日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

幻想な光

2011-12-18 | Weblog
闇の中に小さな灯りがあるのとないのでは
こんなにも心持がが違うのかと思う。

暗闇の中で人はこんなにも
心細く、畏怖と恐怖と覚えるものなのか。
 
今でこそ人類は火を手に入れ
電気で明かりを操るけど
やっぱりその本能は変わらない。
 
光を見ると高揚し華やぎ、安心する。




 
この時期に
やはりイルミネーションが欠かせないのは周知の事実
光は暗い闇に浮かべば浮かぶほど貴重なものになっていくのだ。
 
 
月光や星の淡い光が
かくも明るく
夜を照らし出すものかという事を月食で知る。





 
 
嵐山の竹林を照らす灯篭の幻想的なことといったら・・。
寒い日に寒い寒いと乗ったトロッコ電車の車内も
ライトアップされ
トンネルを抜けるたび
幻想的な空間に変化する。
赤い光につつまれた車内はまるで宮沢賢治の銀河鉄道の夜を体験しているかのようだ。
窓に映りこむライト、木のボックス席、赤い窓枠。
終わってしまった紅葉をみるよりよっぽど印象に残る



ほのかな光はなにより幻想的でマジックのような驚き。
 











平等院、鳳凰堂にも光のマジックがひとつ。


 
ご本尊の額にある白毫(びゃくごう)が水晶で
本殿の中で見ると黒いのだが、敷居を一歩外に出てその額を見上げると
白く輝きだす。
埋め込まれた水晶の底に銀板があってそれに光が反射して白く輝くとのこと。
古の人たちにとってこの光のマジックは現代のあたしたち以上に大きな印象を
与えるに違いない。

電気のない時代の光は何より貴重。
ただ悲しい哉。
光を自在に操る術を手に入れた現代では
闇に潜む奥ゆかしさと陰影の美しさを忘れがち。
ほのかな明るさでさえ楽しむ余裕さえも失いがちなのだ。

光を操り、楽しむことができたのならそれはきっと時間を楽しくということなんだろう。
幻想的な光は幻想的な時間というところだろうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 記憶の標本 | トップ | 満載ワゴンで。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事