原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

結婚生活継続の条件として「尊敬」が不可欠か?

2011年04月18日 | 恋愛・男女関係
 今回も大震災関連記事は小休止して、恋愛・男女関係記事を綴ります。


 「原左都子エッセイ集」に於いて毎度おなじみの朝日新聞“悩みのるつぼ”4月16日の記事は、30代女性医師による「仕事辞め、主夫を希望する夫」と題する相談だった。
 早速、以下に要約して紹介しよう。

 30代の女性医師だが、数日前映画ソフト会社のプロデューサーをする夫から、仕事上のストレスや通勤距離の長さ故に仕事に情熱を持てなくなったため会社を辞めたいと言い出された。 退職後のアイデアは特別ないようで、生後2ヶ月の子どものために主夫をやっていいとも言う。 妻である私が医師であり自分が仕事を辞めても生活が成り立つという判断も影響しているようだが、私としては釈然としない。 私は結婚してつまらない男の奴隷になるなら、一人で人生を謳歌したいと思っていた。 「医師」「団体役員」という私の肩書きに頓着せず私の高収入にも卑屈にならない彼に結婚当初は誇りをもっていたはずなのに、今となっては怠惰な夫の言い訳のように思えてしまう。 


 早速、原左都子の私論に入ろう。

 「30代の女医さん、あなたは結局“ろくでもない男”に騙されただけだよ。 もしかして男性との付き合いが手薄な段階で、その男との結婚を焦ってしまったのではないの??」
 これがこの相談を一読して抱いた私の感想なのだが、ここは順を追って我が見解を綴っていくことにしよう。

 30代という若さににして「医師」であり「団体役員」(一体どういう組織団体の??)との肩書を誇るあなたが、現在失業して主夫を希望する男と如何なるいきさつで婚姻に至ったのかについては私の知るところではない。 ただ、それだけの“ご立派な肩書”をお持ちでかつ医師という職種故に経済力においても生涯保障されているのならば、あなたがおっしゃる通り、何もつまらない男となど急いで結婚する必要はさらさらなかったはずだ。
 なのに何故、あなたはその“失業男”との結婚を実行して既に子どもまで設けてしまっているのだろう?

 ここで原左都子の私事に移って申し訳ないが、私は一生に渡りこの相談女性医師のごとくの“立派な肩書”など持ち合わせない人生を歩み続けるであろう。
 この女性の場合、その肩書きの一つが「医師」であることで社会的に大いに恵まれた存在であることには間違いない。 世の中には“訳の分からん”肩書を振りかざす輩が多い中で、「医師」という肩書とは社会的にその地位が容認される実質的背景があることは、我が過去の医学経験における医師とのかかわりからしみじみと感じさせられるところである。

 原左都子には世間が認める程の肩書など一切ない一方で、相談者と同じ30代の頃には(この相談女医氏ほどではないことは歴然としているが)ある程度の経済力を有していたと言える。
 そして既に本エッセイ集にて何度も暴露している通り、私は若かりし時代より“男好き、恋愛好き”人種であることを通して、我が未来の結婚像に関しても自分なりのポリシーが培われていたと自負している。
 それ故に、私は「結婚」に関しては一貫して“慎重派”であった。
 この相談の女医氏がおっしゃる通り、ある程度の経済力がある女性にとっては“つまらない結婚”など急ぐ理由は何一つないはずなのである。 (いや、もしもこの女医氏の場合、医学に精通している立場として出産適齢期を視野に入れたのならば多少話が変わってくるのかもしれないが…)

 それにしてもだ。
 どう考察してもこの女医氏は、結婚相手に関して“貧乏くじ”を引き当てているとしか考察できない。
 結婚後何年経過しているかは相談内容からは推し量れないが、相手はそもそも映画ソフト会社のプロデューサー???  大変失礼ではあるが、私などこの肩書を聞いただけで“胡散臭さ”を感じると言うものだ。 相手の人柄にもよるが、相当の確固たる人物像を自分なりに見出せない限り、たとえ相手がイケメンであったとしても私ならば結婚相手としては「却下」対象である。
 ましてや、この人物に対して一時は「誇りを持てた」と言う相談女医氏に唖然とするばかりである。 軟弱亭主から今頃になり「主夫」を宣言されて初めてその男の怠惰な一面を見たとは、立派な肩書を誇る女医氏としてはお粗末と言うものであろう。

