原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今年の桜は何色に咲き誇るのだろう。

2011年04月09日 | 時事論評
 (写真は、昨日4月8日に東京都千代田区紀尾井町の赤坂プリンスホテル <現 グランドプリンスホテル赤坂> をバックに撮影した満開の桜)


 東京の桜が満開の時期を迎えている。

 桜の開花とは年間の気温の積算によりその開花時期が決定されると、以前テレビの天気情報番組の解説で見聞したことがある。
 昨年は夏が全国的に記録的猛暑だった反面冬は北国で豪雪また豪雪の日々が続く等、寒暖の格差が極端な1年間であった。 また3月に入ってからも全国的に厳しい寒さが続き、3月中旬以降は東北の大震災避難者の方々が避難所においてライフラインに閉ざされた過酷な環境の中肺炎を患って亡くなる等、結果としては寒暖の“寒”が大いに勝った1年だったのであろう。
 東京においては早ければ卒業式の頃に満開となる桜であるが、今年は学校の入学式もそろそろ終わりかけている今頃に遅ればせながら満開の時期を迎えた。

 それにしても、歴史的大震災の発生に耐え抜いて今年も絢爛に花を咲かせた桜の生命力に感動させられるというものだ。 
 津波被害がなく放射能汚染も微量の東京においても、3月11日には震度5強の激震に見舞われた桜であろう。 この原左都子とてあの大揺れのストレスをしばらく引きずり“PTSD状態”を余儀なくされたことをバックナンバーで暴露している。 桜等の植物も同等のストレスがあったであろうし、少なくとも木を支えている土壌内の根には大いなる負担がかかったことと推測できる。 それにもめげず、今年も満開の花を咲かせた桜に例年以上に感動させられる思いだ。 


 大震災の犠牲者や避難者の皆さんに配慮してか、全国的に「今年は桜の花見を自粛しよう」等の動きがあったことについては「原左都子エッセイ集」バックナンバーにおいても既述している。
 これに対して、様々な見解が世に交錯しているようだ。 現在のところは「花見を自粛するよりも決行した方が国全体に経済効果がもたらされ、結果として被災地域が潤う」趣旨の意見が多数派であると見受けられる。
 原左都子の見解としては、指導的立場にある人物が何らかの営利目的で我が身息災に適当な見解を述べるのではなく、あくまでも「国民皆さんの自由にすればいい」のではないのか、と申し上げたいところである。

 これと平行して被災者の皆さんに国民が如何なる声かけをすればよいのか、なる人間関係の基本的事項に関して、その「専門家」と名乗る(原左都子に言わせてもらうと)“訳の分からん有名人”がメディアに登場し好き勝手な見解を述べている様子である。  何故にメディアにおいてこのようなお粗末な情報を流さねばならぬのかと分析するに、事の発端は“阪神大震災”に遡るのではなかろうか?

 確かにあの頃は「頑張ろう!」との言葉が禁句とされた時代であった。 人は「頑張らなくていい」と、歪んだ“横並び”思想で結論付けられようとした時代背景だった。 
 学校教育がちょうど「ゆとり」を目指そうとした頃だっただろうか。 (ここで教育論に議論を発展させるとブログの字数が何文字あっても綴り終えないため、今回は教育論は割愛することにしよう。)
 一貫して「ゆとり教育」に賛同している原左都子がここで手短に語ると、教育における本来の「ゆとり」の意味合いとは生徒の“個性の尊重”に他ならないはずであった。 にもかかわらず提供側である国や(特に公立学校の)教員が勘違いして、自らが「ゆとり」に浸ってしまったのが大きな失策だったのではあるまいか?  すなわち、教育者側こそが生徒一人ひとりの個性を捉えることが、「ゆとり教育」の本来の趣旨であったはずなのである。それは指導者側にとっては大仕事であるべきはずだ。 一方、教育を受ける側もその個性に応じて一生皆が“頑張って”生きるべきでもあるはずなのだ。 
 それ故に“皆がそれぞれに頑張る”という意味合いにおいて、原左都子は今尚個性の尊重を掲げる「ゆとり教育」賛同派であると言い続けるのだ。  
 (詳細は本エッセイ集「横並び教育の所産」等教育に関するバックナンバーにおいて再三再四述べておりますので、是非ご参照いただけますように。)

 被災者の皆さんに如何なる声かけをするかに関する原左都子の結論とは、それこそ“人それぞれ”でよいのではなかろうか? 
 何も“訳のわからん”「専門家」とやらが突如としてメディアに出現し、即席に考え付いた下手な“通り一遍”のコメントを述べるまでもないのだ。
 そして何度も何度も訴えるが、ましてや“著名人”とやらがテキトーな支援パフォーマンスをメディアを通じて公開したところで、一昨日東北地方において発生した震度6強の余震等で被災地には再び電気も通じていない状況である。  結局“著名人”のパフォーマンスとは、被災地ではないライフラインが完璧な地域の国民向けに “ほらほら、僕らもこれだけ支援してるよ~、ほ~らね!” とアピールしたいだけの“売名目的”に過ぎないことがこの余震続きの中再証明されたという事であろう。 (自分らが本気でどんな支援をしたいのかを、被災地の皆さんにきちんと届くよう真心で伝えたらどうなのか?!) 


 桜に話を戻そう。
 昨日東京紀尾井町まで出かけ、取り壊しが予定されている「赤プリ」こと 現「グランドプリンスホテル赤坂」の“勇姿”を間近に見てきた。 折りしも東京の桜が満開を向かえ、その桜を底辺に高々とそびえ立っていた堂々たる「赤プリ」である。
 この「赤プリ」の最後の“勇姿”をカメラに納めようと、大都会幹線道路の人が大勢行き交う歩道にて携帯で撮影していたところ、通りすがりの年配女性が私に声をかけて下さるのだ。 「これは“赤プリ”ですね」「そうです。」 「これが取り壊されるのですね」「そうですね…」……  通りすがりの2人の間に、何とも切ない空気が今年の満開の桜の下で流れたものである。

 この丹下健三氏建設の「赤プリ」はわずか30年足らずにしてもうすぐ取り崩され、この土地が新開発される運命にあることは本エッセイ集「赤プリ」関連のバックナンバーで2度綴っている。
 現在は大震災に見舞われた東北地方の被災者を全客室である700室余りをすべて提供して受け入れたというニュースを、都会に住む原左都子としては“朗報”として見聞したものである。

 果たしてその客室にどれ程の避難者が現実に入居しているのかは不明だが、「赤プリ」の桜は“勇姿”を誇る「赤プリ」が取り崩される最後の局面に待ち構えていた“歴史的大震災避難者の救済”という大きな使命を全うする事を見守っていたかのように、東京紀尾井町において今満開に咲き誇っているのだ。
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