銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

青山霊園そばの、幽霊屋敷群

2009-10-24 21:36:20 | Weblog

 私は人間分析に興味があります。と、いいながら、最近ずっと、大学の立地条件について書いています。それはある個人でもそうですが、ある組織においても選択の妙ということがあって、選択をうまく重ねると発展をするという現象を見るからです。別に大学のブランドにこだわっているわけではありません。

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 この年になると、本当の勉強とは、ずっと、ひとつのことを、やり続ける、特に三ヶ月単位でずっと、そればかりやる生活を続けていると、ものすごい実りをもたらすことが、私にはわかってきていて、大学という細切れの単位(または、講座、または、講義)を受ける季節を、そう立派なものだとも思っては、いないのです。
 だから、大学を出なくても、とても立派だという人がいるのは真実です。

 だけど、文章を書くにあたっては、きっかけというものが必要であって、それによって、ひょいと発想が浮かぶことがあります。最近、ある先輩から、「テーマの(きっかけの)見つけ方が独特ですね」といっていただいたこともあり、

 自己の変幻自在、融通無碍なテーマの拾い方には、いささかの自負も抱き始めたところです。

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 さて、今日は広告からテーマが拾えました。朝日新聞に先週、國學院大學の大広告が載りました。渋谷キャンパスの再開発ということ・・・・・私はこの大学についてはほとんど知識が無くて、本居宣長のイメージから、ちょっと、古風なイメージを持っていたのですが、ある日、広尾に用事があって、渋谷からバスで広尾に出たのです。すると、大昔、50年以上も前に、誘われて学園祭へ行った東洋英和があったりして、愛育病院もあったかなあ。・・・・・ともかく、それらがすべて、モダンな街へと変化しており、それについては、ちょっと、驚いたし、國學院大學も、広尾に在るという、その地の利ゆえに、モダンな大学へと、変化しているのかもしれません。

 でも、その名前はあくまでもきっかけに過ぎなくて、今日お話をしたいのは、その日、広尾から、青山へ出ようとして、いろいろ迷ってしまって、その結果、驚くべき、幽霊屋敷群に出あったことがポイントです。

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 私はその日地図も持っておらず、ケータイは持っているが、持ち歩かない主義で、だから、太陽を見ながら勘を頼りに歩き始めました。

 広尾から青山まで、二十分程度であろうという信念をもって歩き始めたのですが、高速道路にさえぎられて、なんとも、右や左に振り回され、こ一時間近く歩かされてしまったのです。

 バスは通っているみたいですが、どうも、一種の陸の孤島、らしくて、頻繁に本数が出ているとも思えず、タクシーも通らず、ただ、ひたすら歩き続けたのですが、こういうことをするのは、パリで、パリ在住が長い日本人の人たちが、よく、三十分程度は歩いてしまうのを知り、それ以降、ニューヨークでそれを見習って、縦・横・無尽に、30分程度は、用事をかねて、自由に歩くようになったからです。バスや地下鉄に乗るよりも、面白いことを数々発見しますしね。

 東京だって、銀座に行けば、画廊めぐりで階段を含めて、ほぼ、3時間程度は歩き続けるのですから、歩くのは別にかまわないのです。

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 さて、青山霊園を、東に見るある一角で、驚くべき廃墟に出会いました。すべてのおうちが、ほとんど、80坪から、100坪程度の敷地面積があり、建物は、20年ぐらい前に、建て直された50坪程度の家が、整っていて、20軒に一軒ぐらい、60年ぐらい前に建てられたかなあ。古い木造だなあ・・・・・と思う地域なのですが、人の気配が無いのです。15年前には人が住んでいたであろう、だけど、今は無人の地域だ・・・・・ということが推定されました。

 大マンションを建てるために、地上げをされたのでしょうが、ちょっと、地下鉄の駅に遠いのです。陸の孤島といってよいかなあ。表参道に、30分、か、40分、広尾にも三十分は歩かないといけない。だけど、山手線の内側です。

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 地の利という意味では、億ション(高い値段のマンション)を建てるべき都心ということになりますが、人気は出ないでしょう。特に最近の少子化で、マンションが有り余っていると、聞きますので。

 そして、よく考えてみると青山霊園を眼下に見下ろす地域です。それも、億ションには向きません。それこそ、バブル崩壊以前の、狂奔した時代に地上げをされ、ここの住人はみんな、高い保証金をもらって、ご自分の好きな場所に移動をしたと思われます。

 いったいこの土地は、その後どうなったのか、銀行の不良債権を、税金等で補填したはずだけど、誰かの勘の鈍さに、国民はつき合わされたのか? とか、一種の義憤も感じましたよ。

 だけど、それとともに、『ああ、このうちの一軒でも自分のものになったらいいなあ』という夢を持ちました。銀行家、大デヴェロッパーの持ち物でしょうから、絶対に個別には売り出されない場所でしょう。

 だけど、自転車を使えば、銀座まで、行って帰ってこられる場所です。電動自転車でも買えば、自由自在に銀座あたりに出かけられます。

 ニューヨークでは地下鉄内に自転車を持ち込んでもよかったから、動きが・・・・・(みなさん)、自由自在のでした。そして、私は、1974年によこすかに、27坪の家を建てたし、1986年ごろ、鎌倉の家を、15坪増築したのです。別に一級建築士ではないけれど、両方とも、自分で方眼紙に、設計図を書いて、1974年の方は、立面図等は父(これも素人だけれど)が書いてくれて、市の建築許可も取ってくれたほどなので、

 家の設計・図面を考えるのは大好きなのです。敷地が80坪程度の区画ですよ。どんなに、自由な設計ができるかなと思えば、夢は膨らみます。そういう夢の対象が今荒れ果てていて、ほうったらかしにされている。

 もったいないことでした。そして、その地上げを計画した人は定年を迎えていたりして、無責任に何も考えておらず、・・・・・その土地は、政府(国民の)お金で補填をされたまま、利益が見込めないために、雨ざらしに成っている。・・・・・そして、すべての家が、幽霊屋敷となっている。・・・・・まあ、この節の、この最後の三行は、私の想像で書いている文言ですが、ほとんど当たっているでしょう。非常に、もったいないことでした。

 別に私が地団太を踏んで、悔しがっても仕方がないから、『へーっ』と思って通り過ぎただけですけれど、『誠実なビジネスとは何か?』を考えさせられたものです。では、2009年10月24日   雨宮 舜(川崎 千恵子)

コメント (1)
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