原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ハプスブルク家の栄華

2019年06月16日 | 旅行・グルメ
 (写真は、旅雑誌より転載した「ハプスブルク家歴代皇帝が暮らしたホーフブルク王宮。)


 娘と二人のオーストリア個人旅行出発が、後3週間少し後に迫っている。

 昨夜は娘と共に旅行日程の確認を行い、お互いの旅行気分を高揚させる作業を施した。

 一番の残された課題は4本前のエッセイにても記載した通り、特に旅程4日目の私が名付けて「ウィーンカードにての“ムン・パッカフリーツアー”」(“ムンは娘の愛称、パッカは私の愛称だが)の詳細日程が未だ下調べ不足状態である事だ。 

 ただ、実際4泊6日程度の小旅行の場合時間的限界があり、どうしても“総論旅行”となりかねない。
 そこを個人旅行の形態を最大限活かし、単にあっちもこっちも行ってきました! ではない付加価値のある旅にしたいものである。

 旅程4日目の母娘フリーツアーは、宿泊ホテルがハプスブルク家“夏の離宮”の位置付けのシェーンブルン宮殿のすぐ近くである事を活かし、その栄華の歴史を巡ろうかと志している。
 「ウィーンカード」(ウィーンの公共交通網が4日間乗り放題+各名所見学割引チケット付きのカード)をウィーン到着後すぐに購入し、それを最大限利用するスケジュールとなる。

 
 さて冒頭にて掲載した写真は、そのハプスブルク家の王宮写真だが。

 ここでネットより、ハプスブルク家に関する情報を引用させていただこう。

 (その前に少し余談だが、私は高校・中学「社会」「商業」の教職免許を取得し、高校現場にて教壇に立った経歴がある。 ただし我が大学院での専攻が「経営法学」だったため、自ずとそれに関する教科授業(商業法規、商業経済等々…)を受け持った。 「社会」に関しては「現代社会」の授業のみを経験している。  現在「社会」教職免許は「地歴」「公民」に分離しているようだが、私の時代はそうではなく、「社会」免許を取得しているとややもすれば、「歴史」を持たされる危険性もあった…  実は「歴史」は我が現役高校生時代に一番“嫌い”な科目だったのだが、そんな教科を教員として受け持たされたものならば生徒の皆さんに対して大いに迷惑を掛けた事であろう…、 それを想像する都度、今でも怖いものがある…… )

 それでは、ネット情報を引用しよう。

 ハプスブルク家はオーストリアの名門王家。 大空位後のルドルフ1世(神聖ローマ皇帝)の即位(在位1273〜91)に始まり、1438年からはその滅亡まで神聖ローマ皇帝位をほぼ世襲した。 15〜19世紀、神聖ローマ皇帝をほぼ継承したオーストリア王家。 10世紀スイスにおこり、1273年同家初の神聖ローマ皇帝ルドルフ1世(神聖ローマ皇帝)を出した後オーストリアを所領に加え、1438年アルブレヒト5世の神聖ローマ皇帝就任(アルブレヒト2世(神聖ローマ皇帝))後、1806年帝国消滅まで皇帝位をほぼ独占した。
 ドイツでは、ホーエンシュタウフェン家とヴェルフ家との間に宿命的な対立があったが、12世紀末と13世紀半ばにフランスとイギリスが介入し、異例の国王二重選挙となった。 その結果、1273年にハプスブルク家のルドルフ1世(神聖ローマ皇帝)が即位するまでの間、ドイツは実質的に皇帝不在となった(大空位時代)。ルドルフ1世(神聖ローマ皇帝)は、自家の領地広大を第一義とする典型的なドイツ貴族であり、神聖ローマ帝国は完全に形骸化していった。 
 その後、西ヨーロッパ諸国が中央集権化しつつある中で、ドイツは逆に各両方国家の独立傾向が強まった。 15世紀前半のアルプレヒト2世(神聖ローマ皇帝)以降、オーストリアのハプスブルク家が皇帝位を独占する(1438〜1806)ようになるが、それはもはや神聖ローマ帝国でもドイツ帝国でもなく、ハプスブルク家の帝国というにふさわしいものであった。
 その間ドイツでは、現地のスラヴ人やマジャル人を同化・吸収しつつ、いくつかの諸公国と多数の村落・都市を形成していった。 その結果、オーストリア・ブランデンブルク・プロイセン(ドイツ騎士団領)といった、近代のドイツの政治を動かすことになる大領邦が成立し、ドイツ国内の重心は東方に移動した。 また、今日のスイス地方の農民と市民は、13世紀以降のハプスブルク家の支配に抵抗し、1291年ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデンの3邦が永久同盟を締結、自由と自治を守るために相互援助を誓った。
 同盟にはその後、他の邦も次々に加盟し、圧迫するオーストリア(ハプスブルク家)軍を度々破った。1499年、オーストリアは失地回復をはかってシュワーベン戦争を引き起こしたが、スイス諸邦軍はこれを撃破し、事実上の独立を勝ち取った。
 (以上、某ネット情報より一部を引用したもの。)