 今回の“悩みのるつぼ”の回答者は社会学者の上野千鶴子氏であられるのだが、原左都子と類似の見解を述べておられる。
 以下に、その回答の一部を紹介しよう。
 相談者は夫には尊敬できる人でいて欲しいと言うが、そのあなたの男性観が問題の原因のようだ。 夫に対して妻の育児にも協力しつつ自分の夢の実現も追及して欲しいと言うのは、ちと欲が深すぎる。 とりあえずパートナーに何を求めるのかに優先順位をつけ、そうでない項目には目をつむることだ。 夫婦になろうが親になろうが、自分の人生は自分で生きるしかないもの。 自分自身が今置かれている「立場」を超えて、人間とは関係を築いていくものだ。 ストレス源になる夫などいない方がましである。 それができる自分の経済力を祝福して欲しい。

 社会学者であられる上野千鶴子氏は一貫して独身を貫いていらっしゃると認識しているのだが、そのバックグラウンドに基づいたご見解に原左都子は唸るばかりである。


 最後に、今回の我がエッセイ集の記事の表題である「結婚生活継続の条件として“尊敬”が不可欠か?」に関する原左都子の私論を述べよう。

 晩婚であるが故に結婚生活がさほど長くない私がコメントを述べるまでもないのだが、現代社会を長年生き延びて来られているご夫婦の間で、配偶者をお互いに「尊敬」し続けているカップルなど存在するべくもないのが世の常というものではないのだろうか??
 2人が最初に出会った頃には、確かにお互いに「尊敬」のかけらもあったのかもしれない。 その後夫婦として過ごす時間空間が長引くにつれ、「尊敬」どころか「蔑み」のバトルをお互いに繰り返しつつ「尊敬」などという生易しい一瞬の世界を超越して、新たな世界を築いていくのが現実の夫婦というものではなかろうか?
 ドロドロとした人間関係を積み重ねつつ歴史を刻んだ後に、世にも不思議な“夫婦関係なる代物”がそこに存在しているというだけの話であろう。

 今回の“悩みのるつぼ”の女性医師に関しては、今その結婚人生を踏み出したばかりのような印象を持つ。 
 “肩書”にも“経済力”にも恵まれている貴女が今後如何なる選択をしようが自由だが、相手に対する「尊敬」を重視するより何よりも、とりあえず貴方が産んだ2ヶ月の子供さんの成長を願ってみてはどうか? 失業した父である相手がそれさえも実行してくれないのならば、自ずとご亭主に対する評価が決定し早期に結婚生活は終焉を迎えるのではあるまいか?
 少なくとも子どもが小さい頃には結婚相手への「尊敬」へったくれの余裕もない程に、親として育児に追われるのが精一杯の日々を送ることが人間の性(さが)と、庶民の私などは心得ていたものだが…
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引越しは好きですか?

2011年04月16日 | 時事論評
 避難所生活自体も大変だが、各地の避難所を転々と移動させられる避難者の皆さんの心労は多大なものであろう。

 本エッセイ集のバックナンバー「今年の桜は何色に咲き誇るのだろう?」において紹介したが、取り崩しが予定されている“赤プリ”(現グランドプリンスホテル赤坂)がその客室約700室を東日本大震災被災者のために現在開放している。 ただし、6月30日までの期間限定開放の予定であるとのことだ。 “赤プリ”取り崩し跡地の買い手との売買契約の制限もあろうが、ここは何とか被災者の皆さんに配慮して開放期限に融通を持たせられないものであろうか?
 埼玉県の大規模アリーナに於いても一時避難者を受け入れていた。 当該施設の場合3月末日までの短期間の被災者受入れだったと記憶しているが、移転後半月もたたないうちにまた別の避難所への移転を余儀なくされる被災者の皆さんの苦悩を思うと、いたたまれない思いであった。
 大震災被災地から遠方の地域の施設が被災者を受け入れようとする意向は評価したいのだが、施設の都合により短期間で避難所を閉鎖するのではなく、被災者の皆さんの心痛等を配慮してもう少し長期展望で受け入れる体制が整わないものなのか?

