夜のこと、彼女が玄関の戸をたたいて、「すぐ来て、坊やの耳が大変なの。真っ赤な血が出ている。どうしたらよいか、わからないから見に来て、助けて」といいました。私はすぐさま、うちの二人の子に、「待っていてね」といいおいて、すぐそちらに向かいました。

 私は近隣から馬鹿にされています。だけど、大勢いる主婦の中で、私を特に選んで頼ってくれたことに感動して、絶対に救おうと思っていました。

 私は普段は馬鹿みたいですが、結構冷静なところもあって、すぐ、坊やの全体像を見ました。別に、弱っているとも青い顔をしているとも見えず、『これなら、命は大丈夫だ』とまず感じて、『落ち着け、落ち着け』と自分に言い聞かせました。

 ぼうやの耳の中は確かに真っ赤でした。でも、その赤みが、ぬれていないし、つやがあるのです。『母親が気が付かないうちに、出血をして、それが知らないうちに、固まったとしても、これほどの、つやがあるだろうか?』とまず、思いました。『もしかしたら血ではないのではないか』と考えました。

 これほどのつやのある赤いものといえば、小豆です。「小豆じゃあないかしら?」とお母さんに言うと、「えっ」という感じでびっくりして、「小豆は、別に、今日は、出していないけれど」と答えます。

 でも、私は、「これは、きっと小豆よ。ともかくどうしたら、それが、出てくるかを考えましょう」と提案して、最後には遠くから、弱い力で掃除機を当てて、吸い出したのだと思います。あまり強い力をかけると鼓膜を破りますので、そりゃあ、気をつけました。

 ともかく、ポロッと出てきて、小豆であることがわかりました。母親同士二人で、どうして、小豆が坊やの耳に入ったかを考えました。

 私が「お手玉は無い?」と聞くと「ある」との事です。おもちゃ箱をひっくり返してお手玉を出すと、それの中には、確かに小豆が入っていました。坊やにはお姉さんがいて、ちょうど、お手玉をはじめるくらいの年頃だったのです。

 でも、坊や自身は小豆という名前を知らないので、小豆が入ったとお母さんに告げられなかったのでした。そして、ある程度は痛いというか、違和感があったのだと思います。

 だから、「痛い」ということはお母さんに言ったのです。おかあさんは本当の親だからこそ、パニックに陥ってしまいました。でも、身じまいを気をつけて整える人だから、すぐ、救急車を呼ぶこと(それは、大騒ぎを引き起こすことです)など考えられなくて、まず、私に助けを求めてくれたのでした。私は他人ですので、パニックには、陥りませんでした。だから、問題を解決できたのです。が、ともかく、本当にうれしく思いました。

 どちらの家にも、夫はまだ、帰ってきていなかった時間帯だったと思います。主婦二人だけで解決できてどんなに、ほっとしたでしょう。

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 でも、うちへ帰ってきたときに、私の思いは、複雑でした。表面には出ない形ながら、そのお母さんが、何十人もいる近所の主婦の間で、普段は、馬鹿にされている私を、特に選んで、頼ってくれたことが、ある種の、しかも言うに言われない複雑な思いを、きたしたからです。

 今だったら、「ふん、表面はともかくとして、私は、実力があるん・だ・かんね」とダメンズ・ウォーカーか、タモリ風、または谷岡やすじ風・口調で、鼻息荒く、ぶっ飛ばしておけばよいことなのですが、そのころは、本当に純情で華奢でね。

 こんな小さなことにも、ものすごく感動したのです。だけど、雅子様ではないが、小さいころからお受験で、お勉強ばかりしてきた主婦なんて、人付きあいが下手なんですよね。だけど、究極の所では、ちゃんと、人の役に立つんだと思って・・・・・それが、うれしかったのです。

 それに『子供が仲良しと成る間柄の親なんて、やはり、仲良しなんだ。根っこのところでは、ちゃんと信じあっているのだ』ともわかってね。それもうれしかったのです。子供同士は本当に仲良しでした。うちの娘がおっとりと構えているほうで、坊やがいつも先頭切って守ってくれてね。すごくほほえましい関係でした。

 ゴッホの耳の事件を書いているうちに急に、この30年以上も前のことを思い出したのです。では、今日はこれで。 2009年10月27日 雨宮舜(川崎千恵子)
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