本日午前中に見た「原左都子エッセイ集」編集画面内に、2014.07.09公開の「白いご飯にのっけるお菜もふたが開かねば食せない」と題するバックナンバーが、上位にランクインしていた。
早速、以下にその一部を要約引用させていただこう。
7月5日朝日新聞別刷「be」“RANKING”のテーマは、「白いご飯にのっけたいもの」だった。
そのランキング結果を以下に紹介しよう。
1位 生卵 2位 辛子めんたいこ 3位 のり(乾燥のり)
4位 納豆 5位 ふりかけ 6位 梅干し
7位 のりのつくだ煮 8位 たらこ 9位 ちりめんさんしょう
10位 とろろ 11位 さけフレーク 12位 しらす
(以下略)
何処のご家庭にも白いご飯のお伴である常備菜として、冷蔵庫内や食品棚等に保存されているであろう食材の数々が、ズラリとランクインしている。
このコラム記事を見た私の脳裏に真っ先に蘇ったのが、4月中旬の骨折直後の“悲惨な状況”である。
そのランキング結果を以下に紹介しよう。
1位 生卵 2位 辛子めんたいこ 3位 のり(乾燥のり)
4位 納豆 5位 ふりかけ 6位 梅干し
7位 のりのつくだ煮 8位 たらこ 9位 ちりめんさんしょう
10位 とろろ 11位 さけフレーク 12位 しらす
(以下略)
何処のご家庭にも白いご飯のお伴である常備菜として、冷蔵庫内や食品棚等に保存されているであろう食材の数々が、ズラリとランクインしている。
このコラム記事を見た私の脳裏に真っ先に蘇ったのが、4月中旬の骨折直後の“悲惨な状況”である。
自宅ベランダで転び負傷し、左鎖骨鎖骨骨折(全治2ヶ月)右手首骨折(全治1ヶ月)の診断が下ったのは今から遡ることおよそ3か月前の4月半ばの事である。
医師の指示として「絶対安静」と宣言されたところで、一応一家の主婦(この言葉は嫌いだが)の立場にして安静になどしていられるはずもない。 料理嫌いな私とて最低限可愛い娘の朝食準備ぐらいは母である私の責務との使命感は強い。 骨折中にも激痛に耐えつつ、娘が起床するまでに何とかテーブルの上に形のみの朝食を繕い続けた。 (参考のため、定年退職後の亭主に関しては起床時間が一定していないため、自主朝食制度を採用している。)
日々の私自身の朝食行動に関して記すと、まず一家の先陣を切って朝起きる。 そして大学へ通っている娘の朝ご飯の準備をするのと並行して、私自身は“ビュッフェ形式”で台所で朝食を採る。
上記“ビュッフェ形式”について説明するならば、要するに娘に出す朝食の残り物や白いご飯のお菜を頼り、娘が起きてくる前に台所に立ったままでそそくさと朝食を済ませるとの事だ。
ところが骨折直後は、いつもなら白いご飯のお菜として食している常備菜数々の蓋が“開かない!”
(それ以前の問題として、布団から起き上がる動作も命がけなら、トイレに入っても紙を手に巻き取れないし、パンツもまともに上げられない。 死に物狂いでそれをこなして台所に立ったとて、食器棚や冷蔵庫を開ける動作もままならない。)
それでも我が命を持たせるためには、とにかく「食わねば!」と決死の覚悟で摂食行動に挑んだものだ。
両腕骨折被害に遭う事とは、食事との何でもない動作すら難儀な事態に陥るものと一番に思い知らされたのが、我が起床間際の“ビュッフェ”朝食時の無念さだった。
例えば朝日新聞調査1位に君臨した「生卵」。 両腕骨折状態で左手は当初腰までしか上がらず右腕は箸を持つのがやっと状態で、卵を割る動作すら叶わず断念した。
3位に位置付けている「のり」。 やはり特に右手首の細かい作業が不能なため、これを包んでいる袋の封も切れない。
私が一番好んでいる6位の「梅干し」。 郷里の母が毎年漬けて送ってくれてはいるが、そのタッパーを開けるには程遠く断念…。
7位の「のりのつくだ煮」に関しても、市販品のビンの蓋が開けられない始末…。
ずっと飛ばして、11位の「さけフレーク」も上記と同様の利用で蓋が開けられない…。
そうだとしても、早朝に未だ睡眠中の家族を起こすとの迷惑など掛けたくはない。 何とか白いご飯のお菜となる食材はないものかと台所内を探索し、私はそれを冷蔵庫内に発見したのだ!
それは “マヨネーズ” だった!
現在市販されているマヨネーズとは蓋が二段構造になっていて、上の蓋をプチッと片手で開けると少量のマヨネースが出る仕組みとなっている。 これを骨折した右腕で持ち上げ、前日の晩娘が焚いて冷蔵庫で保存してくれている御茶碗一杯のご飯をレンジでチンして、マヨネーズをかけて食する決断をした。
何だか泣く泣く苦し紛れの決断だったとはいえ、この判断で骨折直後の我が朝食が叶った事実こそを、「マヨネーズ様様」と感謝申し上げたい思いだった。 (中略)
その間、我が家族に「できたら常備菜の蓋を軽く閉めて欲しい」との要求は提示した。
ところが、自分自身が“不自由な身”になってみないとその辛さが理解できないのであろう事態に直ぐに直面させられる…
次の日起きてみても、やはり常備菜の蓋は固く閉めらているではないか!