 私見及び旅行準備作業のまとめに入るが。

 我が高校生頃にヨーロッパ旅行を一度でもしていれば、もしかしたら上記のような王族の歴史に興味が持て、社会科の「歴史」の授業にも多少は関心が抱けたのかもしれない。 ただ当時は、残念ながら我が高校時代に私が住んでいた過疎地より海外旅行へ行く家庭など無いに等しかったものだ。 (1974年 我が19歳時点での“米国短期留学" を単身で成し遂げた事が、周辺にサプライズ!と受け止められるレベルの時代背景だったものだ… )


 ただ残念な事には、冒頭写真のホーフブルク王宮を一覧するのみで“丸1日”かけても時間が足りないとの旅雑誌情報である。
 それでも、今回の母娘ウィーン個人旅行に於いては、その“ハプスブルク家の栄華と滅亡”の一端でも垣間見て来ようではないか!
 

絵むすび(朝日新聞2019.06.15編)

2019年06月15日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2019.06.15付 パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)



 とりあえず解答のみ公開します。



 後程、解説を付け加えます。




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 朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様、お待たせ致しました。
 

 それでは、本日2019.06.15付「絵むすび」の解説に入ります。


 今回の「絵むすび」、 “難易度3”にしては、解答に手こずりませんでしたか??

 この私も本日昼食後、NHK連ドラ再放送を見ながら解答に取り組んだのですが、ちょうどドラマが終わるまでの15分間もの時間を要しました。  
 (それでも、ドラマのストーリーをすべて網羅しつつの解答達成でしたので、まだまだ余力はありそうです!??)


 
 まず、「洗濯ばさみ」と「あやめ」は素直に回して結んでしまっても問題ないだろう。

 その後が大変だ!

 次はどうしても「フライ返し」に着目するが、これを安易に捉えて下手に結ぼうとすると、必ずや行き詰る。
 そこで「ヘビ」の上までくねくね回した時点で、他のアイテムに視線を移そう。

 「キウイ」がどうやら曲者の様子だ。 これを「アヤメ」と「イクラ軍艦」の隙間を結ぶ事を考慮すると。
 
 ここで、解答完成が見えて来るだろう。

 「ヘビ」の線を下に降ろしてぐるりと回すと、「イクラ軍艦」との折り合いをつける事が叶いそうだ。



 ところで。

 朝日新聞がパズル「絵むすび」を取り上げると、早くも土曜日のその日の朝より我がエッセイ集バックナンバー「絵むすび」宛のアクセスが多くなる現象に、いつも朝パソコンを開いた時点から気付かされる。 この現象を見て、私は“ははあ。本日の朝日新聞パズルは「絵むすび」だな”と確信するのだが。


 これ、どうなのだろう。
 「絵むすび」ファンの皆様は、既に私が解答を公開していることを期待して下さっているのだろうか??

 そうだとすると大変申し訳ないのだが、我が家のしきたり、と言うよりも集合住宅暮らし故に、新聞を集合住宅1階まで取りに行くのが普段早くて昼の時間帯になる。(亭主定年退職後は、亭主が日々その役割を果たしているが。)

 朝から我がバックナンバー「絵むすび」にアクセスを頂こうが、どうしても「解答」に着手するのが昼過ぎとならざるを得ない。 
 
 それより先に「絵むすび」解答が叶う読者の方々も多い事であろう、ともちろん想像している。

 あるいは、我がエッセイ集にて過去に公開している「絵むすび」解答解説をご覧頂いた方々が、それを参考にされつつ、解答に励まれているのだろうか??



