原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

亭主が“2018世界女子バレー ”アリーナ観戦の夢を叶えた!

2018年10月20日 | 自己実現
 (写真は、昨日我が亭主が横浜アリーナにて開催された2018世界バレー女子大会観戦の際に購入した応援バルーンと、昨夜TBSテレビにて生中継された「日本×アメリカ」戦の新聞テレビ番組ページを撮影したもの。)


 本日のエッセイは、2-18.10.01に公開した「台風24号列島縦断、その時予期せぬ“とばっちり”が…」の続編の形となろうか。

 昨日朝の事だが、亭主が「今日こそ横浜アリーナに世界女子バレーの観戦に行くよ!」と嬉しそうに私に告げる。
 そういえばあの台風の日、首都圏のJRが全面運転休止となった影響でせっかく入手していた横浜アリーナのバレー大会チケットを反故にした数日後、「準決勝と5,6位決定戦が行われる日のチケットを買い直した。」と亭主が言っていた。
 それが昨日だったのだ。
 「そう、それは良かったね!」と応えつつ、内心(ならばもっと早く言ってよ。3戦も観戦するため丸一日亭主が留守にするならば、私だってこの貴重な一日を一人で自由に過ごす計画が立てられたのに…)と多少無念だ…
 それにしても亭主の昼飯も夕飯も作らなくてよいとは、これぞラッキーだ。 今日は羽を伸ばそうと思いつつ、結局はランニング練習をして過ごしたのだが。

 SS席をゲットしたとの亭主が、派手なチェックのシャツを着て出かけようとした姿を見て、「その格好だと今夜のテレビ生中継画面でも、応援席に座っている姿を発見できそうだね!」と私がはしゃぐと。 すぐさま、地味目のシャツに着替えを始める。 「何やってるの。さっきの派手な方がいいよ」とアドバイスしても、どうやらテレビに映りたくない様子で地味姿で出かけた。


 夜になり、私もTBSの生バレー中継をテレビにて視聴した。
 5,6位決定戦は「日本×アメリカ」だったが、はやり両者の身長差や体力差は目に見えて明らかだ。 それでも日本は強国アメリカから1セットをゲット出来ただけでも、今後の成長に繋がるであろう。

 夜11時半頃、亭主は“応援バルーン”を2個抱えて帰宅した。(よくぞまあ、いい“おっさん”がそれを手に抱えて一人で平気で電車に乗れたものだ。) と思いつつも、我が亭主とは元々そういうキャラである事を思い出した。
 何と申しましょうか…  年甲斐も無くいつもド派手な格好をしている私を責めるどころか、「それ、いいねえ~」などと褒めてくれる希少な逸材である。

 肝心要の昨日の試合に関する我が亭主の感想だが。
 2試合目の準決勝「イタリア×中国」戦が一番見応えがあったとのことだ。 両チームエースのアタック勝負に尽きる対戦が5セットまで持ち込まれ、圧巻だったとの話だ!
 残念ながら、我が国のテレビ放映はいつも日本代表の映像を発信することにこだわり続けている。
 本日夜放映される2018世界バレー女子決勝「セルビア×イタリア」戦も、どうやらBS-TBSにての放映のようだ。


 ところで、今回2018世界女子バレーの放映権を勝ち取ったTBSが、大赤字大損失を計上したとの情報がある。
 何でも、バレー大会(Vリーグというのか?)のスポンサー収入が激減しているのが、その第一の理由らしいが。

 現在我が国に於いて、あらゆる球技に於いてリーグ化する事によりスポンサー収入をあてにしている状況下ではなかろうか? (私自身がさほどスポーツには興じていない故に、素人もどきの指摘に過ぎないが。)
 例えば、最近「バスケットボール」もリーグ化したように認識しているし、はたまた「卓球」もそれに追随していると聞く。

 これ、どうなのだろう?
 スポーツファンには嬉しい事態なのだろうか??

 今夜もBS-TBSにて、2018世界バレー女子「決勝戦」を視聴するつもりではいるが…


 それはともかく私にとっては、今回亭主が10月当初の台風にもめげず、「2018世界バレー女子大会」を横浜アリーナにて観戦する夢を繋いでいた事実を大いに評価してやりたい!


