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Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「スコットピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団」

2011年05月04日 22時35分08秒 | 映画(2011)
仮想的世界に限界はない。


最初のつかみは、主演のM.セラと原題"・・・VS THE WORLD"の違和感だ。

邦題のとおり戦う相手が単なる元恋人だけなので、「キックアス」のようなヘタレ青年の奮闘ものを想像するのだが、この作品は更に斜め上を行く。

どう見てもひ弱なスコットピルグリムが、バンド演奏をこなし、突然現れた敵と戦闘を繰り広げる。おまけにGFは二股。普通もしくはそれ以上にイケてるのである。

おかしいんだけど、こういうシチュエーションって何かあったような・・・。

で気付くのだが、これはまさに映画全篇を貫いている世界観、ゲームの中の世界なのである。

RPGの主人公に自分の名前を付ければ、自分は勇者になって世界を救ってしまう。そこで"VS THE WORLD"なのである。松方弘樹が世界を釣るなら、スコットピルグリムは世界を向こうに回して戦いを挑んじゃうのである。

劇中でそうした設定を明確に定義付けてはいなかったものの、とことん仮想空間を意識した編集がてんこ盛りだ。

テンポを自由自在に操り、前後の見境なく場面が次々に飛んで行く。

仮想なんだから現実性も整合性も関係ない。スコット以外の濃い脇キャラ軍団、Beckを中心とした音楽の彩りといった要素に、画面に意識を向けている五感がただ刺激を喜ぶ映画だと思う。

(80点)
コメント (2)
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「抱きたいカンケイ」

2011年05月02日 23時21分12秒 | 映画(2011)
固執するほど下がってしまう恋愛偏差値。


子役からオスカー戴冠まで硬派なイメージの履歴を持つN.ポートマンが、軽めでしかも下ネタの多い恋愛ものに出るというのは、かなり意外だった。

そんな彼女の役どころは、美しく才能にあふれてもいるのに、傷つくことを恐れるあまりに自ら恋愛の機会を遠ざけてしまう女性医師・エマ。合ってるかもしれない。

相手役は、彼女とは正反対に「バタフライエフェクト」以外ほとんど軽い作品のイメージしかないA.カッチャー

彼の役どころは、有名人の父を持つぼんぼん。父と遠からぬ芸能界の現場でアシスタント業務をこなすが、どうにも自立のきっかけが見えてこないアダム。これも結構合ってる。

15年前と5年前のちょっとした軌跡の交わりを経た現在、アダムにある事件が降りかかり、半ばやけになった状態で転がり込んだエマと同僚たちの自宅で、2人は最初に結ばれる。

きっかけはどうあれ、2人が結ばれたのは極めて自然の成り行きなのに、わざわざセックスのみの関係というルールで壁を作ってしまうエマ。

面倒を避けようとして、結局より面倒な羽目に陥るというのは、ドラマの仕立て方としては王道と言えるのだが、アダムがアシュトンだからか、彼の恋愛の苦悩に関して恋愛のもどかしさのようなものはこちらに伝わってこない。

不真面目なわけではないのだが、「好きなんだけどなー、しようがないかなー」という感じで、さらりとフェイドアウトモードに変換する。

結局大騒ぎするのはエマだ。性格等が異なる二人って相性はいいように見えるけど、長続きするかどうかはアダムがうまく感情を捌けるかどうかなんだろう。

主役は魅力的だし、15年前の回想含めてふんだんにかかる音楽も楽しい。二人とも文字通りひと肌脱いでがんばっているし、二人を取り囲む脇役もそれなりに存在感がある。

でも全体を通して見たときに、この作品独自の強さって部分がどうしても物足りない。軽い恋愛もので強さっていうと矛盾しているようにも聞こえるけど、少なくとも今でも語られる名作にはそれがあったわけで、そのレベルにはまず及ばない。

(60点)
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「阪急電車 片道15分の奇跡」

2011年04月30日 23時20分44秒 | 映画(2011)
善き人の苦悩と心なき人の傲慢を乗せて。


子供のころ電車に乗れる生活に憧れていた。特にロングシートの車両。

県営宮城球場の野球観戦に仙台から宮城野原まで乗っただけでも、とてもうれしか
った。

そういう意味では、現在の自分は当時の夢を叶えているわけだ。今でも好きですよ
、電車。駅の近くに居を構えたことにも通じてるし。

「電車」という響きが好きだ。

関西では何故か駅の案内に「○○電車のりば」なんて書かれていたりする。「電車
」といっても車両本体のみを指しているのではない。首都圏だと「○○線」と書く
ところを敢えて書いているのだ。