 そうだとすれば、この上ない光栄でもあります。 

 何はともあれ今後共我が能力が叶う限り、朝日新聞パズルの中でも特に「絵むすび」解答を公開し続けて参りますので、今後共ご贔屓にして頂けましたなら幸甚です。


映画「アラジン実写版」 v.s.  女子バレー・ネーションズリーグ

2019年06月14日 | 自己実現
 (写真中央は、昨日私が見た「映画・アラジン実写版」の映画館で買い求めたグッズ。 写真両側は、昨日亭主が観戦した「女子バレー・ネーションズリーグ 日本対タイ戦」会場にて買い亭主が自分で膨らませた応援風船。)


 我々夫婦は「公的年金独立採算制」を採用しているのに加え、普段の趣味活動も娘が中学生になった以降頃より「独立行動制」に移ろいでいる。

 何分、見合い晩婚夫婦だ。 そもそも、生き方も趣味も異なるのは当然だろう。
 それでも一人娘が小さい頃は「子供中心生活」となるのが必然であり、“世間並み”に一家で子連れ行動を共にする機会も多かった。

 「趣味独立行動制」に関しては、決してそれを話し合いで決めた訳ではない。 お互いの行動を尊重しているうちに、自然の成り行きで自ずとその体制が築かれていたというのが正解だ。


 さて、昨日の事だが。 偶然だが、お互いの趣味活動日が重なった。
 亭主がバレーボール・ネーションズリーグの予約をしているのは前もって心得ていた。 (ラッキーにも)亭主の帰宅が遅くなると知った私は、これぞ我が趣味活動のチャンス!と喜び、早速“映画観賞”の予約を入れたのだ。
 
 本エッセイ集バックナンバーにて幾度か記載したが、私は自宅から徒歩圏内で行ける映画館に「会員登録」をしている。 
 この「会員登録」制度が随分とお得なのだ! 年会費わずか¥500-にして、私の場合“シニア会員”扱いとなり、2Dでよければいつでも¥1,000- ポッキリで観賞可能だ! (要するに、一回見ただけで十分に年会費を回収可能。 しかも6回見れば1回分¥0- で見れるとの特典もある。 更には、会員更新時に¥500-分の館内販売物無料券が付いて来るとのおまけもある。
 何分、幼少の頃より経済観念に卓越している私だ。(前回のエッセイをご参照下さい。)“コスト対効果”の考察力などお手の物だ。


 そうこうして出かけた我が映画観賞だが。
 平日観賞はラッキーだ! 映画館内が空いている。 混雑無き映画館内でゆったりと観賞できる環境とは、何にも勝る贅沢だ。

 そんな背景的事情もあったのだろう。 映画「アラジン 実写版」は秀逸な制作映画との感想を私は抱いた。 現在の映画全般の共通項だが、とにかく特撮技術力が想像を絶するほどに進化している。

 それに加えて、この「アラジン・実写版」に登場する役者たちの演技力は元より、歌唱力、ダンス力、アクロバット技術・体力の程が物凄い!!
 今時国際的にヒットする映画に出演する役者とは、これらすべてを難なくこなす超人的能力無くして出演不能なのだろう、と改めて思い知らされた。

 特に、私の趣味でもあるダンス場面が多用されていたが、これぞ圧巻だ! まるで、一時の「インド映画」を彷彿とさせるごとくダンス場面が素晴らしかった事!

 もう一つ特筆するべきは、(今回は“日本語吹き替え版”を観賞したが)主役アラジン吹き替え役の中村倫也氏の歌とセリフが上出来だったのではあるまいか? 
 中村氏に関しては、私はNHKドラマ「半分青い」の脇役でしか認識していないのだが。 (あのドラマで“ヘボ役”をさせられた俳優の中村氏、大した演技者じゃないか! 何でその実力がありながら、あんなヘボいドラマになど出たの?? とは言いつつも、俳優とは名を売るのも仕事だしねえ… )

 映画の帰り道は、もちろん“一人酒”よ! 昨日飲んだ「新潟銘酒 菊水冷酒」が何とも美味だったこと!