 何せ、晩婚見合いにて結婚に辿り着いた両人だ。
 そもそも両人の趣味が合うすべも無い。
 ただ、さすが見合い結婚! お互いの過去に於ける教育環境や学際面に関して一致している部分が大いにある事実が一番の救いではある。

 今後共にお互いの趣味や思考を尊重しつつ、上手く機能していきたいものだ。

「二度と日本の地を踏まない!」と宣言していたはずが…

2018年10月18日 | 人間関係
 昨日は、年に一度の私の誕生日だった。
 そんな特別な日に、何と我が身に“地獄に突き落とされる”ようなショッキングな事件が発生した。

 
 話を遡って、5月の事だ。
 ちょうど娘と二人で米国西海岸旅行を計画していた時期だが。

 郷里の高齢者自立支援施設に暮らす実母から電話があった。
 「米国の姉(母にとっては長女)から電話があって、私の死後は妹の貴女(私の事)と仲良くしたいと言っている。 私もそうしてくれたら安心して死ねるし、どうかお願いしたい。」 

 実母の話はもっと長く、それを要約すると。
 姉が言うには、母は後2,3年の寿命らしい。(これも失礼な話だが、我が姉はそういう発言を本人相手に不用意にする愚かさが元々ある。 参考だが、元医学関係者の私の診断では実母は後7,8年は軽く生きるとみている。) その後は妹の私と仲良くする!と姉が一方的に決めてかかっているらしい。 それに母も同調して、二人ともいい年なんだから〇子(私の事)もいつまでも意地を張っていないで姉との付き合いを再開して欲しい、と繰り返す。

 実にちょうど姉が住む米国西海岸旅行計画中で、その時に娘に「姉には絶対に会いたくないから、郷里の実母には内緒で行こうね」などと同意を求めていたのだ。
 “虫の知らせ”というのか、これ程の一致も珍しい事だろうが、何か姉妹の怨念のようなものすら感じさせられる母からの電話だった。

 もちろん、私はすぐさま実母に反論した。 「とんでもない話だ! 私は米国の姉とは20年前に縁を切っている。」 (20年前の当時、姉に向かって絶縁宣言をするのは私にとっては命がけの行動だった。)  続けて、「姉からもその後20年間何の連絡も無い。 貴女(実母)が死ぬ(??)からと言って、何故この私との関係をぶりかえしたいと姉が言うのか!? 誰が考えてもおかしな話だ。 20年間それぞれの生活があったはずだし、たとえ親が死んだとて、今まで通りそれを続行するのが普通だろう??」
 母からは、予想通りの答えが返って来る。 「あの子(姉)はどうしても友達が作れない子だ。 現在4度目のパートナー(事実婚状態)がいるにはいるが、何時逃げられてもおかしくない現状で、現にそのパートナーは“出張”と称して家を長期間離れてばかりいるようだ。 親としてはあの子が不憫でしょうがない。 〇子(私の事)に米国の姉をお願いするしか方策が取れない…。」
 私が返して、「とにかく私側はその気は全く無いから、その旨姉に伝えて。 それから60代前半なんてまだまだ若いんだから、姉にも米国現地で友達作りに励んで今後の人生を楽しむようアドバイスしてやって。」と言って電話を切った。 (ところが、姉はこれがどうしても不能な程の“人格異常者”、との共通認識が身内の母と私の間に燦然とあるのが何とも悲しい事実だ…… )

 更に参考だが、実母は私が姉と係れない実情に関して、「〇子(私の事)は現在嫁ぎ先の義母の介護保証人を担当しているが故に、時間が取れない」と姉に説明していたらしい。 そうではなく、私が姉に“会う気がない!”との本音の事実を姉に伝えて!と幾度も主張しているにもかかわらず、どうしても母の姉に対する愛情でそのように対応しているらしい。
 それを実母が姉に告げる都度、「何故妹はそんな不毛な事をしているのか!そんな老人は放置して死なせばいいだろう!」と姉が応えるとの情報も実母から聞かされている。 身内の恥を晒すが、我が姉とはそれ程までの人格異常者であるし、何もそれを私に伝えなくとも済むのに敢えて伝える実母の“心の歪み”も再確認させられ、実に辛い思いの私だ…

