原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今年何がしたいかと今更聞かれても…

2015年01月19日 | 時事論評
 この原左都子など、婚姻して子供を産む以前の長き独身時代は「自己実現」の夢とその実行意欲に溢れていた。 そのため、誰から「何をしたい?」と問われようが、いつ何時もそれに即答出来る人生を歩んでいたものだ。

 ところが残念ながら子を持つ親の身ともなれば、まずは我が子を健全に育てる課題が最優先となり“我が夢の実現”など必然的に二の次にならざるを得ない。 
 その後の時代を生き延び親族年寄りが要介護の身ともなれば、そのケアも第二の課題として優先するべく運命と相成る。

 今年私も初詣に行ったが、何をお祈りするとて、まずは私を取り巻く周囲親族の安泰を願わねば事が進まない事ぐらい我が責任感として承知済みだ。
 
 それに加えて、“神頼み”しても叶えたい事が私にはあった。
 昨年何より困惑したのは、予期せぬ転倒による両腕同時骨折(正確に言えば左鎖骨と右手首骨折)なる我が身に降りかかった負傷大参事である…
 (我が身を頼って生きている娘と亭主、義母実母が親族内に存在している身にして)両腕が自由に動かせない事態程辛く不自由だった事は未だかつてない。 それ故、今現在も私は地下鉄に乗り降りする階段を必ず手すりにつかまり転ばぬよう慎重に対応しているし、高いハイヒールはなるべく避けて不本意ながら少し低めのヒールを履く習慣が身に付いてしまっている。)


 要するに歳を重ねる事とは自分自身の「生き甲斐」のランクまでもが低レベルに落ちぶれざるを得ない事態なのか…  と、後ろ向きに考察していたところ、「そうだよ!」と解答されたも同然の朝日新聞“RANKING”の結果に遭遇した。

 2015年1月17日付朝日新聞 別刷「be」 「今年こそ実行したいことは? 『しなくちゃ』は続かず…」 の内容の一部を要約して以下に紹介しよう。

 (ここで私見だが、どうも朝日新聞愛読者とは高齢者層が多くを占めているようだ!??)

 朝日新聞ランキングを以下に記そう。
   1位   部屋の片づけ・掃除
   2位   ダイエット
   3位   旅行
   4位   病気をしない、治す
   5位   節約
   6位   貯蓄
   7位   筋トレ、ストレッチなど運動
   8位   間食を減らす
   9位   怒らない、切れない
  10位   散歩、ウォーキング

 そう思わざるを得ない程に、上記ランキングとは全てが(既に定年退職後の)年寄り趣味範疇を超えていないよねえ…

 そこで参考のため、11位以下にランキングされている事柄の一部も公開しよう。
  「読書」 「早寝」 「早起き」 「終活」  「語学の練習」 「禁酒、酒量減」 「資格を取る」 「仕事で実績を上げる」 「植木の手入れ」 「親孝行する」 「テレビ・インターネット・スマホを見過ぎない」  「人間ドックなど」  「料理・弁当を作る」  「稽古事の開始・技能向上」 「新聞を読む」 「音楽の練習」  「美容に励む」  「ジョギング」  「家事負担」 

 確かに中には若き世代の実行目標と思しき題目もあるにはあるが…

 それにしても、この国どうしてしまったのだろう???

 上記すべてが 「今年年始にしての願掛け項目」として貧弱過ぎやしないか!?
 これらの項目とは「今年掲げる夢・目標」と言うよりも、「自己の戒め」と表現するべき内容だ。


 最後に原左都子の私論に入ろう。

 一昔前には我が国にも、若き世代が「大きな夢」が描ける時代があったような気もする。
 ただ、それとて虚しくも朽ち果てざるを得ない世界・国内情勢と判断するべきかとも考える。
 夢を描く以前の問題として、科学がある程度発展した現世に於いては現実を捉えるべく思想が優先されざるを得ない時代へと移り変わったとも考察出来よう。

 そうした場合老若男女にかかわらず、一番優先するべきが確かにミクロ観点の我が身息災「命乞い」とならざるを得ない国内及び世界情勢なのだろう。

 それを誰が救えるかと考察を拡大してみても誰もこの世を救えないなる結論に達するならば、人は皆、我が身に備わっているDVA由来行動として誰しも我が身(及び親族)を救う行動に出るのは生命体にとって必然性があるのかもしれない。