 片や、亭主が出掛けた「女子バレー・ネーションズリーグ」は自宅に帰った後、テレビ生中継にて観戦した。
 現在の日本バレーボール界は男女共々不甲斐無い印象しか持てないが、昨日の日本対タイ戦ではやっとストレート勝ち出来た様子だ。
 今回の大会は、東京調布の“味の素スタジアム”の隣駅“武蔵野の森総合スポーツプラザ”にて開催されているとの亭主の話だ。

 亭主によれば、立派なスタジアムであるそうだが。 
 東京都(小池知事)はこんな何ら問題無きスタジアムが地元に存在するにもかかわらず、結果としてお台場の地に新たに五輪用「バレーボールスタジアム」建設計画を回避出来なかったようだ。  国と建設業界との癒着を物語る結論だが、この負の所産を五輪後、国と東京都は本気でどうする気なのか???
 我が想像だが、2020東京五輪後、お台場地域は間違いなく“不活性化”の道程を辿るであろう。 その負の遺産を我々都民が賄わねばならないのか?!?


 標題に話題を戻そう。
 
 昨日偶然繰り広げられた私と亭主間での“趣味勝負”に関しては、どうやら“引き分け”にて一件落着した模様だ。

 本日6月14日夜、「映画アラジン」の原作である1992年ディズニー社制作「アラジン・アニメ版」がテレビにて放映されるらしい。
 私が昨日観賞した「アラジン・実写版」はこの原作アニメ版にほぼ忠実に制作されているとのこと。
 大いに楽しみにしつつ、原作を今夜テレビにて観賞したいものだ。 

「老後2000万円必要」問題、“釈迦に説法” 余計なお世話だよ!

2019年06月12日 | お金
 2本前の本エッセイ集にて、久々に「酒」カテゴリーエッセイを綴り公開した。

 本日は、「お金」カテゴリーだが。
 このカテゴリーも2017.07.01以降、約2年間に渡りエッセイを公開していない事実を発見した。

 先だって、標題に掲げた「老後2000万円必要」問題を金融庁審議会がまとめ世に発表した際、私は表題の通りの違和感を抱かされたものだ。
 実に“余計なお世話!”だ。
 「今後は年金を少ししかやらないから、国民は皆、若い頃からリスク承知で投資してでも自分で老後資金を貯めておけよ!」と金融庁及び国家が言いたい魂胆であるのは分かるが、何ともお粗末な提案だ。

 そもそも、国民それぞれの多様性をまるで無視してかかっている。
 家庭の収支試算などを勝手に作成した表が発表されたが、そんなの、各家庭の経済力によりまちまちに決まっているじゃないか!? にもかからわらず、「食費」にどれだけかかり、以下同様に「税金」「社会保険料」「光熱費・水道代」「電話代」「被服代」等々… にどれだけかかるから、トータルで老後「2000万円必要」との収支計算表まで提示して、「ほ~~ら、若いうちから貯めておかねば老後大変な事になるぞ~~」と国民を脅してかかる始末… 

 こんな愚かな国が世界中の何処にあろうか?
 まったくアホらし過ぎて呆れ果てていると、今度は麻生金融担当相が、「政府の政策とは全然違うから、正式な報告書としては受け取らない」と“火消役”に徹する始末… 
 (ウソ扱けよ、あんたと安倍首相が結託して、この報告書をまとめさせたんだろ?? この報告書を見た国民が混乱を来しているのを知り、慌てて選挙対策に金融庁報告書の受理拒否したんだろ? と言いたいところだ。)


 さて、ここで私事に入らせていただこう。

 本エッセイ集「お金」カテゴリーに於いて、我が「お金」にまつわる幼少期より現在に至るまでのポリシーや実体験を綴り公開している。
 それらを我が記憶に頼り、以下に再公開することとしよう。

 私はもの心付いた頃より「貯蓄」の趣味があった。 決して親にそうせよと言われた訳ではなく、元々天然資質として“自己管理力”のある子供だった。
 幼少の頃、毎日小遣いをもらっていたが、その小遣いを「貯める」との発想が幼き頃より芽生えていた。 小学生の夏休み時に希望で「肝油ドロップ」を購入する習慣があったが、その「肝油ドロップ」の缶に小遣いを少しづつため貯め込んでいた。 その噂を聞きつけた近所の“悪ガキ”から、早くも“カツアゲ”の被害に遭ったりもしたものだ。
 