 もう一つ不可解なのは、NASAに就職が決定している優秀な(?)息子と姉との関係はどうなっているのか?との事だ。 何も遠方の妹(私の事)をそれ程までにあてにせずとて、法的にも繋がりが濃い二親等の実子である息子やその周辺の人物と今後引き続きかかわりを持てば、それ程寂しくも無いように思うのだが…  これに関しても実母に何度も尋ねているが、実母もその実態が分かりにくいのか、明確な回答が無い状態だ。


 その後も実母から同趣旨の電話が2度程あり、同じ問答を繰り返した。


 そして、私の誕生日だった昨日の事だが。
 実母から誕生日祝い電話があった際に、またもや同趣旨の話題が出た。 昨日の電話は私にとって一番衝撃的だった。
 実母曰く、「米国の姉が貴方(私の事)に会うために日本に来ると言っているから、東京で会ってやってくれる? その後二人で仲良く郷里に来て私と会ってくれたら私はとても嬉しい。」
 嘘だろ!?? そんなはずは無い、姉は「絶対に日本には一時帰国すらする気は無い!」と高らかに宣言し続けていたはずだ。 とおののきつつ…  「だから以前から“姉には一生会わない!”と言い続けているでしょ!? 私は本気でそう言っているのに、何で貴方は私の気持ちを無視し続けるの!?!」
 これに応えて母は、「それならば姉には直接郷里へ来させるから、貴方もその時に郷里に来て姉に会ってやってくれる?」
 ここまで実母に嘆願されたならば私も仕方ない。 苦渋の選択として「それじゃあ、半日限定で郷里で姉と貴方に会うよ。」と応えるしかなかった……


 ただ姉の特質等々を勘案しつつ、その後夜も眠れず、ずっとこの件に関して悩み続けた。
 “あの”姉が私との再会を半日限定で済ませてくれる訳も無いし、実際に会ってしまえば我が住所もメルアドも確認するだろう。(参考だが電話番号は母がバラしてしまっているが、ずっと着信拒否機能で対応している)。 それを実母の目前で私が拒否したら、その場で壮絶な姉妹バトルが繰り広げられる始末となり……  一番苦しむのは実母との結論が自ずと見い出せてしまう……

 そして私は、今朝になって実母にメールを送った。
 やはり姉とは会わない方がお互いにそして貴方(実母)も平穏でいられるのではないか、との思いを込めて。
 その私のメールこそが一番辛かったであろう実母から直後に電話が掛かって来て、「〇子(私の事)の辛さも分かった。 この話は無かった事にしよう。」と言って電話が切れた。

 ただそうなると、米国の姉の反乱が実母に直撃することも目に見えている。
 
 それを償うために、近いうちに実母が住む郷里の施設を尋ねようかと考えているが…

 実際問題、血縁親族間の付き合いとはこの世の如何なる人間関係よりも困難かつ鬱陶しいと実感させられる事件だ…

70まで年金やらんぞと言うなら、納得できる仕事をくれ!

2018年10月16日 | 時事論評
 本日午前中、先週水曜日に音楽スタジオ前で偶然会った食材配達担当女性が定期配達のため我が家を訪れた。
 やはり彼女の方も先週偶然私と出会ったことが印象的だったようで、一時その話題に花が咲いた。

 どうやら彼女は、一顧客の私が年金受取世代である事を承知している様子だ。 そして私に言うには、「〇さん(私の事)の年代の場合、自分がやりたい趣味に励める時間が取れていいですね。」
 (確かにその通りだろう)とは思いつつ、正直なところなんだかばつが悪いというのか、現役で働いている彼女が羨ましくこそなりつつ、「若い世代の人は仕事中心生活でしょうから、確かに趣味に励む時間が取りにくいでしょうね。」などと咄嗟に応えたものだ。