 そんな世のアプリオリの自然発生的必然に翻弄されつつも、私は我が身に将来必ず訪れるであろう論理創造的必然に期待しつつ、自分の本来の夢を今一度開花するべく希望を描き続けたいものだ。

20年前の大震災のあの日

2015年01月17日 | 時事論評
 1995年1月17日。  未曽有の大災害 「阪神・淡路大震災」が勃発した20年前のあの日の我が家の1日を、私は鮮明に記憶している。


 冒頭から私事を語るが、1993年4月にお見合いにて晩婚に至った私が、同年11月に娘を超難産帝王切開緊急手術にて産んで未だ1年少し後の頃だ。

 どうも我が家は婚姻以前より様々な事情で混乱を来していた。
 見合い結婚当初に(義母の勧め及び一部資金援助により)購入した(当時としては先駆的存在だった)超高層タワー新築マンションの購入及び入居に当たり、購入以前より身内及び義母と私の考えに隔たりがあった。
 私側の希望としては、住居とは「住み易さ」こそ優先するべきであるとの観点から、当初より“タワー物件の住み心地”に関して疑問符を提示していた。  更には義母が当該物件の共有者として不動産登記簿上名を連ねる事に関して、先々の我が一家の未来にまで思いを馳せ反対の立場を貫いていた。 
 にもかかわらず、結局は義母のたっての希望(体裁重視)によりタワー物件購入が決定した。 片や、共有者として義母には身を引いて欲しいとの私側の願いは叶えられ、一部の資金について当時教員をしていた私名義で住宅ローンを組むとの結論が導かれた。 (要するに、義母の資金援助はあくまでも息子である亭主への援助として片が付いた。)
 それは良かったのだが、案の定“タワー物件”とは様々な意味合いで住み心地が悪い。 入居して以降それを主に訴えたのが亭主だった。 息子である亭主に対し甘い義母はそれに同意して、「ならば早いうちに買い替えましょう」との提案を亭主にしていたようだ。
 そうこうしているうちに、我が子が超難産の末に多少の事情を抱えて誕生した。 出産間際に教員を退職していた私は、その後集中的に娘のケアに当たれたのは幸いした。 それでも、何だか重苦しい空気感が我が一族に漂う中、娘は娘相応に1歳の誕生日を迎えていた。  その頃には、既に当時の我が家である“タワー物件”を売却し住居を買い替える方向で一族が動いていた。

 そして、20年前の1995年1月17日。
 1歳2ヶ月間近の娘はまだ歩行が叶っていなかった。  それでも誕生日頃にやっと“はいはい”をし始め、何とか人間らしい動きがままなった事実に私も亭主も親として、それこそ目に入れても痛くない程可愛い娘を堪能していた頃だ。

 その日の昼前頃に我が家にやって来たのが、不動産会社担当者氏である。
 我が家を訪れるなり開口一番発したのが、「関西の方でとてつもない地震が起きて死者が300人程出ているようです!」
 その一言が衝撃的だった思いが、今尚我が脳裏に鮮明だ。
 何せ、テレビをほとんど見ない私である。 当日朝もテレビを付けておらず、阪神地方大震災ニュースを不動産会社担当者氏よりの話で初めて認識したのが事実だ。 早速テレビを付けて詳細を確認したいものの、来客は不動産売却商談のために来ているためそれはままならない。
 (ここで余談だが、我が娘は自宅に来客があるといつも喜んでいた事を思い出す。 誰が我が家を訪れようが、それを歓待するべくニコニコ上機嫌だったのが母の私としては大いに助かったものだ。 この子、出生時の事情さえなければ元々社交的な性分なのかもしれないと今も感じるのだが…)

 とにもかくにも不動産会社担当者とタワー物件売却商談をまとめた後、私は急いでテレビのスイッチを入れた。


 その映像を一見して、私は“”この世も終わりか…”との絶望感を抱かされた。
 想像だにしない映像、また映像の繰り返しである… 
 高速道路は倒壊しているし、その後のニュース報道及び映像によれば長田区なる町は街全体が火災による火の海だ… 
 これは到底、死者300人どころか何千人規模の大震災と思い知ったものだ。

 その後、我が郷里(神戸・淡路の対岸に接している四国の一地方)へ電話にて連絡を入れたところ、現地では最大限震度4程度の揺れで心配ないとの母の談話だった。
 更には米国在住の姉(一時大阪の大学へ通っていた)よりも電話があり、「阪神地方で巨大地震が発生したと聞くが大丈夫か!?」との質問だ。 「恐らく数千人の死者が出ている」と返答しておいた。

 そんなこんなで20年前の1月17日とは我が国に歴史的未曽有の大震災が降りかかった一日として、我が脳裏に生々しいまでにその記憶が刻み込まれている。


 最後に私論を語ろう。

 世界中には様々な未曽有の惨事が勃発するのが常識と化している今の時代だ。
 それら惨事の中でも戦争等(宗教闘争を含め)人為的に勃発した惨事に関しては、必ずやその背景に「悪人」(政治上、宗教上の犯罪人)が存在する事実を世界人民は既に認識している事であろう。

 それに引き換え、自然災害とは「悪人」が特定不能なのが辛いところではあるまいか??
 ところが自然災害に関しても、必ずや「悪人」が特定されるべく時代へと移り変わっていると私は理解している。
 科学の発展を底辺から支えるべく科学者達が、「阪神大震災」も「東日本大震災」もそれが勃発した後にやっと遅ればせながら分析体勢に入ってどうする!!? 
 少なくとも「阪神大震災」を教訓として大都市被災者難民避難対策を考慮するべきだったにも関わらず、2011年3月東日本大震災時に何らのフィードバックが無かったのを私は憂える。  
 これからの時代は、科学者達が科学者たる自己証明として“大震災”勃発前に災害を予知し、発生後にも速やかに対応が取れる体制作りを目指すべく、もっと積極的に動くべきだ。 
 そして政権も大震災発生後にやっと後手後手に対応に回るのではなく、自ら率先して頭脳を働かせ、来る大災害に向けて対応可能な人材を育成しておくべきである。

 とにもかくにも、「阪神・淡路大震災」発生より20年を迎えた地域住民皆様の今後の更なる復興と幸福を、心よりお祈り申し上げます。

今時「箱入り娘」が何らかの役に立つの?

2015年01月14日 | 時事論評
 「女子アナ」ねえ…
 今の時代、大学のミスコンにて優勝を勝ち取る事が「女子アナ」への登竜門とも見聞するが…

 私の場合、「女子アナ」に成りたいなる夢を描いた事自体、ただの一度もない。
 更には「女子アナ」こそが“勝組”などとの発想が全くないどころか「銀座のホステス」の方がよほど職業ランクが上じゃないの~?? と考えていた矢先に、巷でそういう事件(?)が発生したようだ。


 何でも昨年11月に、アナウンサー志望だった女子学生が銀座のホステスアルバイトをしていた事が放送局にバレて内定取り消し措置が下され、その後、内定取り消しが撤回されたとの事だ。 
 その女子大生とは自らが上記ホステスアルバイトに関して採用側放送局へ自己申告したとの事だが、何ともくだらない事で人騒がせなこの女性が如何なる人物かに関して興味を持ち、ネット上で少し調査してみた。
 そうしたところ上記女子大生も冒頭記述の例外ではなく、某大学にて「ミスコン」優勝を勝ち取っているらしい。 加えて、当該女性の画像がネット上で氾濫している事実のようだ。

 しかも、上記「女子アナ内定取消し」をめぐるネット情報がごまんと溢れている。
 以下に、その一つを紹介しよう。
 「女子アナの内定取消し」をめぐって地位確認請求、「法廷闘争」という前代未聞の事態…
 昨年9月に同社のセミナーに参加し、今後他社への就職活動をしないことを条件に内定通知を受けた。
今年3月、過去に銀座のクラブでアルバイト(3ヶ月)していたことを人事担当者に報告  4月に人事部長から「内定取り消し」を伝えられ、辞退を求められるも笹崎里菜さん(当該女子大生の実名)は拒否  5月 人事局長名で「アナウンサーに求められる清廉性にふさわしくない」とする書面が届く  8月、笹崎里菜さんのブログ記事が全て削除される。 9月 FRIDAYに『研修の厳しさに嫌気が差し、日本テレビの内定を辞退した』という記事が出る  11月 笹崎さんが内定取消の取消を求め日本テレビを告訴  第一回口頭弁論で日本テレビ欠席、争う姿勢
 (以上、ネット情報より一部を要約して紹介したもの。)

 ここで一旦原左都子の私論だが、この事件、分野が異なれど何だか「小保方氏STAP不正事件」を彷彿とさせる空気感を私は抱いた。
 おそらく女子アナ志望の笹崎氏も、小保方氏同様に“実家が裕福”な故に、採用側の日本テレビを相手取って訴訟が起こせる程の経済力を保有しておられるのであろう。  それは幸運だったとしても、一体全体この女性に「女子アナ」としてどの程度のレベルの素養が備わっているのかが分かりにくい。 
 小保方氏の場合、(ご実家の経済力や縁故力故に)本人から記者会見を開催した(してしまった)事で、科学者として大いなる欠陥を抱えている事実を晒し墓穴を掘り、日本中に恥を晒した事は国民の皆さんも記憶に新しいことであろう。 
 それでも日本テレビは笹崎氏を採用すると言うのだから、後は私の知った事ではない。 


 この「事件」に関しては、様々な見解が交錯している。

 その中から、「女子アナ」先輩であられる現在42歳某テレビ局アナウンサー氏のご意見を紹介しよう。
 内定取り消し騒動では『高度の清廉性』という言葉が注目されたが、それを聞いて「局アナが特別に清廉潔白な仕事だとでも?」と白けた気持ちになった人は少なからずいるだろう。  お利口で清楚で、だけどおっちょこちょいで親しみやすい… そんな男性視聴者のさまざまな欲望を満たす存在として女子アナは扱われ、ひとつの「マーケット」として成立している。いってみれば「箱入り娘プレイ」です。プレイですから、テレビ局側も視聴者も、その存在が作られた「ウソ」であることをわかっていて、お互い暗黙の了解の上で楽しんでいる。
 ところが、ホステスというプロの接客業の経歴の持ち主がなってしまったら、「ウソ」が崩れてしまい、そのプレイが成り立たなくなってしまう。それが今回の騒動の根底にあると思う。
 しかし、「箱入り娘プレイ」がしょせんプレイでしかないことを視聴者は知っているんだから、今さら女子アナにお題目としての「高度な清廉性」を求めなくてもいいのではないかと思う。
 世間が思う「女子アナ」とは「出たがり会社員」といったところだろう。 それは本当だし、ちっとも悪いこととは思わない。 出演者は出たがりでないと務まらない。ちゃんと原稿が読めていい仕事ができるなら、それでいいじゃないか。
 自分の身内にするなら箱入り娘を、という“オヤジ”の理屈で人を選ぶのではなく、プロとして箱入り娘を演じ切れる技術があればいい、というほうがよほど現実的だ。 
 視聴者もとっくに気づいている女子アナの幻想は、それで萌える一部のオヤジのためにあるだけ。これを機に「もう、このプレイいらなくない?」と言っていいと思う。
  (女性セブン2015年1月22日号記事よりのネット情報を引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 「女子アナ」大先輩であられる某テレビ局のアナウンサーさん、貴重な内部告発に感謝申し上げたい思いだ。
 申し訳ない事には私はテレビ嗜好でなく特に普段民放を滅多に見ないため、世に言う「女子アナ」とは皆概して“低能馬鹿”かと思っていた事をお詫びしたい。 42歳になられて未だアナウンサーの地位を失っていない貴女の立場として、「女子アナ」の(ある意味でみすぼらしい)現状と今後の在り方をここまで分析されている事実に脱帽感すら抱く。
 貴方がおっしゃる通り、アナウンサーとはまずは明瞭な声ときちんとした発音で「原稿を読んで欲しい」と考えている私にとってのアナウンサーの力量とは、それだけで必要十分だ。  私は決して“オヤジ”ではないためまさにアナウンサーになど、それ以上何も期待していない。

 表題に記した通り、今時は「箱入り娘」なる言葉は既に死語化していると私は捉えている。

 もしも今回の日テレ「女子アナ」採用内定取消事件に際して、結局笹崎さんが“親の経済力”にて内定取消無効訴えを起こしたとすれば、それは「箱入り娘」の範疇以外の何でもなく、決して原左都子として支持できる訳はない。

 今時「箱入り娘」など、これ程に混乱状態の世に於いて何らの役にも立たない事実を今後の自らの日テレアナウンサー経験で体感出来たならば、貴方こそが(親の金力で)訴訟を起こしてまでも勝ち取った「女子アナ」との職務を最大限全うするべきだ。

 (もしもご本人が“銀座のホステス”こそ適性があったと実感出来るのなら、それを「天職」として貫けば済む事と私はアドバイスしたい気もする。)

面倒臭い奴

2015年01月12日 | 自己実現
 表題に掲げた 「面倒臭い奴」 とはどういう奴かに関して、冒頭から解説しよう。

 例えば職場で飲み会が開催されるとする。 それに参加したくはないが誘って欲しい。
 それで、とりあえず誘いのお声が掛かるのを待つ。 ところが誘いが来ないと腹を立てる。
 ラッキーにも誘いがあった場合、とりあえず断る。 その時相手に「そうですか」と簡単に引き下がられるとまた腹を立てる。
 結局行きたくないから飲み会には出席しなかったところ、翌日職場で昨夜の飲み会の様子を周囲に楽しそうに談話されるとまたもや腹を立てる。
 あるいは嫌々ながら飲み会に出席したとする。 自分の居場所が無く隅っこでうじうじしているのに誰も気付かず、そんな自分を無視して盛り上がっているのにも腹を立てる。 仕方がないから先に帰ろうとするのを誰も引き止めない事にも腹を立てる。
 こういう人物を 「面倒臭い奴」 と世間では言うそうだ。 

 早速、原左都子の私見だが、これ確かに周囲にとっては「面倒臭い」事には間違いないが、要するに本人自身は単に周囲に甘えたいのに加えて、自分をおだてて欲しいだけの幼稚な人間とのことだよねえ~~??


 上記「面倒臭い人間」に関する談話を、私は先週放送された民放テレビ番組にて視聴した。

 自分こそが「面倒臭い人間」だと、昼間の時間帯に放映されている民放テレビにて公開したのは、劇作家・脚本家・映画監督であられる三谷幸喜氏だ。

 この人の事を、私も知っている。 裏舞台で活躍する立場の職種にしてはテレビの表舞台にも登場して、まるでタレントのごとく私事をよく語っている人物だ。 朝日新聞にも長年コラム欄を担当している事も承知している。
 それ故に三谷幸喜氏の人柄に触れる機会が無きにしも非ずなのだが、私の印象としては、三谷氏が「面倒臭い奴」である事を以前より承知していた感覚だ。  
 三谷氏には大変失礼かつ申し訳ないのだが、「この人、“小心者”にして、随分と活躍している人だなあ。」との印象を私は持ち続けていた。

 そうしたところ、先週の民放テレビにての「自分は面倒くさい人間である」との談話により、その人物像が私の脳裏で繋がった。
 やっぱりそうだよねえ。 この人、結局周囲に甘えつつあくまでも自分を“他力本願に”盛り立てて欲しい人物に間違いなさそうだ。
 天下の地位を築いている三谷幸喜氏にして、何も自分から「飲み会」を開催して僕(しもべ)の皆を誘い、「自分が大将だ!」と宣言すれば済むものを…


 既に世の成功を勝ち取っておられる人物が、何故に僕からの盛り立てに期待しているのかを分析したく思い、私は三谷氏に関する情報をウキペディアを通して検索した。 以下のその一部を紹介しよう。

 三谷 幸喜(みたに こうき、1961年7月8日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、俳優、映画監督。
 東京都世田谷区出身。世田谷学園高等学校を経て、日本大学藝術学部演劇学科卒業。 大学在学中の1983年、劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成。初期には「一橋壮太朗」の芸名で自ら役者も務めていた。この時期には、テレビ朝日の深夜番組『ウソップランド』で視聴者からの映像作品を募集する「チャレンジビデオコーナー」へ自ら制作した作品を投稿し、それが採用されて放送されたこともあった。 演劇学科の3年後輩の太田光は、「三谷さんは学生の頃から、すごい人気者だった。日本大学のヒーローだった。」
 (以下、略。)


 最後に、原左都子の私事及び私論で締めくくろう。

 なるほど、分かる気がする。
 三谷幸喜氏とは、日本大学芸術学部との(たかが学生時代に)既に人気者であり、(狭き世界である)日大のヒーローだったとの記述に私は納得した。

 若き時代に自分を肯定してくれる周囲環境を経験すると、その評価が高ければ高い程に、それこそが自分に対する「一生に渡る評価」と勘違いしてしまう事実を、我が過去の人生に於いても経験したような気がする。

 ただ私の場合は幸いな事にその記憶が脳裏に刻ま込まれてしまう事実を冷静に捉えられるべく、後々学問に励み、我が脳内を整理し直せたように振り返る。
 それに加えて、自分の意思は自助努力でコントロールするべきとの感覚も自分自身で繋いで来れたのがよかったと振り返る。

 出たくもない「飲み会」になど出ない!と最初から宣言するのが一番である事には間違いない。
 何故、三谷氏が“それでも”出たくない飲み会に周囲から誘って欲しいのかと考察するならば、その我が儘が通用する恵まれた環境下に現在地位を築いておられるからに他ならないであろう。

 今後一生に渡り三谷幸喜氏が(近き周辺人物から見て)「面倒臭い人間」としての人生を欲し、それが叶い続ける自信がおありならば、それで十分との話だ。 

道に迷えば見知らぬお年寄りの人情に出逢える…

2015年01月08日 | 時事論評
 七草粥を食する節句日(「1月7日は人日(じんじつ)の節句と言われているそうだが)の昨日、私は遅ればせながら新年の初詣に出かけた。

 何故初詣がこれ程遅くなったかの一番大きな理由は、我が家に程近い場所に位置する神社が(その所以は心得ていないのだが)とにかく毎年初詣の時期はゲロ混み状態の人気神社だからだ。

 都心にして閑静な住宅地の中にひっそりと佇む小規模神社であり、周囲の住民人口も多くない。 なのに何故これだけの人また人が長蛇の列(元旦などその列が道路に沿って1km以上続くし、3が日が開けてもまだ参拝の列に並び順番待ちをしないと神社に入れない程)を成してまでこの神社へ初詣をするのかをそのうち知りたいとは思っている。

 私はあくまでも混雑を避けたいとの理由で昨日になってやっと当該神社を訪れたところ、さすがに順番待ちはせずに済んだが、この時期にして未だ絶え間なく参拝者が訪れている。
 参拝後、昨年は引く事がままならなかった「おみくじ」の札が入った竹筒をリズミカルに何度も振って引くと、「第八番 中吉」 と出た。 
 その内容をじっくりと読んでみたところ、なかなかの運勢のようだ。  「吹く風に 沖辺の波の 高けれど 心静けさ 我が港かな」   なるほどねえ。 世界情勢も国内情勢も、そして我が家の情勢もまだまだ高波が押し寄せるだろうが、私こそが心静かに落ち着いて行動すれば幸多かれ、と我が身息災に解釈し、そのおみくじを木には結ばず鞄の中にお守り代わりに入れた。

 その後義母の財産管理に係る所用等があり銀行を訪れねばならず、神社から隣の駅まで徒歩で向かう事とした。
 我が土地勘によりある程度その道のりを把握していた(つもりだった)にもかかわらず、どうやら道に迷ってしまったようだ。 それでも方角感覚だけは正しいと信じその道を突き進んだところ、(我が脳裏にある)地図上の方向とはまったく異なる地名の街に出てしまった。
 これはもしかしたら、とんでもない遠方へ歩いてしまったのか??  こういう場合には人に道を尋ねるしかない。 それにしても、閑静な住宅街にして自転車はスピードを上げて歩道を“そこどけ!”とばかりに徒歩の我が横をすり抜けるものの、誰一人として人が歩いていないではないか。 あっ、やっと工事現場で作業している人を見つけた。ただどう考えてもこの人地元の人じゃないなあ…  そうだ!コンビニで道を聞こう。でも、大の大人が何も買い物せずして道だけ尋ねるのも気が引けるしねえ… 

 そうこうしているうちに、逆方向から歩道を歩いてくるお年寄り女性を発見した! この人こそが我が道先案内人!と標的を定め、「すみませんが○○駅までの道順をご存知ですか?」と尋ねた。


 ここから今回エッセイの本題テーマに入る。

 
 そうしたところその高齢女性がおっしゃるには、「私は今散歩中ですが、ちょうど家へ帰る途中に○○駅がありますので、ご一緒しましょう。」 そのお言葉は有り難いものの、お年寄りのご迷惑を考慮して私曰く、「それはとても嬉しいのですが、駅はここから近いのでしょうか?」 お年寄り曰く「直ぐ近くです。私もちょうど話し相手が欲しいところでした。」
 現在義母実母両人の面倒を看ている私にとって、お年寄りの相手は“お手の物”だ。 よし、“話し相手”が欲しかったとおっしゃる行きずりのお年寄り女性の“お相手”を務めながら駅へ向かおうと志した!

 ところがどっこい、この女性意外と言葉少ない方でいらっしゃる。 そこでこちらから個人情報に配慮しつつそれとなく会話を持ち出すと、そこそこ丁寧に応えて下さる。  一応70代の女性である事を聞き出した事実と、この女性の徒歩力が素晴らしい(私が無理してゆっくり目に歩調を合わせずして同じ速度で歩ける体力を有しておられた)事を勘案し、我が義母実母よりずっとお元気なお年寄りと結論付けたのだ。

 それにしても、当該女性が「○○駅はすぐ近くです」とおっしゃったにもかかわらず、道案内道中にかかった時間は15分程と決してすぐ近くではなかったのが印象的だ。
 女性はきちんと私を駅の近くまで案内下さり、「私は左を曲がって家へ帰りますが、貴女はどうされますか?」と別れ際にさりげなく尋ねて下さる。 「これから駅近の銀行へ寄って、その後○○スーパーで買い物をしてから電車に乗って自宅へ帰ります。」と応えると、ニコニコ笑顔で左側の自宅方面へ向かわれた。 その笑顔が嬉しくて、私は「また偶然道でお会いできるといいですね!」と返しつつ銀行へと向かった。

 私見だが、上記の高齢女性は口では「ちょうど話し相手が欲しかった」と言われたが、その真実とは(誰でもいいから短時間でいいから)「横に並んで一緒に歩いてくれる人が欲しかった」のではなかろうか? と私は考察するのだ。(おそらく一人暮らしをされている方と推測するが。)
 我が義母・実母のごとく平均寿命が近づき多少痴呆が混ざって来た年齢ではなく、まだまだ日々散歩が叶う脚力も、見知らぬ相手に失礼なく対応可能な能力も完備されておられる。
 それでも、行きずりの私に「話し相手が欲しい」なる言葉を発してくれる事実を嬉しいと思う反面、どうしてもこの国の社会保障制度不備状態に目を向けざるを得ない。


 時を同じくして、朝日新聞夕刊1月6日付記事 作家 池澤夏樹氏による 「隣人と認め合う努力 一緒に行きましょう」 なるエッセイを発見した。
 (昨日まさに私など隣人である地域住民高齢者女性と偶然出逢え、一時認め合えて駅まで一緒に行けた感覚だが… )

 それでは、上記池澤夏樹氏によるエッセイの後半部分から一部を以下に紹介しよう。
 我々日本人はまこと幸運だった。 古代、日本語という一つの言葉のもとに国の体制を作ってから1945年の敗戦に至るまで異民族支配を知らないで済んで来た。 世界史年表をいくらみてもこんな国はない。
 片や大陸では国境線とは勢力によって自在に動くものだ。 民族との概念は一方で結束によって力を生み、他方で敵対関係を作る。 
 我々日本人は、そんな事を何一つ知らないままやって来れた。 自分達と異なる人と接する訓練をしてこなかった。
 (池澤様、大変申し訳ございませんが、今回原左都子の都合のいい部分のみ引用させて頂いた事をお詫び申し上げます。


 最後に私論に入ろう。

 昨日偶然出会えた70代高齢者女性は、幼き頃に戦中を生きて来られた人物であろう。 おそらく、その世代の日本民族とは皆同じイデオロギーの下にこの国を支えつつ、皆が同じ価値観で行動してきた(ご本人の意思によらずとも)と判断する。
 だからこそ見知らぬ私が突然道を尋ねたにもかかわらず、ご婦人は好意的に反応して下さったのではなかろうか?  その認識とは日本国民が異種民族知らずに歩んで来た道程の一端であり、私とて喜んでその思いに応えたいものだ。

 ところがこの国の国民達は、一体いつから(一部を除き)民族差が無いとも言える国民同志で“人と接する事”自体を億劫と捉え、回避し始めたのか?
 この国に於いて「人間関係の希薄化」が加速し始めたのは今に始まった事ではない。
 同種民族がほとんどの日本国内に於いて、何が原因でこの国の「人間関係希薄化」がこれ程までに蔓延ってしまったのか?? 

 それを結論付けられてこそ、現政権が国内・国外関係なく有意義な国際政策を初めて打ち立てられると私は信じるのだが…
 我が国が高度経済成長期以降歩んだ“平和ボケ”国民性を解消せずして、更には(特に行きずりの)人とかかわらない人種を増産してしまった過ちを国政が反省せずして、真の「平和」がこの国に訪れるすべもないであろうに…。