 ましてや家が大津波で流された訳でもないのに、福島第一原発放射能汚染圏内に居住していたばかりに、大震災発生直後に強制避難させられた避難者の方々の心の痛みを慮って余りある。
 東電は賠償金の仮払いに関して今月中には支払える体制を整えたようだ。 住民の方々がおっしゃるように、今回の福島原発“レベル7”事故の被害とは決して“カネ”で解決できる程容易い問題ではないのは明白である。 それでもせめても仮払いが実行されることに、一国民としては一応安堵するというものだ。
 今後は汚染地域への一時帰宅に関しても、東電や政府は積極的に対策を練って欲しいものである。 被災者の皆さんの安全を確保するべく防護服着用の上時間を限り、順番制で自宅に案内するべく方策を練って欲しいものだ。


 何故に原左都子が上記のごとく避難者の皆さんを慮るのかと言うと、それは私自身が避難生活に耐えられる人格を備えていない故であることは、当エッセイ集のバックナンバー「避難生活能力のない私」においても綴っている。

 それに加えて、原左都子は“引越し”が大の苦手でもあるためだ。

 今回の記事の表題は朝日新聞3月26日「be」“between"よりそのまま引用させていただいたたのであるが、 「引越しは好きですか?」 の原左都子の回答とは即座に「NO!」である。

 基本的に引越しが嫌いなはずの私であるが、今までの人生において繰り返した引越しの回数は、実に17回! にも上るのだ。
 郷里に於いて両親の下で過ごした間に引越した回数は、既に7回に達していた。 特に親が転勤族であったという訳でもないのだが、父の“家屋新築引越し好き趣味”も含めて何度も新たな地に家を建て替えて引っ越している。
 そして単身で上京して以降、どうも父の趣味を引きずっている私であったようだ。 我が長き独身時代においては家財道具も少なかったため、引越しが容易であったという背景もあろう。 自分自身の社会人としての成長に伴い、都内におけるより便利な地域に住む地を替えつつ生活をグレードアップしていったとも言える。 独身30歳にして独力で購入した自己所有マンションには7年間居住したのであるが、これは我が独身時代における最長期間の居住記録である。

 その後結婚して子どもを設けて以降も、我が家は自宅の買い替え転居を繰り返す運命にあったものだ。 
 この度重なる引越しは、原左都子にとって大いに大変だった。 何分、子どもを抱える一家は家財道具が数多い。そしてその子どもは未だ小さい。(加えて我が亭主とは“人はいい”のだが、この種の力仕事においては使い物にならない…) 
 という訳で、引越しの一切合財のすべてが私の“細腕”に任せられるのであるが、体力面では自信のない私としては「引越しすべてお任せパック」に頼るしかないのだ。 ところがこの「お任せパック」も至ってクセもので、派遣されてくるパートの荷造りおばさんが私相手に苦情を露にしようとするのである。 その苦情の雰囲気を察知して、結局は私も一日中梱包開梱作業に加わり“細腕”で重い荷物を持たざるを得ないのである…  子どもの世話と同時に、パートのおばさん達に配慮して苦悩し、後々疲れ果てて寝込んでしまいそうな私であったものだ。 (結論として、引越しとは気心知れた家族内で喧嘩しつつも行った方がいいと感じる我が人生における失敗談である。)

 そんな原左都子も、引越しの利点は大いに享受しているのだ。
 そもそも、何故我が家が幾度にも及んで住居買い替えを繰り返さざるを得なかったのかの第一の理由とは、我が子が多少の事情を抱えて生まれて来ているからに他ならない。 所属学校で我が子がいじめに遭遇してまったり、担任が許容できない人物であった場合、その場を逃れる事こそが一番手っ取り早い方策であろう。 引越しという手段により、娘が逃れようがないその種の難関をクリアしてきている我が家とも考察できるのである。

 それはそうとして、実際問題一般人にとって引越しとは、これまでの人生を“リセット”して新たに出発できるまたとない手段なのではなかろうか?
 我が家の引越し理由の一つに関して子どもの“いじめ対策”をその理由として語ったが、それは我が子が苦悩を余儀なくされる環境から親である私自身が気持ちを切り替えられる、大いなる再出発地点であったとも考察できるのだ。


