豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

六万石ギャラリー

2011-07-07 | 都市計画・まちづくり
本町にあった「本ちゃん工房」が移転したと話していたら、西尾市の職員から三間通りに町案内所があると聞いて訪ねました。火曜日に行ったらお休みで、水曜日に行きました。三間通りは子どもの頃、戸ケ崎からしょうげん用水沿いに道光寺を通り買い物に来た覚えがあります。今は一方通行で、郊外のスーパなどに客を取られているようです。はじめは福祉まちづくりの拠点だったようですが、4月からはギャラリーになっています。運営主体は吾妻町発展会で、貸出無料で売り上げの2割が手数料です。

内部はギャラリーと駄菓子コーナーもあり、子どもが喜びそうです。伝統ある建築物で空き店舗活用、三間通りの賑わい、身障者と社会の接点などを趣旨に頑張っています。抹茶、コーヒーなども飲めて、気軽に立ち寄れるところです。観光案内がちょっと弱いように思えました。現在は都築さんの油絵展で、次は「布世界」、ちぎり絵など予定されています。そのうち街並み写真展でもやってみたいなと思いました。

東の駅前にはタワーマンションが聳えています。通りと建物のことを聞くのを忘れました。
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伊文神社

2011-07-07 | 都市計画・まちづくり

神社そのものの成り立ちは別にして、入口には天王門があり、境内には義倉蔵があり、岩崎弥助が寄進した燈竜があります。さらには東側の林で、城下町の土塁の「小段」(写真)がみられます。

「義倉は幕末の安政元年(1854)、凶作による生活困窮者を救済する『義倉』(ぎそう)と呼ばれる組織が、西尾の商人(鳥山、吉見)らによって創設された。」(「西尾城下町ガイドブック)とあります。

燈竜の説明板では岩崎がなぜ岩瀬文庫を寄付したか理由が書いてあります。それによれば、「之を身にも人にも施し、且つ之を不朽に伝えんと欲す」とあり、資料を一般公開し保存する意図がうかがえます。「歴史と文化を生かしたまちづくり」を、私財で郷土のために進めるという、現在とは違った富裕商人の意思を感じます。
 この後、久しぶりに「かねぶん」で、うなぎを食べました。以前はなまずのかば焼きもありましたが。子どもの頃は北浜悪水で、最高9匹釣ったことがありました。
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