銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

教育大学から筑波大学へ、(政治と大学)・・・・・後篇

2009-10-17 17:39:20 | Weblog
 さて、問題を有名人の卒業生如何という、小さなフィールドから、『大学そのものの変質』というより大きな問題へ、戻しましょう。

 教育大学は昔は『文科系統にもとても強い』大学でした。しかし、筑波大学へと変化をしてから、大学の知名度は、理学部、もしくは理工学部系統で、有名な大学というニュアンスが強まっています。または、運動学部系統で、有名である。

 これは『つくば学園都市』という地域開発と、同時進行的に、筑波大学の移転が行われたために、余計そう感じるのです。たとえば、現代で言えば、茂木健一郎さんとか、姜尚中氏クラスの有名な教授、または、助(準)教授が現れても、まったくおかしくない雰囲気の大学でした。だけど、今、「私は筑波大学の教授です」とか、「準教授です」と名乗るタレント学者はあまりいません。

 理工学部のスタッフとは、もともと、テレビや新聞にあまり登場されません。研究とは、それこそ、一種の引きこもりに近い生活が必要で、しかも発表の場が、大衆的ではない学会が主だからです。だけど、文科系のスタッフは、著書を通じたりして、一般社会に名前が通りやすく、結果として、タレントとして、テレビや新聞への登場を期待されたりします。

 私は学生アルバイトという意味でも、つくば学園都市では、求人数やら、職場の数で、限定をされると思っていますが、さらに問題を感じるのは教授等のスタッフのほうです。

教授やら、準教授のアルバイト∞∞∞∞∞∞∞∞

(語弊があるが、一般庶民への露出という意味で、ある意味でオピニオンリーダーの役目をすることは、悪いことではないのでしょう。

でないと、茂木さんの多すぎる露出頻度も、抗議や、抵抗を受けないといけなくなります。『あれで、ちゃんと、東大の先生ができるかしら?』と思うほどの、大活躍ですから)

∞∞∞∞∞∞∞∞にもやむをえない制限が加わってしまっていて、それで、登場が少なく、それゆえに、筑波大学の文学部系統の、部門・教授の一般大衆・社会への露出(または、貢献)が、教育大学時代に比べれば、少なくなっていると感じるのです。

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 さて、さて、その結果、移転そのものが、∞∞∞∞∞∞∞∞教育大学のオピニオンリーダー輩出という意味での、活発さと勢い∞∞∞∞∞∞∞∞を抑える目的で行われた∞∞∞∞∞∞∞∞のではないかとさえ、私は推察をするのです。高度な意味での政治的な配慮が裏にあったのではないかと感じるのです。

 しかし、当時の移転賛成者に、それが見えていたかどうかを知りませんし、移転反対運動があったかどうかも知りません。そして、旧キャンパスを訪問したこともないし、新・筑波大学キャンパスを訪問したこともないのです。教育大学も筑波大学も私にとっては、知識の少ない大学です。

 しかし、政治と学問の関係という意味で、教育大学の名称改変と、移転は、非常に大きな問題を提示していると、考える人間が、私です。それはすでに行われきったことだから、どうしようもないと考えるべきかなあ? 

 だけど、同じようなことが、自らが所属している組織に起きたら、どうするかの先例にはなると思うのです。そして、自らがどう考え、どう行動したらよいかの先例には、なると思うのです。09-10-16
                 雨宮 舜(川崎 千恵子)
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教育大学から筑波大学へ(政治と大学)・・・・前篇

2009-10-17 11:09:38 | Weblog
 このブログ内で、最近は、ずっと、大学の名前を挙げております。大学のブランドにこだわっている古いタイプの人間だとみなされているでしょう。しかし、私が申し上げたいことは、人間とか、現代社会の分析であり、たまたま、大学のキャンパスの立地条件により、さまざまな隆盛が見られる現象について語りながら、三分の二以上は、派遣社員のことなどへ、入り、そこを大問題にしたいのが、・・・・・ありていに言った真実です。