 それにしても、福島第一原発のトレンチ内の水位は上昇を続けるばかりである。 4基の原子炉冷却目的で巨量の真水を注入し続けねばならぬ現状において、それは致し方ない事であろう。  
 一方、海面への汚染水の出口を塞いだという報道にもかかわらず、どうやら放射能高汚染水が相変わらず海水中に紛れ込み、そして地下水を通じて土壌を汚染し続けている模様である。
 今後しばらくは真水による冷却により4基から放射能高度汚染水を排出し続ける現状において、その汚染水を保存する手段を早急に検討して欲しいものであるが、これに難儀しているのが東電の実態のようだ。
 このような“レベル7”の現状においては、原発近隣地域の住民の皆さんは避難所生活をいつまで余儀なくされ続けるのかの見通しもたたないという事であろう。

 この期に及んで原左都子の“引越し嫌い”など、まさに我がままの範疇であることを思い知らされると言うものである。
 そんな私は、せめても福島原発避難者の皆さんの一時帰宅がたとえ短時間であろうと安全性を確保した上で早急に実行されることを願いたい思いだ。
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大震災がメモリーとして語られる遠き日

2011年04月14日 | 時事論評
 (写真は、原左都子作 白皿の絵付け 「2011.3 東日本大震災」 )


 「原左都子エッセイ集」読者の皆様に、下手な絵をお見せして誠に申し訳ない思いである。

 美術観賞の趣味はあるものの、中学卒業以来一度足りとて絵など描いた事がない程の絵心なき原左都子が、先だっての3月31日に上記の白皿の絵付けをする機会を得た。
 
 今回私にその貴重な機会を提供して下さったのは、2008年秋に第8回バーラトバーバン国際版画ビエンナーレ授賞式典出席のためインドまで同行(本エッセイ集の旅行記カテゴリーにおいてその時のインド旅行の様子を綴っております。)させていただいた、知人の美術家であられる 長はるこ氏 である。
 (美術家 長はるこ氏のご活躍の詳細に関してはこの画面の左下欄ブックマークにて紹介しておりますので、ブックマークのトップ「B-gallery」より氏のHPへお進み下さい。)

 美術分野で長きに渡り実績を積まれている 長はるこ氏 のご活躍の様子が、新聞やテレビ等メディア上で取り上げられる機会は過去において幾多に上っている。
 そんな中、今回原左都子が絵を描くチャンスを与えていただけたのは、来る4月17日(日)午前11時30分(再放送4月24日同時間)より 千葉テレビ にて放映予定の「アート夢ぽけっと」との番組に、長はるこ先生が主宰されているギャラリー及びスタジオにおけるワークショップの様子が取り上げられる事に相成ったためである。

 このワークショップへのお誘いを長はるこ先生から頂いた当初は、絵心がまったくない原左都子の頭は真っ白状態だった。
 ただ、その後直ぐに当日描く絵の「テーマ」が自ずと決定したのである。
 3月31日と言えば東日本大震災が発生してまだ半月余りの頃で、当時の私の頭の中身は震災関連事項で目一杯状態だった。 その中でも一番我が心を痛めていたのが、今回の白皿の絵付けで描いた“福島第一原発事故”のその後の放射能の影響だったのである。

 今回我が国に発生した未曾有の大震災の大津波に付随するべく福島原発事故の悲惨かつ壮絶たる影像が脳裏から離れない私は、その構図を絵に描くしか他に方策がなかったというものだ。 
 長はるこ先生には大変申し訳ないのだが、テレビ放送により来る日も来る日も繰り返して映し出され、私の脳裏にこびりついている“福島第一原発事故の惨劇の影像”という至ってマイナーな対象物を描かせていただいたのが、上記の下手な絵という訳である。


 一昨日(4月12日)の報道によると、今回の福島第一原発事故は原発事故としては最大級の“深刻な事故”である「チェルノブイリ級」の“レベル7”までに引き上げられてしまった。
 この“レベル7”の解釈に関してはメディアでも報道されている通り、今直ぐ福島近辺の住民が何らかの対応をしなければならないとの意味合いではない事に関しては原左都子も認識できている。
 それにしても、我が国において“レベル7”の原子力事故が発生している現状を国家も関係機関も国民も大いに深刻に受け止めつつ、今後の放射能対応に関してそれぞれが思考、行動していくべきであろう。

 にもかかわらず総理大臣である菅氏は、「福島第一原発近隣地域は長期間に渡って居住が困難になる」と発言したとかしていないとかの醜態を晒し、避難地域外にあって高放射能汚染の実態を与儀なくされている飯舘村村長氏から大いなる憤りを示されたとのお粗末な現状である。
 この総理の失言に関して、枝野官房長官は「今後の(原発被災)地域住民への情報提供を改善する必要がある」と本日昼間のテレビニュースに於いて述べたようだ。
 菅政権の今回の大震災対応は、福島第一原発事故を筆頭としてその専門力のなさ故に右往左往を繰り返している。今後この日本が置かれている宿命を垣間見せられるというものである。

 そんな中、本日昼のNHKテレビニュースにて放映されたWHOネイラ局長の見解に大いに賛同した原左都子である。
 ネイラ局長曰く、「日本の福島原発事故に対する現在の対応は適切である。今現在に関しては新たな対応策の必要はないと言えるであろう。 ただ国民の放射能被爆に関する調査対応は、今後10~20年の長きに渡って行われるべきだ。」
 日本が今於かれている放射能汚染の現状に配慮し言葉を選びつつも、国家がいつまでも伝えようとしない今後の長きに渡る放射能の悪影響にまで及んだ国際機関からの発言に、感謝申し上げたい私である。 国民の放射能汚染に関する調査対応が遠い未来にすべて終焉して初めて、今回の大震災はメモリーとして語れるようになるのであろう。

 
 “福島第一原発”当地において、強度の余震が続いていることに関しては皆さんもご存知の通りだ。 先だっての震度6強の余震の際に炉心部である燃料棒への真水の放水が一定時間停止した事態に対し、現在非常電源システムを強化する策を東電は打ち出している様子である。
 要するに国や東電の原発事故に対する対応とは、今後も後手後手に回らざるを得ない状態にあることを国民の前で暴露し続けるのであろう。
 東電はせめても地域住民に対して賠償金を“仮払い”しようと動き始めているようであるが、その金額は当然ながら「巨大」であるため、これに関しても鈍い対応とならざるを得ないようだ。

 大震災を受けたこの国の景気が、今までにも増して“下方修正”されてしまうのもやむを得ない話であろう。


 今回の長はるこ先生のギャラリーに於ける千葉テレビの番組収録において、原左都子は自分が描いた“福島第一原発事故”の下手な絵に関し、司会者のインタビューに応え以下のようなコメントを述べている。
 「このような歴史的大震災はおそらく我が人生において一度しか経験できないことであろう。 そんな人生最大とも言えるマイナーな記憶をこの絵に描いて我が人生のメモリーとしたかった。 長はるこ先生が後日焼いて仕上げてくれるこのお皿を、私自身の人生の記録として今後一生大事に保存したく思っている。」 
 実際のインタビューでは、しどろもどろだったのだけどね…


 - P.S.-
 ところで、東京では“千葉テレビ”は見られないとの話を聞いた原左都子ですが、東京において“千葉テレビ”を視聴するノウハウをご存知の方がいらっしゃいましたら、ご伝授いただけますと幸いです。
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モテない息子の教育法

2011年04月11日 | 恋愛・男女関係
 震災関連の記事が続いているが、少し息抜きに今日は久々の恋愛関連記事を綴ることにしよう。


 朝日新聞4月9日別刷「be」“悩みのるつぼ”は、28歳にしてまったく女っ気のない息子を嘆く50代母親からの相談だった。

 同じく(娘ではあるが)子を持つ50代の母親である原左都子としては、相談者の息子さんは既に28歳にもなっているのだから、本人に女っ気がなかろうがどうであろうがもう放っておけばいいのではないのか?? と思いつつ、以下に相談内容を要約して紹介することにしよう。 

 大学進学で親から離れて10年になる28歳の息子がいる。 昔から女の子にモテない引っ込み思案で、背格好は普通の地味で目立たないイケテナイ男子である。私が知る限りでは今まで彼女は一人もいない。大都会の企業で働いているが満足な給料はもらえていない。同級生には既に親になった人もいるのに、いまだ彼女をつくれない息子を見ると地団太を踏む。28歳でまだ童貞なのか、性欲の処理はしているのかの心配もする。 女性経験を持つと、おしゃれに目覚め下着にも気を使ったりするというが、帰省する息子のダサさは相変わらずで、はき古したトランクスを洗濯するたびこの子の下着を洗ってくれる女の子は一生現れないのかと情けなくなる。 陰で遊んでくれていたらとさえ思う。 女狂いの息子に困り果てる親もいるのだろうが、せめて30歳までには人並みにチェリーボーイだけは卒業して欲しいと願う。こんな母親は私だけなのだろうか?



 早速、原左都子の私論に入ろう。

 17歳という未だ思春期から抜け出ていない“番茶も出花”時期の一人娘を持つ母親の身とすれば、親の目から見ても肌や体が“ピチピチ、プルンプルン”の危なっかしいお年頃の娘に、得体の知れない変な男から唾をつけられたら大変!!  その種のバリアーを張りたい思いしか抱けない現実である。
 加えてもしも我が娘が大学進学を目前に控えたこの大事な時期に、“妙な男”のせいで道を踏み外すなどはもっての他! との懸念もある。

 この種の懸念は「娘」を持つ親の身として共通なのではあるまいか。
 原左都子も我が娘が幼い頃より”女ゆえの失敗”を連想しては頭を悩ませて来たと振り返る。 例えば、もしも娘から高校在学中に“妊娠しちゃった”などと訴えられたものならばたまったものではない。 その種の“失敗”のみは親の責任として是が非でも回避せねばならぬと肝に銘じて、娘の“男教育”をしてきているとも言える。
 と言うのも、特に女性の場合は妊娠・出産が後々の人生に及ぼす影響力が多大である。わずが十代でそれを経験してしまう事により、後々の長い人生の選択肢が大幅に狭まる事が目に見えているのだ。 我が娘には人生の選択肢を狭めることは避けてやりたい意味合いで、親である原左都子としては娘の恋愛に関して慎重にならざるを得ないのだ。


 それでも、人間とは“男っ気(女っ気)”があるに越した事はない。 これは人間にとってその人生を大いに豊かにしてくれる根源であることに間違いないからである。
 若かりし時代に結婚願望や子育て願望がほどんどなかった原左都子であるが、思春期の早期からどちらかに分類するならば“男好き、恋愛好き”人種であると結論付けられることを認める。 自分の意思で晩婚を選択したものの、我が人生における“数多い恋愛経験”は今尚私の血となり肉となって我が人格を創り上げてくれていると自負しているのだ。

 そんな私は、当然ながら我が娘にも是非共人生において“恋愛”を経験して欲しいと考えている。 そのための娘に対する“女磨き”教育は、サリバン(原左都子のことです)の学習教育と平行して早期より開始している。
 恋愛とは何と言っても男女が出会うチャンスがなければ始まりもしない性質のものであろう。 男女が出会うきっかけとは綺麗事を押し並べたところで、これはどう考察してもその“外見”から始まってしまう運命にあるのではなかろうか?
 そこで私は娘に対し、幼き頃から“体型の維持”を一貫して教育し続けている。もちろん人の体型とは先天的要因からも千差万別であるのは致し方ないとしても、個々に応じた健康管理を徹底することで一生を通じて自分なりの理想体型を保てるはずなのである。
 人間の“顔のつくり”に関しては整形手術でも施さない限りアプリオリ人生を余儀なくされるのかもしれないが、体型維持に関しては個々の努力次第でいくらでもコントロール可能なはずだ。
 それに加えて、現代は美容や服飾分野の芸術文化が目覚ましく発展している。 これを“女磨き(男磨き)”に利用しない手はない。 我が娘に関しても幼き頃から“お洒落”を志すことをサリバン(私のことです)が徹底して教育して来ている。 制服の時はともかく、私服で外出する時には頭のてっぺんからつま先に至るまで必ずトータルコーディネートをするべきだとの私の“教え”に従って、自分で工夫をしている我が娘である。

 “健康体型”とある程度の“お洒落要因”が整ったならば、人間まずは“モテない”人種には分類されずに済むというものであろう。 何故ならば、この種の分野とて日々の弛まぬ努力の積み重ねであり、それは自らの人格形成の一部として内面に蓄積される所産であると捉えるからである。


 さて、話を“悩みのるつぼ”の相談に戻そう。

 この相談者である50代のお母様は、28歳の息子さんと日頃健全なコミュニケーションが取れているのであろうか? 原左都子はこの息子さんにお会いした事がないため実態が把握できないのであるが、息子さんはお母上の心配にもかかわらず大都会で自分なりに立派に生き抜いている様子が伺える気もするのだ。

 仮に息子さんがお母上に“彼女ができないよ~”などと泣きつくことこそが悲惨で、目も当てられないと言うものであろう。
 今時、彼女が見つからない独身男性など世に捨てる程存在すると言うものだ。
 家を出て10年が経過した息子さんに一見“女っ気”がないことを感じ取ったお母上の立場として、息子さんが将来ゲットするであろう女性に対し一体全体何の“見返り”を求めているのであろうか??
 本気で息子さんの“女っ気”に期待していたのであれば、親として息子さん幼少の頃よりそれ相応の教育をなすべきであったはずだ。
 その努力もせずして息子さんに“女っ気”を求める貴方の方にこそ、何らかの“恋愛・男女関係”の偏りがあるのではないかと考察する原左都子である。
 

 (参考のため、今回の“悩みのるつぼ”の回答者は過去において「原左都子エッセイ集」にコメントをお寄せ下さいました 評論家の岡田斗司夫氏であります。
 今回の原左都子の記事内容とは一味も二味も異なる興味深いご見解を“現在独身者であられる?”立場から岡田氏が上記朝日新聞の回答欄で述べておられますので、朝日新聞記事をご参照いただければと存じます。)
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今年の桜は何色に咲き誇るのだろう。

2011年04月09日 | 時事論評
 (写真は、昨日4月8日に東京都千代田区紀尾井町の赤坂プリンスホテル <現 グランドプリンスホテル赤坂> をバックに撮影した満開の桜)


 東京の桜が満開の時期を迎えている。

 桜の開花とは年間の気温の積算によりその開花時期が決定されると、以前テレビの天気情報番組の解説で見聞したことがある。
 昨年は夏が全国的に記録的猛暑だった反面冬は北国で豪雪また豪雪の日々が続く等、寒暖の格差が極端な1年間であった。 また3月に入ってからも全国的に厳しい寒さが続き、3月中旬以降は東北の大震災避難者の方々が避難所においてライフラインに閉ざされた過酷な環境の中肺炎を患って亡くなる等、結果としては寒暖の“寒”が大いに勝った1年だったのであろう。
 東京においては早ければ卒業式の頃に満開となる桜であるが、今年は学校の入学式もそろそろ終わりかけている今頃に遅ればせながら満開の時期を迎えた。

 それにしても、歴史的大震災の発生に耐え抜いて今年も絢爛に花を咲かせた桜の生命力に感動させられるというものだ。 
 津波被害がなく放射能汚染も微量の東京においても、3月11日には震度5強の激震に見舞われた桜であろう。 この原左都子とてあの大揺れのストレスをしばらく引きずり“PTSD状態”を余儀なくされたことをバックナンバーで暴露している。 桜等の植物も同等のストレスがあったであろうし、少なくとも木を支えている土壌内の根には大いなる負担がかかったことと推測できる。 それにもめげず、今年も満開の花を咲かせた桜に例年以上に感動させられる思いだ。 


 大震災の犠牲者や避難者の皆さんに配慮してか、全国的に「今年は桜の花見を自粛しよう」等の動きがあったことについては「原左都子エッセイ集」バックナンバーにおいても既述している。
 これに対して、様々な見解が世に交錯しているようだ。 現在のところは「花見を自粛するよりも決行した方が国全体に経済効果がもたらされ、結果として被災地域が潤う」趣旨の意見が多数派であると見受けられる。
 原左都子の見解としては、指導的立場にある人物が何らかの営利目的で我が身息災に適当な見解を述べるのではなく、あくまでも「国民皆さんの自由にすればいい」のではないのか、と申し上げたいところである。

 これと平行して被災者の皆さんに国民が如何なる声かけをすればよいのか、なる人間関係の基本的事項に関して、その「専門家」と名乗る(原左都子に言わせてもらうと)“訳の分からん有名人”がメディアに登場し好き勝手な見解を述べている様子である。  何故にメディアにおいてこのようなお粗末な情報を流さねばならぬのかと分析するに、事の発端は“阪神大震災”に遡るのではなかろうか?

