今回も大震災関連記事は小休止して、恋愛・男女関係記事を綴ります。
「原左都子エッセイ集」に於いて毎度おなじみの朝日新聞“悩みのるつぼ”4月16日の記事は、30代女性医師による「仕事辞め、主夫を希望する夫」と題する相談だった。
早速、以下に要約して紹介しよう。
30代の女性医師だが、数日前映画ソフト会社のプロデューサーをする夫から、仕事上のストレスや通勤距離の長さ故に仕事に情熱を持てなくなったため会社を辞めたいと言い出された。 退職後のアイデアは特別ないようで、生後2ヶ月の子どものために主夫をやっていいとも言う。 妻である私が医師であり自分が仕事を辞めても生活が成り立つという判断も影響しているようだが、私としては釈然としない。 私は結婚してつまらない男の奴隷になるなら、一人で人生を謳歌したいと思っていた。 「医師」「団体役員」という私の肩書きに頓着せず私の高収入にも卑屈にならない彼に結婚当初は誇りをもっていたはずなのに、今となっては怠惰な夫の言い訳のように思えてしまう。
早速、原左都子の私論に入ろう。
「30代の女医さん、あなたは結局“ろくでもない男”に騙されただけだよ。 もしかして男性との付き合いが手薄な段階で、その男との結婚を焦ってしまったのではないの??」
これがこの相談を一読して抱いた私の感想なのだが、ここは順を追って我が見解を綴っていくことにしよう。
30代という若さににして「医師」であり「団体役員」(一体どういう組織団体の??)との肩書を誇るあなたが、現在失業して主夫を希望する男と如何なるいきさつで婚姻に至ったのかについては私の知るところではない。 ただ、それだけの“ご立派な肩書”をお持ちでかつ医師という職種故に経済力においても生涯保障されているのならば、あなたがおっしゃる通り、何もつまらない男となど急いで結婚する必要はさらさらなかったはずだ。
なのに何故、あなたはその“失業男”との結婚を実行して既に子どもまで設けてしまっているのだろう?
ここで原左都子の私事に移って申し訳ないが、私は一生に渡りこの相談女性医師のごとくの“立派な肩書”など持ち合わせない人生を歩み続けるであろう。
この女性の場合、その肩書きの一つが「医師」であることで社会的に大いに恵まれた存在であることには間違いない。 世の中には“訳の分からん”肩書を振りかざす輩が多い中で、「医師」という肩書とは社会的にその地位が容認される実質的背景があることは、我が過去の医学経験における医師とのかかわりからしみじみと感じさせられるところである。
原左都子には世間が認める程の肩書など一切ない一方で、相談者と同じ30代の頃には(この相談女医氏ほどではないことは歴然としているが)ある程度の経済力を有していたと言える。
そして既に本エッセイ集にて何度も暴露している通り、私は若かりし時代より“男好き、恋愛好き”人種であることを通して、我が未来の結婚像に関しても自分なりのポリシーが培われていたと自負している。
それ故に、私は「結婚」に関しては一貫して“慎重派”であった。
この相談の女医氏がおっしゃる通り、ある程度の経済力がある女性にとっては“つまらない結婚”など急ぐ理由は何一つないはずなのである。 (いや、もしもこの女医氏の場合、医学に精通している立場として出産適齢期を視野に入れたのならば多少話が変わってくるのかもしれないが…)
それにしてもだ。
どう考察してもこの女医氏は、結婚相手に関して“貧乏くじ”を引き当てているとしか考察できない。
結婚後何年経過しているかは相談内容からは推し量れないが、相手はそもそも映画ソフト会社のプロデューサー??? 大変失礼ではあるが、私などこの肩書を聞いただけで“胡散臭さ”を感じると言うものだ。 相手の人柄にもよるが、相当の確固たる人物像を自分なりに見出せない限り、たとえ相手がイケメンであったとしても私ならば結婚相手としては「却下」対象である。
ましてや、この人物に対して一時は「誇りを持てた」と言う相談女医氏に唖然とするばかりである。 軟弱亭主から今頃になり「主夫」を宣言されて初めてその男の怠惰な一面を見たとは、立派な肩書を誇る女医氏としてはお粗末と言うものであろう。
今回の“悩みのるつぼ”の回答者は社会学者の上野千鶴子氏であられるのだが、原左都子と類似の見解を述べておられる。
以下に、その回答の一部を紹介しよう。
相談者は夫には尊敬できる人でいて欲しいと言うが、そのあなたの男性観が問題の原因のようだ。 夫に対して妻の育児にも協力しつつ自分の夢の実現も追及して欲しいと言うのは、ちと欲が深すぎる。 とりあえずパートナーに何を求めるのかに優先順位をつけ、そうでない項目には目をつむることだ。 夫婦になろうが親になろうが、自分の人生は自分で生きるしかないもの。 自分自身が今置かれている「立場」を超えて、人間とは関係を築いていくものだ。 ストレス源になる夫などいない方がましである。 それができる自分の経済力を祝福して欲しい。
社会学者であられる上野千鶴子氏は一貫して独身を貫いていらっしゃると認識しているのだが、そのバックグラウンドに基づいたご見解に原左都子は唸るばかりである。
最後に、今回の我がエッセイ集の記事の表題である「結婚生活継続の条件として“尊敬”が不可欠か?」に関する原左都子の私論を述べよう。
晩婚であるが故に結婚生活がさほど長くない私がコメントを述べるまでもないのだが、現代社会を長年生き延びて来られているご夫婦の間で、配偶者をお互いに「尊敬」し続けているカップルなど存在するべくもないのが世の常というものではないのだろうか??