 いや実際、日頃フルートを吹いたりランニング練習をしつつ、(本当は仕事がしたい!)との我が本音の思いが脳裏をかすめることは今でもよくある。
 実は求人サイトに登録していて、日々複数の求人メールが届いてもいる。(そのほとんどが医学関係か教育関係の業務だが。)
 私の場合、医学・教育等々専門資格を数多く取得し過去の職業経験も比較的充実しているため、年齢だけを除外すれば、誰にも勝る求人人材であろう。
 ただその年齢こそが致命的ネックであり、求人サイトより届いた「特別オファー」などに返信したりすると、必ずや「申し訳ございませんが、その年齢層の受付はしておりません」なる腹立たしい回答が届けられる。  実際頭に来て「ならば求人メールを届けるな!」なる反論メールを出そうが、後はなしのつぶてだ…。 故に、今に至って求人サイトよりのメールはほどんど見てもいない。


 そんな私が現役最後にチャレンジした仕事が「某フランチャイズ学習教室経営・指導」だった。
 ただ残念ながら、フランチャイズ元の大手学習関連企業の経営方針と我が学習経営指導ポリシー間に埋められないギャップが存在したため、わずか1年程で大赤字損失を計上して自主廃業した。

 その2,3年後、我が職業の原点である医学関連資格を活かそうと思い直し、朝日新聞求人欄で発見した某医学臨床現場への就業を思い立って応募した。
 履歴書上の経歴がある程度整っているのに加え、面接にての受け答えも優れていたのか(??)、この私が採用されそうになったのだ。 ところが我が希望で臨床仕事現場を見学させていただいた私は、即刻辞退を申し出た。 やはりずっと基礎医学分野で活躍して来た身にして臨床現場経験が皆無の私にはその仕事は務まらない、と自分で判断せざるを得なかったのだ。


 それ以降今に至るまで、本気の求職活動は一切実行していない。

 上記某ネット求人サイトから届けられる我が経歴に相応する仕事ならば応募したいが、その実強靭な「年齢制限」が大手を振っている現実社会の現実を認めねばならないとの事だろう。

 現実をみると、悲しい事に我が年代の女性陣に用意されている職業とは、「高齢者介護補助職」「スーパーの食材切り・店舗出し作業」「掃除作業」「ホテルのベッドメイキング」……
 その職種を専門としている女性陣には仕事が余る程存在するのだろう。
 残念ながら、この私はその脳力も体力も適性も備えていない……  これらに従事したならば、3日で体調を崩し即「首」となるのが目に見えてしまう…


 “風前の灯”状態の安倍政権が先だってより “これみたことか、お荷物の年寄りどもよ!” と言いたげに、表題に掲げた「70歳まで年金やらんから、働けよ!」なる政策を全面的に公開し続けている。
 
 これに関するネット情報を、以下に紹介しよう。

 先日、政府が2020年までに年金支給開始年齢をさらに引き上げ、70歳超えに先送りできる仕組みをつくろうとしていることが報じらた。 しかし、そもそもこの「年金の繰り下げ制度」を実際に利用している人は現在2%程度とのこと。 今後、高齢者雇用の広がりとともに利用者も増えていくのだろうか。
 ついに、年金の70歳超えの選択受給可能の方向へ
 1月17日に、年金支給開始年齢を70歳超も可能にするというようなニュースがあった。2020年までには法案の国会提出を目指すようだ。
 70歳超えてもなお繰り下げ可能にしようという話だが、65歳から73歳まで出来るようになれば、8年間繰り下げると96ヶ月×0.7%=67.2%増額との事になる。 
 要するに、本来の老齢厚生年金と老齢基礎年金を貰うのを請求せずに遅らせれば年金が増額するという話だが、貰う前に亡くなってしまったら?
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)


 いやはや、上記ネット情報発信者氏が仰る通りだ。
 年金をもらう前に死んでしまったらどうなる?  我が義理姉などまさにその人物だ。 63歳時に膵臓癌で命を終焉し、ただの一銭も年金受給していない。
 我が教員時代の腹心の友も、60代でクモ膜下出血にてこの世を去っている。


 だからこそ、安倍政権に言いたい!

