原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

スーちゃんにとって「キャンディーズ」は本当に幸せだったのか??

2011年04月25日 | 時事論評
 「元キャンディーズ」のスーちゃんこと田中好子氏の訃報を目にしたのは、先だって4月22日の朝パソコンを開いたその画面上のニュース見出しであった。

 “田中好子さん、乳がんで死去”
 田中好子氏と言えば、キャンディーズのスーちゃんではないか。 乳癌を患っていたとか闘病中という情報に関しては一切見聞したことがなかった原左都子なのだが、享年55歳と言えば私と同い年…。(私の方が半年程生まれが早いようだが)  やはり同年代女性の突然の死の報道が大いに気に掛かる私である。

 その夜、テレビでスーちゃんの訃報に触れたニュース影像を見て唖然とさせられたものだ。 
 街頭インタビューに応える私より年配と思しき初老男どもが、恥ずかしげもなく「キャンディーズは私の青春でした!」「スーちゃんは一番可愛くて私の好みでした」などとの“お悔やみ”の言葉を述べつつハゲ頭やヨレヨレ容姿の醜態を画面一杯に晒している…。 
 (ちょっと、あんた達! これじゃあ天国のスーちゃんの顔に泥を塗るようなもので、スーちゃんにとっては“ありがた迷惑”と言うものじゃないの??!)などと、不謹慎にも失笑するしかなかった原左都子でもある。


 キャンディーズと言えば、1970年代の歌謡界を一世風靡した女性アイドル3人グループである。
 確かにアイドルブーム全盛時代の当時において、3人の可愛い女の子が揃ったキャンディーズは、アイドルとしての要素満杯であったことだろう。 
 当時、時を同じくしてデビュー(キャンディーズの方が若干早かったと記憶しているが)したピンクレディと比較されることも多かったようだ。 そんな中、同世代の男性にとってはキャンディーズ支持派が大多数であったことは十分納得できる。 
 まだまだ男性が女性より優位に立ちたい時代背景の下、キャンデーズは一貫してそれに迎合するべくプロデュースされているグループだった。 とにかく“可愛い”ことを全面に出すべく、小柄な3人娘を揃え、歌も踊りも中途半端なお色気が売り物だったものだ。

 片や、ピンクレディの方は“似て異なるもの”との認識が当時の私にはあった。
 こちらは、とにかく高身長の体型の良さを前面に出した(失礼ながら可愛さは二の次の)2人組が元気に歌って踊って、日本に新時代が到来したごとく当時の世を圧巻し続けたものである。 当時のメディアにおけるマーケティング対象として、一部の男性のみではなくより広範囲の視聴者を取り込んだ“ピンクレディ プロジェクト”の方が結果としては高売上高を記録したというのが事実であろう。
 当然ながら、当時の原左都子の興味もピンクレディに大きく傾いていたものだ。 (ミーちゃんと同身長でもある私は、今尚ピンクレディをユーチューブで見ては一緒に歌って踊る日々である。)
 ピンクレディはその後も長年に渡り踊りと歌をよりバージョンアップしつつ、今現在も全国においてコンサートツアーの真っ最中である。
 

 アイドル路線を突っ走ることを余儀なくされたキャンディーズは結局1977年の夏、人気絶頂時に解散宣言をすることと相成る。
 同年の7月に日比谷野外音楽堂にて決行された(事実上の)解散コンサートのエンディングで3人は突然の解散宣言をした。 その後、ランちゃんが叫びながら発言した 「普通の女の子に戻りたい!」 宣言は、当時流行語にもなる程に今尚“名言”としての歴史を一人歩きし続けている。

 本当に「普通の女の子に戻りたい!」のかと思いきやそうではなかったようで、結局はキャンディーズ解散後直ぐに芸能界にカムバックしたランちゃんとスーちゃんであった。(ミキちゃんについては情報のない私なのだが…)
 二人共“女優”としてのカムバックであったが、まあそこそこ活躍してきていると言えるのであろうか?

 今回亡くなったスーちゃんに関しても、この私も解散後メディア影像で見ることはあった。
 実は昨日(4月24日)も追悼番組とのことでスーちゃんが出演しているドラマの一部をたまたまテレビで見聞した。 
 このドラマの内容が暗かったせいかもしれないが、どうも原左都子の感想として、スーちゃんが「キャンディーズ」以降に歩んだ人生がこのドラマの暗い内容と交錯して伝わってしまうのだ。
 実は、先だってスーちゃん亡き後直ぐにメディアのインタビューに応じたご亭主の態度にも私は疑義を抱いていた。 確かに子どもがいない熟年夫婦の繋がりとはこの程度のものかもしれない。 それにしても亡くなった直後にメディアを通して軽々しいコメントをご亭主に述べられたものでは、天国のスーちゃんは(上記の)往年のファンからのコメント以上に浮かばれない思いではないかと心を痛めた私である。

 
 本日NHKテレビの昼のニュースに於いてスーちゃんの葬儀が大々的に執り行われている様子が報道され、元キャンディーズのランちゃんやミキちゃんからの弔辞が放映されていた。 あくまでも私の記憶に辿るその一部によると、「私たちは“キャンディーズで幸せだった。これからもずっと私達はキャンディーズだよ!」との弔辞があった。
 (この弔辞は一体誰がプロデュースしてるの? そもそもスーちゃんがこれ程大々的な葬儀を執り行って欲しかったのだろうか??)

 スーちゃんが乳癌に侵されたことは事実なのであろう。 そしてその乳癌は1992年に発症したとの報道であるが、スーちゃんの闘病生活が19年もの長年に渡りつつ、その間スーちゃんが女優業を続けていた事も事実ということであろう。
 スーちゃんの一番の身寄りであろうご亭主が、その闘病にどれ程の協力体制を執っていたかなど私が知るところではない。 ただ、たとえ癌と言えども、スーちゃんが19年にも渡りその命を繋いでいたということは、その闘病(心身面や周囲の対応等)の如何によっては、55歳にして癌の転移により命を閉じずに済んだようにも考察してしまう元医学関係者である私なのだ。

 スーちゃんのご冥福を祈ると共に、今回の田中好子氏の葬儀報道全般を通して考察して、本当にスーちゃんは当時のキャンディーズ仲間による本日の弔辞のごとく「キャンディーズ」を経験して幸せだったのだろうか?? との疑念を抱いてしまう原左都子は単に心が歪んでいるだけなのか?

 死んだ後にまで、親しくもない人物や組織から過去に於ける自分の名声を利用されるなど、たまったものではないのではないというのが今回の原左都子の率直な感想なのだが、如何であろうか?? 
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