高齢者介護施設に暮らす義母の保証人を担当している私に課せられている定期的な“お仕事”の一つに、義母の「病院付添い」業がある。
この「病院付添い」だがその実務の中核をなすのは、義母の“愚痴の聞き役”である。
昨日も義母の「病院付添い」業を果たしたのだが、私が施設へ到着するなり、いつもの事だが義母の“愚痴オンパレード”が開始する!
付添い側の私としては、とにかく早めに病院へ連れて行き、一人でも早い診察予約順番を確保したいものだ。
それに対し、認知症状が進み耳の聞こえの悪さも日々悪化する義母は、私が施設へ到着したことをとにかく喜ぶ。 待ってました!とばかり、心中に留めていた“愚痴”が、まるで「千と千尋…」の“顔なし”が食い漁った体内の汚物を全部吐き出すがごとく、排出し始めるではないか!
やむを得ない。 これも保証人の任務と心得て、とりあえず“愚痴テーマ”の一つを施設の母の部屋で聞く事とした。 それを5分程で聞き終えある程度義母を安堵させた後、やっと私は「お義母さん、病院へ急ぎましょう!」とけしかけ、部屋から出る事が叶った。
部屋から出て廊下で出くわしたのが、施設入居者の某女性だ。(後に聞いたのだが、この女性を義母が好んでいて、出来ればこの方とお付き合いしたいらしいのだが、相手が施設内で人気者らしくなかなか“お近づき”になれないとの事だ。)
そうしたところ、その女性が私の事を覚えて下さっていたらしく「お嫁さんでいらっしゃいますね?」と声を掛けて下さる。 私の方も記憶があり、「そうです、嫁です。 以前にもこの廊下でお目にかかりまたね。」と応えると、「今日は、お義母さんと何処かへ出かけられるのですか?」と問うて下さるので「はい、病院へ行きます。」と応えた。
その短時間の応答より判断して、私はこの女性が施設内で“人気者”である理由が直ぐに理解出来た。
要するに、ご高齢(90歳近いご年齢らしい)にもかかわらず実にしっかりされているのだ。 こういう“特殊な場”で人気者でいられる条件とは、頭脳明瞭で心身ともに充実し相手のことを慮れる素養を失っていない、との事だろう。
さて病院へ到着し受付を済ませ、待合場所で順番を待ち始めると、案の定怒涛のごとく義母の口から“愚痴”が吐き出て来る。
ただ今回ラッキーだったのは「検査」があったことだ。 その検査中は付添人立入り禁止との事で、私は義母の“お守り”から解放されたのだ! (これぞまさに我が娘幼き頃に病院へ連れて行った折にも、束の間でも検査中は看護師氏が泣き叫ぶ娘を預かってくれた事を思い起こす。)
その後、検査後の医師による診察までの待ち時間に義母の“愚痴オンパレード”が再開する。
そのテーマはいつも決まっていて、必ずや最初に出るのが「私は早く死にたい」である。 既に耳にタコが出来ている私だが、いつものように一応初めて聞くふりをして聞く。
ただ今回義母の訴えが少し“進化”を遂げているのを実感した。 義母曰く、「私はもう手術はしないの。 もし何処かが痛くなったら痛み止めは欲しいけど、その他の事はしない事に決めてるの。 とにかく早く死にたいの。」 (過去に、私がその種の“指導”を何気なくしたような気もするが……)