 確かにあの頃は「頑張ろう!」との言葉が禁句とされた時代であった。 人は「頑張らなくていい」と、歪んだ“横並び”思想で結論付けられようとした時代背景だった。 
 学校教育がちょうど「ゆとり」を目指そうとした頃だっただろうか。 (ここで教育論に議論を発展させるとブログの字数が何文字あっても綴り終えないため、今回は教育論は割愛することにしよう。)
 一貫して「ゆとり教育」に賛同している原左都子がここで手短に語ると、教育における本来の「ゆとり」の意味合いとは生徒の“個性の尊重”に他ならないはずであった。 にもかかわらず提供側である国や(特に公立学校の)教員が勘違いして、自らが「ゆとり」に浸ってしまったのが大きな失策だったのではあるまいか?  すなわち、教育者側こそが生徒一人ひとりの個性を捉えることが、「ゆとり教育」の本来の趣旨であったはずなのである。それは指導者側にとっては大仕事であるべきはずだ。 一方、教育を受ける側もその個性に応じて一生皆が“頑張って”生きるべきでもあるはずなのだ。 
 それ故に“皆がそれぞれに頑張る”という意味合いにおいて、原左都子は今尚個性の尊重を掲げる「ゆとり教育」賛同派であると言い続けるのだ。  
 (詳細は本エッセイ集「横並び教育の所産」等教育に関するバックナンバーにおいて再三再四述べておりますので、是非ご参照いただけますように。)

 被災者の皆さんに如何なる声かけをするかに関する原左都子の結論とは、それこそ“人それぞれ”でよいのではなかろうか? 
 何も“訳のわからん”「専門家」とやらが突如としてメディアに出現し、即席に考え付いた下手な“通り一遍”のコメントを述べるまでもないのだ。
 そして何度も何度も訴えるが、ましてや“著名人”とやらがテキトーな支援パフォーマンスをメディアを通じて公開したところで、一昨日東北地方において発生した震度6強の余震等で被災地には再び電気も通じていない状況である。  結局“著名人”のパフォーマンスとは、被災地ではないライフラインが完璧な地域の国民向けに “ほらほら、僕らもこれだけ支援してるよ~、ほ~らね!” とアピールしたいだけの“売名目的”に過ぎないことがこの余震続きの中再証明されたという事であろう。 (自分らが本気でどんな支援をしたいのかを、被災地の皆さんにきちんと届くよう真心で伝えたらどうなのか?!) 


 桜に話を戻そう。
 昨日東京紀尾井町まで出かけ、取り壊しが予定されている「赤プリ」こと 現「グランドプリンスホテル赤坂」の“勇姿”を間近に見てきた。 折りしも東京の桜が満開を向かえ、その桜を底辺に高々とそびえ立っていた堂々たる「赤プリ」である。
 この「赤プリ」の最後の“勇姿”をカメラに納めようと、大都会幹線道路の人が大勢行き交う歩道にて携帯で撮影していたところ、通りすがりの年配女性が私に声をかけて下さるのだ。 「これは“赤プリ”ですね」「そうです。」 「これが取り壊されるのですね」「そうですね…」……  通りすがりの2人の間に、何とも切ない空気が今年の満開の桜の下で流れたものである。

 この丹下健三氏建設の「赤プリ」はわずか30年足らずにしてもうすぐ取り崩され、この土地が新開発される運命にあることは本エッセイ集「赤プリ」関連のバックナンバーで2度綴っている。
 現在は大震災に見舞われた東北地方の被災者を全客室である700室余りをすべて提供して受け入れたというニュースを、都会に住む原左都子としては“朗報”として見聞したものである。

 果たしてその客室にどれ程の避難者が現実に入居しているのかは不明だが、「赤プリ」の桜は“勇姿”を誇る「赤プリ」が取り崩される最後の局面に待ち構えていた“歴史的大震災避難者の救済”という大きな使命を全うする事を見守っていたかのように、東京紀尾井町において今満開に咲き誇っているのだ。
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