おもしろいことに、「○○線」ではどうにも事務的になるところを、「○○電車」
とするだけで、そこに関わる人々の生活までもが膨らんで見えてくる。この辺りの
人情味がなんとも関西的だと感じる。

そして、そうした日常の風景を切り取る象徴的な風景として挙げられるのが私鉄沿
線である。

それほど距離がない駅間、ごちゃごちゃとして車より人の行き交いが主役である駅
前の商店街。

空気が生活臭に満たされている分、人との付き合いが暮らしやすさ、生きやすさに
直結する。

この映画、大概はベタな話だ。エンドロールで確認すると脚本は岡田惠和。納得。
ベタで都合のよい展開は「ちゅらさん」等でおなじみだが、嫌いじゃないし寧ろ心
地よい。

しかし今回ちょっと違うのは、誰のエピソードにも背後に困った人たちが存在して
いること。電車で騒ぐおばちゃんやDV男、陰湿ないじめをする小学生といった登場
人物が出てくるが、更に驚きなのが、その困った人種に改心する気配がないことで
ある。

つまり本作は勧善懲悪のおはなしではないのだ。

どうしようもない人たちがいることは事実で変えようがない。それでも自分が正し
いと思うことを信じて打開していこうという、奇跡でも何でもない当たり前の帰結
に物語は行き着く。

主演の中谷美紀が舞台挨拶で東日本大震災に触れていたらしいが、この「どうしよ
うもない人たち」を「起きてしまったどうしようもないこと」と置き換えれば、確
かに被災地の状況とも重ねられる。

人生は行き先のない電車。乗った電車が何処へどう行くかは分からない。人は乗る
電車を選び、折り合いをつけるか、下りて別の電車を探すかしかない。

(75点)
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「塔の上のラプンツェル」

2011年04月03日 16時27分16秒 | 映画(2011)
今日の夢、明日の夢。


童話の短篇が元ネタという。

つまりは、多くのキャラクターやエピソードはオリジナルということで、やっぱり巧いなと思う。

お相手となるフリンは盗賊として登場する。あっさり仲間を裏切って塔の上へ逃げてくるフリンは胡散臭さに満ちている。

途中で出会う酒場の猛者たち、冒頭からフリンの好敵手として大活躍の白馬・マキシマス。

彼らとの出会いは、ラプンツェルにとっては初めて見る外の世界の象徴であり、フリンには自分が社会の中でどう位置づけられているかの指標となる。

勇気を持って本音でぶつかることで扉の向こうへ進んでいくラプンツェル。そんな彼女に知らずと感化され、人間性を取り戻していくフリン。

観ている側は自然と二人を応援する度合いを高め、酒場の男たちもマキシマスもそれに加勢する。

やがて二人は必要による結びつきを越えて、いつの間にかお互いが信頼できる関係を築き上げる。

「夢がかなってしまったら、どうすればいいんだろう」と不安を口にするラプンツェルに、フリンは「それが楽しいのさ。次の夢を探すんだ」と告げる。

夢を送り続けるディズニーの本領発揮というところか。

ハッピーエンドは分かってる。クライマックスの仕掛けもおおよそ予想がつく。それでも観ていて幸せな気分になれるのは、それが生きていくために必要なものだからに違いない。

それにしても、今回のヒロインも明るくかわいく魅力的だ。吹き替え版を観たが、中川翔子も器用にこなしていた。

タイプは違うが、もうピクサー印がなくともディズニーの長編アニメというだけで十分観に行きたくなりそうだ。

(90点)
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「ザファイター」

2011年04月02日 20時26分04秒 | 映画(2011)
家族なのに。家族だから。


ボクシングを扱う物語は、ハングリー精神と一体で書かれることが多い。

不遇な幼少時代、一攫千金を夢見て厳しいトレーニングに耐え、ついに掴み取る栄光の座。

アメリカンドリーム、夢と希望が世界を明るくするという図式はまさに王道。

過程における障害が大きければ、勝利を得たときの感動は更に膨れ上がる。

でもこの作品は、話の重点をボクシング選手としてのキャリアではなく、家族との確執や絆の物語に敢えて持ってきている。

事実関係がどうなのか気になるところだが、主人公ミッキーの家庭環境は驚きに満ちている。

わが国では、この映画のプロモーションにも出てきていた亀田一家という「困った」ファミリーがいるが、あるんだろう。本人に良かれと思ってしているつもりが、客観的に見ると明らかにズレているということが。