義母の“愚痴”はテーマを変えて続く。
「生きていても面白い事が無いし、あそこの施設で暮らしていても一人として好きな人がいない。 もう5年も暮らしていると周囲の皆が嫌になる。 」
そこで私が振って曰く、「さっき施設でお会いした女性など、良き方だと思いますけど」 直ぐに返ってきた義母の返答とは、「あの人は皆と仲良しなのよ。いつも入居者の誰かがそばにいて、私が入れる隙間がない。」
私見だが、「ははあ、分かった。」と私は内心ガッテンした。
要するに義母という人物とは、“自分だけ”に特化して付合ってくれる人物を高齢に達した今尚欲しているのだ。
それは、思い起こせば義母が昔からの「恋愛好き」である事実に遡るのだろう、と結論付けられるように私は考える。 恋愛とは二人の密室の世界だ。 その二人の世界が貫徹される程に他者が入る隙間が無くなる。 その1対1の関係に於いて、恋愛が激しく成就しているうちは二者関係にてすべての物事が進む世界と、私も若き時代の経験から認識している。
そんな世界を長年ずっと堪能して来た義母にとっては、高齢域に達した暁にも“自分のことだけを考えてくれる人”を求め彷徨わざるを得ないのだろう。
そんな義母なりの宿命は理解可能なものの……
それにしても困惑するのが、そんな義母が施設内で「好きでもない人物達」と交友してストレスを溜め込んでいると、私に訴える事態だ。
保証人の私としては義母が内面に抱えている「恋愛好き」なる特質を理解しながらも、そうだとしたら他に選択肢もありそうなのに‥… と考えたりもする。 施設暮らしにして交友関係中心生活ではなく、自らの生き甲斐を優先する生活をする、等々。 そうして主体的に施設暮らしをしている人物も少なくないとケアマネ氏より伺ってもいる。
選択肢は他にもありそうなのに、何故好きでもない人物と敢えて交流してストレスを溜め込まねばならないのか?? その解答とは、義母がそもそも“他力本願”志向者であり主体性に欠けているせいだろう。
いや、確かに職場の人間関係等々個々人の実力のみでは融通が利かない場では、どうしてもストレスが発生せざるを得ない事実は私自身も過去に幾度も経験済みだが。
高齢者施設とは、それとは異質と捉えつつも…
確かに自身の身体が老化を遂げ、自分が欲していなかった(認知症状や耳の聞こえの悪さ等々)の不具合を抱え込む事とは、「好きでもない相手との交友」との“拷問”を強制される事態か!?! と多少納得できる気がこの私もして、背筋が寒くもなるなあ……
この「病院付添い」だがその実務の中核をなすのは、義母の“愚痴の聞き役”である。
昨日も義母の「病院付添い」業を果たしたのだが、私が施設へ到着するなり、いつもの事だが義母の“愚痴オンパレード”が開始する!
付添い側の私としては、とにかく早めに病院へ連れて行き、一人でも早い診察予約順番を確保したいものだ。
それに対し、認知症状が進み耳の聞こえの悪さも日々悪化する義母は、私が施設へ到着したことをとにかく喜ぶ。 待ってました!とばかり、心中に留めていた“愚痴”が、まるで「千と千尋…」の“顔なし”が食い漁った体内の汚物を全部吐き出すがごとく、排出し始めるではないか!
