原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

何を心の拠り所として生きているのか理解に苦しむ相手

2014年08月11日 | 人間関係
 人間も還暦近くまで生き延び世を渡っていると、多様な人間の様々な人生模様が我が「心理眼」を通して見えて来て感慨深い思いだ。

 ところが人間観察力が鋭い原左都子にして、最初のご対面から縁が切れる最後の最後まで「この人の心の拠り所とは一体何だったのだろう?!?」、なる不可思議感を抱かされる相手に対峙させられる運命に最近遭った。


 今回のエッセイは、前回のエッセイ 「『腹が立つ』感情とは世の進化のきっかけともなり得る」 の続編の形となる。

 前回綴ったエッセイ内で、私は以下の記述をした。
 切羽詰まって私自身が穏やかに生きたい! と志ざさねば我が身が持たない程の非情な運命に陥ったのは、自己所有不動産物件の「賃借人選択」において大失敗をしでかしたからに他ならない……  6カ月間で150万円に上る損失を計上した挙句、手塩にかけて育てて来た我が賃貸物件を売りに出し、不動産貸付業廃業に追い込まれた私にとっては、相手に対して「腹が立つ」云々よりも……
 (以上、当エッセイ集バックナンバーより最後の部分を引用。)

 実は上記の後、私が本心から記したかった文章を以下に再現するならば……
 「相手に対して腹が立つより何よりも、相手人物の人生観の程がどうしても理解し難い。」と言うことだ。
 
 この人物とはたった6カ月間の付き合いだったのに加え、そもそも「賃貸借物件の賃貸側と賃借側」とのあくまでも“法的な上下関係”のみであるはずだった。
 ところが仲介不動産会社の力不足にもよるのだが、どういう訳か賃貸人の立場である私が直接この人物と6カ月間に渡り、対峙せねば事が運ばない運命と相成った。

 
 (個人情報保護法に準拠し、言葉を選びつつの公開だが。)
 相手方賃借人女性が入居当初、不動産仲介会社を通じてオーナーである私に要求していきたのは、「風呂の排水が悪いのでそれを修理して欲しい」との依頼だった。 これに関しては前回退室した賃借人氏よりも情報を得ていたため、当然ながらオーナーの私としては前賃借人退室後のリフォーム時に私なりのその対策を最大限取った。
 その旨を仲介会社を通じて伝えたにもかかわらず、新賃借人氏から入居直後にクレームがついたのだ。 
 新賃借人氏曰く、「こんな老朽化した物件を賃借人に貸した責任を、オーナーがどうとるのか!?」
 (嫌ならとっとと出て行けよ! あるいはもっと高い賃貸料払って築年数が新しい物件に住めば済む話だろ?こんな古マンションにしか住めない身で偉そうに難ぐせ付けて来るなよ!)と喉元まで出かかっているのを抑えつつ、そんな賃借人の苦情に応じ、私はなけなしの金を叩いて修繕工事及び工事中のホテル補償等々の金銭補償を法律に基づき実行し続けた。 
 (その一方、どうやら今回の賃借人とは「金を積めば」静かになるタイプの人物像である事を、私が早期に把握出来たのがその後の打つ手の明るい兆しだった事には間違いないのだが……)

 そんな賃借人氏の(歪んだ)人物像に触れる過程で、オーナー側の私が結論を出したのは、我が所有賃貸物件を売却するとの決断だった。
 今後このまま現賃借人氏と下手にかかわり続けたとて、ますます増額すると予想される“理不尽な”修繕費用や補償額に耐え続けるよりも、我が身の安全を確保する目的で“とっとと物件を売却して”賃借人氏と縁を切るに限る!との思い切った方策だった。
 そして売却最終段階である引き渡し決済を、一昨日実行したとの事だ。


 それにしても未だに理解し兼ねるのが、我が賃貸所有物件入居者氏とは、私とほぼ年齢が変わらぬ還暦近い一女性だったことだ。
 離婚経験がある方のようだが、現在は単身の身で正社員として民間企業に勤務されつつ、我が賃貸マンションに程近い場所にお住まいのお母上様の面倒も見たいとのご意向で、この地に引っ越されたらしい。

 我が身に置き換えて考察するに、私と同じくらいの年代で年老いた親の面倒も見ているのならば、ここは自分の借り住まいである住居に関して問題を起こさず静かに暮らした方が、親御さんも安心かとも考えるのだが…
 あるいは(ご自身曰く)正社員期間が長いらしいが、それならば相応の蓄えがあっておかしくないはずだ。 賃貸物件のオーナーに難ぐせつけてせせこましく金を巻き上げるよりも、その蓄えを有効活用して、老後に入る前に新たに自己所有物件を買い求める方が法的によほど自由な身が保障されるし、ずっと得策ではなかろうか!?

 ところが、我が所有物件賃借人氏の行動はまったく違った。
 入居後6ヶ月間に渡りオーナーである私にクレームをつけ続け、(自分はここに住み続ける!)との賃借人とての権利を主張し果てた。

 それに耐えきれず、賃貸借物件オーナーである私が(表向き)「敗北」した事実に、この賃借人氏は心底満足しているのであろうか?? 
 (何だかそうではなく、この人、今後一体如何にこの世を生き延びるのかに関して他人事ながら“もの悲しい”孤独感が漂う中、入居人共々物件を売却した私なのだが……)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 この世で展開する人間関係は、まさに多種多様だ。
 そんな人間関係を実行する上で理想的なのは、お互いに法的利害関係など何もない場面でその関係を大事に育成していくことであろう。
 
 ただ不運にも、当初より法的利害関係者同士として知わねばならない運命を背負った人生場面を抱える場面も、この世には多い事とも推察する。 たとえその場面でも、人間関係の基本とはお互いに対等な人間同志との意識の下にこの世を渡るべきと考えるのだ。

 自分が法的弱者である事をとことん利用しようと目論む人生の、その後の発展性など皆無ではなかろうか??

 如何なる場面に於いても人間関係を存続する上で理想的なのは、お互いに“1対1の立場で対等”に渡り合うとの意識の下に、その関係を大切に紡いていくことに間違いないであろう。