 安倍さん、アンタは今日からまた欧州へ政府特別機(その内装が絢爛豪華で十分寛げるらしいが)で旅立って政権業務から逃れ、訪問国へ巨額の血税を無駄にバラまく魂胆だろうが。

 その血税を無駄にばら撒く前に、年金受給年寄りが置かれている現状を少しは慮ってはどうなのか?
 安倍さんの思考は十分に把握しているよ。 この日本に於いて、今後も増殖し続ける高齢者連中程カネがかかる不要な存在物は無い。 無駄に税金を食い潰す奴らに年金などやるものか!

 そういうアンタ(安倍さん)こそが一番血税を無駄遣いしている現実を、政権が“風前の灯”化している現時点でこそ少しは振り返ってみたらどうなのか!!


 表題の通り、70まで年金やらん!と宣言するのならば。
 少なくとも、個々の職業人生を歩みつつ過去に多額の税金を納め、この国を支えて来た多様な高齢者個々が納得する仕事を提供してくれよ!

これ、な~~~んだ?

2018年10月14日 | 雑記
 (上記写真が何だか分かる方は、かなりの“横浜通”かもしれませんね。)


 冒頭より余談だが、最近の「原左都子エッセイ集」は「雑記カテゴリー」記事が増殖している事実を私自身自覚している。
 要するに、私の脳ミソの中身が “がらくた箱” 状態であることを証明しているようなものだが…。
 いえ決してこの状態が「悪」という訳ではなく、むしろ我が心が開放され思考の自由度が高まっている証拠、などとプラス評価して自己弁護しようと企んでいるだけの話だが。

 ただ実際、安倍政権が9月の自民党総裁選以降“風前の灯”化したのではないか、と私はニンマリと捉えている。
 先だって発足した「第4次安倍内閣」の面々(法相以外)のみすぼらしさが、それを証明したようなものだし。
 加計に関しても、あの自我無き総長も自分が発した失言で墓穴を掘り続けているし。
 沖縄県民の支持を得た玉城デニー知事にはどうか故翁長氏の意思をしかりと受け継ぎ、打倒安倍!で頑張って欲しいものだ。


 冒頭の写真に話題を戻そう。

 これは、横浜に本社がある㈱崎陽軒が販売している「しゅうまい」や「しゅうまい弁当」に付いている“醤油さし” である。
 最近3カ月程で我が家が買い込んだ当該商品よりコレクションしておいたものだ。

 何故、この“醤油さし”が我が家にこの数保存されているのかに関しては、複数の理由がある。

 滅多に民放テレビを視聴しない私だが。
 土曜日午後1時過ぎに放映されている4チャンネル番組の一コーナーに、「まいう~~~」の流行り言葉で名高い“石ちゃん”(「石塚ナンタラ氏)が日本の名店(名食品企業)を紹介するコーナーがある。 これが我がお気に入りでここのところ欠かさず見ているのだが。 (いやはや、料理嫌いの身にして何故か美味しいものを見たり食べたりすることを、愛好している身勝手な私だが……)
 
 例えば昨日当該番組で取り上げられたのは、「ヒルトン東京」だった。
 これ、私にとっては実に懐かしいと言うのか、過去に於いて結構このホテルにお世話になっているのだ。
 と言うのも(今は縁を切っている米国在住の)実姉が米国男性との国際恋愛に際し、相手男性の仕事の都合で1年間に渡り当該ホテルの一室に住んでいたからに他ならない。 当時私は30代前半独身期だが、まあ何と言っても姉側とすれば初めての東京暮らしに不安感があったのだろう。 私に電話を寄越しては「今日はディナーをご馳走するからホテルまで来て」などとのお誘いがあったのだ。 
 あの時の姉は優しかったというのか、自分の寂しさを紛らすのに必死だったのではなかろうか? ちゃっかり派の私もその誘いは嫌ではなく、幾度となく東京ヒルトン(当時は新宿ヒルトンと呼ばれていた記憶があるが)でディナーを姉カップルにご馳走してもらったものだ。