2人が最初に出会った頃には、確かにお互いに「尊敬」のかけらもあったのかもしれない。 その後夫婦として過ごす時間空間が長引くにつれ、「尊敬」どころか「蔑み」のバトルをお互いに繰り返しつつ「尊敬」などという生易しい一瞬の世界を超越して、新たな世界を築いていくのが現実の夫婦というものではなかろうか?
ドロドロとした人間関係を積み重ねつつ歴史を刻んだ後に、世にも不思議な“夫婦関係なる代物”がそこに存在しているというだけの話であろう。
今回の“悩みのるつぼ”の女性医師に関しては、今その結婚人生を踏み出したばかりのような印象を持つ。
“肩書”にも“経済力”にも恵まれている貴女が今後如何なる選択をしようが自由だが、相手に対する「尊敬」を重視するより何よりも、とりあえず貴方が産んだ2ヶ月の子供さんの成長を願ってみてはどうか? 失業した父である相手がそれさえも実行してくれないのならば、自ずとご亭主に対する評価が決定し早期に結婚生活は終焉を迎えるのではあるまいか?
少なくとも子どもが小さい頃には結婚相手への「尊敬」へったくれの余裕もない程に、親として育児に追われるのが精一杯の日々を送ることが人間の性(さが)と、庶民の私などは心得ていたものだが…
「原左都子エッセイ集」に於いて毎度おなじみの朝日新聞“悩みのるつぼ”4月16日の記事は、30代女性医師による「仕事辞め、主夫を希望する夫」と題する相談だった。
早速、以下に要約して紹介しよう。
30代の女性医師だが、数日前映画ソフト会社のプロデューサーをする夫から、仕事上のストレスや通勤距離の長さ故に仕事に情熱を持てなくなったため会社を辞めたいと言い出された。 退職後のアイデアは特別ないようで、生後2ヶ月の子どものために主夫をやっていいとも言う。 妻である私が医師であり自分が仕事を辞めても生活が成り立つという判断も影響しているようだが、私としては釈然としない。 私は結婚してつまらない男の奴隷になるなら、一人で人生を謳歌したいと思っていた。 「医師」「団体役員」という私の肩書きに頓着せず私の高収入にも卑屈にならない彼に結婚当初は誇りをもっていたはずなのに、今となっては怠惰な夫の言い訳のように思えてしまう。
早速、原左都子の私論に入ろう。
「30代の女医さん、あなたは結局“ろくでもない男”に騙されただけだよ。 もしかして男性との付き合いが手薄な段階で、その男との結婚を焦ってしまったのではないの??」
これがこの相談を一読して抱いた私の感想なのだが、ここは順を追って我が見解を綴っていくことにしよう。
30代という若さににして「医師」であり「団体役員」(一体どういう組織団体の??)との肩書を誇るあなたが、現在失業して主夫を希望する男と如何なるいきさつで婚姻に至ったのかについては私の知るところではない。 ただ、それだけの“ご立派な肩書”をお持ちでかつ医師という職種故に経済力においても生涯保障されているのならば、あなたがおっしゃる通り、何もつまらない男となど急いで結婚する必要はさらさらなかったはずだ。
なのに何故、あなたはその“失業男”との結婚を実行して既に子どもまで設けてしまっているのだろう?
ここで原左都子の私事に移って申し訳ないが、私は一生に渡りこの相談女性医師のごとくの“立派な肩書”など持ち合わせない人生を歩み続けるであろう。
この女性の場合、その肩書きの一つが「医師」であることで社会的に大いに恵まれた存在であることには間違いない。 世の中には“訳の分からん”肩書を振りかざす輩が多い中で、「医師」という肩書とは社会的にその地位が容認される実質的背景があることは、我が過去の医学経験における医師とのかかわりからしみじみと感じさせられるところである。
原左都子には世間が認める程の肩書など一切ない一方で、相談者と同じ30代の頃には(この相談女医氏ほどではないことは歴然としているが)ある程度の経済力を有していたと言える。
そして既に本エッセイ集にて何度も暴露している通り、私は若かりし時代より“男好き、恋愛好き”人種であることを通して、我が未来の結婚像に関しても自分なりのポリシーが培われていたと自負している。
それ故に、私は「結婚」に関しては一貫して“慎重派”であった。
この相談の女医氏がおっしゃる通り、ある程度の経済力がある女性にとっては“つまらない結婚”など急ぐ理由は何一つないはずなのである。 (いや、もしもこの女医氏の場合、医学に精通している立場として出産適齢期を視野に入れたのならば多少話が変わってくるのかもしれないが…)
それにしてもだ。
どう考察してもこの女医氏は、結婚相手に関して“貧乏くじ”を引き当てているとしか考察できない。
結婚後何年経過しているかは相談内容からは推し量れないが、相手はそもそも映画ソフト会社のプロデューサー??? 大変失礼ではあるが、私などこの肩書を聞いただけで“胡散臭さ”を感じると言うものだ。 相手の人柄にもよるが、相当の確固たる人物像を自分なりに見出せない限り、たとえ相手がイケメンであったとしても私ならば結婚相手としては「却下」対象である。
ましてや、この人物に対して一時は「誇りを持てた」と言う相談女医氏に唖然とするばかりである。 軟弱亭主から今頃になり「主夫」を宣言されて初めてその男の怠惰な一面を見たとは、立派な肩書を誇る女医氏としてはお粗末と言うものであろう。
今回の“悩みのるつぼ”の回答者は社会学者の上野千鶴子氏であられるのだが、原左都子と類似の見解を述べておられる。
以下に、その回答の一部を紹介しよう。
相談者は夫には尊敬できる人でいて欲しいと言うが、そのあなたの男性観が問題の原因のようだ。 夫に対して妻の育児にも協力しつつ自分の夢の実現も追及して欲しいと言うのは、ちと欲が深すぎる。 とりあえずパートナーに何を求めるのかに優先順位をつけ、そうでない項目には目をつむることだ。 夫婦になろうが親になろうが、自分の人生は自分で生きるしかないもの。 自分自身が今置かれている「立場」を超えて、人間とは関係を築いていくものだ。 ストレス源になる夫などいない方がましである。 それができる自分の経済力を祝福して欲しい。
社会学者であられる上野千鶴子氏は一貫して独身を貫いていらっしゃると認識しているのだが、そのバックグラウンドに基づいたご見解に原左都子は唸るばかりである。
最後に、今回の我がエッセイ集の記事の表題である「結婚生活継続の条件として“尊敬”が不可欠か?」に関する原左都子の私論を述べよう。
晩婚であるが故に結婚生活がさほど長くない私がコメントを述べるまでもないのだが、現代社会を長年生き延びて来られているご夫婦の間で、配偶者をお互いに「尊敬」し続けているカップルなど存在するべくもないのが世の常というものではないのだろうか??
2人が最初に出会った頃には、確かにお互いに「尊敬」のかけらもあったのかもしれない。 その後夫婦として過ごす時間空間が長引くにつれ、「尊敬」どころか「蔑み」のバトルをお互いに繰り返しつつ「尊敬」などという生易しい一瞬の世界を超越して、新たな世界を築いていくのが現実の夫婦というものではなかろうか?
ドロドロとした人間関係を積み重ねつつ歴史を刻んだ後に、世にも不思議な“夫婦関係なる代物”がそこに存在しているというだけの話であろう。
今回の“悩みのるつぼ”の女性医師に関しては、今その結婚人生を踏み出したばかりのような印象を持つ。
“肩書”にも“経済力”にも恵まれている貴女が今後如何なる選択をしようが自由だが、相手に対する「尊敬」を重視するより何よりも、とりあえず貴方が産んだ2ヶ月の子供さんの成長を願ってみてはどうか? 失業した父である相手がそれさえも実行してくれないのならば、自ずとご亭主に対する評価が決定し早期に結婚生活は終焉を迎えるのではあるまいか?
少なくとも子どもが小さい頃には結婚相手への「尊敬」へったくれの余裕もない程に、親として育児に追われるのが精一杯の日々を送ることが人間の性(さが)と、庶民の私などは心得ていたものだが…