兄と弟、母と兄、父と子といったそれぞれの関係に弟の恋人が加わり、複雑な意識と感情が折り重なってミッキーの行く手を塞ぐ。

「ザタウン」でもあったホームタウンのしがらみ。ぎりぎりの選択と努力を続けるミッキーの姿に、他のスポーツものにはない種類の感動を覚える。

C.ベールM.レオの「困った」親族ぶりは、実にオスカー獲得らしい味わい。ノミネート止まりではあったが、A.アダムスの強気な田舎のおねえちゃんもよかった。

個人的には、あまりに試合が劇的な逆転過ぎたところがやや気に入らなかった。事実なら仕方ないけど。

(85点)
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「映画プリキュアオールスターズDX3 未来にとどけ!世界をつなぐ虹色の花」

2011年04月02日 20時08分10秒 | 映画(2011)
打倒!AKB。


「プリキュア」といえばワーナーマイカルなのだが、震災で海老名のワーナーマイカルは営業再開の見通しが立たず。隣の大和市まで車を走らせたよ。

毎度のおまつりも3作め。ついにプリキュアも21人にまで膨れ上がった。

台詞や見せ場の割り振り、変身や必殺技の見せ方の効率化。小さい子供相手で上映時間を延ばせない中でこれらを成り立たせるのは結構職人技なのかもしれないと妙に感心。

今回は敵の策略にはまり、途中で3つのグループに分かれて戦うことを余儀なくされる場面が。

まあ、見事にメイングループ、パートナーグループ、スーパーサブグループという分かれ方だったのだが、これはひょっとしてプリキュア版の「チームA」「チームK」「チームB」なのかと深読みしてみる。

48人になるまでには、4人ずつ増えたとしてもあと12年かかるね。それまでAKBの方がなさそうだが。

でもプリキュアはなんだかんだ言って、世代を受け継いで続いているからあながち夢物語とも決めつけられない。

ただ今回の敵はブラックホールだって。物語の方は行き着くところまで行ってしまったのかも。次はもう少し力を抜いても十分な気がする。

(50点)
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「SP 革命篇」

2011年03月21日 15時59分16秒 | 映画(2011)
悲しいほどちっぽけな大義。


故郷の知った景色が、黒く得体の知れない何かに飲み込まれていくのを見た。

一週間以上過ぎた今も、心の奥を鉛のように重いものが占領している。

「SP 野望篇」のときは、「時間が待ってくれていた」と書いた。

それは時代の閉塞感が強まるのを感じていたからで、そのエネルギーが放出される手段としてテロによる革命は十分あり得る選択肢だと思っていた。

しかし、「革命篇」の公開前日になって、世の中は思いも寄らぬ形で大きく姿を変えることとなった。

自然の猛威は、人間がいくら束になっても到底及ばないほどの力で、町を押し流し、生活網を切り裂き、人々の意識を根底から揺るがした。

もちろん映画として「革命篇」は観る側を惹きつけるものを引き続き持っている。

しかし「国会」はあまりにも小さい。

不正がどうの、世の中のシステムを変えると言っても、少なくとも今は響いてこない。

おまけに尾形のルーツを辿れば、そこにあるのは私怨だ。伊達幹事長の三文芝居も、あれでは自分が黒幕でございと言っているようなもの。

生き残った者たちにまだ謎が多く残されており、また出直すチャンスはありそうだから、今度はいずれ環境が適ったときに出会いたいと思う。

(75点)
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「英国王のスピーチ」

2011年03月06日 10時22分53秒 | 映画(2011)
寛容の時代だからこそ耐えられた。


本作の勝因は、まずは物語だ。上に立つ人間だからこそ抱える苦悩を、吃音という分かりやすく且つ新鮮な媒介を通して真っ直ぐに描いた。

次に役者陣。C.ファースの実直さとJ.ラッシュの懐の深さの調和が素晴らしい。

だから、4部門とはいえ主要なところを押さえてアカデミーの勝者となったことに何ら異論はない。

でも、受賞によって多くの情報をもたらされてから観たこと、特にレイトショーで観たということもあり、意外性のない展開にやや眠気を感じてしまった。

ただ、この物語はやはり非常に興味深い。

ラジオという媒体の出現。それは、広場での集会なんかとは桁違いの数の人たちに同時にメッセージを発信できることを意味し、王族とて時代の変化に合わせることが必要となった。