 昨日のテレビ映像で見た「東京ヒルトン」の内部もさほどの変化がなく、(ああ、このレストランも行ったなあ)などと結構懐かしく楽しめた。
 

 横浜㈱崎陽軒に話を戻すならば。
 
 これまた、過去の2度目の我が大学・大学院生時代にその話題が遡る。
 ㈱崎陽軒の先代社長 野並豊氏 が我が大学(大学院)同窓会(「進交会」と命名されている団体だが)の会長を務められていた時期に私は当該大学(大学院)にて学問に励んでいた。
 
 我がゼミ恩師がおっしゃるには、その㈱崎陽軒社長の野波氏が教授会等々の都度、崎陽軒の「しゅうまい弁当」等々を人数分差し入れて下さるらしい。 それを食した我が恩師が「意外と美味しい!」事に感動し、今度は教授氏自らがゼミ生である我々にサプライズとして昼飯時に差し入れて下さったのだ。

 実は今だからこそ正直に言うと、当時のその「しゅうまい弁当」がさほど美味しいとは思えなかった私である…
 ただ、そのゼミ教授氏の学生に対する “粋な計らい”真心 は十分に通じていた。
 それ故に、民放テレビ石ちゃんの番組内で㈱崎陽軒が取り上げられた事に大いに感激した。


 そんな我が過去の思い出を亭主に話した後、亭主が東京のターミナル駅に行った際に㈱崎陽軒の「しゅうまい」や「しゅうまい弁当」を買って来てくれたのだ。(参考だが、㈱崎陽軒のしゅうまいはあくまでも“横浜名物”の位置付けのようで、東京都内では販売店舗が限定されている。)

 これが実に美味しい。
 “石ちゃん番組”によれば、㈱崎陽軒のしゅうまいは創業当初から味が変わっていないとの話題だったが。
 私にとっては、過去の大学(大学院)生時代に横浜の大学内で食した崎陽軒のしゅうまいと、ここ3ヶ月程に幾度も食したしゅうまいとは確実に味が違うのだ!

 我がエッセイに於いて、それが「亭主力」だとは一切言いたくも無いよ。
 ただ実際、今食する ㈱崎陽軒のしゅうまいの味は30年前とは全く異なっているのが事実だ。
 それを私が騒ぐと、娘も「美味しい!」と応える!
 
 単純明快な家族に恵まれている事実に「感謝!」と言うべき??? 今回の「雑記カテゴリー」エッセイだったかなあ??
 だからこそ、我が脳ミソが必然的に「がらくた箱」になってしまうのだろうか??!
 

自己記録を次々と塗り替える喜びがもたらす達成感

2018年10月13日 | 自己実現
 男子マラソンの大迫傑選手が2018.10.07に実施された米シカゴマラソンにて、 マラソン大会3度目の出場にして、日本男子では初の2時間5分台の日本新記録を樹立した。

 本年2月にホンダ所属の設楽悠太選手が出した2時間6分台の日本記録を21秒更新した形となる。

 片や世界に目を向けると、男子マラソンは既に2時間1分台の世界記録が出ている。

 (私はあくまでも2020東京五輪開催反対派だが)、それとは別観点より、各競技に出場せんとしているアスリート達の新記録を巡る切磋琢磨ぶりは目を見張るものがあり、素晴らしい!の一言に尽きよう。


 本日のエッセイは、そんな世界レベルの輝かしい選手達の活躍とはまったく180度別世界の底辺でランニングをショボショボと楽しんでいる、原左都子の自己記録に関して語らんとする趣旨である。

 私の場合、あくまでもたかが「5kmの部」ランニング大会出場を目指し、年に2度のペースで市民大会にエントリーしているに過ぎない身だが…

 春頃にも一度、同様のエッセイを公開した記憶があるが。

 昨年の冬頃からこの我がマラソン趣味に関して大いなるスランプに陥っている。 と表現するよりももっと深刻な、加齢には逆らえないような(一体いつまでランニングを続けられるのだろう…)なる致命的“廃退感”にすら襲われていた。
 体調不良が続いたせいもあろう。
 今年の冬から春にかけて比較的高い熱が出る風邪症状に3度程苛まれている。 加えて夏の猛暑で体調不良が続いた挙句腰痛が激化して、その弱った身体で米国旅行を強行(旅行自体は帰国後“旅ロス”に陥る程に感動的だったものの)して帰国した後も、腰痛と若干の体調不良を引きずっていた。

