豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

日本の近代「都市へ」

2011-07-15 | 気になる本

鈴木博之(1999)『都市へ』(中央公論新社)
 この本は日本の近代シリーズ10です。著者は建築学を修め、歴史や都市の文化を語っています。江戸時代から明治、大正、昭和の近代化で、何が残され壊されたのか。西尾の城下町、中心市街地の歴史を調べていて、参考となりました。付録の松山との対談で、現代は「都市の歴史を消しさる歴史」であり、中曽根内閣のアーバンルネッサンスの政策から壊されたのだろう。産業は「都市を創る」(文化・風格のストック)のかという疑問は、企業都市豊田を見ていると同感です。都市を動かすのは土地所有者であり個人の要望が、実情としています。建築自由の日本の都市制度は、それを守れていないというのも同感です。勝てないことが多いですが、私もそれに対抗してきたつもりです。また、江戸は田園都市であったという指摘について、西尾の城下町も「田園的な都市」で、コンパクト・シティであったと思います。田園的というのは城下町の周辺は農地であり、殿さまの権力による集中で、封建制度の侍は「安いサラリー」で暮らしていました。1871年(M4)の廃藩置県から、侍と町人の区別なくなり地租がかけられました。下級武士は生活のために土地を手放したのではないでしょうか。城下で栄えた富裕商人が岩瀬文庫、尚古荘、義倉など、貴重な文化遺産を残しました。西尾市の近代化は道路拡張、鉄道敷設、花の木耕地整理が大きな事業で、今の都市の骨格を造りました。
 本では「バブル都市へ」の理由の1つとして、1963年の建築基準法が絶対高さ制限から容積率制になったことを挙げています。西尾の中心市街地に高層マンションがいくつか建っています。特に商業地域では容積率400%で、タワーマンションが「適法」となります。総合計画に基づき、08年度に景観基本計画策定の予算化が行われても、執行されなかったのは不可解です。「文化財建造物は、『保存』、『安全』、『活用』の三要素の近郊のとれたかたちで実現することが要求」されています。近代化遺産の保存を、登録制度の活用で勧めています。しかし、他にも重伝建の可能性、デザインコード、路地の保全、景観計画、助成制度などあります。最後に「改めて都市へ」で著者の叫びとして、「ストックとして長持ちする都市建設」を、「都市は決して投資効果によって判断されるべき経済空間なのではなく、ゲニウス・ロキに満ちた場所の連なりなのだ」と、訴えています。
(写真は八ツ面焼きと思われる壺で、素朴ですが、何か味わいを感じました。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そば平

2011-07-15 | 都市計画・まちづくり
先日、中町においしいそば屋があると聞いて行ってきました。中町には建築自主ルールがあると本で読みましたが、中町でなく菅原町でした。それでも入口は門、塀、前庭の北山杉など京都風でした。建築は15年程前だそうです。盛そばが800円で、卵焼きは特別注文で400円でした。そばはやや淡白な感じで、その分つゆは辛めでした。卵焼きはとてもおいしかったです。
<特記>
昨日、梅雨があけてから初めて蝉が一匹鳴きました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする