原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

20年前の大震災のあの日

2015年01月17日 | 時事論評
 1995年1月17日。  未曽有の大災害 「阪神・淡路大震災」が勃発した20年前のあの日の我が家の1日を、私は鮮明に記憶している。


 冒頭から私事を語るが、1993年4月にお見合いにて晩婚に至った私が、同年11月に娘を超難産帝王切開緊急手術にて産んで未だ1年少し後の頃だ。

 どうも我が家は婚姻以前より様々な事情で混乱を来していた。
 見合い結婚当初に(義母の勧め及び一部資金援助により)購入した(当時としては先駆的存在だった)超高層タワー新築マンションの購入及び入居に当たり、購入以前より身内及び義母と私の考えに隔たりがあった。
 私側の希望としては、住居とは「住み易さ」こそ優先するべきであるとの観点から、当初より“タワー物件の住み心地”に関して疑問符を提示していた。  更には義母が当該物件の共有者として不動産登記簿上名を連ねる事に関して、先々の我が一家の未来にまで思いを馳せ反対の立場を貫いていた。 
 にもかかわらず、結局は義母のたっての希望(体裁重視)によりタワー物件購入が決定した。 片や、共有者として義母には身を引いて欲しいとの私側の願いは叶えられ、一部の資金について当時教員をしていた私名義で住宅ローンを組むとの結論が導かれた。 (要するに、義母の資金援助はあくまでも息子である亭主への援助として片が付いた。)
 それは良かったのだが、案の定“タワー物件”とは様々な意味合いで住み心地が悪い。 入居して以降それを主に訴えたのが亭主だった。 息子である亭主に対し甘い義母はそれに同意して、「ならば早いうちに買い替えましょう」との提案を亭主にしていたようだ。
 そうこうしているうちに、我が子が超難産の末に多少の事情を抱えて誕生した。 出産間際に教員を退職していた私は、その後集中的に娘のケアに当たれたのは幸いした。 それでも、何だか重苦しい空気感が我が一族に漂う中、娘は娘相応に1歳の誕生日を迎えていた。  その頃には、既に当時の我が家である“タワー物件”を売却し住居を買い替える方向で一族が動いていた。

 そして、20年前の1995年1月17日。
 1歳2ヶ月間近の娘はまだ歩行が叶っていなかった。  それでも誕生日頃にやっと“はいはい”をし始め、何とか人間らしい動きがままなった事実に私も亭主も親として、それこそ目に入れても痛くない程可愛い娘を堪能していた頃だ。

 その日の昼前頃に我が家にやって来たのが、不動産会社担当者氏である。
 我が家を訪れるなり開口一番発したのが、「関西の方でとてつもない地震が起きて死者が300人程出ているようです!」
 その一言が衝撃的だった思いが、今尚我が脳裏に鮮明だ。
 何せ、テレビをほとんど見ない私である。 当日朝もテレビを付けておらず、阪神地方大震災ニュースを不動産会社担当者氏よりの話で初めて認識したのが事実だ。 早速テレビを付けて詳細を確認したいものの、来客は不動産売却商談のために来ているためそれはままならない。
 (ここで余談だが、我が娘は自宅に来客があるといつも喜んでいた事を思い出す。 誰が我が家を訪れようが、それを歓待するべくニコニコ上機嫌だったのが母の私としては大いに助かったものだ。 この子、出生時の事情さえなければ元々社交的な性分なのかもしれないと今も感じるのだが…)

 とにもかくにも不動産会社担当者とタワー物件売却商談をまとめた後、私は急いでテレビのスイッチを入れた。


 その映像を一見して、私は“”この世も終わりか…”との絶望感を抱かされた。
 想像だにしない映像、また映像の繰り返しである… 
 高速道路は倒壊しているし、その後のニュース報道及び映像によれば長田区なる町は街全体が火災による火の海だ… 
 これは到底、死者300人どころか何千人規模の大震災と思い知ったものだ。

 その後、我が郷里(神戸・淡路の対岸に接している四国の一地方)へ電話にて連絡を入れたところ、現地では最大限震度4程度の揺れで心配ないとの母の談話だった。
 更には米国在住の姉(一時大阪の大学へ通っていた)よりも電話があり、「阪神地方で巨大地震が発生したと聞くが大丈夫か!?」との質問だ。 「恐らく数千人の死者が出ている」と返答しておいた。

 そんなこんなで20年前の1月17日とは我が国に歴史的未曽有の大震災が降りかかった一日として、我が脳裏に生々しいまでにその記憶が刻み込まれている。


 最後に私論を語ろう。

 世界中には様々な未曽有の惨事が勃発するのが常識と化している今の時代だ。
 それら惨事の中でも戦争等(宗教闘争を含め)人為的に勃発した惨事に関しては、必ずやその背景に「悪人」(政治上、宗教上の犯罪人)が存在する事実を世界人民は既に認識している事であろう。

 それに引き換え、自然災害とは「悪人」が特定不能なのが辛いところではあるまいか??
 ところが自然災害に関しても、必ずや「悪人」が特定されるべく時代へと移り変わっていると私は理解している。
 科学の発展を底辺から支えるべく科学者達が、「阪神大震災」も「東日本大震災」もそれが勃発した後にやっと遅ればせながら分析体勢に入ってどうする!!? 
 少なくとも「阪神大震災」を教訓として大都市被災者難民避難対策を考慮するべきだったにも関わらず、2011年3月東日本大震災時に何らのフィードバックが無かったのを私は憂える。  
 これからの時代は、科学者達が科学者たる自己証明として“大震災”勃発前に災害を予知し、発生後にも速やかに対応が取れる体制作りを目指すべく、もっと積極的に動くべきだ。 
 そして政権も大震災発生後にやっと後手後手に対応に回るのではなく、自ら率先して頭脳を働かせ、来る大災害に向けて対応可能な人材を育成しておくべきである。

 とにもかくにも、「阪神・淡路大震災」発生より20年を迎えた地域住民皆様の今後の更なる復興と幸福を、心よりお祈り申し上げます。