やむを得ない。 これも保証人の任務と心得て、とりあえず“愚痴テーマ”の一つを施設の母の部屋で聞く事とした。 それを5分程で聞き終えある程度義母を安堵させた後、やっと私は「お義母さん、病院へ急ぎましょう!」とけしかけ、部屋から出る事が叶った。
部屋から出て廊下で出くわしたのが、施設入居者の某女性だ。(後に聞いたのだが、この女性を義母が好んでいて、出来ればこの方とお付き合いしたいらしいのだが、相手が施設内で人気者らしくなかなか“お近づき”になれないとの事だ。)
そうしたところ、その女性が私の事を覚えて下さっていたらしく「お嫁さんでいらっしゃいますね?」と声を掛けて下さる。 私の方も記憶があり、「そうです、嫁です。 以前にもこの廊下でお目にかかりまたね。」と応えると、「今日は、お義母さんと何処かへ出かけられるのですか?」と問うて下さるので「はい、病院へ行きます。」と応えた。
その短時間の応答より判断して、私はこの女性が施設内で“人気者”である理由が直ぐに理解出来た。
要するに、ご高齢(90歳近いご年齢らしい)にもかかわらず実にしっかりされているのだ。 こういう“特殊な場”で人気者でいられる条件とは、頭脳明瞭で心身ともに充実し相手のことを慮れる素養を失っていない、との事だろう。
さて病院へ到着し受付を済ませ、待合場所で順番を待ち始めると、案の定怒涛のごとく義母の口から“愚痴”が吐き出て来る。
ただ今回ラッキーだったのは「検査」があったことだ。 その検査中は付添人立入り禁止との事で、私は義母の“お守り”から解放されたのだ! (これぞまさに我が娘幼き頃に病院へ連れて行った折にも、束の間でも検査中は看護師氏が泣き叫ぶ娘を預かってくれた事を思い起こす。)
その後、検査後の医師による診察までの待ち時間に義母の“愚痴オンパレード”が再開する。
そのテーマはいつも決まっていて、必ずや最初に出るのが「私は早く死にたい」である。 既に耳にタコが出来ている私だが、いつものように一応初めて聞くふりをして聞く。
ただ今回義母の訴えが少し“進化”を遂げているのを実感した。 義母曰く、「私はもう手術はしないの。 もし何処かが痛くなったら痛み止めは欲しいけど、その他の事はしない事に決めてるの。 とにかく早く死にたいの。」 (過去に、私がその種の“指導”を何気なくしたような気もするが……)
義母の“愚痴”はテーマを変えて続く。
「生きていても面白い事が無いし、あそこの施設で暮らしていても一人として好きな人がいない。 もう5年も暮らしていると周囲の皆が嫌になる。 」
そこで私が振って曰く、「さっき施設でお会いした女性など、良き方だと思いますけど」 直ぐに返ってきた義母の返答とは、「あの人は皆と仲良しなのよ。いつも入居者の誰かがそばにいて、私が入れる隙間がない。」
私見だが、「ははあ、分かった。」と私は内心ガッテンした。
要するに義母という人物とは、“自分だけ”に特化して付合ってくれる人物を高齢に達した今尚欲しているのだ。
それは、思い起こせば義母が昔からの「恋愛好き」である事実に遡るのだろう、と結論付けられるように私は考える。 恋愛とは二人の密室の世界だ。 その二人の世界が貫徹される程に他者が入る隙間が無くなる。 その1対1の関係に於いて、恋愛が激しく成就しているうちは二者関係にてすべての物事が進む世界と、私も若き時代の経験から認識している。
そんな世界を長年ずっと堪能して来た義母にとっては、高齢域に達した暁にも“自分のことだけを考えてくれる人”を求め彷徨わざるを得ないのだろう。
そんな義母なりの宿命は理解可能なものの……
それにしても困惑するのが、そんな義母が施設内で「好きでもない人物達」と交友してストレスを溜め込んでいると、私に訴える事態だ。
保証人の私としては義母が内面に抱えている「恋愛好き」なる特質を理解しながらも、そうだとしたら他に選択肢もありそうなのに‥… と考えたりもする。 施設暮らしにして交友関係中心生活ではなく、自らの生き甲斐を優先する生活をする、等々。 そうして主体的に施設暮らしをしている人物も少なくないとケアマネ氏より伺ってもいる。
選択肢は他にもありそうなのに、何故好きでもない人物と敢えて交流してストレスを溜め込まねばならないのか?? その解答とは、義母がそもそも“他力本願”志向者であり主体性に欠けているせいだろう。
いや、確かに職場の人間関係等々個々人の実力のみでは融通が利かない場では、どうしてもストレスが発生せざるを得ない事実は私自身も過去に幾度も経験済みだが。
高齢者施設とは、それとは異質と捉えつつも…
確かに自身の身体が老化を遂げ、自分が欲していなかった(認知症状や耳の聞こえの悪さ等々)の不具合を抱え込む事とは、「好きでもない相手との交友」との“拷問”を強制される事態か!?! と多少納得できる気がこの私もして、背筋が寒くもなるなあ……