 中学生になって以降小遣いが「月単位」支給となった。 それと並行して我が小遣いがコインから札へと移り行き。
 高校生になった頃、ある程度のまとまった金額になった事を機会に、私は近くの郵便局へ一人で出向き、人生初の「貯金通帳」を作りそれを貯金した。 (参考だが、当時の金融機関は“本人確認”等のシステムが一切無く、子供でも単独で「通帳」を作る事が可能だった。)

 その頃より、その「貯金通帳」の残高が増えるのが“快感!”だったものだ。 
 大学進学と同時に、(“職業訓練校”とも揶揄される程の超多忙な医学部学生であるにもかかわらず)私は余暇を見つけては家庭教師や喫茶店のウエイトレス等々のアルバイトにも励んだ。 (既に時効故にナイショ話を披露するが、大学の長期休暇には姉が住む大阪へも出掛け、心斎橋あたり?のスナックやバーにて“夜の蝶”稼業に励んだこともある。 何と言うのか誤解を恐れずに言えば、冒険好きの私にとって実に楽しいアルバイトだった記憶がある。 それで稼いだお金も、もちろん「貯金通帳」に貯め込んだ。)

 その一方、医学部にて真面目に学び卒業後、きちんと「医学関連国家資格試験」に合格し、就職先を東京の民間医学関連企業に決定した頃には、我が貯金通帳残高はおそらく同年代の一般勤め人よりも多額だったのではなかろうか?? 
 それがあったからこそ叶った単身上京だと言えよう。

 その後も、我が「貯蓄増強作戦」は続く。
 一見して見た目も活動も“派手”な外観の私であるため、我が本質を知らない他者からは「浪費家」との悪評価を得ていた記憶もある。 ところがどっこい、持って生まれた我が“自己管理力”は衰える事を知らない。
 30歳が近づいた頃、未だ結婚願望希薄な私は単身で住むマンション物件を買い求めた。 その当時、既に全額自己資産で購入可能な資金力があったものの、誰か(おそらくそれで得する金融機関だったのだろうが)の勧めにより、一応住宅ローンを組んだ。
 そのローンを独身中7年間で単独完済した後、私は見合い結婚にて亭主と出会っている。

 晩婚後も、我が「経済観念」は衰えを知らない。
 産んだ娘に若干の不具合があり学校現場でいじめに遭ったりした等々の事情により、我が家はその後3度に及ぶ住居買替を果たしている。
 それにも関わらずすべての住宅ローンを短期完済出来たのは、我が手腕によるものと自己評価している。

 我が亭主が定年退職を迎え、その後私も厚生年金を受取れる年代になって以降は、我が家は「公的年金独立採算制」を導入している。 
 すなわち、亭主の年金は亭主の自由裁量、私の年金は私の自由裁量だ。 
 これが功を奏して、我が家に於いてはむしろ亭主定年後の方が夫婦間の軋轢が軽減されたような実感すらある事実に助けられ、心が豊かになる思いだ。


 最後に、話題を金融庁が提案した「老後2000万円必要」議論に戻すならば。

 この報告が、確かに多くの国民に“無駄な恐怖心を煽った”事実は否めないであろう。
 どうなのだろう。 このような乱暴な提示を全国民相手に実行するよりも。
 今まで通り役所の個別対応により、国民個々が上手く機能する方策を国家は取るべきではなかろうか??
 

早いもので、1か月後にはウィーン旅行出発!