「私が昨日言ったことを覚えいる?」 と日々尋ねてみれば、若き娘からは「覚えているよ!」との返答が来るものの、亭主からはくる日も来る日も「あっ、忘れていた…。ごめん。」との返答に、体が健全な人には身体的弱者の苦悩など一生理解し得ないものと改めて悟る始末だ…
そして白いご飯をレンジでチンしたものにマヨネーズと醤油をかける私の「犬食い」朝飯は、その後もしばらく続くはめとなった…。
お陰様で私の骨折後の予後は比較的良好で、現在では右手首関節に多少の後遺症を残すのみとなっている。
昨日整形外科医を受診したところ、右手首の後遺症も(私のリハビリ努力によれば)日々快方に向かうであろうとの担当医の診察結果だ。
それにしても日本人にとっての朝食に於いて、白いご飯にお菜をのせる事は欠かせない習慣であろう。
ある日そのお菜の蓋が開けられない日が訪れる事態とは、大袈裟に表現するならば、安倍政権による「集団的自衛権」が与党内で身勝手に合意され発令されようとしている事と同等の危機感が漂う程の恐怖心を国民に及ぼす惨劇ではあるまいか!?
今現在国民からの支持率を大幅に下げようとしている安倍政権も、今一度頭を柔らかくして、国民から放出している「集団的自衛権」行使絶対反対意見に耳を傾けられないものなのか!?
国民からの反対世論に配慮して、安倍政権は少しは「蓋をゆるめられない」のだろうか。 悲しいかな、それが不能な事態にまで与党政権は「蓋を固く閉めた」まま、現在がんじがらめ状態なのか…?
私自身にとって両腕骨折とは突然の予期せぬ事故であった。
そんな不自由な現状を経験してみて、理不尽な要求を国家政権より突然課される事実こそが如何に辛いのかを、我が身にして人生世観が揺らぐ程に学ぶ思いだ。
そんな我が思いを、今回のエッセイで少しだけ公開した。
医師の指示として「絶対安静」と宣言されたところで、一応一家の主婦(この言葉は嫌いだが)の立場にして安静になどしていられるはずもない。 料理嫌いな私とて最低限可愛い娘の朝食準備ぐらいは母である私の責務との使命感は強い。 骨折中にも激痛に耐えつつ、娘が起床するまでに何とかテーブルの上に形のみの朝食を繕い続けた。 (参考のため、定年退職後の亭主に関しては起床時間が一定していないため、自主朝食制度を採用している。)
日々の私自身の朝食行動に関して記すと、まず一家の先陣を切って朝起きる。 そして大学へ通っている娘の朝ご飯の準備をするのと並行して、私自身は“ビュッフェ形式”で台所で朝食を採る。
上記“ビュッフェ形式”について説明するならば、要するに娘に出す朝食の残り物や白いご飯のお菜を頼り、娘が起きてくる前に台所に立ったままでそそくさと朝食を済ませるとの事だ。
ところが骨折直後は、いつもなら白いご飯のお菜として食している常備菜数々の蓋が“開かない!”
(それ以前の問題として、布団から起き上がる動作も命がけなら、トイレに入っても紙を手に巻き取れないし、パンツもまともに上げられない。 死に物狂いでそれをこなして台所に立ったとて、食器棚や冷蔵庫を開ける動作もままならない。)
それでも我が命を持たせるためには、とにかく「食わねば!」と決死の覚悟で摂食行動に挑んだものだ。
両腕骨折被害に遭う事とは、食事との何でもない動作すら難儀な事態に陥るものと一番に思い知らされたのが、我が起床間際の“ビュッフェ”朝食時の無念さだった。
例えば朝日新聞調査1位に君臨した「生卵」。 両腕骨折状態で左手は当初腰までしか上がらず右腕は箸を持つのがやっと状態で、卵を割る動作すら叶わず断念した。
3位に位置付けている「のり」。 やはり特に右手首の細かい作業が不能なため、これを包んでいる袋の封も切れない。
私が一番好んでいる6位の「梅干し」。 郷里の母が毎年漬けて送ってくれてはいるが、そのタッパーを開けるには程遠く断念…。
7位の「のりのつくだ煮」に関しても、市販品のビンの蓋が開けられない始末…。
ずっと飛ばして、11位の「さけフレーク」も上記と同様の利用で蓋が開けられない…。
そうだとしても、早朝に未だ睡眠中の家族を起こすとの迷惑など掛けたくはない。 何とか白いご飯のお菜となる食材はないものかと台所内を探索し、私はそれを冷蔵庫内に発見したのだ!
それは “マヨネーズ” だった!
