原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

AO入試、いいと思うけど…

2008年03月25日 | 教育・学校
 入試シーズンが終わり、現在ほとんどの学校が春休みに入っている。この時期、新入生のいる家庭は4月の入学準備に追われていることであろう。


 大学の入学者選抜方法のひとつとして、AO(アドミッションズ・オフィス)入試という制度がある。 このAO入試とは、学科試験重視から脱却し、面接や志願書により受験生の個性や士気の高さ等の総合的な人物評価で合否を決める方法である。

 元々、このAO入試は90年頃から一部の私立大学で導入され始め、その後国公立大学にも広がり、現在ではAO入試を実施する大学は全体の約6割に達している。大学全入時代を控えて、学生の確保などを目的に大学が入試の多様化を進めたことが背景にあり、AO入試は広がりを見せてきたようだ。
 今や大学入学者全体の4割以上が、推薦入試及びこのAO入試による学生で占められているらしい。

 ところが、ここにきてこのAO入試廃止を含めて試験方法の見直しの動きが広まってきている。例えば、国立の九州大学法学部においては、通常の学科試験を受けた学生よりもAO学生の入学後の成績が低い傾向があるとして、2010年度入試からこの制度を廃止する方針を決定した。その他、一橋大学や筑波大学でも一部廃止を決定したということである。
 また、このAO入試は11月解禁が原則とされる推薦入試のように時期的な縛りがないため、学生の「青田買い」につながっているとの指摘もある。一部の大学はAO入試を安易に使い過ぎている、と話す文部科学省の担当者も存在するようだ。

 他方、AO入試で入学した学生の方が一般入試の学生より学業成績優秀な上、やる気もあり目標が明確であると言う大学も多い。個性の光るAOの学生の存在がキャンパスの活性化に貢献しているという報告もある。

 どうやら一概にAO入試と言えども、私の見聞によると大学毎にその実態に大きな開きがある様子だ。
 学科試験を実施しない分、高校の各教科の評定が基準を満たしていることを要求している大学が多い。ところが、この評定自体に高校間格差が存在するのは当然であろう。 その辺を大学はどう判断しどう評価しているのであろうか。
 また、大学毎のAO入試実施方法にも大きな開きがあるようだ。面接時間を受験者1名に対し40分かける大学、それに加えて受験者のプレゼンテーションを要求する大学もある。面接官に関しても受験者1名に対し複数の教官で対応する大学もある。その一方で、そうではない大学もあるのであろう。
 また、入学後のAO学生のフォローアップ体制や、AO入試に合わせた授業の枠組みを制度的に設計している大学もあれば、そうではない大学も存在するようだ。
 このように、AO入試を成功させようとする大学の取り組みの姿勢の如何が、AO入試がひとつの優れた入学者選抜制度として定着するのか、廃止へと向かうのかの分かれ目になっているように推測できる。当然ながら、きめ細かな対応をしている大学ほどAO入試の効果が大きく、優れた入学者選抜方法として定着しているようである。


 では最後に私見であるが、私はAO入試肯定派である。大学とは学生が学業に励む場所である。真に学業に励んでくれる学生を人物評価により確保し、向学心旺盛な学生相手に学問を教授してくことが大学の使命であり、真の存在意義であり、それが今後の大学自らの生き残りにも繋がることであろう。

 ただし、AO入試の選抜条件は必要だ。向学心だけ旺盛であっても基礎学力がないと大学での学問に耐えられるはずがない。最低限の選抜条件として、大学での学業に耐え得る基礎学力がAO受験者に要求されるのは当然である。 そして、大学側のAO学生受け入れ態勢の基盤づくりも肝要だ。士気の高い学生の意欲をそがない学問教授体制の充実がまずは望まれるであろう。
 
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3 Comments

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Unknown (くま子)
2008-03-25 17:27:39
こんにちは。
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原教授!拍手です! (幸慶家)
2008-03-27 02:54:41
今の学生数はどうなんでしょう。団塊の世代2世はもう大学時代ではないのでしょうか。

あの頃(団塊世代)は、「猫も杓子も大学」
「大学行かなキャア高給取りに慣れんぞ!」という「高学歴社会」
私立大学増設で「企業化」していましたね。
所謂「儲け」の大学側・・・

原教授の最後。
ラスト5行に凝縮されていると思います。

でも、老いさんも、実は、高校の学業優秀で進学できたのではありません。
「推薦入学の一人です」
本来、大学は、学業優秀な生徒が、更なる豊富な知識と「人間性」を求め、学生として学び社会に貢献する人を育てる所だと思う。
しかし、果たして・・・

老いさんは、「学業の(成績)優秀」な事よりも、「人間性に優れた」事の方を重要視したい。
卒後の長い人生に於いて、必要なのは、「頭脳の優秀さより人間の優秀さが大事だからです」
学業も然ることながら、「人間にモマレロ!」と・・・

高校までではこうした「人間性向上」は教えてくれません。

但し、大学にノホホントと唯4年間を過ごしただけでは、望む方も酷。
文化系、運動系何でも「サークル」に参加して、そこで、人間にモマレル事だと思う。

親には大変苦労掛けたが、今の自分がこうして居れるのも、こういう気持ちで「生きられる」のも、親への感謝とサークルの先輩への感謝です。

もし、これ等が無かったら・・・
今の自分は無い!と、断言出来ます。

そういう総合的な面からしても、「原教授に拍手を送りたいです!」
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幸慶家さん、推薦入学だったのですね! (原左都子)
2008-03-29 11:34:08
幸慶家さん、「教授」はおやめ下さいませ。私は教員時代もずっと一人称は「私」で通しました。周りの教員が自分のことを「先生」と高校生の生徒に向かって言うのを聞いていて、とてもみっともないと感じたからです。
それから、学校内では生徒から「先生」と呼ばれるのも苦手でした。これは役割分担上やむを得ないのですが、一歩学校から外へ出たら絶対「先生」と呼ぶなと生徒によく釘を刺したものです。人間は基本的には皆対等な関係だと考えているためです。

幸慶家さんは、大学は推薦入学でいらっしゃるのですね!その時代に既に推薦入学って存在していたのですね。(大変失礼致しました。)

人それぞれ、大学に求めるものは異なるのかもしれませんが、忘れちゃならないのは大学とは学問を修める所である、という点です。卒業後の就職率や部活等ももちろん重要な要素ではあるのですが、それは二の次であるべきです。
学問という大学にとっての本来の業をやりたい人が大学の門をくぐるべきと私は考えます。
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