 来る11月に開催されるロードレース5kmの部出場を目指し、既に7月に大会エントリーを済ませていた。
 米国帰国後、さすがにもうそろそろ本気で大会出場に向けて本格的なランニング練習に入らねばならない段階に入ったにもかかわらず、どうも体調が戻らない。
 それでも“負けず嫌い”かつ“自分が決めた事は必ずや実行する!”意思が強靭な私は、ランニング練習に出かけた。 そしていつもの練習コースを走ってみるのだが、米国帰国当初はどうしても腰痛が我が精神力の邪魔をする。 このまま走り続けたのでは下手をすると救急搬送に至りそうな程の大打撃を我が身体が受けると判断した私は、無念の3kmリタイアをした。 こんな醜態は我がランニング練習遍歴に於いて初めての事態だ。 実際問題、自分が情けなくなりそうな程に落ち込んだ。
 それでも次の週もランニング練習に出かけた。 やはり激しい腰痛が襲ってくる。 またもや3㎞でリタイヤだ。 ただその3㎞のタイムが前回練習時よりも上回っていた事実が、私を勇気付けてくれた。

 その勇気を糧として、私はその後もランニング練習を出来る限り続行した。
 9月から10月にかけて巨大台風到来が続いたり厳しい残暑が舞い戻ったりと、ランニング練習に出かけられる気象状態の選択等日程決定に難儀させられた。 その合間に当然ながらフルート練習や義母の病院付き添いもこなしつつ…
 
 何と嬉しい事には、その後すぐに5kmを普通に完走出来る身体を持ち直し、走る程にタイムが伸びるではないか!
 そのタイムの伸びようが凄まじい。(あくまでも我がタイム範囲内の話に過ぎないが。


 ここで参考だが、過去に於ける5kmランニング大会出場時の我が最高記録を発表しよう。
 何分“50の手習い”(と言うよりも一人で勝手に走っているだけだが…)で始めたランニング趣味だ。 それ故、所詮立派な記録が打ち立てられる訳も無い事をご理解頂きたいのだが…

 我が過去最高記録は一番最初にランニング大会「5kmの部」に出場した時に打ち立てた “30分45秒” である。 その後タイム正確測定が叶うチップ着装大会にて、これ以上の記録は出せていない。
 それでも、当時アドバイスを頂いていた市民ランナーの方から「“50の手習い”で始めたランニングに於いて5kmでその記録は大したもんだよ」とお褒めいただけたものだ。

 そのすぐ直後期の練習時に30分少しのタイムが出たのが、我がランニング遍歴最高記録であろう。 後少しで20分台の世界に入れる!と喜んだものの、その後ただの一度も30分を切れたことは無い…

 ランニング練習経歴が長くなるのと並行して、私自身が高齢化を辿るはめと相成る。
 ただその間も、体調不調等の波に合わせてランニングタイムも上下変動する。

 2年前の秋のランニング大会時だっただろうか。
 その練習期間に体調が比較的優れていて好記録が出ていたことに図に乗った私は、大会本番で実力以上に頑張り過ぎたのだ。 それに伴い自ずと記録は良かったのだが大会本番での頑張り様が尋常では無かったため、その後一週間程私は大幅に体調を崩す不運を背負った。 そんな我が恥を家族にも言えず、体調絶不良を我慢しつつ家庭内ルーチンワークを励む事態と相成った。

 ランニング大会出場が長きに及ぶと、過去の失敗に関する反省事項が多々に及ぶのも必然だろう。

 ただとにかく、ド素人の身分にして今秋もランニング大会に出場出来そうな体調を取り戻せている我が体力・精神力の程を自分で褒めたい思いでもある。


 何と言っても自己の頑張り力が(偏差値のごとく信憑性無く役に立たない“相対評価”ではなく)、タイムとの個々人の“絶対評価”で自分自身の能力が判定可能なランニング趣味とは、実に素晴らしい!
 そんな事実に、今現在再び感動を与えてもらえている私でもある。