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 しかし、ブログという世界は限定があります。グーブログは人気を気にしないでよい世界なので、好きだったのに、このごろ、順位が出てきて、結構よくなってきているので、かえって、書き方に、『こうすれば、読者数としては、増えるな』などという欲目が出てきそうになります。で、人気を気にしないように、身を引き締めているところです。

 自分の独自性を貫く。100%は無理にしても、40%までは、自分独自の方針を貫くことを、自己へ命令をしています。

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 さて、今日の項目、教育大学、の名前を知らない、若い方もあるでしょう。戦前は高等師範学校といい、広島と、東京の二つだけに設立された大学でした。戦後の学制改革で、広島の方は、広島大学の教育学部(?)となって、ずっと長い間、付属高等学校のあるのが特徴です。東京にもあって、付属、高校が茗荷谷と駒場の二つの場所にあります。そして、似た存在として、女高師というのが東京と奈良にあり、東京は御茶ノ水女子大と言う名前になり、高等学校がありますが、奈良女子大の付属高校に関しては、あるかないかを寡聞にして知りません。
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 ところで、教育大学となった後では、戦前の特徴を少し減らして、地味ながら(というのは、東大に比較すればということですが)実力のある人材を輩出するという、相当有名な大学でした。特に文学部系統、(広範囲の総称として使います)が、強い大学だったと記憶しています。マスコミに登場する有名教授も多かったのです。

 調査ではなく、記憶によって書きますが、家永三郎博士、そして、文化人が政治に関与する初めての例としての、美濃部さん・・・・・そして、理学部(または、普通の大学では工学部と総称されたりするところ)には、朝永しん一郎博士がいらっしゃった。

 卒業生は比較的、地味で、マスコミ有名人を輩出し続けているというわけでもありません。早稲田大学とは違います。だけど、昔は、『早稲田より上だよね』という感覚を受けておりました。そして、広く日本の教育界に入り、高等学校の分野で、先生として活躍する人が多いのです。県立、都立、府立高校の校長先生を、ある時期までみると、多数が教育大学の出身者だと思います。

 中には、税金で運営される学園の、規制を嫌って、私立を起こした人もいるはずで、私は・・・・・現在、進学率の上でも野球の上でも神奈川県の名門となっている桐蔭学園は桐の名前を使っていることから、教育大学の卒業生たちが、使命感を持ち、創設した学園ではないかと思っています。徹底した効率主義で、成果主義であることは、真の理想と合致するかどうかは別として、これほどの名門を作り上げる実力者が多いことは真実です。

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 ここで、余談ですが、御茶ノ水女子大の卒業生が、作り上げたのが、桜蔭学園だと思いますが、こちらも、成果主義というか、受験用効率主義を採用されているところがあり、母校の付属高校を上回る東大合格者を出しているでしょう。ただ、これは今日の項目とはまったく離れた話なので、元に戻ります。

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 しいて華やかなる有名人の卒業生を探せば、池田理代子さんです。「ベル薔薇」を創作し、オペラ・アリアを歌い、官僚(私たちの世代では、もっともエリートとみなされる人)と結婚をして、ある種のスター性をお見せになっている人です。クリエーターとして美しいものを提供するが、一方で、ご自身もお姫様である。
 もう一人、私が、気がついた華やかなる卒業生は、ガレリア・グラフィカという銀座の画廊のオーナー栗田女史です。イタリアに強い方で、山本容子を自社に擁することで有名ですが、この方が教育大学の史学科卒、なるほど・・・・・・

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 しかし、今日の文章の真意がそこにあるわけではありません。本当のところは、政治と学問の関係を問いたいのです。教育大学のつくば大学への名称改変と、移転は、非常に大きな問題を提示していると、考える人間が、私です。それについては明日語らせてくださいませ。09-10-16
                 雨宮 舜(川崎 千恵子)
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