2019年06月10日 | 旅行・グルメ
 (写真は、ウィーン中心部の地図。 中央下方に位置する「ウィーン国立歌劇場」にて“ウィーン・モーツアルト・オーケストラによるオーケストラコンサート”観賞予定だが、チケットは既に予約済み。)


 時が流れるのは実に早いもので、1か月後の7月中旬には“娘と女二人のウィーン個人旅行”の出発が迫っている。

 それにしても、何事も早い手続きこそが功を奏するものだ。

 今回のウィーン旅行は出発3カ月前の4月に早々予約実行したため、ウィーン「直行航空便」がゲット出来たのが何よりだ。
 その後の我がネット調査によれば、直後に直行便は売り切れ、残っているのは「乗り継ぎ便」のみだった。 乗り継ぎ便の方が若干安価とは言えども、あれ程心身疲労困憊するものは無い事実に、2012年に出かけた“ブエノスアイレス旅行”にて散々懲りている。
 まあブエノスアイレスは地球上で日本から一番遠い国の都市であるため、やむを得ないのだろうが。 それにしても片道34時間の空路旅程を、今後この老体でこなす余力など一切無い。

 加えて今回の旅行は、ラッキーにもウィーン観光名所シェーンブルン宮殿のすぐ近くの“五つ星ホテル”もゲット出来ている!  ネットで写真を確認するに、まるでホテル自体が“宮殿”のごとくなのだが実際はどのなのだろう、楽しみに出掛けよう。

 我々母娘の今回のウィーン旅行は、いつもの事ながら“完全個人旅行”形式をとるため、その下調べに落ち度が許されない。
 出発を1か月後に控え、入念な調査を本日から開始する事とした。

 何分昨年実行した米国西海岸旅行では、予想だにしなかった“寒さ”との闘いだった。 多少は寒い日もあろうか、と軽く捉えていたのが大失敗! ホテル近辺にただの一軒も洋品店が無いのにも困惑させられ、日本から持参した洋服類をフル活用して何とか寒さを凌いだものだ。

 米国の予想以上の物価の高さにも驚愕させられた。 旅行直前にドルを追加交換して持参したものの、旅の途中でドル交換する暇も無く、情けなくも旅行内容のランクを下げつつケチに徹して、持参したドルすべてを使い切っての帰国だったものだ。

 そのような失敗はウィーン旅行では是非避けたいとの信念で旅行準備を進めてはいるが…

 
 それにしても、先日韓国人観光客の大勢が犠牲になった「ドナウ川クルーズ」衝突事故ニュースには衝撃を受けざるを得なかった。
 
 我々母娘も、ウィーン現地での「ドナウ川クルーズ」を既に予約している故だ。
 ただ、上記衝突事故はブタペスト出発のドナウ川クルーズにて発生しているとのこと、しかも大雨との天候条件下にて発生した事故との報道… 
 いやいや、我々のウィーン出発ドナウ川クルーズとて同様の悪天候にならないとも限らないが、おそらく上記大事故発生後、クルーズ会社が危機管理に最善を尽くすであろうと信じたいものだ…


 繰り返すが、何分可愛い娘との“女二人の個人旅行”故に、引率者?である我が責任は重大だ。 既に「手作りの旅程表」を作成して娘にも手渡している。 

 その自分が作成した「旅程表」を一覧しつつ、まだまだ下調べ不足である事を痛感させられる…。

 特に旅程4日目の、私が名付けて「ウィーンカードにての“ムン・パッカフリーツアー”」の詳細日程が未だ下調べ不足状態だ。 
 (参考だが「ムン」とは娘の愛称、「パッカ」とは私の愛称だが、これは家庭内でしか通用しない呼び名である。 この場で少しだけその由来を説明するならば。 娘の愛称「ムン」は画家エドヴァルド・ムンク作「叫び」から引用している。 幼少の頃、特に集団現場でいつもあのような表情をして怯えていた娘に、私が名付けた愛称だ。  我が愛称「パッカ」は過去に頭部皮膚癌を患いその摘出・植皮手術を終えて自宅に戻った私を見て、当時2歳だった娘が名付けたくれた「カッパ」をひっくり返したものだ。 まさに我が頭部が手術によりカッパになったのを、よくぞまあ幼き娘が適切に名付けてくれたものだ!と大いに感激して以降、これを我が家庭内の呼び名として用いている。 マイナスをプラスに変換出来る我が母娘の“心の強さ”を物語っている愛称である故、両人共々これらを好んでいるのだ!)


 余談が長引いてしまったようだが。

 こんな最愛の娘(ムン)を引き連れてヨーロッパの見知らぬ地へ旅立つに当たり、準備不足は許されない。 万全な準備あってこそ充実した旅を満喫可能と心得つつ、我が旅準備は後1ヶ月間続く…
 (いえいえ、十分に楽しい作業ですよ!)