その系譜はやがてテレビからネットへと形を変え、いまや名の売れた人間が秘密を隠し通すことは難しい。

現代にジョージ6世がいたらどうだったろう。兄の所業はさすがに当時でも問題視されていたが、弟の持つ欠点は吃音だけだったから許された。

それ以上に、欧州全体に不穏な空気が漂い始めていた折り、時代が拠り所を求めていた。周囲の人たちが必死で新国王を守ったのだ。

ラジオ自体が、発言の途切れた時間を高い威厳の間として変換しうる、実に寛容な媒体であったことも見逃せない。

しかし現代は、誰も彼もその一挙手一投足が包み隠さず瞬く間に全世界へ配信される。そこに受け手のあそびが入る隙間はない。

上手の手から水が漏れるということすら許されない世の中。それでも民衆は、より完璧なものを求めて批判の声を高める。

中東で起きる民主化の波。理念自体は立派だが、先の見えない闘いは本当に彼らを幸せにすることができるのか。

この映画を観て、珍しく「昔はよかったね」などと考えてしまった。

(70点)
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「恋とニュースのつくり方」

2011年02月26日 01時22分35秒 | 映画(2011)
砂糖、砂糖、繊・・・やっぱり砂糖。


「恋」は添え物程度。「ニュース」も正しくはない。ワイドショーだから。

またミスリードと取られかねない邦題。そして意外性に乏しい成功への物語。

常に刺激を求める時代において、80年代が舞台といってもおかしくない(Youtubeは出てたけど)空気を持つ本作を支持する声は多くないだろう。

でも、こういうの好きなんだからしようがない。

何よりR.マクアダムスがいい。

ラブコメのヒロインが人材不足になる中で、新鮮でかわいい点は文句なし。

ベッキー自身はちょっとイタい性格なのだが、彼女が演じると表情がくるくる変わる様が実に魅力的に映る。

そして両脇を御大、H.フォードD.キートンががっちりと締める。

年齢相応といえばそれまでだが、H.フォードはがんこじいさんがすっかりハマるようになった。もちろん最後に美味しいところを持っていくところも微笑ましい。

ひさしぶりのJ.ゴールドブラムもうれしい。長いこと見なかった割りには、あまり変わっていないようにも思えたが。

先にストーリーは意外性に乏しいと書いたが、基本的に楽しいからいい。

図抜けて理解のある恋人アダムや、視聴率アップの作戦なんて甘い甘い大甘だが、たまには甘いものを思いっきり食べてもいいでしょ。

そんなわけで、点数も思いっきり甘めに。あまり減点するところもないし。

(90点)
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「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」

2011年02月13日 19時38分28秒 | 映画(2011)
演者の熱意と骨太の事実が脚本を救う。


「殺してやる」と言っても本当に相手を殺すつもりはなかったんでしょう?というのは「十二人の怒れる男」だったと記憶している。

しかし、戦時中の「命を懸けて」は、まさに生命の存亡の線上で発せられていた言葉だった。

敗戦が近くなると、日本人たちは捕虜になるくらいならと自ら玉砕の道を選んだという。

玉砕という行為が勇気ある行動だったかといえば、それは自信を持って否と答える。あれはまさに現代の日本人も陥りがちな集団心理だからである。

この映画の大場大尉の振舞いが輝かしく映るのは、誰もが流されていく時代の中にありながら、判断基準の軸をぶれることなく守り続けたからに相違ない。

それは何か。

命の大切さ?惜しいけど違う。

映画の冒頭での大場大尉は、命を守ることを優先する人物ではなかった。自らも参加した総攻撃において命がなくなろうとも後悔はしなかったはずだ。

それが変化を見せるのは、民間人と共に野営を組むようになってからのことだ。兵士以外の人たちの生き方を間近に見ることで、彼の考えに広がりが生まれたのだ。

「命を懸ける」は決して「命を捨てる」に非ず。むしろ命は「失くしてはならないもの」である。

では、命をなくしてはならないと考えながら命を懸けることは矛盾しないのか。現代の政治家が、政治不信の中で「政治生命を懸けて」と言っても誰にも信じてもらえないのと何が違うのか。

そのカギは、実はまさにこの映画の中に描かれている。

それは誇りだ。日本人としての誇り。そして尊厳。もう少し平たく言えば、人間としての尊厳と言ってもいいかもしれない。

命を懸けると言った言葉や行動の裏にその人の動かざる信念が感じられたとき、人はそれに敬意を示しついて行く。それがリーダーとしての資質なのだ。

今の時代が何故混沌に満ちているかといえば、そうした信念を感じさせるものが欠如しているからなのである。守るものが己の地位やプライドだけと見透かされた瞬間に人は離れていく。

話を映画に戻してみると、物語の展開としては、若干上滑り的に急いでしまう点も見られたものの、元々が骨のある話だけに全篇を通して引き付けられた。

役者陣も、主演の竹之内豊はもちろん、あの阿部サダヲまでが緊張感の糸を繋いでおり好感が持てた。

細かい点を取り上げるよりも、ここに描かれている人たちの心情に思いを巡らせそれぞれが何かを感じ取れれば、十分に価値のある作品だと思う。

(70点)
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