現在市販されているマヨネーズとは蓋が二段構造になっていて、上の蓋をプチッと片手で開けると少量のマヨネースが出る仕組みとなっている。 これを骨折した右腕で持ち上げ、前日の晩娘が焚いて冷蔵庫で保存してくれている御茶碗一杯のご飯をレンジでチンして、マヨネーズをかけて食する決断をした。
何だか泣く泣く苦し紛れの決断だったとはいえ、この判断で骨折直後の我が朝食が叶った事実こそを、「マヨネーズ様様」と感謝申し上げたい思いだった。 (中略)
その間、我が家族に「できたら常備菜の蓋を軽く閉めて欲しい」との要求は提示した。
ところが、自分自身が“不自由な身”になってみないとその辛さが理解できないのであろう事態に直ぐに直面させられる…
次の日起きてみても、やはり常備菜の蓋は固く閉めらているではないか!
「私が昨日言ったことを覚えいる?」 と日々尋ねてみれば、若き娘からは「覚えているよ!」との返答が来るものの、亭主からはくる日も来る日も「あっ、忘れていた…。ごめん。」との返答に、体が健全な人には身体的弱者の苦悩など一生理解し得ないものと改めて悟る始末だ…
そして白いご飯をレンジでチンしたものにマヨネーズと醤油をかける私の「犬食い」朝飯は、その後もしばらく続くはめとなった…。
お陰様で私の骨折後の予後は比較的良好で、現在では右手首関節に多少の後遺症を残すのみとなっている。
昨日整形外科医を受診したところ、右手首の後遺症も(私のリハビリ努力によれば)日々快方に向かうであろうとの担当医の診察結果だ。
それにしても日本人にとっての朝食に於いて、白いご飯にお菜をのせる事は欠かせない習慣であろう。
ある日そのお菜の蓋が開けられない日が訪れる事態とは、大袈裟に表現するならば、安倍政権による「集団的自衛権」が与党内で身勝手に合意され発令されようとしている事と同等の危機感が漂う程の恐怖心を国民に及ぼす惨劇ではあるまいか!?
今現在国民からの支持率を大幅に下げようとしている安倍政権も、今一度頭を柔らかくして、国民から放出している「集団的自衛権」行使絶対反対意見に耳を傾けられないものなのか!?
国民からの反対世論に配慮して、安倍政権は少しは「蓋をゆるめられない」のだろうか。 悲しいかな、それが不能な事態にまで与党政権は「蓋を固く閉めた」まま、現在がんじがらめ状態なのか…?
私自身にとって両腕骨折とは突然の予期せぬ事故であった。
そんな不自由な現状を経験してみて、理不尽な要求を国家政権より突然課される事実こそが如何に辛いのかを、我が身にして人生世観が揺らぐ程に学ぶ思いだ。
そんな我が思いを、今回のエッセイで少しだけ公開した。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)
2023.12の現在尚、我が「左膝複雑骨折」が完治したとは言い難い。😨
左膝が未だに曲がり切らず正座は無理状態を強いられている。 膝がしらの骨に関しては完璧にくっついたからこそ、病院受診は“無罪放免”されているものの…
私の診断では、“腱”等の結合組織が未だ損傷したままの状態なのであろう。 これ もしかしたら我が余生に於いてずっと完治しない恐れもあり、その覚悟を決めておくべきとすら腹をくくりかけている。
そんな身にして、表題に戻ろう。
2014年春の大怪我だった「左鎖骨と右手首の同時骨折」と、現在未だ引きずっている「左膝複雑骨折」。
どっちが我が身にとっては“辛い”(“辛かった”)のかを天秤にかけると。
これ、2014年の「左鎖骨と右手首の同時骨折」の方に“辛さ”の軍配が上がりそうだ。
と言うのも、当時と今とでは家庭内条件が大幅に異なるのが大きな理由だろう。
2014年当時は未だ娘が大学生だったと記憶しているが、その娘の学問や生活のフォローを母の私が陰で積極的に行っていた時期だ。
大学の「卒論」こそは娘本人に取り組ませたが、その他の諸授業や家庭内での実習記録作成等々は、出来る限り母の私が手伝っていたものだ。
あの頃を思い起すと、娘が家を出て独り立ちしている現在の何ともラクなこと!!
やはり娘が独り立ちしてくれた効用とは、予想以上に大きい事を実感させられる。
加えて、我が身が高齢域に突入している事実も一種の安堵材料であろう。
たとえ 今後我が左膝が「正座」できるまで曲がらずとて、特段問題は無いと私は受け止めている。
既に趣味のランニングもゆっくりペースだが楽しんでいるし。 日常生活上、私としては特段の不都合は無い。
それにしても。
上記2014年に私が記した引用文を読むと、当時の安倍政権の体たらくぶりが思い起されて 今尚腹立たしいものがある!!😱
安倍氏の死にざまに関しては、世の反応が割れているようだが。
原左都子の感覚としては、安倍氏は既に“忘れ去られた存在”と概ね受け止められているものと捉えている。